蒼水の撃ち手   作:神谷萌

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第10話

「はぁ……やっちゃったよ……」

 吉田一美がぼんやりと意識を取り戻した時、最初に聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 知らない ──── 訳では無い、むしろ毎日見ている白い天井。だが、パーティションを形成しているカーテンは、それほど見慣れてはいない。

 ── 坂井君?

 出会ってからそれほど年月は経っていないが、聞き間違えない程度には知っている男性の声は、呟くように言った、と、一美はそう思ったのだが、

『あまり気にすることはないと思います』

 と、聞き覚えのない女性、おそらく少女の声が、それに応じるように言うのが、聞こえてきた。

「けど……シャナにあんなこと言っといて、自分がイライラしているときにはこれじゃ、シャナのこと言えないっていうか……」

『悠二がそう思うのは解りますが……しかしあのような人間には力での示威でしかコミュニケーションができないという気もします』

 ── ゆかりちゃん…… 緒方さん……でもないなぁ、誰だろう?

 

「坂井くーん?」

 悠二が盛大に溜息をついた直後、体育着のままのゆかりが保健室に入ってきた。

「ひ、平井さん?」

 悠二は、ギクッと驚く素振りを見せつつ、少し引きつった笑みでゆかりを見る。

 養護教諭が退席しており、悠二はそのまま一美に付き添っていた ──── と言うか、近藤と顔を合わせるのが気まずかった ──── が、ゆかりは一美をベッドで横にさせた後、一度グラウンドに戻っていた。

