大悟は、雅と同じく呪力を持つ転入生の水影真白に興味を持ち、彼女の過去を調べる。
真白は小学生の時に神隠しに遭い、異界で呪力を身に着けたと推測される。
大悟はウタキや旺太郎の助けを借りて、神隠しや呪力の秘密を解き明かそうとするのだった。
真白は、窓際の席から外を眺めていた。
この日の古文の授業は『源氏物語』。
教師のつまらない解説が続いている。
真白は昨日の出来事を思い出していた。
(あれが“鬼”だったのか。鬼が本当にいるなんて)
昨日、帰ろうとしたら廊下でじっとこちらを見ている小さなモノがいた。
初めて目にする異形の姿に立ち竦んだ時、誰かの声が聞こえた。
『逃げろ』
その声に背を押されるように真白は走り出した。
鬼はしつこく追ってきた。
転校したてで、まだ不慣れな校舎を走って逃げるうちに、真白は屋上に出てしまった。
そして、あの少年達に助けられたのだ。
(あの子達、一人は幽霊に見えた。烏みたいな格好だったけど……。
それに『逃げろ』と言ったあの声は、誰だったんだろう)
ぼんやり考えていると、
「はーい、水影さん。今から言う一文を現代語に訳してください。
“心に隈ある事、何ごとにかはべらむ”」
名前を呼ばれて、薄く笑っていた教師を見る。
突然の指名は、集中していない真白を罰する意図があるようだ。
「“心に隠し事など、何もありません”」
真白はスラスラと答える。
「……じゃあ、この“隈”の意味は?」
「暗い場所、陰の部分という意味です」
即答された教師の目には、苛立ちがこもっていた。
「分かりません」と口ごもってほしかったのだろうが、
生憎真白は源氏物語を隅々まで読み尽くしている。
これが第十九帖、「薄雲」の一節である事も分かっていた。
二人のやり取りを、クスクス笑いで見ている生徒が数人、目についた。
「何あれ。強気か」
「無敵なんだよ。だってあの子、アレだから」
そんな囁き声が聞こえてくる。
真白が神隠しにあった事、真白の周りで奇妙な事件が起きて怪我人が出た事。
これが真白の転校の理由だった。
誰にも話していないのに、転入して二週間後には、もうクラス全員が知っていた。
教師がようやく真白から離れ、黒板に戻る。
「……!?」
真白はギョッとして目を見張った。
教師の背中に、異形の者がしがみついていたのだ。
「鬼!?」
真白が叫ぶのと、天井の蛍光灯が破裂したのは同時だった。
パン、という音に驚いて真白は体を竦める。
真白の真上にあった蛍光灯が、粉々に砕けてガラスの雨を降らせる。
破片を浴びた数人が「刺さった!」「痛い!」と悲鳴を上げ、教室が騒然となった。
真白も慌てて立ち上がり、気づく。
真白の髪にも制服にも、ガラスはない。
破片が散乱した床は、真白の周りだけ拭き取ったように綺麗だった。
ガラスは明らかに真白だけを避けて落ちている。
(またやってしまった。驚いたせいで、力が勝手に出たんだ)
青くなる真白は、隣の席で呆然とする女子と目が合った。
頭から無数のガラスを浴びたその子の頬には、一筋の血が滲んでいる。
「やっぱり、あんた……バケモノ」
恐ろしいものを見る目で、真白を見ていた。
見渡せば、教室の全員が同じ目で真白を見ている。
既に小鬼の姿はない。
また他人を傷つけてしまったという事実だけが、真白に残る。
針のような視線を浴びながら真白は椅子に座った。
俯き、長い髪で顔を隠す。
(私がいる限り、誰かが傷つき続ける。私が……傷つける)
「大丈夫だった? 今のマジびびったね!」
すぐ傍で朗らかな声がして、ひょい、と顔を覗き込まれた。
赤嶺海斗は、皆に「カイト」と呼ばれている男子で、いつも友人に囲まれている。
「水影さんにも、ガラスが飛んだんじゃない?」
海斗が真白の肩に手を伸ばした。
「痛っ!」
パチンと弾ける音がして、海斗が手を引っ込めた。
「ごめん」
真白はとっさに謝る。
誰かが真白に触れようとすると、必ず静電気が起きてしまうのだ。
「私、静電気が起こりやすいから。近づかない……で」
言いながら、海斗を凝視する。
「ん? どしたの?」
首を傾げる海斗の両肩、そして頭の上。
確かに、三体の小鬼が載っているのだ。
「カイト、自習室に移動だって。行こ」
女子の一人が来て、海斗を引っ張っていく。
明らかに、誰も小鬼に気がついていない――見えていないのだ。
「待っ……」
呼びかける声を、真白は慌てて飲み込んだ。
(あの人が鬼に狙われてるとしても……私には、何もできない)
皆が見えていないものを説明する事はできない。
傷つけずに誰かと関わる事は、もっとできない。
何も見ないようにして、真白は俯き続けた。
その真白に変化の予兆が訪れたのは、放課後だ。
「いたいた! おい!」
校門で、自転車に跨った少年と、着物を着た二人の女性が手を振っていた。
よく見れば、昨日、真白を助けてくれた子だ。
「話があるんだ」
生真面目な顔をして言った少年は泥だらけで、頭に葉っぱをつけていて、
その頭上に浮かんでいる烏面の幽霊は不機嫌そうに真白を見下ろしている。
さらに、女性の着物は、時代に合っていない。
(この四人、奇妙すぎる)
相手にしたくない、というのが正直な気持ちだ。
無視して素通りしようと一瞬思ったが、結局、こう言った。
「……ついてきて」
助けてもらった恩がある。
話を聞くぐらいは付き合おうと思った。
