「…ただいま。遅くなってごめん。
寂しくしてなかったか?」
「そりゃ寂しかったけど…
隼一が頑張っているのは
ちゃんと知ってるから。」
「…そう言って貰えると励みになるよ。」
1933年6月8日の夜、
私、宇佐見メアリーは自宅のベッドで
愛する夫の帰宅を迎えていた。
…それにしても、夫は愛しているが
未だにちょっとだけ違和感は感じるな。
レミリアさん達はメアリー呼びだし、
苗字と名前の順番も日本と欧州では
真逆であるのだと言うのだから。
そんなこんなでフルネームを使う様な場面でも
何かと旧姓のレーガンで通す事が多いので、
慣れるまでには時間がかかりそうだ。
私がそんな事を考えていると、
隼一が鞄を置いてベッドに腰掛けてくる。
「…アシュリーンは寝たかい?」
「うん。それはもうぐっすりとね。
この子は余り夜泣きしないみたい。」
私はデジ福祉大臣から贈られた
ベビーベッドでぐっすり眠る
アシュリーンの微笑ましい
寝顔を見て癒される。
確かに子育ては大変だけれど
咲夜さんが手伝ってくれる事もあり
何とか回す事が出来ているし、
最近は隼一も気にかけてくれるから
辛いとか投げ出したいとか、
そう言った感情は一切無い。
“お母さんになったんだな”って感じだ。
「…出来る事があれば手伝う様にするから、
その時は言う様にして欲しい。
仮にも自分は父親な訳だしな。
…所で、2人目の様子はどうだい?」
「どうだろ?余り分からないかも。」
「…そうか。顔を見るのが楽しみだよ。
来年何だろう?予定日は。」
「うん。来年1月末ぐらいだと思う。」
私はお腹をさすりながら答える。
私達はアシュリーンが生まれてから間も無く
第二子を預かる事になった訳だが、
果たしてこの子は女の子だろうか?
それとも男の子なのだろうか?
当然どちらにせよ愛するつもりだが、
例によって名前の賭けをしているので
隼一としては男の子が良いかもしれない。
私が日本風の男の子の名前を想像していると、
隼一は私がベッドの側に置いている
魔法の研究ノートを読み始めた。
私はジト目で隼一の方を見ながら言う。
「別に隼一なら見ても良いけどさぁ…。
見ても分からないと思うよ?」
私がそう言うと、隼一はノートから目を離し
苦笑しながら私の方へと向き直る。
「…残念だが、そうみたいだ。
これでもそれなりの大学は出ているから、
頭には自信があったんだけどな。
何の魔法を研究しているんだい?」
京都帝国大学卒業と言う学歴を
振り回して語ってくる隼一。
…しかし、隼一には申し訳ないが、
残念な事にここルーマニアは
学歴社会とは程遠い国なのである。
国家元首も大臣も、大半の人材は
初等教育すら受けていない。
一応、私も祖国アイルランドで
学校に在籍位はしていたのかもしれないが、
通った記憶が全く無いので詳細は不明だ。
私は肩を竦め、隼一の問いに答える。
「魔法は体系化されているけど、
結局は才能が物を言う世界だからね。
隼一に分からないのも無理ないよ。
…隼一が見ていたページは、
この間やっと完成した研究でね。
見た目が若いままになる魔法だよ。
これで老化とはおさらばって訳だね。」
私がそう言うと、隼一は目を丸くして
すぐさま私に聞き返してくる。
「…嘘だろう?それは凄い魔法だな。
って事は、メアリーはもう食事も睡眠も
不要になったと言う事なのかい?」
あー…これは勘違いしているな。
私は別に、捨食・捨虫の法を
身に付けた訳では無いのである。
あの魔法は術式その物も極めて難解だが、
それ以上に使用者の適性の有無によって
使えるかそうで無いかが決まってしまうのだ。
そして、残念ながら私は使えない側である。
私は期待する隼一の眩しい顔を見て
多少の気まずさを感じながら真実を告げる。
「…残念だけど、それは違うよ。
アリスさんやパチュリーさんみたいに
なれる魔法では無いからね。
あくまで、“見た目だけ”が
老化しなくなる様な魔法なの。
内臓とかはちゃんと老化するから、
免疫が落ちたり病気になったりするし、
老衰で死ぬ事だって防ぐ事は出来ない。
食べる事も寝る事も必要だし、
本当にただ見た目だけ何だよね。」
…私だってこれは不本意なのだ。
それでも最低限、見た目だけでも
若いままでいたいと言うのは
この世の女性のすべてが願うであろう
究極の理想の一つだとは思うから、
取り敢えず私としては納得しているけど。
私は思わず溜息をついてしまったが、
隼一は興奮した様子で話を続ける。
「それでも凄い魔法じゃ無いか!
