ひたり、ひたり...
ひたり。
「え...?」
扉を開け、先の安全を確保しようとライトで照らす。
目に飛び込んできたのはなんの変哲もない綺麗な廊下だ。
綺麗な、廊下?こんな廃墟に?
それと...扉を開ける前に聞こえていた水音が、綺麗さっぱり無くなっている。
「ユウカちゃん、これは───?」
───。
振り返ると、そこに彼女の姿がない。
確かに彼女は私の後ろにいたはずなのに。
目の前に、閉まった扉があるだけ。
「...ユウカ、ちゃん?」
勝手に扉が閉じた?
「っ...!開かない...!」
乱暴にドアノブを押したり引いたりするけれど、 びくともしない。
「ユウカちゃん!聞こえますか!」
扉を叩く。返事はない。
それになんだか音が籠る。扉に打ち据えた拳から発せられる音が、異様に手応えなく感じる。
銃で扉を撃つ。これも効果はなく、傷もつく様子がない。
「これは一体...?」
閉じ込められた、ということなのか。
振り返る。
目に映るのは、まるで熟年の家政婦が年に一度の大掃除を終えた後かのように美しい廊下。
まるで誘い込むかのような雰囲気に足がすくむ。
...不本意ですが、この先を行くしかなさそうです。
「......」
常識的に考えて、こんなに広い建造物で出入り口が1つしかないなんてことはない。探せば必ず何処かにあるはず。
慎重に、一歩ずつ歩みを進めていく。
今までは2つあったヒールの音が1つになり、心細さを加速させていく。
「っ......」
長い廊下。
静寂の中で自分という存在が溶け出してしまいそうな感覚を纏いながら、私は歩みを進めた。
──────────────────
今になって思う。
もうこの時点で何もかもが手遅れだった。
──────────────────
薄暗い廊下を、ひたすらに歩く。
曲がり角を曲がるたびに冷や汗が落ちていく。
飾り気の少ない廊下。しばらく進んでみたけれど、道中にある扉は全て開く気配のないものだった。
脳内で描いた地下の地図は曲がりくねり、まるで人間の大腸のような図面を描いていく。
どこまで行っても変わることのない景色、その9度目の曲がり角を曲がった時。
『蜉ゥ縺代※!』
「っ!な、何!?」
突如、死角から怪物が飛び出す。
肌は爛れ、顔に相当する部分の大きく抉れた...まさに怪物と呼ぶに値する何か。
急な襲撃を躱し切れず、覆い被さられるように倒れ込んだ。
『谿コ縺醜』
「ひっ...!?くぅ...っ!」
怪物が私の頭へと手を伸ばす。
突然の出来事に混乱しながら、反射的にその手を掴んで押し留める。
「っ!」
どうにかその手を横にずらすと、怪物はバランスを崩して床に手を付いた。
這う這うの程で怪物の下敷きから抜け出し、銃を頭に向けて発砲する。
あっさりとその怪物は動きを止めて、力無く倒れ伏した。
「はぁ...っ...!はぁっ...!」
極度の緊張状態と死角からの攻撃で、わたしの心臓が張り裂けそうになる程に主張を強める。
この怪物は、今ので死んだのだろうか。
どうしてこんな生物がこんなところにいるのか...そもそも生物と言えるのかも分からない。
今はただ、頭を撃ち抜くだけで止まってくれる物だったことに安堵する。
床に手を付き、なんとか震える脚を押さえつけて立ち上がる。
顔を上げて、とにかく前へ進もうと──
「あ...」
「!?あ、あなたは...!」
次の曲がり角、そこでこちらを見ていた人影を目の端で捉える。
それは資料で見た、行方不明となっている少女だった。
「けほっ...こんなところに、居たんですね...」
「ひ、人だ...!」
不安げな表情でこちらに駆け寄ってくる女の子。
彼女を少しでも安心させるため、込み上げていた吐き気を抑え込んで目線を合わせた。
「セミナーの書記の人...!助けに来てくれたの?」
「ええ、そうです。一緒に帰りましょう。」
彼女の手を取る。まだ脱出の目処など立っていないけれど、この子のためにも必ず此処から出なければ。
「何か、ここについて知っていることはありますか?」
「分かんない...気づいたら変な廊下にいて、お姉ちゃんと逸れちゃって...」
どうやら同じ経緯でここに辿り着いているようだ。
話を聞く限り、この子は妹の方らしい。
「大丈夫です。お姉さんを探して、なんとか脱出しましょう。」
「うん...」
目線の先には、何度も通った廊下が続くのみ。
私の手を握る少女の力を感じながら、一歩を踏み出す。
「そういえば、お腹は空いていませんか?5日も行方不明だったのですから...」
「うーん、そんなに...って、5日?そんなに経ってるの...?」
懐からチョコバーを取り出そうとすると、少女が首を傾げながらそう呟いた。
...いくら恐怖に駆られているとはいえ、5日間の飢えを忘れる?
