大悟はウタキの力を借りて、親鬼と戦う。
彼はスケートボードで欅並木の中を走り抜け、親鬼の腕を巧みにかわして倒す。
陽多が鬼に取り憑かれたのは、友達に馬鹿にされた事が原因だった。
大悟は親鬼から奪った翡翠を合わせると、勾玉になる事に気づく。
しかし勾玉はすぐに崩れてしまい、ウタキはそれが最強の鬼・酒呑童子の封印だったと告げる。
大悟は酒呑童子との戦いに向けて、不安と覚悟を感じるのだった。
「君、凄いんだな」
突然声をかけられて、三神蒼也は跳び上がった。
膝の上に広げたノートを見られた、と思ったのだ。
立っていたのは、長いコートを着た背の高い男性だった。
小学五年生の蒼也にとっては、おじさんに近い年齢に見える。
蒼也は慌ててノートを閉じた。
しかし、おじさんが見ているのはノートではなく、蒼也だった。
(知らない人だ。町の人じゃないな)
おじさんからは、お線香のようないい香りが漂っていた。
「あの……凄いって、何がですか?」
「君の我慢強さだよ。だって君、もうとっくに……」
「はい?」
「ああ、いいかもしれないな」
何を思いついたのか、おじさんは一人で頷いた。
「僕の知り合いが、君の事を面白がると思う。明日ここに来させるよ」
「いや、とりあえず結構です」
何がなんだか分からないけど、この人は怪しい。
これ以上、関わりたくなかった。
「だって君、もう苦しみたくないだろ?」
(え?)
ドキッとして、蒼也はおじさんを見上げる。
まるで、あの事を知っているような口振りだ。
おじさんは柔らかく微笑むと、コートを翻して去っていった。
甘い香りが鼻をくすぐり、消えた。
「……なんだよ、あの人」
蒼也はノートをランドセルに入れる。
今日こそはノートを破り捨てる。
そう決意して公園に来ていた。
しかし、開いたらやはり迷いが生まれた。
おかしなおじさんのせいで、余計に気分が削がれてしまった。
(明日こそ、破って捨てるんだ。頑張るって決めたから)
日が沈み始めている事に気づき、蒼也は慌てて立ち上がる。
「あ、お母さん……」
母親が、迎えに来ていた。
青白い顔で、蒼也を観察するような目を向けている。
「暗くなる前に帰りなさいって、言ったでしょう? お兄ちゃんも、心配してるわよ」
ノートを見られないように、蒼也は急いでランドセルの蓋をした。
「これが酒呑童子?」
「……かっこいいわねぇ」
大悟と雅が、机の上に広げられた横長の絵をぽかんと見る。
その表情に、旺太郎が楽しそうに笑った。
「意外?」
「だって、これ……お酒を飲んでる色白のおっさんにしか見えない。全然強くなさそう」
大悟の率直な感想に、旺太郎が明るい笑い声を上げた。
酒呑童子の事を教えてほしい、と旺太郎に頼んだら、
すぐに資料を山ほど抱えて大悟の部屋にやってきてくれた。
酒呑童子の事を伝える絵巻や書物はたくさんあるらしい。
旺太郎が見せてくれているのは、その一つ『大江山酒呑童子絵巻』というものだ。
「まあまあ、大悟君。この“色白のおっさん”がどんどん鬼らしくなっていくのが、
この絵巻の見どころだから。ほら、こっちの絵はどう?」
旺太郎がめくったのは、まな板で料理をしているように見える場面だ。
「まな板に載ってるのって……これ、人間の足?」
「そう。これは酒呑童子を倒すために、酒呑童子の住む大江山を訪れた源頼光っていう武将が、
人肉を勧められているところ。鬼のもてなし、って事だな」
「この侍、口を開けてない? まさか食べてるの?」
「そう。頼光達は、敵じゃないと思わせるために人肉を食べてみせたらしいよ」
「うぇええ」
「やがて、頼光達が持ってきた『神便鬼毒酒』を飲んで動けなくなった酒呑童子!」
旺太郎が次に開いたページでは、酒呑童子が真っ赤な鬼に変わっている。
しかしその目つきは酔っ払ってとろりとしている。
「鬼がへべれけ……」
「大酒のみなんですね」
どう見ても隙だらけで、二秒後には退治されていそうだ。
「そこを源頼光の白刃が襲った! ばばん!」
自分で効果音を出しながら、旺太郎がさらに次の絵を指す。
案の定、酒呑童子の首が刎ねられ、首から血しぶきが噴き出していた。
「首を斬り落としたんだ……て、あれ? 酒呑童子の生首が武士に噛みついてる?」
「そう! 斬り落とされてもなお攻撃したんだよ! もう、鬼の中の鬼としか言いようがない! この戦いには平安時代の有名な陰陽師、安倍晴明も協力したと言われてるんだ。
晴明が手伝わないといけないぐらい、強かったって事だよね!」
はしゃぐ旺太郎の横で、大悟の顔は引きつり始める。
雅と葵は、顔をしかめていた。
「やっぱり強いんじゃん……」
「酒呑童子の伝説に出てくる大江山は、鬼の住処でね、たくさんの鬼がいたんだ。
その中でも一番強かったという伝説が残ってるよ。
ちなみに大江山は京都の丹後半島に実在するけど、
酒呑童子がいたとされる大江山がどこだったのかは、現在でも研究が続いていてね……」
ふと、傍に立つ気配に大悟は気がついた。
(ウタキか?)
