「…さて、首相は外遊に行った訳ですが、
これで良かったのだと思いますか?」
1931年12月24日の昼時、
クリスマスイブのロンドンの通りを
ゆっくりと歩きながら、
財務大臣を務めている私、
ネヴィル・チェンバレンは、
枢密院の議長を務めている
スタンリー・ボールドウィンに話しかけた。
話題は勿論、首相の外交日程について。
「…ネヴィルの価値基準からすると、
悪い判断では無かったのでは無いかい?
外交政策は対ソ連を最優先に考え、
その他とは協調路線を目指すと言う。
実際、ルーマニアがソ連の隣国である事、
石油を産出する国である事、
これらの事実を踏まえれば、
確実に同盟には意義がある筈だよ。」
私は回答を聞くと、天を仰いだ。
空は雨雲に覆いつくされている。
「…確かにそうなのです。
しかし、どうにも嫌な予感がする。
大体、私の理想と言う物は
果たして悪魔に魂を売ってまで
達成する物なのでしょうか?
現在のルーマニアは吸血鬼が
統治する国家であると
言うではありませんか。
私は、何故あそこまですんなりと
皆がそれを受け入れたのかが
全く分から無いのですよ。
連中は文字通り人間では無いのです。
平気で人を欺き、神に反逆する存在だ。
私からすると、ソ連何かよりも
余程に恐ろしい存在ですよ。」
私がそう言うと、ボールドウィンは
歩を止めて私に語り掛ける。
「…ネヴィル、君はこんな話を
聞いた事があるかい?」
「こんな話?」
私がそう聞き返すと、
ボールドウィンは語りだす。
「吸血鬼と言う種族について
まことしやかに囁かれる話だ。
その話で言う所によると、
ネヴィルが先程言っていた様に
吸血鬼と言う種族は
人を欺く事に長けている。
ネヴィルは、件の吸血鬼の写真を見た時
どんな第一印象を抱いたかい?」
私はありのまま感じた事を答える。
「…お会いした事が無いので
正確性には欠けるでしょうが、
可愛らしい外見であると感じました。
どこか幼さを残す幼女だと。」
「そう、それだ。」
そう言ってボールドウィンは
人差し指を一本立てると、
語気を強めて話を続ける。
「私もそう感じたよ。可愛らしい幼女だと。
…しかし、実際の所は果たしてどうだ?
王位を簒奪し、クーデターを成功させた。
そして、反対する者は粛清している。
過程で数多の血を流しているし、
彼女が紛れもなく吸血鬼である以上、
きっとその血を吸っている筈だ。
これを知ったうえで尚も、
可愛らしい幼女だと断じる事は
私には難しい物があるよ。
あの姿は、人を欺く仮の姿何だ。」
ボールドウィンの言葉を聞いて、
私は感じた違和感が一つ消える。
しかし、先に私の背筋に悪寒が走る。
ロンドンの寒さに由来する物では無い。
「…首相はその事を理解しているのでしょうか?」
私はボールドウィンに尋ねる。
すると、彼は肩を竦めながらこう回答した。
「…実際どうなのかは分から無い。
ただ、きっともう手遅れだろう。
チャーチルが側にいる時点で。」
「…確かにあの男は私も好きません。
しかし、何故手遅れなのですか?」
私が再びそう聞くと、
上空から雨粒が落ちてくる。
私は持ち歩いていた
傘をボールドウィンに渡した。
「手際が良いね。ありがとう。
…それはそうと、手遅れの理由か。
まぁ、これは私自身確証の無い話だから
話半分で聞いては欲しいのだが、
恐らくチャーチルは吸血鬼の
“魅了”と言う奴にかかっている。」
「魅了…ですか。」
「そうだ、魅了だ。幼さを残す容姿に
優雅さのある振る舞いを組み合わせて
人間を無意識下のうちに誘惑し、
自分に対する好印象を植え付ける。
マックス・ウェーバーが言う所の、
カリスマ的支配を実現する力だ。
…丁度一年前、ルーマニアから
帰国したチャーチルがやたらと
親ルーマニア的だった事については
ネヴィルも覚えているだろう?」
私は思わず顔を顰めた。
確かに思い当たる節があったからだ。
あれは、単に自らが要人にあった成果を
喧伝する為に取っているポーズだと
片付けられる様な物では無かった。
「…チャーチルは吸血鬼に
やり込められたのでしょうか?」
私がそう聞くと、ボールドウィンは
苦笑しながら私に語る。
「…言っただろう?あくまでもこれは
私自身確証の無い話でしか無いと。
所詮、私が聞いた話は噂話。
吸血鬼について残る伝承だ。
…とは言え、警戒はすべきだ。
大体、私、ネヴィル、
恐らくチャーチルや首相だって、
彼女を知るまでの人生では
吸血鬼と言う存在の実在を
信じなかった筈だろう?
