クラフトは不滅である   作:最高司祭アドミニストレータ

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幼少期時代のゼノとスタンリー…ジュルリ! …ハッ!? け、決して悪いお姉さんではありませんことよ! ちょ、ちょっと熱い息を繰り返してただけなのだから! 


ゼノの追憶
エレガントな邂逅


 ボクの宇宙は、常に数式と物理法則によって構成されていた。世界の森羅万象は、解き明かされるべきエレガントな数式で記述されており、その法則性を検証し、新たな真理を発見すること以上に胸が高鳴る遊びはなかった。だから、ボクが今いるこの広大な砂漠地帯も、単なる不毛の大地ではない。

 

 ボクにとっては、遮るもののない完璧な実験場であり、ボクの理論の正しさを証明するための神聖な舞台だった。

 

 目の前には、ボクの知性と技術の結晶が鎮座している。まだプロトタイプの段階だが、そのポテンシャルは計り知れない。ボクは額に上げた緑色のゴーグルを直し、手元の計器パネルを指でなぞりながら、最終チェックの声を静かに空間に響かせた。

 

 

「コンデンサ、充電確認。加速部分を電気抵抗の低い銅合金へ変更。よし、理論上は、出力ロスを最小限に抑えられるはずだ」

 

 

 白衣の袖をまくり、風速計に目を落とす。

 

 

「風速、北北西より約2.8ノット。気温、華氏41度。湿度、12パーセント。条件、オールクリア」

 

 

 完璧だ。あらゆる変数を計算し、制御下に置いた。この試射で、ボクの仮説は揺るぎない事実となる。ボクは木製の架台に固定された長大な銃身──自作の電磁加速砲、レールガンの射角を微調整し、装填口に滑らかなアルミニウム製の弾丸をセットした。深呼吸を一つ。ボクの指が、静かに発射スイッチへと伸びる。

 

 

 閃光。

 

 鼓膜を揺さぶる衝撃音ではなく、空気が裂けるような鋭い音。弾丸は不可視の力、ローレンツ力に押し出され、一条の光となって飛翔した。しかし、その軌道はボクが計算した理想的な放物線から、わずかに、しかし決定的に逸れていた。弾丸は遥か彼方の標的を大きく外し、乾いた大地に突き刺さって盛大な砂塵を巻き上げただけだった。

 

 

「ふむ…」

 

 

 ボクは落胆するよりも先に、思考を巡らせていた。失敗は新たな問いを生む。なぜ逸れたのか。風の影響は計算済み。装置の不備か? いや、各パーツの精度はボクが保証する。となると、問題は……。

 

 

「やはりアルミではダメか。質量と形状の均一性に欠け、加速時に微細なブレが生じる。精度がもう一つといったところか……。重心に偏りのある専用弾を、タングステン合金あたりで鋳造すべきだな」

 

 

 新たな課題を発見した喜びに、口元が微かに緩む。孤独な探求は、ボクにとって何よりも満ち足りた時間だった。この世界の真理に、ボク一人だけが触れているという感覚。それがボクのすべてだった。だから、その聖域に土足で踏み入るような声が背後からかかった時、ボクの思考は一瞬にして凍りついた。

 

 

「外したのは銃のせいじゃねえ」

 

 

 振り返ると、そこに少年が一人、立っていた。陽光を反射して白っぽく見える金髪。すべてを見透かすような、射貫くような鋭い琥珀色の瞳。ボクと同じくらいの歳だろうか。しかし、その佇まいは凡百の子供が持つそれとは全く異なっていた。手練れの兵士のような落ち着きと、獲物を見定める肉食獣の冷徹さ。

 

 この殺風景な砂漠にはあまりに不釣り合いな、カラフルな棒付きキャンディーを口の端にくわえているのが、唯一、彼の年齢を示しているようだった。

 

 彼はボクの失敗作を顎でしゃくり、言葉を続けた。

 

 

「射手の腕が、ゴミすぎんぜ」

 

