猿飛町で、アプリゲームで成功した細身の男とそのアイディアを主張する眼鏡の男が対立する。
眼鏡の男は細身の男に脅迫し、全ての金を要求するが、細身の男は耐えられずに逃げ出す。
一方、大悟、雅、葵の三人と烏面の少年は、猿飛町の守りの大岩を修復するために動き出す。
しかし、町の猿神様の像が次々と壊され、鬼門封じが解かれていく。
彼らは鬼が学校を狙っていると推測し、最後の猿神様を守りつつ鬼を探す事を決意するのだった。
大悟が帰宅すると、母家の隣にある麹作りの作業場の前で、祖母のスエが何やら洗っていた。
「ばあちゃん、今日は仕事休みだろ?」
「ああ、おかえり。作業場の神棚、埃を払っておこうと思ってね」
スエが水道で洗っているのは、神棚に備える小さな酒器だ。
「そういえば、大悟は神棚の宮形の裏にあるアレ……知っていたかい?」
悪戯をした子供を見るような目でスエが聞いてくる。
「宮形って、神社のミニチュアみたいなやつ? 裏なんて見た事ないよ」
「そうかい……大悟も知らなかったか」
クックック、と楽しそうに笑うと「見てごらん」と作業場のスチール製のドアを開けた。
大悟の鼻をふわりと麹の香りがくすぐる。
いつもは高い神棚の上に鎮座している宮形が作業台に下ろされていた。
濃い飴色に変色した宮形は随分古く、仁次郎が生まれた時には既にあったと聞く。
その裏の板を見た大悟は、「何これ?」とスエに聞いた。
文字が彫られていたのだ。
阿僧祇の 闇より出し 万鬼より 目を守り抜く 猿飛の城
「自作の歌かね。仁次郎さんか、もっと昔の誰かの悪戯かもしれない。まったく、罰当たりだよ」
スエはどこか楽しげに言いながら首を振った。
「それは暗号だよ!」
突然の声に大悟は驚き、振り返ってもう一度驚いた。
「宇宙人!?」
そこには、ごつい防護服に身を包んだ人物が立っていたのだ。
シールドの向こうに見える顔は旺太郎だ。
「兄ちゃん、何だよその格好!?」
「これは部外者の僕が持つ雑菌から、麹菌を守るための措置だ」
「この歌を見た旺太郎君が、麹室も調べたいって言うもんでね。
いいよって言ったら、これだものねえ」
スエが溜息をつく。
麹室とは、作業場の中にある半地下の部屋だ。
麹菌を繁殖させるために室内は気温三十度、湿度七十パーセントを常に保っている。
「この格好であの中に入ってたのか……」
「それで、旺太郎君。何か見つかったのかい?」
「いえ、残念ながら麹室には何も見つかりませんでした」
「兄ちゃん、まさかこのヘンテコな歌も研究するつもりなの?」
「仁次郎さんは言っていたんだ。『来るべき鬼との戦いに備え、関守の一族は戦法を書き残し、
秘密の場所に隠している』って! これはその一つに違いない!」
熱っぽく語る旺太郎は、シールドの向こうで汗をだらだらと流している。
しかし本人は気にもせず、宮形に書かれた歌を指して語り始めた。
「『阿僧祇』とは、凄く大きな数の事だ。深い闇っていう意味なんだろうな。
その深い闇から何万もの鬼が出てきた。そして関守がその鬼から目を守った!
目が何を意味するか分からないけど、関守達の古の戦いが蘇るようだ! 興奮するなあ!」
「目を守るって……鬼のせいで、ものもらいにでもなったのかな?」
大悟がこっそり言うと、スエはククッと笑いながら、雑巾を手に出ていった。
「大悟君、凄いのはここだ。『猿飛の城』とある!
この町に城があったなんて事実は未だに確認されていない。これは大発見だよ!
