シュトーレン
フランソワが目を覚ましたとき、まず最初に確認したのは自身の身体の状態だった。軽く指を曲げ、関節を回し、足を踏みしめる。不思議と身体の調子が石化前より良くなっているようだ。
問題はない。ならば、やるべきことは一つ。
執事としての務めを果たすこと。
文明が滅亡しても、提供する料理は常に最高のものでなければならない。贅を尽くし、洗練され、食す者にとって至高のひとときを約束するもの——それこそがフランソワの誇りだった。
彼女が最初に取り掛かったのは、シュトーレンだった。長い時間をかけて熟成する菓子。完成後も日を追うごとに味が深まり、変化していく。それはまるで、この新世界と同じ。
材料は既に用意されていた。小麦、砂糖、塩、卵、スパイス類、そしてバター。マインクラフターによって用意されたそれらは、品質においても申し分ない。一等級だ。
ラム酒漬けのドライフルーツとナッツは、見事なまでに熟成されていた。
「これだけの素材が揃っているのなら、作るしかありませんね。完璧に」
フランソワは小麦粉をふるいにかけ、滑らかに舞う粉の感触を確かめながらボウルへと落とし込む。中央にくぼみを作り温めた酵母と砂糖、ぬるま湯をそっと加える。
泡が立ち始めるのを確認し、彼女は静かに頷いた。
酵母が目覚めたのなら、次の工程へ進む。バターをナイフで軽く押す。適切な柔らかさ。理想的だ。
グラニュー糖とともに攪拌し、きめ細かくなるまで混ぜる。卵を一つずつ加えながら、さらに空気を含ませる。そこへバニラの香りを纏わせ、レモンの皮をすりおろすと、さっぱりとした芳香が加わる。
最後に、ラム酒の染み込んだドライフルーツと砕いたナッツ。オレンジピールの甘さとアーモンドのコクが、豊かな風味を生み出す。
すべての材料を混ぜ合わせた生地を、ゆっくりとこねる。指先に吸いつくような弾力を確かめ、感触を研ぎ澄ませる。生地は、すでにその使命を理解していた。
発酵のために布をかぶせ、静かに待つ。その間に調理場を整え、オーブンの温度を調整する。
時間が経ち、布をめくる。膨らんだ生地にそっと指を押し当てると、弾むような感触がある。
完璧だ。
作業台に生地を移し、慎重にガスを抜く。押しつぶすのではなく、包み込むように。楕円形に整え、中央にマジパンを据えた瞬間、フランソワはわずかに目を閉じた。
「ええ、完璧なバランスです」
静かに成形し、オーブンへと送る。扉を閉じた瞬間、室内に満ちるのは静寂。そして、やがて立ち昇る香り。
シナモン、カルダモン、ナツメグ——甘く、深く、温かい香りが絡み合い、調和していく。
火が生地に入り、バターが溶け込み、香ばしい焼き色がついていく。慎重に見守りながら、仕上がりのタイミングを逃さないよう集中する。
そして、オーブンの扉を開ける。
芳醇な香りとともに、見事な焼き色をまとったシュトーレンが姿を現した。
フランソワは慎重に取り出し、最後の仕上げに移る。熱いうちに溶かしバターをたっぷりと塗る。生地に染み込ませ、しっとりとした質感を生み出す。続いてグラニュー糖をまぶし、最後に白銀の粉砂糖を降り積もらせる。
これで、完成だ。
ナイフを手に取り、静かに刃を入れる。断面から立ち上る湯気とともに、果実とスパイスの香りが広がる。
「申し分ありません」
シュトーレンが新世界、このストーンワールドに帰って来たのだ。
しかし、これだけでは足りない。自分は執事として、必ず七海財閥を復興させてみせる。この新世界を制するためには、二人の人物が絶対に必要だ。
石神千空。
彼がいなければ、文明の復興は限りなく遅くなる。いや、不可能となるかもしれない。200万年の在処が誰よりもある以上、彼の知識と技術は欠かせない。彼の科学があれば、この世界に再び繁栄をもたらすことが出来る。
そして、もう一人。
アレックス。
異常なまでのクラフト能力を持つ、人間を自称する異常存在。不老不死なのも納得だ…同族殺しなんて日常茶飯事なのだし。
どこからともなく材料を取り出し即座に建造物を作り上げるその能力は、もはや魔法と呼ぶ他ない。半自動で回収して作物が全て手に入る畑も。
水流で流れた作物と種を回収したら、種を蒔き直す…異様なまでに整然と正確に、効率的に行われるのだ。その時の己は、思わず宇宙猫になってしまったものである。
「…普通、作物も耕した土も駄目になると思うのですが……あまり深く考えてはなりませんね。これは受け入れましょう」
フランソワはシュトーレンを見つめながら、改めて確信する。この新世界を制するためには、石神千空とアレックス。彼と…そして彼女を含めた創造主、全てが欲しい。
「全ては──」
敬愛する主、龍水様のために。
欲しいはイコール──正義です。
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フランソワは金髪の縦ロールが特徴的な女性であり、どのような状況においても品格を失わない洗練された人物であった。
彼女は七海龍水に常に仕えてきた執事兼シェフであり、石化以前から彼の右腕。単なる従者ではなく、絶対的な信頼を寄せるパートナーのような存在。
彼女の言動には気品が漂い、誰に対しても変わらぬ敬意を持って接する。その口調は常に端正であり、相手の年齢や立場に関係なく「様」付けで呼ぶのが特徴だ。
例外なく敬称を用いる姿勢は彼女の徹底した礼儀と、高潔な精神を象徴している。実に素晴らしい。
あっ、皆さんどうもごきげんよう。わたしは、マインクラフターのアレックス。
いやはや流石はプロ。産業廃棄物を一つも作らないとは、感嘆に値いする。お礼にケーキと金インゴットをプレゼントしてやった。
シュトーレン…真に美味であった。
シュトーレンは小麦粉やバター、砂糖、ドライフルーツ、ナッツ、スパイスなどをふんだんに使用する。しかし、文明が崩壊した世界では、それらを容易に手に入れることは出来ない。
そこでフランソワは独自の手法で『ヤギの恵みのシュトーレン』を…作ろうとしてたので、こちらで材料を用意しました。
実はこっそり、人類石化前に頂戴したもの達を《くらふたーのせかい》で育ててまして…盗んでないからな? ちゃんとお金は支払いましたよ? 持ち金が無かった時は金塊で支払った…ほら、ちゃんとしてるでしょう?
生地をしっかりと練り込み適切な発酵時間を見極めた後、じっくりと焼き上げられたシュトーレン。その外側はほのかに香ばしく、中はしっとりとした食感を持つ仕上がりとなった。
口に入れた瞬間に広がる甘さとスパイスの香りは絶妙なバランスを成して、わたしの心は幸福で満ち溢れた。
いやぁ、技術開発部に調理器具を用意させておいてよかった。ありがとう、技術開発部。ありがとう、シュトーレンを作ってくれたフランソワ。
これから、航海の時も楽しいひとときを過ごせるな!
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