トリニティ総合学園2年生「片岡リサ」の朝は早い。
同居人を起こさないようカーテンは開けず、音も最小限。長いこと同室の幼馴染の為に身につけた習慣だ。
腰から生える黒い翼を文字通りウィングスパン一杯に伸ばし、羽の乱れを整え、てきぱきと着替えを済ませる。
他の生徒との違いを明確に表す黒のセーラー服に、所属する組織での地位を示す赤い腕章が揺れる。
昨年黒い制服を羽織り始め、半年目で漸く着用を許された腕章。不真面目で不品行を自認する私であっても、これをつける瞬間だけは自然と背筋が伸びる。
こまごまとした朝の支度を済ませ、前日の間に用意した荷物一式の詰まったスクールバックを肩に掛けた後、もう一度翼を広げ確認。
「まだ6時。相変わらず早いっすね」
「イチ。起こしてしまいましたか」
仲正イチカ。同じ組織に所属し、同じく腕章を持つ、同期で同室の、そして私の唯一の親友。
イチカは普段から目を細めている為、分かりづらいが、声色から察するに眠たげな様子。
当然イチカが寝坊している訳ではなく、今日の予定を考えれば、7時に起きれば十分早起きの部類だ。私がイチカを起こさないようコソコソと抜け駆けをしているのは単に私のわがままでしかない。
私がイチカに寝るよう促すと、イチカはベッドから起き上がりこちらに近寄る。
「リサ、根詰めすぎっすよ」
「では、教官役を代わって──」
「それはだめっす」
お互いため息をつく。別にこのやり取りも初めてではない。そしてオチも毎回決まっている。謂わば確認作業とスイッチみたいなものなのだ。
イチカが着替えている間もやり取りは続く。
「私は帳簿を睨むのが本業であって、新人を引率するのは適材適所ではないと思うのですが。それに私の戦術や指揮はその……癖があるのは知っているでしょう……」
「上に立つ者には相応の責任ってモノがあるっすよ。それに仕事は量も質も適切に割り振らないと組織が歪むっす」
「やはり、幹部にまでゼネラリストたることを求めるのは、実力組織としてあまりにも旧体制では」
「じゃあ、出世して委員長になるしかないっすね」
「それだけはお断りします」
2人とも正義実現委員会において求められる資質で合格点を叩き出したからこそ、指揮官としての地位を示す腕章の着用を許されているわけだが、その適正は真逆だ。
何でもそつなくこなすことができるが故に、器用貧乏を自称するイチカ。
数字や法を得意とする分、不得意な分野はなるべく回避したいリサ。
社交性が高く、基本的に誰とでも仲良くなれることから、渉外や調停を任されるイチカ。
付き合う人を選び、口八丁手八丁でビジネスライクな関係を維持することを好むリサ。
正実において標準装備であるEM-2をベースにした銃を用いた戦闘スタイルのイチカ。
正実ではあまり拳銃はメジャーではないにもかかわらず、専らそれを用いるリサ。
率直に言ってしまえば新人の、ましてや基礎訓練の教官役など向かないのだ。
それとなくハスミ副委員長に伝えてみたものの「これも任務です」とバッサリ。敬愛するツルギ委員長にすがるも「教えることで……教わることもある」とこれまた正論を頂いてしまった。
そして見事にとどめを刺してくれたのが「この際仕事の割り振りを見直したほうがいいっす」という、背後からの一撃だった。
「趣味でやってるのよこっちは。数字は喋らないし、紙は無駄口たたかないし」
「だからこそ許されないっす。それに、ストレス発散で電卓叩いて、過労になられても迷惑っすよ」
他愛もないやり取りをしていると、ほどよい時間になった。必要な人員も集まってきてるころあいだろう。
出立する旨をイチカに伝えると一瞬怪訝な顔をした後、何かを思い出し納得した顔になる。
「あー、洗礼っすか。暖めておいたので、北風役頑張ってきてくださいっす」
「折角やるのなら、ちゃんと準備しておきたいわ。──やっぱり目つきが悪いのがいけないのかしら……」
「つーより、全体的に怖いっす」
今年の1年達も運がないっすねぇ。とニヤけるイチカの顔を見ると余計に気が重くなる。
「はぁ……行ってくるわね、参謀課長殿。……やっぱりわt──」
「さっさと行きやがれ、監督課長ッ!!」
