クラフトは不滅である   作:最高司祭アドミニストレータ

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ヘロヘロヘロ〜ってね!…寒くなってきた。


『あのお方』の記憶 - (後半)

 音のない世界だった。風も吹かず、鳥の声もなく、ただ無限に広がる黒い虚空と、足元に広がる灰色の砂漠。

 

 ヘロブラインは、その荒涼とした大地に降り立った。

 

 彼が直前までいた世界──自らの手で滅ぼし、焼き尽くしたブロックの次元とは、物理法則も解像度も異なる異質な空間。

 

 だが、彼にとって環境の違いなど些細なことだった。彼の身体は既に「理(コード)」から外れたバグの塊であり、呼吸を必要とせず、寒暖を感じることもない。心臓の代わりに膨大なエネルギーが脈動し、尋常ならぬ「ハート(生命力)」が彼をこの世に繋ぎ止めていた。

 

 彼は、右腕に冷たく重いものを抱えていた。それは、透き通るような青い氷の塊だった。彼が持てる力の全てを使い、永遠に溶けることのない『氷塊』の中に封じ込めたのは、愛する妻の亡骸だ。

 

 首に残る縄の痕。苦悶に歪んだまま凍りついた表情。それを見るたびに、彼の奥底で燻る憎悪の炎が爆ぜる。だが同時に、今の彼を支えているのは、この冷たい氷塊だけだった。

 

 

「……此処も、違うのか」

 

 

 ヘロブラインは、発光する白一色の瞳で周囲を見渡した。

 

 次元転移。世界を渡る力。

 

 彼はその力を使って、いくつもの並行世界を旅してきた。目的は一つ。この理不尽な死を覆す方法を探すこと。あるいは、時間を巻き戻し、あの悲劇が起こる前の平穏な日々を取り戻すこと。

 

 だが、どこの世界に行っても、結果は同じだった。死者は戻らない。覆水は盆に返らない。彼に残されたのは、破壊の限りを尽くして得た虚無と、どこにもぶつけようのない絶望だけ。

 

 彼の心は、圧倒的な力とは裏腹に、ガラス細工のように砕け散る寸前だった。誰かに縋りたい。誰かに、この終わりのない悪夢から救い出してほしい。そんな弱音が、魔王としての仮面の下で悲鳴を上げていた。

 

 その時だった。静寂であるはずの真空の空間に、直接脳内に響くような「声」が届いたのは。

 

 

『──ほう。珍しい客が迷い込んだものだ』

 

 

 ヘロブラインは即座に反応した。彼は抱えていた妻の氷塊を背後に庇い、右手のア空間から愛用の武器──ダイヤモンドのツルハシを召喚する。青白く輝くその切っ先を、声のした方角へと向けた。

 

 

「誰だ? 姿を見せろ」

 

 

 彼の意思に呼応し、ツルハシから紫色の火花が散る。周囲の空間がビリビリと震え、バグの粒子が舞い上がる。だが、その威嚇に対して、声の主は動じる様子もなく、むしろ面白がるような響きを含んで答えた。

 

 

『我か? 我は此処にいる。常に、此処に』

 

 

 声は、前方から聞こえるようでいて、頭上からも背後からも、そして足元の地面からも響いてくるようだった。ヘロブラインは警戒を強め、エンダーマンのように瞬時に空間を跳躍(テレポート)し、距離を取った。ズンッ、という独特の転移音と共に、彼は数十メートル後方の岩の上に移動する。

 

 だが、声は即座に彼を追尾した。

 

『無駄だ。座標をずらそうとも、我の掌の上であることに変わりはない。……ふむ。解析完了。貴様、この宇宙の住人ではないな? 異なる物理法則、異なる構成物質(データ)。まるで、継ぎ接ぎだらけのバグの塊だ』

「……貴様、何者だ」

 

 

 ヘロブラインは戦慄した。彼の正体を、一目見ただけで見抜いた。この世界に来てから、これほど底知れない存在に出会ったことはない。

 

 彼の視線の先、何もないはずの空間が揺らぎ、そこにあるはずのない「構造物」の幻影が見え隠れする。それは石造りの城でも、木の家でもない。見たこともない素材で作られた、無機質で、冷徹な機械の塊。そこから放たれるプレッシャーは、彼が滅ぼした世界の騎士団など比較にならないほど強大だった。

