科学の武器を作るのが先か。
司に気づかれて捕まるのが先か。
箱根へ向かう道中は、そんなヒリつくような緊張感と、未知の土地へ踏み出す冒険の高揚感が、ないまぜになった奇妙な空気が漂っていた。
勝負は、既に始まっている。一刻の猶予もない逃避行だ。
「いやぁ〜、イイ景色だな!」
大樹の能天気なほど明るい声が、崖の上に響き渡った。
「うむ、そうであるな」
「落ちないよう、気をつけないとですな」
シルファ先生と杠も、眼下に広がる壮大なパノラマに息を呑んでいる。
わたしは崖の縁ギリギリに立ち、風を感じながら大きく深呼吸をした。見渡す限り、人工物が一切存在しない緑の世界。視界の遥か彼方には、雪化粧をした霊峰富士の姿が微かに確認できる。3700年の時を経ても変わらぬ、圧倒的な大自然の美しさ。
この景色を独り占めできるだけでも、ストーンワールドも悪くないなと少しだけ思う。まあ、司という殺意の塊に追われていなければの話だが。
「ちょうどいい」
千空が懐から何かを取り出し、太陽に向けて構えた。
「それは六分儀かの?」
「そうだ。え〜と…今は日の出から3万5970秒」
「んっ…!? 今サラッと凄いこと言わなかった!?」
シルファ先生が目を丸くして千空を凝視する。無理もない。秒単位で時間を把握している高校生など、常識の範疇には存在しない。
「千空は石化中も、千億秒とか数えてたんだぞ。これくらい朝飯前だ!」
大樹が得意げに胸を張る。親友の異常性を自慢することに関しては、彼の右に出る者はいないだろう。
「六分儀で時刻から現在地が測れるんだが、精度がゴミ過ぎて話にならねぇ」
千空が悪態をつくのを横目に、わたしはインベントリからコンパスを取り出した。手のひらサイズの丸い方位磁針。その赤い針は迷うことなく、ある一点を指し示している。
北だ。文字盤のNとかSとかは飾りみたいなもので、赤い針が北を指すという、絶対の法則さえ信じればいい。赤い針が北ならば、その反対にある白い針は南ということになる。
現在地と富士山の位置関係、そしてコンパスが示す方角。…ふむ。わたしの頭の中にある、おぼろげな地理の知識と照らし合わせる。鎌倉辺り、だろうか。この推測を、確信に変えるために千空に伝える。
「鎌倉辺りか。サンキューな、アレックス」
「アレックスさんの言う通り、鎌倉っぽいよね。富士山あるし」
イイってことよ。わたしは無言でサムズアップを返した。マインクラフターにとって、座標の把握は基本中の基本だ。
「目印となる建物は無いのか?」
大樹がキョロキョロと辺りを見回すが、見えるのは木と岩ばかりだ。
「鉄筋が腐ってんだぞ。残っちゃいねぇよ」
千空が呆れたように言う。3700年という歳月は、現代文明の象徴であるコンクリートと鉄の塊を、跡形もなく消し去るには十分すぎる時間だ。そう考えると、《くらふたーのせかい》の建築物は優秀だ。
わたしが建てた豆腐ハウスや謎のオブジェは、たとえ3700年経とうとも、クリーパーに爆破されない限りは永遠にそこにあり続けるだろう。鉄筋なんてなくても、ブロックという概念が存在する限り不滅なのだ。この世界の建築物も、もう少し耐久性を見習って欲しかったものである。
「鎌倉の目印といえば、大仏じゃな」
シルファ先生が懐かしそうに呟く。
「大仏くん…アレって!?」
杠が何かに気づいたように声を上げた。その視線は、森の一角へと注がれている。
「杠!?」
「ど、どうしたのじゃ?」
「千空に続くぞ!」
千空が走り出し、わたし達もそれに続く。そうだ! 総員、杠の勘に続けー!
「木が全然生えていない所があったんだよ!」
杠が指差した先を目指して、わたし達は道なき森をひた走る。息が上がるのも構わず、枝をかき分け、草を踏みしめて。やがて、木々の密度が薄くなり、ぽっかりと開けた空間に出た。
「やっぱり、あの辺だけが……!」
杠の指摘通り、そこだけ不自然なほどに植物が生えていなかった。そして、森を抜けた先に、わたし達は"それ"を見つけた。
「わかったぞ! 現在地は──」
わたし達の前に鎮座していたのは、見上げなければならない程に巨大な青銅の塊だった。
「──北緯35度19分、東経139度32分だ…!!」
「なるほどの。鉄筋などは腐るものの、これは別ということか。形状は、維持しているしの」
一部は欠け、緑青に覆われてはいるものの、その威厳ある姿は健在だった。修学旅行の定番、鎌倉のシンボル──大仏。
悠久の時を超え文明の墓標のように、しかし静かにそこに座していた。
「…ッ」
隣で息を呑む気配がした。
「ど、どうした杠!?」
「怪我でもしたかの!?」
大樹と先生が慌てて駆け寄る。見れば、杠の瞳から大粒の涙が溢れ出していた。何故泣いているのか。わたしにはさっぱり分からない。足でも挫いたか? それとも空腹か?
