「あつーっ!? あつ、あつぅっ!?」
「おい東雲ちゃん、無理はすんなよ? どうも無茶効く状況じゃねェみたいだぞ」
公安部神祭課、東雲と牙堂の二人は第六班と行動を別とした後、独自の根拠を以て犯人を追跡していた。そして、それを第六班に共有しなかったのは決して悪意からではない。
ただ、その根拠というのが非常に説明しづらく、理解されづらいものであったのだ。
「でも! でもですよ牙堂さん! ニオイがもうこんなに近いのに!」
「……そこなんだよなァ。無茶して死んだら元も子もねェが、あんまりにも目と鼻の先過ぎる」
東雲はその肉体の変質によって。牙堂は“オカミさん”と呼ぶ縁起をその身の内に飼うことによって、常人よりも鋭敏な感覚を持っている。その彼らが、子供達や仮装に染みついた共通の“ニオイ”に気が付くのは当然のことだった。
覚えた“ニオイ”を辿り、情報を探ること小一時間。そこにウィル・オ・ザ・ウィスプの顕現が起こり、それと同時に現場に残された“ニオイ”と似たものを感じ始めたのだ。
何か関係があるに違いない、と追ったその先に待ち受けていたのは、地獄のような光景だった。
骸。骸、骸、骸。青白い炎に侵され、さ迷い歩く死体ども。つい数分前までは普通の人間だったはずのそれらは、東雲と牙堂を見つけると堰を切ったように群がり始めた。
その直前、怪しい人影がつい目と鼻の先の廃墟へと入り込んでいくのを見たというのに。
「あー、もう! 邪魔しないでっ!」
東雲の手に握られた長大な警棒が振るわれる。対界異用警棒『獄卒』。30cm刻みで長さを変えられるソレを目いっぱい伸ばし、10kgという大質量に遠心力を乗せて振るう一撃は焔口を打ち砕くには十分に過ぎる威力を誇る。素材が清められた玉鋼であり、界異に対しても効果を望めるとなればなおさらだ。
問題も、それが玉鋼で出来ている、ということだったが。
「あっつーい!!」
距離は離れてるとは言え、ウィル・オ・ザ・ウィスプの熱波が若干は届く位置。さらには燃える骸に囲まれ、それをいちいち叩いて祓滅しなければならない状況。玉鋼の優れた熱伝導率は瞬く間に東雲の手に炎熱を伝え、ほっかほかのあっつあつに仕上がっていた。
「やっぱ、火傷する前にやめた方がいいんじゃねェか?」
対する牙堂は、汗こそ滲ませているがあまり問題を感じている様子はない。彼は、その身に宿す“オカミさん”の牙を一瞬だけ展開し、骸を食いちぎるような形で相手をしているからだ。
“一口狼”……オカミさんの種族であるその界異の牙は、食らいついた部位の概念を崩壊させ、それを二度と修繕も再生もできなくする力を持っている。燃え続ける炎であれど、その牙にかかれば儚く散るものでしかなかった。
ただ、それでも牙堂の表情は優れない。必要であるからやっているだけで、元々は誰かだった骸を損壊させることに乗り気にはなれなかった。
進むか、退くか。正直、突破しようと思えばできる状況だ。ただ、相手は恐らく呪詛犯罪者。追い込むにしても今は東雲と自分の二人。肝心の東雲は状況との相性の悪さから実力を発揮しきれておらず、相手を詰め切れるかちょっと怪しい状況だ。
一瞬の逡巡。それでも方針は決めねばならぬと、ベテラン刑事の判断力を働かせようとしたところで────件の廃墟へと突っ込んでいく、蓮実の姿が見えた。
「……は?」
「ど、どーしたんですか牙堂さん!? 正直もうちょっと手伝ってほしいです~!!」
蓮実がその男の疾走を見かけたのは、やはりこれまた完全なる偶然だった。
災害時の避難先である小学校へ向かうその道中、人の流れを完全に無視して突っ走る男の姿がそれだけ目立っていたとも言う。その姿に感じるものがあり、気づけば蓮実はその背中を全力で追い始めていた。
走り、走り、走る。道中、燃える骸に襲われる見覚えのある二人を見た気がするが、どうにも余裕がありそうなのでひとまず放置することにした。その二人によって周囲の骸が引き付けられ、都合が良かったとも言う。
ともあれ、男が廃墟へと入り込んで数分遅れで突入に成功した蓮実は、呪詛犯罪者────有得流我との接触に成功したのだ。
「もう来やがったか祓魔……あん?」
大きな足音を立ててやってきた侵入者が、狩衣も着ていない小娘一人きりなのを見て、有得は思いっきり眉を顰めた。しかも、その相手は最初にふざけた通報をしてくれた張本人。完璧だったはずの計画に僅かとは言えケチをつけた存在と言える。
「……なんだ、お前? 一人で何しに来たんだ?」
理由がまったく読めない。曽鈴と自分を繋ぐ情報は一切渡さなかったはずだから、蓮実が有得の正体に気づいて追ってきたというセンはない。ならば怪しい出で立ちに不審を感じたとしても、こんな大災害の中で不審者を見つけたからといって追う奴が、どこにいる?