そう疑問に感じた時。
そういえば、もうこの廊下に入ってから随分と歩き続けていることに気がつく。
「...え。」
どのくらいの時間が経ったのか...それを確認しようと、袖を少し捲って腕時計を覗かせた。
午後2時。
私たちがこの廃墟に足を踏み入れたのが、午後1時。
この廊下を彷徨うようになってから...どう考えても数時間は経っている。
「...?どうしたの?」
「......いえ。」
秒針を見つめる。その針先は1ミリも動かなかった。
壊れた?
新しいものとは言わないけど、れっきとしたミレニアム製だ。耐用年数には程遠い使用期間のはず。
息が荒くなる。
いや、故障だ。それ以外に何がある?
どんな機械だろうと初期不良というものは起こり得る。
そんな、まさか、時間が止まるなんて、そんな───
「行きましょう。」
「?...うん...」
怪物だけじゃない。見えない、聞こえない異変が私たちの肌を這いつくばっている。
1分1秒でもここに立っていたくない。
早足で廊下を突き進む。とにかく状況を変えたかった。
──────────────────
一体どれほど歩いただろうか。
可視化されない恐怖は時間感覚を引き延ばす。
それでも、存在の定かでない出口を求めて歩き続ける。
幾度目かの角を曲がったその時。
「...!か、階段!?」
一本道の先に、階段が見える。
それも上り階段。
2人で、慎重にその階段を登っていく。
その先で見えたのは1つの扉だった。
「出口、かも...!」
位置的には、地上の可能性が高い。
私は廃墟に入って最初の下り以外に階段を見ていない。
「......」
それに何よりも。
扉の隙間から光が漏れている。
希望を胸に私たちはドアノブに手をかけた。
早く外へ出たい。この鬱屈とした空気から脱したい。
時間感覚が狂うほどの漂流は、目の前に在る都合の良いものを素通りさせ...不都合な因子を覆い隠す。
私は、扉から漏れ出るその音に気づかなかった。
ひたり。
ひたり、ひたり。
ひ──
廊下にあった扉たちとは違い、それは意図も容易く道を開けてくれる。
「...部屋?」
扉の先は、広いホールのような部屋だった。
蛍光灯の電気がついている。漏れ出す光は自然光ではなかったようだ。
来た道以外に扉はなく家具もない、催事スペースのようなこの部屋。
その中心にポツンと1人、少女が立っていた。
「お姉ちゃん!!」
私の手を離して駆け寄っていき、姉妹が再開する。
「お姉ちゃん...!良かった...!」
「もう...今までどこに行ってたの?」
抱きしめ合う2人の少女。
行方不明になっていた2人目の少女は見つかった。
...ここからどうするべきか。
この部屋より先はないので、来た道を戻るほかない。
この先に出口がなかった失望感と、もう暗雲の中で新しい道を進む必要はないという安堵感が混ざり合う。
「2人とも、とにかく戻りましょう。もしかしたら入ってきた扉が開いているかも───」
「え。」
ひたり
...?
