蒼水の撃ち手   作:神谷萌

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第14話

 プルルルルルルル……プルルルルルルル……

 スマートフォンの通話スピーカーから、呼び出し音が繰り返し流れる。しかし、その呼出が繋がる気配はない。

 一美は、ため息をついて、スマホを耳から離し、それを持っていた方と反対側の人差し指で「終話」をタップした。画面が切り替わる直前、発信相手は『ゆかりちゃん』になっていた。番号は携帯電話のものだった。

 一美の脳内に、その時の光景がリフレインする。

 

 傾き始め、夕焼けの(あけ)になり始めた空の下、御崎大橋の橋脚の近くで、何か会話している悠二とゆかり。その内容は解らなかったが、ずいぶん親しそうなものに見えた。

 ゆかりが、異性同性問わず、割とフランクに話す性格だということは、一美は、中学からの友人としてよく知っていた。

 それに、ゆかりには他に気になっていた男子がいたし、一美が悠二のことが気にかかっていることも知っているはずだ。

 だが、それでも、親しい間柄のように会話している悠二とゆかりの姿に、出歯亀根性丸出しの佐藤達の背後で、一美は心中穏やかでいられず、やきもきとしてしまっていた。

 しかし、しばらく見ていると、やがて悠二が、気落ちしたように肩を落とした。

 それからもしばらく会話は続いていたようだったが、急に、悠二がゆかりに迫るかのように、右腕を伸ばしてゆかりの左手首を掴んだ。

 その時丁度、急行『まながわ』が、MT54主電動機の咆哮を上げながら、一美達の頭上を110km/hで通過する轟音が響いてくる。

 それが、その音以外をかき消して、まるで無音になったかのように感じられた瞬間、ゆかりのスナップの効いた右手が、悠二の左頬を捉えた。聞こえるはずがないのに、乾いた盛大な音が聞こえてきそうな、見事なビンタ。

 その後、ゆかりは気まずそうに戸惑った様子を見せた後、逃げ出すようにその場を駆け去った。

 悠二の方は、しばらくその場に佇んだ後、気落ちしたというか、呆けたというか、その様な足取りで、その場からゆっくりと立ち去った。

 ── もしかして……

 一美の脳裏に、あまり自身にとってよくない想像が思い浮かぶ。

 ── 坂井君、ゆかりちゃんのことが好きだったのかな……

 ゆかりは一美の気持ちを知っているが、悠二はそうではないはずで、そうなれば明るく社交的なゆかりが魅力的に映るのは不自然ではない。

 だが、 ──── 悠二に迫られた瞬間、ゆかりは拒否する態度を取った。

 このシーンだけ見れば、たとえ悠二がゆかりに好意を抱いていたとしても、ゆかりは悠二を()()()ことになる。

 ── でも…………

 一美の胸中に、不安を煮きりしたような感情が、徐々に積もっていく。

 ── それなら、なんで電話に出てくれないの……?

 スマホの画面が通話履歴に戻ると、ゆかりの携帯電話番号に何回もの発信をしている履歴が残っている。他にメールも多数飛ばしていたが、ゆかりからの返信はなかった。

 丁度、一美がスマホのディスプレイを消灯させた時、

「姉ちゃーん、電話―! 池って人から!」

 と、弟の健が、ノックと同時に、ドア越しに廊下から声をかけてきた。

「え、あ、うん……」

 一美は、少し慌てたように言い、スマホを操作していたベッドから降りて立ち上がる。部屋のドアを開けると、健から、加入電話回線に使われているコードレス電話機の子機を受け取った。

