ドアが開く音で目が覚めた。
ここ、どこだろう?
「失礼します……コハルさん、私です。マシロです」
カーテン越しにマシロの声が聞こえる。
そうか、私、怖くて自棄になっちゃって、リサ先輩に銃を……
「コハルさん、目が覚めていたのですね。あぁ、急に起き上がらないでください」
「でも、訓練が……それに、私……私」
意識がっはっきりしてきて、しっかり思い出せるようになると、涙が。
怖かった。悔しかった。価値がないっても言われた。
私や、皆が殴られて、酷いことを言われて、でも、やり返せないぐらいリサ先輩は強くて偉い本物のエリートなんだ。
ううん。リサ先輩だけじゃない、ほかの先輩達も……
「大丈夫ですコハルさん、ボロボロのクタクタにされて、訓練は無事終わりました。誰もコハルさんよりも大きな怪我をしていませんし、コハルさんも寮に戻って問題ないそうです」
だからコハルさんの荷物を届けるついでに、一緒に帰ろうと思って。と、マシロは私の銃とバッグを見せる。
良かった。
誰も大怪我をしてないし、除隊にもなってないんだ。
誰も、私以外、誰も……除隊……
「マシロ、私──」
「ありがとう。もし他の誰かが否定したとしても。あの時、コハルさんは正義の味方でした」
「…………と、当然よ! 私は正義実現委員会のエリート……になるはずだったんだから!!」
もしかしたら、マシロもこれから先、リサ先輩に虐められて辞めさせられてしまうかもしれない。
ううん、マシロは狙撃が上手だからきっと先輩たちに認められるはず。
だから、私のしたことは何も意味がなかったかもしれないし、あったかもしれない。
それでも、友達が『ありがとう』って笑ってくれたなら、それは……それは大事なことなんだ。
「それから、リサ先輩からの伝言があります。『無許可の発砲は看過できません。その上、不慣れとはいえ、味方に当たりかねない程下手なので、射撃訓練が始まったら特に励む様に。それまでは射撃の上手い友人に鍛えてもらってください。自主練習でも、申請すれば弾薬が支給されます』だそうです」
「……? え?」
「そういうことっす」
先輩!? いつから!? 泣いてるところ見られちゃったかな、うぅ……。
それよりも、『そういうこと』ってことはもしかして。
「正実では、危険な現場に出る前に理不尽な目にあってもらって、痛みと恐怖を体で覚えてもらうっす。その一環で、本格的な訓練を始める前に一発かます、『洗礼』って伝統があるんすよ」
あ、これ来年入ってくる娘達には当然内緒っすよ。と先輩がにやけている隣ではマシロがポカーンとしてるし、私もびっくりしてる。
じゃあ、尚更リサ先輩に発砲しちゃったのは不味かったんじゃ……
「自棄起こした娘が暴走するのは織り込み済みっす。その点、人助けの為に自分の意思で発砲したコハルはマシな部類っすね。誤射を想定してないのはダメダメっすけど」
それを聞いてどっと力が抜ける。
「てことで優しいリサ先輩から、引き続きボロ雑巾にしてもらえるっすよ」
去り際に、イチカ先輩が残した一言で思わず顔が引きつっちゃったけど、ここまで言葉にされてようやく、じわじわと安心感と嬉しさがあふれてきた。
そっか、辞めなくていいんだ……当たり前ね! 私はエリートになるんだから!
廊下に出て少し歩くと、此方から離れていく人影に気づく。
「いやぁ、友情ってのはいいもんっすねぇ。ねぇ?」
「どいてください。私は会議があるので」
予想通りの人物との邂逅に、悪戯心を刺激され、その正面に回り込むとなんともつれない反応されるではないか。
「へー、そーっすかー」
「なんですかイチ、その顔は。私は救護騎士団から診断書を受け取りに来ただけです」
「いやいやぁ? わざわざ、お忙しい課長殿が受け取りに来るなんてなぁって思っただけっすよー」
「今日の責任者は私ですので。では」
リサが半ば強引な手法で正義実現委員会の軍政面を掌握してから、明確に変わったことが多い。
例えば資金面。ティーパーティーへは違和感がない程度の数字を公開しているが、内向きの報告書では、収入に占める交付金の割合は大幅に縮小しつつある。そしてこれすらも偽りを含んだ数字であることは、ツルギ先輩やハスミ先輩と見解の一致するところだ。
数字であらわされる部分以外でも、リサは自らの部下の中でも信頼できるスタッフ達を本部とは別の建物に集め、機能を物理的に切り離しブラックボックス化させている。
何よりも厄介極まるのが、専横の誹りを受けかねない多くの施策が、正実に相当のメリットをもたらしていることであった。業務効率に限って考えればその差は月とすっぽんだ。
あぁ、まただ。勝手に親友に不穏さを感じつつある自分に嫌気がさす。
このまま行かせてはいけないと直感がささやいている。リサに限って正実を裏切るような行為はしていないと強く断言できるが、その先にある未来が自分には何も見えない。
「頑張ってくださいねぇー。おーにきょーかーん」
遠ざかる背中に呼び掛けると、歩みはそのままに、無言で手を振られる。
「ばーん」
片手を銃の形にしながら呟いた声が夕焼けに吸い込まれていった。
正義実現委員会が有するゲストハウスの1つは、その白い外観から『ホワイトホール』と称され、親しまれていた。
リサが監督課長に就任して最初に行ったことは、所轄する部署を集約し、謂わば庁舎を作ることで業務を効率化することであった。
その成果として、現在『ホワイトホール』は正実官僚達が24時間出入りする、軍政の中枢を表す単語となっている。
ホワイトホールの一室、嘗て社交の場として華やかな一時を演出していた空間。
