── シャナは……まだ戻ってこないか。
昼休みが終了する、その予鈴がなるわずかに前、集めていた机を元に戻したところで、悠二は、自身の席の椅子に座った状態で、教室の後ろの方を廊下側の方から振り返って、眺め回した。
「坂井君」
そこへ、悠二の隣の、自分の席で椅子に座っていたゆかりが、身を乗り出すようにして、声をかけてきた。
悠二は、「あ、何?」といった感じで返事しようとしたが、ゆかりに視線を向けたところで、その言葉が詰まってしまった。
── えっ……?
ゆかりに、なにか、靄のような、薄いカーテンのような、薄白いそんなものが、囲んでいるかの様に見えた。それが実体のものであれば、ゆかり自身や周囲の生徒が、こんな不自然なものに気付かないはずがない。
── ってことは……
悠二は、トーチの炎が見える様に意識を強くする。ゆかりの胸元あたりに、トーチの炎が浮かび上がる。
すると、トーチとしてのゆかりを覆うカーテンのようなものが、なにかの自在式の模様を描いている様に見えた。しかもそれだけではなく、以前から気にかかっていた
── これは……?
「坂井君ってば」
「え、あ、うん、ごめん平井さん、何?」
少し強めのゆかりの声で、悠二は我に返り、はっとしたように、少し緊張してしまっていた表情を施すようにしながら、訊き返す。
「何って程の事じゃないけど……ごめんね、さっきから変なこと言っちゃって。近衛さんも何か怒ってたみたいだし、坂井君と喧嘩にでもなっちゃったら悪いかな、と思って」
ゆかりは、そこまでは申し訳なさそうに言った。
「あ、ああ、別にそんなのは気にしなくても大丈夫だよ、いつもあんな感じだから、僕とシャ……近衛さんは」
その内容に、悠二は、無意識に少し安堵してしまいながら、苦笑交じりにゆかりにそう答える。
「ふーん……そっか」
ゆかりは、表情をニュートラルにしつつ、そう呟くにそう言いながら、ちらり、と一旦一美の方を見た。
一美の方は、ゆかりの視線に気付き、さっと視線を教壇の方に向けて逸した。
「はぁ……」
「? どうかしたの?」
思わせぶりにため息をつくゆかりに対し、悠二は少し不思議そうに、キョトン、とした表情でゆかりを見る。
「そう言う事なら……それじゃあさ、今日の放課後、ちょっと私に付き合ってくれる?」
ゆかりは、言いつつ、苦笑したようになりつつ、好奇心旺盛そうな視線を悠二に向けた。
「え、放課後……?」
悠二は、反射的に言葉でそう答えつつ、思考を巡らせる。
──まずいな。下手に僕だけシャナから離れて行動していると、フリアグネが狙ってくる可能性が高い……
少し表情が引きつってしまったのは、悠二自身も自覚していた。
「付き合う、って、どこかへ行くってこと?」
「あー…………ううん、ちょっといろいろと話したいことがあるってだけだよ」
悠二が問い返すと、ゆかりは少し逡巡するようにしてから、軽く首を左右に振って、そう言った。
──人が密集している場所じゃないなら……平井さんはもう、トーチだし……仮にその時襲われても、フォローはしやすい……変に、池達といるより安全か。
「それじゃあ、少し開けたところでもいいかな?」
考えて、悠二は提案した。
「うーん…………少しアレだけど、良いや。それなら御崎大橋の近くで良い?」
ゆかりは一旦天井に視線を向けて逡巡してから、逆にそう提案した。
「そのあたりの河川敷でも良いかな?」
「おっけー。すっぽかさないでよね」
悠二が更に条件をつけると、ゆかりは軽い口調でそう言って、次の授業の準備に取り掛かる。
「ヘカテー」
一方、悠二は、それまで取り繕っていた表情を、怪訝そうに険しくし、右手を耳元に近づけ、小声で訊ねる。
「気付いた?」
『はい、見えています』
ヘカテーの返事が、『ニーベルンゲン』から発される。
「これ、どういうことだろう? 今朝までは、あんな現象なかったのに。どう思う?」
悠二の問いかける言葉に対し、ヘカテーの返事の言葉は、深刻さを感じさせる低く重い声になる。
『複数のトーチが共振している、という時点で、嫌な予感がしていましたが、明らかに “狩人” の干渉を受けているということで、はっきりしました』
「え?」
悠二は、驚いた声を短く出して、右手の掌の方から『ニーベルンゲン』に視線を向ける。
「それって、フリアグネが何をしようとしているか、ってこと?」
『はい。おそらく “狩人” がやろうとしているのは ────』
ヘカテーの言葉を遮るかのように、5時限目始業のチャイムが鳴る。しかし、悠二はヘカテーの言葉をしっかりと聞いていた。
『──── 「都喰らい」です』
その日の放課後。
6時限目後の
一美は、誰かを探しているかのように、教室内をキョロキョロと見回した後、教室の前側の扉に移動し、そこから今度は廊下を見渡そうとする。
「吉田さん」
その姿に気づいた速人が、一美に声をかけた。
一美は、彼女にとっては突然のことだったので、声は出さずに少し驚いてから、振り返った。
「池くん……」
「ごめん、誰かを探しているみたいだったからさ」
速人は、まず謝ってから、そう問いかけた。
「もしかして、近衛さんを?」
速人は、一美が昼休みの時のことを気にしているのだと思い、問いかけるように言うが、
「えっと、そうじゃなくて……」
と、一美は、困惑げな表情でそう言う。
そして、一美は、速人の目から気まずそうに視線を逸してしまう。
「その、坂井君を……」
振り絞るかのようにしつつも、か細い声でそう言った。
