大悟が烏面の少年に助けを求めると、突如、屋根裏から彼が現れ、赤鬼と戦闘を始める。
少年は赤鬼を壁に吹き飛ばし、その後、大悟と少女に気づく。
大悟は少年に怒り、少年は大悟が使い手である事を明らかにする。
その後、大悟はツルギで赤鬼を攻撃し、赤鬼は消える。
だが、大悟は旺太郎の記憶と心を見る事になり、彼は混乱する。
そして、大悟は関守として、自分の役割と向き合うのだった。
「ぎゃぁぁああああ!」
断末魔の悲鳴に、村山七瀬はゾッと身を竦めて膝の猫を抱きしめた。
タブレットで見ているのは『本当は怖い血塗られた日本昔ばなし』。
クラスで流行っている動画で、
七瀬が見ているのは化け物の生贄になった少女が引き裂かれる場面だった。
「次は誰に白羽の矢を立てようか……」
口から血を滴らせ、化け物がニヤリと笑って動画は終わる。
「白羽の矢が立つと、化け物の生贄にされるんだ……」
単なる昔話と分かってはいても、ホラー映画さながらの動画には、妙に現実味があった。
「お父さん達、まだ帰ってこないね」
見上げる時計はもう夜十一時を過ぎている。
七瀬の両親は、猿飛町で洋菓子店『七つ風』を開いている。
神戸で修業をした七瀬の父親が作るケーキは、おしゃれで美味しいと評判だ。
配達の注文も多く、今夜も夕食後に慌ただしく出て行った。
しかし、流石に遅すぎるため、七瀬は心配になってきた。
「最近、お父さんとお母さん変なんだよね。
お店にいくつも防犯カメラをつけるし怖い顔でずっとネットを見てるし……どうしたんだろう」
猫は欠伸混じりに「なあ」と答える。
年を取った猫、独特の低い声だ。
暖かな猫の体温に、七瀬も大きな欠伸が出た。
いつの間にか寝てしまった七瀬を起こしたのは、何かがぶつかるような物音だった。
「今の音、何?」
音がしたのは窓の外だ。
窓を開けると空は藍色で、夜明けが近い。
「うわ、何だろう。臭い」
七瀬はどこからか漂う生臭い臭いに顔をしかめた。
それから、窓の傍を見てぎょっとする。
壁に突き刺さったものがあった。
それは、ほの白く光る一本の矢。
「白羽の……矢?」
動画で見た、化け物に引き裂かれた少女が脳裏に蘇る。
―ギィ
窓から顔を出す七瀬は、背後で部屋のドアが開いた事に気がつかなかった。
「おい」
大悟は低い声で繰り返す。
もう五回目の「おい」だった。
「おい、お前」
それでも返事をしないのは、烏面の少年だ。
床に置いた大悟のスマホの前にでんでんと座り、画面を凝視したまま動かない。
「お前だよ、ロン毛幽霊! どうせ触れないんだから、いい加減に……」
言いながら、大悟はじりっと近づく。
「返せ!」
大悟は、サッとスマホを取って、ポケットにしまった。
「何をする!」
「ようやく返事したな。スマホばっかり眺めやがって!」
旺太郎が赤鬼に取り憑かれた事件から、一週間ほどが経った。
鬼を剝がすツルギは人の心の闇も取り除く。
その後の旺太郎は溌剌として、ますます輝く笑顔を町中に振り撒いている。
「長い事会っていなかった父に、何となく電話してみたんだ。そしたら僕の研究の事を知りたいって言うものだから」
父親との蟠りも解けたようで、はにかみながらそう言って、昨日から東京に里帰り中だ。
町に鬼の気配は感じられず、それらしい事件も起こっていない。
連日連夜、鬼の出現にびくびくしていた大悟だったので、これには心底ホッとしていた。
が、しかし、烏面の少年は全く静かではない。
人の世にある技術全てを珍しがり、
「あれはなんだ」「これはどういう事だ」と大悟に五月蠅く聞いてくる。
少年が一番驚いたのがスマホだった。
スマホを操作する大悟にべったりとくっついて離れず、熱心に勉強している。
大悟にとっては邪魔で仕方ない。
「斯様な呪術、初めてだぞ」
「呪術じゃなくて技術なの!」
「スマホをこちらに渡せ。もっと会得したい!」
「い、や、だ」
「どうあっても渡さぬか」
少年が左右の親指を組み、両掌を開く。
手元の空気が揺らめき、塊になる。
「待て待て! 天井だってまだ修理してないんだ! これ以上ウチを壊すな!」
「聞く耳、持たぬ!」
―どん!
