蒼也は漫画家の母と画家の父のもとで、幸せに暮らしていた。
しかし父の死後、母は漫画を諦め、兄は専門学校をやめて働く事になった。
蒼也は家族のために我慢し、母の漫画の物語を考える事が唯一の楽しみだった。
だが、その漫画に登場する透明な悪魔が蒼也に取り憑いてしまう。
大悟達は蒼也を救ったが、鬼の首領・酒呑童子の策略により、
大悟とウタキは離れ離れになってしまった。
水影真白は、神社の境内に佇んでいた。
酷く寒い日で、辺りには誰の姿もない。
真白は一人、木陰の地面にぐったりと伸びた鳥を見ている。
鳥は死んでいた。
(血が出ない死に方もあるんだ)
真白の知っている“死”には、たくさんの血が流れていた。
くらり、と世界が回る。
酷い眩暈に、真白は地面に手をついた。
あの日……目の前で命が失われてしまった、あの日。
あれ以来、真白は立っていられないほどの眩暈が続いている。
長く黒い髪は、まだ十一歳なのに一部が白髪に変わってしまった。
「眩暈も、髪の色も、事故を目撃した精神的ショックのせいでしょう」
医者はそう言って薬を出してくれた。
真白は薬を全て捨てた。
自分を治療する事に、何の意味も感じなかった。
ランドセルの中から本を取り出す。
この本をもらったのは半年前の誕生日だった。
「真白、誕生日おめでとー!」
あの日、弟の青葉が差し出したプレゼントは、本屋の包装紙でラッピングされていた。
「だから、呼び捨てにするなってば。真白お姉様と呼べ」
いつも通りぶっきらぼうに言う。
青葉もいつも通り気にしていない。
ニコニコとテーブルに身を乗り出してきた。
「開けてみ! これ、マジで面白い本らしい」
小学三年の青葉は姉の真白と全てが真逆の子だ。
人見知りで無愛想な真白に比べ、青葉は人懐っこくて、誰にでも好かれる愛嬌の持ち主だ。
いつもひとりぼっちの真白に対し、青葉はいつも家族や友人の中心にいる。
そしていつも、笑顔だ。
青葉は、光のような子だった。
「早く開けて」と催促され、包みを開ける。
中から出てきたのは分厚い単行本。
「……『源氏物語』」
地味な色の表紙は、教科書か参考書に見える。
「日本の最高傑作! って、ネットに書いてた」
誕生日に古典文学をもらって固まる真白。
その反応をどう勘違いしたのか、すっかりドヤ顔の青葉。
(は? いくら私が本好きだからって、流石にこんな難しい本……)
「読めるわけない」と言いそうになった時、青葉がこっそり貯金箱を開けていた事を思い出す。
(これを買うためだったのか)
どうせ「傑作 小説」などでネット検索し、トップに出てきた本を買ったのだろう。
その単純さはともかく、青葉が真白の事を考えてお小遣いをはたいた事実は、
姉として受け止めてやらねばならない。
「お、面白そう……」
かなりぎこちない、真白のお礼だった。
(このプレゼント、大人になったら笑い話にしてやるからな)
青葉を見ながらこっそりと思った。
無意識のうちに記憶を辿っていた真白は、
北風の中に生暖かい空気が混じっているのを感じて顔を上げた。
境内の隅に古井戸がある。
温度の違う風はそこから吹き上げているらしい。
近づくと、蓋として被せられている金網がずれていて、真白の手で簡単に外す事ができた。
覗き込んだ井戸の中は、深い闇だった。
不意に感じる。
(別の世界がある)
理由はなく、直感だった。
「ああ、開いてるね」
突然、高いところから声が降ってきた。
振り返ると、背の高い男の人が背後から井戸を覗き込んでいる。
長いコートを着たその人からは、とてもいい香りがした。
ここ半年の間、家の中で絶える事のない、お線香のような香り。
(でも、お線香よりも甘くて、複雑な、いい匂い)
「逢魔が時だから境界が開いたんだ」
男の人はそう言うと、真白を真っ直ぐに見る。
「君は、何がそんなに苦しいの?」
「……え?」
男の人にじっと見つめられると、何故だろう。
するすると言葉が出てきた。
気づけば、あの日、目の前で起きた事を、全て話していた。
男の人は「そう」と、頷く。
「こっちの世界にいる限り、君は苦しいんだね」
「“こっちの世界”……?」
「だから君は、あっちの世界に惹かれている。違う?」
(やっぱり、井戸の中には別の世界がある。この人はそれを知ってるんだ)
言葉が口をついて出た。
「私もあっちに行ける?」
「行けるよ。危険な場所だから、死ぬと思うけど」
言葉を噛み締めるように、真白は頷く。
男の人が言った。
「あっちの関守に会う事があれば、僕が待ってるって伝えてくれるかな」
「セキモリ?」
「烏のような格好をしている。すぐに分かるよ」
独り言のような言葉を残し、男の人は夕闇の中を歩き去った。
真白はもう一度井戸を見た。
