蒼水の撃ち手   作:神谷萌

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第9話

 ドサッ

「か、一美?」

 多くの生徒が悠二とシャナの追いかけっこに白けてダラダラとし始めた中、一美は自身なりのペースを保ちつつ、ゆかりがそれに併走していた。

 しかし、一美は足をもつれさせて転んでしまう。そして、すぐに立ち上がろうとすることができなかった。

 ゆかりは惰性で数歩進んでしまったところから、慌てて引き返すように一美の傍により、介抱しようと屈み込む。

「一美、大丈夫!?」

 ゆかりが、一美の背中を支えるようにしながら声をかけるが、一美は血の気の引いた顔で、苦しそうに息を継ぐばかりだった。

 近藤はそれに気付き、すぐにその場に向かってきたが、その行動は一美の様子を気遣うものではなかった。

「コラァ! 吉田ァ!! 何をサボっとるかぁ!」

 苛立っていた近藤は、一美の様子を冷静に判断しようともせず、竹刀を振り回しながら声を荒げた。

 そのただならぬ様子に、他の生徒達もそこに駆け寄ってくる。

 ゆかりが近藤をキッと睨み上げる。

「平井、なんだその目は……」

 近藤がそう言いかけた時、別の、長身の女生徒が、近藤と、ゆかりと一美の間に、割って入ってきた。

「先生、一美は普段から貧血気味なんです。あまり無理をさせないでください!」

 その女生徒、緒方(おがた)真竹(またけ)が、真剣な表情でそう言った。

「何だとぉ……」

 ── 近衛だけじゃなく、池に坂井、それに平井や緒方までもだとぉ……

 近藤は、半ば被害妄想的な考えを持ちつつ、頭に血を上らせながら、ギリッ、と奥歯を鳴らしつつ、ブルブルと震えていた。真竹を半ば突き飛ばすように押しのけつつ、一美とゆかりの方に歩み寄る。

「そんなだからいつまで経っても貧弱なままなのだ!」

 一美の、ゆかりが支えている反対側の上腕部を掴んで、強引に引き上げようとする。

「先生、いくら心がけても個人には体質の差が、特に女の子は ──……」

「うるさぁい、口答えするな!!」

 スラッとした長身に少し陽に焼けた見た目通り、アスリート気質の真竹が抗議する声を上げるが、近藤は一旦真竹を振り返って、その言葉を遮り、威圧的に怒鳴りつける。

 周囲には、他の生徒達が、なんだどうしたと、半ば野次馬的に集まってきていた。

「吉田ァ! 貴様がサボッとるから皆が足を止めているだろうが!」

 完全にグロッキー状態の一美を強引に立たせようとしながら、近藤は怒鳴る。

 そのやり取りの間、悠二とシャナは、2人ともそれには注意を向けていなかった。シャナはムキになって悠二から逃げ続け、悠二は悠二で、最初になぜそうしようとしたのかを半分以上忘れて、シャナを追いかけ続けていた。