容赦無く呪力が放たれる。
大悟は壁に叩きつけられ、手からスマホが転げ落ちた。
『あー、あー、何?』
さらに、突然大悟の頭の中に女性――雅の声が響き渡る。
「いきなり話しかけるな!」
『だってそんなに騒いでたら、首を突っ込みたくなるのも当然よ』
「……まったく」
あの少年と同じだなと思いつつも、大悟は雅の話を聞く。
『私、葵と一緒に事件が起きてないかパトロールしてるの』
『姫様、勝手にばらしてはいけません!』
『もう! こっそりやるのは性に合わないの! で、あなた、何をしてたんだっけ?』
「あの少年に勝手にスマホをいじられたんだよ!」
『えっと、スマホって?』
「どこでも通信ができる掌サイズの機便利な道具よ」
大悟と雅はテレパシーで通信を続けている。
どうやら、あの少年にスマホを奪われた事を、雅に話しているようだ。
「あいつ、珍しいからって勝手にオレのスマホを取っちゃってさー」
『仕方ないわよねー。そういう奴だもの』
そして、大悟と雅は、お互いに通信を切るのだった。
翌日。
「村山七瀬さんは欠席ね」
出欠を取っていた島田先生がポニーテールを揺らして首を傾げた。
「誰か、村山さんから何か聞いている人はいる?」
先生の質問に、七瀬と仲のいい女子が顔を見合わせて首を振る。
(なんだ? 何の連絡もなしで休んでるのか?)
規則に厳しい島田先生は、こういうイレギュラーな事態が嫌いだ。
神経質そうに眉を寄せている。
(七瀬が休みなんて、珍しいな)
大悟は自分の前にある七瀬の席を見る。
七瀬は去年転校してきた子だ。
クラスの女子で一番背が高いため、その後ろに座る大悟は黒板が見づらくて仕方ない。
「おい七瀬、屈めよ」
「大悟が椅子の上で正座すれば?」
こんなやり取りが多いせいで「二人は仲が悪い」と皆に見られている。
だが、実際はごく普通だ。
スエに言われて麴を届けに行った大悟に、七瀬がクッキーをくれた事もある。
もっとも、その場で食べて「美味い!」と言ったら、
顔を真っ赤にした七瀬に「帰って食べてよ!」と怒られてしまったが。
『心配なら、スマホで本人に聞けばよかろう』
ぼんやり考えていた事が漏れていたのだろうか、大悟の中で少年が言う。
(別に心配なんかしてねーよ。五月蠅いのがいなくてせいせいするぜ。
ていうか、スマホは学校に持ち込み禁止だから持ってきてないんだよ、残念でした)
『スマホもツルギも家に置いたままとは、無防備すぎるぞ』
(あのツルギがあると歩きにくいんだよ。ベルトに挟むとぶらぶらするし)
『歩き方がなっとらんのだ。刀を腰に差す武士を見習え』
「武士なんていねーし!」
思わず声を出してしまった大悟を、先生とクラス全員が注目する。
「如月君、大丈夫かしら?」
島田先生が眉をさらに寄せる。
「やべ! スミマセン!」
ここ数日、こんな事がしょっちゅうだ。
大悟の中にいる“ロン毛幽霊”のせいで、大声で独り言を言っているとみんなには思われている。
『はて、いつから武士がいなくなったのだ』
(ほら、これで歴史でも勉強しろ!)
自分では滅多に開く事のない社会の教科書を、机に置く。
少年は『ほほう』と大悟の手を操ってめくり始めた。
傍目には大悟が勉強しているように見えるだろう。
(ってかさ、オレの中に入る事なくない? どうせ誰にも見えないんだから)
『お前に入らねばこうして本を持つ事もできぬ。
それに……この学校の敷地は、どうも居心地が悪いのだ。
何やら結界というか……呪のようなものを感じる』
(ふうん。ものに触れられない魂だけで生きるってのも、案外不便だな)
『おい、見てみろ』
「いてっ」
少年が大悟の顔をぐいっと回した。
(オレの体を勝手に操るなってば!)
大悟が首をさすって抗議するが、少年は気にも留めない。
『窓の外だ』
そこには、茶色と白の虎猫が座ってこちらを見ている。
(猫が珍しいのか?)
『何か言うておる』
(猫の言葉が分かるのか!)
『いや、分からぬ』
大悟の肘が、ガクッと机から落ちた。
『スマホで異国の言葉を翻訳ができたな。あの猫の言葉も翻訳してみろ』
「猫の言葉が翻訳できるか!」
叫んでから、あーあと思う……またやってしまった。
「如月君……猫がどうかした?」
引きつった顔で島田先生が首を傾げる。
「すみません、窓の外に猫がいたので……」
みんなが一斉に「えー?」「ねこ?」と窓を見る。
「猫が空を飛んでいたんですか? ここは三階ですよっ!?」
(あっ!)