深い闇に見つめ返された気がする。
くらり。
また世界が回って……するりと真白は闇に消えた。
「また無駄足か」
大悟はがっくりと肩を落とした。
背中に魔除けの模様が刻まれ、ウタキが大悟に入れない状態になって一週間が経っていた。
その後、酒呑童子は現れていない。
「くそ、わざわざ見附市まで捜しに来たのに」
見附市は、猿飛町から大悟が自転車を飛ばして二時間ほどの場所にある。
猿飛町とは比べものにならないほどの都会だ。
「人が集まるところには、その闇に惹かれて鬼も集まる」とウタキが言うので来てみたが、
どんなに歩いても酒呑童子の気配は見つからなかった。
今、四人は、市内にある緑ケ丘高校の屋上から街を見渡している。
屋上に人影はないが、勝手に校内に入ってしまった大悟は、
いくつも並ぶ背の高い室外機の陰に隠れるようにしてフェンス越しに立っていた。
くノ一の葵のおかげで、上手く隠れる事はできていた。
「酒呑童子ともなれば、気配を容易に隠す。地道に捜す他はない」
ウタキの言い方が酷くのんびりと聞こえ、大悟は口を尖らせる。
「いいよな、お前は呪力があるから。オレはまだ呪力が出ないんだぞ」
「呪力などなくても、お前にはツルギがある」
「そうだけど……お前が入れない状態で、あいつを相手にするんだ」
「でも大丈夫、私達がいるから」
「ウチらも戦えますから」
酒呑童子は、勾玉に込めた呪力だけで小鬼に異能を与えたのだ。
本人がどれほど強いのか、大悟には想像もつかない。
得体の知れないものほど、恐ろしいものはなかった。
「一人ではない」
「え?」
「お前も私も、一人ではない。忘れるな」
「まあ……そうなんだけどさ」
なおも自信なさげに肩を落とす大悟を、ウタキは呆れた目で見る。
しかし次の瞬間、キッとその目が険しくなった。
すぐに大悟も気づく。
「鬼の気配!?」
たくさん並ぶ大きな室外機に遮られて姿は見えないが、
間違いなく鬼がこちらに向かってくる気配が感じられた。
「この気配、酒呑童子ではない」
「別の鬼か? ……来るぞ!」
ウタキが姿勢を低くして攻撃に備え、大悟がツルギを構える。
ザッと地面を蹴る音がして、
室外機を跳び越えてきたのは……長い髪をなびかせた女子高校生だった。
(こいつが鬼!?)
動揺する大悟に、跳び上がった女子高校生が叫んだ。
「……どいて!」
その勢いに、大悟、雅、葵は思わず横に跳んで道を開けてしまった。
女子高校生はつんのめりながら着地すると、そのままフェンス沿いに走り続ける。
「鬼はこっちよ!」
雅が叫ぶと同時に、小さな影が続いて飛び込んできた。
「小鬼ですか!」
女子高校生を追ってきた小鬼に、葵が手裏剣を放つ。
それを横腹で受け、小鬼は地面に打ちつけられた。
「大悟!」
「っしゃあ!」
大悟がツルギで横に薙ぐが、小鬼が僅かに早かった。
猫のようなしなやかさで起き上がり、しつこく高校生を追う。
「くっそ! 待て!」
長い髪の女子高校生は、逃げ道を探すうちに小鬼に追いつかれてしまった。
迫る小鬼を、青い顔で睨みつける。
(あいつ、鬼が見えてる!?)
「私が押さえる」
小鬼が女子高校生に飛びかかったと同時に、ウタキが攻撃の手印を組んだ。
―バチバチッ!
小鬼の目の前で火花が爆ぜ、進路が阻まれる。
まるで電流の壁に激突したように、小鬼は無様に転がった。
そこを大悟がすかさずツルギで突く。
肉体を持たないせいか、小鬼の手応えは小さい。
しかしツルギは確実に鬼の胸を貫き、異界へと送った。
「すげえなウタキ! 呪力であんな事もできるのか!?」
「私ではない」
ウタキは大悟の後方に鋭い視線を投げる。
「え? お前じゃないなら……」
大悟もウタキと同じ方向を見た。
息を切らした女子高校生が、こちらを見ていた。
彼女の長い髪は一部が真っ白で、黒と白にはっきりと分かれている。
その下から覗く顔は青ざめ、小さく震えていた。
大悟が声をかける前に、ウタキがスッと女子高校生に近づいた。
真正面から見つめる。
「私の事も、見えているな?」
「…………」
女子高校生は、辛うじて叫び声を呑み込んだ。
「なあ、大丈夫か?」
大悟が近づくと、慌てた様子で脇をすり抜けていこうとする。
大悟は引き止めようと、手を伸ばした。
「待って! さっきのって……」
―パチン!
伸ばした大悟の指先が弾かれる。
電気が走ったような痛みに大悟が怯んだ隙に、
高校生はドアを開けて校舎の中へと逃げ込んでしまった。
「逃げられたわね。私と同じみたい……」
去っていく高校生の姿を見て、雅はそう呟くのだった。
これを読んでいた時、「あれ……? 七瀬の出番は……?」と思ったんですよね。
やっぱり……と思ったのは、読み終わった後、ですが。