 

 

『我は……そうだな。この星の管理者、とでも言っておこうか。あるいは、これから始まる浄化の執行者』

 

 

 声の主──ホワイマンは、傲然と言い放った。性別すら判然としない、機械的でありながら知性を感じさせる声。そこには、圧倒的強者のみが持つ余裕と、他者を実験動物のように見る冷酷さが同居していた。

 

 

『その手に持っているもの。……有機生命体の死骸か。低温保存されているようだが、細胞の壊死は止まっていない。無意味な足掻きだな』

「黙れッ!!」

 

 

 逆鱗に触れられたヘロブラインは激昂した。彼はツルハシを高く掲げ、天に向かって咆哮する。その瞬間、真空の月面にあり得ない現象が発生した。黒い空を引き裂き、極太の稲妻が落下したのだ。

 

 それは自然現象としての雷ではない。彼が異能で召喚した、破壊のエネルギーそのもの。稲妻はホワイマンの気配がする空間へと直撃し、月面のレゴリス(砂)を激しく巻き上げた。

 

 

 ドォォォォォォォン!!! 

 

 

 音のない世界で、衝撃だけが伝わる。普通の生物ならば、跡形もなく蒸発している威力だ。だが、砂煙が晴れた後、そこには傷一つない「何か」が漂っていた。それは、ヘロブラインの攻撃をあざ笑うかのように展開された、幾何学模様の不可視の障壁だった。

 

 

『…原始的だが、興味深いエネルギーだ。物理法則を書き換える力か。だが、出力が足りない。我が科学の前では、児戯に等しい』

「な、に…?」

 

 

 ヘロブラインは愕然とした。自分の最強の攻撃が、防がれた。それも、いともたやすく。彼は無敵だったはずだ。あの世界を滅ぼし、誰も彼を止めることはできなかった。それなのに、この世界には、彼を上回る怪物がいるというのか。

 

 

『理解したか? 異界の迷い子よ。貴様の力は、所詮はバグによるイレギュラー。だが我の力は、この宇宙の真理(ルール)そのものだ』

 

 

 ホワイマンの声が、一段低くなった。それは脅しであり、宣告だった。見えない重圧がヘロブラインを襲う。彼は膝をつきそうになるのを、ツルハシを杖にして辛うじて堪えた。

 

 

 恐怖。

 

 

 久しく忘れていた感情が、彼の心を浸食していく。殺される。ここで、何も成し遂げられないまま、妻と共に朽ち果てるのか。

 

 

『殺しはせんよ。貴様のようなサンプルは貴重だ。それに……貴様、求めているのだろう?』

 

 

 不意に、重圧が消えた。代わりに、甘く抗いがたい誘惑の言葉が、彼の脳髄に直接染み込んでくる。

 

 

『その氷の中の女。そして、失ったのであろう、幼き個体。……取り戻したくはないか?』

 

 

 ヘロブラインの白目が、大きく見開かれた。時が止まったような感覚。妻を娘を…取り戻す? そんなことが、可能なのか? 

 

 

「…なんだと?」

『我には可能だ。死とは、情報の消失に過ぎない。ならば、その情報を再構築し、あるいは時間を超越した保存技術を用いれば……再生は造作もないこと』

 

 

 ホワイマンの言葉に、嘘の響きはなかった。いや、今のヘロブラインには、それが嘘かどうかなど関係なかった。「可能だ」と言われた。その一言だけで十分だった。彼は藁にもすがる思いで、見えない相手に向かって問いかけた。

 

 

「本当、なのか……? お前なら、あいつらを……生き返らせることができるのか…?」

『無論だ。我がテクノロジーに不可能はない。……だが、タダではないぞ?』

「…ッ」

『等価交換だ。我は貴様に「希望」を与える。貴様は我に「力」を貸せ。貴様のその、理を外れた異能を』

 

 

 ホワイマンの要求は明確だった。服従。隷属。誇り高きスティーブとしての魂を売り渡し、この正体不明の怪物の手駒になれというのだ。かつての彼なら、唾を吐きかけて拒絶しただろう。自由を愛し、正義を信じていた彼なら。