夢中で喋り続ける旺太郎のそばに、ふわりとウタキが立つ。
「ほう、絵巻か。人の世ではこう伝わっているのだな」
大悟と雅以外の人間(葵は半妖)にはウタキが見えず、声も聞こえない。
大悟の中にウタキが入っていなくても、大悟とウタキはテレパシーのように会話ができる。
ウタキによると、これは「肉体を共有した者が持つ力」らしい。
「休ませろ」
(へいへい)
大悟の背中からウタキが入る。
陽多との鬼ごっこの後、ウタキはすぐに「封印を確認してくる」と一人で出かけていた。
それほど急を要する事態という事だった。
(で、どうだった?)
『封印はやはり解かれていた。酒呑童子は間違いなく復活している』
ウタキの声が、重たく響く。
(一体誰が封印を解いたんだ? 関守石を壊したのと同じヤツだと思うか?)
『分からぬ。それを知るためにも、酒呑童子を必ず見つける』
(分かんないんだけどさ、どうして封印だったんだ?
鬼退治って鬼を異界に帰すんじゃないのか?)
『酒呑童子討伐を指揮したのは、宮廷に仕える陰陽師だった。関守は加勢したに過ぎぬ。
陰陽師が封印を決め、ツルギの出番はなかった』
(陰陽師? ソレ、さっき旺太郎兄ちゃんも言ってたな)
『ともかく寝かせろ』
大悟は大人しく黙る。
聞きたい事は山ほどあるが、今はウタキの体力回復が最優先だ。
酒呑童子がいつ現れるか分からないのだ。
雅と葵もその時に備えている。
旺太郎が語り始めた「酒呑童子の絵巻ベスト5」を聞き流しながら、
大悟は自分の力不足に焦れた。
「たとえ女でも、戦う事ができるって事を」
「証明したんですからね」
大悟達の前に小鬼が現れたのは、その数日後だ。
放課後、ウタキがするように、大悟達も町をパトロールしていた時だった。
「……え?」
大悟は、思わず目をこすった。
人に憑いていない状態の小鬼が、道の真ん中に立っているのだ。
しかも、逆立ちで。
大悟がツルギを抜くと、今度はあっかんべーをしてきた。
「お前……バカにしに来たのか!? こんにゃろ!」
「待って!」
大悟が飛びかかるのと同時に、小鬼は走り出す。
垣根をくぐり、塀の上を走る。
まるでリスのような素早さで角を曲がった。
「待て!」
大悟も勢いよく飛び出した時。
「どわっ!」
「あーあ、言わんこっちゃない」
誰かと正面衝突して、思い切り突き飛ばしてしまった。
「痛……」
「くそ、消えやがった! てか、ごめん!」
大悟はすぐにツルギを収め、突き飛ばしてしまった人物を助け起こした。
「悪い。怪我してないか?」
尻餅をついているのは、ランドセルの少年だった。
持っていた買い物袋は破れてしまい、じゃがいもやにんじんが道に散らばっている。
「あれ? 確か……五年の」
大悟は思い出した。
阿万目の城で、鬼に憑かれた人物だ。
大悟が見た少年の闇は、父親を亡くした深い悲しみによる、絶望的な喪失感だった。
ツルギで鬼を剥ぎ取ると同時に、その闇も祓われたはずだが、
大悟はその後その後もこの少年の事が気になっていた。
雅と葵は、そのついでについてきている。
「元気?」
雅が思わず言った言葉に、蒼也が怪訝な顔になる。
「はい?」
「あ、いや。えっと、元気で良かったって意味よ!」
雅が慌ててごまかすと、蒼也はクククと笑った。
「変なの。えっと、そこにいるお姉さんは誰?」
「あ、この子達は……オレの姉ちゃんで……」
「嘘ばっかり。如月君は一人っ子だよね」
子供というのは、意外と鋭いものである。
「僕、三神蒼也」
「蒼也か。大悟でいいよ」
「雅よ」
「葵と申します」
蒼也の手を取って引き起こし、大悟は落ちたものを手早く拾う。
一冊のノートを手にした拍子に、ページがめくれる。
大悟は首を傾げた。
「これ、漫画の……コマ割りって奴?」
ノートには、漫画の枠線が引かれ、吹き出しやセリフが書かれている。
ただ、肝心のものがそこにはなかった。
「絵が、ない」
大悟の呟きに顔を上げた蒼也が、しまったという顔になる。
大悟の手からノートを素早く奪うと、ランドセルに突っ込んだ。
「これは……その、内緒なんだ」
もごもごと言う。
大悟は蒼也の秘密を覗き見てしまったように感じ、
申し訳なさから、わざと当てずっぽうに言った。
「分かった。それ、透明人間の話だろ!」
笑ってもらおうと思ったのだが、意外にも蒼也は「凄い」と目を見開いた。
「よく分かったね!?」
