鬼を切れ!   作:アヤ・ノア

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~前回までのあらすじ~

数百年前の世界で、武士と忍者が存在し、男が前線に出て女が支える時代。
葵と雅は、主従関係にある人物である。
雅は風の呪術師で、事件が起きると城を抜け出してしまう。
葵は雅の保護者で、彼女の行動に心配している。
雅は葵に反発し、城を抜け出した。
それから数百年後、鬼の伝説は忘れ去られるが、
再び鬼が現れようとしている事を誰も知らなかった。


1~守りの大岩

―キイイン……

 真夜中の闇の中で、その音は如月大悟の耳に一層高く響いた。

「……絶対、近づいてる」

 大悟は太い眉をぐっと寄せて、耳を澄ます。

 猿飛神社の裏手に広がる鎮守の森に入った途端、音は大悟との距離を縮めてきた。

―キイイン……

「もしかして、森のどこかで鳴ってるのか?」

 最初に音が聞こえたのは二週間ほど前。

 それからずっと途切れ途切れで聞こえている。

 金属を弾いたように甲高い、それでいて耳障りではない澄んだ音。

 不思議なのは、その音が大悟にしか聞こえない事だった。

―キイン、キイン……

 一定の間隔を置いて聞こえる音は、大悟の気持ちをざわざわと揺らす。

 宿題をやらずに遊び続けているような、落ち着かない気分になる。

「勘弁してくれよ」

「え? どうかした?」

 うんざりした大悟の独り言に反応したのは、先に進む野々村類だ。

 懐中電灯をこちらに向け、大悟の視界を一瞬真っ白にする。

 類は大悟の幼馴染であり、親友だ。

 少々心配性なところがあるため、変な音が聞こえるなどと言えば、

 すぐさま病院に引っ張って行くに違いなかった。

 今夜の大事な目的を果たすまで、音の事は黙っているしかないだろう。

「どうしたもこうしたも、一匹もいないんだよ」

 耳に聞こえる音の事を誤魔化したのだが、こちらも大悟の本音だった。

 類は懐中電灯を持った腕を組んで頷く。

「こっちも同じ。オオクワガタどころかカナブンもいない」

「森に入ってもう一時間以上だ。くっそー、がっぽり儲ける予定が!」

 ぐぬぬ、と大悟は歯ぎしりする。

 二人にとって今夜は大事な資金集めの夜なのだ。

 

『小学校最後の夏休み、二人だけで日本一周の旅をする!』

 という目標を立てたのは大悟だった。

 夏休みに入ってすぐ、大悟は宣言した。

「よく聞け、類!

 オレ達はこの夏、自転車でこの小さな猿飛町を出て見知らぬ土地をかっ飛ばす!

 北から南まで、この日本という国を制覇するんだ!

 親に貰った小遣いで行くんじゃないぞ?

 オレ達が稼いだカネで行く、オレ達によるオレ達の旅だ!」

 帰り道のガードレールに片足を乗せた大悟は、もうすっかり船出する船長の気分だ。

「なるほど面白い。つまり、冒険に出るって事だ」

「おうよ! 話が早い!」

「自分の力で道を切り開いてこそ冒険者だよね。資金集めか……そうだ、いい方法がある」

 荒唐無稽な大悟の計画に、現実的な方法を提案してくれるのはいつだって類だ。

 たとえ計画が失敗に終わっても「なかなかの挑戦だったね」と笑ってくれる最高の相棒なのだ。

 今回の提案は、『オオクワガタを捕まえてネットオークションで売る』という、

 パソコンが得意な類らしいものだった。

「でもさ、そんなもん買う人いるのか?」

 森に行けば誰でも捕まえられるものに高値がつくなんて、大悟には信じられない。

「ふふふ。それがいるんだよ。一匹、数万円で取引される事もある。

 森に囲まれた猿飛で暮らす僕達には、うってつけの資金源っていう事だね」

「数万円!? 例えば五匹捕まえたとして、一匹二万で売れたら……じゅ、十万円っ?」

「こういう時だけ計算が速いね。どうして算数のテストはできないんだろう」

「よっしゃ! だったら鎮守の森だな!」

「聞いてないし」

「あそこにはオオクワガタがうようよいるって母さんが言ってた。子供の時によく捕ったって!」

「決まりだね」

「待ってろよ、オオクワガタ! 待ってろよ、日本列島!」

「ここも日本だけど。ま、そう言いたくなる気持ちは分かるよ」

 かくしてトレジャーハンターとなった二人は、鼻息を荒くして鎮守の森に乗り込んだのだ。

 それなのに……。

 

