ピロピロピロピロ……ピロピロピロピロ……
「ん……」
悠二は、机の上から聞こえてくる電子音で、意識を取り戻した。
「あ、あれ……昨日……確か……」
つぶやきながら、むくっ、と上半身を起こす。すると、自身はジャンバーを身につけたまま、布団に寝かされていた。掛け布団が悠二と反対側にもたれていく。
とりあえずと立ち上がり、QN401……ではなく、机の上においてあるスマートフォンのアラームを止める。
「えっと……」
『やっと目が覚めましたか、女の敵』
悠二が、あたりを見回す仕種をしながら、状況を理解しようとしていると、ヘカテーの不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「へ、変なこと言わないでよ。あれは事故だって。ヘカテーだって見てただろ!?」
『だといいんですけどね』
「ちょっと、ヘカテー!」
悠二は、苦い顔をしつつそう言い返しながら、ベッドの方に視線を向ける。少女の姿はなかったが、布団の乱れが、誰かがそこを使ったことを示していた。
悠二は掃き出しのサッシに近づく。窓は閉まっていたが、内側からしかかけられないクレセント錠は、施錠されていない状態だった。
「もう、出ていっちゃったんだ」
『夜が明けて、すぐに出ていきましたよ』
悠二はつぶやくように言ったが、ヘカテーは淡々とした口調で答える。
「そっか……」
悠二は、クレセント錠をかけつつ、気の抜けた様に軽く息を吐く。
── 伝えそびれたな……
そんなことを思っていた悠二を見透かすように、
『だいぶ彼女にご執心ですね』
と、ヘカテーの声が聞こえてきた。その口調は淡々としていたが、それがどこか不穏な雰囲気を感じさせた。
『“そっち側” に目覚めましたか?』
「ちょっ、な、何言ってるんだよヘカテー!?」
悠二は、軽く驚いて慌てたように、右手を軽く持ち上げると、その中指に嵌まる『ニーベルンゲン』に視線を向けつつ、そう言い返す。
『気にすることはありません。[仮装舞踏会]にも趣味の合いそうな変態がいますから』
「だからそんなんじゃないって、って言うか変態って何!?」
口調は淡々としているが、明らかに不機嫌そうに低い声で言うヘカテーに、悠二はあたふたと慌てふためいてしまった。
さらに言い合いが続くかと思われたが、それを遮るように、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「悠ちゃん、1人で騒いでないで、そろそろ準備しないと、遅刻するわよ?」
ドア越しの千草の声に、
「あーっと、す、すぐ降りるから!」
と、悠二は反射的に、声を軽く張り上げて
悠二は、急いで着替えて登校する準備に取り掛かる。
『…………』
ベッドの枕元にあるQN401の位置が、いつもとは、少しだが明らかにずれていたことに、
悠二が部屋を飛び出そうとした時、QN401がパタ……と微かに音を立てて、AM8:07を示した。
『余程、 “頂の座” のフレイムヘイズに悪い印象を持っているようだな』
アラストールの声がかけられる。
その語源「
「『気を許すな』って最初に言ったの、アラストールじゃない」
『コキュートス』のペンダントを首にかけながら、少女は不機嫌そうに言う。
『確かにそうは言ったが、あからさまに敵意を剥き出しにするなどお前らしくもない。それほどあの者の行為が気に入らなかったか?』
「…………」
アラストールの問いかけるような言葉に、少女は微かに眉間に皺を寄せ、少し逡巡するように黙ってから、
「気に入んない」
と、答えた。
御崎高校。
御崎市内にある県立の高等学校で、学力的には、進学校ではあるが、旧帝大は少し厳しい、という程度。
その理由は立地にあり、御崎市を東西に分けて流れる真名川の西側、戦後ベッドタウンとして住宅街の広がった地域にあるためだ。鉄道駅は対岸にあり、そもそも戦前は、東西は別の自治体だった。戦後、合併して現在の御崎市になった後も、バスはあるが本数も頻繁ではないとなると、西側の住宅街から他へ通勤・通学するには駅まで自転車やバイクが使えても、市外から御崎高校へ通うのには少し不便がある。
“坂井悠二” は、この春に入学したこの御崎高校に登校していた。
悠二は自身の学級である1年2組の教室に入ると、室内を軽く見渡した。
── 池はまだ来てない、か。
「よぉ、さーかい」
