「ただいまー……」
悠二が玄関の中に入ると、その視線の先で、千草が電話口に立っていた。
コードレス電話機だが、子機は普段、2階に置かれているため、千草は親機の有線受話器で通話していた。
「あ、丁度戻ったみたい。今代わりますね」
千草は、悠二の姿を認めると、そう言って、送話器を手で押さえながら、悠二の方を見る。
「僕に、電話?」
先に悠二の方からそう言うと、千草は浅く頷きつつ、
「同じクラスの、平井さんって人から」
と、言った。
「平井さんが……」
悠二は、表情が強張ってしまうのを自分でも感じた。夕刻の御崎大橋での出来事がよぎる。口の中に金属を噛んだ時の様な苦味を感じ、胸が締め付けられる。無自覚に、左手で自分の胸を押さえてしまう。
そう思いつつも、通話を拒絶する理由もないので、家に上がると、千草から受話器を受け取ろうとする。
「ゆうちゃん」
千草が、送話器が拾わない程度の小声で、悠二の耳元に囁く。
「二股はダメよ?」
「な、何言ってるんだよ!?」
悠二の方は、反射的に大きな声を出してしまっていた。
千草は、いたずらっぽい笑顔を見せてから、リビングに入っていく。
悠二は、「まったく、もう」と、言葉に出そうな表情で千草を見送ってから、受話器を自分の耳元に持っていく。
「……もしもし?」
『あ、坂井君?』
悠二が問いかけると、鈍いと言われる自分でも解るぐらい、電話越しに気まずさが伝わってくるような、ゆかりの声が聞こえてきた。
『あの……えっと、さっきは……ごめんね』
「え……ああ、大丈夫だよ、あれくらい」
悠二は、ゆかりが自分にビンタを食らわせたところを思い返しつつ、苦笑しながら言う。
『でも……さっきは、いきなりあんなこと言われて……驚いちゃって、本当にごめん』
ゆかりは、いつものハイテンションがなく、どこか重々しく、歯切れの悪い口調で、申し訳なさそうに言ってくる。
「平井さんは気にしなくていいよ。僕こそ、いきなりあんなこと言っちゃってごめん」
悠二は苦笑してしまいつつ、穏やかな口調で、逆にゆかりに謝罪するようにそう言った。
「もしかして、その事を気にして?」
悠二は、ゆかりが答えるより早く、訊ねるようにそう言った。
『うん……それも含めてなんだけど……』
「含めて?」
どうにも歯切れの悪い口調のゆかりを、不思議に感じながら、悠二は訊き返す。
『うん……ここからが、その、本題』
「うん」
『坂井君、明日、学校に早く出てこれないかな?』
「えっ!?」
ゆかりにそう言われて、悠二はドキリとしてしまう。
受話器を耳に当てたまま、背中を逸らせるようにして、LDKの中の様子を窺った。千草が、調理器具を洗っている。食器はリンナイ製の後付ビルトイン食洗機があるが、大きな鍋やフライパンなどは流石に収まらない。
それを確認してから、悠二は、あまり自分の声が遠くに届かないように、送話器と口元の間を手で覆うようにして、
「ごめん、明日、僕、学校行けるかわからないんだ」
と、少し潜めた声でそう言った。
明日、悠二は昼間のうちからフリアグネの探索をするつもりだった。当然、学校はサボってしまうことになる。
『あ、そ、そうなんだ……』
ゆかりは、やはり歯切れの悪い言葉で、どこか気落ちしたように言う。
「ごめん」
『あ、別に、坂井君が謝るようなことじゃないよ』
悠二が短く謝罪すると、ゆかりは、少し慌てたように言った。
「それならいいけど……今日の事は、ホントごめん」
悠二は、ゆかりを落ち着かせるように、穏やかな声で言い、重ねて謝罪した。
「じゃあ……」
『…………』
悠二は、このまま終話すると思ったが、そのつもりで言った言葉に、ゆかりが反応せず、少しの間沈黙していた。
「平井さん?」
悠二が、わずかに訝しんで声をかけると、
『それなら、電話越しだけど、ここで言うね』
「えっ?」
ゆかりが、思い切ったように言った。悠二が軽く驚いて、訊き返すように声を出す。
『今日の事……坂井君が私の事好きなんだったら…… あの、その…… 付き合ってもいいよ、って』
「!」
ゆかりの言葉に、悠二は硬直し、言葉を失う。
先程からの、胸を締め付けられる感触が、急激に強くなっていくのを感じる。周囲の室温が、暑いのか寒いのかもごちゃまぜになっていた。
「ひ……平井……さん……?」
『い、言われた時はびっくりして……思わず引っ叩いちゃったんだけど…… だから、お、怒ってないなら…… だけど』
