大悟は、祖父の仁次郎から鬼と戦う者、使い手の存在を教えられる夢を見る。
目覚めると、友人の類がいなくなっており、大悟と少女は彼を探し始める。
その後、旺太郎が現れ、突然奇妙な言動を示し始める。
旺太郎は大悟に嫉妬し、その隙を突かれ鬼に取り憑かれてしまった。
少女は鬼と戦うが、大悟は旺太郎を攻撃できず、
彼が鬼に完全に取り込まれるのを見守るしかなかった。
鬼は少女の手足をもぎ取ろうとし、大悟は烏面の少年に助けを求めるしかなかった。
―ミシッ、ミシミシッ。
また屋根裏から音がした。
「うん?」
赤鬼も音に気づいて頭上を見る。
その時、天井が下に大きく膨らみ、激しい音を立てて崩落した。
赤鬼は素早く逃げたが、少女と大悟は天井板諸共床に叩きつけられる。
板が薄くて軽かったのは不幸中の幸いだった。
「ほう、ここまで呪力が回復していたとは」
天井を突き破った張本人が暢気に言う。
烏面の少年だった。
鬼の顔に初めて恐怖が浮かぶ。
「お前! 人界に来ていたの……」
最後まで言わせず、少年は呪力の衝撃波を放って赤鬼を壁まで吹き飛ばす。
「お前如きがこの肉体を傷つける事は許さぬ」
「ちょっと……だったら、あなたが……」
少女が息も絶え絶えに言うと、少年はようやく板の下敷きになっている大悟と少女に気づいた。
「なんだ、ここにいたのか」
少年が手を動かすと、天井板は浮かび上がり、びゅんと飛んで赤鬼を壁に押し付けた。
「ぐぇぇっ!」
「う……はぁ」
壁と板に挟まれた赤鬼は、情けなく板の下でジタバタと手足を動かした。
「お前、起きてたのか!? どこ行ってたんだよ!」
ようやく自由になった体を起こし、大悟は思い切り少年を睨む。
「あの巻き毛の小僧なら無事だ。
鬼の気配を感じたから、あいつが手水場に立った時に私が作った結界に閉じ込めておいた。
うろちょろされると気が散る」
「手水場って、トイレか?」
「今頃、廊下を只管歩いているだろう」
「でもあいつ、類を……」
鬼の口から落ちた指を思い出し、大悟は言葉を飲み込んだ。
少年が切り捨てる。
「阿呆。お前はあの娘の言う通り、幻を見せられたのだ。子供騙しの術に騙されるなど情けない」
「ま、幻……? そうか、よかった……いや、よくねえ! なんか腹立ってきた!」
「鬼を捜すうち、この家に張りめぐらされた結界にはまってしまったのだ」
屋根裏の梁にはお札が貼られていて、同じようなものが家のあちこちにある。
少年の言う魔除けとはあれの事なのだろう。
「派手に壊しやがって! 父ちゃんやばあちゃんになんて言えばいいんだよ」
抜け落ちた天井に大悟が頭を抱えると、少年が不貞腐れて言った。
「私は物に触れる事ができぬ。呪力で吹き飛ばすしかなかった」
板の下にいる鬼が旺太郎の声で「おーい」と呼ぶ。
「大悟君、ボクだよ。出してくれないかな? 苦しいんだ」
声だけでなく、こちらに振る手まで旺太郎のものに戻っている。
大悟は思わず助け出したくなるが、あれは鬼が見せている幻なのだと踏みとどまる。
「仁次郎の言葉、私も聞いた」
少年が唐突に言った。
「オレが見た仁じいちゃんの夢、お前も見たのか」
「互いの思考が眠っている間に重なったのだろう。
仁次郎はお前が使い手になる事を考え、ツルギについて重要な事をしっかり伝えていた」
―使い手は鬼をやっつけるんじゃない。元の世界に帰してあげるんだ。
仁次郎の声が胸に蘇り、大悟はツルギを抜く。
青白く光る刀身は、大悟の手の中でいっそう光を強くしたように見えた。
「旺太郎を助けてやってくれ」
大悟が言うと少年がすっと消えた。
大悟の体がふわりと温かくなり、ゾワッと鳥肌が立つ。
「うへ、この感じまだ慣れない」
頭に少年の声が響いた。
『今は私がお前の体でツルギを使う。私の動きにお前の心を合わせろ』
「やってみる」
『決して目を閉じるな。ツルギとお前は一体だ。お前が迷えばツルギも迷う』
「無理言うな! 刺せば誰だって痛いんだよ。相手が鬼だからって簡単に刺せるか!」
少女が小さく笑った。
「……だから、私がついているっていうのに」
「はあ?」
『いくぞ』
ツルギを握った大悟の体が床を蹴って走り出す。
少女はその後ろから、呪文を詠唱する。
壁に貼り付けた板ごと赤鬼を突き刺すのかと思ったら、
少女は手をかざして、爪を隠し持つ霧の刃で板を剥がした。
目の前に現れた旺太郎の姿に、あっと思った時には……。
―ドン!
