七瀬の両親が経営する「七つ風」がSNSの誤情報で評判が落ち、売り上げが悪化する。
彼らは状況を打開するために、店で飼っていた猫、メルを野生に戻す事を決意する。
しかしその夜、彼らは鬼に遭遇し、心の闇を見抜いた鬼に体を奪われてしまう。
大悟達は鬼を退治するが、メルはその戦いで命を落としてしまう。
翌日、七瀬はメルが旅立ったというメールを受け取り、悲しんだ。
猿飛町に裾野を広げる扇山は、逢魔が谷に続く山の一つだ。
岩が突き出した山肌は危険なため、猿飛の人間が奥まで立ち入る事は滅多にない。
深夜になろうという時刻、その山中に一台の軽自動車が停まった。
車内には三十代の男が二人。
運転するのはメガネの男で、助手席に座るのは細身の男だ。
細身の男は停車した場所を不審そうに見渡している。
「ここどこだ? 俺の成功を祝うだなんて言って、お前、何考えてるんだよ?」
「……お前が売り出した、あのアプリゲーム。あれでどれぐらい稼いだの?」
メガネの男はそう言って、細身の男を睨んだ。
「何だよ、いきなり。お前に関係ないだろ」
「ゲームのアイディアを出したのは、俺だったよな」
「はあああ? 俺が思いついた時に、お前もたまたま一緒にいたってだけだろ?」
メガネの男は車を降りると、助手席側に回ってドアを開けた。
細身の男の服を掴んで、強引に引きずり下ろすと、
持っていたペットボトルの中身を細身の男にかける。
「くせっ! お前これ灯油だろ!?」
メガネの男が次に取り出したものはライターだ。
「死にたくないなら、お前が手に入れたカネを全部よこせ。土下座して俺に謝れ!!」
ライターを持つ男を前に、細身の男は否応なく膝をつく。
そして頭を下げようとして……足下に転がるペットボトルに気がついた。
素早く手に取り、まだ残っていた灯油をメガネの男に向かってぶちまける。
「うわっ!」
メガネの男が怯んだ隙に、細身の男は走って逃げた。
「バカが! 俺の成功が悔しかったら、死ぬ気で売れるアイディアを考えろ!
努力もしないヤツには、嫉妬する権利すらねえんだよ!」
メガネの男は追いかけようとするが、暗い上にメガネが汚れて前が見えない。
つまずいて転び、支えようと地面についた手からゴキッと骨が折れる音がした。
「ぐああ、痛ぇ!! バカにしやがって! 許さねえ! 絶対に許さねえぞ!!」
怒りのままに叫んだ男に……ぼんやりとした一つの赤い光が近づいた。
「大岩を修復する?」
守りの大岩の前で大悟はきょとんとした。
彼の傍には、戦闘態勢を取った雅と葵がいる。
烏面の少年は、注連縄に異常がない事を確認しながら、「そうだ」と頷く。
「私がしたのは、いわば応急処置。この程度ではいずれまた壊れるだろう。
そうなる前に関守石を修復し、結界を再び強固にする必要がある。
これは“使い手”にしかできない」
今は日曜の午後だが、森の奥には大悟達の他に誰もいない。
「こんなでかい石を修復って、どうやるんだよ?」
「ここに新たな関守石を置くしかなかろう。相応しい岩を見つけ、呪力を込める。
恐ろしく強力な呪力をな」
「よし! じゃあオレが岩を見つける担当で、お前が呪力を込める担当だな!」
「話を聞かぬヤツだな。使い手にしかできぬと言うたであろう」
「だってオレ人間だから呪力なんて持ってねーし」
「あら、それなら……私を忘れたのかしら?」
雅は呪術師の血を引くため、人間でありながら呪力を持っている。
そんな事は、大悟は全く知らない。
「お前は……」
少年が言葉を切ってじろじろと大悟を見る。
「なんだよ?」
「……まあ、人ではあるな」
「いや、れっきとした人間ですよ」
「ともかく。一日も早く自分でツルギを使えるようになれ。
私がお前を操っているようでは岩を置く事もできぬ」
「簡単に言うなよ。くっそー、関守石を壊した鬼を見つけたらこてんぱんだ!」
「鬼……ではないと思う。関守石は人界に置かれたものだ。
異界に住む鬼は、石が見えても触れる事すらできぬ」
「人の中に入った鬼はどうだ?」
「道祖神やお札といった魔除け程度なら破壊できよう。
しかし、呪力の塊である関守石に触れる事は無理だ」
「じゃあ、人間がやったって事?」
大悟は首を捻った。
犯人が人間とすれば、一体何が目的だろう。
「そういえば、お前は異界の関守なんだろ? こっちにいていいわけ?」
「こちらに逃げ出した鬼を異界に戻すのが先だ。人界の関守がこれではな」
ぎろりと睨まれ、大悟は話をすり替える。
「あー、そういえばせっかく人間の世界にいるんだから、
お前もたまには友達のところに遊びに行けば? 今は町も静かだし」
「異界と人界の往来など絶えて久しい。私を知る者などもう、おらぬ」
