蒼也は謎の男に声をかけられ、心の闇を引き出される。
一方、大悟達は旺太郎の助けを借りて、酒呑童子について調べていた。
酒呑童子の対抗手段を探していると、突然、大悟達の前に鬼が現れる。
大悟達が追いかけていると、透明悪魔という漫画を描いている少年と出会うのだった。
夕闇の空の下、大悟は蒼也の家を見張った。
ベランダに面した掃き出し窓は、カーテンが引かれて中の様子は分からない。
(あの部屋に貼られてたお札って……)
「呪符ね」
「左様」
雅の声がすると、ウタキが宙に浮かんでいた。
「来てたんなら言えよ」
「鬼の気を感じたからな。さっさと踏み込めばよかったのだ」
「鬼の姿になってないと、ツルギは使えないだろ?
蒼也達は日が沈む事に怯えてた。夜になると鬼が出るからだと思う」
大悟、雅、葵が家を見上げる。
こうして外から見ると、何の変哲もないアパートの一室だ。
「家に漂う鬼の気配、凄かった。
きっと、お札を貼ったドアの向こうに、鬼に憑かれた蒼也の兄ちゃんがいるんだ」
「呪符で鬼を封じていると言いたいのか?」
「うん。お寺かどこかでもらったんじゃないかな」
「肉体を得た鬼を閉じ込めるほど強い呪符を作るのは、簡単ではない。
身を清め、相応しい紙と墨を用意し、定められた方角に向かって書かねばならぬ。
細かなしきたりがあり、鬼と拮抗するほど強い呪力が必要だ。果たしてそのような事ができる者がいるかどうか……」
「安倍晴明みたいな陰陽師がいれば、別だけどね」
「陰陽師って……ああ、酒呑童子をやっつけたヤツらか」
「まあ、そういう事になってるわ」
「ハッキリしないな」
「我らの加勢がなければ、恐らくあの戦いは人間が負けていた」
「そうなの? じゃあ陰陽師よりも関守の方が強いって事か!」
思わず鼻息を荒くする大悟を見て、ウタキが小さな溜息を落とした。
「私の言い方が悪かった。どちらが強い、などではない。
我々が共に戦ったから勝った。それだけだ」
「“悪かった”? お前らしくないな」
ウタキは黙り込んでしまう。
大悟は、ふと思った事を聞いた。
「旺太郎兄ちゃんが話してたけど、安倍晴明ってヤツも一緒だったの?」
すると、不意を突かれたように、ウタキがクッと顎を引いて黙ってしまった。
「どうした?」
「いや……。その名は、今も語られているのだな」
「んー? なんかあったの? 元気ない……」
―どん!!
突然、空気を振動させるほどの気配がぶつかってきた。
大悟には、アパート全体が一瞬揺れたように感じた。
雅と葵は、とっくに身構えている。
「っしゃ、ツルギの出番だ。鬼と闇をぶった斬ってやるぜ!」
「気を付けて! この気配、小鬼じゃないわ!」
「ひとまずオレに任せてくれ。呪力はお前に借りるけど。雅と葵も頼む」
「承知しました」
「お前がツルギと向き合うならば、何も言わぬ」
こう言いながら、ウタキが大悟の中に入っていた時。
―ガチャーン!
ベランダの窓が割れ、カーテンが大きく揺れた。
続いて「うわあああ!」という絶叫。
「蒼也の声だ!」
『ちょうどいい。入り口ができた』
ウタキの呪力を助けに大悟が二階にジャンプして、ベランダの手すりに立つ。
雅は風の呪術、葵は高い身体能力で追いつく。
見下ろすと、窓ガラスが割れ、シチュー鍋が転がっている。
ベランダはシチューとガラスにまみれて悲惨な状況だ。
室内に入ると、団子状態になっている三人がいた。
蒼也に覆いかぶさる明季子。
それを離そうとするひょろりとした細身の少年。
あれがきっと、蒼也の兄だ。
「和也、やめて! 部屋に戻って!」
明季子が叫びながら和也の手を祓おうとするが、
和也は顔を真っ赤にして蒼也の足を掴んで離さない。
「やっぱりお前が鬼か!」
大悟がツルギを抜く。
と、全員が一斉にこちらを向いた。
「お前ら……誰だ?」
「どうやって入ったの!?」
明季子と和也が同時に叫ぶ。
大悟を見る和也の目元は、蒼也とよく似ていた。
「お前、蒼也の友達か? おもちゃの刀で何やってんだ?」
「蒼也の兄ちゃんから、出ていけ」
「あなたに恨みはあらへんが、これも任務。ご覚悟願います」
大悟がツルギ、葵が忍び刀で和也を威嚇する。
和也はぐい、と大悟に近づいて言った。
「訳分かんねー事言ってないで、救急車、呼んでくれよ」
「きゅ、救急車?」
思わぬ展開だった。
「もしかして……鬼、じゃ、ないの?」
大悟の言葉に、和也が「はあ?」と首を傾げた。
「いやだって、あのお札……」
「あのドアの奴? あれは健康祈願だとかって蒼也が勝手に貼ったんだよ」
(だったら、鬼は誰なんだ?)
