「んくっ!?」
カップの中身を口に含んだ途端、少女は目を白黒させて、腕を伸ばしてカップを口から離しながら、激しくむせる。
「だ、大丈夫!? なにかあった!?」
少女の様子に、悠二は慌てて身を乗り出すようにし、声をかける。
「ゲホッ、ゲホッ……ぁに……こぇ…………苦……ぁ……」
少女は涙目で、子供が半べそをかいたような表情で、震えながらそう言った。
「こ、コーヒー飲んだことないの!?」
それまでのイメージが崩れた様子の少女の姿に、悠二は慌てたような口調のまま聞き返す。
「こ、こんなに苦いの、飲んだこと、ない……」
「ええっ、砂糖はだいぶ入れておいたはずなんだけど!?」
少女の言葉に、悠二は更に驚いた様子で声を出した。
「え、えっと待ってね、予備の砂糖、予備の砂糖と……」
言いながら、悠二は着ていたジャンパーのポケットを弄り、そこから外装袋の封が切られた状態のスティックシュガーを取り出す。
「はいっ、って、あっ」
悠二がそれを差し出すと、少女は、3、4本、ひったくるように抜き取って、封を切り、カップの中のコーヒーにその中身を落とす。
悠二はその光景を見て、ゴクリと喉を鳴らした。
「スプーン!」
「あ! はいはい」
少女がそう言って、悠二に向かって手を伸ばす。悠二は砂糖を出したのとは反対側のポケットから小さめのコーヒースプーンを取り出して、少女に手渡した。
少女は、渡されたスプーンで丁寧にカップの中身をかき混ぜてから、恐る恐るといった様子で、それを口に運んだ。
「くすっ」
それを見て、悠二は、思わず、といった感じで微笑む。
「何がおかしいのよ」
それに対して、少女は、決まり悪そうにしながら、悠二に、睨むように目を細めて視線を向けた。
「いや、そう言う表情もできるんだなと思って」
「なによ……フレイムヘイズだって元は人間でしょ」
微笑ましそうに少女を見る悠二に、少女はぷいとそっぽを向いた。
「ところでさ……」
悠二は、話題を変えるように切り出した。
「僕を見張るのは解るけど、夜の間ずっと屋根の上にいるつもりなの?」
「そうよ」
悠二が、微かに表情を険しくして訊ねると、少女は、まず短くそう答えた。
「さっきも言ったけど、外で寝るのは慣れてるし、なにかあったらアラストールが起こしてくれるはずだから」
「でも、……『零時迷子』の事でそうしているのは解るけど、僕だって一応はフレイムヘイズだし、四六時中張り付いててくれなくても、自分の身を守ることぐらいはできるけど……」
悠二は、手振りを加えながら、少女を気遣うように言う。
『それが、並みの “徒” であればな』
アラストールが、重い口調で言った。
「それって……[仮装舞踏会]のこと?」
悠二は、更に表情を引き締めつつ、そう言った。
『“頂の座” の言葉が真実であったとしても、[仮装舞踏会]が「零時迷子」の探索を諦めたわけではあるまい』
「それは……確かに」
アラストールの言葉に、悠二は少し戦慄したような表情になる。
『現に貴様がそうしているように、「零時迷子」は紅世に関わる者にとって、万能の力を得るに等しい秘宝中の秘宝。欲しているのは[仮装舞踏会]だけではない!』
「現に今、この街にフレイムヘイズが居ると知って、逃げもせずに潜んでいる “徒” がいる」
勢い語尾が荒くなってしまったアラストールに続いて、少女がそう言った。
「それは……可能性としては考えていたけど」
『むしろ[仮装舞踏会]以外の方が危険とも言えますね。 “壊刃” あたりは手の内は知っていますが、完全な放蕩派となると、私の知っている相手かどうか』
悠二が息を呑むようにして言い、それにヘカテーが続いた。
『それに、正直なことを言えば、我らとしてはまだ “頂の座” を完全には信用していない』
「だから、お前自身がどうするのか、何をするのか見張るのも私達の使命」
アラストールの声に続いて、少女が険しい視線を悠二に向けて、そう言った。
「うーん……やっぱりそうなっちゃうのかぁ……」
少し脱力したようにしつつも、困惑した表情で、悠二がそう言った。
『ある程度のことは仕方がないとは解っていますが』
ヘカテーは淡々と言うが、語尾にため息をつく様な抑揚になった。
『特にやましいことがないのであれば、別に見張られていても問題はなかろう』
「いや、別にそれはそうなんだけどさ」
アラストールの言い種に、悠二は決まり悪そうな苦笑で言う。
「いくらフレイムヘイズだと解っていても、女の子が屋根の上で野宿してると思うと落ち着かなくて。まだ明け方近くは冷える時期だし」
「……中に入れっての?」
少女はじろっと悠二に視線を向けて、少し訝しげな様子でそう言った。