それなのに、彼女は現れた。
それが例え噂話、御伽噺の類と
今までバカにして来た話であっても、
最早常識は通用しない物であると
考える方が賢明だろう。」
私はボールドウィンの言葉を聞き
自らにそれを問い掛ける。
“英国にとって、有益か”
…無言で幾ばくか頭を回すが、
まだ答えは分かりそうに無い。
しかし、そんな考え込む私を
容赦なく濡らす雨を見て、
薄っすらと笑いながら
ボールドウィンは口を開く。
「…噂によれば、吸血鬼の弱点には
“流水”と言う物があるようだ。
もし本当なら、英国は無事だよ。
幸いにも、私達は7つの海を
支配している訳だからね。」
今の私には、ボールドウィンの言葉が
空虚な、しかし確かな慰めに思えた。
――――――――――
「…これはスカーレット女史。
本日はわざわざパーティーまで
お招き頂きありがとうございます。
この様なもてなしを頂けて、
私は非常に幸せ者です。
イタリアから赴いた甲斐がありました。」
1931年12月24日、紅魔館で開催されている
恒例のクリスマスパーティーの席上で
私、レミリア・スカーレットは
日本の駐イタリア大使吉田茂を
話をすべく側に招いていた。
…彼の第一印象としては、
“まるで礼儀はなっていないが、
どうにも憎めない優秀そうな奴”
と言った所になるだろうか。
「…如何にも、私がレミリア・スカーレットよ。
あぁ、そうそう。私、日本語が分かるのよ。
些か東洋に興味があったから習得したの。
日本語で話してくれて構わないわよ?」
微笑みを浮かべ彼にそう告げる。
綺麗な“英”語で話す吉田だが、
私からすると日本語の方がありがたい。
私が彼としたいのはあくまでも
込み入った話な訳であるし、
咲夜から聞いた事前情報によると
彼は英語が不得意な方らしい。
…別にそうは思わなかったが。
「それは有り難い申し出です。
とても流暢な日本語で驚きました。
私が見てきた外国の方の中でも、
ここまで流暢な日本語を操るお方は
スカーレット女史が初めてですよ。
ここまで流暢に話される様ですと、
私よりお上手かもしれませんな。」
緊張感を一切見せずに
饒舌にジョークを飛ばす吉田。
あくまでも憶測だが、
私が日本人に抱いていた印象と、
彼の人物像は些か異なりそうだ。
まぁ、実際どうかは知らないが、
私は吉田を気に入った。
歯に衣着せぬ発言を出来る人間は、
案外と少ない物なのだ。
特に、私を相手にそう出来る人間は。
「流石に私の日本語は
普段使いする貴方に負けるわよ。」
私が肩を竦めて言ってやると、
吉田はすぐさまフォローを入れる。
「冗談では無く本気ですよ。
自分は海外勤務が長いので、
日本語の使用頻度が落ちていますから。
いやはや、その内日本語を
忘れてしまうかもしれませんな。」
そう言って吉田はアハハと笑う。
つくづく見所のある面白い人間だ。
ルーマニアにも吉田が欲しいと
思わず思ってしまう位にはだ。
…ただまぁ、子気味の良い
ジョークの応酬は一端お預けだ。
私は真面目腐った表情をしながら
吉田に思惑を語り掛ける。
「…そうね、貴方が日本語を忘れる前に、
私が貴方を呼んだ理由を説明するわ?
単刀直入に言うと、私は日本との
同盟関係を築きたいと考えていてね。
まぁ、同盟関係とは言っても、
対象国はソ連限定の協定だけどね。
どちらか片方がソ連と交戦する場合、
もう片方もソ連に宣戦するのよ。
…尤も、今ここで貴方の一存を以てして
決められる様な問題で無い事に関しては
こちらとしても重々承知しているわ。
だから、貴方には私を日本の外務省と
何とかして繋いで欲しくてね。」
私の言葉を受け、吉田も真顔で
私の言葉を受け考え始める。
「何と、同盟の打診ですか。
これは少し意外な提案でした。
…我が国は先日外務大臣であった
幣原と言う男が退いていましてな。
現在は総理大臣との兼任で
犬養が外務大臣を務めています。
もし繋ぐとしますと、
正式に専任の外務大臣が
選出されてからが良いかと存じます。
…しかし、大変申し訳無いのですが、
私如きがお繋ぎする為には
相応の何かが必要になるのです。
何か用意がおいででしょうか?」
…ふむ。まぁ、だろうな。
些か露骨な対価の要求だが、
別に構うまい。分かってはいたのだ。
無論、準備は済んでいる。
私はニヤリと笑うとそれを告げる。
「同盟が締結された暁には、
私達は石油を無償で提供するし、
日本の満州、中国での利権を
全面的に支持してあげるわ?
