「アレックスさん、ようこそ死後の世界へ…いやお帰りなさいが正しいか」
膝から崩れ落ちるシルファ先生の姿を最期に、わたしの意識は途絶えた。そして今、わたしはゆっくりと目を開く。視界に広がるのは、見覚えのある光景だった。
アイスボックスクッキーを彷彿とさせる、白黒の市松模様の床。それ以外には何もない、虚無の空間。見渡す限りの暗闇が、世界を塗りつぶしている。
「貴女は不幸にも……堅苦しいのやめようっと!」
暗闇に侵食されていない、唯一の場所。それが今、わたしがいるここだ。正面の少し離れた位置には、雑然と紙束が積まれた小さな事務机と、背もたれ付きの椅子がポツンと置かれている。
「久しぶりだね、アレックス。いやぁ〜、死んじゃったねェ?」
そこには、愉快そうに笑う彼女が座っていた。テレビで見るどんなトップアイドルも霞んでしまうほどの、人間離れした美貌。淡く柔らかな印象を与える黒色の長い髪。外見年齢は、わたしと同じ16歳くらい。
わたしは彼女を知っている。人間ではなく女神であることも知っているし、何よりも彼女こそがわたしをこの世界に転生させた張本人、女神アインドラその人なのだから。
服装は、以前会った時の羽衣ではなく、エレガントな黒いドレスに変わっていたが、その人を食ったような態度は相変わらずだ。
あともう一つだけ、あの時と異なる点があった。アインドラの背後に、ピンク色の衣類を纏った女性が控えているのだ。いや、違うな。背中に一対の大きな純白の翼を生やしている。あれは天使だ。金髪ショートヘアの美しい女天使が、目を閉じて静かに佇んでいたのである。
「アレックス。なぜ君は、現世でリスポーンしないのか…疑問に思ってるだろう?」
ギクリ。図星だ。まさにそれを聞こうとしていたところだった。心を読まれたのか、それともわたしの顔に出ていたのか。とはいえ、女神の指摘は事実なので、わたしは素直にコクりと頷いた。
「天界で定められている、規約の一つでね。転生先で転生者が死んだら初回はこの死後の世界に、って決まっているんだ」
そ、そうだったのか。ふむ、天界の規約か。役所仕事みたいに色々と面倒な手続きがありそうだ。
「色々とあるよ。…そうだね、アレックスは天国の世界を、どう想像してるのかな? 唐突な質問で悪いけど、これも天界の規約に関わることだからね」
突然の質問に、わたしは少し考え込む。天国か。そうだな、一般的にイメージされるのはこれじゃないだろうか? ──そこで暮らす者にとって理想的な世界。悩みも苦しみもなく、煩わしいことは一切ない快適な環境。
「おっ、彼と同じだねェ〜」
女神アインドラは、机の上の書類を一枚ペラリと手に取った。彼とは? …あ、以前アインドラが話していた、あの不憫な男子高校生のことか。
「その通り! 水の女神アクアをモノ認定した男子高校生だよ。名前が『佐藤クズマ』…うん? なんか違うような…絶対違うよね?」
「失礼いたします…あらまぁ」
後ろに控えていた女天使が、目を開けて書類を覗き込む。え、誰々? 佐藤クズマって誰なの? 誤字ってない? 女神と天使が二人して書類をマジマジと見つめ合っている。神聖な場所のはずなのに、漂うこの事務処理ミス感は何だ。
「名字は合ってるけど名前が間違ってる…ふざけるなよ、アクア」
アインドラの声のトーンが急激に下がった。
「その通りでございますね。お調子者で能天気でグータラであらせられる、女神アクア様には困ったものでございますね」
天使の口調は丁寧だが、内容は辛辣だ。
「だね。非〜常に大きな問題だしね」
恐ぇ…!? アインドラの背後から黒いオーラが立ち昇り、留まることを知らずに膨張していく。殺意がダダ漏れだ! わたしは思わず後ずさりする。
…あっ、よかった。なんとか収まったようだ。
「いやはや、すまないね。どうやらね、ちょっと書類に不手際があったようでね…天界に戻ったらシゴキ直してやる」