ドアを閉め、足音が遠ざかっていくのを確認しながら、ドロップキックで送り出した親友を思う。
ずっと同じ学び舎を選び、同じ進路を選び、同じ部屋で過ごし、同じ組織で同じ腕章を同じ時に授かり、同じ旗のもと、別々の義務に邁進するようになった親友。
私がまだ未熟で、気が短く、癇癪の酷かった時期であっても隣に寄り添ってくれていた半身。
正義実現委員会は「正義のため」を合言葉に、志の高い人間が志願し、選抜されたトリニティの武器にして盾だ。しかし、「正義」の在り方を強制はしていない。
それは、人それぞれに信じる正しさがあるのは当然であるし、大事なのは何かのために身を粉にするという思いだからだ。
当然、その中での葛藤や考えの変化は珍しいことではないし、一途であることと同様に貴ばれる。2人も時に互いの悩みを打ち明けたり、時に衝突したりもした。
だから、親友が徐々に変わって行ってしまうのを恐れ、その上、不吉に感じてしまうのは、自分の我儘からくる偏見なのかもしれない。
同床異夢
振り払うように自らの頬を両手で軽く叩く。
『イチはおひさま! だからね──』
「昔見し……さて、初々しい教官殿をのぞきに行くっすかね」
正義実現委員会の野外演習場の1つ、400mトラックが敷かれたグラウンド中央の砂地に正実の1年生達が集められていた。
正実の黒セーラーは支給品として1着が全員に配られ、破損時等は申請することで新しい物が支給される仕組みになっている。
これは、流出した制服が悪用されることを防ぐ意味が大きいほか、一般生徒の制服と比べ特殊なつくりであることと、相対的に需要が小さく、生産ライン自体が拡大できないという世知辛い事情がある。
勿論、制服の改造により個性を出すことで、各々の戦闘スタイルを阻害しないようにしたり、神秘と呼ばれるコンディションを良好に保つことは認められており、予備の制服を身銭を切って購入している生徒もいるが、新入生が気軽に出せる金額ではない。
それ故、体操服で集まるよう指示を受けた1年生達は、今日この場で何が行われるのか概ね察していたし、情報交換も盛んにおこなわれていた。
「ついに本格的な訓練が始まるのね!」
「今までは動くといっても並んだり、走ったりするだけだったもんね!」
「お姉ちゃんから聞いたけど、最初は射撃訓練じゃなくて、徒手空拳とか捕縛術なんだって。指導役も新しい先輩がくるらしいよ」
「暫くイチカ先輩とはお別れかぁ……」
「あ、リサ先輩が来たよ。ほら、監督課長の」
正実の組織構造は大まかに次のようになっている。
まず、総司令官であり、派閥の長でもある委員長『剣先ツルギ』
次席たる副委員長『羽川ハスミ』
そして、両者の下で人事、教育以外の責任者が2人。
作戦、交通、捜査、捜索、警備等の前線を所轄する参謀課長『仲正イチカ』
装備、財務、情報、厚生、法務等の銃後を所轄する監督課長『片岡リサ』
この4人の指揮下に各部署や部隊の指揮官、責任者である腕章持ちが入る。
「監督課長って裏方だよね……? 近接戦闘なんt──」
「しーっ! 聞こえるよ」
壇上から漫然と自分たちを見下ろすリサを前に、新入り達が黙り始める。整った顔に嵌め込まれた一対のドライアイスから、重い気体がじわじわと浸透していくように。
さて頃合いかな。
「あー、あー、マイクテスト。ん、済まない諸君。続けてどうぞ」
まぁ、そんな豪胆な娘がいたらいたで面倒くさいが。いや、逆に手間が省けるか。
「おはようございます。しばらく皆さんを鍛えることになった、片岡リサと言います。早速ですが、楽しい楽しい訓練を始める前に幾つか、頭に入れておいてほしいことがあります」
「あ、ツルギ先輩。ハスミ先輩。おはようございます」
「もう始まってしまいましたか?」
「まだっす。いやー、リサはねちっこいっすから。サビまで長くなりそうっすよ」
「正義実現委員会は一派閥であると同時に、トリニティ自治区内で唯一の公的な実力組織です。他の武装集団は各派閥、組織の私兵や、任務の延長線上で必要最低限度の武装が許されているに過ぎません」
おい……新入り何故そんな顔する。まさかイチ、小難しい話は全部こっちに投げたのか?
