蒼水の撃ち手   作:神谷萌

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第1話

「ただいま……と」

 住宅街に、徐々に夜の帳が下りる頃、()は “坂井悠二” の “自宅” に帰宅した。

「あ。ゆうちゃんおかえりなさい。今日は少し遅かったのね?」

  “坂井悠二” の “母親” 、坂井千草は、エプロン姿で、LDKの方から出てきて、そう声をかけてきた。

「うん……ちょっと友達に付き合ってて」

 一度、階上の “自室” で着替えようと、階段を上がりかけたところへ、 “母親” に声をかけられて、階段を上りかけた姿勢から、声の主の方を振り向いて、そう言った。

「そう。もうすぐ御飯できるから、すぐに下りてらっしゃいね」

「うん」

 悠二は、 “母親” の言葉にそう答えてから、悠二は階上に上がっていく。千草も、キッチンへと戻っていった。

 

 

 

 御崎市の夜が深くなっていく。

 真南川にかかる、このベッドタウンに不釣り合いなハープ橋の御崎大橋 ──……の、隣にかかる常磐高速度交通網真南川線の鉄道橋を、11両編成の電車が通過していく。

 戦後、所謂 “大東急” が解体された時に、「真南川急行鉄道」として独立したが、都心部に繋がる路線ではあるものの、競合路線が多いわ併用軌道のある支線はあるわで、経営基盤を確立できず、早々に経営危機に陥ってしまった。廃線はまずいということで、全く逆側に上野から仙台・日光方面に向かうJHIS(常磐高速度交通網)が拾い上げた。

 そんな事情もあり、都心部につながる路線だが、()()路線扱いされていて、新鋭の331系はない。昭和40年代のステンレス車である307系8両に、ホーム有効長の関係で所謂20m級がギリギリ11両入らないため、時代遅れなスタイルの18m級車2両をつなぎ、その牽引役として昭和20年代の電車の車体と制御器だけ載せ替えた釣掛式のクモハ5250形をさらに繋いだ状態の凸凹11両編成が、武蔵御崎駅を発車してモーターを唸らせ加速しながら、東岸から、河川敷上のガーター橋、そして河川上のトラス橋へと、西岸へと渡っていく。

 陽の光はすでにないが、真南川東岸の繁華街は色とりどりの明かりが街中を照らし、賑わっている。

 道路を通勤の、あるいは駅までの家族の送迎の乗用車と、西武の路線バス、 「ミサゴバス」なるコミュニティバス、それらが無数に走り、ヘッドライトやテールライトが光の列を成している。そして案の定、御崎大橋のあたりで渋滞を起こしてしまっている。

 武蔵御崎駅から、先程発車していった列車から降りた利用客が吐き出されてくる。ある者はバスターミナルへ、ある者は駐輪場へ、ある者は迎えに来ていた家族の乗用車へ、ある者はそのまま徒歩で。

 あるいはある者は、駅直結型のショッピングモール ── 一定以上の年齢層の住人からは、()依田デパートと呼ばれるそこへ、歩いていく。

 誰も、 “紅世” の存在も、 “この世の本当のこと” も知らず、ただ、各々の()()を過ごしていく ────

 

 

「はぁっ……と」

 夕食と入浴を済ませた悠二は、髪をタオルドライしながら、2階の “自室” に入ってきた。

 照明を点ける。ベッドの枕元にある目覚まし時計に視線を向ける。

 フリップ式のそれは、セイコー QN401のイエロー。悠二にとっては珍しいどころか、実際の生まれた年齢からしてもこちらのほうが年上という昭和の品だ。

 元々は母方の祖父、つまり千草の父が使っていた物だが、千草の実家を訪れた時に、悠二が欲しいとせがんだ、 ──── らしい。

 らしいというのは、悠二自身にそんな記憶が無いのだ。あまりに子供の頃過ぎて、覚えていないだけかもしれないが。

 ただ壊れてもいないし、電池切れの時以外は正常に機能しているので、別段不自由もなく使っている。

 パタッ、とフリップが倒れ、ちょうどPM8時を示した。

 悠二は学習机の方に向かうと、その机の上にあった指輪を、右手の中指に嵌める。

 外見は、飾り気もないただのシルバーの指輪だが、フレイムヘイズの内なる王が、フレイムヘイズ本人やその他の外部の人間と意思疎通をするための “神器” 、ヘカテーと悠二にとってのそれに当たる。

 契約者や、その内なる王によっても変わる。ヘカテーが “炎髪灼眼の討ち手”、内なる王を “天壌の劫火” と呼んだ、彼女らにとっては、緋色の宝玉が嵌ったペンダントが、それに当たるのだろう。

