泥中散華、未だ遠く   作:クサリ

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泥中散華、未だ遠く

 有得が勝負に敗北し、水底に沈んでいくのを蓮実は見送る。沈み切った敗者はその身を優しく蓮に包まれ、安らかな眠りにつくことになるのだ。

 蜘蛛の糸蔓延る水上に残るのは、勝者の特権(ぎむ)であるから。

 

 ため息をひとつ吐いて、結界を解除すれば風景は元の廃墟へと戻る。蓮実も、有得の死体も現実へと帰ったのだ。さて、一番厄介なのは片付けたのだから、残りの界異を掃除しなければならない。加護を体に巡らせ、構えようとして……界異の気配がさっぱりと消え失せていることに気が付いた。

 

「全く、危うい所があるとは思っていたがまさかここまでとはな」

 

 冷えた言葉。重く響くため息に振り返ると、第六班長が壁によりかかるようにして腕を組んでいた。その表情には疲労の色が強く、相当な激戦を潜り抜けてきたことを予感させる。

 

「……あはは、なんのことっスかね?」

「誤魔化すには遅い、ってコトだ、バカモノ!!!」

 

 へらりと軽薄な笑みを浮かべ直した蓮実に、ずんずんと距離を詰めた第六班長がその頭に渾身の拳骨を放つ。視界に火花が散り、激しい痛みが熱を伴ってじわりと広がった。

 

「いっ……たぁぁぁぁ~~~……!」

「話せ。何を思ってこんなことをした」

「そ、そんなのっ、班長さんには」

「話せ」

 

 関係ない、という言葉を食い気味に潰し、詰め寄る女傑の姿にさしもの蓮実も言葉を詰まらせる。

 まあ、もう関係ないか。どうせ、素を見られてしまっているのだし。蓮実は、あっさりと抵抗を諦めた。

 

「……なんも考えてないっスよ。ただ、善人であれって言われたのに従ってるだけっス」

「そういうことを聞いてるんじゃない。それならば、ただ通報だけして去れば良かっただろう。行動にはお前なりの考えがあったはずだ」

 

 自分なりの考え。そんなもの、したくないから流され続ける生き方をしているというのに。……ああ、いや。もしかして、これも“自分の考え”という奴なのか? 

 

「……蓮の花のようになりたいんスよ。自分に合った場所で咲くだけで、『清らか』だとかチヤホヤされて、そっとしといてもらえるように」

 

 観念して吐いた言葉。きっとそれが、蓮実なりの本音である、ということだったのだろう。一度堰を切ったそれは、自分でも気づいていなかった(蓋をしていた)言葉がするりと喉を通り抜けていく。

 

「嫌われていたくないんスよ。でも、好かれていたくもない。愛憎なんて面倒だし、執着はいずれ束縛になるし。……特別な関係って、疲れるじゃないっスか」

 

 だから、踏み込まない。踏み込ませない。ノリが軽くておバカで考えなしの、ちょっぴり間抜けな善人でいるのが都合が良いのだ。誰からもうっすらと好かれて、誰からも『ああ、あんな奴も居たな』と思ってもらえるくらいのキャラクターが。

 

 蓮実の本音を受け止めて、第六班長が重いため息を吐く。色々と言いたいことはあるが、この生き急ぎ女にかけなければいけない言葉は分かっていた。

 

「うむ、では根性を鍛えねばな」

「は?」

 

 一瞬、何を言われているのか分からなかった。こんなめんどくさい本音を引きずり出しておいて、言うに事欠いて最初の一言が根性? 

 

「お前にはまず、体力が足りん。体は先天的な素養からか仕上がっているようだが、何よりも心だ。心の体力、すなわち根性が足りん」

「……な、なに言ってんすか? いきなり?」

 

「私についてこい────第六班に入れ、と言っている」

 

「はあ……???」

 

 頭上に疑問符が乱れ飛ぶ。話の流れがさっぱりわからず、首をかしげる蓮実を見て、第六班長は少しだけ口元を上げて笑みを見せた。

 

「善人で居続ける、というのは、お前が考えるよりもよほど体力を必要とすることだ。それを実行し続けるのは流されている、とは言わん」

「い、いや、だから考えるのがめんどくさいから」

「そこを勘違いするのはお前の心が疲弊しているからに他ならない。だからこそ、心の体力を身に着け健全に己を見直すことがお前に必要だということだな!」

 

 うむ! と一人納得し、ゴリ押しの勧誘を続けてくる第六班長に、何故だか蓮実は笑いがこぼれた。

 なんだこれは。なんだこの無茶な勧誘は。人が健気に近寄るなと訴えるサインを無遠慮に蹴り飛ばして、こちらの心を強引につかみに来る。こんな人間は、初めて見た。

 

「無茶だと思わないんスか、その理屈」

「無茶なのが良いんだろう。今のお前には必要なことだ」

 

 どこかこちらの胸中を見透かしたような言葉に、とうとう蓮実は両手を挙げた。降参、降参だ。こうも強引に流れを作られては、蓮実は“流され”ざるを得なくなる。

 

「……わかったっスよ、入ればいいんでしょう入れば。でも、私のスタンスはもうきっちり伝えたっスからね?」

「うむ、聞き届けた。聞いただけだがな……さて」

 

 満足そうに頷いた第六班長は、そこでようやく廃墟の入り口の方へと視線を送る。そこには、二人の人影があった。

 

「この子はウチで引き取り祓魔師にする。良いですね、お二人とも」

 

 話を向けられた牙堂は肩をすくめ、東雲はぴくりと耳を揺らす。仕方なさそうにため息を吐いた牙堂がわざとらしく声をあげる。

 