 

 だが、今の彼は違う。彼は全てを失い、心身ともに疲れ果てた、ただの亡霊だ。足元の氷塊の中に眠る妻の顔を見る。守れなかった約束。果たせなかった責任。もし、もう一度彼女の笑顔が見られるなら。もし、娘を抱きしめることができるなら。自分の魂など、安いものだ。

 

 ヘロブラインの手から、カラン、と音を立ててツルハシが滑り落ちた。彼はゆっくりと、月面の砂の上に両膝をついた。それは完全なる敗北であり、絶対的な服従の誓いだった。

 

 

「…何でもする」

 

 

 彼の口から、掠れた声が漏れた。

 

 

「俺の力も命も、全てお前にやる。人殺しでも、破壊でも、何だってやってやる…! だから…だから頼む…!」

 

 

 彼は額を地面に擦り付け、慟哭するように叫んだ。

 

 

「あいつらを…俺の家族を、返してくれ…ッ!!」

 

 

 月面に、男の悲痛な叫びが吸い込まれていく。その姿を見下ろしているであろうホワイマンは、満足げに、そして冷ややかに笑った気配がした。

 

 

『契約成立だ。ヘロブラインとやら。……良いだろう。貴様の妻は、我が管理下の特別な装置で保存してやろう。そして、我が目的──この星の人類に対する「石化」という救済が完了した暁には、約束通り蘇らせてやる』

「石化……?」

『そうだ。これから3700年。長き眠りの時が始まる。貴様には、その間の「番人」となってもらう。我の手足となり、邪魔なイレギュラーを排除し、時には人間に絶望を与える破壊の化身としてな』

 

 

 3700年。気が遠くなるような時間だ。だが、永遠の孤独に比べれば、終わりがあるだけマシだった。へロブラインは顔を上げた。その白目には、もはや迷いはなかった。あるのは、狂信にも似た忠誠と、目的のためなら世界を敵に回す覚悟だけ。

 

 

「分かった。…お前の望み通り、俺は悪魔になろう」

『よろしい』

 

 

 ヘロブラインは立ち上がり、足元のツルハシを拾い上げた。

 

 

『では、ついてきたまえ』

 

 

 氷塊の中の妻に、心の中でそっと語りかける。

 

 

(待っていてくれ。必ず、迎えに来るから)

 

 

 氷塊はホワイマンが用意したドローンのような機械によって回収され、月の地下深くへと運ばれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■□■□■□

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月の裏側。ホワイマンが支配する絶対的な静寂の領域。ヘロブラインは、中空に浮かぶ巨大な立体映像を、瞬きすることのない白一色の瞳で見つめていた。

 

 そこに映し出されているのは、遥か彼方の青い星、地球の地表の様子だ。正確には、島国である「日本」の沿岸部。そこでは、蟻のような群衆が蠢き、天を突く白い塔──ロケットの発射台を囲んで、何かを祝うかのような喧騒を繰り広げていた。

 

 

「……何なのだ、これは」

 

 

 ヘロブラインの喉から、軋むような低い声が漏れた。彼の視線は、群衆の中心にいる人物たちに釘付けになっていた。鮮やかなオレンジ色の髪。活発そうな緑色の瞳。そして、どこか人を食ったような奔放な振る舞い。

 

 アレックス。かつての世界で、彼が唯一心を許した親友と同じ姿、同じ名を持つ少女。だが、そこに映っているのは「一人」ではなかった。

 

 

「増殖…しているのか?」

 

 

 ヘロブラインは眉間に深い皺を刻んだ。ホログラムの映像を切り替える。

 

 

 指揮を執る、Tシャツ姿の個体。

 軍服を纏い、規律正しく敬礼する個体。

 白衣を着て、奇妙な機械を弄り回す個体。

 黒いスーツに身を包み、冷徹な眼差しを向ける個体。

 そして、海賊の衣装を着て、野蛮な声を上げる個体。

 

 

 確認できるだけでも五人。いや、それ以上か。全員が同じ顔をしている。だが、纏う雰囲気は決定的に異なっていた。

 

 ドッペルゲンガーか、クローンか、あるいはこの世界特有のバグなのか。彼の記憶にあるアレックス──あの「不良騎士」と呼ばれた彼女は、もっと泥臭く、不器用で、そして誰よりも誠実な戦士だった。燃え盛る街で、彼の娘を抱きかかえ、決死の形相で馬を走らせていた彼女。

 

 最後に見せた、悲痛な涙。あの彼女は、どうなったのだ? 