「もしもし、池君?」

『あ、吉田さん?』

 一美の問いかけるような言葉に、電話の向こうの速人も、訊ね返すような言葉を発した。

『今日のことは、本当にごめん!』

 相手が一美と判断するや、速人は、いきなり謝罪の言葉を口にした。

「え?」

 一美は速人の発言の意図が解らず、戸惑いながら声を出してしまう。

『僕があの2人を探そうって言ったばかりに……吉田さんが気分を悪くするような事になっちゃって……』

「あ……」

 速人の本当に申し訳無さそうな言葉に、一美は短く声を漏らす。

 速人が、掛け値なしに自身の良心に基いて謝罪しているのは理解できたが、それでも、一美は、憂い気な胸中を更にかき乱された。

『まさか、坂井がいきなりあんなことをすると思っていなかったんだ。もしそうなら、坂井は俺に相談すると思ってたからさ……』

 速人は、自身の精神を落ち着けるかのように、言葉を並べ立てる。

「私、そんなに落ち込んでいるように見えたかな……」

 一美は、速人にそう問いかける。

『……うん、正直に言うとね』

 わずかに逡巡の沈黙を置いてから、速人はそう答えた。

「そっか、池君はなんでもお見通しなんだね」

『…………いや、そうなのかな』

 穏やかに苦笑しながら言う一美に対して、少し考え込む時間を置いてから、速人は考え込んでいるかのような口調でそう返してきた。

「ありがとう、池君」

『いや……力になれなくてごめん』

 一美の礼に、速人は申し訳なさそうに(こた)えた。

「そんなことないよ」

『いや……あ、それとさ』

 一美の更に重ねての礼に、速人は何かを言いかけ、途中で何かを思い出したかのように言う。

『佐藤達……会ったのは偶然だし、面白半分に茶化してたのもいつものノリって言うか、その……悪気はなかったと思うんだ』

「そ、そんな! 私全然気にしてないから!」

 速人が、さらに申し訳なさそうに言いつつ、啓作達をフォローする言葉を発するが、一美は、逆に慌てて、見えないはずなのに手をバタバタとさせてそう言った。

『それなら……いいんだけど……』

「それに、今日は、坂井君がいろいろ……私の事、助けてくれたから……」

 体育の時の事を思い出し、一美は照れくさそうにしつつ、穏やかに笑って言う。

『…………』

「だから、池君は、今日のこと、気にしないで」

 一美がそう言うと、電話機越しに軽いため息の音が聞こえてきてから、

『解ったよ、吉田さん。そうだ……あの様子だと、坂井、明日は落ち込んでるだろうし、今度は吉田さんが、坂井のやつを励ましてあげなよ』

「え……」

 速人の提案に、一美はあっけにとられたような、短い声を出す。

『あ、いや!』

 一美の驚いたような声に、速人が慌てた声を出す。

『さっきのあれが別に告白だったとは限らないけどさ! あいつの事だから、平井さんにああされるようなことがあったんだとしたら、多分、明日は落ち込んでいると思うんだ。だから……』

「うん、ありがとう、池君」

 

 

『「都喰らい」か……確かにその可能性があるなら、最早捨て置けぬな』

 すでに陽が水平線の向こうに沈み、薄暮の御崎市、坂井家の庭。

 塀越しに道路に面する側、玄関と隣り合うリビングの窓の下で、悠二とシャナは並んで腰を下ろしていた。

「でも、それなら増して、あの “徒” は出てこない。どうやって討滅する気?」

 シャナは、悠二を横目に見ながら、淡々とした口調で言う。しかしそれが、どこか嫌味っぽいというか、悠二に対して批判的な態度と見て取れた。

「フリアグネがトーチを囲い込む自在式を張り巡らせたからね。それを辿っていけば、大体の位置は解ると思うんだ」

『後は悠二が挑発すれば、ちょっかいをかけてくると思います』

 悠二が少しはっきりしないような口調で言うと、ヘカテーがそれを継いで、淡々とした口調でそう言った。

『少し博打の要素があるが、それ以上の方法はないだろうな』

 アラストールが、致し方なし、といった口調でそう言った。

『それに、 “狩人” は、貴様の挑発には乗ってくる可能性は高い』

「つまり、それって……」

 悠二は、妙に神妙な表情で言いつつ、左手で自分の胸を押さえていた。

「……『零時迷子』の事だよね」

『うむ』

 悠二のどこか弱々しい言葉に、アラストールが肯定の言葉を出す。

『実際に、貴様に何が蔵されているのかまでは気付いていないようだがな。「都喰らい」が引き起こされ、それに巻き込まれれば、フレイムヘイズとてひとたまりもない。だが、あの “狩人” が、みすみす目の前にある宝具の入手を諦め、自ら破壊される危機に晒すとは思えん。無論、絶対の保証があるわけではないが』