前側の出入り口に立っていた悠二に、その背中をぽんと軽く叩かれ、声をかけられた。
「佐藤、田中」
悠二が振り返ると、高校に入ってから交流を持つようになった、
身長は悠二とあまり変わらないが、精悍さを備えた優男が啓作、顔立ち自体は整っているがゴツい巨漢が栄太、という凸凹コンビである。
「なんかボサッとしているのはいいけどよ、出入り口に突っ立ってたら少し邪魔だぜ?」
「あ、ああ、ごめん」
啓作に言われて、悠二ははっとしたように、室内に入ろうとする。
「そうボケっとしてるようじゃ、今日の1時間目の日本史、小テストだってこと、忘れてるんじゃないのか?」
「あ……そういえばそうだっけ」
啓作が少しからかい混じりの苦笑でそう言うと、悠二ははっとしたようになる。
実際、昨日の夕方から色々とあって、失念していたのは事実だった。
「一応見直しておくかな、
悠二は誰に言うというわけでもなく、呟きながら自分の席に向かおうとするが、
「教科書の方が間違ってる?」
と、背後から栄太の声でそう言われて、焦って2人を振り返る。
「あ……いや、別に、なんでもない、こっちのことっ!」
キョトン、とした様子で小首を傾げる栄太に、悠二は慌てた様子で手をバタバタさせながら言い、それから引きつった笑いを浮かべてしまう。
「?」
栄太はなおも不思議そうにしていたが、それ以上悠二に問い質すことはせずに、啓作ともども自分達の席に向かっていく。
悠二はふぅ、と軽くため息を付いた後、通学カバンの中の教科書やノートを机に移し、その中から日本史の教科書を机の天板の上に残し、カバンを机の横のフックに掛ける。
「むー……」
教科書をパラパラとめくってみるが、
「範囲わからないなぁ……」
教科書を両手で掴んで、少し厳しい顔をわざとらしく作ってみたりしながら、それと睨めっこをする。
すると、悠二の隣の席に、登校してきた女生徒がやってきた。やや小柄で、ボリュームのあるロングヘアに、左右にヘアゴムでアクセントを付けている。
「あ、平井さん、今日の日本史のテスト ────」
悠二は、同級生であるその女生徒、
「!!」
と、その姿を視界に捉えて、表情を引きつらせ、絶句してしまった。
── トーチだ。
悠二は息を呑む。
── 昨日までは違った。生身の平井さんだった。
記憶を辿り、昨日の出来事を思い出す。
── 昨日の商店街での戦いに巻き込んだんだ!
封絶が貼られたと同時に、燐子を先回りするようにして仕掛けたとは言え、それでも数人の巻き添えを出してしまった。
昨日、悠二は燐子と遭遇するその直前まで、ゆかりと行動をともにしていた。
悠二は罪悪感を抱きつつも、ゆかりに視線を向け直すと、本来 “徒” に “存在の力” を喰われた人間の
悠二の視界の中で、ゆかりの胸元に、視覚的に燃え盛る炎が浮かび上がる。それは、青みがかったようにも見える薄い白色をしていたが、
── よし……勢いは充分ある、あれなら……
本来
── でもおかしいな、どうして……
「──……かいくん、坂井君ってば!」
自分の名前を呼ぶ声に、悠二ははっと我に返る。
「え? あ……えっと?」
「どうしたの? 私、なんか変なカッコしてる?」
目の前の快活そうな少女は、小首をかしげるようにして、悠二の顔を覗き込んでくる。
「あ……ううん、ちょっと変なこと思い出しちゃって」
「変なこと?」
悠二が誤魔化す様にそう言うと、ゆかりは不思議そうな顔をしたまま、訊き返してくる。
「あ、ううん、こっちのこと。あ、それより平井さん、今日の小テストの範囲教えてもらえないかな?」
悠二が少し強引に話題を変えると、ゆかりはしょうがないなぁ、というように苦笑して、自分の教科書を手にとって、悠二のそばに寄る。
「えっと……だいたいここから……」
やがて。
キーンコーンカーンコーン……
悠二がゆかりとやり取りしていると、昭和40年代から全国の学校を席巻してきた定番中の定番の合図のシグナルサウンドが校舎中に響く。
「ありがとう、助かったよ」
「いいよ、私がなにかやらかしたらその時はよろしく」
そう言って、悠二とゆかりは正面を向いて席に座り直す。だが、まだ何人かの生徒は席から離れて談笑していた。
わずかに間をおいて、教室の前側の引き戸が開く。
「ほーらもうチャイムになったぞー、席につけー」
癖のある髪を伸ばした、好男子ではあるがいささか中年の様相も備えた、担任教師・
まだ席から離れていた生徒たちも、少しダラダラとしながらも自分の席に戻っていく。
