TS転生星野マリンちゃん   作:センティエント

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1.転生

 

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 芸能人の子供に産まれたらと考えたことはある?

 ――もし、容姿やコネクションを産まれた時から持ち合わせていたらって。

 

 あのとき、少女が口にした言葉を反芻する。

 何処か諦観を孕んだあの表情は、今でも脳裏に焼きついている。

 

 けれど、真面目に考えたことはなかった。

 だってそうだろう?

 

 自分の話とは思わなかったんだから。

 

 

 

 俺の名前は雨宮吾郎。

 田舎の病院で産婦人科医として勤める傍ら、患者や同僚に対して日々推しアイドルの布教活動に勤しむ、敬虔な信者――俗に言うオタクである。

 中でも最推しであるアイドルグループ「B小町」の絶対的センター、アイの熱狂的なファンだ。

 

 ……いや、"だった"というのが正しい表現だろうか。

 だって――

 

「いい子でちゅね愛久愛海(アクアマリン)ー」

 甘ったるい猫撫で声が頭上から聞こえてくる。

 赤子特有の遠視でぼやける視界に四苦八苦しつつそちらを見遣ると、そこには。

 

 艶やかな黒髪。

 神が手掛けたように整った顔立ち。

 吸い寄せられる天性の瞳。

 無敵に思える笑顔。

 

 もうなんていうか、涙が出るほど超絶可愛い美少女がこちらを覗いていた。

 

 彼女の名は星野アイ。

 そう、俺の最推しのアイドルであり――そして、今世での俺の母親ということになる。

 

 

 

 少し昔話をしようと思う。

 昔話というか、前世の話だ。

 宮崎のとある総合病院にて産科医として勤めていた俺は、ある日新たに16歳の妊婦を担当として受け持つことになった。

 

 お腹の様子からして、20週といったところ。

 やや遅い初診。

 16歳での妊娠ともなれば、まあ無理もない。

 

 両親ではなく、書類上の保護者が同伴。

 訳アリには珍しいケースでもないだろう。

 

 ただ、その妊婦がアイドルだったというのは――少なくとも、僕の医師人生においては初めてのパターンだった。

 

 最初は困惑したものだ。

 なにせ、彼女のことはこうして担当医として出会う前から、一方的に知っていたのだから。

 

 いちファンとして。

 推しの子として。

 

 彼女を知るきっかけとなった患者の少女と共に、僕の人生において最も大切な存在だったのだから。

 

 

 星野アイ。

 アイドルグループ「B小町」の不動のセンターにして絶対的エース。

 ――そんな彼女が、重たい胎を抱えながら朗らかに笑っている。

 

 一方、彼女に連れ添って保護者として診察に及んだ所属事務所の社長は肩を窄め、どうしてこうなった、と項垂れていた。

 

 気持ちは分かる。

 推しのアイドルが妊娠しとる‼︎

 ……と彼女の前で咄嗟に絶叫しなかったのは、担当医として最大のファインプレーだったといえるだろう。

 

 社長さんは、妊娠についてはつい最近知ったばかりという素振りである。

 相手の男についてアイから聞き出そうとするものの、うまく躱されてしまっているようだ。

 

 そんな会話から、何となく力関係が推し量れた。

 アイドルとして特大級のスキャンダルを避けるため、こうして田舎くんだりの病院まで出向いてきたのだろう。

 多方面に気を配る必要がある彼の心労たるや、想像もできない。

 

 アイドルに彼氏がいるだけで猛バッシング受ける世の中である。

 妊娠、それも未成年でともなれば、世間からの風評がどうなるかなんて、想像するまでもない。

 

 医者としては妊婦の意見を最大限尊重する。

 産みたいというのならばそうすべきだ。

 16歳という若さでの出産は特殊なケースだが、そう珍しいものでもない。

 僕は担当医として全力を尽くすまでだ。

 

 けれど、その場合。

 アイがアイドルを辞めてしまえば、ファンである僕は推しを失ってしまうことになる。

 彼女に好きな男が居ようと僕はアイを応援し続ける。

 だが、彼女がより高みへと羽ばたいていく姿を見ることはきっと叶わなくなってしまうのだろう。

 

 どちらを選択するのかは、結局のところ妊婦自身の判断に任せられている。

 だが思わず懊悩してしまうのは産科医の(サガ)か。

 ――或いは、ファンの我欲(エゴ)だろうか。

 