永遠の美貌何て夢みたいな話だよ。」
鼻息を荒くして言う隼一。
当たり前の話だけど、
どんな男も美人は好きだよね。
まして、私くらい美人なら。
案外単純な夫に若干呆れつつも、
私はその反応が嬉しかった。
「まぁ、研究して良かったかな。
これでもう、私が年を取っても
隼一が若い子に現を抜かす事は無いしね。
少なくとも見た目だけで言えば、
咲夜さんやアリスさんの仲間入りだよ。
…念の為隼一に言っておくけど、
この魔法だけは誰にも教えないでね?
隼一に群がる女狐が出たら困るからね。」
私がそう言うと、今度は隼一が
呆れた目を私に向けてくる。
「教える何て出来る訳無いだろう?
魔法は魔女にしか理解出来ないよ。
まして、自分が理解していない物を
人に説明するだ何て、そんな事は不可能だ。」
「まぁ、それもそうだね。」
隼一に諭され、私は思考をやめる。
しかし、隼一は未だ口を開く。
「…所で、その魔法を自分にも
かけて貰う事は出来ないのかい?
メアリーも結構な面食いだろう?
別に悪い話だとは思わないけど。」
「えぇ…。この魔法、術式の構築が
恐ろしく面倒な魔法何だけれど?
それに、術式の発動に使う材料から
魔法で作る必要があるしなぁ。」
「そこを何とか頼むよ…。」
…頭を下げて頼み込む隼一。
私は術式の構築の面倒さと
イケメンな隼一の姿を天秤にかけて、
どうするかを真剣に考える。
…そして、私は数分程逡巡して
魔法を使わない事に決めた。
自然の摂理に余りに反し過ぎる魔法を
ただの人間に掛けるリスクは
常に相応に存在する物であるし、
隼一がずっとイケメンのままだと
悪い虫が寄って来るリスクも上がるからだ。
断じて、面倒だからでは無い…筈。
「…ごめん、今回ばかりは無理かな。
理由は色々あるのだけれど、
何せこの魔法、リスクが高いからね。
特に、ただの人間に使う場合は。
魔力的な副作用があった場合は、
治癒魔法が効かない事もあるの。
私の治癒魔法が効かないって事は、
アリスさんとパチュリーさんにも
どうにもならないって事何だよ。」
~~~~~~~~~
…結局、私は見るからに
ショックを受けてしまい
金魚の様な顔になっている隼一を
褒め殺す事に一夜を費やした。
そりゃまぁ一睡も出来なかったけど、
私の場合は特に何の問題も無い。
睡眠は必要かもしれないけれど、
寝不足の症状に関して言えば、
治癒魔法でどうとでも出来るしね。
私はただ、“永遠の美貌”を叶える魔法を
墓場まで持って行く事だけを誓った。
ーーーーーーーーー
「メリッサ~?あれ、居ないの?
おかしいな、そんな筈無いんだけど。」
「…やっと出来ましたよ。
苦労した甲斐がありました。」
…私は小声でボソッと呟く。
1933年6月10日の夕刻、
ベルリン近郊の研究室兼自宅にて
私、メリッサ・アインホルンは
ここ最近取り組んでいた研究を
遂に完成させる事が出来ていたのだ。
そう、“体温まで隠せる透明化魔法”の
実用化に成功したのである。
これでもう、私は面倒な諜報員に
監視される生活からはおさらばだ!
私は諜報員兼同居人のリリーの声が
遠ざかって行く事を確認すると、
悠々と勝利の美酒…ならぬコーヒーを味わう。
残念ながら、私はビールが苦手なのだ。
一応ドイツで産まれた筈なのだけれど、
私の舌にはどうにも馴染まなかった。
…そんなどうでも良い事を考えながら
コーヒーを飲み干したまさにその瞬間、
「見~つけた♪」
…私は突然後方からハグされる。
背中に感じる胸のふくらみと
耳元で囁く様に言うその声は
紛れもなくリリーの物である。
この人って正気なのかな?
冗談じゃないんだけれど。
内心を必死に押さえつけ、
私は口を開き彼女に抗議する。
「…何で分かったんですか?
温度管理はしっかりしている筈ですが。」
私は相手にするのが億劫になりながらも、
透明化魔法を解除して彼女を睨みつける。
当たり前だ、2ヶ月弱に渡る私の研究成果が
一瞬で否定されては溜まらないだろう。
しかし、彼女はそんな私の視線を
全く気にしていないのか、
或いは全く気付いていないのか、
飄々としながら理由を説明する。
「確かに体温は一切感じ無かったけど、
流石にどこにいるかは分かったよ?