「どうして一匹もいないんだよ……」

 森の奥にいくら進んでも見つける事ができない。

「なんか変だよ。森が静かすぎる」

 類は歩く足を止め、癖毛の前髪を片手できゅっと握る。

 これは類が考えている時の癖で、大体この後には「ねえ、知ってた?」のセリフが続く。

「ねえ、知ってた?」

「知らん。って、何を?」

 大悟もいつも通りの返事で続きを促す。

「船の中に住んでるネズミってね、危険を予知できるんだ。

 この船は沈没するって察知したら、出航する前にその船から逃げ出すんだって」

「おいおい、森が沈没するってか?」

 大悟の軽口に、類は大真面目に首を振った。

「今のは例え話だよ。つまり、この森には危険が迫ってるんじゃないかって事だ」

 そう言う類の握る懐中電灯が、ぶるぶる震え出す。

「お前な、自分で言いながらびびるなよ」

「怖くない! 僕、もう最高学年、だぜ?」

「あのなあ類、今は夜中の二時だぞ? 泣く子も眠る丑三つ時って言うだろ?」

「それを言うなら『草木も眠る丑三つ時』ね」

 大悟は一緒に住む祖母の影響で古めかしい言葉を時々使うが間違って覚えている事の方が多い。

「それそれ。ま、とにかくみんな寝てるって事だろ? 静かなのは当たり前って事だ」

 大悟はフフンと笑ってみせるが、口の端がピクピク震えてしまっていた。

「オレには全然静かじゃないけどな!」

 森の奥に進むにつれ、耳元に聞こえるあの音がさらに近く速くなっているのだ。

―キン、キン、キン、キン、キン、キン……

 行くな、行くなと言っているようにも、

 こちらに来い、こちらに来いと言っているようにも聞こえる。

「やっぱり帰ろうか」

 大悟が少し弱気になった時、類が「あれっ?」と素っ頓狂な声を出した。

「どうした?」

「守りの大岩の注連縄が落ちてる」

 「守りの大岩」とは、猿飛町に大昔からある巨大な岩だ。

 山ほどもあるこの巨岩は、鬼が町に入ってこないように置かれているという伝説がある。

 もちろんそんな伝説を信じる人はいないが、町の人は今でも大切にしていて、

 毎年節分に、太い注連縄を巻く行事を盛大に行っている。

 その注連縄が、巨大な岩の足下に落ちていた。

「風が強かったんじゃねえの?」

 そびえるように立つ岩を懐中電灯で照らし、今度は大悟が、「おっ!」と声を上げる。

「割れてるぞ!」

 岩肌に縦に真っ直ぐ、大きく裂けめが入っていたのだ。

 裂けた岩は左右に微妙にずれ、断面を僅かに見せている。

「こんなでかい岩、どうやったら割れるんだ?」

「岩の隙間に入り込んだ水が凍って、膨張すると割れる事もある。だけど今は夏だしね。

 うーん……」

 考え込む類の横で、大悟が岩に触れた時。

 一際大きく、あの澄んだ音が響いた。

「うわっ!」

「大丈夫?」

 大悟は耳を塞ぎ、思わず地面に膝をつく。

 類が慌てて駆け寄った。

「もう帰ろう、大悟。いつ岩が崩れるか分からないよ」

「そうだな……」

 類の言葉に顔を上げた大悟は、ふと動きを止めた。

「待て」

 岩の向こうに、何かが動いている。

 ぼんやりとした赤い光だった。

 それが枝や草に遮られてチラチラと見えている。

 耳に残る音に顔をしかめながら、大悟は懐中電灯を向けた。

 何故だろう、光が遠くまで届かない。

 光の筋が大岩の横で吸い込まれるように消えてしまうのだ。

「霧が出てるのか?」

「大悟、何を見てるの?」

「あっちに何か光ってる」

「え?」

「行ってみよう」

「ダメだよ! 岩の向こうはダメだ」

 類の声は震え上がっている。

「でっかい昆虫が光ってるのかもしれないぞ!」

「でもさあ」

 類が泣きそうな声を出した時、ぬるりとした風が吹いた。

 夏とはいえ、森の空気は冷たいのに風は生温かい。

 