 アラストールは、重々しい口調で真摯に言ったのだが、それを聞いた悠二は、

「ぷっ」

 と、思わずといった感じで声を漏らす。その表情が、わずかに苦笑気味に笑ってしまっている。

『貴様……何がおかしいというのだ』

 当然、アラストールは若干不機嫌そうな声で問いただす。

「いや、言ってることがまるっきりヘカテーと一緒だったからさ」

 悠二は、妙におかしくて、笑いを押し殺すようにしながらそう言った。

『なんだと……いや、当然か。「都喰らい」は、 “紅世” 由来の者、それに関わる者、すべてにとって禁忌だからな』

 アラストールは最初、怒気を孕んだ様に声を低くして言いかけたが、すぐに、納得したようになってそう言った。

『そう言うことです』

 ヘカテーは、アラストールに同意の言葉を出した。

 一方、悠二とヘカテーがアラストールと会話している間、シャナはスーパーのビニール袋から、袋詰めのチェルシー ヨーグルトスカッチを取り出すと、その外装袋に、バリ、と口を開けさせた。

「でも、その()()を犯してまで、フリアグネがやろうとしていることはなんだろうって、アラストールは何か、見当つく?」

 悠二が、アラストールに問いかける。

『……ふむ…… “頂の座” ?』

『言えることがあるのであれば、話してくださって大丈夫です』

 アラストールは、少し逡巡し、ヘカテーに同意を求める。すると、ヘカテーはアラストールにそう答えた。

『“棺の織手” の事は聞いているであろう? 当然、 “頂の座” は知っているはずだな?』

「ああ、それは聞いてる」

『知っていますが…………あ! まさか、そう言うことですか!?』

 悠二に続いて、ヘカテーも答えるが、それで何かに気付いたように、声を上げた。

「何か知っているの、ヘカテー?」

 悠二は、視線をシャナの胸元の『コキュートス』から、目の前に上げた自身の右手の『ニーベルンゲン』に移し、問いかける。

『はい、 “棺の織手” がやろうとしていたことが、ヒントなのではないかと。そうですね、 “天壌の劫火” ?』

『うむ、 “頂の座” は、(ワレ)と同じ事を考えているであろう』

 ヘカテーがアラストールに確認を取ると、アラストールはそれを肯定した。

「“棺の織手” がしようとしていた事? そう言えば、それはまだ聞いたことがなかったな」

 悠二がそれは意外だった、というように言葉に出す。

『それは、新たな生命の創造、です』

「!?」

 悠二の表情が、俄に険しくなる。

 一方、シャナは、悠二の方は向きつつも、会話に積極的に参加する様子はなく、チェルシーの個別袋を破いて、中身の飴玉を口に放り込んでいた。

『“棺の織手” には、愛した、 “この世” の女性がいたのです。ですが、その女性は非業の死を遂げました。そこで “棺の織手” は、その女性の亡骸と、自身の要素とを合わせ、2人の、つまり、子供をつくろうとしたのです』

「相手の女性は死んでいるから、いくら自在法で搦手を使っても本来は不可能……だから莫大な “存在の力” でなんとかしようとした……」

『そう言うことです』

 悠二の、険しい表情で呟くように言った言葉に、ヘカテーが肯定の返事をした。

 悠二は真剣な表情をしていたが、その一方で、シャナに向かって左手を差し出し、手のひらを上に向けた。

『ただ、 “狩人” がその様な動機を抱く対象がいるのかどうか……彼は完全な放蕩派ですから、私も彼の個人的な行動までは把握しきれていません ── 恥を偲んで聞きますが、 “天壌の劫火” には見当がありますか?』

