如月大悟と野々村類は、夏休みの旅行資金を稼ぐために森でオオクワガタを探していた。
しかし、大悟は森で奇妙な音を聞き、その音が彼にしか聞こえない事に気づく。
大悟が森の奥深くに進むと、神秘的な世界に迷い込む。
そこで大悟は、人間の三倍の大きさを持つ一つ目の鬼に出会った。
鬼は大悟の体を奪おうとするが、何者か大悟を解放するのだった。
―ドン!!
一つ目が素早く飛び退くとほぼ同時に、地面を揺らす衝撃と激しい風が巻き起こる。
吹き飛ばされた大悟は、背中を打って地面に転がった。
「痛え……っ」
大悟の呼吸がようやく戻る。
見れば、一つ目の模様が体から消えて解放されていた。
先程まで大悟達が立っていた場所には大きな穴。
砲撃を受けたように抉れている。
「任務は迅速に」
そこに、羽音を立てて大きな黒い鳥と女性が舞い降りた。
「でかいカラス!?」
巨大な烏は、這いつくばる大悟を庇うようにして、一つ目の前に立つ。
「この人間には手を出すな」
(カラスが喋った!?)
烏は肩越しに小さく振り返りじろりと大悟を見る。
「一人か?」
その時、一つ目が大きく口を開き、何かを吐き出した。
空気の塊が飛んできて衝撃が襲う。
烏はその場を動かず両の翼を広げて大悟の盾になった。
衝撃による風に煽られる翼の下に見えたのは、人間の手足だ。
(人間の、子供?)
よく見れば、鳥の顔は木彫りのお面で、翼だと思ったものは鳥の羽根を編み込んだ蓑。
鳥の装束を纏った人間だったのだ。
面の下から覗く口元は意外に幼く、大悟よりもやや年上だろうか。
腕には肩から拳にかけて、奇妙な模様が描かれていた。
衝撃が止むと、すぐに烏面の少年は反撃に出た。
左右の親指を絡ませ、広げた掌を一つ目に向ける。
掌の周りで空気がゆらりと揺れて、塊になるのが大悟には見えた。
その直後、その塊が衝撃波となって、一つ目に放たれる。
―ドン!
と、また地面に穴が開く。
かわした一つ目は素早く飛び上がり、大木の枝の中に身を隠した。
あの巨体から考えると信じられない身軽さだ。
少年が一つ目の攻撃に備え、ジリジリと後退しながら言う。
「関守石の向こうに戻れ」
「関守石? 守りの大岩の事……」
大悟が聞く前に、枝の中から一つ目が現れ、再び口を開けて衝撃波を吐き出した。
今度は続けざまだ。
―ドン! ドン! ドン!
地響きが続く。
大悟は少年に守られているが、まともに受ける少年はダメージが大きい。
ぐらりと体が傾き、地面に手をついた。
「おい、大丈夫か? オレに……オレにできる事はあるか?」
大悟の申し出が意外だったのか少年は一瞬黙り、それから口を歪めるように笑った。
「今のお前にできる事は、もう二度とここに来ない事だ」
そう言うと大悟に背を向ける。
「待てよ、怪我してるんだろ?」
少年の腕を掴んだ……つもりだった。
しかし、その手は少年の体を通過して宙を泳ぐ。
「まさか……お前も鬼なのか」
青ざめる大悟を、少年は烏面の下から黙って見た。
「帰れ」
短く言うと背を向ける。
そして一つ目に向かって、よろよろと歩み寄った。
「そろそろケリをつけよう。お前が人界に出ていく事は許されない」
少年が左手と右手の指を組んだ時、一つ目がハッと身じろぎをした。
その時。
「大悟、そこにいるの?」
不意に聞こえた類の声に、大悟はあっと思った。
類がこちらにやってきたのだ。
気が逸れたのは大悟だけではなく、少年も同じだった。
少年が見せた一瞬の隙を、一つ目が突いた。
「モウいっぴき イタ!」
嬉しそうに地面を蹴って飛び上がると、少年と大悟の頭上を越えて類の前に降り立つ。
「なんか気持ち悪い。大悟、どこ?」
類は、自分の目の前に立ち塞がっている一つ目を気にもせず、きょろきょろと見回している。
(まさか、見えていないのか?)