大悟は思わず窓に駆け寄る。
するとその猫は、いつの間にか校庭のフェンスに移動していたのだ。
こちらを見上げ、じっと大悟を見つめている。
「如月君っ! 今は授業中ですよっ!!」
島田先生の怒鳴り声と、チョークをボキッと折る音が聞こえた。
「ったく! お前のせいだからな!」
大悟は唇を尖らせて人気《ひとけ》のない校舎を出た。
放課後、島田先生のお説教をたっぷりもらってしまったのだ。
校門を出た途端、体がすうっと冷たくなる。
見上げると、少年が体から出ていた。
「どこ行くんだよ」
「この世の技術とやらを会得しにな」
「あのさ、お前はいつの時代に生まれたわけ?」
「忘れた。遥か昔だ」
「あと名前ぐらい教えろよ。呼びづらいんだよ」
「名前……だと?」
少年がピクリと止まり、大悟を見る。
冷たい笑いを浮かべていた。
「そうそう簡単に私が名前を渡すと思うか?
呪力を持つ者が名を取られる事は、力を奪われる事だ。敵対する者には決して渡さぬ」
「敵対!? オレはお前の敵か!?」
「好きに呼ぶがいい」
「だったら『ロン毛幽霊』だ」
「却下」
「おいっ!」
「私は幽霊ではない」
何が気に障ったのか、少年はそのままふいと飛んでいってしまった。
「また独り言だ」
声に驚いて振り返ると、すぐ後ろには類が立っていた。
「類! い、いつからいたんだ?」
「『オレはお前の敵か!?』って、誰が誰の敵だって?」
「あ、ははは。最近ちょっと想像力が溢れまくっててさ。心の成長期だな」
「待ってたんだよ、一緒に帰ろう」
並んで歩きながら、類は不服そうに口を尖らせている。
「大悟はここのところ絶対におかしい。オオクワガタも取らずに帰るしさ」
「だからさ、クワガタはいなかったんだってば。お前は眠りこけてたから分かんないんだよ。
日本一周は必ずやり遂げるから。また他の方法を探そうぜ」
「森に一匹もいないなんて。納得できないな」
「オレだって納得してないよ。……鬼と戦う事になるなんてさ」
不貞腐れた気持ちで大悟は呟く。
「ねえ、知ってた?」
「知らん。って何を?」
「多重人格者は、自分の中にいるもう一人の自分と会話する事もあるらしいよ。
だから独り言が増えるんだって」
類は大悟を同情の眼差しで見つめる。
「悩みがあるなら、いつでも相談に乗るからね」
「さ、さんきゅー」
(お前に鬼が憑いたなんて言えるワケねえし!)
家に帰ると、大悟はすぐに二階に上がった。
ベッドで横になりたかったのだ。
「なんか疲れる一日だった……うわあ!」
ベッドには先客が座っていた。
学校で見た、あの虎猫だ。
「入れろと言うので入れてやった」
少年がデスクの上を漂いながら言う。
充電中の大悟のスマホをまた見ている。
「猫の言葉は分からないんだろ? 適当なこと言いやがって」
猫が「なあ」と鳴いた時、スマホ画面がポンと光った。
「母さんからメールかな。あーめんどくせー」
「明らかに嬉しそうだがな」
少年を無視して大悟は画面を確認する。
大悟がスマホを買ってもらえたのは、東京の母親と連絡を取るためだ。
しかし、画面に表示されているのは見知らぬアプリだった。
「こんなアプリ、入れた覚えないけど」
開いてみると、差出人不明のメッセージが入っていた。
《てつだ え》
「はあ? 何これ? 誰?」
「なああ」
横で猫が鳴いた時、次の新規メッセージが入る。
《わたし だ》
まるで大悟の声に反応しているようだ。
薄気味悪くなって顔を上げた大悟は、バシッと、虎猫と視線が合った。
「……いや、まさかな」
「なああん なあん」
《つるぎ のけはい たどってきた おまえ のつるぎ おに たおす》
「このアプリ、猫の言葉を表示してるのか……? あっ!」
大悟は猫の横に浮かぶ少年を睨んだ。
「おい! 技術を会得とか言いやがって、さては人のスマホ勝手にいじったのか!?」
「スマホの機能に呪力を加えてみたのだが案外上手くいった。しかし改良が必要だな。
ひらがなばかりで読みづらい」
「動物と会話するアプリなんて……」
言ってから、大悟はハッとする。
「このアプリ、売れるんじゃねーか?」
「阿呆。どんな動物の声でも聞けるわけではない。この猫は特別だ」
「別に普通の猫……げっ! 尻尾が二本!?」
虎猫は見せびらかすようにぱたぱたと尻尾を振っている。
間違いなく、確かに二本だ。
「こやつは猫又だ」
「ねこまた? 猫の鬼か?」
「妖怪だ。人に飼われて長く生きた猫が稀に変化する」
「鬼の次は妖怪かよ」
「妖怪が住む世界は鬼と同じく異界だ。猫又よ、見たところお前は変化したばかりのようだな?