思わず眉が顰められる。これから良い所だから、邪魔してほしくないんだが。
「あ、あんた、悪い人っスか? 悪い人っスよね?」
何故か困惑気味に訪ねてくる蓮実に、とうとう有得も困惑を隠せなくなってきた。一体何なんだ、こいつ。
「あーはいはい、悪い人だよ。相手してる暇ねーからとっとと消えな」
見逃してやるから、しっしっと手を振っても蓮実は動く様子がない。
「どうして────あんたの腕の火傷から、“子供達”の気配がするんスか?」
その言葉に、鋭く舌打ちを溢す。そうだ、そういえばこいつはこういう感覚が鋭いんだった。
その火傷は、“存在しない子供達”、ハロウィンの伝承を利用して造り上げた“悪霊”を界異に変じさせた時についたものだ。知らず、強い結びつきが残っていたのだろう。
面倒くさいことになった。人を界異に変じさせる禍良喝采転生は、そう本腰を入れて隠したいわけでもないが、だからといってみすみす情報を渡したいわけでもない。こいつを生かしておいては、不利益になる。
判断してからの行動が早いのが有得の美徳であった。二度、三度手を打ち鳴らせば隠れさせていた界異達が姿を現す。
さあ、いざ殺すぞ。そう決断した瞬間に、蓮実はひぃと小さく声を上げて派手にすっ転ぶ。ポーチの口が開いていたのか、チョコレートやビー玉の群れがころころと転がり出て床に散らばった。
「……マジでさあ、何がしたいのよ、お前」
絶妙に毒気が抜かれた有得は、本当に困った顔で蓮実を見下ろす。小娘一人、それも命知らずなんだか臆病なんだかわからないヤツ。殺すことに変わりはなくとも、コイツのことが本当に理解できない。
あわわ、と立ち上がろうとして、手をついた先にあるビー玉にさらに派手に転ばされる。弾かれたビー玉達はころころと有得の背後に転がっていき、蓮実は床にぶつけた頭を抑えながらぽつりと呟いた。
「『万物流転。盤上弾む球こそが生の似姿なればこそ』」
「はぁ?」
気でも狂ったのか。いきなり意味不明なことを言い始めた小娘に哀れみの視線を向け、いっそ楽にしてやろうと懐の拳銃に手をかけ。
「私の好きな言葉っス! 私が考えたんスけどね!」
害意を発散するまさにその直前に投げかけられた、アホそのものの答えにやはり思考が止まる。
「ほら、パチンコの球って“飛ぶ”って形容するけど、実際は“飛ばされてる”ものっスよね?」
朗々と歌い上げるように宣うその言葉に反し、蓮実の視線は媚びるようにちらちらと有得のことを見上げていた。その眼には反抗の意思や負けん気といったものが一切欠如している。
道化のように言葉を回し続ける蓮実の姿には哀れさがあった。これは遠回しの命乞いなのかと思うと、どういう結論が飛び出るのかくらいは聞いてやろうという慢心が顔を出す。
「人生も似たようなものだと思うんスよ。自分ではない誰かの力で飛ばされて、そうして出た結果を粛々と受け入れることしか許されていない」
「お前の人生もそうだって言いてぇのか? 俺の後を追ってきたのも流された結果だって?」
だから見逃せ、というのならなんともつまらない回答だ。その失望を見透かしたのか、蓮実は大きく肩を落として、言う。
「だってほら、人の態度って、何事に対してもいつもそうじゃないっスか」
「『タマが出ればほらアタリ。スカってしまえばさよならね』」
────不自然な話の繋ぎ方。霊的知覚こそ鋭くても、蓮実のことをただのバイトだと思っていたが故の見逃し。
寸前でその可能性に気が付いた有得は、咄嗟に状況を打破できる界異の名前を呼んだ。
「忘我ッ!」
