…………い君、……かい君!
「坂井君ってば!」
「えっ?」
自らを呼ぶ声で、悠二は我に返った。
「もう……ヒトが話してるのに、なんだか上の空でさ」
ゆかりが、いささか憤りつつも、わざとらしくむくれた表情を作る。
御崎市を東西に分ける真南川にかかる、この東京の衛星都市にしては不釣り合い気味な、立派な3連ハープ橋、御崎大橋。
御崎高校の放課からは、すでに小一時間が経過している。しかし一般企業や官庁の終業までには少し間があることもあって、御崎大橋の通行量は、少なくもないが、渋滞していると言うほどでもなかった。
そして、悠二とゆかりは、その河川敷上の、橋脚の近くに来ていた。
「ごめん……それで、なんだっけ?」
「やっぱり聞いてなかったんだ」
悠二が取り繕うように苦笑しながら問いかけると、ゆかりは、目を見開きつつ、呆れた様子で声を上げた。
「ごめん……もう一度言ってくれるかな?」
再度悠二が謝りながら言うと、ゆかりは軽いため息をついてから、改めて悠二に視線を向ける。
「だからさ、態度ははっきりさせておいたほうが良いわよ、ってこと」
まだ少し不機嫌そうな様子を残しつつ、ゆかりは、年少者に言い聞かせるかのようにそう言った。
「態度…………?」
悠二は、ゆかりの言葉の意図がわからず、キョトン、としたような表情で、鸚鵡返しに聞き返していた。
「一美と近衛さんのことよ」
「近衛さんと吉田さんのこと……?」
ゆかりがじれったそうに言うが、悠二は、それを聞いてもすぐには理解できず、再度訊き返すようにしてしまう。
「だって坂井君、近衛さんと、なんだか前から付き合いのある態度じゃない」
「え、えぇ?」
ゆかりに指摘され、悠二は、軽い驚き混じりに困惑した声を出してしまう。
「シャ……近衛さんとは、ただ前からの知り合いってだけで、別に特別な関係とかじゃないから!」
悠二は、思わず赤面してしまいつつ、少し荒い口調でそう言った。
「ふーん……」
しかし、ゆかりは鼻を鳴らすようにそう言ってから、
「それじゃあ、一美のことは、どう思ってるの?」
と、訊ねる。
「ま、まだ体育の時の事言ってるの!?」
悠二にとっては唐突にそう言われ、驚きつつも少し呆れ混じりにそう言った。
「それもあるけど……一美、結構前から坂井君の事、気にしてるの!
「え…………」
振り絞るようにはっきりと言ったゆかりの言葉に対し、悠二は、目を
── 吉田さんが、僕の事を……でも、今の僕は……
「やっぱり、気付いてもいなかったって顔してるわねー……」
悠二が、複雑な気持ちで、言葉には出さずに胸中でつぶやいていると、その沈黙と表情を見て、ゆかりは、腰に手を当てたポーズでそう言ってから、そのまま小さなため息をついた。
「うん……よく鈍いって、言われてるよ」
悠二は、右手で自分の後頭部を撫でるような仕種をしながら、決まり悪そうに苦笑した。
「……言われるぐらいの自覚はあるんだ」
ゆかりは、ちょっとだけ驚いたような視線を有事に向けて、そう言った。
「まぁ……そこまで言われれば、ね……」
悠二は、気まずさ半分誤魔化し半分に苦笑する。
『…………』
ヘカテーは、ゆかりに聞こえないようにしつつも、深く重い溜息をついた。
「正直に言うと……近衛さんをそう言う相手だと思ったことはないし、吉田さんも今はそう言う目では見れないかな」
悠二は、苦笑を申し訳無さそうなものに変えて、そう言い、
── 僕は……もう
と、声には出さずに付け加えた。
「あー……うん、私の方こそ、なんかごめん」
それを悠二の表情から、ある程度読み取ったのか、今度はゆかりの方が申し訳なさそうに言う。
「こればっかりは、坂井君の気持ち次第だから、しょうがないけど…… でも、そう言う事なら、変に一美に気を持たさせるようなことはしないほうが良いよ?」
「そうだね、うん、これからは気をつけるよ」
悠二は、苦笑しつつも、ゆかりに感謝するような態度でそう言った。
「何やってんだろうな、あの2人」
ガーター橋を電車が通過するジョイント音とモーターの音が遠ざかっていくと、啓作が言い、それに対して、
「さあ……」
と、栄太が相槌を打つようにそう言った。
御崎大橋から100mと離れていない位置に建つ、常磐真南川橋梁のガーター橋部、河川敷上の橋脚。その影に隠れるようにして、啓作と栄太、それに真竹が、悠二とゆかりの方を覗き込むようにしていた。
さらに、3人の背後には、速人と一美の姿もあった。一美は場違いな空気を感じるようにもじもじとしつつ、速人はそれを気遣うような表情を向けている。