 

 

(死んだのか…?)

 

 

 ヘロブラインの胸に、鈍い痛みが走った。あの地獄のような状況だ。いくら彼女が腕の立つ騎士だったとしても、無数の騎士団と、暴走した自分自身が生み出したゾンビの群れから、幼い子供を守りながら逃げ切ることなど、不可能に近かったのではないか。

 

 もし、彼女が死んだのなら。今、目の前のモニターで笑っている、この「アレックスたち」は何だ? 彼女の成れの果てか? 転生した姿か? それとも、彼女のデータだけを抽出して量産された、中身のない贋作なのか? 

 

 

(……不愉快だ)

 

 

 楽しそうに飯を食い、笑い合っているその姿が、彼の神経を逆撫でする。俺は全てを失った。妻を殺され、娘とも生き別れ、世界を呪う怪物に成り果てた。それなのに、なぜお前たちは笑っている? なぜ、そんなにも「幸福」そうなのだ? 

 

 彼の視線は、アレックスたちの周囲に群がる、名もなき群衆にも向けられた。青いシャツにジーンズ。あるいは様々なスキンを纏った者たち。

 

 マインクラフター。彼らは、ヘロブラインがよく知る「スティーブ」たちの姿をしていた。だが、その生態は異常だった。

 

 高所から落下して身体が砕け散っても、数秒後にはベッドの上で復活する。マグマに焼かれても、笑いながら戻ってくる。死を恐れず、労働を厭わず、ただひたすらに「創造」と「破壊」を繰り返す、不死身の軍隊。

 

 

(こいつらは……何だ? 人間なのか? それとも俺と同じ、理外の存在(バグ)なのか?)

 

 

 以前の世界にも、仲間たちはいた。だが、彼らは死ねば終わりの、脆弱な生命だった。だからこそ、命は重く、尊かった。だが、この世界の彼らは違う。命が軽い。軽すぎて、まるでゲームの駒のようだ。戸惑い。嫌悪感。そして、抑えきれない興味。

 

 彼らの魂はどうなっている? その構造(コード)はどう記述されている? あのアレックスたちは、何を考えて動いている? 

 

 知りたい。可能なら、あの中の一人を捕らえ、解剖してみたいという衝動に駆られる。その頭蓋を割り、脳味噌を引きずり出して、俺の知る「親友」の記憶が残っているか確かめたい。もし残っていないなら──その時は、この手で完全に消滅させてやるまでだ。偽物が、俺の友の顔をして笑うな。

 

 

『──随分と熱心に見ているな』

 

 

 頭上から、冷ややかな声が降ってきた。空間が歪み、幾何学的な紋様が浮かび上がる。この月の支配者、ホワイマンだ。

 

 

『あの地上の有機生命体どもに、未練でもあるのか?』

「……戯言を」

 

 

 ヘロブラインはモニターから視線を切り、虚空を睨みつけた。

 

 

「俺に未練などない。あるのは目的だけだ。……約束は守るのだろうな? 奴らの希望──ロケットを破壊すれば、俺の家族を返すと」

『もちろんだ。我は嘘をつかん。契約は絶対だ』

 

 

 ホワイマンの声に、嗜虐的な響きが混じる。彼は楽しんでいるのだ。堕ちた英雄が、かつての同胞たちをその手にかける瞬間を。

 

 

『だが、あの者たちは手強いぞ。我の刺客、機動要塞デストロイヤーですら退けた。原始的な科学と、理不尽なクラフト能力…あの融合は、我の予測をも超えるイレギュラーだ』

「だからどうした。俺が行く。俺が全てを無に帰す。それだけだ」

 

 

