大悟は半人半鬼の末裔で、鬼の名を持っている事を知らなかった。
人間界に鬼が侵入た原因は、関守石が壊れた事だった。
大悟の中に入っていた少年ウタキは、関守の役目を果たすために大悟に協力を求める。
彼はウタキや過去から来た雅と葵と共に、鬼と戦う事になる。
しかし大悟は自分の鬼の名を知らず、ウタキも教えてくれない。
大悟は自分の弱さに苦しみながらも、強くなりたいという思いを抱くのだった。
「やってみなきゃ、分かんないだろ?」
怒りで握り締めた手に、自分の爪が食い込んだ。
湧き上がった怒りが、目の前を一瞬暗くする。
周りで楽しそうにしている上級生達を、蹴飛ばしてやりたかった。
「ああもう、腹が立つ! みんな大っ嫌いだ!」
拾い上げた石を力任せに投げる。
(いつもそうだ。小さいからってオレを勝負に入れてくれない。
あの子さえ、いてくれたら……こんな事にはならないのに!)
拳を震わせて俯くと、足元に生臭さが漂う紫色の霧が流れてきた。
「そのこ さがしに いこう」
耳元で声が聞こえた。
子供のような声だった。
しかし、見渡しても周りには誰もいない。
「おまえ おおきく してやる」
「あっ?」
いつの間にか、真正面から見つめる目があった。
「おおきく してやる なまえ わたせ」
何故か、頭がぼんやりとする。
答えるつもりなどないのに、口が勝手に答えてしまう。
「名前は……」
名乗った途端。
その小柄な体は、鬼に乗っ取られた。
如月大悟は、二人の女性と共に落下していた。
小学六年生にして、生身のまま空から落下するなど、普通はあり得ない。
しかし大悟は“普通”の小学六年生ではなかった。
「ぎゃぁぁああああ!!」
「おや、相変わらずですね」
涙目で叫ぶ大悟が腰に差しているのは“申の太刀”。
ある日、異界に迷い込んでしまった大悟はこのツルギによって選ばれたのだ。
鬼と戦う“使い手”に。
そして、まさにいま、大悟は二人の女性と共に、鬼を相手に戦っていた。
二人の女性は、猿飛町領主の娘・雅と、彼女に仕えるくノ一・葵。
鬼は大悟を頭上に放り上げ、口を開けて落ちてくるのを待ち構えている。
牙が三重に並んだ異形の口を持つ、小山ほどもある巨大な鬼。
大悟をその牙で噛み砕こうとしていた。
「死ぬっ!」
「風よ、吹き飛ばせ!」
鬼の口に入る直前、葵が鎖鎌で鬼の足を絡め取り、動きを止める。
直後、雅が風の呪術を使って、大悟を弾き飛ばす。
「ぐえっ!」
落下する大悟の軌道が、直角を描いて真横へと逸れる。
予想外の力に目の前の獲物を取られた鬼は、すかさず大悟を叩き落そうと手を振り上げた。
畳四枚分はある掌が、真正面から大悟に向かってくる。
「ぎぇええ!」
ぐん! と、見えない力が大悟を方向転換させた。
「*@#%$っっ!」
最早文字化できない声を出し、大悟は特大ホームランの如く空を飛んでいく。
勢いよく突っ込んだのは、猿飛神社の鎮守の森。
大きなナラの木に受け止められ、大悟は逆さまの宙吊りになった。
「大悟、いい加減にせぬか」
宙に浮いて大悟を冷ややかに見下ろすのは、
烏のような面を被り、黒い羽根を編み込んだ蓑を身に着けた少年。
大悟が異界で出会ったこの少年に肉体はなく、鬼のような呪力を持っている。
その烏面から覗く黄金色の瞳を、大悟は恨めしく見上げた。
「ウタキ……お前、人をボールみたいにポンポンと……」
「そうさせているのはお前だ。
一人で戦う修行をしたいと言うから任せてみたが……何故ツルギを使わぬ?」
「オレだって、雅みたいに呪力で攻撃してーんだもん」
唇を尖らせる大悟に、雅は溜息を吐き出す。
「なんで呪力にこだわるの? あなた、呪術師じゃないでしょ?」
「いーや、こだわるね。滅茶苦茶強い呪力を出せるようになって、オレは最強の使い手になる!