クラスの生徒が全員自席に戻ったところで、大峰が切り出す。
「まず、昨日伝えておいた転校生を紹介する」
「えっ!?」
その言葉を聞いて、悠二は軽く驚いた声を出し、思わずキョロキョロとあたりを見回してしまっていた。
「なんだ坂井、昨日のホームルームは寝ぼけてでもいたのか?」
悠二は自分が思っていたよりも大きな声を出してしまっていて、大峰がそれに気づき、少し挙動不審気味な悠二に対して、苦笑交じりにそう言った。
だが実際、それは悠二には全く心当たりがない話だった。他の、主に男子生徒が失笑する声が聴こえてくるが、悠二は困惑した表情になるしかない。
「ちなみに、男子はそれなりに期待していいぞ」
「おおっ!?」
大峰の言葉に、悠二以外の、何人かの男子生徒がどよめきの声を上げる。
「近衛さん、入ってきなさい」
大峰が、自分も入ってきたドアの方を向いてそう言うと、引き戸が開いて、1人の少女が教室に入ってくる。まっすぐに進み、教卓の傍らまで来ると、くるりと他の生徒が座っている方へと向きを変える。
「うぉぉっ……」
再び、いくらかのどよめきが教室のあちこちから上がる。
「小せぇ……本当に俺たちとタメか?」
「もしかして飛び級とか」
「そんなの本当にあるのかよ、日本の義務教育で」
「けど、顔は可愛いぞ」
「ああ、A+ランクは堅いな」
「坂井君? 坂井君ってば」
勝手な内容のどよめきの声に紛れて、ゆかりが悠二に声をかけてきていたことに気づき、悠二ははっと我に返る。
「どうしたの……?」
「あ……ううん、なんでもない」
怪訝そうに眉を寄せながら訊いて来るゆかりに対して、悠二は笑顔を取り繕ってそう言った。
その間に、大峰が彼女の名前を、チョークで黒板に書いた。
「それじゃあ、自己紹介を」
書き終えてから、大峰は少女に促す。少女は一度、ちらりと大峰を見てから、視線を正面に戻す。
「はじめまして。
少女は、ニュートラルな表情で、素っ気ない口調でそう名乗った。
「このえ……しいな……?」
悠二は少女を凝視してしまいながら、小さく反芻するようにつぶやく。
その少女は、昨日悠二と出会ったばかりの、フレイムヘイズのあの少女だった。
── 確か、名前はないと言っていたのに……
「みんな高校生活が始まったばかりの微妙な時期だが、親御さんの都合でどうしても転校せざるを得なかったそうだ。そんなわけだから、みんな仲良くするように」
大峰がそう説明している間、少女は視線だけを動かして教室内を一瞥する。物珍しそうに自分に視線を向け、あるいは近くで級友とひそひそと話す生徒の中で、呆気にとられたような表情で自分を凝視している1人の男子生徒を見つけ。そちらに視線を向ける。
「え? いや、あの……」
悠二は、ドキリとして、一瞬キョロキョロとあたりを見回した後、気まずそうにしながら作り笑いを浮かべる。
少女と、その視線を向けられた悠二とを見て、
「なんだ、坂井、知り合いか?」
と、大峰が笑い混じりにそう言った。
「え!? あ、ま、まぁ……」
悠二は、大峰に声をかけられて、軽く驚いた様子で、濁すような言葉を出してしまっていた。
「それじゃあちょうどいい、坂井、近衛さんが慣れるまで面倒をみてあげるように」
「ええっ、僕がですか!?」
深く考えもしていない様子でそう言った大峰に対し、悠二は思わず椅子から腰を浮かせて立ち上がりかけながら、自分を指さしてそう言った。
「何だよ坂井、不満なのか?」
啓作が悠二の方を向いて、からかうように言う。他にも何人かのクラスメイトが、冷やかすような視線を悠二に向けている。
「いや別に、そういう問題じゃなくて……」
「じゃあ決まりだな」
悠二が、反射的に弁明するような声を出してしまうと、大峰は、畳み掛けるように言う。
「頼んだぞ、坂井」
「え……」
拒否し難い状況でそう言われた悠二は、その姿勢のまま硬直する。一瞬後にキョロキョロと周囲を見るようにする。
「くすくす」
右隣にいたゆかりが、思わずと言った様子で苦笑する。
「それじゃあ、近衛さんの席はこの列の一番後ろで」
大峰は、ゆかりの席のある縦列の、最後尾を指してそう言った。
「解った」
少女はやはり素っ気なく言うと、つかつかと歩いてその席に向かう。
途中、不安そうな表情をした、ボブカットの女子生徒が、少女の顔を見上げたが、少女はその視線も意に介さないように、ただすれ違っていった。