ニッコリと笑うアインドラの目が、全く笑っていない。
「それがよろしいかと思われます」
「お! わかってるねェ〜」
「フフッ、アインドラ様には及びませんよ」
「そう?」
「そうでございます」
「「フフフッ!!」」
訂正。矛を収めるどころか、二人して共謀して何か企んでいる顔だ。
女神アクアという人が天界に戻ったらどうなるのか…会ったことなんてないのに、同情の余地が少しもないのが不思議だなぁ。自業自得という言葉が、これほど似合う女神も珍しい。
「で、彼はこう回答していたのは君と同じさ。まっ、想像する天国はね、実際のところ違うんだけど」
ゴホンっとわざとらしい咳払いをして、女神アインドラは芝居がかった仕草で語り出した。
内容は──天国の真実について。
曰く、天国というのは自分たちが想像しているような素敵なパラダイスではないらしい。
真っ白で何もない虚無の空間。テレビを筆頭とした娯楽類は一切無く、そこに存在するのは肉体を持たない魂だけの先人達。死者が天国でやる事は非常に少なく、ただ永遠に世間話をすることくらいだと。
永遠に、だ。それはもはや地獄ではないのか。
だが近頃、変わってきたことがあったらしい。天界に住まうとある神族──天国を管理する一柱──が、何を思ったのか、退屈している先人達のために娯楽を与えようと考えた。天界に住まう神々と激論を交わし、そして満場一致で可決。
『自分の好きな体になれる権利!』と『現世の営みが生中継で見れるテレビ!』の2つが、先人達に与えられたのだという。
「まとめに入るね、こう覚えておけばいいよ。水の女神アクア流に言うと『お爺ちゃんみたいな暮らし』ってね。ま、今はその『お爺ちゃんみたいな暮らし』ではないんだけどね」
本当にその通りだと思う。永遠という単語が重くのしかかる。お爺ちゃんも大変だな。
「はい、この話は終わり!」
女神アインドラは手に持っていた書類を机に放り出すと、パチっと景気よく手を叩いた。おっ、いよいよ本題か? リスポーンかな? 多分そうだな。
「本来だったらね、同じ世界に転生させることはダメなんだ。けど君は創造主となった身。他の人間と違って、リスポーンが可能だ。死んだけど死んでない判定ってやつさ! 今回は違うけど、次からはベッドで何度でも生き返るからね。…そうだよね? え〜とと」
アインドラが不安げに天使の方を見る。
「こちらを」
天使が何も無い空間から『規約の本』と書かれた国語辞典クラスの分厚い本を取り出し、アインドラに手渡す。マインクラフターと同じように、突然アイテムを出現させたぞ。流石は天界。
「ナイスゥ!」
アインドラは本を受け取り、パラパラとめくって該当箇所をマジマジと読み上げる。確認が済んだようで、『規約の本』は一瞬で消え失せた。これもマインクラフターと同じ原理なのだろうか。
「さ、リスポーンしようか。立ち上がって、アレックス」
頷いた。言われるがまま、わたしは椅子から──いつの間にか座らされていた──立ち上がる。立ち上がったその瞬間、幾何学模様の青い魔法陣が自分の足元に展開された。
続いて、天井があるのかも怪しい虚空の彼方から、眩い光の柱が降り注いでくる。うわっ、眩しい!
「今回は特例として、君の遺品は全てインベントリに入ってる筈だよ。確認お願いねぇ」
光の中でアインドラの声が響く。そう言われたので、わたしは視界の端にウィンドウを呼び出し確認してみる。うむ、確かにあった。木剣も、石も、そして何より大切な火薬の材料も。
ありがとう、女神アインドラ。この気遣いには感謝するよ。
「イイってことよ。あ、そうだ! 時間はね、少ししか経っていないからねぇ」
あっ、そうだった。一番気になっていたことだ。もし何十年も経っていたら、先生も千空たちも…いや、考えるのはよそう。少ししか経っていないなら、まだ間に合うはずだ。
女神アインドラ、ありがとう。
待っていろよ、みんな。今、行くからな!