「うん、ちょっと早いけど、もう解散してもいいだろうってことになって」

「そ、そう……」

 悠二は緊張していて、ゆかりの言葉にそう短く(こた)えただけだった。

「で……一美はまだ起きてないの?」

 ゆかりは、一美が寝かされているベッドのパーティションの方を覗き込む仕種をしつつ、少し怪訝そうな表情でそう言った。

「あ、うん、まだみたいだけど」

 悠二は、少し思考を別の方向に取られていたものの、ゆかりの質問は自然なものだと思い、自分も自然にそう答えた。

「でも、 ……坂井君、今誰かと話していなかった?」

「えっ……」

 ゆかりにそう問いかけられて、悠二は、ドキリとして一瞬、身を固くした。

 ゆかりが入ってくるまで、室内には、まだ寝ている、 ──── と、悠二とゆかりが思いこんでいる一美と、悠二しかいなかった。

「べ……別に……」

 悠二は、反射的に誤魔化すような言葉を漏らす。

「ふぅん?」

 ゆかりは、頭の後ろで手を組みながら、その言葉とともに、訝しげな視線を悠二に向けた。

「でも、確かに坂井君が誰かと話してる声が聞こえた気がしたんだけどなぁ……」

「それは…… 独り言だよ、独り言」

「独り言、ねぇ……」

 ゆかりのトボけ混じりにも追求するような言葉に、悠二はなんとかそう言って誤魔化したが、ゆかりは、納得できないといった感じで、悠二に視線を向け続ける。

「いやほら、シャナにやられちゃった先生達、辞めちゃわなきゃいいけどなって……」

 悠二は、取り繕おうとそう言ったのだが、

「シャナって、近衛さんのこと?」

 と、ゆかりに訊き返され、悠二は再度、ドキリと緊張させられてしまう。

「え、あ、う、うん、それは……」

 悠二は、一瞬、言葉に詰まってしまいながら、視線をゆかりから逸らし、泳がせてしまう。

「ほ、ほら、下の名前が史菜(しいな)だろ? だから、そう呼ばれていたんだって」

 視線はゆかりに戻すものの、悠二は、自分でも苦しい言い訳だなと思いつつ、引きつった苦笑でそう言った。

「ふーん…… まだ、転校2日目なのに、そんなことまで知ってるんだね」

 ゆかりは、まだ納得しきってはいないように、ジト目を悠二に向けたまま、そう言って口元を尖らせる。

「ま、まぁ…… 僕は近衛さんが転校してくる前から知ってたし……」

 悠二は、焦ったような苦笑でそう言った。誤魔化すつもりで言ったが、丸1日には満たないだけで、まぁウソではないよな、と、悠二は内心で自身に言い訳する。

 ゆかりは、一瞬、素の表情に戻ったが、好奇心旺盛そうな視線で悠二の顔を覗き込む。

「もしかして、付き合ってる、とか?」

「え、ええ!?」

 悪戯っぽそうな表情のゆかりにそう言われ、悠二は、面食らったように驚きの声を上げる。

「べ、別にそう言うんじゃないよ……」

 悠二は、困惑した表情で、慌てて手を振りながら、そう言って否定した。

「ふーん……それならいいんだけど……」

 悠二の態度に、ゆかりは、キョトン、としたような表情で言うが、すぐに悪戯っぽそうな表情に戻る。

「坂井君に知っておいて欲しいことがあって……」

「ゆかりちゃん!」

 ゆかりがいいかけた時、それを遮って、一美が慌てたような声を上げた。

「一美」

「吉田さん」

 ゆかりと悠二がほぼ同時に言う。

 ゆかりがパーティションのカーテンを開くと、一美はベッドの上で上体を起こしていた。

「一美、大丈夫?」

 一美が掛け布団を()()()にしながら、ベッドから降りようとしているところへ、ゆかりが気遣って声をかけた。

「うん、大丈夫、ありがとう」

 一美は、少し照れたように顔を赤らめながら、柔らかい笑顔で言った。

「坂井君にここまで運ばせたんだから、お礼言いなさいよ」

「え?」

 悪戯っぽくウィンクしながらのゆかりの言葉に、一美は、驚いたように短く声を上げた。

「そ、その……」

 一美は、悠二の方を向くが、顔を真っ赤にし、俯きがちになってしまう。

「あ……りがとう……坂井……君……」

 悠二を直視することもできないまま、どうにか聞き取れるか細い声でそう言った。

「べ、別に僕は大したことしてないし。それよりシャナに…… あ」

 悠二は、言いかけてはっと気が付き、言い直そうとするが、その一瞬、一美の表情が気まずそうに(かげ)り、ゆかりが一方の眉をぴくんと跳ねさせた、それらに悠二は気付かなかった。

