雨脚は強まるばかり。
誰かが戻ってくることもなく、ただ時間だけが過ぎていく。
放課後の教室で日直を終えた二人がいました。もちろん一人は僕で、もう一人の女の子がいました。名前は美南といって無口な、川底の石の様な人間だった気がします。
その日は決して豪雨というほどではありませんが強かな雨が降っていました。学生の行動様式、荷物をまとめてカバンを持って教室を出るというのが億劫になり始めています。机椅子を薙ぎ倒して、チョークを黒板に叩きつけて、途方もない世迷言を繰り返して、それら全てが自らを面倒事に陥れるのだと知って、我に返って、まともな人間の様なフリをして席に着いて。ただ飢えにも似たやるせない感情や日頃の不平不満を拭い去る何かを探していたように思います。
彼女は2つ3つ前の席でやはり無口でいました。僕の飢えを癒せるのは彼女しかいないのだと、思い切って声をかけてみました。
「雨すごいね」
「傘持ってる?」
「どうしようか」
意味のない言葉の羅列でしたが、彼女に近づく口実を得てわずかに光明が見えます。
「好きな教科は?」
「家では普段は何してる?」
彼女がこちらを見上げていました。声をかけてくれる友人のいない彼女には言葉の羅列がまるで福音でも聞いたように作用し、次第に口を聞くようになります。
夕刻に差し掛かるちょうどその頃。まだ話していたい、しかし、どちらとも言わずこのままお開きという雰囲気がありました。語り疲れたような余韻、この素敵な出来事を今すぐに話してしまいたいような、そんな前向きなエネルギーの中にあったのです。そして、目に入った彼女の右手の包帯に言及してしまいました。
決して口を開かない彼女はもういません。そこには私のよく知る、友人の美南さんがいて、どうしても聞かずにはいられませんでした。
「知ってるでしょ」
彼女が目を逸らしました。吐いて捨てた言葉に息を吞む。彼女の右手の包帯は二週間ほど前からついているもの、彼女が火事から逃げ延びた際に負った火傷跡だと知っているはずです。
ただ名残惜しさに、最後には問い詰めて、机へと押し倒しました。たった一度見せたあの笑顔の表情が忘れられませんでした。無口な川底の石ではなく、一人の友人でいて欲しいという我儘が僕の無知を許しませんでした。
彼女は声も無く、一人啜り泣いていました。
そっと手を取り、包帯から医療用ホッチキスを外して解き終えた時、僕は一度切りの恋をしました。彼女はその無実を訴えるような白い腕をしていたのですから。
左手を彼女の頬にやり涙を拭います。許されることではなく、なんの慰めにもなりませんでしたが、それでもしないよりかは幾分かマシなように思いました。彼女は声をあげて泣いていました。僕は教室に響く友人の泣き声を初めて聞いたのです。
二人は傘を差さず、帰路につきます。それでも、この時ばかりは雨が降っていてよかった。泣き腫らした顔を濡らすのは雨粒でしかないのですから。