「行動には正当性が求められます。まぁ、ここら辺を『正義』と呼称し、具体的に定められた法とは別の規範を各々に求めているわけです。だからこそ新しい視点と歴史に立脚した知見を広く求めるべく、他の大きな派閥以上に、外部生の受け入れを歓迎しています。そして我々の力が派閥内外の物によって悪用されないよう、政治に対する関与は最低限にしています」
まぁ、コネのある生徒の割合を減らしつつ、政治への不干渉を貫くことで、ティーパーティーの皆様に『安心』していただくのと、こちらが面倒なことに巻き込まれるのを防いでいるのもあるが。
この辺は他所も似たり寄ったりだろうが、正実は『暴力』において頭一つ抜けている。危険視されるのは避けたい。
「与えられた力を『正義』の為に用いてください。そして他の何よりも同胞を信じ、愛しなさい。キヴォトスは遍く我々の戦場です。鉄火場において信頼できるのは同じ色を仰ぐものだけです。そして、『正義』に反すると感じたなら……同胞であっても非情な決断をしなさい」
「難しい話だけでは飽きてしまいますよね。折角のイントロダクションですし、これからインタビューをしたいと思います」
さてここからが本番だ。
私、下江コハル。正義実現委員会に入ったばかりの1年生。
今まではイチカ先輩っていう優しそうな人に教わってたけど。今日からはリサ先輩っていう人が本格的な訓練をしてくれるみたい。
今までは整列したり、座学だったりで正直ちょっと退屈だったけど……座学は眠くなっちゃうのよ……別に苦手じゃないもん!
きっと戦闘訓練では私の真価が発揮されて、隠れた才能が顕になるのよ!
リサ先輩は難しい話をした後、インタビューをするって壇上から降りてきたけど、指されちゃったりしないかなぁ……近くで見ると目は怖いけど綺麗な人、イチカ先輩がお日様って感じの美人だったけど、リサ先輩は月って感じ。
ゴスッ!
「カハッ!カハッ! なn──」
ゴスッ!
「口を聞くのは許可を取ってからです」
「うっ──」
「ちゃんと返事はしましょうね」
ゴリッ!
「……はい」
「聞こえません」
ゴスッ!
「はい!」
一番先頭の娘が殴られてるっ! 何で!? 何か怒られるようなこと言っちゃったのかな……?
どうしよう……難しくてリサ先輩のスピーチ良くわからなかったし、考え事してたからさっきの娘が何を聞かれたかわからないよ……
「うーん、じゃあ次はそこの娘にしようかな」
マシロが指されちゃった! どうしようこっちに近づいてきてるよ……
「名前を聞かせてもらえますか」
「しっ、静山マシロです!」
「志望した理由を教えてください」
「狙撃銃が好きで! 扱いにも自信があるので! それを正義に役立てたいと思い入部しましたっ!」
ゴスッ!
な、なんで! 何も変なこと言ってないじゃない!
「間に合っています。それから皆さんにも言っておきます。ここに並んでいる全員の適正、経歴、思想は既に把握しています。その上で」
「価値がない。全員の、全て、毛の先から足の爪に至るまで、平等に、顧みるに足らない」
え……?