「術式開帳、“幽明境”」
蓮実の目の前に、ねじくれた人型が顔を突き出す。その顔にはぐるぐると渦巻く模様だけが載せられており、それが蓮実の自意識を奪う。
次の瞬間。毒々しい赤黒の花弁が辺りを包み込み、二人の姿を覆い隠した。
「同じ形質の
有得が気が付いた時には、辺りの様子は様変わりしていた。
どこまでも続く、暗雲の空と澄んだ水面。雲からは何条もの蜘蛛の糸が垂れ下がり、自らの立つ水面の下には泥中に蓮花が咲き乱れている。どこまでも不気味で、異質な世界。
それを見て、有得はその正体を看破する。
「【六三目連】の拡張系、“開帳”か?」
「一目で分かるとはやるっスね。厳密にはその亜種っスけど」
ふう、と気だるげにため息を吐く女に対し、有得は容赦なく胸元から引き抜いた拳銃を用いる。祓魔師ですら使用を禁じられている黒不浄弾が蓮実の胸元を撃ち抜き、しかし何の痛痒も与えることなくすり抜けてはるか彼方へと飛んでいく。
「一応ルールだから、説明するっスよ。ここは、私が貼った結界を『賭場』に見立てて成り立つ異界。当然、現世とはルールが異なるっス」
「……知ってんだよ、めんどくせえ。“賭けの勝敗”が成立するまで解かれず、また“賭けの結果”以外じゃ相手を傷つけられないってヤツだろ」
おにーさん詳しいっスね、とけらけら笑う蓮実に、有得は頭を掻いた。どうしても、わからないことが一つある。
「お前さん、確実に忘我の術中にかかったはずだろ。どうして普通に動けている?」
「忘我、我を忘れる、ね。お兄さん、もしかして案外節穴っスか?」
「あ? なんだよ」
「私の一体どこに、奪えるような自我があるように見えるんスか」
ハッ、と笑うように息を吐くその女の目は、どろどろと腐りきっていた。反抗心も負けん気もない? ああ、当然のことだ。だってそこには、
「ちょーっと私のママ、教育ママだったんスよねえ。娘が腐りきるまで教育教育教育、結局児相に取っ捕まってさよならバイバイしたっスけど」
「……お前、自己判断をハナっから放棄してんだな? お前の行動基準はなんだ」
自分で判断する気がなく、自分の外側に置かれた行動規範にだけ基づいて行動する。それはもはや、忘我を用いた催眠よりも深い自己否定だ。
ああ、蓮実の言っていることはどこまでも正しい。忘我が奪うのは飽くまで自意識であって、それがなくとも動く生きる死人にはほとんど効力を持たない。
「『善い人であれ』っスよ。大人はみぃんな、同じことを言うんだもの」
呆れたように息を吐く蓮実に正直ドン引きする気持ちの有得だったが、引いてばかりも居られない。意味不明な潜り抜けられ方をしたならば、それはそれとして行動しなければ状況は好転しないのだ。
「勝負の方法はなんだよ」
「ロシアンルーレット。私が先行、あんたが後行。引き金を引けるのは自分に対してだけ」
「賭け金は」
「私が決めるっス。ごくごくシンプルな話。賭けられた霊力に比例して威力が上がる弾丸を一発だけ込めて、六分の一でそれを引いた奴が負け」
「ハッ、せいぜいよく考えて決めるこったなお嬢ちゃん。仮にお前が賭けに勝っても、俺が生き残っちまえばそこで結界は解ける。もう一度開帳を貼り直す前に殺すのはワケないんだぜ?」
鼻を鳴らして挑発する有得に対し、蓮実は淡々と胸元からあるものを取り出した。
人型に似せて切り抜かれた、護符のような代物。祓魔師達が形代紙と呼ぶ身代わりのお守り、それが七枚。
「これ、形代紙っていうんスよね。命の代わりになるっていう」