ツルギは旺太郎の体を貫通し、背後の壁に深々と刺さっていた。
「……う、がっ」
喉を詰まらせた声で旺太郎が唸る。
大悟は狼狽えるが、ツルギを引き抜くわけにはいかない。
一つ目の時にはここで引き抜いて逃がしてしまったのだから。
(早く、終わってくれ!)
祈るように思った直後。
どろり、と腕を這うものがあった。
「なんだこれ!?」
ツルギを握る腕に、無数の黒い触手のようなものが這い上がってきたのだ。
旺太郎の体から出たそれはツルギを伝い、恐ろしい速さで大悟の体を包み込んでいく。
「何にも見えねえ!」
大悟の視界が真っ黒に塗り潰された時──
「僕はどうなるの?」
またあの声が聞こえた。
不安と怒りのこもった、少年の声。
そして大悟の目は、闇の中に立つ背の高い少年を見つけた。
少年は中学校の制服を着ていた。
シャツは一番上のボタンまで留めてあり、とても行儀が良さそうだ。
くるりと視点が回転し大悟は旺太郎の中に入った。
旺太郎が見る世界を大悟も見ている。
「お父さん、全国テストの結果。言われた通り十位に入ったよ」
旺太郎が声をかけたのはスーツ姿の男性。
綺麗に片づけられた自宅で、旺太郎に背を向けて電話をかけている。
「生きる人全てが安全、安心して暮らせる事! これが我らの使命ですよ!」
旺太郎の父が熱弁しているのは、政治家としての目標だろうか。
「お父さんには大事な使命があるんだもんね。頑張ってね」
旺太郎は自分を押し殺して、父が喜ぶ言葉を言う。
振り向いてほしいから、見てほしいから。
強烈な寂しさが大悟に伝わり、大悟は胸が塞がるようだった。
次の瞬間、場面が変わって目の前に緑が広がる。
夏の山々、流れる川。
大悟がよく知る景色、猿飛町だ。
「よく来たね」
目線の高さを合わせて笑うのは、白髪頭の老人だった。
日に焼けた顔と、「麹屋如月」と染め抜かれた前掛け。
間違いなく、祖父の仁次郎だ。
笑顔を向けられた旺太郎は、嬉しくて鼻がツンとする。
慌てて「お世話になります」と頭を下げた。
「やあ! とお!」
庭で跳ね回っているのは、木刀を持つ眉毛の太い少年だ。
猿のようにすばしこい。
まだ幼稚園に通う大悟だった。
「いたた! 参った! 大悟は強いなあ! 使い手に選ばれるかもしれんぞ」
大袈裟に転がった仁次郎が顔を綻ばせる。
「ツカイテ?」
「鬼と戦うツルギを使う人の事だ。関守の家から一人だけしか選ばれない」
仁次郎が大悟を抱き上げる。
大悟はすっぽりと腕の中に収まった。
それを見た旺太郎の胸がカッと熱くなる。
何気なく見せられた愛情がどうしようもなく羨ましい。
あの少年が当たり前に受け継いだ関守の血筋が、妬ましくて仕方がない。
「僕はどうなるの?」
言った途端、しまったと旺太郎は口を閉じる。
思った事がつい声に出てしまった。
意味が分からずきょとんとする幼い大悟、そして仁次郎は申し訳なさそうに眉を下げている。
「旺太郎君は、旺太郎君だよ」
仁次郎はそう言って大きな手を肩に置いてくれた。
しかし、孤独と悔しさは、固く冷たい闇となって旺太郎の心に根を張った。
『……ご! ……大悟! 戻ってこい!』
大悟を引き戻したのは少年の声だった。
沼の中から引き上げられたように光を感じる。
『闇に引きずられるな!』
大悟は目を強く瞬いて、今見た光景を振り払う。
開けた目に見えたものは、鬼の中からずるりと抜け落ちる旺太郎だった。
ツルギは確かに貫通して壁に刺さったままなのに、旺太郎だけが床に横たわる。
「え、なんで?」
『よく見ろ』
「ちゃんと、鬼だけを消し去ったでしょ?」
貫かれて動けずにいるのは赤い鬼。
ツルギは旺太郎の中の鬼だけを刺したのだ。
刺したところから青白い炎が上がり、赤鬼の体に広がっていく。
赤鬼は自分の手で引き抜こうとツルギを触るが、その手も炎に包まれた。
みるみるうちに全身を炎に飲み込まれ、鬼は跡形もなく消えてしまった。
残された旺太郎は傷一つなく、寝息を立てて眠っている。
いつもの旺太郎の姿だ。
「き、消えた」
「どうやら、鬼が元々生きる場所、異界に帰ったみたいね」
「兄ちゃんの記憶が……心が、見えた」
『鬼を祓う事は、その人間が心に持つ闇を祓う事。
闇の正体が明かされた時、人は鬼と闇から解放される』
「じゃあ、誰かから鬼を剝がすたびに、オレはその人の心を……闇を見るって事か」
『そういう事だ』
「つまり、鬼は人の心の闇に取り憑く存在……ってわけね。この人の場合は、嫉妬か」
『今の鬼はお前が注連縄を切った時に出てきた別の鬼だろう。比較的小物でよかった』
「小物? あれで?」
大悟は鼻で笑った。
悪い冗談にしか思えない。
大悟の手はまだ恐怖で震えているのだ。
旺太郎の闇を見たせいで気持ちも暗く沈んでいる。
固く握った手を広げ、ツルギを無造作に床に落とし、金属音が響いた。
「もう、ギブ。ギブアップ。意味分かる? オレには無理」
「馬鹿じゃないの? だとしたら、あなたは困っている人を見捨てたいってわけ?