途切れ途切れの言葉が、ゆかりの恥じらいと悠二への負い目が
「で、でも、平井さんは、池の事……」
悠二は、面食らった様子で、慌てて言い返す。
『そそ、その、あの、正直、自分でも解らなくなっちゃって…… 告白されたのなんて、初めてだし、あ、告白したこともないけど…… って、そうじゃなくて、な、何言ってるのかな、私、あはは……』
ゆかりは、自分の感情に対して、混乱し緊張した、上ずった声で言い、照れ隠しに誤魔化すようなわざとらしい笑いも上げる。
『だ、だから……もし、坂井君が、まだ……その、怒ってないっていうか、私に幻滅してないなら…… その、付き合ってもいい…… じゃなくて、付き合って欲しい…… かな』
「…………」
悠二は、愕然とした表情で、電話越しのゆかりの言葉を聞いていた。胸が灼けるような感触に、左手で胸を押さえてしまっている。
『…………えっと、坂井君……?』
悠二が沈黙していたため、ゆかりは不安そうな声をかけてきた。
『……ひょっとして、やっぱり怒ってた?』
「え、あ」
おずおずとした口調で聞いてくるゆかりの声に、悠二ははっと我に返る。
「う、ううん、そんなことないよ。僕も……平井さんが、改めてOKしてくれるとは思ってなかったから、驚いちゃっただけ」
自分の、深いところにある感情を誤魔化すように苦笑しながら、軽い口調を
『あ、それじゃぁ!』
ゆかりの口調が、ぱっと明るいものに変わった。
逆に悠二は、金メッキの
「うん、僕こそ……よろしく、でいいのかな?」
と、なんとか明るい口調を取り繕って、そう言った。
『うん、ありがとう。それと、よろしくね』
ほのかに嬉しそうなゆかりの言葉に、悠二の方は、更に口の中が苦くなる感触を覚えていた。
『それじゃあ、明日……じゃなくて、明後日、かな?』
「あ、うん」
『それじゃあ、おやすみ、坂井君』
「おやすみ、平井さん」
挨拶を交わして、悠二は、ゆかりの方から電話が切れるのを待ってから、ゆっくりと受話器を電話機本体に戻した。
『どう収拾をつけるつもりですか?』
その、悠二が受話器を戻した右手から、ヘカテーの声が問いかけてくる。
「これで……良いんじゃないかな……僕なら、平井さんがトーチだって事…… 解っているわけだし」
悠二は、罪悪感で押し潰されそうな自分の精神を、強引にでも安定させようと、乾いた笑いを浮かべながら、そう言った。
『朴念仁だとばかり思っていましたが、女心を踏みにじることをしますか』
「最低な事してるって、解ってるよ……でも、しょうがないじゃないか」
ヘカテーの淡々とした口調が、悠二には責めているように聞こえた。悠二は泣きそうになってしまいながら、言い返す。
『…………悠二』
「なんとでも言ってくれよ……」
僅かな沈黙の後に、ヘカテーがポツリ、といった感じで悠二の名前を呼ぶと、悠二は、自棄的、自嘲的にそう言った。
『決して褒められた行為ではありません。ですが感心した点もあります』
「え…………?」
ヘカテーが言うと、悠二は、軽く驚いたような声を出しつつ、改めて視線を『ニーベルンゲン』に向けた。
『平井ゆかりはトーチです』
「うん、だからこうして最低な事をして、その場を取り繕ったんだ」
ヘカテーの淡々とした言葉に、悠二は自嘲的なままそう言った。
『ですが、都合が悪いのならトーチを分解してしまうという選択肢もあるんですよ? そうすれば、すべて最初から
ヘカテーがそう言うと、悠二は驚愕したように目を剥いた。
「そんな事、できるわけ無いじゃないか!」
悠二は、千草がリビングに居ることも忘れて、反射的に声を上げてしまっていた。
『ですから感心しました。本当に信念を曲げないつもりだと……私に契約を決意させた相手なのだと……』
「ヘカテー……」
ヘカテーが、いつもの淡々とした口調ではなく、宥めるように穏やかな口調で言う。それを聞いて、悠二は、僅かずつではあるが、冷静さを取り戻しつつあった。
しかし、ヘカテーはさらに言う。
『それに……悠二、あなたはそんなに器用な人間ですか?』
「それは……不器用だって理解してるよ、今だって……」
悠二は、先程までの自嘲的な口調に戻ってしまいつつ、そこに戸惑いが混ざった様子で、少し慌てたように言う。
『その意味を少し考えてみなさい。流石に、それ以上を無償で教えるほど、私はお人好しではありません』
「ちょっ……ど、どういう意味?」