 シャナが、ちらり、と一瞬悠二を振り返った時、彼女は、

「立て……」

 と、声をあげようとしていた、何かに激突することになった。

「ぎぴっ」

 シャナが激突したそれは、奇妙な声を発しながら、数メートル吹っ飛んだ。

「あ」

 悠二は少し間の抜けた声を出してしまった。シャナは無言で立ち止まっており、悠二は、惰行するように減速しつつ、それに追いついた。

「すみません先生、でも、急にトラックに入ってきたら危ないですよ」

 実際にぶつかったのはシャナだが、悠二は、自身にも少しは責任があると感じて、申し訳無さそうにそう言った。

「一美! 大丈夫!?」

 近藤の手が離れ崩れ落ちた一美に、ゆかりが声を上げつつ、真竹と共に駆け寄る。

「吉田さん……どうかしたの?」

 悠二は、一美達の方を向いて屈みながら、視線を一美に向けつつ、ゆかりに問いかけた。

「ちょっと、体調があまり良くないのに無理して走ってたみたいで……」

 ゆかりの言葉を聞きつつ、悠二は一美の様子を見る。失神までは行っていないが、意識は混濁しているようだった。荒い息だが、一拍あたりが浅い。

「これは……急いで保健室運ばないと」

 悠二は、少し焦ったような様子で、一美の脇にしゃがみ込みかける。

「待て……坂井、貴様勝手に……」

 シャナに体当りされて顔から地面に突っ込んだ近藤は、その鼻を真っ赤にした顔を上げて、立ち上がりかけながら、激昂した様子で悠二を睨みつける。

「え、そんなこと言ったって、このままにしておけないじゃないですか」

 直前の状況を把握していない悠二は、素で戸惑ったようにしながら言い返す。

「教師に逆らうのか、坂井!」

 近藤が声を荒げるが、悠二の方もムッと、軽く憤った表情になる。

「何を言ってるんですか先生、吉田さん、このままじゃ危ない様子なんですよ!?」

 普段の悠二なら、教師の多少の理不尽で怒りを露わにすることはないのだが、この時はシャナのことで自覚している以上に精神的にイライラしていたこともあり、正論を言いつつも、らしくなく声を荒げてしまっていた。

「ひっ……!?」

 悠二が声を荒げた瞬間、近藤は、悠二の普段から温和そうな見た目からは想像もできないような威圧感を感じた。ゴォッ、と、悠二の圧力から自分に向かって、強烈な風が吹き付けるような音が聞こえた気がした。