「ああ! こりゃひでえ、どっからどー見ても立派な自殺死体だ!」

「えっ、牙堂さん? えっ?」

 

 ずかずかと室内に入り、有得の遺体を前に騒ぎ出す牙堂に戸惑いの声を上げる東雲。そんな東雲を、牙堂は肘でちょっと小突くことで理解を促す。

 

「しかもこいつァ呪詛犯罪者の有得じゃねぇか。他殺だったとしてもこりゃ立証は無理そうだなァ、なんたって直にコイツの死体は穢れになっちまうと来たもんだ」

 

 わざとらしい説明を耳にして、ハッとした様子で東雲が頷いた。そして、より棒読みに近い演技が始まる。

 

「わ、わー、たしか有得って死んでも蘇るんですよね? こ、この場合も、殺人になるのかなー」

「さァなァ、こりゃ一度話を持ち帰って確かめねェと。ああでも、そんなことしてる間に証拠もなんもなくなるよなァ」

 

 演技の合間合間に牙堂が蓮実へと視線を送ってくるものだから、さすがの蓮実もその意味に気が付いた。

 そうだ、いくら有得が犯罪者だったとして、殺しは殺し。殺人は殺人だ。そこの忌避感を、忘れてはならない。

 

「……そこの班長さんが鍛え直すって言うし、相手が有得だから今回は見逃してやる。だけどよォ……忘れんなよ。コロシに慣れちまった時にゃ、オレらが来るぞ」

 

 小さく、囁くように刺された釘を蓮実は胆に銘じることにした。それは、善人であるためには必要な事であると思ったのだ。

 

 

 

 

 全てが終わり、数日が経った。蓮実は祓魔師資格を得るための猛勉強中で、時たま泣き言を第六班長の下へと送り込んできていた。様子を見に行けば見に行ったで今度はあからさまにサボり始めるわで、なんとか自分のポジションをギャグに寄せようと必死な努力が垣間見える。そんなことする暇があればきちんと勉強に身を入れてほしい、と言うのが第六班長の本音だった。

 

「新しく入るって話の子、随分問題児みたいだねえ?」

「問題児には慣れているつもりだったが……あのタイプは初めてだ。まったく勝手がわからん」

 

 頭が痛そうに呟く第六班長に対し、加賀が蛇のような笑みを浮かべる。相変わらず、何を考えているのか分からない胡散臭い笑み。それなのにどこか、こちらをからかうような意図だけは感じ取れるのだから厄介なものだった。

 

「で……やっぱり、疲れてる?」

「……少しな。取りこぼしたものが多いと、私にだって思うことがある」

 

 境界対策課の抱える宿舎のその屋上。加賀の差し出したあったかい缶のお茶を受け取りながら、第六班長はため息を吐く。

 今回の事件。残った爪痕はあまりにも大きいものだった。目立つところから見ても、街の中央に近い商業地区の全焼。千を超え万にも及ばんという数の死傷者。ウィル・オ・ザ・ウィスプにより引き起こされた広範の穢れ汚染。そして。

 

「やはり、帰れた子は少ないのか?」

「うん。……やっぱり、ね。元からあまりにかけ離れると、同じ子だと認識できないみたいだ」

 

 性別を奪われた、子供達。彼らの本来の性別を用いて造られた“存在しない子供達”が界異に変貌した時点で、もはやそれを取り返す術はなくなっていた。故に……彼らの人生は、歪められたままだ。

 実際に起きた事柄との方向性は異なれど、第六班長は先にその可能性を加賀から聞かされていた。子供達を救出し、加賀から『飴』に関する報告を聞いた、あの時だ。

 

『……術式的に、飴とそっくり同じ気配を持つ子供がいる?』

『そ。それも、全ての飴に……ってわけじゃないよ。いくつかの飴が、特定の子と同じ気配を持ってて、それが複数の組み合わせで存在するって感じだねえ』

『待て。まさか、それは……』

『たぶん、そうなんだろうねえ。アレは、子供達の性別をどうにか加工して作り出したものだと思う。もう、元に戻れない子も居るかもしれない』

 

 夜灯呑に性別を奪われた人間は、自分が思い描く異性を象徴した姿へと変わる。つまり、変貌後の肉体は元の肉体にはまったく関係のない姿である。

 それはつまり、遺伝子情報すらもがまるっきり書き換わることを意味している。

 

「夜灯呑に性別を奪われた子供達が、攫われた子供達と同一人物だとは証明できない、か」

「だから、親元に引き取りを拒否されたら誰も強要できないんだよね。……ヤな話さ、本当に」

 

 二人の間に、沈黙が落ちる。どうしようもない現実をいくら呑み込めなくても、それでもそれは厳然とそこに横たわっている。その厳しさに打ち負けないためには、相応の訓練が必要だった。

 

「ところで」

「ん?」

「ずーいーぶーん、無茶をしたようだよねえ? 溶けたアスファルトに脚を突っ込んだ? 炎の中に自分から飛び込んだ? で……今、病室から抜け出して、なーにーしーてーるーのーかーなー?」

「う、うわっ、待て千白、話を……っ!」

「問答無用。黒ちゃ~ん、医療班の鼻を甘く見ないことだねぇ~?」

 

 顔を青ざめさせた第六班長が、異常な体の柔らかさで絡みつく加賀に捕縛される。どれだけの現実に圧倒されようとも、それでも日常を生きる人の姿がそこにはある。

 

 

 

 

 それでも、それでも。人生は続く。どれだけ泥に塗れようとも、花は咲き続ける。

 

 泥中散華、未だ遠く。

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