ひたり、ひたり
聞こえる。
ひたり、ひたり、ひたり、ひたり、ひたり
聞こえ過ぎる。今までのそれは、片隅で違和感を覚える程度の音だったのに。
ひたり、ひたり、ひたり、ひたり、ひたり、ひたり、ひた────
「あぇ?」
不愉快な音に当たりを見回していると、困惑の声が聞こえて2人の少女に目を戻す。
そこでは姉が。
妹のヘイローを掴んでいた。
「ぁに?これ、お姉、ちゃ...?」
ひたり。
「あぁッ!?ぎっ...!やめっ...て!お姉ちゃんっ!?」
「もう、今までどこに行ってたの?」
何が起こっているの?
ヘイローを、掴む?
妹はまるで神経を直接触られたかのような悲鳴をあげ、姉は貼り付けたような笑顔を保つ。
異様で、異質で、現実離れした光景に思わず一歩後ずさる。
後ろへと運んだ足が、何か柔らかいものを踏みつけてバランスを崩し転んでしまう。
「...?」
柔らかく、赤く、濡れた何か。
ミミズのようにのたうちまわるそれは、確かに部屋に入った時存在していなかった。
ひたり。
ひたりひたり。
ひたりひたりひたり。
濡れた肢体の這いずる音が、四方八方から聞こえる。
四方八方から。
「ひっ...!?」
何もない部屋、だったはず。
しかし今死角に飛び込んでくるのは...真っ赤な肉の触手が壁床天井に這い回っている地獄絵図だった。
先程までの暗さはない。はっきりと見える。
ひたりひたりと、湿った体が擦れる音を無限に立てながら悍ましい臭気を漂わせるこれは何?
幻覚。
幻覚だ。
さっきまで何もなかった!一面を埋める肉壁も、部屋の中心に鎮座する腫瘍のような肉塊も!
幻覚以外あり得ない!
恐怖がわたしの視覚情報を塗りつぶしているだけ!
......。
どっちが、幻覚?
「がっ...ぅ...あああッ!?ぃ...!」
「もう、今騾�′縺でどこに輔↑�たの?』
つんざく悲鳴が、不愉快な粘着音を切り裂いて響き渡る。
姉のような何かが引っ掴む力を強め、どこからかミシミシと音がする。
「ぁ...!は、離しなさい!」
吐き気を抑えつけて姉に銃を構え、ヘイローを握る腕を撃ち抜く。
手首に穴が空いた。しかしそこから血など一滴も垂れることなく...それは力を緩めもしない。
それは同じ体制のままこちらを振り向き、能面のような笑顔のままこちらに微笑みかける。
そして、妹の頭からヘイローを引きちぎった。
「ぎ──────ッ!?ぇあ...ぁ......」
「あ...ああ...!」
少女は白目を剥き、力無く倒れ込む。
引き剥がされたヘイローが、無造作にポイと床に投げ捨てられた。
床の触手が波打ち、ヘイローを中央の腫瘍の元へ運ぶ。
ヘイローを飲み込んだ腫瘍は...しばらくの後ボコボコと形を変えて行く。
「ひ...ぃ...!」
肉塊から、顔だけが形成されている。
少し膨らんだところから形作られたその顔には、見覚えがあった。
2人が行方不明になっていることを通報してきた、彼女たちの友達だ。
すぐに引っ込み...次の顔は、彼女の寮の隣に住む住民。
その次は、同じ部活の仲間。
どれも、行方不明に関する聞き込みをしたときに見た顔だった。
この肉塊は、読んでいる?
円盤型の記録媒体のように、ヘイローから持ち主の情報を抜き取っている?
「う...うあああッ!」
消さなければ。今すぐ目の前にある悪魔のような生物、機械、神性を。
こんなおぞましい存在が、この世界に在ってはならない!