だってメリッサ、コーヒー飲んでたし。
コーヒーカップだけが浮いてたら、
そこにいるのがバレバレじゃない?
“見つけてください”って
堂々と宣言してる様な物だよ。」
「…嫌いです。貴女の事が、心底。」
「やだなぁ。照れてるだけ何でしょ?
そんな釣れない事言わないでよ。」
「…よくよく考えてみると、
触れなくても体温を感じるって
大概おかしい話だと思います。
異質ですし、異常ですし、狂っています。
今回の敗因の方が余程納得出来ますよ。」
「多分、私よりもメリッサの方が
異質だし、異常何だと私は思うよ。
まだ狂ってはいなさそうだけどね。」
「…まだって何ですか、まだって。
私はもう疲れてしまいました。
ただでさえプライベートの全てを
貴女に監視されているのに、
コーヒー1杯すら飲めない生活何て
耐えられそうにありません。
私はいつ心が休まるんですか?」
「え?別に私に見られる事無く
コーヒーは飲めるんじゃない?
コーヒーカップに透明化魔法をかければ
それで済む話だと思うんだよね。」
「…そうですね。どうやら私の頭は
既に狂ってしまっていた様です。
主に、貴女のあらゆる言動のせいで。」
「他責は良く無いと思うなぁ。」
…はぁ。私は心底自分に失望した。
大体、冷静に考えれば分かる筈だ。
そりゃあ、私が透明になったとしても
都合良くコーヒーカップまで
透明にはならないのである。
そして、それが嫌なのであれば
コーヒーカップにも透明化魔法を
かければ済む話なのである。
これ位は5歳児だって察せるぞ。
「はぁ…。」
「溜息?やめときなよ。
幸せが逃げてくかもよ?」
「そんな話初めて聞きました。」
思わず私は溜息が漏れてしまう。
だが、無理もないだろう。
折角私のプライベートが
守られると期待していたのに…。
何せ、私はここ最近の間、ずっと彼女から
プライベートを侵害されているのだ。
入浴や睡眠ですら一人にしてくれないし。
彼女にだって立場があるのは分かるけど、
一体私の入浴や睡眠まで監視する必要があるか?
百歩譲って監視の必要があったとして、
常軌を逸していると思うのは私だけなのか?
少なくとも、入浴中胸を触る必要は無い筈だ。
“身体を洗ってあげる♪”…とか言ってたな。
流石に絶対嘘だと思うのだけど。
だけど、それすらも最近は慣れてしまった。
最近最も困っているリリーの奇行は、
目が覚めると私を見つめるリリーの顔が
いきなり至近距離で視界に飛び込む事だ。
あんな事をされたら心臓が幾つあっても
足りなくなるから本当に止めて欲しい。
…まぁ、嘆いても現実は変わらないか。
取り敢えず、透明化魔法をかけよう。
私は2杯目のコーヒーを注いだ
コーヒーカップに手をかざす。
すると、見る見るうちにコーヒーカップは
どこにあるか分からなくなった。
…だが、それを見ているリリーの表情は
案の定少しだけ微妙そうである。
私も分かる。これは失敗なのだ。
リリーが気まずそうに声を出す。
「ねぇ、確かにコーヒーカップは
魔法で透明になったけど、
それ、メリッサには見えてるの?」
「…いえ、見えて無いですね。
我ながら、流石の腕だと思います。
余りに完璧な透明化魔法です。」
「…魔法をかけた本人まで
コーヒーカップが見えなくなるのは
流石に致命的何じゃないかな?
これじゃ、コーヒーが飲めないよ。」
…気まずい。そして、どうしよう。
透明化魔法はあくまでも透明化魔法、
質量まで消えて無くなったりはしない。
つまり、最悪の場合透明な状態では
見えないコーヒーを零してしまうと言う
意味不明な状況に陥ってしまう訳だ。
私は魔導書を汚したくは無いので
透明化魔法を一度解除して、
改めて対象を限定して魔法をかける。
…しかし、どうやら前途多難の様だ。
リリーが呆れた目で私を見つめ、
端的に奇妙な状況を説明しだす。
「…コーヒーカップが透明化して、
中身のコーヒーだけが見えてるね。
…一体、何をしたらそうなる訳?