「近衛さんに言ってあげてよ。先生止めたの彼女だから」

 悠二は、少し苦笑気味ながらも、穏やかな表情で言った。

「あ、そうそう、私達がいない間に、()()やったみたいよ、近衛さん」

 ゆかりは、コロッと表情を楽しげなものにして、弾んだ声でそんな事を言う。

「まぁあの近藤だし、ざまーみろとしか思えないよね。坂井君もそう思うでしょ?」

「え!? ああ、うん……」

 ゆかりに突然話を()()()()、悠二は一瞬慌てたような声を出してしまう。

「うーん……近衛さんも、ちょっとやりすぎなところがある気もするんだけどね」

「そうかな、今回は坂井君も相当だったと思うけど」

「う……」

 ゆかりに即座にそう言われ、悠二は、呻くような声を出して、顔を苦く引きつらせてしまう。

「近藤が一美のこと無理やり走らせようとしてたら、ギンッ、て、すごい感じで睨んじゃってさ」

 ゆかりは、言いながら、その時の悠二の状況を再現するように、戯け混じりに睨みつけるような表情をする。

「あ、あれはほら、目の前で吉田さん倒れてたわけだし、思わずっていうか……」

「そうなんだ、坂井君って、普段、虫も殺さないような顔をしてるから、意外だなって思ったんだけど」

「ふ、普段はそんなもんだよ、あはは……」

 ゆかりの言葉に、悠二は乾いた苦笑で誤魔化す。

「ふーん……」

 しかし、ゆかりの方は、かえってニヤッ、とどこか()()のある笑顔を浮かべる。

「な、何……?」

 妙にのめり込むように自分の顔を覗き込んでくるゆかりに対して、悠二は少し挙動が不安定な様子になる。

「もしかして坂井君、一美にその気があったりして?」

「なっ、ななななっ」

 ゆかりの言葉に、悠二は、反射的に仰け反るようにしながら、どもった声を出す。

「ゆかりちゃんっ!」

 悠二が何か答えるより早く、一美が、ゆかりを制するように声を上げる。

 一美は、顔から湯気が出そうになるほど、顔を真っ赤にしていた。

「あはは、ごめんごめん」

 ゆかりは、身体を捩って一美の方を振り向きながら、少しも申し訳無さそうに思っていない様子で、そう言った。それから、一美と悠二を交互に見られるような立ち姿勢になる。

「でも、近衛さんとずいぶん親しそうな割には、付き合っているかとか言うとムキになって否定するし、それに、みんなの見ている前で、一美のことひょいっ、と“お姫様抱っこ” だもんね」

「あ…………」

 悠二は、そう取られる意味に気がついて短く声を出す。

 直前の近藤との言い争いで頭が冷え切っていなかったこともあるし、少しでも早く一美を運ぼうと、力を出せる自分がやった方が早いと判断しての行動だったが、周囲に対しては思わせぶりな行動だったかもしれない。

 昔から、好意を抱く男性に対する若い女性の憧れとされているそれだが、正式には「横抱き」と称されるそれは、力学的・ヒトの関節の構造的に不利な姿勢であるとされ、特別訓練を受けているわけでもない人間が、要救助者・要介護者を支持・運搬する姿勢としては、成人と乳幼児程度に体格差がある場合を除き、推奨されるものではない。

 一美の身長は158cmで、16歳年次の女性としては特別大きくもないが、逆に小柄とも言えない。それに対して、悠二は165cmで、同じ年齢の男性としてはやや小柄だ。しかもお互い、身長以外も全体として平均的な体格のため、本来であれば「横抱き」がたやすくできるような体格差ではない。

 クラスメイト達の大半は、その詳細までは知らないにしても、悠二が一美を“お姫様抱っこ” したことに、関心を持ったのは当然の流れだった。

 そしてそれは、運ばれた当人である一美も例外ではなかった。

「さ、ささささ坂井君……!?」

 一美は、目を回したように視線の焦点があっていない状態で、先程にも増して顔を紅潮させ、茹で上がったようになってしまう。

「べ、別にそう言うつもりでやったんじゃないよ。焦ってたし、その、ほら、火事場の馬鹿力ってやつだよ、う、うん……」

 悠二は、一美の心情まで配慮しきれないまま、慌てた口調で、大げさな手振りを伴いながら、ゆかりに対して言い訳する。

「ふーん…………」

 ゆかりは、面白くなさそうな表情になって、素っ気ない声を出した。

「そ、そうだよね……」

 一美は、ほっと安心したように息をついてそう言うも、眉毛は残念そうに下がってしまっていた。

 その時、丁度授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 

 

「さて、と……」

 悠二は、体育着を着替える時にゆかり達と別れ、学ラン姿になってから、ついでに購買部で500mlの森永ココアを買って、1年2組の教室に戻ってきていた。

 購買はパンや弁当を求める生徒で戦場の様相を呈していたが、悠二は、食べ物の方はコンビニでおにぎりなどを買ってくることが多く、冷えた飲み物だけを校内の購買で購入するのが日課になっていた。

