ごきげんよう皆の衆、わたしはマインクラフターのアレックス。今わたしは、村外れの高台から、着々と発展していく科学王国の全貌を振り返っているところである。
村の入り口に鎮座する、木材と丸石で構成された科学王国の本拠地、創造主アレックスの家。旧豆腐ハウス改め。
多種多様な鉱石が所狭しと並べられている、クロム家。別名・科学倉庫。
金狼と銀狼が汗水流して回し続ける、二刀流手回し発電機。
村の胃袋を完全に掌握した、科学のグルメ屋台。
コハクのスパルタ指導が響き渡る、打倒マグマ訓練場。
ガラスのビーカーやフラスコが並ぶ、本格的な科学研究室ラボ。
そして、その横で高温の炎を上げる、カセキ製の釜戸。
マインクラフターとして、この急速な発展にあまり直接的に関与出来なかったのが少しだけ悔やまれる。もちろん、素材の提供やインフラ整備は手伝ったが、わたしが一瞬でクラフトするのとは違う、「人間の手による進化」がそこにはあった。
特に、あのカセキ職人とクロムが、千空の指示とガラス素材だけで本格的な科学研究室ラボを完成させてみせた時は……これはこれはと心底驚いた。
近代的な設備を知らない村人がやったにしては、上出来過ぎる、いや完璧すぎる建築物だった。彼らにはインベントリも、ポンとブロックを置く能力もない。だが、素材の性質を理解し、頭を捻り、手先を動かして形にするという点において、彼らもまた立派な「クラフター」であったのだ。
「ごえ〜い、ごえ〜い、銀の槍を持っっボクはァ…対象を守れる最高の護衛! フヘヘへェェ〜」
「なんだ。いつも湯を汲みに来ている、温泉地帯じゃないか」
「危険度マックスとか言うから、やたら身構えちまったぜ」
そんな感慨に浸っていたのも束の間、現在我々は、化学史上最高のお宝をゲットすべく、マジで即死もあり得る危険度マックスエリアへと向かっている。メンバーは千空、コハク、クロム、銀狼、そして最後はこのわたしだ。
先頭を歩く人物は銀狼で、自慢の銀の槍を振り回しがら『キャッキャウフフ』と浮かれている。おいボディーガード。得物を無闇に振り回すな。危ないだろうが。
あっ、ちなみに銀狼がドヤ顔で持っているその銀の槍は、千空が科学の力で銀をコーティングしてクラフトした特製品だ。見た目は完全にRPGのレア武器である。
千空は、道中でエメラルドグリーンのチャツボミゴケを見つけると、目的地は確実にこの上流にあると確信したようだった。
「着いたぜ千空」
クロムが立ち止まり、前方を指差す。
「ああ…案の定、見つけたぞ。最難関素材の源泉だ」
千空がニヤリと笑う。
「何を採りに来たのか知らない私ですら、此処がゴールということだけは分かった」
コハクが息を呑む。
遂に目的地に到着したようだ。岩肌の奥に広がるのは、神々しいまでに美しい、エメラルドグリーンの水をたたえた泉だった。これこそが…ん? 硫酸は何処だ? そして、泉の奥で手招きしているあれは…誰だ?
「ウフフフ…フフフッ」
「なんだ千空、此処じゃねぇのかよ? ゴール」
クロムが不思議そうに千空を見る。
「いや此処だ。完璧だ。まさにこの緑の泉を汲みに来た…ただ、地形が気になる」
千空は慎重に周囲を観察している。だが、わたしの視線は泉の奥から離れない。背中に一対の美しい羽が生えている、女神? 緑色の長い髪に花の冠。白いドレス。このエメラルドグリーンの泉の精霊か何かなのか?
にしても…ふつくしい。その儚げな微笑みを見ていると、思わず『おっふ!』と声が漏れそうになる。
「このエリアに出る毒ガス、硫化水素や二酸化硫黄は空気より重い。溜まるんだよ、こういう窪地にはよ」
千空の解説が遠く聞こえる。
「もしかして…その毒ガスが銀の槍で分かんのか!?」
「ああ、そうだ。銀は硫化水素と反応すんと、ソッコーで黒くなるかんな」
そんな科学のうんちくはどうでもいい。
行きたい!
行きたい!
行きたい!
行きたい!
あの美しい女神様のもとへ、今すぐ駆け寄りたい!
「嗚呼、嗚呼…」
隣で銀狼も、瞳をトロンとさせて泉へとフラフラ歩き出していた。
「マズイ…アレックス! 銀狼を止めろ!」
「そのアレックスは銀狼と同じだぞ?」
「」
コハクの指摘で千空が絶句したのが分かったが、わたしの足は止まらない。わたしはただ魅了されているだけではない。マインクラフターとしての冷静な生存本能が、わずかに残っていた。
わたしは歩きながら、インベントリからベッドを取り出し、地面にポンと設置。すかさずタッチして、リスポーン位置の固定を完了させる。これでいつ死んでも大丈夫だ。
行きたい! …が、その前に…競合相手である銀狼を無力化しよう。わたしは並走する銀狼の口に、インベントリから取り出した牛乳バケツをねじ込んだ。
「ゴポッ!? ゴポポポポポ…ッ!!」
「よくやった!」
千空が誤解して褒めてくる。
「絵図がスゲー…」
クロムが引いている。
さぁ…我に返って混乱している銀狼よ、とっとと寄越しやがれ、その銀の槍! わたしは銀狼の手から銀の槍をひったくった。
「…ハッ!? ボクはいったい何を…ど、どうしたのアレックスちゃん?」
どうしたの? じゃない!! お前はもう用済みだ。千空のトコに行け! 後は任せろ! わたしは…あのふつくしい女神様に、全力でハグするんだァァァ!!