「ここからじゃ声までは聞き取れないわね……電車の音もあるし」
真竹が言った先から、下り線を、御崎駅から発車した電車が、加速のためにモーターを唸らせ、ガーター橋を渡る激しい音が響く。
「けど、隠れる場所なんて、他にないぜ?」
啓作がそう返す。
「解ってるわよ、あー、まだるっこしい」
真竹は、焦れったそうに、不快感を表しかけながらそう言った。
「誰か、読唇術とかできないの?」
「無茶ゆーな」
真竹の言葉に、栄太が少し呆れたようにしつつ即答した。
「あーあ、一美かわいそー」
「ごめん……」
ゆかりの言葉に、悠二は、自分が冷酷なことをしている気がして、謝罪の単語を口に出してしまっていた。胸が締め付けられるように感じて、無意識に左手で胸元を押さえていた。
「私に言ったってしょうがないよ、それに、さっきも言ったけど、坂井君の気持ちがそうならないんじゃしょうがないよ」
「そうだね、ごめん……」
自身も困惑したようなゆかりが、悠二をフォローするように言うが、悠二はまた、その言葉を口にしてしまう。
「もう……」
ゆかりは、わざとらしいため息をつきつつ、悠二を何処か穏やかな苦笑で見ていた。
「でも……」
悠二は、顔を上げて、ゆかりの方を見る。
「平井さんは、何だってこんな話を、僕に?」
「えっ?」
悠二が問いかけると、それまでとは打って変わって、今度はゆかりの方が、コロッと自身の方が、焦ったような、余裕なさげな様子になり、視線を伏せさせてしまう。
「い、いや、それは……その、なんて言うか」
ゆかりは、歯切れ悪そうに言いつつ、伏せた視線の先で、両手の人差し指同士を突き合わせる。
「いわゆる、ギブ・アンド・テイクってことでね?」
「ギブ・アンド・テイク……?」
ゆかりの言葉に、悠二は、最初はその意味が理解できず、キョトン、とした様子でゆかりを見たが、
「もしかして……」
と、思い当たる節を見つけて、訊き返す。
「池のことで……」
悠二が言うと、ゆかりは、それを肯定して頷いたかのように俯く。
── 自分の事以外だと、鋭いんですね。
ヘカテーが、声に出さずに呟いた。
「っ……まま、まぁ、それは……」
ゆかりが、恥ずかしげに俯いたまま、途切れ途切れの言葉で、言葉になっていない言葉を口から漏らす。
だが、悠二は、
「っ…………」
と、苦しそうに表情を歪ませ、奥歯を噛み締めた。
悠二が思い当たったのは、2日前の出来事だった。
悠二は洋楽が趣味で、日本語で配信されていないややマイナーな輸入盤を吟味しようと、レコードショップに赴くことがある。
その日も、進学塾の授業がある速人と別れた後、悠二は、御崎駅前商店街のレコードショップへ行った。
そして、そこでゆかりと居合わせた。
そして ────
『池君って、彼女いないのかなー、とか、ちょっと思って』
『え、そりゃ……いないと思うけど』
『そっか……』
このやり取りをした時点で、悠二は、ゆかりが速人に好意を持っているのか、と、漠然と気付いていた。
その後、関係のない会話を短く交わした後、ゆかりは帰宅すると言い、悠二は駅前モールの輸入盤主体の中古レコードショップに行くと言って、そこで別れた。
燐子達の襲撃 ──── シャナとの出会いとなったその戦いは、その直後だった。
── あの時、まだ平井さんは生きていた。あの戦いに巻き込んだ……
ゆかりは、気まずそうに苦笑しつつ、紅い顔をなんとか上げて、照れ隠しに苦笑している。悠二は、そのゆかりの胸元に視線を向けて、 “存在の力” に焦点を切り替える。
悠二の視界の中で、トーチであるゆかりの炎は、
── 僕の送り込んだ “存在の力” で、平井さんは生き続ける。たとえトーチであっても、その本質は本人のそれがあって、成立するんだから……
思い悩むような様子で自身を凝視している悠二に対し、ゆかりは、キョトン、とした表情を向ける。
── でも、もう
息が苦しくなるほどに胸を締め付けられ、胃が焼け付くような感触を感じる。
「どうしたの……?」
悠二の様子に、ゆかりは、少し心配気に声をかけた。
「なんだか、怖い顔して……坂井君?」
ゆかりの声を聞いて、悠二はますます思考が深く沈んでいく。
どうすればいいのか。思考がスパイラルして混乱した状態となった悠二は、目先の認識すら怪しくなってきた。
「平井さん!」
「ひゃっ!?」
悠二は、ゆかりの左腕を自分の右手でつかむ。その行動と気迫に、ゆかりは小さい悲鳴を上げつつ、とっさに行動を取れずに立ち尽くしてしまう。
「ぼっ、僕、 ……ひ、平井さんの事が好きなんだ!」
「えっ?」
── えっ?