「違うよ! 泣いてないよ!」
泣いてるじゃん。思いっきり。
「いや、泣いて無くはないんだけど…ッ」
どっちなんだ。どうすればいいのか判断に迷う。ハンカチを渡すべきか、それとも食料か。
「なんか全然ね、現実感ないっていうか。でもこの鎌倉の大仏様を見たら、ホントに日本だったんだなぁ〜…って」
彼女の声が震えている。
「ホントに、何千年も経っちゃったんだなぁって。お父さんやお母さんや皆の事とか急に…うぅ、うぅ……!!」
その言葉に、わたしはハッとした。そうか、彼女には家族がいたんだ。当たり前の日常が、帰るべき場所があったんだ。それが全て失われたことを、この大仏を見て実感してしまったのか。
儚い笑顔だなァ。杠の涙に、胸がチクリと痛む。
…お父さんとお母さん、か。前世の記憶を辿れば、わたしにも両親はいた。
だが、この世界に転生した今世のわたしに、血の繋がった両親は存在しない。他界したわけでも、捨てられたわけでもない。
ただ、気づいたらわたしはこの世界にポツンと立っていた。まるでゲームの初期スポーン地点に配置されたプレイヤーキャラクターのように。女神アインドラが、適当に配置したのだろうか。
「クッハハハ! 心配するこたはねぇよ。今からオレらで司に勝って、全人類を助けるんだからな」
千空が豪快に笑い飛ばし、杠の不安を吹き飛ばそうとする。
「そうじゃぞ、大丈夫大丈夫じゃ」
「そうだぞ杠! 大仏が道を教えてくれたしな! 流石は仏様、何千年も腐らないとはな!」
大樹の底抜けに明るい励ましに、杠の表情が少し和らぐ。
「いや、大仏は青銅だからな。科学的に腐らなねぇだけだがなァ」
千空がすかさず科学的なツッコミを入れる。
「見ろー! 大仏の周りだけ緑が生えてない! 俺たちに見つけやすいように、してくれてるんじゃないかァー!」
「いや、銅イオンがダダ漏れだかんな。植物には毒だっつうだけだがな」
ロマンもへったくれもない千空の解説。だが、それが逆に頼もしい。
ふと、転生前の記憶がよぎる。そういえば、アインドラの話に出てきたあの不憫な男子高校生は、『モノ認定された水の女神』と共に異世界へ送られたとか言っていたな。確か……アクセルという街だったか。フッ、異世界らしいネーミングだ。
「ヒャッハー!」
千空が大仏によじ登り、高笑いを上げる。
「よせー!?」
「千空、やめるのじゃ! 罰当たりじゃぞ!?」
「もう、千空くんったら。フフッ」
杠がようやく笑った。それを見て、わたしも少しだけ肩の力を抜いた。わたしは、青く澄み渡る空を見上げた。今日もいい天気だ。
■□■□■□
日は傾き、野営の準備をする時間になった。千空の指示で仮の拠点を作ることになったのだが、もちろんわたしの出番である。
「そ、創造主は自称ではなかったのか…!? え? 僅かの時間で家が出来上がったの、今でも信じられぬ…!?」
シルファ先生が腰を抜かさんばかりに驚いている。目の前には、わたしが瞬きする間に建てた木造の小屋。俗に言う『豆腐ハウス』だ。真四角で屋根も平らな、建築センスの欠片もない初心者御用達の物件。だが、雨風を凌ぐには十分すぎる性能を誇る。
室内には作業台、かまど、机、そして人数分のベッドを完備。窓はガラス板の代わりに、木製フェンスをはめ込んだだけの簡素なものだが、仮拠点としては上出来だろう。
「あはは…」
「スゲーよなァ。仲間にしておいて、正解だったぜ」
「うむ!」
杠は乾いた笑いを浮かべ、千空と大樹はもはや慣れたものだ。
「!?!?」
先生だけが、口をパクパクさせて固まっている。まあ、初見なら仕方ない反応だ。
「それだけでない。ステーキじゃ…」
夕食の時間。わたしはインベントリにストックしていた生の牛肉を取り出し、かまどに放り込んだ。じゅうじゅうと焼ける音と共に、香ばしい肉の匂いが充満する。
「なぜ10秒で出来上がる? かまどに入れただけぞ? 味付けしてないのだぞ? 美味すぎるのじゃが!?」
先生の混乱は止まらない。出されたステーキを一口食べた瞬間、彼女の目はカッと見開かれた。塩胡椒もソースもない、ただ焼いただけの肉塊。それなのに、なぜか完璧な味付けが施されている。マインクラフトの七不思議の一つだ。
「不思議だよなァ」
「美味しかったですなァ」
「満腹満腹だ!」
「ワシがおかしいのか!? いや、おかしくない筈じゃ!」
先生が自身の常識と必死に戦っている間に、消灯時間がやってきた。
やるべきことは二つ。