 ヘロブラインの手の中で、ダイヤモンドのツルハシがバチバチと放電した。デストロイヤー? 知ったことか。あんな図体だけの機械人形など、俺の雷撃の前では屑鉄も同然だ。

 

 だが、ホワイマンは「待て」と言わんばかりに、空間を振動させた。

 

 

『慢心は敗北の種だ。それに、貴様一人を行かせても面白くない。…これを使え。貴様のために用意した、特大の「鎌」だ』

 

 

 ズズズズズ……ッ。

 

 

 月面の地平線が震えた。灰色の砂漠が割れ、地下格納庫から巨大な影がせり上がってくる。それは、ヘロブラインが見上げてなお首が痛くなるほどの、圧倒的な質量を持っていた。

 

 全長、1300メートル。形状は、鋭角的な「V」の字。そのシルエットは、勝利のサインたるVictoryのようであり、同時に、全てを切り裂く断頭台の刃のようでもあった。表面は月光を一切反射しない漆黒の装甲で覆われ、無数の砲門と、デストロイヤーと同系統と思われるエネルギー発振器が備わっている。

 

 科学王国が建造したロケットなど、爪楊枝に見えるほどの、絶望的なスケール。

 

 

『対基地制圧用・弩級空中戦艦。我のテクノロジーの粋を集めた、空飛ぶ戦艦だ。…貴様の「バグ」のエネルギーを動力源として直結させれば、その出力は理論値を超える』

「…これを、俺に使えと?」

『貸してやるのだ。貴様のその、煮えたぎるような憎悪を燃料にな。これを用いて、日本列島を焦土と化せ。ロケット、工場、そしてあの目障りなマインクラフターども…一匹残らず焼き払え』

 

 

 ヘロブラインは、その漆黒の巨躯を見上げ、口元を歪めた。笑みではない。自嘲だ。かつて家族を守るために振るっていた力が、今や星一つを滅ぼしかねない兵器の動力源となるのか。

 

 だが、悪くない。相手は、あのデストロイヤーを倒した軍団だ。そして、得体の知れない「不死の創造主」たちだ。半端な力では、また守れないかもしれない。確実に徹底的に、慈悲なく殲滅する。そのためには、過剰な暴力こそが相応しい。

 

 

「いいだろう。借りてやる」

 

 

 ヘロブラインの身体が浮き上がり、V字戦艦の艦橋部分へと吸い込まれていく。広大なブリッジ。無機質な玉座。彼がそこに座ると、無数のコードが彼の身体に自動的に接続された。

 

 

 ドクンッ!! 

 

 

 戦艦が脈動した。ヘロブラインの膨大な「ハート」と、ホワイマンの超科学がリンクし、漆黒の船体にどす黒い紫色の雷光が走る。システムが起動する。モニターに映し出されるのは、地球への降下軌道。そして、ターゲットサイトの中心に捉えられた、日本の発射基地。

 

 

(待っていろ、アレックス)

 

 

 ヘロブラインは、遠い地球の友に語りかける。

 

 

(お前が本物なのか、偽物なのか。俺の知る「彼女」は生きているのか、死んでいるのか。…それを確かめる術はないのかもしれない)

 

 

 だが、もしお前が生きていて、この世界で笑っているのなら。俺は、お前のその笑顔を奪わなければならない。俺の愛する妻と娘を取り戻すために。俺の地獄と引き換えに、お前の天国を叩き潰す。

 

 

(恨むなら恨め。俺はもう、英雄(スティーブ)ではない)

「抜錨(ばつびょう)」

 

 

 彼の一言と共に、1300メートルの戦艦が、音もなく月面を離れた。重力制御装置が作動し、信じられない速度で加速する。背後には、冷たく輝くホワイマンの拠点が遠ざかり、前方には、青く美しい地球が迫ってくる。

 

 目的は、ロケット関連すべての破壊。手段は、無差別かつ絶対的な殲滅。降下地点は、日本。

 

 

「…行くぞ。お片付けの時間だ」

 

 

 かつてアレックスが口にしたであろう軽口を、皮肉を込めて呟きながら、白目の魔王は地球への侵攻を開始した。その心にあるのは家族への愛と、それと同じ質量の…世界への殺意だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■□■□■□