「じゃ、お前はずっと一人ぼっちか?」
「一人きりという事でもない。鬼にも性根のいい者はいる」
「へえ、鬼でも友達になれるんだ」
「……まあ、そうかもしれませんね」
葵は、異界から来た天狗と、天狗が戯れに交わった人間の女性との間に生まれた。
その天狗には正妻がいたようだが、好色家で多くの女性と関わっており、
葵もまたそれに巻き込まれたため親にあまり良い印象は持っていない。
しかし、少年は大悟が指した空を見たまま怪訝そうに言った。
「大気が……揺らいでいる」
「あっ! あれ!」
少年が感じる「揺らぎ」を追って、四人は扇山のふもとの渓谷にやってきた。
渓谷の底を流れる川の中に、大悟が見つけたものは、半分沈んだ石像だった。
「猿神様だ」
川辺にある祠には、台座しか残っていない。
ごく最近壊されたのか、辺りには石像の破片が散っている。
「さるがみ? 変わった形をした道祖神だな」
「猿飛町のは珍しくて、猿の形をしてるんだって旺太郎兄ちゃんが言ってた。
ともかく、あれじゃ可哀想だ……水から出してやろう」
裸足になった大悟が川に入り、石像を持ち上げようと踏ん張るが、びくとも動かない。
雅と葵も持ち上げようとしたが、やはり動かない。
「こんな重たいもの、誰が落としたんだ? ……うん? なんか似てるな」
大悟は猿神様とベルトに挟んだツルギを見比べる。
「どうした」
「ツルギのここ、持ち手に猿が彫られてるんだよ。これ、猿神様と似てる」
「そのツルギが『申の太刀』と呼ばれる理由はその猿だ。
『申』とは十二支の猿の事。お前は鬼門と裏鬼門を知っているか?」
「鬼門?」
「鬼門とは丑寅の方角、つまり北東だ。鬼が入ってくる場所とされている。
対して裏鬼門とは、その反対に位置する未申の方角、南西を指す」
「正反対の関係って事か」
「いかにも。古来、裏鬼門は鬼門を制するとされている。故に、猿は鬼を祓う象徴だ」
少年は話しながら上空の「揺らぎ」を険しい顔で見上げている。
「他にも猿神はあるか」
「あと三ヶ所ある。この先の夢見橋と、学校近くの四ツ辻、国道。
お祭りの時、子供神輿が四ヶ所、全部回るんだ。オレも担いだ事あるから間違いない」
「見に行くぞ」
「一体何が起きてるんだ」
大悟は顔を曇らせて少年を見た。
雅と葵もつられて見上げる。
夢見橋と四ツ辻の猿神様も、川辺の猿神様と同じように、打ち捨てられていたのだ。
四ツ辻の猿神様に至っては、首を切るようにして割られている。
「地図を出せ。猿神の位置を見たい」
少年に言われ、大悟がスマホの地図アプリを開く。
「猿神全てに丸の印を置け」
「ピンの事か?」
大悟は地図上に四本のピンを置いた。
「へえー、猿神様って一直線に並んでるんだな」
「やはり。これは鬼門封じだ」
「鬼門封じ?」
「特に重要な場所を守るために、鬼門の方角に鬼除けを置く事だ」
「それが壊されたって事は……鬼の仕業か!?」
「ああ。鬼門封じで守られた場所に、鬼が侵入しようとしているのかもしれぬ」
「つまり、猿神様の線を辿れば、鬼が狙う場所が分かるみたいね、大悟」
ピンを辿って地図をスクロールした大悟が、「あっ」と目を見開く。
「オレ達の学校だ! 鬼の狙いは学校か!?」
「あー、分かるわ。きっと学校の人達に取り憑くつもりね」
雅が予測する中、大悟達は急いで現場に向かうのだった。
「あれ? ないぞ?」
国道沿いにあったと大悟は記憶していたが、猿神様の祠はなかった。
そこには広い道路が走っているだけだ。
「お前の記憶をあてにした私が愚かだったか」
「いや、待て待て。絶対にあるって!」
「何ですかそれは」
見渡す大悟は、道路脇のなだらかな斜面に小さな石像を見つけた。
「ほら見ろ! ちゃんとあるじゃねえか!」
得意顔で覗き込んだ猿神様は、きちんと台座に載っていた。
「よかった、ここはまだ無事だった」
しかし少年は納得できない様子だ。
「無事、とな……? 解せぬ。だとすれば、この揺らぎはどうした事だ」
「これが最後の鬼門封じなんだろ?
だったら、これさえ守っていれば、とりあえず鬼は学校に入れないって事だよな?」
「誰かの体を乗っ取れば、敷地に入る事ぐらいはできよう。
それでも、本来の力を発揮する事は無理だ」
「じゃ、オレ達はこの猿神様を守りながら鬼を捜すしかないか」
「間も無く逢魔が時だ」
「そう……鬼がもうすぐ来る時間よ。だから、私達が残って見張るわ。鬼が出たら呼ぶからね」
「え、いいの? サンキュー!」
「明日は月曜。お前はまず宿題を終わらせろ」
「親かよ!?」
「勉学は思考の水脈を作り、戦略を生む。せめて猿並みには賢くなれ」
「ウキーッ!」