悠二は、さらに慌てたように、無意識に手振りまで加えながら、ヘカテーの言葉の意味を問いただそうとする。
『その……──── 私も、女性ですから』
ヘカテーはそうとだけ言い、しばらく黙り込んでしまった。
坂井家の屋根の上 ──── ではなく、坂井家を遠目に見下ろせる、公営集合住宅の屋上。
真南川線の上り線を、「快速 新高速大崎」の案内幕を表示させた、クモハ5250形に、記録上は戦前製の車体に、エアサス化したTS-117台車を履いた17m級車2両を挟んで、私鉄高性能車群の初期の直角カルダン車を回生ブレーキが効くようにリプレースした8200系8両を連結した電車が、真南川橋梁西岸の踏切前でAW5警笛を鳴らした後、タタタターン……タタタターン……とジョイント音をここまで響かせながら、都心方面に走り去っていく。
「ねぇ、アラストール」
マンションの塔屋部に腰掛けつつ、そのジョイント音を背後に聞きながら、坂井家の方を見つつ、シャナは声をかける、と言うよりは、独白するようにそう言った。
「あなたの
『解っている。お前は自身を燃え
アラストールは答える。 ──── それが悠二やヘカテーが欲している答えの欠片だとは気付かずに。
「うん、ただ契約通り、 “紅世の徒” を討滅する為に闘ってきた」
シャナは顔をあげる。都市部の空ではあるが、澄んだ夜空には無数の星が煌めいていた。
『
「交わらなくても、何も困らなかった」
『…………ああ、交わればむしろ困ることが増える』
「うん、そう思っていた……」
シャナは、視線を下げる。
「けど、アイツは……」
『ふむ……』
「アイツは……正直言って、よく、解らない……」
シャナの困惑に、アラストールは少し間をおいてから、言う。
『フレイムヘイズの多くは、復讐者だ。その為に自身の行動に干渉されることを嫌う。 ……あるいは、長い年月の内に心を擦り減らし、人間らしい心を失っていった者も多いが、いずれにせよ、他者と必要以上に交わることを避ける者は多い。そう言う意味では、お前も大きく外れているとはいえないだろう』
「でも、アイツは……────」
アラストールの言葉に、シャナは悠二やヘカテーの言動を思い浮かべ、その違和感を口に出そうとするが、どう言葉にすれば良いのか思いつかず、言葉が途切れてしまう。
そこへ、アラストールはまるでそれを遮るかのように、言う。
『ごく少数だが、中にはすべてを、あるいは自分の命を賭ける事ができる程の人物、存在、そう言ったものを失った復讐者となる前の段階、 “この世の本当の事” を知り、それを “紅世” の存在から護るためにフレイムヘイズとなった者もいる』
「……だから、アイツは…………」
アラストールの言葉に、シャナが呟くように、小さく言葉を出す。
『でも、こんなやり方は認めない! 僕は! 絶対に!!』
『“天壌の劫火”。これが、あなた達が求めるものだったんですか』
『“守護者たるフレイムヘイズ” ……だが、長く生き永らえた者は少ない。討滅を望む “内なる王” の目的にそぐわなければ、その者自身も、フレイムヘイズとして練達するよりも、周囲の自分が重要視するものをとにかく護ることに集中してしまい、さほど時をおかずに返り討ちにされてしまう者が多い ────』
「じゃあ、アイツ……!」
シャナははっとしたように、後になって自分がどうしてそうなったのかも解らず、坂井家の方に視線を向けた。
『いや……あの者はその典型とはやや異なる』
アラストールが、否定するようにまず、そう言った。
「それは……どうして?」
シャナは、反射的に起こった緊張を解きつつ、不思議そうにアラストールに聞いた。
『まず、あの者は、人が喰らわれるだけであれば、表面上であっても元に戻す手段がある』
「そうか……『零時迷子』……」
アラストールの説明に、シャナは納得したように呟く。
『それに、 “内なる王” が “頂の座” であることだ。 “頂の座” は、討滅者となるべく “この世” に渡り来たわけではない。今までのあの者らのやり取りからするに、 “頂の座” はあの者の心に寄り添う形で “内なる王” となっているのであろう』
「…………」
アラストールの言葉を聞き、シャナの中で、フレイムヘイズとしての悠二の見方が、また別の切り口から捉えられるようになってきた。 ──── ただ、シャナの、また別の意識が、それを認めるのを拒んだ。
「…………フン……」