僕は必ず、猿飛城の真相を突き止める!」
「分かったからさ、ソレもう脱ぎなよ。熱中症になっちゃうよ」
「ダメだよ! この部屋は麹菌が生きる大切な場所。
目に見えない存在を蔑ろにするなんて、僕にはできない!」
旺太郎がハアハアと息をするものだから、シールドはすっかり曇って顔が見えない。
「この暗号を解読して、城と……関守と……鬼を……僕は……」
「旺太郎兄ちゃん?」
ぐらりと後ろに仰け反り、旺太郎は、バターン! と床に伸びた。
「大変だ! 救急車!!」
その翌朝。
「寝る」
低い声がして、登校中の大悟は振り返った。
烏面の少年が疲れた顔で背後に浮いている。
「お前……寝不足だと不機嫌になるのな」
「猿神は無事だ。相手が鬼となると、日中はまず大丈夫だろう」
少年はすっと大悟の中に入る。
『とは言え、用心を怠るな』
(幽霊でも寝ないとダメって、なんか変なの。てか、オレの体を疲労回復に使うなよ)
わざと少年に聞かせるように、はっきりと心で呟いた。
「鬼門ですか?」
「そうよ、ここから鬼が現れるらしいの。私達はこれを封印しなきゃいけないの」
雅と葵は、鬼門の封印が解けたと知ると、すぐに行動に向かった。
もっとも、雅が葵を引っ張る形ではあるが。
「暗号かあ……!」
クイズやパズルが大好きな類が、目をキラキラさせて大悟のノートを覗き込む。
登校時間の賑やかな廊下で、大悟は歌を書き留めたノートを類に見せていた。
「ひらがなに分解したらいいのかな……? いや、違うな。だとすると……」
二人が謎解きに熱中している時。
「おい、そこの鬼!」
「わあ!」
背後からの大声に、大悟と類は飛び上がった。
立っていたのはずんぐりとした体に丸メガネ。プログラミング授業の支援員、赤星正隆だ。
普段は会社員だが、パソコンが得意という事で、学校から週に一回支援員を依頼されている。
怪我をしたのか、左手にギプスを嵌めている。
「あ、赤星先生!? 鬼ってどういう事ですか?」
赤星先生はプログラミングクラブが開催される月曜にしか学校に来ないため、
これまで大悟と親しく会話をした事はない。
声をかけてくるなんて珍しい。
「知らないと思うが、『鬼』という漢字は、『きさらぎ』とも読むんだよ」
「はあ……」
「じゃ、今日の放課後クラブで待ってるからな。鬼君」
意地の悪い言い方をして、先生は歩いて行った。
「赤星先生ってあんな感じだっけ? ま、オレ今日は用事あるから行かねーんだけど」
「赤星先生、先週からなんかおかしいんだ。優しい先生だったのに人が変わったみたいでさ。
クラブは楽しみなんだけど、どうも気が重いよ」
放課後、プログラミングクラブに参加する類と別れ、大悟は帰宅後すぐにツルギを手にした。
最後の猿神様の様子が気になったからだ。
走って向かった国道沿いの猿神様に異変はない。
ホッとしたところで声をかけられた。
「や、お参りかい?」
駐在所の稲村巡査だ。
いつも通りほがらかで、赤鬼の事件の時に鬼に入られた影響は特になさそうだった。
「稲村さん、こんにちは」
「この猿神様、残ってよかったよね。国道を整備する時は取り壊す話もあったらしいから。
移動だけで済んで猿神様もホッとしてるだろう」
「移動? あっ……」
言われて思い出した。
一昨年ぐらいだろうか、ここはずっと道路工事をしていたのだ。
普段はあまり通らない道なので忘れていた。
「移動って、どれくらいですか?」
「二百メートルぐらい東にずらしたって聞いてるけど」
「二百メートルも!? それって、つまりこの猿神様は……」
鬼門封じとして、既に機能していない。
ざあっと全身の血が引いた。
大悟の顔がよほど青くなったのだろう、稲村さんが心配そうに覗き込んでくる。
「だ、大丈夫?」
「あの、オレ帰ります!」
ぽかんとしている稲村を置いて、大悟は学校に向かって駆け出した。
必死に走る大悟の体が、突然軽くなる。
頭の中で声が響いた。
『遅い! 私が走る』
「ちゃんと起きたな!」
国道を走る車より速く、大悟達は学校を目指した。
「なっ、なんだこれ!?」
「凄い大きな城ね……」
到着した学校に、校舎はなかった。
代わりにそびえ立っていたのは、黒い石垣に、窓一つない黒い壁。
紫の屋根には巨大な鬼瓦が載っていて、まるで要塞だ。
雅と葵は見覚えがあるようで、目を大きく見開いている。
『鬼門封じが破られたために鬼の呪力が高まったのだ。大気が揺らいでいた原因はこれだ』
「まだ夕方にもなってないのに、鬼が動けるなんて」
『人間に取り憑いた鬼は、肉体の中で日の光に慣れる。力を持つ鬼であれば特に早い。
しかしこれほどの城を作るとは……』
大悟の横を、子供連れの女性が通り過ぎる。
自転車のおじいさんも走っていく。
誰も異変に気づく様子はない。
「みんなには見えていないのか?」