「夜空の下で一晩中座ってる女の子を放っておくってのは、ハッキリ言って安眠妨害だと思うんだけどな」
悠二は苦笑したまま、少し言葉を選ぶようにしつつ、問いかけるような語尾でそう言った。
「お前の安眠なんて知ったことじゃない」
少女はそう言って、また、視線をそらしてそっぽをむこうとしてしまう。
『しかし、 “頂の座” が何かを企んでいるのなら、できる限り視界に入れておいた方がいいのも事実』
「け、結局そこに行き着くの?」
アラストールの言葉に、悠二が更に脱力したように肩を落とす。
『当然だ。何を考えているのかわからないというのは、明らかな敵意より恐ろしいからな』
「ぐぬぬ……」
アラストールの言い様に、悠二は無理やり口元で笑いながら呻くような声を漏らした。
「アラストールがそう言うなら仕方ないけど」
少女は立ち上がりながら、至極真剣な表情で、悠二に視線を向けて言う。
「変なことしたら、ぶっ飛ばすわよ?」
「…………」
その言葉に、一旦姿勢を直した悠二が、ぽかん、として少女を一瞥してしまう。
『安心して下さい。悠二はそのような特殊な趣味はしていませんから』
悠二が言葉を出せずにいると、代わりにヘカテーがすっぱりとそう言った。
「っ……うるさいうるさいうるさい!!」
「って、うわっ、ちょっ……」
少女がムキになって声を張り上げつつ、悠二にカップを投げつける。カップは悠二には命中しなかったが、それを受け止めようとして、バランスを崩しかけた。
「えっと、正式な自己紹介がまだだったと思うんだけど……」
悠二は、少女とともに一旦ベランダに降り立つと、そこで、少女と向かい合って借り出した。
「今更かもしれないけど、僕は “頂の座” のフレイムヘイズ、名前は坂井悠二」
自分の胸元に手を添えるようにしてそこまで言い、そこで少し困ったように苦笑した。
「称号は多分、まだない。呼ばれたこともないし、自分で名乗るのもなんか気恥ずかしくて」
『まぁ、 “頂の座” がフレイムヘイズの “内なる王” になろうとは、誰も考えていなかっただろうからな』
アラストールが、どこかため息交じりのような口調で言う。
「私は “天壌の劫火” アラストールのフレイムヘイズ、称号は “炎髪灼眼の討ち手”」
少女は、悠二の胸元ぐらいから見上げるようにして、そう名乗る。いささか険しい表情ではあるが、先程までよりは和らぎ、真摯な表情で自己紹介をしたように見えた。
しかし、少女の言葉がそこで止まってしまうと、悠二は不思議そうな表情で小首を傾げた。
「……それだけ? 君自身の名前は?」
「私は、 “天壌の劫火” を “内なる王” とするフレイムヘイズ、ただそれだけ。他に名前なんてない」
少女が『コキュートス』のペンダントを、そのチェーンに指をかけるようにして持ち上げながら、どこか憮然とした表情でそう言った。
「え…………」
それを聞いた悠二は、一瞬、呆然と立ち尽くしてしまう。
「他のフレイムヘイズと区別する時は、 “炎髪灼眼” とか “天壌の劫火の” 、あるいは “『贄殿遮那』の” 、って呼ばせてはいるけど」
「ニエトノノシャナ?」
少女が発した最後の “呼び名” に、悠二はオウム返しに聞き返す。
「『贄殿遮那』。私が持っている古太刀の名前」
「あ、そ、そうなんだ……」
少女の言葉に、悠二はそう言って、一瞬置いてから仄かなため息をつく。
「とりあえず……中に入ってよ」
悠二は、掃き出しの窓から自室に向かって、少女に入室するように促した。
少女は、悠二の部屋に入ると、軽く首を振って、室内を一瞥する。
「…………」
そして、ベッドの枕元のある一点を注視して、はっと何かに気づいたような表情をする。
パタッ……と微かな音を立てて、QN401がPM10:12を表示した。
少女はそのQN401を注視していたが、その動作だけで、特に言葉として何かを発することはなかった。
「ああ、それ、珍しいでしょ? 今どき……」
一度少女に背中を向けて、サッシを閉じて、そのクレセント錠を鎖錠した悠二が、少女の背中越しにその様子に気づくと、苦笑しながらそう言った。
「なにせ、ヘカテーも珍しがってたぐらいだからなぁ」
『ええ、それが造られた時代、[仮装舞踏会]でも、この島国には迂闊に近づけませんでしたから』
悠二が苦笑しながら言うと、ヘカテーがそれを受けた言葉を発した。
『“天目一個” か』
『はい、そう言うことです』
アラストールの言葉に、ヘカテーが肯定の返事をした。
悠二はそれ以上は気に留めず、少女の背後を通過するようにして、部屋の扉の方へと歩いていく。