ゆかりの声と同時に、悠二自身も、意識が自分の言葉に聞き返していた。
「えっ……えっ?」
しかし、戸惑う様子のゆかりに、悠二の口は、自身の意識の冷静な部分が追いつく前に、言葉を続けてしまう。
「だから……池の事、紹介しろって言われても、正直困る……」
「坂井君……」
その瞬間、悠二の視界の中で、ゆかりは満面の笑顔だった ────
武蔵御崎駅は、追加料金のかからない快速までは停車するが、急行列車は通過する。
主力路線の常磐線と、もう一方のドル箱路線の日光線から直通する中禅寺線に、それぞれ非電化区間があって、基本、自社では特急形と急行形は気動車しか新製しておらず、区間運転用には国鉄時代に譲ってもらった電車を使い倒している。
元国鉄165系……と名乗っているが、それだけでは不足するので交直流用の455系・475系から交流設備を下ろしたそれが、グリーン車込みの6両編成で、110km/hでカッ飛ばしながら橋梁に差し掛かってくる。
丁度その時を演出するかのように、轟音を響かせながら、真竹や一美たちの頭上を通過していった。
『ホントに、いったいあなたは何を考えているんですか』
悠二が、見事に紅い紅葉模様が出来上がった左頬を撫でていると、反対側の右手から、ヘカテーの呆れ返った声が聴こえてくる。
「自分でもよく解らない……気がついてたら言ってた……」
『もう、バカとしか言いようがありませんね』
「もう、なんとでも言ってよ……」
反論する気力もないといった感じで、悠二は帰宅の道を、肩を落としながらトボトボと歩いていた。
「ねぇ、ヘカテー」
しばらく歩いていると、悠二は、ふと思い出したように呼びかけるが、
『なんでしょうか?』
と聞き返してくるヘカテーの言葉は、不機嫌そうにしている姿が、見て取れるような声だった。
「ヘカテー、怒ってるの?」
『ええ怒ってます』
悠二が肩をすくめる様にしつつ、少し困惑したように訊き返すと、ヘカテーは勢いよく即答した。
「じゃあ怒りついでに、シャナのことなんだけど……」
『こんな事があった直後で、今度はまた別の女の話ですか。あなたという人はホントに ────』
「だあっ、人聞きの悪い事言わないで!」
ヘカテーが半オクターブ低くした声で言うと、悠二は、傍目には自分1人で騒いでいるかように手をばたつかせて、慌てた言葉を出す。
「フリアグネの事……『都喰らい』が本当だとしたら、彼女たちにも報せた方がいいと思うんだ。その……僕1人じゃ少し不安なこともあるし」
『……すべてに同意はできませんが、教えることに反対することはできませんね』
ヘカテーは、いつもの淡々とした口調に戻しながら、同意の言葉を出した。
ヘカテーが認められなかったのは、「僕1人じゃ少し不安」という点だった。
『“天壌の劫火” が知れば、たとえ僅かな可能性であっても潰そうとするでしょう』
「アラストールが……」
ヘカテーの言葉に、悠二は軽く息を呑みながら、反芻するように呟く。
「でも ────」
ふとそこに考えが至って、悠二は言葉に出す。
「『都喰らい』が本当だとして、フリアグネはそうまでして手に入れた力で、何をするつもりなんだろう……?」
『解りません……ただ、悲劇しか待ち構えていない事は確かです』
「悲劇」
ヘカテーの言葉に、悠二は鸚鵡返しするように、短く言葉を出す。
『先程言ったように、フレイムヘイズが本格的に増加し、 “徒” との対立が激化させていったきっかけが、 “棺の織手” が使ったこの秘宝です』
「…………」
『そして、 “棺の織手” 率いる[とむらいの鐘]と、数多のフレイムヘイズとが戦い、最終的に “棺の織手” は討滅されました』
「つまり、フリアグネが『都喰らい』を達成したとしても、いずれは討滅される…… って事か」
悠二は、呟くような口調でいい、哀しげな小さいため息をついた。
「なんだか、可哀相だな……」
『悠二』
呟いた悠二に対し、ヘカテーが、はっきりとした言葉で悠二の名前を呼ぶ。
『あなたの守りたいものはなんですか? 私との契約の誓いは何でしたか?』
「解ってる、それに迷いはないよ」
ヘカテーの問いかけの言葉に対し、悠二は表情を引き締めると、はっきりとそう言った。ぐっと、左手の拳を握る。
「あっ!?」
悠二が、
「別に、私はお前の助けを必要としていないし、お前を助けようとも思っていないから」
『ただ……』
まず不機嫌そうにシャナが言った後、アラストールがその後の言葉を継いだ。
『捨て置けぬ単語を聞いたのでな。話を聞かせてもらおうか』