 そんなぐるぐるとした思考の迷路はしかし、誰あろう星野アイ自身によって破られることになる。

 

「子供は産む。アイドルも続ける……って。つまりそれは」

「そ。公表しない」

 にんまりと笑う彼女の姿は。

 

「アイドルは偶像だよ? 嘘という魔法で輝く生き物。嘘はとびきりの愛なんだよ」

 思っていたよりずっと図太く。

 

「母親としての幸せと、アイドルとしての幸せ。普通は片方かもしれないけど――どっちもほしい」

 強く輝いていて。

 

「星野アイは、欲張りなんだ」

 一番星のように眩しかった。

 

 その時、つくづく痛感した。

 アイという少女はどうしようもなくアイドルで。

 僕はどうしようもない程、彼女の奴隷(ファン)であると。

 

 ……だから、その時彼女に誓ったように、僕が、安全に元気な子供を産ませてあげたかったんだけれど。

 

 

 

 出産予定を控えた日、近隣を彷徨くフード姿の不審者に声を掛けられた僕は、アイがトラブルに巻き込まれることを危惧して奴を追いかけた。

 だが、深い森に入ったところで相手を見失ってしまい――そして不意を突かれる形で背中から突き落とされ、崖下へ転落。

 

 その後のことは、正直よく覚えていないが。

 頭部に響く鈍痛よりも、アイの出産がどうなったかについての心配ばかりが、僕の胸中を占めていたことだけは確かだ。

 

 

 そして。

 次に目を開けた時、僕は件のアイの子供――その双子の片割れとなっていた。

 結局、どうしてこんな状況になったのか分からないって?

 

 うん、まあ。実のところ、僕だってそうだ。

 一体どういう理屈で生まれ変わりなんてものが起こったのか、まるで検討がつかない。

 医者の端くれとして、この現象についてはいずれ解き明かすつもりではある。

 あるのだけれど……。

 

 

 背後から抱きかかえられて、コットン生地のベビーウェア越しにアイの暖かい体温が伝わってくる。

「ん〜、よしよし」

 まだ生え始めで頭髪が短い頭が優しく撫でられた。

 

 天国かな?

 ああ……色々と分からないことや困ることはあるけれど、今はただ、推しのアイドルに合法的に甘やかされるという幸せを享受したい。

 本能のままにバブりながら、僕は微睡んでいった。

 

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 食っちゃ寝するだけで推しのアイドルに甘やかされ、笑顔を浮かべるだけで褒められる。

 甘く穏やかな赤子としての生活が、長い社会人生活で荒んだ精神に染み渡る。

 

 客観的に見れば歳下のアイドルにバブみを求めて甘え散らかすヤバいファンそのものなのだが……しかし今の俺は正真正銘の赤子である。

 喃語しか口に出来ない今、母親に甘えるのは謂わば生物としての本能である。致し方ないことなのだ。

 とはいえ、流石に一線は引いているけれど。

 

 アイドルからの授乳など恐れ多いので哺乳瓶は手放せないし、お風呂の際は細心の注意を払ってアイの裸体を直視しないよう気をつけている。

 俺は弁えるタイプのヤバいファンなのだ。

 

 首がすわって久しく、ある程度はハイハイや掴まり立ちで自立行動しても怪しまれない程度の年齢になった僕は、アイの膝に座ってテレビを観ている。生まれ変わって暫くの間は時間感覚がよく分からなかったけれど……ニュース画面の日付欄を見る限り、今は僕が殺されて――つまり生まれ変わってから、約1年と少しといったところだと思われる。

 今日の天気は曇天。

 降るか降らないかは五分五分といったところのようだけれど……これは折り畳み傘をアイのトートバッグに捩じ込んでおくべきか。

 確か、今日はスタジオでのレッスンがあったはずだ。

 

 今も僕のぷにぷにした手や頬を弄るのにご執心なアイに、その辺りを懸念している素振りはない。

 何とかアイの目を盗んで部屋の隅に転がる折りたたみ傘を回収しなければと考えていた僕の耳に、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

 当然ながら、僕の声ではない。

 この家のもう一人の同居人。

 僕の双子の片割れである妹の声だった。

 

「はいはい、またおっぱい? ルビーはおっぱいすきだねえ~」

 