まず一つ目は、小屋の扉の前に土ブロックを設置して、物理的に塞いでしまうこと。これで万が一、ゾンビ…じゃなかった、野生動物や司がやって来ても、簡単には侵入できない。鉄壁のセキュリティだ。
「それもそれも! それだけの大きさを一瞬で置けるの、おかしい!!」
先生のツッコミは続く。
そして二つ目。室内の松明を全て回収し、代わりにレッドストーントーチを一本だけ設置する。ほのかな赤い光が、室内を妖しく照らす。松明のままだと明るすぎて眠れないかもしれないという、わたしなりの配慮だ。
「松明! 引火しないのは何故なのじゃ!?」
これで準備完了だ。マインクラフターであるわたしは、明るさレベルに関係なく、ベッドに入れば即座に眠れる(ただし夜に限る)。だが、彼らは普通の人間だ。環境を整えてやらないと安眠できないだろう。
気遣い出来るのだよ、わたし。
「おやすみなさ〜い」
「おやすみ!」
「…」
杠と大樹、千空がそれぞれのベッドに潜り込む。
「ベッドもじゃよ? フカフカにも程がある!」
先生がベッドの弾力を確かめながら叫ぶ。ベッドは羊毛3つと木材3つでクラフトできる。それだけの材料で、最高級羽毛布団並みの寝心地を実現するのがクラフトの妙技だ。
「「シルファ先生、うるさい」」
「…z」
大樹と杠に怒られ、千空はすでに夢の中だ。
「…すまん」
先生もしょんぼりとベッドに入った。さて、わたしも寝るか。日課であるスッポンポンになり、毛布を被る。
「アレックス、けしからんぞ」
先生の小言を聞き流し、目を閉じようとした時だった。
「アレックス」
何?
わたしは薄目を開けて、隣のベッドの先生を見る。暗がりの中で、彼女の瞳が真剣な光を宿していた。
「…アレックスは、神様かの?」
ハァ。わたしは深いため息を吐いた。
「どっちじゃ?」
真剣な顔で問われても困る。わたしは神ではない。ただの創造主だ。
「アダムとイブの?」
違う。そんな訳ないだろう?
皆してわたしを人間じゃない判定してくるが、わたしは正真正銘の人間だ。職業がマインクラフターなだけで。
「じゃ、じゃが…」
ハァ…全く。前世は普通の人間だったぞ? わたし。
「ぜん、せ…?」
そう、前世。わたしは女神アインドラの手によって、この世界に転生させられた。元の世界とは違う、別の時間軸の地球へ。
馴染みやすい言い方をするなら──パラレルワールドか。
「並行世界、神、…実在したのか」
先生が呆然と呟く。
そうだ。わたしは転生したが、元の世界の親たちは、それぞれの人生を歩んでいるはずだ。
「…親に未練は無いのか」
先生の問いに、わたしは即答する。
全然? だって今ここには、親代わりをしてくれるシルファ先生がいるし。
「…え?」
先生が驚いたように息を呑む。
そう、わたしが学校をサボったり奇行に走ったりした罰として、先生の家で暮らすことになったあの日々。あれは一種の『償い』だったのかもしれないが、わたしにとっては家族ごっこのようなものだった。
「犯罪じゃからな、償ってもらわんと」
先生は当時、そう言ってわたしを引き取った。正直、少々鬱陶しかった。動きを制限されるし、小言は多いし。でも、決して嫌ではなかった。
「フハハ、そうか」
暗闇の中で、先生の声が震えているのが分かった。
…涙が頬を伝っているぞ、シルファ先生。泣くなよ。これでも、わたしなりに最大級の感謝と親愛の情を伝えたつもりなのだが。ほらほら、笑顔笑顔。
「フフッ、そうじゃな」
そうそう、その調子。さ、もう寝よう。心細いなら、一緒に寝る?
「ああ、一緒に」
先生が素直に頷く。珍しいこともあるものだ。相分かった。わたしは自分のベッドを抜け出し、先生のベッドに潜り込む。狭いけれど、人肌の温もりが心地よい。
先生の目尻に残っていた涙を、指先で乱暴に拭ってやった。感謝しろ。
「ありがとうなのじゃ、しかし気遣いなんぞ、いつから出来るようになったのやら……フフ」
失礼な先生だ。昔から気遣いの塊だというのに。
「おやすみ、アレックス」
先生の穏やかな寝息が聞こえ始める。
おやすみ、先生。よい夜を。
わたしはそっと手を伸ばし、先生の頭を撫でてみた。髪の感触が柔らかい。
グッパイ、夜。
明日もまた、忙しくなりそうだ。わたしは静かに目を閉じた。
タグ追加しました。「この素晴らしい世界に祝福を!」です。
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