きっと、悪くない条件だと思うわよ?」
私が同盟締結の対価を告げると、
吉田の態度は途端に変わる。
「…それは願っても無い話です。
我が国もソ連は仮想敵国ですし、
私達に悪い事は殆どありません。
具体的な話は詰めねばなりませんが、
イタリアに戻りましたらすぐさま
本国との連絡を取らせて頂きます。」
吉田は満面の笑みでそう言うが、
すぐさま表情を硬いものに変えてくる。
「…しかし、貴国は英国との
二国間同盟を締結したばかりです。
英国にもこの話はしていますか?」
吉田の懸念は当然の物だ。
しかし、流石にそれくらいの
根回しは既に済んでいる。
「…先程首相のマクドナルドと
丁度その事について話をしたわ?
確かに英国は日本の事を
かなり警戒していたし、
もし同盟を組む場合米国を対象とは
しない事を暗に要求された。
だけど、同盟締結それ自体には
反対をしてこなかった訳だし、
対象国がソ連だけなら英国も
ケチをつけては来ないでしょう。」
「いや~流石はスカーレット女史です。
そうであれば、特に問題は無いでしょう。」
うんうんと頷く吉田。
まぁ、今日の所はこれで良いか。
別に同盟締結の権限を
吉田が持っている訳じゃ無いし、
外務大臣に繋げられれば100点満点だ。
…しかしまぁ、私は“私的な”吉田と
まだ少し話してみたいと思った。
私は真顔で吉田に会話を振る。
無論、“私的”な会話をだ。
「…所で、貴方は私の姿を見て
端的にどんな印象を持ったの?
この通り、私は羽根の生えた
吸血鬼と言う事なのだけど。
これは“対等”な会話だから、
忖度せず、ありのままに答えて。」
私がそう言うと、
吉田は少し目を丸くした後に、
この様に答えてきた。
「…思っていたより人間的だと
私としては感じましたな。
申し訳無いのですが、
実際にお会いするまでは
悪魔の類だと思っていました。
私自身は洗礼を受けた訳ではありませんが、
妻が熱心なカトリック信者でして。
勿論、今はその様な事は思いませんな。
貧相な語彙かもしれませんが、
スカーレット女史は
素晴らしい為政者だと感じます。
貴国の国民は幸せ者ですね。」
“悪魔”か。別に間違っては無いし、
妖怪としてはその位言われる方が
却って箔がつくと言う物だけど。
畏れを得る事は妖怪の存在意義だ。
私はクスリと微笑み告げる。
「事実だから、私は悪魔で良いのよ。
実際西洋では私は悪魔扱いだしね。
…まぁ、如何やら女王になってから
不思議な位に馴染んでいるけど。
まるで私の羽根は飾りなのだと
皆が勘違いしているみたいね。」
私の自虐に吉田は微笑むと、
思いもよらぬ事を言う。
「いやはや、そう言われますと
確かにそうかもしれませんな。
しかし、我が国では西洋以上に
スカーレット女史の存在が
多くの臣民に受容されそうですよ。」
…何だって?それは聞き捨てならないな。
私は仮にも偉大な吸血鬼なのに。
「…それはまた、何故かしら?」
怪訝そうに尋ねる私に対し、
吉田は日本的な観念を述べてくる。
「私の妻は違いますが、
多くの日本人は“神道”と言う
宗教を信じています。
と言っても、本質的に神道は
教義が曖昧な多神教ですから、
“宗教”と言うより“宗教観”と
表現した方が分かりやすいでしょう。
スカーレット女史の様な
西洋の方々からすると、
天皇陛下を崇敬する宗教なのだと
思われているかもしれませんが、
実際はそうでは無いのです。
私は天皇陛下や皇室の存在を
大変崇敬していますが、
それらはあくまでも
神道の本質ではありません。
神道の本質は雑に言いますと、
ありとあらゆる物を神として
信仰の対象とする宗教観です。
要するに、多くの日本人は
スカーレット女史の存在も
“可愛らしい吸血鬼”として
信仰の対象にすると思うのです。」
…吉田の話は少々難解だが、
1つだけ分かった事があるぞ。
「…日本人は随分と雑に
吸血鬼を捉えるのね。」
私が眉をひそめながらそう言うと、
吉田は肩を竦める。
「残念ですが、そうでしょう。
難しい事はわざわざ考えない。
かく言う私も余り好きません。
しかし、考えて頂きたいのです。
実に寛容だと感じませんか?