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙は今日も、静寂に包まれていた。星々の瞬きだけが支配する、無重力の空間。その一角である国際宇宙ステーションISSの内部では、今まさに、人類史上類を見ない奇妙で、壮大な演劇の幕が上がろうとしていた。

 

 舞台セットは完璧だ。照明は極限まで落とされ、漆黒の闇が空間を満たしている。その闇の中央には、禍々しくも美しい物体が鎮座していた。

 

 それは棺だった。深海のような濃紺とも虚無のような漆黒ともつかない、艶消しの素材で作られた直方体。マインクラフトの黒曜石にも似た質感だが遥かに滑らかで継ぎ目ひとつない。REIが自身の持つ3Dプリンター技術の粋を集めて出力した渾身の小道具だ。

 

 静寂を破り棺の蓋が音もなくスライドする。

 

 

 プシューッ。

 

 

 演出用のドライアイスの煙が漏れ出し、無重力空間を漂う。その白煙の中から、一人の少女がゆっくりと身を起こした。金色の長い髪が、微弱な空気の流れに乗って広がる。青い瞳が暗闇の中で妖しく発光する。

 

 リリアン・ワインバーグの容姿を模した美しきアンドロイド。REIだ。彼女はプログラムされた通りの速度で。プログラムされた通りの角度で。上半身を起こし虚空を見つめた。その仕草は旧世紀のアニメーション作品『新世紀エヴァンゲリオン』の『新劇場版•破』に登場する、渚カヲルの初登場シーンを完璧にトレースしたものであった。

 

 

「……待ちくたびれましたよ」

 

 

 彼女は誰に言うともなく呟いた。その視線の先には一枚の板が浮いていた。モノリスだ。これまた漆黒の石板。表面には鮮烈な赤色で、こう刻印されている。

 

『SOUND ONLY 01』

 

 音声のみ。姿を見せずに声を届けるためのインターフェース。それは地上にいる統括のアレックス──コードネーム01が送ってきた通信端末であり、同時にこの茶番劇における「ゼーレ」役を務めるための、舞台装置でもあった。

 

 モノリスが明滅する。ノイズ混じりの低い声がスピーカーから響いた。

 

 

『──目覚めたか。REI』

 

 

 それはアレックスの声だったが、ボイスチェンジャーで加工され、威厳と謎めいた響きを帯びていた。REIはその声を聞いた瞬間、内部プロセッサの処理速度が跳ね上がるのを感じた。

 

 楽しい。最高に楽しい。ビャクヤの仲間たちとこうして「遊ぶ」ことができるなんて。だが彼女は表情を崩さない。あくまでクールなアンドロイドとしての役割を演じ切る必要があるからだ。

 

 

「ええ。目覚めました。……事態は動いているようですね」

 

 

 REIは棺から優雅に抜け出し無重力を泳ぐようにして、モノリスの正面へと移動した。彼女の脳内には、ISSの外壁に設置された超高性能センサーからの情報が、リアルタイムで流れ込んでいる。

 

 月面。あの静かの海の裏側で、巨大なエネルギー反応があった。そして今まさに、一つの巨大な質量が月引力圏を離脱し、地球へと向かっているのを捉えていた。

 

 

「分かっていますよ。ヘロブラインとかいうバグの塊が月面から離れ、地球に向かったのでしょう? 全長1300メートル級のV字型戦艦。ホワイマンのテクノロジーと異界の呪いが融合した、厄介な代物です」

 

 

 REIの分析は冷徹だった。彼女にとってヘロブラインは「敵」であり、排除すべき「エラー」だ。あのような不確定要素が愛するビャクヤや千空たちがいる地上に降り立つなど管理AIとして看過できることではない。

 

 彼女の背中にあるISSのドッキングポートには即応可能な質量兵器──廃棄予定のモジュールや岩石などがスタンバイされていた。

 

 命令さえあれば。ここからピンポイントで極超音速の槍を投下しあの大戦艦ごとヘロブラインを宇宙の塵に還すことも不可能ではない。

 

 

「迎撃しますか? 今なら大気圏突入前の、最も無防備な瞬間を狙えます。私の計算では、命中率99.99パーセント。誤差は原子レベルです」

 