……すけて

 風に乗って、声が聞こえた。

「えっ?」

 大悟が声に顔を上げる。

 大岩の向こうにそびえている大木から聞こえた気がする。

「たす……けて」

「あっちに誰かいる」

 類がぎょっとして大悟を見た。

「僕には見えないよ?」

「いるんだ。誰かが迷い込んだのかもしれない」

 山に囲まれた猿飛町では、キノコ採りに森に入った人が道に迷う事件がしばしば起きている。

 山奥で怪我をして、ようやくここまで歩いてきたのかもしれなかった。

 大悟は大木の方に向かって叫んだ。

「おーい! 大丈夫ですか?」

「……いる? そこに、いる?」

 低い声が途切れ途切れに聞こえる。

「いますよ。ここにいます!」

「こっち来て……来て……」

「大悟、誰に話しかけているの?」

 類が震える声で聞いた。

 小さな声だから類には聞こえないのだろう。

 怪我をしているのなら緊急事態だ。

 大悟は走り出そうとして、つんのめって転んだ。

「いてっ!」

 暗くて見えなかったが、落ちた注連縄が大悟の足に絡まっている。

 ねじり合わせた縄の間に足が入り込んで簡単には取れそうにない。

 その時、突然二人の懐中電灯の明かりが消えた。

「わあ!」

「ちくしょう、こんな時に!」

 明かりがなくてはどうしようもない。

 大悟は手探りでナップザックから小刀を取り出す。

 縄に刃をあてがうと力を込めた。

 ブツンとした手応えで、注連縄が切れる。

 その直後、暗闇の中で大悟はつむじ風に巻かれた。

 そして風の中に、黒い影をいくつも見たのだ。

「なんだ!?!?」

 大岩の向こうから噴き出すように現れた影は、大悟をすり抜けて空に登っていく。

 唸る風に交じって、不気味な笑い声がこだましたように聞こえた。

「鳥か……?」

「いけない……うごけない……」

 声がまた聞こえ、大悟はハッとする。

 ぼんやりしている場合ではない。

「今、行きます!」

「大悟!」

 後ろで叫ぶ類に返事をする暇もなく、大悟は大岩を越えた。

 途端、ぬるい水に飛び込んだ感覚になる。

 森の冷たい空気とは明らかに違う生暖かい空気が大悟を包んだのだ。

「なんだ? 空が、紫色?」

 視界にフィルターがかかったように、見える景色も色を変えている。

 闇は黒ではなく、深い紫色。

 暗いが真っ暗ではなく、光がなくともぼんやりと周りが見える。

「うえ……なんか、気持ち悪い」

 大悟は乗り物酔いに似た吐き気を感じた。

 空気が淀んでいるのだろうか。

 

「だいご……だい……」

 すぐ後ろにいるはずの類の声が、遠くから聞こえる。

「類?」

 振り返ると類がいなかった。

 鎮守の森すら姿を消している。

 木々の中に立っていたはずの守りの大岩が、今は広々とした平野に佇んでいる。

 見渡す限り刺々しい草が茂り、草の間にはところどころ沼が暗い口を開けている。

 水も草もあるのに、生き物の気配が全く感じられない。

「ここ、どこだ? 鎮守の森は……どこに行ったんだ?」

 呆然とする大悟に足音が近づき、先程と同じ低い声がした。

 

オマエ アナ アケた

 

 大悟は振り返り、人ではないものを見た。

 人間の三倍はある大きな体、顔の真ん中には一つだけの赤い目、

 目の周りには気味の悪い模様が描かれ、にたりと笑う顔の動きに合わせて大きく伸びた。

 裂けた口が開き、辺りに異臭が漂う。

 それは、怪我を庇うように片腕を押さえて肩で息をしていた。

オマエのカラダ モライ オレモ アッち イク

「あっち? って、どっち?」

 赤い目をした生き物は足を引きずり近づいて来る。

 前屈みになって大悟の顔を覗き込んだ頭には……。

 

「ツノ?」

 頭部が後方ににゅっと長く伸び、三本に枝分かれして突き出しているのだ。

 ツノがあるのは、つまり鬼だ。

「鬼……じゃないよな?」

 恐怖に乾いた口を、どうにか開く。

 否定してほしかったのに、赤い一つ目は笑うばかりだ。

オマエノなまえ よコセ カラダ モラう

 そう言うと、大悟の目をじっと覗き込んできた。

 不気味な目が近づいて、大悟の頭の中は真っ白だ。

「こっちに来るな!」

 大悟は一つ目を押しのけようと腕を突き出す。

「え?」

 しかし、腕は一つ目の体の中を通過した。

 何度やっても同じで、大悟は一つ目に触る事ができない。

「お前、体が……ないのか?」

オマエノ ナマエハ

 愕然とする大悟を、一つ目がじっと覗き込んでくる。

 大悟は目を閉じたいのに、何故か赤い目から目を逸らす事ができない。

「ナマエ……」

 ふと、一つ目が動きを止め、不愉快そうに顔を歪める。

ナゼダ ヨメない カラダ トレない オマエ……ダレダ

 尻餅をつく大悟に覆いかぶさるように、一つ目は顔を近づけた。

「何? 何言ってんの!?」

ダッタラ オマエノ タマシイ クって チカラ モラウ

 ヒュッと風が吹いたと思うと、大悟の体に何かが巻き付いた。

「動けねえ!」

 体を縛っているものは、一つ目の顔に浮かんだ模様と同じものだった。

 その模様が蛇のようにうねうねとのたうち、大悟に絡みついて縛り上げている。

 引き剥がそうとしても、掴む事ができない。

 あっという間に息ができなくなった。

 

ハヤク シんで タマしイ ヨコセ

 一つ目がまた大きく口を開ける。

ハヤク ハヤク

 物凄い力で締め付けられ、ゴリッと骨が擦れる音が聞こえる。

 今にも折れてしまいそうだ。

 頭に血が登り、視界がぼんやりと霞んだ。

(大岩を越えちゃいけなかったんだ……)

 遠のく意識で大悟は思った。

 ここは人間ではないモノの世界だ。

 鬼だとか、魔物だとか、そんなものが本当にいるなんて思ってもいなかった。

 意識を失いかけながら、大悟は声を絞り出した。

 

「……たすけて」

 一つ目の力が緩んだのは、その時だ。

クソっ! アいツら キタ!

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