じゃあ私が、代わりに鬼退治をしてもいい?」
「……頼む」
大悟が少女にツルギを渡すと、ツルギを炎が包み、慌てて少女はツルギを返す。
「あちち……持ち主以外がこれを持ったら拒絶するみたいね。
私は風の呪術は使えるけどそれっきり。ツルギを使えるのは、あなたしかいないのよ」
「……」
少女はこのツルギを扱えない事を知り、大悟は仕方なく、ツルギを握り直した。
「でも、どうして鬼が出てきたんだ?」
「発端は、関守石を破壊された事だ」
「誰が壊したんだ」
「分からぬ」
「分からぬって、犯人の目星もついてないわけ?」
「そうだ」
「勘弁してくれよ」
大悟はわしわしと頭をかいた。
「破壊されたせいで関守石の力は弱まり、境界が揺らぎ始めた。
それに気づいた鬼どもが集まり、境界を越えて人界に出ようとしていたのだ。
私は阻止するために尽力していたが……。人界で注連縄が切られ、ついに境界に穴が開いた」
少女は無言で大悟を見つめる。
「切ったのは、オレだ……。でも、オレは一つ目に騙されたんだ。やりたくてやったんじゃない」
「お前がやらなくても誰かが鬼に誘われて切らされていただろう」
大悟をフォローしてくれたのだろうか。
ちらりと見るが、少年と少女の表情に変化はない。
「鬼と戦ってるって事は、お前ら、関守なのか?」
「んー、私は関守じゃないけど、こいつもまた、関守よ。
ただし鬼の世、異界から境界を守る関守だけど」
「オレは人の世の関守?」
「そういう事だ」
「じゃ、お前も使い手なの? ツルギを持ってないみたいだけど?」
「私は使い手ではない」
「私もよ。私の武器は風の呪術なんだから。……さあ、鬼退治をするわよっ」
少女が張り切ると、階段がガタガタと揺れて、類の顔がにょきっと出てきた。
「よかった! 辿り着けた!
信じられないと思うけど、僕、今まで家の中で迷子になってたんだよ!?
めちゃくちゃ怖かった……って、旺太郎さんどうしたの?
この天井、一体どういう事!?」
目の前の事態についていけず、類は一人で淡淡としている。
「いや、その、でかいタヌキが屋根裏から出てきてさ。兄ちゃんをノックアウトしたんだ」
苦しい言い訳をした時、玄関を開ける音が聞こえた。
「やべ! 父さん帰ってきた! 類、天井のこと説明してくれ!
お前が言えば大人は納得するから!」
「詐欺師みたいに言わないでよ。僕はでかいタヌキなんて見てないし」
「とりあえず兄ちゃんの足持ってくれ! オレの部屋に入れよう!」
「何だか死体を隠す犯罪者みたいだね」
「そうね」
類にはすぐ傍の烏面の少年が見えていないようだ。
「ねえ、知ってた? 遺体の第一発見者が殺人犯の確率は凄く高くて……」
「分かったから! 頼むよ類!」
旺太郎を引きずる大悟の横で、少年が我関せずといった顔でふわふわと浮かんでいた。
少女は、くすくすと笑っているが、その表情から徐々に笑顔が消えていく。
いつも笑顔でいる人でも心の中には闇がある。
それが一体どんなもので誰に向かう闇なのか、それは本人にしか分からない。
いや、ひょっとしたら本人すら分かっていないのかもしれない。
大岩の注連縄を切った時に大悟が見た鬼の影は、一体いくつあっただろう。
あの全てをツルギで斬るとして、同じ数だけ人の闇を見る事になるのだ。
「マジで勘弁してくれよ」
大悟は暗澹たる思いだった。