『さあてな……流石にそこまでは、我にも見当がつかぬ』

 ヘカテーの言葉に、アラストールはそう答えるが、

「いや……少し気にかかることができたよ……」

 悠二は、呟くようにそう言いながら、左手をシャナの目の前で上下に揺する。

「…………なによ、この手は」

 悠二の手を見たシャナは、苛立ったような口調で言い、悠二をジト目で睨む。

「ひとつくれよ」

 と、悠二も、彼にしてはややぶっきらぼうに言う。

「嫌。私のよ」

 シャナも端的に言い返し、ぷいとそっぽを向く。

「いっぱいあるじゃないか、ひとつぐらいくれたっていいだろ」

「嫌ったら嫌。なんで私がお前なんかにあげなくちゃならないのよ」

 ムキになっていう悠二に対し、シャナはそう言いながら、チェルシーの袋を悠二から遠ざけようとする。

「『都喰らい』の事教えてやっただろ」

「聞きたがったのはアラストールで私じゃない。それに、昨日言われたこともまだ忘れてないから」

 言って、シャナは口の中の飴玉をガリッ、と奥歯で砕いた。

「ぐぬぬ……」

 悠二は、呻くような声を漏らす。

「多少は言いすぎて悪かったと思ってるんだよ!? だから今日だって、こうして教えてやってるのに。いいだろ、ひとつくれよ」

 悠二の方もムキになるあまり、それに固執して声を上げてしまう。

「嫌」

「くれよ!」

「嫌よ!」

「ケチ」

 悠二がその単語を口にすると、シャナは、ピクッと反応して、ふるふると震えだした。

「…………なんですって、よく聞こえなかったわ」

 シャナが、声を低くして訊き返す。

「フレイムヘイズのくせに難聴かよ、どケチ」

「っ!! だぁれが難聴ですって!? それも『ど』までつけたわね!?」

 額に血管が浮き上がりそうな勢いで、シャナが怒鳴り返す。『夜笠』の内側を探り出し、今にも『贄殿遮那』を取り出そうとしているかの様子だ。

「聞こえてるじゃないか!」

 悠二も言うと、右手を伸ばし、手を開く。こちらも『トライゴン』を呼び出す予備動作だった。

『…………』

『…………』

 2人の “内なる王” は、先程の緊迫感を完全に削がれ、最早ツッコむ気にもならなくなっていた。

『子供のケンカだな……』

『お互い苦労しますね、 “天壌の劫火”』

『一緒にされたくはないところだが、同意せざるを得まい』

 ヘカテーの言葉に、アラストールもやれやれとため息をつくようにそう言った。

 2人のフレイムヘイズが、飴ひとつで実力行使に出かけていた状況は、それまで会話の輪の中にいなかった人物の声で遮られた。

「ゆうちゃん、そんなところで何してるの?」

「え?」

 いつの間にか開けられた窓から言葉に、悠二は途端に緊張感を失い、間の抜けた言葉を出してしまっていた。

「!」

 ()()()()()()()()()()がいるとは思えないような、若々しい容姿と、一方で母性も備えた女性が、シャナの目にも捉えられた。シャナも思わず、身をすくめるようにする。

 女性は言うまでもなく、()()()()()()()、坂井千草である。

「?」

「えっと……」

 状況が解らない様子の千草に対して、悠二は言葉に詰まる。

 一方、

「見つかっちゃったわねぇ、『ゆーちゃん』」

 シャナは、彼女にしては珍しく、してやったりといった感じでニヤけながら、悠二に向かって、からかうように言った。

「…………アラストール……」

『なんだ? 「ゆーちゃん」』

 アラストールまで、千草の口調を真似て言う。

「……………………ヘカテー……」

『仕方ありません。いい加減家に入りましょう、「ゆーちゃん」』

 普段知っているはずのヘカテーまで、そう言って、わざわざ千草の口真似をした。

 悠二は、オーバーリアクション気味に、脱力したようにガクッと肩を落とした。

 

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