少なくとも、女史の存在を見て
悪魔だからと避ける者は少ない。
対等な存在として…いや、
高貴なお方としてスカーレット女史と
関係を築こうとするでしょうな。」
吉田の言葉に首肯してふと思う。
高貴か。まぁ、女王だから
高貴である事は確かな訳だが。
しかし、面白い国であり、国民だ。
俄然同盟を組みたくなって来た。
…しかしまぁ、話したい事は話したし、
これ以上は拘束するのも悪いか。
私としてもこの後はホルティ辺りに
挨拶もしておかなきゃだし。
私は吉田に最後に本音を告げる。
「…申し訳無いのだけど、
私はそろそろ時間だし
この辺で失礼させて貰うわね。
今日は興味深い話をありがとう。
所で、最後に少し言わせて頂戴。
…一度しか言わないから、
よく聞いておく事を薦めるわ?」
私がそう言うと、吉田は背筋を伸ばす。
「…私は貴方の事を気に入ったわ。
ここ数百年で2番目かしらね。
私的か公的かは分から無いけれど、
また貴方と関わる機会を設けたいし、
もし私に出来そうな事があれば
私から貴方に手を貸しましょう。
貴方の出世の口利き位なら
今からでもしてあげるつもりよ。
光栄な事だと思いなさい。」
私がその様に伝えてやると
吉田は満面の笑みで、
「いやはや、悪魔との取引ですと、
中々の対価がありそうですな。」
…と、ジョークを飛ばしてきた。
私は呆れて言葉を発する。
「…私が気に入ったのは、
貴方のそう言う所よ。
それじゃ、また会いましょう。」
私が手を振ると、吉田は頭を下げてから
そそくさとその場を去っていく。
うーむ、今日一番の収穫は
間違いなく吉田に会った事だな。
私はその様に総括すると、
指を鳴らして彼女を呼ぶ。
「…如何なさいましたか?お嬢様。」
瞬時に現れた咲夜に尋ねる。
「…あの吉田と言う男。
咲夜はどう思ったのかしら?」
私の質問に咲夜は暫し悩むと、
こう答えてくる。
「…無礼な男だと思います。
妙に馴れ馴れしいのも
かなり気に食いませんね。」
「あら、嫉妬してる?(笑)」
私がからかってやると、
咲夜は少しだけだが頬を赤らめ
反論を寄越して来る。
「滅相もありません!その様な事は。」
私はそう言う咲夜の顎を
右手で軽く持って発する。
「…大丈夫、1番は貴女よ、咲夜。」
動揺し、慌てる咲夜を見て
私は手を放し、虚空を見つめながら
吉田に対しての思いを伝える。
「…ただ、吉田からは少々
パチェに似た空気を感じたからね。
あんな人間は本当に珍しいわ。
久し振りに友人が増えたわよ。」
「友人…ですか。」
咲夜は首を傾げる。
まぁ、その内分かるさ。
真意を図り兼ねる咲夜を横目に、
私はホルティへの挨拶を考えるのだった。
ネヴィル・チェンバレン…第二次世界大戦前の宥和政策で知られる英国首脳。この時は財務大臣。どこへでも雨傘を携行する癖があったのでアンブレラマンとあだ名されたらしい。評価の分かれる人物だが、作者個人の評価は下の下。
スタンリー・ボールドウィン…当時の枢密院議長。温厚な性格のため人に命令することが苦手であったらしい。評価を見る限り、人望のある中庸な人と言った感じだった気がする。
12月のロンドン…12月はよく雨が降るらしい。ただまぁ、そもそもロンドンは霧の都と評される様な都市で、少なくとも私は快晴のイメージを殆ど持っていない。
吸血鬼の魅了…魅了の真偽は兎も角、レミリアのカリスマは確か。
吉田茂…それはもう自由な人間。趣味趣向や人柄を見るにレミリアとの相性は最高だろうなと言う作者の解釈を多分に含み描写した。異論は認める。親英米派なのに英語力が低いと揶揄されるが、日常会話なら問題はまるで無かったそうだし、彼の英語は本場のイギリス英語だったからアメリカ人には受けが悪かったのだろうなって思う。
神道の解釈…正しいかは分から無いし、吉田がそう捉えていたかも分から無い。だけど、きっと吉田はこう思っていたんじゃないかなーと作者は思う。異論は認める。