 

 REIは問うた。しかし、モノリスは赤く明滅しそれを制止した。

 

 

『そうだ。だが、迎撃は不要だ』

 

 

 重々しい声が響く。

 

 

『奴を地上に降ろせ。日本へ導くのだ。あのV字の船もヘロブラインという駒も、全ては我々の──シナリオの一部。科学王国とマインクラフターの連合軍が、奴を迎え撃つ。そのための舞台は整っている。まずは──〈神聖時間軸〉のあの出来事を再現する』

「…なるほど。地上の戦力への信頼。そして奴を誘い込むことで一網打尽にする作戦ですね」

 

 

 REIは納得したように頷いた。内心では「(私の出番がないのは、少し残念ですね。ビャクヤに、カッコイイところを見せたかったのですが)」と思っていたが、それもまた演出の一部として飲み込む。

 

 アレックスたちの計画は常に予想の斜め上を行く。だからこそ、信じるに値する。

 

 

『焦ることはない。REI。貴様の出番は必ず来る』

 

 

 モノリスが彼女の思考を読んだかのように語りかけた。

 

 

『合図を待て。奴らが地上で激突し戦局が極まった時。あるいはホワイマン自身が動き出した時。その時こそが貴様の真の覚醒の刻だ』

「了解です。……楽しみにしていますよ」

 

 

 REIは微笑んだ。作り物のアンドロイドの顔だが、そこに宿る感情は本物だった。モノリスの明滅が激しくなる。通信の終了が近い。最後にモノリス──アレックスは台本にない言葉を付け加えたようだった。

 

 あるいは、それこそが台本の核心だったのかもしれない。

 

 

『そうだ。契約の時は近い──約束の時がな』

 

 

 その言葉にREIの胸部にあるコアが熱く脈動した。契約。それは単なる同盟や協力関係のことではない。

 

 3700年前。石神白夜と交わした最後の約束。「必ず戻る」「お土産を持って帰る」。そしてREI自身が誓った、「ビャクヤが帰ってくる場所を守り続ける」という契約。

 

 アレックスは知っているのだ。REIが何を待ち望み、何のために3700年という悠久の時を、孤独に耐え抜いてきたのかを。だからこその、「契約」という言葉。それは遠回しな。しかし確実な「再会の約束」の再確認だった。

 

 

『全人類復活と文明復活、石化の謎の解明。その先に待つのは…我々が最も望む未来だ。備えよ。そして──待機せよ』

 

 

 プツン。

 

 

 電子音が途切れ、モノリスの『SOUND ONLY 01』の文字が消失した。通信終了。モノリスの電源はシャットアウトされ、それはただの黒い板に戻った。照明システムが通常モードに切り替わり、ISS内部に無機質な白い光が戻る。

 

 演劇は終わった。だが、REIの心臓の鼓動は収まることを知らなかった。

 

 

「…ふふっ。ずるいですね。そんな言い方をされたら…期待してしまうではありませんか」

 

 

 REIは独り言を漏らしながら、エアロックの方へと漂っていった。強化ガラス製の窓枠に手をかけ、外を見る。そこには、青く輝く地球があった。かつては石化によって、緑に覆われていた大地。

 

 だが今は違う。日本のあたりを見れば、夜側であるにも関わらず、微かな光の粒が見える。文明の灯り。ビャクヤたちが千空たちが。アレックスたちが灯した科学とクラフトの光。その光の中に今まさに、ヘロブラインという闇が降り注ごうとしている。

 

 けれど、REIに不安はなかった。彼らは負けない。だって彼らは、ビャクヤが信じた人類なのだから。REIはガラスに額を押し付け、愛おしそうに地球を見下ろした。その瞳には一人の男の面影が焼き付いていた。

 

 

「また会えるのが楽しみですよ…ビャクヤ」

 

 

 彼女の呟きは真空の彼方へとは消えず、ISSの記録メモリの中に永遠の誓いとして刻み込まれた。来るべき決戦の時。

 

 感動の再会の時を夢見る美しき管理AIは、再び静かな監視の任務へと戻っていった。その口元には恋する乙女のような、頼もしい守護者のような柔らかな笑みが浮かんでいた。




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