 もっとも、飲み物も搬入される数は限られているため、それなりに競争になりがちではある。ちなみに一番人気はいちごミルク、悠二がよく買うココアは2番人気だ。

 ──── 閑話休題。

 悠二は、教室のロッカーからコンビニで買った物の入ったミニエコバッグを取り出し、立ち上がると、教壇のある方に身体を向ける。

 すると、視界の中に、すでに見慣れた顔の見慣れないツインテールが、製パン会社ブランドのチーズデニッシュのパッケージを開けようとしている姿が入ってきた。

「ど、どうしたの、それ……」

 ロッカーからはさして離れていないシャナの席に近付き、悠二は、唖然としつつもどこか脱力したような様子で、シャナに問いかけた。

「お前の知ったことじゃない」

 長い髪をツインテールにしたシャナは、憮然とした表情のまま、ぷいと視線を悠二から逸し、少し不機嫌そうにそう言った。

「関係なくないだろ」

 悠二も少し憮然としてしまいつつ、言い返す。

「さっきの体育の授業でも、僕がいなくなってからまた暴れたそうじゃないか」

「あれは元々、あいつが私の前に出てきたのが悪いんだし、だいいちお前だってかなり攻撃的だったじゃない」

「ぐぬぬ……」

 悠二に、軽くぶっきらぼうな感じでそう言ってから、シャナはころっと表情を変え、チーズデニッシュにかぶりつく。悠二は反論できず、呻くような声を漏らした。

『それに、唆したのはあの化学教師だぞ』

 至福の表情でチーズデニッシュを咀嚼するシャナに代わって、胸元の『コキュートス』から、アラストールがそう言った。

「松野先生が? あの人も変わってるからな……」

 悠二は、半ば顔を覆って天を仰ぎかけながら、ため息交じりの声で独り言のように言った。

「なんか昨日はシャナとやりあって、他の先生と違って逆に満足して出て行ったし」

 悠二は、その時の光景をリフレインさせる。

 

 シャナが、他の授業と同じように居丈高に振る舞いつつも、松野の板書する内容に異を唱えた時、松野は他の教師のように、高圧的に封殺しようとするのではなく、

「では、近衛さんが思うところを書いてみなさい」

 と、シャナを教壇に立たせ、シャナの主張する化学式や構造式を板書させた。

 その最中、松野は、自分の主張する部分を返しつつも、

「厳密にはその方が正しいんだよね……」

 とか、

「おっと、それは盲点だったな」

 などと呟き、さらには、

「ここは、他のみんなもノートにとっておくように」

 とまで言い出す始末だった。

 他の生徒はそっちのけに近かったが、進学校の生徒とはいえ、この年代の少年達には、詰め込み授業よりよほど好奇心をくすぐられるものだった。

 ただ1人、悠二だけがハラハラとしながら、自分でも解るほどに表情を引きつらせて、50分間を過ごしていた。

 

 悠二は、そこまで思い返したところで、手で顔を覆ったまま、再度ため息をついた。

 

 

 御崎市某所 ────

「これは……」

 忘れ去られかけたその場所、陽の光の入る部分が遮られた暗い場所で、仄かに輝く六角形の巨大なテーブルに向かい、彼 ──── フリアグネは戸惑いの声を上げる。

 そのテーブルは、この御崎市のミニチュアそのものになっていた。

「ご主人様、これでは……っ!」

 フリアグネに同意するように、マリアンヌも困惑の声を出す。

 そのミニチュアの街を、まるで実際の人の流れを再現するかのように、デフォルメされた()()が無数に動いている。そしてその中には、炎を立ち上らせているものが混じっていた。

 炎が灯っているコマは、その炎の色が薄白いものが殆どで、いくつか“明るすぎる水色” のものが混じっている。だが、フリアグネを困惑させていたのは、その大半が勢いよく燃え盛っていることだった。

「トーチの数の割に、その“存在の力” の総量が大きすぎる。このままでは、術式を成す前に、解放された力そのもので街が消し飛んでしまう……!」

「まさか、あのフレイムヘイズ、こうなることまで見越して……!!」

 フリアグネが唖然として言うと、マリアンヌも、声だけでも息を呑むようにしていることが解るような言葉を出す。

「さぁ、それはどうかな?」

 フリアグネはそう言うと、フッ、と、いつもの彼らしい、他者からは鼻につくような、余裕気な笑みの表情を取り戻す。

「だが、これで私は戦わなければならなくなってしまった」

 フリアグネは、そう言いつつ、古典的なリボルバー拳銃のようなそれを、右手に持って弄ぶ。

「そうだ、狩ろう! これまでのフレイムヘイズ同様狩ってしまおう!」

 狂喜したような声を上げ、芝居がかった身振りを加えつつ、宣言するように声を上げる。

「君の為に、立派な舞踏会(バル)を用意させてもらうよ、“蔵の君” ────」

 

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