「和也は部屋に戻りなさいっ!」
「母さん! だって蒼也が……」
「あんたは病み上がりなんだから! お母さんが何とかするから!」
「蒼也だって病気かもしれないだろ!? 毎晩、毎晩、こんな事!」
「いいから早く!」
力づくで和也を部屋に戻そうとする明季子と、それに抵抗する和也。
二人が揉み合いを始めた時。
「やめてっ!」
ずっと黙っていた蒼也が叫んだ。
大絶叫に、全員の動きが止まる。
「喧嘩しないで! 僕なら大丈夫だから。ちゃんと頑張るから!」
ぶるぶると震えながら、蒼也は必死に笑顔を作る。
葵はハッとした。
ずっと明季子の下で見えなかったが、蒼也は、粘着テープで手を縛られている。
(さっき買ってた、テープ……?)
蒼也は、その腕を母親に差し出した。
「外れそうだよ、お母さん。もっとしっかり……巻いて。ね?」
蒼也は肩を上下させ、苦しげに息をしている。
大量の汗が顔を流れ落ち、全身が細かく震えていた。
「きゅ、救急車! スマホ取ってくる!」
和也が部屋に転がるように走る。
明季子は涙をいっぱいに溜めた目を見開いている。
「お母さん……シチュー、ごめんね……」
震えながら謝る蒼也を、大悟が助け起こす。
「おい蒼也、どこか痛いのか?」
「大悟君……ダメだよ……ここにいちゃ……ダ……」
「蒼也?」
ぽたり。
蒼也の顎から、汗が落ちる。
『来る』
ウタキが言った。
しかし大悟には、何が「来る」のか理解できない。
いや、理解したくなかった。
「だって蒼也の闇は、ツルギで祓ったんだ。だから……」
ぽたり、ぽたり。
蒼也の汗が、床に音を立てて落ちる。
水を被ったように、蒼也の全身はびっしょりだ。
「ちょっと、その服の下……何、それ?」
汗で張り付いたシャツに、黒い模様が透けて見えている。
いや、模様ではなく、文字だ。
「ああ、気持ち悪い。夜になると汗が出るんだ。臭い、汗が。暑い……暑いよ」
我慢ならない様子で、蒼也が体を掻きむしる。
粘着テープが外れた手で、シャツをビリビリと引き裂く。
上半身裸になった蒼也は、異様な姿をしていた。
体中にびっしりと、呪符が貼られている。
「これ、僕を守ってくれるお札なんだって。
公園で会った人に、もらったんだ……これがあればみんなが安全だって」
ふうふうと口で呼吸をする蒼也は、何を感じたのか、呆然と自分の体を見た。
「……違う、わ……」
「……あれ?」
突然、蒼也に貼られた呪符が一斉に燃え上がった。
しかしその炎は、見た事もないものだった。
蜃気楼のように揺らめく紫色が、呪符だけを燃やし、灰にしていく。
(なんだあの火は!?)
大悟の問いに雅が答える。
「これは炎の呪術よ。どこかで見てるのよ!」
「みんなお願い……逃げ……」
蒼也が苦しそうに、体をよじる。
「ウタキ……オレ、蒼也の闇を祓ったよな? 鬼を斬った時に、ちゃんと祓ったよな?」
『大悟、落ち着け』
ツルギで蒼也を救ったのだと、大悟は思っていたのに。
「どうして……蒼也がまた鬼になるんだよ!!」
「おおおおおぁぁああああ!!」
恐ろしい叫び声を上げた蒼也の、背中が裂けた。
亀裂が入ってメリメリと割れる。
裂け目から、袋を内側から返すように体が反転して……見えなくなった。
「……消えた?」
「いいえ……」
大悟は目を疑った。
どんなに目を凝らしても、蒼也も、鬼も、姿が見えない。
だが雅と葵は、冷静に状況を見ている。
「くそっ! どこだ……ぐふっ!」
不意に、強烈な衝撃を腹に受け、大悟は壁まで飛ばされた。
見えない拳に殴られたのだ。
呼吸ができない苦しさに目を白黒させていると、今度は頭上で僅かに空気が動く。
とっさに腕でガードして、頭への直撃を防いだ。
「どうやら、こいつは姿を見せないみたいね」
「どうなってるの! 蒼也はどこ!?」
亜希子が混乱しながら叫ぶ。
「オレ達が助けるから! おばさんは隠れてて……うごぇっ!」
今度は背中から衝撃を食らい、大悟は台所まで飛ばされる。
雅は風の呪術で攻撃を防いだが、どこまで続くかは分からない。
「如月君っ!」
明季子が悲鳴を上げた。
『私と娘達は防御に徹する。恐れず行け』
「行けって言われても……見えないのにどうすればいいんだよ」
『鬼の気配に集中しろ!』
ミシ、ミシ。
大悟に近づく足音が僅かに聞こえる。
「ここだ!」
音を頼りに、大悟は狙いを定めてツルギで突いた。
しかし、空しく空を切り、突き出した腕に、強烈な一発。
ウタキと雅の呪力による防御がなければ、骨が砕けていただろう。
「やられてばっかりだと、思うなよ」
ゆらりと大悟は立ち上がる。
鍋の蓋を盾にして、ツルギを構えた。
―ビュン!