『幻視で城を隠しているのだろう。他の者にはいつもの景色に見えているはずだ。
町中の人間に幻を見せるとは、やはり生半可な鬼ではない』
「やばいぞ。プログラミングクラブに参加してる奴らが校内に残ってる」
『何人だ』
「五年、六年合わせて、ざっと三十人。類もいるはずだ」
冷や汗が大悟の背中に流れる。
もしも今回の鬼が一つ目であれば、類がまた乗っ取られているかもしれないのだ。
『どこから入る?』
「敵陣に突っ込むんだ。こうなったら堂々と入ってやろうぜ」
「えっ、待ってくだ……!」
葵が止めるのも空しく、黒々とした木の扉をぐっと両手で押し開けると、
ギギィと重たい音を立てた。
城内は薄暗く、異界と同じ紫の闇に満ちている。
「うっ、何という呪力……」
生臭い鬼の臭いが、大悟と葵の鼻をついた。
葵は臭いのせいで、調子が出なくなっている。
大悟達が踏み込んだのは素っ気ない長い廊下だ。
廊下は目の前で左右に延び、その先がそれぞれ折れ曲がっている。
不意に、遠くから数人の歌声が聞こえた。
『あぶくたった 煮えたった 煮えたかどうだか 食べてみよう』
「どこで歌ってる?」
廊下を歩きながら耳を済ます。
『むしゃむしゃむしゃ まだ煮えない』
歌声は同じフレーズを繰り返しながら、少しずつ大きくなる。
二回角を折れ、三回目の角も折れた。
大悟は元の場所に戻っていた。
「この廊下、一周してるだけか。待てよ……扉は?」
入ってきた扉が、消えている。
「……っ、閉じ込められた!?」
『そうだな』
『お城にしまって鍵かけて がちゃがちゃがちゃ』
弾む歌声がすぐ近くに聞こえてくる。
『声はここからだ』
目の前の壁に向かって少年が言う。
『この中が部屋になっている』
「でも、どこからも入れないわよ」
「ウチがやります」
葵は壁を調べてみて、違和感を感じ、開けようとしたが何も起こらない。
『なんの音?』
壁を見た大悟はぎくりとした。
壁についた無数の目に、見られているのだ。
『なんの音?』
『悪いが、遊んでいる暇はない』
大悟の両掌に熱が集まる。
少年が呪力を溜め込み、一気に放出した。
壁が風を受けた布のように反対側に膨らみ、弾けて舞い落ちる。
紙吹雪だった。
「きゃーっ」と弾けるような歓声をあげて走り、転がり回るのは……。
「小鬼?」
十体ほどの小さな鬼が、畳敷きの広間ではしゃいでいる。
幼児のようにぽっちゃりとして、体の色はそれぞれ、赤や青や黄色とカラフルだ。
「鬼がきたー!」
「にげろー!」
きゃいきゃいと楽しそうに紙吹雪の中を走り回る。
「鬼が鬼ごっこかよ……。おい、この城ってこいつらの仕業なの?」
「いいえ、小鬼にそんな力はないわ。もっと強い鬼が他にいるはずだよ」
ドン、と足に衝撃を受けた。
一体の小鬼が大悟の足にしがみついていた。
「遊ぼう」
どん、と反対の足にも別の小鬼がしがみつく。
「もっと遊ぼう」
「こいつら、重た……!」
どん、どん、どん。
大悟の足に次々としがみついてくる。
「もっと」
「もっともっと」
鉛のような重みが大悟の足にかかり、たまらず倒れる。
すると今度は腹に、足に、腕に乗ってくる。
小さい癖に恐ろしい重さで、大悟は息ができなくなった。
「やめ、ろ……!」
小鬼は声を揃えて、歌い出そうとすると。
「させませんよ」
葵は容赦なく、無数の暗器を小鬼に投げつけ、動きを止める。
飛び起きざま、大悟の腕はツルギを一閃、一匹の小鬼を斬りつけた。
燃える鬼から剝がれ落ちたのは、ショートヘアの少女――同じクラスの藤崎茜だ。
一瞬、大悟は茜の闇を見る。
それはピアノのライバルの楽譜を破り捨てる光景だった。
「茜はピアノのコンクールで優勝を目指してるんだ。まさか、茜が……」
『まだ終わっておらぬ!』
「くっそ!」
少年が体を操っているとは言え、大悟の心が乱れれば動きは鈍る。
しかも、斬るたび大悟は鬼に憑かれた者の闇を見せられるのだ。
闇の形は様々で、妹にお菓子を食べられたと怒る他愛もない闇もあれば、
母親の再婚相手を憎む深刻な闇もある。
中でも辛かったのは、病気で父親を亡くした深い深い悲しみだった。
鬼と戦う事は、鬼に憑かれた者の闇と大悟の心が戦う事でもあった。
最後の小鬼が炎に消えた時、少年が聞いた。
『大事ないか』
(あ……?)
少年の声で、大悟は自分の気持ちが、いつの間にか暗く沈んでいる事に気が付く。
「弱音を吐いてる場合じゃねえって言いたいんだろ? 分かってるっつーの」
強がって見せたが、内心では少年の存在に感謝していた。
たとえ闇を見るのが大悟だけであっても、一人きりで戦っているわけではない。
それは大悟にとって大きな救いだった。
(オレの心までこいつが守れるわけじゃない。オレが、しっかりしなきゃ)
気持ちを切り替えた大悟はふと気づいた。
いつの間に現れたのだろう、二階へと続く階段がある。
『上に来い、という事か』
「へっ。上等だ」