「ベッドは君が使っていいから、僕はリビングのソファででも寝るから」
ドアノブに手をかけながら、振り返る姿勢で悠二がそう言うと、それまでQN401に気を取られていた少女が、険しい表情をして振り返って、
「何を言ってるの、お前を少しでも近い場所で見張る為に中に入ったのに、部屋が別々じゃ意味がないじゃない」
と、少し荒い口調でそう言った。
「いやでも、それは……」
『諦めてここで寝ろ』
何か反論しようとした悠二に対して、アラストールは静かながらも重く強い口調でそう言った。
「やっぱり……そう言われると思ってたよ」
悠二は、一度身体を少女の方に向けて、乾いた苦笑をしながら、困ったような顔でそう言った。
「と、とりあえず床に敷く布団を持ってくるからさ、もし着替えるんならその間に。あ、寝間着が必要なら、ベッドの下の
「解った」
少女はまだ棘のある視線を向けながら返事をしたが、悠二はそれを聞いてから部屋を出た。
「ふぅ……」
悠二は、廊下に出て後ろ手にドアを締めると、そこで緊張を解くように、軽くため息をついた。
その向こう側の少女を意識するように、振り返って扉を見る。
「他のフレイムヘイズに見つかると、こうなるとは解っていたつもりだけど、実際になってみると、やっぱりあまり気持ちいいものじゃないなぁ」
『それは仕方ありませんね』
悠二が少し疲労感を伴ってそう言うと、ヘカテーが淡々とした口調でそう言った。
「でもさヘカテー、
悠二は、
『あり得ません。以前説明したとおり、フレイムヘイズはその成り立ちから、自己というモノに囚われていることが普通です』
「普通じゃなかったら?」
悠二が少しだけ表情を険しくして問い返すが、ヘカテーが答えるまでに一拍の間があった。
『…………人為的につくられたフレイムヘイズの可能性があります』
「そんなこと……可能なの?」
悠二は内心、その内容にかなり驚いたが、声は潜めて訊き返す。
『かつて……1人の “紅世の王” がそれを実験したことがあります。結果は……決して成功とは言えませんでした』
普段、淡々とした様子で話すヘカテーが、やや躊躇うように口調を乱しながらそう言った。
「彼女が……そうだっていう可能性があるの?」
悠二は一度歩みを止めて、自室の方を見上げるように振り返る。
『いえ、その時に生まれた、現在も健在なフレイムヘイズは、[仮装舞踏会]にいた時に把握していましたから。その中に “天壌の劫火” のフレイムヘイズは含まれていません』
「そっか……」
悠二は軽く息を吐き出し、緊張を解いてから、移動を再開する。
『いずれにせよ、彼女のその特異性が、悠二や私が感じている違和感の原因かも知れません』
「ふーん……」
悠二は、ヘカテーとの会話を一旦そこまでにすると、客間にしている和室に入り、その押し入れから一組の布団を引っ張り出す。
「でも、それだとしたら……」
『…………』
布団を抱えて階段を上がりながら、悠二はつぶやく。
そして、自分の部屋の前まで戻ってきたところで、そのドアを開く前に、意を決したように目元を引き締める。
「よし、決めた」
悠二は、そう口にして、左腕で軽く布団を抱えたまま、ドアを開けた。
「ねぇ……っ、て、あ?」
悠二は、少女に話しかけるつもりでいたが、その姿を見て、絶句して、一瞬、身体も硬直させてしまう。
「…………」
少女も、目を大きく
少女は着替えている最中、しかも、下着を取り替えようとしていたところだった。つまり……
「こ、これは、別に、決して見たくて見たわけじゃなくて……」
「う、うるさいうるさいうるさーい!!」
少女は、替えの下着を取り出していたマントのような黒衣から、即座に『贄殿遮那』を取り出す。
悠二は弁明しようとしたが、少女は髪と瞳を燃え上がる炎のような鮮やかな紅に変え、悠二に対して斬りかかろうとする。
「ひっ!」
バシッ
悠二も瞬時に髪を “明るすぎる水色”、瞳をその明度が暗くなった碧に染めると、布団を取り落としながら、古太刀の刀身を正面で真剣白刃取りした。
「は、話せば分かる!」
「問答無用!!」
「で、でもこの体勢……」
「何っ!?」
「丸見え……」
「…………!」
少女は我に返ったように、一瞬自身の肢体に視線を向けるようにすると、更に顔を真っ赤に染めた。
「う、う、う、うるさいうるさいうるさーいっ!!」
「ぐぼっ!」
刀に込めた腕の力はそのままに、少女の爪先が悠二の鳩尾に鋭く突き刺さった。
ゴイン!
悠二の腕の力が緩んだ瞬間、一瞬引き戻された刀の峰が、悠二の脳天に叩きつけられた。
「ぐへっ!!」
悠二は、その衝撃でそのまま意識を刈り取られた。