力を振り絞って照準を腫瘍に合わせ、引き金を引く──
その瞬間、腫瘍から1人の顔が形成された。
早瀬ユウカ。
「っ...!」
致命的な一瞬の躊躇い。
緩めかけた指を再度押し込む寸前で、腕を掴まれる。
「いっ...!?」
万力のように締め上げられた腕から銃が滑り落ちた。
私の手を掴んだ何かは、そのまま物凄い力で私を壁へと放り投げる。
「ぐうっ...!」
受け身を取る余裕もないスピードで叩きつけられ、肺の空気が押し出される。
ぐらつく視界の中で、私を放り投げたものの正体を探ろうと頭を上げた。
「う、嘘...!?」
先程ヘイローを剥がされたはずの少女が、その頭上にヘイローを浮かべながら無表情で佇んでいた。
クスクスと笑う姉の足元には依然、頭を抱えながら呻き声をあげる妹がうずくまっているというのに!
「あ...ああ...!」
後ずさる。
『諤悶>ぃ...』
声がする。ヘイローを奪われた少女から。
気づくと彼女はボロボロと涙を流しながら、自分の手を見つめていた。
黒く。
崩れかけ。
元の原型を失っていく。
『豁サ縺ォ縺溘¥縺ェ縺�!!!』
その症状は彼女の意味不明な叫びと共に少女の体を駆け上っていき...
やがて、外見からは誰かも判別できないほどグチャグチャになった。
...怪物。
ここにくる道中で出会った怪物と同じ。
2人の姉妹が、肉塊が、無数の触手が、私を見ているのを感じる。
言葉がなくとも理解する。次はお前なのだと。お前があの怪物になるのだと。
「いやッ...!」
不安定な足場を蹴って全力で駆け出す。
元来た部屋の出入り口を蹴破って廊下へと飛び出した。
「ひっ...!」
そこには、先程まであった廊下など無く。
肉塊と触手で埋め尽くされた道がどこまでも続いている。
ああ、当然だ。こんな古びた廃墟に綺麗な廊下なんてあるわけがない。
ユウカちゃんと逸れてこの廊下に出た時には...既に時は止まり、奴らの腹の中だったのだ。
ブニブニと不快な感触を返す床を蹴って走る。
ひたり、ひたりと触手のうねる音が背後から聞こえる。
後ろを振り向く余裕はない。恐怖で支配された体は、ただそこから逃れようと全身に力を込めるだけ。
長く歩いた廊下を、猛スピードで駆け抜ける。
数分か、数時間か、数日か。
狂い果てそうなほど長い間走った果てに、とうとう突き当たりに辿り着いた。
真っ赤な肉壁ばかりの視界に1つ鎮座する、冷たい鉄の扉がある。
「っ!あ、開かないっ!」
ドアノブを捻るも、押そうが引こうが動かない。
廊下に来てすぐの扉と同じ。開く気配を微塵も見せない。
ひたり。
「開けて!開けてくださいっ!!」
扉を叩く。
「誰かいませんかっ!誰かっ...!ユウカちゃんっ!!!」
ひたり、ひたり。
「ひぃ!い、嫌ッ...!」
背後から迫っていた触手が足に触れる。
私の皮膚を伝って上へ、上へ。
「誰かっ!うぅ...っ!」
触手の先が私のヘイローに触れ。
それを強く、握った。
「──ッ!?あっ...ぐぁ...!?」
痛い。
そんな言葉で表現しきれない衝撃が私の感覚器官を駆け巡る。
心臓を抉られようと、目玉を潰されようと、脳に刃を立てられようと届かないであろう苦しみに息が詰まる。
「ぅ...は、ぁ...離してっ...はな、し...ぇ...」
震える手で頭上を掠めるも、私の手ではヘイローなんて触れない。
触手はヘイローを引っ張り、付随して私の体も引きずられて行く。
「ぃ...っ...や、めて...っ」
引っ張られるたび、神経が切れる感覚がある。
プチプチ、プチプチと頭の中で大事なものが弾ける。
そして。
「っ...!?うぅ...あああっ!」
見えない何か。ヘイローと私の体を繋ぐ細い糸のような何かが。
「やめて...ッ!誰か!!誰か助け───!
切れた。
『あああああああ縺ゅ>縺翫∴縺翫°縺阪¥縺�!!!』
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つぎに みたのは
まっくろ に そまった て と
わたし と
ゆうかちゃん と
うたれた あし
そのあと は ────