光が強くなり、アインドラの姿が白く霞んでいく。その時、アインドラが何か呟いたような気がした。
「
「アインドラ様?」
「フフッ、なんでもないよ」
天使が怪訝そうに問いかけ、アインドラが誤魔化すように笑う。二人の会話はよく聞こえなかったが、まあいいか。
魔法陣に包まれているわたしだが、転生も含めれば二回目だからか、不思議と恐怖心はなかった。むしろ懐かしさすら感じる。
強烈な光に包まれ、お互いの姿が見えなくなりそうになった時、目の前が完全に真っ白な光で染まった。意識が急速に現世へと引き戻されていく。
さあ、リスポーンだ!
■□■□■□
魔法陣の光が収束し、アレックスの姿がこの空間から完全に消失した。それを見届けた女天使は、恭しく一礼すると音もなく天界へと帰還していく。主の悪戯に、これ以上付き合うのは御免だと言わんばかりの、早業だった。
あとに残されたのは、静寂と市松模様の床、そして一柱の女神のみ。アインドラは誰もいなくなった虚無の空間で、艶然と微笑んだ。
「嘘は言っていないよ、嘘は。ただ、こちらの『少し』と下界の『少し』では、流れる時間の密度が絶望的に違うというだけなんだからね」
彼女が指を鳴らすと、事務机の上に乱雑に置かれていた書類の束が霧散し、代わりに豪奢なクリスタルボトルとワイングラスが出現した。
とくとくと注がれる赤葡萄酒は、まるで鮮血のようにグラスの中で揺らめく。
アインドラは優雅にグラスを傾け、空中に巨大なモニターを顕現させた。そこには、雨に煙るストーンワールドの悲劇が、高精細な映像として映し出されていた。
画面の中では、二人の少年が最期の対話を交わしていた。
『千空。もし、3700年前に出会っていたら。この星が、ストーンワールドになる前に出会っていたなら…』
冷たい雨の中、獅子王司が寂しげに語りかける。その手には、鋭利な石槍が握られていた。
『ああ』
石神千空は短く応える。恐怖も命乞いもない。ただ静かに、友になれなかった男の言葉を受け止めている。
『オレ達は、初めての友達になれたのかもしれない』
『クククッ、かもな』
『さようなら、千空。君のことは──忘れないよ』
刹那、司の腕が振るわれた。鈍い音が響き、千空の身体が崩れ落ちる。頸神経を一撃で砕く、苦痛を与えない慈悲深く、かつ確実な一撃だった。
「お! 千空クンは頚神経を一撃で砕かれて死んだねェ。この場面はオリジナル時間軸と変わらないかァ」
アインドラはワインを一口含み、まるで演劇のクライマックスを楽しむ観客のように感想を漏らす。予定調和の悲劇。だが、ここからがこの世界(シナリオ)の面白いところだ。
『せ、千空ー!!!』
遅れて駆けつけた大樹の絶叫が、画面越しに響く。そして、その悲嘆に暮れる現場の空気を読まず、場違いなほど明るい光と共に、一人の少女がリスポーンした。
『マインクラフターのアレックス、リスポーン完了! 皆の衆、待たせた…ナァー!? 千空が死んでる!?!?』
ベッドから飛び起きたアレックスが、眼前の惨状に目を見開いて絶叫する。あと数分、いや数秒早ければ間に合ったかもしれない未来。しかし、女神の悪戯じみた時間調整により、彼女は「間に合わなかった」。
「オッホ」
グラス越しにその滑稽なすれ違いを眺め、女神の唇が三日月のように吊り上がる。
希望と絶望が交錯する混沌とした展開に、薄っすらと嘲笑を浮かべた闇の女神アインドラは、極上の余興としてその悲劇を愉しそうに観測し続けるのだった。
感想やお気に入り登録、高評価などをいただけますと、作者のモチベーションとなりますので是非よろしくお願いします。