そんで、体を“呪紋”だらけにしてやる!」
大悟はびしっと、ウタキと雅の腕を覆う奇妙な文様……“呪紋”を指差す。
呪紋は呪力を持つ者の体に浮かぶ文様だ。
ウタキと雅の体にはくっきりと浮かんでいるが、呪力を出せない大悟には、全く無い。
「それに、お前が言ったんだろ? オレは半人半鬼なんだから呪力を持ってるって」
古より、鬼から人を守り続けてきた関守は、人と鬼の血を引く不思議な一族だ。
鬼は肉体を持たない代わりに呪力を持つ。
その血が大悟にも流れているという事は生まれながらに呪力が備わっている……はずなのだが。
「オレだけ呪力が出せないとか、納得できねーよ!
雅だって人間なのに呪力を持ってるじゃねーか!」
大悟は木に引っかかったまま、ジタバタと暴れた。
ウタキは痛みを抑えるように頭に手をやった。
「よく聞け、大悟。使い手のお前がまず身に着けるべきは呪力ではなく、ツルギの使い方だ。
使い手とはそもそもツルギと一心同体であり……」
ウタキがお説教モードに入ったと見て、大悟は絡みつく木の枝から抜け出す。
くるりと半回転して、巨大な岩の上に飛び降りた。
その岩の中心には亀裂が走っていて、太い注連縄が巻かれている。
「オレが呪力を出せないと、この関守石を新しくする事もできないんだ」
「だから、あんなに呪力にこだわっていたのね」
「そういう事」
猿飛神社の鎮守の森の中に鎮座し、
猿飛町の人々に『守りの大岩』と呼ばれて親しまれる巨大な岩。
ウタキや鬼からは『関守石』と呼ばれるこの岩は、
鬼が住む異界と、人が住む人界の境界を守っている。
この岩がある限り、鬼はなかなか人界に入ってこられないのだ。
ところがある日、何者かによってこの岩が割られた。
境界が揺らぎ、大悟が異界に迷い込んだ事をきっかけに、何体もの鬼が人界に入ってしまった。
今はウタキの応急処置によって結界の役割を辛うじて果たしているが、
いずれは新しく作り直さないといけない。
それも“使い手”である大悟の役割だ。
ずん、ずん、と地響きが近づいてくる。
鬼が大悟を目指してこちらに向かっている。
「鬼を異界に戻す、申の太刀。このツルギを使えるのはオレだけだ。
それに鬼を異界から逃がした責任はオレにもある。だから、オレは決めたんだ……」
大悟はぐっと顎を上げる。
「強くなるってな!!」
バキバキと木々を薙ぎ払い、巨大鬼が顔を出す。
大悟は関守石から飛び降り、森の中のより開けた場所へと走る。
鬼が木に邪魔される事なく、大悟への攻撃を仕掛けられる場所へ。
大悟の狙い通り、鬼は手を振りかぶってくると、葵がそこに苦無を投げつける。
「かかったな! 火事場の馬鹿力を! 見せてやるぜ!!」
ザッと土煙を上げて大悟は急停止し、振り返る。
そのまま踏ん張り両の掌を鬼に向けた。
「ウルトラ・ギャラクティック・呪力!! 発射ぁぁああっ!!」
大悟の勢いに押され、鬼が思わず腕で体をガードするように身構える。
「…………」
しん、と静寂。
「不発!!」
ガッツポーズでごまかす大悟の頭上に、鬼の手が振り下ろされるその瞬間。
『お見事だな』
ウタキの呆れた声が頭の中で響いた。
背中が温かくなる感覚に、大悟はウタキが自分の中に入ったのだと分かる。
『ここからは私がやる。よく見ておけ』
こうなると大悟の体の主導権はウタキのものとなる。
大悟の意識は残るが、体を動かすのはウタキだ。
ウタキが操る大悟の体は、迫りくる巨大な手を難なくかいくぐり、鬼の頭上高く跳び上がった。