「さっ、坂井!」

「! ……先生!」

 近藤が、なおも虚勢を張ろうと呻くように声を出しかけた時、悠二は、逆に近藤に注意を促すように、軽く驚いたような声を出した。

 立ち上がった近藤の背後で、シャナが右ストレートの()()に入っていたからだ。

「まぁまぁまぁまぁ、ご両人、落ち着いて」

 まさにシャナがパンチを放とうとした瞬間、まるでタイミングを見計らったかのように、C調な声が、悠二と近藤の間に割り込んできた。

 シャナは近藤にヒットしかけたパンチを、寸でのところで逸らす。

「松野先生……」

 悠二と近藤の双方をなだめるかのように手を振りながら、スーツの上からくたびれ白衣を着た松野が、2人の間に割って入ってくる。

「とにかくここはですな、吉田さんの安全を確保するほうが先でしょう」

「松野先生、私の授業に口出しするのですか!?」

 飄々とした様子で、悠二に向かって言う松野に、近藤は、縄張りを荒らすのかといった様子で、食って掛かるように声を荒げる。

 だが、松野は怯んだ様子もなく、近藤の方に視線を移す。

「生徒の健康安全を保つのは、教師の義務だと思いますがね」

「何!?」

「それとも、このまま万が一、吉田さんが酸素欠乏症にでも陥り、後遺症が残った場合、近藤先生はどのように責任をおとりになるつもりですかな?」

 松野は、顎を手で支える姿勢でそう言ってから、飄々とした様子の笑みを近藤に向ける。

「ぐぐっ……」

 責任論を持ち出され、近藤は言葉を失い、松野を睨みつけながらくぐもった呻き声を出す。

 松野は、そんな近藤の敵意も意に介さないかのように、一美が倒れ込んでいる方を向く。

「さ、保健委員は誰ですか?」

「あ、いえ先生、僕が運びます」

 松野は、生徒達を見渡すような仕種をしながら言ったが、悠二はそれを遮るように言って、一美の傍らに一旦、腰を落とすと、その身体を両腕でひょいと抱えて、立ち上がる。

 それを見た生徒達から、「おおっ」「すごーい」と、驚きの混じった感嘆の声が上がった。

「では、平井さんもついていってあげてください。男子1人では困ることもあるでしょうから」

「あ、は、はい!」

 松野に言われ、ゆかりは軽く慌てたような返事をして立ち上がり、一美を抱えて校舎に向かう悠二を、小走りに追いかけていく。

「さて、自分はこれで。あとは近藤先生にお任せしますよ」

 松野は、徹頭徹尾飄々とした様子のまま、校舎に向かって踵を返しかけた。

「ああ、それと」

 松野が、思い出したように口に出しながら振り返ると、視線をシャナに向けた。

「授業に不満があるようなら、口に出して言ったほうがいいですよ、近衛さん。()()()()()()()()()ね」

 松野はそれだけ言うと、ひらひらと手を振りながら校舎の方へ歩いていった。

 シャナは松野の後ろ姿を見つつ、

 ── 変なやつ。

 と、素っ気ない感想を抱いていた。

「こ……近衛、貴様……」

 悠二と松野に毒気を抜かれてしまった様子の近藤は、シャナに視線を向けて、呻くような声を出す。

「お前」

「ひ、ひっ!」

 シャナが低くした声で重く迫るように言う。近藤は、シャナの気迫に悠二と同じ性質のものを感じ取り、萎縮して、悲鳴のような短い声を出してしまっていた。

「こんな行為、疲れるだけで何の意味もない」

 シャナは、素で睨むような表情でジロリと近藤を見つつ、淡々とした口調で言う。

「しかも指示しておいて妨害する。一体どういう意図があるのか、理論的に説明しなさい」

「こっ、近衛、貴様」

 近藤は、シャナに向かって言い返そうとするが、

「はーい、先生、私見てましたよ、先生が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とこ」

 と、真竹が手を上げながら、半ば戯けるように、はっきりとした声でそう言った。

「俺にもそう見えたな」

 更に、速人がそれに続いて、呟くような口調ながら、周囲に聞こえるように言う。

「近衛さんと坂井くん、真面目にやってたのに、邪魔するってどういう意味ですかー!?」

「ひどいよねー、ホントー!」

 他の生徒も、失笑を混ぜつつ口々に言い始める。

「き、貴様ら……」

 近藤は、生徒を威圧して黙らせようとしたが、すでにその効果はない。

「そういえば先生」

 近藤の言葉を遮り、啓作がニタニタと笑いつつ言う。

「まだ、()()()()()()()()()()よね?」

「なっ、何ッ!?」

 言われてみると、確かに近藤はトラックの内側、それもストレート部分のど真ん中に立っていた。

『畳み掛けろ、いつもこうした輩から金を得る要領でいい』

 体育着の中に隠していた『コキュートス』から、アラストールがシャナに囁いた。

 シャナは数歩、近藤に歩み寄ると、その最後の一歩を、ドンッ、と、強烈に踏みつけた。地面がシャナの靴の形に凹む。

「これからも、気をつけないと危ないですよ、先生?」

 啓作が、戯け混じりの口調で言う。

 すると、シャナが口元に酷薄そうな笑みを浮かべた。

「解った?」

「っ……ひっ……」

 完全に怯えに入っていた近藤は、身を竦ませるようにして小さな声を上げてから、

「あ、後は自習だ、いいなっ!!」

 と、三下悪役の捨て台詞のような口調でそう言って、体育館脇の体育準備室の方へ走り去って行ってしまった。

「さすが近衛さん、あの近藤もたじたじだね」

 真竹が、シャナに近寄ってきて、笑顔でそう言った。

「ホーント、いい気味」

 別の女生徒も、近藤の逃げ去った方を見て、そんな事を言う。

「でも、坂井君もなんかカッコよかったよねー」

「そうそう、吉田さんうらやましー」

 真竹の言葉に、キョトン、としたような表情をしていたシャナだったが、それを聞いて、一瞬だけ、ぴくん、と眉を動かした。

「でもマジ、すごい迫力だったよな、坂井のやつ……」

 啓作が、速人に歩み寄りながら、話しかける。

「あいつも中学ン時、俺達みたく荒れてたクチか?」

「いや……そんなことはなかった……と思うが」

 そう答える速人だったが、啓作がその表情を見ると、軽く眉間にシワを寄せていた。

「何だよ、歯切れ(わり)ーな」

 あやふやな返答をする速人に対し、かえって啓作の方が、怪訝そうになって訊き返す。

「中学同じで、その頃からの付き合いだったんだろ?」

「そうなんだが……坂井の事で特に印象に残っている事が、思い浮かばないんだよな……」

 啓作にさらに言われるものの、速人はどこか苦い顔でそう答える。

「なんだよ……若年性ボケか?」

「そんなわけじゃ……坂井以外の事は、はっきりと思い出せるんだがな……」

 速人の答えに、啓作は、傍に来ていた栄太と顔を見合わせ、肩を竦めた。

 

 

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