流石にそうはならないでしょ。」
「なってるじゃ無いですか。」
「いやまぁ、そうだけど…。」
「…コーヒーカップだけに絞って
透明化魔法をかけてみたんですよ。
そしたら、このザマと言う訳です。」
…私達は暫く奇妙な状況に唸ってしまう。
少なくとも、この状況が間違っている事は
私にだって認識する事が出来るぞ。
私はカップの位置を推測し、
上手く持ち手を掴むとコーヒーを飲み干す。
…そんな目で見ないで?リリー。
私だって困ってるんだから。
飲み干したコーヒーよりも苦い
前途多難な魔法研究を前に、
私は溜息を抑える事が出来なかった。
ーーーーーーーーー
「天まで届く、伝説的な塔からの眺め。
貴女には何が見えるかしら?パチェ。」
「…不思議ね。視力が落ちたかしら?
私には、滑稽な親友が見えているわ。
高い所に登りたがるのって、
煙だけじゃ無かったのね。
吸血鬼にも、そう言う習性があるみたい。
まるで、“馬鹿”な人間の様だわ。」
「あら、それを言ったら魔女も同じよ?
自分の存在も勘定に入れるべきね。」
「…図書館で本を読んでいる魔女を
いきなり連れ出したかと思えば、
加速魔法を最大出力でかけても
頂上まで30分近くかかるエレベーターに
載せたのは一体誰だったかしら?
私には思い当たる節が無いわよ、レミィ。」
「パチェの加速魔法は性能が低いのよ。」
1933年6月15日21時、
満天の星空が煌めきを放つ中で
私、レミリア・スカーレットは
親友のパチェと従者の咲夜と共に
高さ100000mまで拡張された
バベルの塔の頂上を訪れていた。
…まぁ、何と無く想像はしていたが、
ただでさえ夜だから何も見えないな。
そんな私に対し、咲夜が口を開く。
「お嬢様、ご要望の通り塔の高さを
100000mまで拡張させて頂きましたが、
今後一体どの様に活用なさるのですか?
現状、頂上の展望室を除けば
高さ150mと少しまでの空間が
兵舎として使われていますが、
それ以外の部屋は全て
空き部屋になっています。
今後とも塔の下層部は兵舎として
活用なさるつもりなのですか?」
首を傾げる咲夜に私は答える。
「…そうね。咲夜の指摘した通り、
下層部に関しては暫く兵舎として
活用する事になるでしょうね。
急速に軍拡したにも関わらず、
残念ながら兵舎の増築まで
手が回っていないのだから。
首都に近い方が何かと便利だし、
彼等もそこまで悪く言わないでしょ。
…まぁ、元も子も無い事を言うと
この建物はあくまで象徴だから、
下層部がスカスカであっても
別に一向に構わないのよ。
例えば、エッフェル塔の下層部何て
まともに活用されて居ないでしょ?
展望台だけあれば十分なの。」
「…お嬢様のおっしゃる通り
バベルの塔の場所は首都直下ですが、
頂上近辺に住む場合には
最下層まで30分程を要する上に、
エレベーターは5基のみですから
中々に苦労しそうですね。」
「まぁ、最悪の場合エレベーターを
増築する事で対処出来るでしょう。
…勿論増築は可能よね?パチェ。」
私は夜闇の中何も見えない
窓を見つめるパチェに問いを投げる。
…彼女は溜息をついてから質問に答えた。
「当然可能よ。でも、絶対にやらないわ。
私にこれ以上面倒事を押し付けないで。
私は図書館に棲んでいる魔女なの。
断じて、大工でも現場監督でも無いのよ。
咲夜にでも放り投げておきなさい。」
私は不機嫌そうな動かない大図書館から
咲夜の方に視線を向けると…
彼女はただでさえ白い肌を
更に青白くさせているでは無いか。
「…パチュリー様、お許し下さい。」
「何で私に許しを請うのよ。
レミィに言えば良いじゃ無い。」
「…お嬢様、私はパチュリー様と違い、
空間を拡張する事は出来ても
エレベーター等の内部構造は
整備する事は現実問題として
不可能である事をご承知おき下さい。
無論、お嬢様のご命令あらば
全力は尽くさせて頂きますが…
遂行する事は不可能であると
心得て頂きたく存じます。」
そう言って、深々と頭を下げる咲夜。
…まぁ、それ位は私も理解している。
「…勿論分かっているわ。
それと、暫くは2人に免じて
塔関連の仕事は振らないわよ。
大体、幾ら夜に訪れたからと言って
頂上からの景色がただの闇じゃ、
展望台としても微妙だしね。」
…私はそう吐き捨てる様に言うと、
エレベーターの方に踵を返す。
頂上まで訪れて気付いた事だが、
人間だけで無く、吸血鬼にとっても
天まで届く塔は過ぎたる存在の様だ。
私は夜の支配者には違いないが、
別に闇の支配者では無いのだから。
何も見えない展望台に用は無い。
ルーマニアの明るい運命を願い、
夜の支配者は地上へと向かう。
…所で、まだ地上には着かないの?