一つ目が類の顔を覗き込む。
すると類は、その視線に捕まったように、一つ目を見つめ返した。
「目を見るな!」
少年が叫び、先程と同じように左右の親指を絡ませ、両掌を広げた。
(攻撃するのか?)
大悟はとっさに前に飛び出した。
「やめろ! 類に当たるだろ!」
「阿呆! どけ!」
その時、類がボソリと呟いた。
「ののむら、るい」
「モ~ラッた」
途端、一つ目の姿が闇に溶けて消える。
類は、がくんと地面に崩れ落ちた。
「類!」
駆け寄ろうとする大悟を少年の腕が遮って止めた。
「もう遅い。名を取られた」
「どういう事だよ!?」
倒れた類は、すぐにゆらりと立ち上がった。
そして、場違いなほどのんびりとした声で、気持ち良さげに伸びをしたのだ。
「ああーあ」
「類?」
類は、まるで今起きたように両手を伸ばすと首をぐるぐる回す。
ゆっくりと目を開けると大悟を見た。
一つ目と同じ、赤い目で。
「やはり肉体があるというのはいいなあ!」
声は類でも、口調は全く違う。
戸惑う大悟に少年が緊張した声で言った。
「あの子供は肉体を取られた」
類は赤い目をすっと細めると、がっかりしたように呟く。
「しかしこれは……弱い。闇の心がないではないか。これではつまらん。もっと大きな闇がいい」
類は何かを探す目で、大岩の向こう……鎮守の森がある方向を見つめた。
「さっきの化け物が類の体に入ったのか!?」
まさか、と思いながら大悟は言った。
まさかそんな事があるはずはない、と。
しかし、あの赤い目は類の目ではない。
あんな言い方を類はしない。
「類から……出ていけ」
握った拳がぶるぶると震えた。
全身が総毛立ち、腹の底から怒りが噴き出す。
「出ていけぇぇええ!!」
怒りのままに飛びかかってくる大悟を見て、類の口元が歪んだ。
嘲笑っているのだ。
「愚か者が!」
少年の声がして、大悟の視界を烏の羽が遮る。
あっと思った時には、少年の放った衝撃波に弾き飛ばされ、もんどりうって転がっていた。
「何すんだよ!」
大悟が体を起こすと目の前には少年が倒れていた。
その体には先程大悟を襲った一つ目の模様がぐるぐると巻きつき、
体に火傷のような傷を作っている。
肌からは煙が上がり焦げ臭い臭いが鼻をついた。
「おい! 大丈夫か!?」
「ははは、闇が小さくともやはり肉体があると違う。
これまで散々私を追い詰めたお前を、たった一撃で仕留めたわ」
「くそっ!」
大悟は手元の石を拾い、素早く類に投げる。
これで類が目を覚ましてくれたらという僅かな希望を託して投げた石だった。
しかし石は、類の手前で見えない壁に弾かれ地面に落ちる。
視線を上げると、なんと類がすぐ目の前に立っていた。
(速い!)
思った瞬間、大悟は類の拳に胸ぐらを掴まれ、高々と持ち上げられる。
「ははは! 触れる! 触れるぞ! 実体があるというのは実にいいものだな!
おい子供、道を開けてくれたばかりかこの人間まで連れてきてくれるとは……。礼を言うぞ」
はしゃぐようにそう言うと、大悟をゴミのように放り投げた。
痛みに呻く大悟の横で、少年が苦しげに顔を持ち上げる。
「あちらへは……行かさぬ」
ハハッと類の声で一つ目が笑った。
「魂だけのお前では、肉体を得た私に勝てん。人界に入る私を、そこから見ていればいいのだ。
ああ、楽しみだ。実に楽しみで愉快だ」
類はゆうゆうと肩で風を切って岩に向かって歩いていく。
大悟は、這いつくばって少年に近づいた。
「おい、どうするんだ……どうすればいいんだよ!」
「肉体を得た鬼を、今の私一人で倒す事はできん」
「なんだそれ? 類はどうなるんだよ!」
「肉体を鬼に支配され、やがて魂は鬼に呑み込まれる。つまりあいつは……鬼になる」
想像もしなかった事態に、大悟は絶句した。
「異界の住人である鬼は魂と呪力だけの存在。肉体は持たない。
しかし人の体に取り憑き、実体を得る事で呪力も知力も増幅するのだ」
類が大岩を越えていく。
その姿は霧に入ったように霞み、消えてしまった。
「……逃げられたみたいですね」
女性はそう呟くのだった。