 ヘカテーと悠二は、その指輪を『ニーベルンゲン』と呼んでいた。

 悠二はその右手を顔に近付け、『ニーベルンゲン』に向かって、問いかける。

「ねぇ、ヘカテー」

『なんでしょう、悠二?』

 ヘカテーが聞き返す。

「他のフレイムヘイズに逢ったのって、今回が初めてだけど、みんな、あんな感じなの?」

『私も、フレイムヘイズの事情にそれほど精通しているわけではありませんが──』

 ヘカテーは、そう前置きしてから、

『この説明は何度目かになるかと思いますが、フレイムヘイズというのは、基本的に復讐者です。各々の事情で “紅世の王” と契約し、 “徒” を討滅しています。そう言う意味では、彼女の馴れ合いを嫌う態度は珍しいことではないと言えます』

 と、答えた。

「え、でも、 “徒” は集団で動くんだろ、それじゃ対抗できないんじゃ」

 悠二が、少し驚いたような、困惑したような表情で、再度問いかける。

『いえ。 “徒” も、基本的には人間のようには群れることには適していません。それに、自身の好奇心や興味といった、自身の都合で渡り来る事が多いですから、干渉を嫌う者がほとんどです』

「それじゃあ、ヘカテーの居た[仮装舞踏会]なんかも」

『はい。基本的に力の強い “王” が、その眷属とともに、その力と畏怖で抑えつけているに過ぎません。[仮装舞踏会]も例外ではありません』

「そうなんだ」

 ヘカテーの説明に、悠二は、納得の声を出しつつ、一瞬、天井を見上げた。

『それに、フレイムヘイズにも支援組織があって、「(アウ)()宿(ロー)」と呼ばれていますが、それがフレイムヘイズに対して呼びかけを行うことはあります』

「え、それじゃあ、あの子が他のフレイムヘイズを呼び寄せることになるんじゃ……」

 悠二は、軽く驚き、困惑した表情で『ニーベルンゲン』を凝視する。

『その心配は薄いと思います。先程言ったとおり、フレイムヘイズは自身の行動理念に縛られていますから。悠二、あなただってそうでしょう?』

「そっか……」

 ヘカテーの説明を聞いて、悠二は、少し安堵したように、同時にどこか寂しそうに、漏らすようにそう言った。

『まぁ、 “弔詞の詠み手” や “万条の仕手” あたりですと難しいことになるかもしれませんが、 “炎髪灼眼の討ち手” はともかく、 “天壌の劫火” は理性的な人物ですから』

「さっきは結構酷い言い方してた気がするけど」

 ヘカテーの良い様に、悠二は苦笑しながらそう言った。

『あれは……本人を目の前にした挨拶みたいなものです』

 淡々とした口調が、急に言い訳じみたものに変わったため、悠二は思わず笑い声を上げてしまう。

「あはは」

『可笑しくありません! 本来であれば敵同士だったんですよ、私とは!』

 悠二の気の抜けた様な笑い声を聞いて、急にヘカテーがムキになったような声を上げる。

「あ……ごめん」

 そのヘカテーの声に、悠二は、はっと我に返ったようになり、申し訳無さそうにそう言った。

『いえ……謝ってもらうほどのことではありません』

 少し戸惑ったようにした後、ヘカテーは冷静さを取り戻したように淡々とそう言った。

『ですが、確かに今の “炎髪灼眼の討ち手” には、どこか違和感を感じますね』

 ヘカテーが言う。

「違和感?」

 悠二が、意外そうに聞き返す。

『フレイムヘイズらしくないといいますでしょうか、彼女の行動理念は感情からくるものではないような気がします。そういう意味では、悠二より特殊かもしれません』

「僕より……って」

『いえ、その点に関して言えば、悠二のパターンは一番多いものではないというだけで、珍しいという程のものではありませんよ?』

「そうなの?」

 軽く驚いたような表情で、悠二は再度『ニーベルンゲン』に強い視線を向けた。

『はい』

「ふーん……」

 悠二は、納得したような、どこか曖昧な声を出した。

「でも、僕も彼女には違和感を感じたな」

 悠二は、呟くように言う。

「彼女、ほとんど炎を使わなかった」

『さすが悠二ですね、気が付きましたか』

 ヘカテーは、静かながらも、少し弾んだような声を出した。

「もともと、 “炎髪灼眼の討ち手” てあんな感じなの?」

『私が直接目にしたわけではありませんが、先代の “炎髪灼眼の討ち手” は、 “天壌の劫火” の名にし負う炎の使い手だったと聞きます。紅蓮の劫火を自在に操り、武器防具や、果ては軍勢までも具現化したとか』

「軍勢までも……それは凄いな……」

 ヘカテーの説明に、悠二は、息を呑むように言う。

「でも、彼女は刀術と格闘術はかなりのように見えたけど、炎はほとんど使わなかったな」

『契約者側の資質によるところもありますから、あれが彼女のスタイルなのかもしれません』

「そんなものなのかなぁ……」

 悠二は、ヘカテーに返すというより、誰にともなく呟くようにそう言った。

「それにしても……」

 悠二は、軽く困惑したような様子で、天井を見上げた。

「気づかれてないと思ってるのかな……」

 

 