異界に渡りたくてツルギを頼ってきたか」
「なああん」
画面には《ちがう》と出る。
「では何用だ。わざわざ我らを騙しに来たわけでもあるまい」
「なあん なああん」
《ななせ さらわれた たすける てつだえ》
「はあ? 妖怪が、なんで七瀬の事を知ってるんだよ?」
すると猫は、いきなりゴロンとお腹を見せて寝転がった。
「今度は撫でろっていうのか? あれ、この模様……見た事ある」
ふさふさとした白い腹に、茶色い毛が模様を描いている。
まるで四角いキャラメルが二列に並んでいるようだ。
「あ……お前、七瀬のとこのメルか?
お腹にキャラメル模様があるから『メル』なんだって、七瀬が言ってた」
「猫又は飼い主の窮地を助けるとも聞くが」
「じゃあ、七瀬は本当にさらわれたのか?」
「まったく、男装も許さないなんて、日本は本当に窮屈よね。ここが羨ましいわ」
「仕方ありませんよ、日本は昔からこういう価値観ですから」
猿飛町を歩いているのは、雅と葵だった。
資料によれば江戸時代、女性の外出は手形が必要だったという。
男装という手段も、女性のような美少年を誤って呼び止めないように、
役人が警戒していたため通用しなかったという。
そんな事に雅が愚痴を吐いていると、大悟とすれ違った。
「あれ、前に鬼と戦った……女の子?」
「いつまでも名前を名乗らないのはたかがしれた事。私は雅、こっちは従者の葵よ」
「よろしくお願いします」
雅と葵はお互いに自己紹介をする。
大悟は二人が名前を名乗った事に怪訝な表情を浮かべる。
「おい、勝手に名乗っていいのか? 鬼に身体を取られるぞ」
「うふふ、昔の女は本当の名前を明かさないのよ」
合流した雅と葵と共に『七つ風』に来てみると、
まだ夕方にもならないのに、シャッターが閉まっている。
メルは塀に飛び乗ると、そこから二階の屋根に飛び移って大悟を見下ろす。
「その窓、七瀬の部屋か? って、何か壁に……」
窓の傍の壁に矢が刺さっていた。
神社でもらう破魔矢に似ているが、真っ白の羽根はぼさぼさで木の軸は荒々しく削られている。
不気味なのは、コンクリートをものともせずに突き刺さっている事だった。
「……やっぱりさらわれるのはいつだって女なのね。これは、白羽の矢よ」
雅が緊張した声で言う。
「なんだそれ?」
「説明する。白羽の矢とは、神や霊への生贄に選ばれた娘の家に立つものだ」
「神や霊? じゃ、鬼の仕業じゃないのか?」
「いや、矢からは鬼の気配を感じる」
「一つ目か!? 今度は七瀬の体を奪うつもりか?」
「あーっとね、生贄っていうのは、ええと……」
「命を捧げる供物の事だ。何らかの儀式のために命を奪われるのかもしれん。
鬼が立てたとすれば、儀式は日没後。どうする?」
「どうするって……クラスメイトを見殺しにはできないだろ。
あいつがいないと授業中に隠れて居眠りができなくなるしな」
「……」
それを聞いた少年は大悟の中に入り、大悟の体をひらりと一階の屋根にジャンプさせる。
そして、白羽の矢を壁から引き抜いた。
「あら、またやりましたね」
「いきなり入ってくんなよ!」
『静かに。僅かに気配が残っている……』
大悟の抗議を無視して、少年が意識を矢に集中させる。
すると大悟の目に、矢からたなびく煙のようなものが見えた。
線香の煙のように細く、今にもかき消えそうだ。
「これが鬼の気配か? 山に向かってる。一つ目か?」
『いや……別の鬼のようだ。気配が消える前に辿るぞ』
と、メルが葵に飛びついてきた。
「……おや、ウチの正体に気づいたみたいやね」
「なああ」
メルと共に、雅、葵、そして大悟の体は屋根から屋根へと飛んだ。