歌魔法、それは女神様が言うように、正に万能の魔法。
歌に、音に、声に魔力を乗せて、ありとあらゆる現象を引き起こすことが出来る。
正直、一個人が持つには強力過ぎる力。
そんな魔法を使える僕にかかれば、例え自分より何倍も大きい熊さんだってへっちゃらさ!
……そんな簡単な事に、気付く余裕があればね!
「ひぃいいいいいいいい!
僕なんか食べても美味しくないよぉおおおお!!!」
「グォオオオオオオオオオオオオ!!!」
ひい、ひい!
後ろから熊の息遣いが聞こえるぅううう!
怖いよぉおおお!
悲鳴をあげていくら逃げても、僕を追う熊さんは足をまったく止めてくれない!
「僕なんか食べてもきっと消毒液臭いよ!」
ちら、と視界の端に緑の髪が見えて、ハッとする。
「あ、今はミクだから消毒液臭くはないか」
ミクなら美味しそうーっていって襲い掛かるのもわか――
「ガォオ!」
ズドンッ!
「ひっ!いやぁああああああ!」
くだらない事考えてたら、体の直ぐ横を熊さんのお手々が!
うわぁあ!僕の体と腕が太さ変わらないんだけど!
「誰か助けてぇええええええ!」
あまりの恐怖に耐えきれず、そう叫びながらまた走り出した。
……その瞬間だった。
「あっ……助け、いや、逃げてぇええええ!」
僕の逃げてる方向に、人影が見えた。
なんか、旅装束!って感じの頭までスッポリ覆った怪しい人だったけど、このままじゃ巻き込んじゃう!
そう思って叫んだんだけど、その人はこっちを視認した筈なのに逃げることはなかった。
ちょっ……!?僕の後ろの熊さんが見えてないの!?
も、もう一回警告しなきゃ!
「な、何してるの!?逃げて逃げて!危な――」
パンッ
そんな僕の言葉を遮るように、その人は手を打ち鳴らした。
ギュオッ
「ギャ」
それも同時に突然背後の気配がかき消えた。
え、と恐る恐る背後を振り返ればそこには巨大な熊さんは何処にもなかった。
……ただ代わりに、赤黒い小さな立方体が熊さんがいた筈の所に置かれていて……。
僅かに香った血の匂いに血の気が引く思いがした。
その直後、背を向けていた人が動いた気配がして咄嗟に振り向いた。
――その時、後々になって聞いたことだけど、僕は相当にひきつった表情をしていたらしい。
顔色は真っ青で、小刻みに震えていたらしい。
――僕に自覚はなかったけれど……大きな熊さんの悲惨な末路に加えて、亡骸らしき立方体とそれをやったと推測出来る人物に挟まれていたことに、限界を迎えていたらしい。
――だからだろうか、これからそれなりに長い付き合いになる彼女が、その長い付き合いの中で最も穏やかな表情を浮かべていたのは。
振り向くとその人は頭を覆っていたフードを取り去るところだった。
短く切り揃えられた深紅の髪が露になり、その金色の瞳を柔らげ、此方を静かに見つめていた。
その容姿はとても整っていて、絶世の美女だと思っていた女神様に負けず劣らずで……。
ポカンと口を開けてその顔をまじまじと見つめていると、その人は口元を少しだけ吊り上げた。
そして小さくクスリと笑みを溢すと、鈴の鳴るような声を発した。
「……こんにちは。
まさか、異世界の森の中で初音ミクに会うとは思わなかった」
「あ、こん、にちは…………!???今なんて――」
――それが、僕にとっての、転生して初めての友達、レイチェル・M・リターニアとの出会いだった。
「じゃ、じゃあレイチェルさんもやっぱり、転生者なんですか!?」
「うん。まぁ、同郷かどうかはわからないけど」
「え、貴女も現代日本産まれ、なんですよね?」
「一口に現代日本と言っても、同じ世界とは限らない。
私は偶然初音ミクを知っていたけど、初音ミクがいない世界もあるだろうから。
それこそ以前会った転生者の世界じゃ、信長が本当に女だったらしいからね」
「ほへー……そうなんですね……」
僕は気の抜けた返事をして、レイチェル、と名乗ったどえらい美人さんと会話をしながら、森の中を歩いていた。
レイチェルさんは僕を先導し、森から抜けれるように案内してくれていた。
「取り敢えず、近くの街にまで案内しよう。
現代日本のように身分証明書がなければ何も出来ない訳ではないが、身元不明な女一人が安全に生きていけるような世界でもない。
オススメは冒険者ギルドに登録すること」
「な、なんですかそのテンプレながらもワクワクする響き……!」
おお!本当にあるんだ、冒険者ギルド!