「坂井……」
それを聞き、速人もまた、気まずそうな表情になってしまう。
「………坂井なら、さっき、平井さんが引っ張っていったよ」
少し躊躇したが、眉を少し寄せつつ、答えた。
「…………ゆかりちゃんが……」
一美は、反芻するかのようにそう呟くと、一瞬おいて、かぁっ、と顔を紅くした。
「ゆ、ゆかりちゃんってば!」
慌てたようにそう言って、踵を返し、小走りに教室を離れようとする。
「あ、ま、待って、吉田さん」
速人は、驚いたように声を出して、一美を追おうとした。
『「都喰らい」は、本来であれば “この世” の
ヘカテーから聞かされたその内容は、恐るべきものだった。
「ほぼ全て……って?」
『大量のトーチを一斉に分解することで、都市に大量の矛盾を生み出し、巨大な “理” の
ヘカテーの説明に、悠二は、戦慄した様子で、ゴクリ、と、喉を鳴らした。
「それを、フリアグネが、この御崎市に?」
『はい』
悠二が問い返すと、ヘカテーは短く淡々と、しかしそれが緊迫感を感じさせる返事をした。
『「都喰らい」は、かつて大陸の西方で “棺の織手” と呼ばれる “王” が編み出した法です』
「ちょっと待って、 “棺の織手” って、確か前に、ヘカテーが言ってた……」
『はい。かつて、現在の[
「そんな “王” が……」
『説明を続けますね』
「あ、うん」
ヘカテーに言われ、悠二は、緊張したまま、促すように答えた。
『“棺の織手” は、まず都市の人口の1割程を喰らって、トーチにし、そのトーチに「鍵の糸」という仕掛けをしました』
「『鍵の糸』」
悠二は、問い返すように、ヘカテーのその言葉を鸚鵡返しにする。
『これは、作り出した大量のトーチを、遠隔で一斉に分解するための自在法でした』
「それを使って、一瞬でトーチを分解して、都市に大きな矛盾を作り出した……」
『その通りです』
「それを僕は、『零時迷子』の影響でそれを見ることができる……でも、
悠二は、少し怪訝そうに、呟くようにそう言った。
『そのことですが、 “棺の織手” による「都喰らい」は、あまりに一気に人間を消し去ってしまったため、大量のフレイムヘイズを生み出し、[とむらいの鐘]との大規模な衝突を起こしました。それ以降、フレイムヘイズと “紅世の徒” との、戦いが、本格化していったのです。その為、 “紅世の徒” の方でも、それは禁忌とされたのです』
「つまり、その手段である “鍵の糸” の自在式も失われている……だから、フリアグネが使っているのは “鍵の糸” そのものではないってことか」
『そうです。それに、最初に見えたトーチの共振に関しては、 ──── その、悠二が作り出したトーチにも起きていたため、仮説が多すぎて特定することができなかったのです。「零時迷子」の影響下で、トーチを見るのは私には初めてのことでしたから。おそらく、 “天壌の劫火” もそうでしょう』
「だけど、さっきになって、フリアグネがトーチに干渉する自在式が見えたから、その答えに行き着いたってことか……──!」
悠二は、戦慄のあまり何度も息を呑むように、しながら、低い声で言う。
『はい。 “トーチの共振” が、 “狩人” の干渉によるものだということが、ほぼ断定できましたから。おそらくは彼の、コレクションの宝具を使い、それを再現できるに足る方法を編み出したのでしょう』
ヘカテーも、それを肯定する言葉を、淡々と、しかし彼女にしては低く重いトーンでそう言い切る。
「それでこれまで、自分は表に出ないで、燐子を使ってトーチを作り出させてたってことなんだな……」
『おそらくそうでしょう』
「でも、それで、今の時点でフリアグネは、どれほどのトーチを用意したんだろう」
『そのことなのですが……悠二、言いにくいことなのですが』
それまで淡々と答えてきたヘカテーが、躊躇うように言葉を濁した。
「ヘカテー?」
『……数の上ではそれほど用意できてはいないはずです。私達が妨害していましたから。ただ……──』
「ただ、って……あっ!!」
悠二は一瞬、ヘカテーの言葉を鸚鵡返ししようとして、すぐにその言葉の先の意味に気が付き、思わず声を上げてしまっていた。
『はい、私達がトーチに “存在の力” を補充してしまったため、少ない数のトーチでも大きな矛盾が生まれ、「都喰らい」を発動させるに足る可能性があります』
──……母さんも……池も、佐藤や田中達も、この街に住むすべての人が、物が……御崎市が、すべて、フリアグネに喰われる…………?
悠二はその事実に、血の気の失せた表情で、愕然としてしまっていた。
『ですが、まだしばらくの猶予はあるでしょう』
「え、そうなの?」
ヘカテーの言葉に、悠二は、意外そうにしつつも縋るように聞き返していた。
『以前説明したように、 “狩人” は、その本質として宝具を収集する事に執着心を持っています。偏執と言っていいでしょう。「都喰らい」に巻き込まれれば、フレイムヘイズもひとたまりもありません。なので……』
「そうか、『零時迷子』……」
悠二は呟き、無意識に左手で、自身の胸を押さえていた。
『まだ、それが何であるかまでは気付いていないようですが、みすみす破壊されることは避けようとするはずです。もっとも、100%の保証があるわけではありませんが……』
「…………」
悠二もヘカテーも、状況が、究極に切迫した状態からは、少し後退したと判断したが、悠二の表情は、強い戦慄で緊張したままだった。