『強くなりたい気持ちは分からぬでもない。しかし……』
ウタキの操る大悟の手が、腰のツルギを抜く。
眼下に見える鬼は、姿を消した大悟を捜しキョロキョロしている。
『己が手にしている力を忘れるな』
宙に浮いたままツルギを構えた大悟の全身を、ウタキの呪力が包む。
直後、大悟は放たれた矢のように飛んだ。
一直線に、鬼へ。
そしてツルギを振るう。
頭頂部から巨体が真っ二つに裂かれる。
左右に分かれて崩れ落ちる鬼が、青白い炎に包まれた。
鬼が異界へと帰っていく。
『まずはツルギと向き合え、大悟』
大悟の体に入ると、ウタキの呪力はさらに強くなる。
その力は、並大抵の鬼ではとても太刀打ちできない。
同じく鬼と戦う大悟が、その強さに憧れ、追いつきたいと思うのは至極当然の事だ。
この先、どんなに強い鬼が現れようとも動じない強さが欲しかった。
今のようにウタキ、雅、葵に助けてもらう立場ではなく、対等に戦える仲間になりたいのだ。
……ウタキと雅みたいな呪力が、やっぱり、絶対、欲しい!
ウタキと雅の強さを見せつけられ、大悟は改めて思った。
目の前で燃える鬼の体から、ずるずると若い男性が剥がれ落ちていく。
鬼は人の闇に取り憑き、肉体を奪う事で呪力と知力を高める。
そして闇が深いほど、鬼の呪力は強くなるのだ。
今回の鬼が取り憑いたのは、この男性……宅配業者の若者だった。
申の太刀は、人に入った鬼だけを斬って異界に帰し、人の持つ闇をも祓ってくれる。
しかし、厄介な事が、一つ。
使い手はその闇を見せられるのだ。
今もまた、どろりとしたどす黒いものがツルギから大悟の腕に這い上がっていく。
大悟の全身を包む闇が、視界を真っ黒にする。
大悟は必死に踏ん張った。
「また留守かよ」
闇の中に見えてきた若者は、チッという鋭い舌打ちをして、団地の一室を睨んだ。
「再配達を依頼しといて、不在ってどういう事だ」
職場の先輩に押し付けられた荷物は、クール便なので置き配もできない。
何度目かの不在票を郵便受けに差し込むしかなかった。
やたらと重たいこの荷物を、また階段を使ってトラックに戻さなければいけない。
意地悪な先輩の薄ら笑いが目に浮かぶようだった。
「エレベーター無しの五階とかあり得ねえし」
愚痴をこぼした時、バランスを崩して荷物を足の上に落としてしまった。
「……ぃってぇええ!」
痛みは約束を破られた腹立たしさと混じり合って、強い怒りへと膨らむ。
「くっそ……! ちくしょう!」
体を折って痛みに耐える若者に、小さな影がゆらりと近づいた。
「なんだ?」
顔を上げた若者の目を、影はじっと見つめる。
「おまえの なまえ よこせ」
影の目に魅入られたように、若者は言った。
「戸村……誠」
影は……鬼だった。
鬼は人間の名前を奪う事で肉体を乗っ取る。
宅配業者の戸村誠もまた、名乗った途端に肉体を乗っ取られてしまったのだ。
『大悟』
ウタキの呼ぶ声に、大悟の意識が闇の中からゆっくりと自分に戻る。
(大丈夫、大した闇じゃない)
心の闇を見るとは、
すなわち大悟の心が鬼に憑かれた人の怒りや悲しみをまるで自分の事のように経験する事だ。
まだ小学生の大悟に、これは精神的にかなりきつい。
一方のウタキは、大悟を通して闇を垣間見るだけ。
雅と葵も、大悟に干渉する力は持っていない。
あくまでも使い手である大悟が、一人で闇を受け止める事になる。
そうであっても、大悟にとってウタキ、雅、葵がいる意味は大きい。
一人ではない心強さが、闇と対峙する力を与えてくれるからだった。