異世界転生、といえばこれだよね!
「本当に創作でよくある組織だよ。基盤に転生者の影を感じなくもないけど……かなり便利だ。
人の住む町や村での手伝いや、比較的安全な薬草集めから、魔物の討伐、要人の護衛、危険区域の捜索、希少品の獲得まで幅広い依頼を仲介する組織。
まぁ、君はポンと体を与えられてろくな荷物も路銀もなく転生したみたいだし……登録して下働きするのが良いんじゃないか?」
「路銀……」
言われて見れば……初音ミクの格好なのは良いけど、ポケットなんかもないし、金銭なんか持って……ないね。
パタパタと身体中をまさぐるも、勿論何も出てくることはなかった。
「そのまま放り出すなんて……やっぱり神なんてろくな存在じゃないね」
「うーん……まぁでも女神様としては、歌魔法があればどうにでもなると思ったのかもしれないし……。
それに、ほら、えっと……お金~♪」
僕は歌魔法を使って、手のひらに100円玉を作り出した。
「これは前世のお金ですけど、こっちのお金さえ一度見れば、こんな感じで簡単に作り出――」
「君」
その瞬間、レイチェルさんは、僕に向き直って肩を掴んだ。
「痛っ……」
剥き出しの肩に、レイチェルさんの指が食い込んで少し痛かったけれど、その見開かれた金色の瞳に見つめられて、それ以上口にすることは出来なかった。
「今、何をしたのか理解しているのか?その力、絶対に人前で行使するな。
歌魔法、と言ったか?神に貰った力だな?
いいか、この世界で真っ当に生きたいのならば、その魔法は有事に人前以外でのみ、使え」
レイチェルさんは怖い顔のまま、僕の手のひらから100円玉をひったくり……。
バキ、ゴリ
それを握り潰してしまった。
……握り潰してしまった?????
パラパラと金属の破片が地面に散らばって……。
え……こ、粉々……?
「いいな?」
「はひ……!」
その表情が真面目で、目が凄く怖かったのもあるけれど、その細身の体からは考えられない怪力に、僕は震えながら頷くしか出来なかった。
「……なら良い」
レイチェルさんは目を閉じて頷くと、僕の肩から手を離して、踵を返した。
そしてそのまま、ずんずんと歩きだしていく。
僕は遅れてバクバクと高鳴り始めた胸を押さえ、震えながらも、なんとかかんとか、その後に続いて歩くのだった。
「…………」
「…………あの」
暫く黙々と歩いていたのだけど……その沈黙に耐えきれず、僕は一切振り返る事のないレイチェルさんに話し掛けていた。
レイチェルさんは止まる事もなく、視線だけをじろりと此方に向ける。
出会った時のような柔らかい視線ではなく、半目の視線に少し肩を揺らすも、僕は意を決して言葉を紡いだ。
「あの……な、なにか歌いましょうか!?」
ちょ、ちょっと緊張して上擦っちゃった。
で、でもこの沈黙に耐えきれないし、さっきの歌も途中だったし……折角の初音ミクを知ってる人だし……。
そう思っての提案だったけれど、レイチェルさんは顔をしかめていた。
「あっ、えっと、ごめ、ごめんなさい、余計な事を……」
僕はまたレイチェルさんの機嫌を損ねてしまった事に、身を縮めこませる。
やっちゃった……また怒らせちゃった……。
内心で泣きわめきながら、とぼとぼと歩いていた、その時。
パンッ
「……初音ミクは詳しくないけど、ワールドイズマイン、という曲は知ってる。
久々に、聞きたいな」
レイチェルさんが手を打ちならした後、そんな言葉が聞こえた。
僕は何度か瞳を瞬いた後、ニコリと笑って大きく頷いた。
「わかりました!任せてください!」
僕はそこらに転がっていた木の枝を拾い、マイク代わりにして、こほんこほんとわざとらしい咳払いをする。
んふふ、人に聞いて貰うのは久し振りだから緊張するなぁ。
病状が悪化してからは言葉すらろくに出なかったからなぁ。
……ま、まぁいいやそんな事は。
今は、折角のリクエストを心を込めて歌うだけ!