「なんなのよ、なんなのよあのフレイムヘイズは!」

 坂井家の屋上。

 上に地上波用のUHF八木アンテナ、その下に衛星放送用のパラボラアンテナが連なり、それが屋根馬で建てられている。その屋根馬の隣に、彼女は腰掛けて、どこかぶっきらぼうな声を出していた。

「自分の “存在の力” を犠牲にして、トーチに分け与えるなんて!」

『ふむ……「零時迷子」がある故、無謀な行為とは言い切れないが……』

 胸元のペンダント ── 『コキュートス』から、アラストールが少女に声をかけてくる。

「それにしたって、どうしてトーチなんかを延命して! そんなことをしたって、死んだ人間が元に戻るわけでもないのに!」

 少女はやはり、荒い声を出す。それは憤りというよりは、子供が癇癪を起こしているように見えた。

『考え方の違い、尊厳の根源がどこにあると捉えるかによるだろう。少なくともあの者は、それが無駄な行為だと思っていないからこそああしているのだ』

 それに対して、アラストールは、穏やかに、子供に諭して聞かせるようにしてそう言った。

『現実には多様な面が存在する。ひとつの現実が必ずしも同一の事象と受け止められるとは限らぬ。あの者の言ったとおり、たとえトーチであっても消滅に至っていなければ、その尊厳が消失したと認めない、そう言う考え方ができるのは確かだ』

 ちょうど、アラストールがそこまで言った時、2階の、ベランダのある掃き出しの窓のサッシがカラカラと音を立てて開かれた。

「よっ……と」

 悠二は、ベランダの手すりを踏み、ひさしに手をかけてその上に跳び上がると、軽く屋根に着地した。

「なに……突然」

 近づいてくる悠二に対し、少女は、上目遣いで、しかしどこか睨むような視線を向けた。

「いや……こっちの方が聞きたいぐらいなんだけどね、ずっとうちの屋根にいてさ」

 悠二は、少し困ったようにしつつ、聞き返すように言う。

『さすがに気付かれていたか』

「まぁ、これだけ近ければね」

 アラストールの言葉に、悠二は苦笑しながら答える。

「まだ春先だし、夜にこんなところにいたら、冷えるんじゃないかと思って」

 そう言った悠二は、左手にピーコック製のキャリーハンドル付き魔法瓶水筒を持っていた。

「大丈夫。泊まれるところがないことなんてよくあることだから。夜空の下は慣れてる」

 少女は、悠二に、微かに睨むような視線を向けたまま、愛想の欠片もなくそう言った。

「フレイムヘイズが生身の人間より頑丈なのは確かだけどさ、人の好意ぐらい受けてくれてもいいんじゃないかと思うんだけど」

「無為の好意ほど用心の必要なものはない」

 悠二の言葉に、少女はつっけんどんにそう返した。

「フレイムヘイズと解って襲うバカはいないと思うけど……」

 悠二は、さすがに苦笑を辟易としたような感じにしながら、そう言った。

『まぁ、待て。2、3、聞きたいこともある』

 アラストールが、少女をたしなめるように言う。

「聞きたいこと?」

 悠二は、不思議そうにアラストールに問い返しつつ、屋根の頂点に、少女と並ぶ形で腰掛けた。

『フレイムヘイズは、人間が己の過去、現在、未来すべての運命と引き換えに、 “紅世の王” と契約してなるものだ。その存在は、 “存在の力” を喰われたことと同様、世界から “なかったこと” になる。しかし貴様は、こうして家族がいて、日常の中で暮らしている』

「…………それは、僕がいなかったことになったという矛盾に、今の僕自身を割り込ませただけだよ」

 アラストールの問いに対して、悠二は少し憂い気な表情になって、そう言った。

『なるほど……そこは、流石は “頂の座” のフレイムヘイズというわけか』

『そう言うことです』

 アラストールが感心したように言うと、ヘカテーは淡々としながらも、どこか得意げな様子を感じさせて、そう言った。

 その間に、悠二は、どこか寂しそうにそう言いながら、魔法瓶の中身を、カップに注ぐ。芳醇な香りのする湯気が、まだ春先の夜空の下に、ほのかに漂った。

「はい、これ」

 そうして、悠二はカップを少女に差し出す。

「少しは温まるよ」

「ふん」

 ツンとした様子で鼻を鳴らしつつも、少女は、悠二の手からカップを受け取った。

『しかし、そうだとすると、貴様の家族や友人は ──』

「うん」

 アラストールの唸るような言葉に、悠二は短く声を出した。

 少女は、カップの中の液体を、吹いて冷まそうとしている。

「本当の僕は ── ヘカテーと契約する前の僕は、もう誰の心の中にもいない。連続していない、契約前の “坂井悠二” と、今の僕という存在を、区別できないようになっているだけ」

『悠二……』

 ヘカテーが、短く声を出す。

 少女は、寂しげな悠二の顔に一旦視線を向けつつ、カップの中身をひとすすり、口に運んだ。

 

 

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