「なんだよ、こんなとこで取り出したって何の意味もねえぜ? 自分には残機があるから保険があるって話なら」
「いいえ? これは見立ての話っスよ。これが私の命七つ分であるのなら、
「賭け金を決定するっス。私は、
「なっ……なにぃーーーーーーッ!?」
蓮実の宣言と同時に、全ての形代紙が燃え上がる。その存在すべてが霊力として変換され、蓮実が握る異形の銃の弾倉へと込められていく。
同時に、有得の身からもギリギリまで霊力が搾り取られる。どう考えても不足が発生する暴挙だったが、どうやら支払い不可能な賭け金は見逃されるようだった。
「おっ……前、何考えてんの!? マジで! ぜってえそんな威力いらねえだろ!? 悪いこと言わねえから形代紙取っとけって!」
「……? 純粋な運勝負にしなきゃ意味ないじゃないっスか?」
心底理解していない顔で首を傾げる蓮実に、再び有得は理解不能なモノを見た思いがした。
「クソッ……! 始まったもんはしゃーねえ。だがあんまり俺をナメてると痛い目見るぜ?」
有得は、目ざとく勝ち目を見出していた。確かに忘我の催眠は現状
完全に無効化されたわけではない。これは、圧倒的なアドバンテージだった。
相手が勝手に退路を断ってくれたなら、それはラッキーだ。進行に慎重になればなるほど、有得が付け入る隙が増える。
見た目上は平等な勝負。しかし、実態は有得に絶対的な有利がある。これで負けるだなんて、いったいどれほど運が悪い────
────軽い音が五回、連続する。
ふと蓮実の方に視線を向け直せば、何のためらいもなく自分の頭に向かって引き金を引いていたようだった。五連続で。
「あ?」
「ありゃ、全部外れ。あんた、相当運が
「はあああっ!? 何してんの!? お前っ、何してんの!?!?」
隙も何もあったもんじゃない。コイツは、一度しか死ねないはずだ。形代を全て放棄したのを有得は直に見ていたし、隠し玉を他に持っている気配もなかった。
なのに、なんだ、何だコイツ!? 気でもおかしいんじゃないか!?
「駆け引きとかめんどくさいじゃないっスか。考えないといけなくて」
「そんな怠惰な理由で命捨てるのやめなさいね!? いや、おかしいだろ! こんな、こんな……っ!」
珍しく、本気で頭を巡らせた作戦であったのだ。子供達を計画的に誘拐し、その性別を夜灯呑で奪って“存在しない子供達”を造り上げる。
“存在しない子供達”はハロウィンイベントへの参加によって逆説的にハロウィンの“悪霊”となり、その属性によってウィル・オ・ザ・ウィスプへと転じるのは確実。
邪魔な祓魔師達はマザーグースを利用し、“女性性”を使って製造した『飴』に目を惹き付けることで攪乱。こちらの術式を知らない相手に勝ち目のないゲームを仕掛けることにも成功した。
そして、ウィル・オ・ザ・ウィスプは“松明持ちのウィリアム”────本来地獄行きだったはずが、地獄にも天国にも行けなくなった男の伝承だ。ウィル・オ・ザ・ウィスプが居る場所は、すなわち地獄の門前。つまりは幽世の門の存在を補強する材料となる。
そうすれば、後は門を開き、ウィル・オ・ザ・ウィスプの炎を併用してしっかりと幽世が定着した“禁域”が広がる、それだけ用意に用意に用意を重ねた計画だったのに────
────こんな、こんな狂人一人がバイトに紛れ込む、たったそれだけで、その全てが水の泡になるだなんて……!
「あ、ありえないがーーーーっ!?」
いつの間にか、蓮実の手に握られていた銃が有得の手元に移動している。
それを握る手が離せない。勝手に動く腕が有得の頭に銃口を突きつけ、引き金を引いた。