大悟と名乗る少年と、雅と葵と名乗る女性を、
真白は駅前のハンバーガーショップに連れて行った。
雅はチーズバーガーと苺パフェを、葵はポテトをサラダにして野菜バーガーを食べていた。
彼らが始めた話は、真白が予想もしなかった内容だった。
「関守の一族」とか「鬼が人の闇に取り憑く」とか「異界」とか「妖怪」とか。
あまりに現実離れしている。
全てこの子達の作り話ではないかと疑い始めた時。
「呪力の出し方、教えてくれ」
真剣な顔で大悟が言った。
まるで真白に“呪力”があるような言い方だ。
「“呪力”?」
「おふぁふぇ、ほっへーふぁん」
「飲み込んでから喋って」
目いっぱい口に押し込んだポテトを、大悟がぐびりと飲み下す。
「だからぁ。お前、持ってるじゃん、呪力」
「私が?」
「うん。あの時、火花を出して小鬼を弾き飛ばしただろ?」
「あれが……呪力だって言うの?」
真白は首を傾げた。
力の名前など考えた事もない。
「あら、自分の力が分からないなんて」
「自分の、なんて思った事ない」
「なんで?」
「コントロールできないから」
「小鬼を撃退したじゃない」
「あれはたまたま。怒ったり驚いたりした時に出るだけだから」
「勝手に出るって事? どんな感じで?」
「悪口を言われて教室を燃やしかけたり。髪を引っ張った子に火花を飛ばしたり」
「ピンチに強いとか、最高かよ!」
目をきらきらさせて自分を見つめる大悟に真白は戸惑う。
そんな大悟を、雅がフォローする。
「いや、私にとっては最低だって話」
「英雄気質なのよね、あの人は」
「……なんか、君達と話すと調子が狂うな」
自分の事を他人に話すなど、真白らしくない事だった。
しかし大悟には、不思議と話してしまう。
これまで話題にすらできなかった「呪力」を話せる相手だからだろうか。
「私にとっては有り難くない力なんだよ。このせいで転校ばかり。なんでこんな力が……」
「神隠しに遭うと呪力がつくんだってさ。だろ?」
大悟は斜め上に浮かぶ烏面の少年に小声で聞いた。
少年は頷き返すとようやく喋った。
「異界に渡ったという事であれば、そうだ」
「幽霊が会話してる……」
真白が呟くと、何が気に入らないのか、お面の下から物凄い目で睨まれた。
「あの人は、幽霊って呼ばれるのを嫌うみたいよ」
「それで、神隠しの時の事は覚えてる?」
雅が割って入り、真白は首を振る。
「何も覚えてない。気がついたら警察に保護されてた」
「やっぱり覚えてないのね」
幽霊の少年は真白との会話に興味を失ったらしい。
ゆらりと店内キッチンの方へ向かうと、ハンバーガーを作る店員を興味深そうに見学し始めた。
「それで? 私が神隠しにあった事、どうして知ってるの?」
「その、ネットで見たんだ。……悪気はなかったんだけどさ」
「どうせロクな事書いてないでしょ」
真白に見透かされ、大悟は言葉に詰まった。
「いや、その……」
「いいよ、慣れてる」
真白は暗く笑う。
「ネットっていいよね。匿名だから」
「へ?」
「誰が言ったのか、私には分からない。だから私の力が向かう事もない。
……誰も、傷つけなくて済む」
大悟が険しい顔でカップに残った氷を口に放り込み、ガリガリと噛み砕いた。
「何言ってんだよ、真白が傷ついてるだろ?」
思わず、大悟の顔を見つめる。
「なんだ? びっくりした顔して」
「……別に」
真白は慌てて俯き、顔を隠す。
俯く姿勢は、真白の生きる姿そのものだ。
俯き、長い髪で自分と世界を遮断する。
誰も傷つけないために、最初から誰にも関わらない。
誰かが離れていく悲しみを味わいたくなければ、最初から一人でいればいいだけだった。
実際、こんな真白に誰も関わろうとはしなかったのだ。
なのに、この少年達は真白が作る壁を軽々と突き抜けて、最短距離で心に飛び込んでくる。
(ほんと、調子狂う)
「な、オレ達と一緒に練習しようぜ」
「練習? 何の事」
拒絶が伝わるように、真白はわざと強い口調で返した。
しかし、大悟、雅、葵はケロリとしている。
「呪力の練習。今は嫌な力かもしれないけど、コントロールできれば凄い武器になる」
「こっちは、こんな力いらないって言ってるの」
「そういう意味じゃないのよ。
嫌だから見ないようにするんじゃなくて、嫌なら変えていこうって大悟は言ってるわ」
「……生意気だな」
カチンときた真白は、子供と女性を相手につい苛立った声を出してしまった。
しかし大悟は気にする事もなく、「だってさぁ」と腕を組んだ。
「呪力があって鬼が見えるって事は、鬼をやっつけられるって事だぞ?
自分の力で誰かを守れるって、凄くねえ?」
真白は呆気に取られて目の前の少年を見つめる。
「誰かを……守る? 私が?」
「そ! オレ達と一緒に鬼退治しようぜ!」
ウキウキとスマホを操作し、大悟はこちらに渡してきた。
「はい。ID入れて」
「は? なんで」
差し出されたメールアプリの画面には、『真白』と入力されている。
「…………」
表示をしばらく見つめ、真白はふっと脱力した。
年下から「真白」と呼び捨てにされる事は嫌いではない。
その事を思い出したのだ。
スマホにIDを入力し、黙って大悟に返す。
「さんきゅー。て、なんだコレ? “真白お姉様”? 勝手に変えるなよ!」
「生意気なんだよ」
真白はトレーを持って立ち上がった。