「当たったのか……」
「透明人間じゃなくて、“透明悪魔”だけどね。透明って分かった事が凄いよ」
「えっと、透明……悪魔?」
「いや、漫画を描いてる蒼也の方が凄いだろ」
「漫画を描くのは僕じゃない。プロの漫画家なんだ」
「プロ!?」
「相当優秀なのね」
驚く大悟に、蒼也は嬉しそうに口元をほころばせた。
声を落としてヒソヒソ声になる。
「実はこれ、その漫画家に依頼されて僕がラストを考えてるんだ」
「マジか!」
「うん。透明悪魔を倒す方法。難しいんだけど、だから面白いっていうか。
僕がラストを思いつけば、その漫画家が絵を描く予定だよ」
「すげえじゃん!! 本が出たら教えろよ! 買うから!」
「漫画……興味深いですね」
「もちろんだよ!」
蒼也の笑顔を見ながら、大悟はホッとして呟いた。
「やっぱり、雅達と一緒に戦って、ツルギが闇を祓ったからだな」
「え? ツルギ?」
「なんでもねーよ」
へへへ、と大悟は笑ってみせる。
蒼也の話が本当ではなくても大悟は構わなかった。
蒼也が元気で、やりたい事をやれているなら、それでいい。
(闇を見るのはきついけど、こうやって元気になってくれるのは、嬉しいもんだな)
大悟はウキウキしながら道に転がったものを再び拾い始めた。
「ほら、にんじんと……粘着テープ? これもお前の?」
「あ、うん」
心なしか、ひったくるような動きで蒼也が粘着テープを受け取る。
「じゃ、ここで。僕んち、ここの二階だから」
何故か早口で言うと、背後のアパートを指した。
「荷物は持ちましょうか。袋が破れたし、一人では持てませんよ」
「でも……もう、暗くなるし」
「気になさらぬように」
安心させようとしたのに、蒼也はますます心配そうだ。
二階の玄関を見上げると、深刻そうな顔を大悟に寄せてきた。
「僕のノートの事、絶対誰にも言わないでね。内緒だよ?」
「かしこまりました」
その時、一階の玄関が開いた。
エプロンをつけた白髪のおばあさんが顔を出す。
「あら蒼也くん、おかえり」
「あ、ただいまです」
律義に会釈をする蒼也と大悟を、エプロンのおばあさんはニコニコと見ている。
おばあさんの笑顔に押されるようにして、蒼也、大悟、雅、葵は階段を上がった。
二階に上がった蒼也が、玄関を開けた時。
「!!」
室内から流れ出る生臭い空気に、大悟はたじろぎ、雅と葵は不快な表情になる。
押し返されるような圧を感じる。
「どうやら鬼の気配みたいですね」
家の中には、うっすらと紫の霧が漂っている。
「大悟君、雅さん、葵さん、わざわざありがとう。じゃ」
蒼也は、細く開けたドアから体を滑り込ませるように家に入ると、
すかさずドアを閉めようとした。
「何か隠してるの?」
咄嗟に、雅はドアを手で支えた。
室内に視線を走らせ、ぞくりと鳥肌が立つ。
玄関から伸びる廊下の壁に、巨大な引っ掻き傷があったからだ。
「まるで鬼の爪痕ね」
その時、鋭い声が飛んできた。
「誰なの!?」
廊下の奥から出てきたのは、蒼也の母親、明季子だった。
顔色は白く、髪もボサボサだ。
「あ、あら……お友達?」
笑顔を作ったつもりだろうが、大悟には頬が引きつっただけに見える。
「こんにちは。六年の如月大悟です」
「私は、雅よ」
「葵と申します」
「そう、如月君、雅さん、葵さん、こんにちは。じゃあさようなら」
不自然なほどせわしない挨拶で、やはりドアを閉めようとする。
(オレ達を追い出したいんだ。まさか、鬼に脅されてるのか?)
思わず室内を見渡した大悟は、まるで通せんぼするように置かれた、
廊下の大きな植木鉢に気がついた。
植木鉢の向こうには部屋のドア。
奇妙な事に、ドアにはベタベタと何かが貼られている。
大悟がドアを見た事に気づいた蒼也が、ごまかすように笑った。
「びっくりした? ウチの兄ちゃんちょっと病気してさ。あれ、厄除けとかそういうお札なんだ。
悪い空気が入らないようにって。だから、えっと……」
「あ」
明季子がのっぺりとした白い顔を上げ、大悟達の背後に広がる夕焼けを見上げる。
「日が沈む」
血の気の無い顔が、幽霊のように見えた。
「あの、じゃあね、大悟君、雅さん、葵さん」
有無を言わさずドアを閉める蒼也に、雅は急いで囁いた。
「暗くなると出るの?」
あえて「鬼が」とは言わなかった。
蒼也がぎくりと動きを止めて大悟を見返す。
しかし返事をする事はなく、ドアを閉めた。