 

 侮辱。それも、ボクの計算と理論に基づいた神聖な実験行為に対する、あまりに無遠慮で、根拠のない断定。科学者としてのボクのプライドが、カチンと音を立てた。だが同時に、目の前の少年の瞳の奥に、ただの悪童ではない、何か特別な才能のきらめきを感じ取っていた。ボクの知的な好奇心が、怒りを上回った。

 

 

「ほう? …では、君なら当てられると?」

 

 

 ボクは冷静を装い、挑戦的に問い返した。彼はボクの挑発に乗るでもなく、さも当然といった風に、こともなげに答えた。

 

 

「できるね」

 

 

 その自信はどこから来るのか。彼はボクのように物理法則を理解しているわけではあるまい。ボクはボクが積み上げた知識と計算の塔を、鼻で笑うように見下ろしている。面白い。実に興味深いサンプルだ。

 

 ボクは無言でレールガンから一歩下がり、彼に場所を譲った。彼はキャンディーを口の中で転がしながら、悠然と銃座についた。彼が計器類に一切目をくれないことに、ボクは気づいていた。彼は風速計も見ない。温度計も湿度計も無視している。ただ遠く霞む標的をじっと見つめ、乾いた風の流れを頬で感じ、銃身の角度をごくわずかに、しかし一点の迷いもなく微調整していく。

 

 

 そして、ボクに向かってこともなげに言った。

 

 

「もう1.27度、射角を下げな」

 

 

 その数字の具体性に、ボクは内心で戦慄した。1.27度。それはボクの計算値と驚くほど近い。だが、それでいて決定的に違う角度だった。誤差の範囲などではない。彼の選択には、ボクの数式にはない、別の法則に基づいているかのような確信が満ちていた。

 

 ボクは言われるがままに、射角を調整した。彼は満足げに一つ頷くと、再び標的へと視線を戻す。彼の横顔は、もはや子供のものではなかった。数瞬の後、ためらいなく発射スイッチが押された。

 

 閃光。空気を切り裂く轟音。弾丸は物理法則という名の神が描いたかのような、完璧で滑らかで、美しい放物線を描いた。そして、遥か彼方の標的のど真ん中を、寸分違わず撃ち抜いた。

 

 時が止まった。ボクの宇宙が、音を立てて再構築されていく。論理と計算をどこまでも精緻に積み重ねても、あと一歩届かなかった一点。そこへ、この少年は「直感」という名の、ボクには理解不能な魔法でたどり着いたのだ。それは非科学的で、非論理的で、再現性のない現象のはずだった。

 

 だが、ボクの目の前で起きたこの結果は、紛れもない「真理」だった。美しかった。あまりにも。

 

 

「おお…実にエレガントだ!」

 

 

 ボクの口から、抑えきれない感動と賞賛の言葉が漏れた。呼吸を忘れていたことに、今更ながら気づく。

 

 

「弾道計算を直感のみで行うとは…!」

 

 

 ボクの科学者としての魂が、歓喜に打ち震えていた。未知の法則、未知の才能との邂逅。これ以上の喜びがあるだろうか。一方、当の少年はそんなボクの感動など意に介さず、銃身を興味深そうに検分している。

 

 

「ハァ…革命でも起こそうってのかい?」

 

 

 彼は、ボクの興奮を揶揄するように言った。だが、その瞳は笑っているようで笑っていない。この装置の本質的な力を、正確に見抜いている。

 

 

「ほう、それもイイがね? だがボクの目的はもっと純粋だ」

 

 

 ボクは待ってましたとばかりに答えた。この少年になら、ボクの宇宙を語ってもいい。いや、語らなければならない。

 

 

「ただ、実験し、原理原則を検証する。科学の目的とはこの世界の構造を解き明かし、まだ見ぬ発見へと至ることだよ。航空宇宙工学の生み出した恒星探査機が、地球から7528万キロメートル離れた火星の幻想的な光景を捉え、一方で量子力学は100京分の1ミリ以下の極小世界から、宇宙の謎を紐解いている。僕がやっているのは、その壮大な探求の、ほんの入り口に過ぎない!」