風を切る音に反応し、大悟が鍋の蓋で攻撃を受け止める。
しかし、直後に足を払われて床に叩きつけられた。
息つく間もなく蹴飛ばされ、居間で震える明季子のもとまで吹っ飛ばされる。
「ホント、卑怯だわね」
「……そうですね」
見えない鬼に、大悟の動きは丸見えで、葵もなかなか攻撃を当てられない。
あまりに不利な戦いだった。
「なんかスマホが圏外なんだけど……え?」
ぶつぶつ言いながら戻ってきた和也が、ぐちゃぐちゃになった室内を呆然と見渡す。
「部屋に戻ってください!」
叫ぶ葵に、台所の包丁が飛んでくる。
葵は苦無で叩き落とした。
「そうか……宿主の想いって奴だ……」
大悟が思い出したのは、ウタキの言葉だ。
「鬼は宿主の魂に刻まれた感情を吸い取る。つまりこいつは……蒼也の漫画の、透明悪魔だ」
大悟の言葉に、和也がハッとした。
「『透明悪魔』?」
和也と顔を見合わせた明季子が「まさか」と口を歪める。
「蒼也は、透明悪魔の倒し方を考えてたんだ。どうやって倒すか聞いてないか?」
大悟に聞かれ、明季子は力なく首を横に振った。
「倒し方なんて……ない。考えてないのよ。だってあれは、諦めた作品だから」
「おばさん、それどういう事?」
「『透明悪魔』は、私のデビュー作になるはずだった漫画なの。
蒼也は一人で物語を考えてた……。私は諦めろって言ったのよ。
だって、そうしてくれないと、私が諦められなくなるじゃない!!」
「プロの漫画家は、あなたのこ……きゃっ!」
葵の足が、ぐん! と引っ張られた。
物凄い力で引きずられ、台所の壁に叩きつけられる。
「もうやめて!!」
明季子が叫んだ。
葵が必死で痛みに耐える中、大悟が叫びながら言う。
「蒼也は、漫画の手伝いをしてるって凄く嬉しそうだった。
おばさんの漫画が滅茶苦茶好きなんだ。だから、ちゃんと終わらせてあげてほしい。
透明悪魔を倒して、漫画を完成させて……」
びゅん! と葵に向かって食卓の椅子が飛んでくる。
ぶつかる寸前で葵が食卓の椅子を鎖鎌で絡め取った。
『こうなれば、呪力で家ごと鬼を吹き飛ばす』
ウタキが苛立つ声で言った。
(ダメだ。家を壊したくない)
『阿呆! 体がもたぬぞ!』
目覚めたときに家が無くなっていたら、蒼也と家族が苦労をする事は目に見えている。
(蒼也をこれ以上苦しめたくないんだ。オレ達が、何とかするから……)
しかし、見えない鬼を倒す方法を考える余裕など、今の大悟にはなかった。
その時。
「これって」
呟いたのは明季子だ。
ランドセルから飛び出した蒼也のノートを拾い上げる。
「あの子、諦めてなかったの……?」
パラパラとめくり、明季子は涙を落とした。
ふと、明季子の手が止まり、ノートを凝視する。
「これ……蒼也が……?」
大悟が、ふらふらと立ち上がる。
「おい、そんな体で……どうすんだよ」
和也が恐る恐る大悟に声をかける。
「諦めるわけにはいかねーよ……蒼也を、絶対に助ける。そのために、オレは来た」
大悟は、今にも倒れそうな体で、それでもツルギを構えた。
「如月君……諦めないでくれて、ありがとう。私も……」
「私達だって、負けませんよ」
明季子は唇を引き結ぶと、キッと顔を上げた。
素早く台所へと走り、戸棚からから一つの袋を掴み取る。
「……諦めない!!」
叫びながら、ぶん、と横に大きく袋を振って中身をぶちまける。
一瞬にして、空間が真っ白になった。
「おや、忍術を使いましたか!」
大悟が白い粉の正体に気づいた時、舞い飛ぶ小麦粉が、鬼を捉えた。
「見えた!」
台所の食卓、その下……うっすらと白い輪郭が浮かび上がった。
「ここだ!!」
渾身の力で、大悟は鬼をツルギで貫いた。