 アイは僕をソファに優しく預けると、ベビーベッドの方へと歩いて行った。

 そして手慣れた様子で赤子を抱き抱え、授乳を行う。

 

 実のところ、アイは母親としてはかなりダメな部類だろう(双子の名前を頻繁に呼び間違えるなど、挙げると枚挙にいとまがない為ここでは割愛する)。

 所属プロダクションの社長夫人がアイ不在時の子守をしてくれているのだが、そういった細やかなフォローがなければ早々に生活が破綻していたことは想像に難くない。

 だが声を大にして言わせてもらうと、アイの子供の要望に応えようとする気概に関してはかなりのものがある。

 

 この一年ほどで随分と上達した赤子を抱き抱える仕草などは堂々たるもので、後方厄介ファン目線としては感慨無量の念を覚えずにはいられないくらいだ。

 俺が育てた、などと恥ずかしげもなく宣うファンの気持ちが、少しだけ分かった気がする。

 いや、この場合、育てられているのは僕の方なんだけど。

 

「……はあ」

 赤子らしからぬ嘆息が口から漏れる。

 

 ――アイはアイなりに、立派な母親として振る舞おうとしている。

 だからこそ、彼女には普通の子供を産ませてあげたかったものだ。

 

 恥も外聞もなく、鼻息荒くただ己が欲望のまま乳房に吸い付いている双子の妹を見遣る。

 明らかに食欲だけではない欲望に目が血走っていて大変恐ろしいが、アイには見えていないのだろうか。

 ただただ可愛らしいものを慈しむような、柔らかい表情を浮かべている。

 

 気づいてくれ、アイ。

 そいつの中身は間違っても無垢な赤ん坊ではないぞ――などと思いつつ、万一感付かれると俺も身バレする可能性が拭えないので、ここは黙認するほかない。

 わが身大事。

 

 勘のいい方なら既にお気付きかもしれないが、妹――星野瑠美衣(ルビー)もまた、俺と同じ転生者だ。

 こちらはアクアマリンに比べてややダメージの少ない名前をしている。

 ちなみにガッツリと授乳を甘受していることからも分かるように、彼女は弁えないタイプのヤバいファンだ。

 

 

 奴が僕と()()であると気がついたのは、割と早い段階だった。

 この身体に転生したのだという境遇を受け入れ始めた頃のとある深夜、アイが寝静まったのを確認して部屋を出たところで、あいつがアイのスマホを使用しているのを見かけたのである。

 何を隠そう、彼女はツイッターにて『B小町 アイ』と検索し、否定的なツイートを残すアンチ達と壮絶なリプ合戦を繰り広げていたのだ。

 

 赤子が呪詛を吐きながら激しくスマホを打鍵する姿は極めてオカルティック且つサイコホラーな情景ではあったが、僕にはそのカラクリについておおよその検討がついていた。

 何せ、自分もまた、()()なのだから。

 

 背後からゆっくりと近づき妹へと問いかけたことで、その疑念は確信へと変わった。

 

「お前……もしかして、前世のこと覚えてるのか?」

 

「‼︎? え……赤ん坊がしゃべってる⁉︎ キモーーッ」

 

「いやお前もだろ」

 

 それ以来、俺たちは双子というか同居人というか同担というか同郷というか、とにかく同じ境遇の仲として互いを認知した。

 世間に露呈すれば人体実験の可能性もなくはない不思議現象である。

 今後のことも考えれば、協力した方が良い。

 そうして僕たちは簡潔な身の上を共有したのち、手を組むこととなったのである。

 

 何の因果か、星野アイのもとに生まれた双子は、そのどちらも彼女の熱心なファンであるという前世を持った人物の生まれ変わりであるらしい。

 ほんとう、つくづく思う。

 アイには普通の子供を産ませてあげたかった……。

 

 

 閑話休題。

 

 ルビーの授乳タイムが終わった後、アイはレッスンへと出かけていった。

 その際、社長夫人兼俺たちの世話役兼マネージャーがアイへと傘を手渡したのが分かった。

 マネージャーである斎藤何某(なにがし)への評価を内心で上方修正しつつ、周囲に誰もいないことを確認した俺は妹へと苦言を呈す。

 

「お前……ちょっとは遠慮しろよな」

 

「なにが?」

 対するルビーはといえば、きょとんとしている。

 自身が誹りを受ける謂われはないと言わんばかりの、曇り一つない純粋な瞳だった。

 こわ……。

 