 

 

 ボクの言葉は、熱を帯びていた。彼は黙って聞いている。

 

 

「君が今、撃ち抜いたこの銃──これは普通の銃じゃないな、とボクに言ったね。その通りだ」

 

 

 彼の洞察を肯定し、ボクは続けた。

 

 

「粒子加速器に、リングランチャー。そして、これはレールガンと言ってね、火薬という旧時代の化学反応エネルギーの遺物を使わず、電磁力、そう、ローレンツ力で弾丸を飛ばす装置だ」

 

 

 ボクは堰を切ったように語り続けた。ボクの頭の中にある、美しく構築された科学の世界を、この理解者かもしれない少年に、一つでも多く伝えたかった。彼が退屈している様子はない。ただ、その琥珀色の瞳の奥で、ボクの言葉の奥にある「力」そのものの本質を見定めようとするような、鋭い光が明滅していた。

 

 ボクの話が一通り終わると、彼は長い間黙り込んでいた。そして、口にくわえていたキャンディーの棒を、カリ、と音を立てて噛み砕いた。

 

 

「…はっ、変わってんね」

 

 

 それは彼なりの最大の賛辞のように、ボクには聞こえた。不意に、彼が右手を差し出してきた。少し土で汚れた、しかし骨張って力強い手だった。

 

 

「スタンリーだ」

 

 

 唐突な自己紹介と、意味の分からない行動に、ボクは完全に思考を停止させた。差し出された手と、彼の顔を交互に見る。これは、一体どういう現象だ? 

 

 

「『これ』とはどれの事かな?」

 

 

 ボクの口から、またしても科学的な問いが漏れた。スタンリーは心底呆れた、という顔でため息をついた。

 

 

「握手だよ。知んねーのか?」

 

 

「ああ、握手」

 

 ボクは納得して頷いた。

 

 

「もちろん知識としては把握している。人類の友好を示すための、儀礼的身体接触。霊長類に見られるグルーミングが起源という説もあるが、確証はない。だが…」

 

 

 ボクはそこで言葉を切り、目の前のスタンリーの手を見つめた。

 

 

「実践するのは、初めてだがね」

 

 

 ボクの人生は、常に書物と実験器具と数式に囲まれていた。他者との物理的な接触など、必要性を感じたことすらなかった。ボクのその言葉に、スタンリーの表情がわずかに変わった気がした。彼の瞳からほんの一瞬だけ、いつもの鋭さが消えた。

 

 

「…俺もだ」

 

 

 吐き捨てるような、それでいてどこか自嘲するような響き。彼もまた、誰かとこうして手を結び合わせた経験がなかったのだ。二つの孤独。

 

 ボクはおずおずと、自分の右手を伸ばした。彼の手に触れる。ゴツゴツとしていて、ボクの手よりずっと硬く、それでいて不思議と温かい感触が伝わってきた。ボクの宇宙と彼の宇宙が、初めて直接触れ合った瞬間だった。

 

 ボクの心の中に、新たな数式が生まれようとしていた。未知の変数「スタンリー」。彼を組み込むことで、ボクの世界はどれほどエレガントに拡張されるのだろう。この直感という名の才能と、ボクの科学が融合すれば、ボクたちはどこへだって行ける。火星へも、極小の世界へも。

 

 握った手に、わずかに力を込める。

 

 

「ボクはゼノ」

 

 

 彼を見つめ、ボクは生まれて初めて誰かに向かって未来を約束した。

 

 

「スタンリー、君に見せてあげよう。美しい、科学の光を」

 

 

 その言葉を合図にしたかのように、砂漠を渡る風がボクたちの髪を優しく揺らした。それは、これから始まる長く、そして数奇な物語の、あまりにも静かで、エレガントな序曲だった。




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