暴君と化した麗人が、マシロと名乗った生徒の首を片手に握り、淡々と語っている。
「かわいそうですが。必要な儀式です」
「この程度超えてもらわないと、最前線に出せないですしね」
「……がんばれ」
戦略兵器と恐れられ、その2つ名に相応しい程の暴力の化身たるツルギも、いち少女であり、目の前の惨劇に心を痛める良心を備えている。
「ツルギ先輩達は殴られたんすか?」
「私は不運にも当たってしまいました。ツルギは……その……」
「……意図的にターゲットから外されていたそうだ」
「あー……ツラいっすね……」
ツルギは正実の中では穏健な方に位置し、可愛いものや恋バナを好む乙女である。特別扱いに傷つく時だってある。女の子だもの。
その時、マシロが放り投げられ、近くにいた1年生の目の前に着弾する。
不幸であったのが、その少女、下江コハルが思わず小さな悲鳴を上げ、尻餅をついてしまったことだった。
飢えた暴君の役割を与えられたリサがそれを見逃すはずがない。
すぐさま一撃を加えられ、先ほどのマシロのように持ち上げられるが、数回のやり取りの後、コハルを解放すると、視線はそのままにマシロへ銃を向ける。
「イチカ分かってはいると思いますが」
「新入りのケアは私の仕事、っすよね。ハスミ先輩はリサになんか奢ってあげてくださいよ。先輩っすよね? 訓練のシフト決めたの」
「そのつもりでケーキを用意してあります」
ハスミがどや顔でその豊かな胸を張り、自らの配慮を誇示すると、傍らにいたツルギがジト目を向ける。
「たくさん買っていたな」
「ツルギ! イチカ違うのです! それはみんなの分も入っていて──」
「大丈夫っすよー」
「イチカ!」
「人に銃口を向けるなとイチカから教わらなかったのですか?」
「せ、先輩だって、む、向けてるじゃないですか!」
何やってるんだろう私……あぁ終わっちゃった……私の学園生活。
で、でもマシロか私、どっちかに大怪我させて除隊にするから選べだなんて、そんなの……
「なるほど正論、では、ご褒美に良いことを教えてあげます。訓練中の事故が原因で重傷を負う生徒は少なくありません。場合によっては戦傷と同様に処理されますし、ただの無能に起因するものであれば不名誉な処分が下されます。その為に必要な報告書を作成するのは厚生係及び施設係であり、最後に判を押すのは私です」
「い、言ってる意味が分かりません!」
「はぁ……もう結構です。時間がもったいない」
そんなの間違ってる!
お願い!当たって!
ガンッ!
頭……痛い……撃たれたのかな? 殴られたの……かな?
銃声の後、地面に倒れこんだコハルと、悲鳴を上げる周囲。そして、リサが担架を持ってくるよう大声で怒鳴っている一方で、見物客たちは満足げな顔を浮かべていた。
「まさか、反動で顔面を強打したうえ、ひっくり返るとは……」
「アサルトライフルの構え方をまだ教えてなかったっすねぇ。構え的に元々は拳銃っすかね」
「ツルギ、あの程度では傷も残りません。それよりも救護騎士団にお詫びをしなければ」
「そうか……コハルは良くやった」
慌てていたツルギであったが、我に返ると呟く。
「そうですね。とても立派な名誉の負傷です」
「期待以上っすね。まぁ、オチは締まらなかったっすけど、照準も明後日でしたし」
そこなんだよなぁ……と全員が苦笑いを浮かべながら、各々の持ち場へ戻るため歩き出した。
「そういえば、イチカ達に洗礼を行ったのはツルギでしたよね」
「そうっすよ。リサがめり込んだ所がクレーターみたいになって」
その時の光景を思い出し、爆笑するイチカと、ハスミのジト目を受けて気まずそうに視線を逸らす下手人。
「ちゃんと手加減はした」
「今でも背中に跡残ってるっすよ」
「ツルギ……」
「流石にそんなはずは……ない……と思う……多分」
これは流石にフォローが必要だなと、判断し早々に種明かしをする。
『跡が残るように綺麗に治して!』
『酷く錯乱していますね。頭部を最優先にした救護に切り替えます』
『いや、頭おかしいっすけど、おかしくないんで大丈夫っす』
『何を言っているのですかあなたは……?』
『イチ、気付いたことがあります。背中では観ることができません』
『次はもっと強めにめり込ませてもらった方がいいっすね』
『ちょっとお願いしてきます』
『冗談っす! お願いだから! おい! 止まれ!』
「いやぁ、叩いて治るのはテレビぐらいっすねぇ」