「女神様はいないよォォォ!?!?」
銀狼の叫びを背中に受けながら、わたしは泉へと向かって疾走する。いざ行かん! 待っててくれ、ふつくしい女神よ!! わたしが今、その胸に飛び込むからな!
「お、黒くなったな」
千空の冷静な声が聞こえた。わたしが手に持っていた銀の槍の穂先が、一瞬にして真っ黒に変色している。
「アレックスゥゥゥ!?」
コハクの制止の声も遅い。わたしは変色した銀の槍をその場に放り投げ、美しいエメラルドグリーンの泉へと、歓喜の表情でダイブした。
ドボンッ。
…ギャァァァ!?!? 痛い痛い痛い痛い痛い!?!? 全身の皮膚が焼け爛れるような、骨まで溶かされるような激痛が走る。痛い痛い痛…いや、待てよ? なんでこんな大袈裟に痛がっているのだろうか?? わたしは。
「急に真顔になるなよな! ビックリするじゃねぇかよ!」
クロムが泉の淵から叫ぶ。
「服が溶けている…男共は見るな!!」
コハクが素早く、クロムの目を手で塞ぐ。
「ギャァァァ!? 目が、俺の目がァァァ!?!?」
コハクの指が目に入ったのか、クロムがのたうち回る。
「千空にも目潰ししてよ、コハクちゃん!」
泉の中で直立したまま、わたしは冷静に痛みを分析する。
別に強酸の温泉にドボンしたくらいで、なぁ?
例えるなら、冬休みに祖母の家に泊まりに行き、気合を入れてお風呂に入ったら、お湯の設定温度がアホほど熱くて全身が真っ赤になった、あの程度の感じだ。
ネザーで足を踏み外してマグマの海にダイブした時もそうだった。最初はパニックになるが、死を覚悟した側からすれば、ぽかんとしている間にHPが尽きて死んで、リスポーンするだけだ。慣れればどうということはない。
「危険ではない、のか? 服以外は無事なのだし…」
「いやフツーは服どころか人間もろとも溶ける筈なんだが…流石は創造主サマだな」
あっ、死んだ。視界が真っ赤に染まり、目の前が暗転する。
【アレックスは硫酸と気づかず死んだw】
視界の端に、あのふざけた死亡メッセージが浮かび上がった。これ硫酸だったのか…ってか、この死亡メッセージ、絶対にアイツだろ。天界でポップコーンでも食べながら見てる、闇の女神アインドラの仕業だろ。悪意しかない。
「千空が言っていた事は真実だったのだな…」
「蘇り? 生き返り? アレックスの服も元通り…や、ヤベー!!」
視界が晴れると、わたしは先ほど設置したベッドの上に立っていた。無事復活した。服も初期状態に戻っている。硫酸の泉にダイブした時に持っていたアイテムは全て泉の底にロストしてしまったが、弓やポーションなどの重要物はエンダーチェスト内にしまってあったので無事だ。よかった。
「何なんだよこの泉は…ッ? 千空!」
クロムが恐怖に顔を引きつらせて尋ねる。
「医薬品の硫酸だ。俺らの時代では、あらゆる化学産業の根幹になっていた…取り扱い注意のヤベーモンだ」
千空が黒く変色した銀の槍を見つめながら答える。硫酸、か。その言葉を聞いて、硫酸の性質について思い出したことがある。
『なんで、なんでたかが牛乳で! このわたしの誘惑を打ち消せたのよ!? そこの…ベッドから蘇った貴女! 絶対に許さないんだからァァァ!!』
先ほどまで美しかった女神の幻影が、突如として悍ましいゾンビのような姿に変貌し、こちらに向かって呪詛を吐き出している。
実際の危険性を象徴するように、その本性は近づく者すべてを溶かし尽くす二面性の女神。彼女はその美しさという名の幻覚──有毒ガスによる脳への影響──で我々を誘惑し、わたしと銀狼を死へと誘ったのだ。
牛乳という万能回復アイテムを持っていた片方は助かり、持っていなかったもう片方は誘惑に負けて飛び込み、死んで蘇った。
なるほど。この泉そのものがそうか、硫酸の塊なのか。だから千空は、銀の槍が必要だと言ったのか。硫化水素ガスに反応して黒く変色する性質を利用し、目に見えない毒のセンサーとして利用出来るから。ようやく思い出したぞ。
「全く…最高の護衛なのだろう? 泣くな! みっともないぞ!」
「ふぇぇ怖かったよォォ、コハクちゃァァァン!!」
コハクに叱られながら、銀狼が泣きじゃくっている。
…おい、ちょっと待て。なら、わたしが泉に向かって全力疾走した時、誰か一人くらいわたしを本気で助けてくれてもよかったのでは?
結果的に硫酸にドブリと浸かって、一度死んでるんだぞ? わたしが不死身のマインクラフターだから仕方ないという判断だったのかもしれないが…それでも、助けようという気持ちが少しも見受けられなかったのは、ちょっとだけ傷つく。
「テメーら帰るぞ!」
千空が踵を返す。
「で、でもまだ硫酸が…」
クロムが未練がましく泉を見る。
「なぁぁに、此処にはまた来るぜ? 完璧な対策をして、な」
千空の目には、既にこの死の泉を攻略するためのロードマップが描かれているようだった。黒く変色した銀の槍を回収し、我々は一旦村への帰路に就いた。
わたしは心に固く誓う。いくらリスポーンできるとはいえ、二度と硫酸にダイブするのはやめようと。あれは普通に痛い。
皆さま、よいお年を!