「娘のわたしがママのおっぱい吸うのは自然の摂理なんですけど。与えられた当然の権利なんですけど」

 

「いや、それは赤ん坊視点での理屈であってだな」

 

「実際赤ちゃんだもーん。ばぶう」

 

「語尾うざっ」

 

「ていうか、()()()()()()もママからおっぱい貰えばいいじゃん。いっつも渋い顔して哺乳瓶吸っちゃってさ。なに、そういうフェチ?」

 

「…………」

 

 ルビーの言葉に俺は項垂れた。

 自覚するだけなのと他人に指摘されるのとではダメージに大分差がある。

 

 まあ……はい。

 実は、そうなのだ。

 

「なに急に黙っちゃって……え、図星? お姉ちゃんってマジのマジで哺乳瓶にフェチズムを感じちゃうタイプだった? うわ、姉の業が深すぎる……」

 

「そっちじゃねえよ」

 

 そっちじゃねえし、業の深さとかお前にだけは言われたくねえよ。

 

 深くため息を吐いた俺は、自身の体を見下ろした。

 正直、凹凸に欠けて全体的に丸々とした幼児期の体躯では――()して、もこものベビーウェア越しでは猶更判りにくいけれど。

 

 アイの子として産まれた今の俺は、前世と違い、女の子として世に生を受けてしまったらしい。

 

 生まれ変わってから暫くの間は、それに気が付かなかった。

 前述した通り赤子の体格は男女で殆ど差がないし、首がすわるまでは自分の身体を見ることもまず難しい。

 とはいえ、おしめを変えてもらう時の感覚や、買い足されていくベビーグッズが女の子用で統一されていることなど、細々とした違和感が蓄積していき、半年もすれば薄々勘付き始めていた。

 

 そして初めて鏡越しにシンボルを失ったつるんとした自身の股座を目撃したとき、俺はようやく確信することになったのだ。

 

 どうやら自分が女の子に生まれ変わっているらしいということ――そして、アイの子供として甘やかされる夢のような生活は自分に都合の良いまぼろしなどではないということを。

 

 そこに至って初めて、僕はアイの子供として生きる決意をしたといっても過言ではないのだった。

 

 

 ――と。

 そうして過去に思いを巡らせている僕の様子は、どうやらルビーからは哺乳瓶フェチなる面妖なレッテル貼りに対し、如何様にして言い訳するかを思案しているように映っているらしい。

 

 妙ににこやかな妹に、僕は言った。

 

「別に、哺乳瓶にこだわりがあるとかじゃないって」

 

「えー? じゃあなんで? 推しからの授乳とか、全アイドルオタの悲願でしょそんなの」

 

「善良なオタクたちをお前のヤバい野望に巻き込むな。……いや、ほら。前世での()って、アイより歳上だからさ。異性でも同性でも倫理的にまずいだろ?」

 

 初めてルビーに声を掛けた時から、僕は彼女の前での一人称を”私”で通していた。

 前世でのビジネスシーンでは当たり前の口調だったので、今のところ然程のボロを出さずに済んでいる。

 

 僕がこうまでして前世との性別の違いを隠そうとするのは、当然ルビーが原因だ。

 ファーストコンタクトからして明らかに厄介オタの気質を醸し出していた彼女だ、仮に僕の正体がアラサーの成人男性であることが露見した場合、極端な手段に走りかねないという危惧があってのことだった。

 

「まあ……そう聞かれたら有罪(ギルティ)かも。でもその理論なら、わたしは無罪! 良かったぁー合法的におっぱい味わえる女に生まれて!」

 

「だいぶアウト寄りだけどな」

 

「オタクの嫉妬きもーい」

 

 アハハ、と朗らかに笑う妹に対して僕はほっと胸を撫で下ろした。

 冷や冷やものの演技は、どうやらなんとかバレれてはいないらしい。

 

 

 アイの子供としての生活は前世の多忙さに比べれば、そりゃ天国みたいなもんだが。

 何かと気を揉むことが多いのだけが難点だ。

 だからといってこの生活を手放そうだなんて、絶対に思わないけれども。

 




ゴローせんせとアクアくんちゃんの一人称がガバガバなのは仕様です。
原作読んでもよく分かんねえからフィーリングで使い分けてます。
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