「では、聞いてください……ワールドイズマイン!」
すぅ、と大きく息を吸う。
喉を開いて、気持ちを乗せて。
我が儘なお姫様の歌を歌おう!
「世界で一番おひめさま♪
そういう扱い 心得てよね♪」
これもまたアカペラ。
歌魔法を使えばそれこそ音楽を鳴らす事も出来るけど、まぁ、止められたばかりだからね。
でも頭の中では流れてるから、つい鼻歌で奏でてしまう。
……うん、良いメロディだよねぇ。
「その一 いつもと違う髪形に気が付くこと♪
その二 ちゃんと靴まで見ること いいね?
その三 わたしの一言には三つの言葉で返事すること♪
わかったら右手がお留守なのを なんとかして♪」
自分勝手で自分本意で、我が儘で。
「別に わがままなんて言ってないんだから♪
キミに心から思って欲しいの かわいいって♪」
けれど本質的にはただ好きな人に振り向いて欲しいだけの、可愛い可愛い女の子の歌……。
僕もかなり好きな曲だった。
前世では残念ながら、色恋なんてしてる余裕なかったけれど……今世ではどうなるかなぁ。
「世界で一番おひめさま 気が付いて ねえねえ♪
待たせるなんて論外よ わたしを誰だと思ってるの?
もう何だか あまいものが食べたい!いますぐによ♪」
一番を歌いきってちら、と見たレイチェルさんの姿は変わらず僕に背を向けていて……。
けれど、僅かに見える口元は少しだけ吊り上がっているように見えた。
それに安心感を覚えながら、僕は歌い続ける。
僕の声で、歌で、みんなが……今はレイチェルさんだけだけど、楽しんで貰えるように。
……ああ、各地を回って、歌って踊ってな芸を見せて路銀にするなんてどうだろうか?
一石二鳥の良い案!
僕はそんな甘い想定をしながらも、明るい未来を夢見る。
レイチェルさんがいれば、なんだかんだ大丈夫そうだしね!
僕は2番を口ずさみながら、そんなことを思っていた。
「欠点?かわいいの間違いで――」
「……あれが冒険者ギルドね。それじゃ、私はこれで」
「え、一緒に来てくれないんですか……?」
「……」
「ご、ごめんなさい、迷惑でしたよね……。
大丈夫です!ここからは僕一人で生きられますから!
ふ、不安ですけど、どうにかしますから!
「…………」
「よし、行くぞ。まずは冒険者登録!。
……え、冒険者登録は違う建物でするんですか?
おじさん、ご親切にありがとうございま――」
「おい、オッサン、私のツレに何してる。
君、行くよ。冒険者登録はあの建物で良いんだ」
「え!僕騙されてたんですか!?」
「…………この子……大丈夫か……?」
レイチェルさんの呆れたような視線と、疲れた声、そして深いため息が印象的だった。
そして、レイチェルさんは暫く僕と一緒にいてくれると言ってくれたのだ!
……そんなこんなで、僕とレイチェルさんの旅がなし崩し的に始まったのだった!
「……暫くしたら自立して貰うからね」
「…………はひ」