不要と判断された装飾が排除された今では、その中央に大きめの会議用テーブルが設置され、両の長辺には幾つものオフィスチェアが設けられている。
夕日がカーテン越しに差し込み、列席者達を僅かに照らす。十数人の列席者のうち、腕章持ちは全体の半分程度。
皆、資料を読み込んだり、周囲と歓談するなどして会議が始まるのを待っていたが、一番奥の空席、その後方にある小さな扉が開くと、一斉に立ち上がり敬礼を行う。
リサは答礼を行い、上座に座ると、他の者たちにも座るよう促す。
「1年生のを見た後だと優美に感じるわね……さて、始める前に」
リサが手を叩き合図すると、全員の前にケーキと紅茶が配膳される。無論各々の好みは把握済みであり、可能な限りそれに沿うよう分配されている。
「ハスミ先輩からの差し入れです。皆で楽しむようにとのことで」
「ありがたい。さぞ断腸の思いだったのでは?」
「それはもう、非常に名残惜しそうに」
室内に上品な複数の笑い声が控えめに響く。
上官の食べ物、とりわけ甘味に対して見せる執着心が並大抵ではないことは、多くの者にとって周知の事実だ。
「では始めます。先ずは連邦生徒会長の件について」
「監督課長、情報班長」
「情報班長」
「本日、連邦生徒会長失踪の発覚と、それに伴う騒動がD.U.及び、幾つかの自治区で発生しました。規模、詳細については資料4ページをご覧ください。また、状況を把握するため、羽川ハスミ副委員長がD.U.へ出動。風紀委員会、セミナーの構成員を含む数名と『連邦捜査部S.C.H.A.L.E』の発足に立ち会いました。6ページをご覧ください」
連邦生徒会長が失踪したことで、キヴォトスには多かれ少なかれ動揺が広がっている。
トリニティも例外ではなかったが、三大校の一角として相応の勢力を誇っていることもあり、少なくとも自治区内では大きな混乱はなかった。
火事場泥棒的に侵入者が微増したそうだが、イチカの迅速かつ優秀な指揮により、直ちに鎮圧された。
「シャーレがトリニティに及ぼす影響について説明を」
「監督課長、法務班長」
「法務班長」
「シャーレは複数の自治区が絡む問題の調停も任務としており、自治区内の規則を上回る超法規的な権限を付与されています。また、シャーレの立場や権限にまつわる諸々は、キヴォトス全体の秩序を保護法益としているものであると判断いたします。当然、三大校は矢面に立たされることになるかと」
各自治区はこれまで各々の自治権を盾にし、連邦生徒会やその走狗である『ヴァルキューレ警察学校』の干渉を大なり小なり退けてきた。
そこにシャーレという超法規的組織が介入するようになれば、複数の自治区に跨って影響力を持つような大きな自治区にとって面白くない時代が始まるだろう。
加えて内政干渉紛いのことまでされかねないとなれば、この上なく不愉快だ。
しかし、これまで連邦生徒会がそういった強い抑止力を持っていなかったかと言えば否となる。
それが、連邦生徒会長直轄の実力組織『SRT特殊学園』だ。
「続いて、連邦生徒会長失踪に伴い、権限が宙に浮いてしまったSRTに関して」
「監督課長、装備班長」
「装備班長」
「こちらの資料の3ページをご覧ください。SRTの解体が決定次第、保有する兵器、設備を含む資産の払い下げを行う旨と大まかな希望価格を、不知火カヤ防衛室長から内々に提示していただいております。装備班としては、十分妥当な金額であると考えており、その上カイザーとの競合を避けられるのであれば、ここに『寸志』を上乗せすることで関係強化に繋げたいと考えております」
「許可します。財務班長」
「直ちに取り掛かります」
連邦生徒会長が失踪し、身動きのできなくなったSRTは最早脅威ではない。走狗煮らるという言葉があるが、狩るべき対象が依然として残っているにもかかわらず、彼女たちは極上のシェパードパイとして切り売りされる運命に陥った。
「続いてSRT解体のプロセスについて説明を」
「監督課長、情報班長」
「情報班長」
「SRTの解体は、権限の争奪に伴う不利益を鑑み、七神リン首席行政官が主導しています。防衛室長が反対派の急先鋒でしたが、解体に伴う人員、一部の資産を防衛室及びヴァルキューレに移管することで合意に達した模様です。また公表、具体的な解体実行の日程は調整中とのことですが、混乱の収束が最優先であるのが道理かと」
景気の良い話が飛び交う中、列席者達の顔には隠し切れない焦燥と、不安が浮かんでいた。
それもそのはず、連邦生徒会長が失踪した以上、彼女が主導していた『エデン条約』の進退が問われているのだ。
エデン条約の枠組み自体、『ゲヘナの雷帝』に危機感を覚えたトリニティ、ゲヘナ、連邦生徒会の思惑が一致したからこそ実現した話であって、雷帝の脅威がさった現在ではその必要性は薄れつつあった。
トリニティとゲヘナの対立は根深く、互いに敵視しあう関係であるため、ただでさえエデン条約には反対の声が多かったのだ。
正義実現委員会としては、風紀委員会との無意味な交戦を避けられるメリットがあるが、それを補って余るほどのデメリットがあるというのがこの場にいる者たちの総意であった。
何よりゲヘナが信用できないというのは言うまでもないことであるが。
加えてSRTの解体をティーパーティーが嗅ぎ付けた場合、ティーパーティーがこれを口実に面白くない話を持ち込んでこないとも限らない。
例えばティーパーティー主導での軍拡。
将又、思い切った軍縮。
特に現在ティーパーティーを主導する桐藤ナギサは、エデン条約に前向きの姿勢を見せている為、その障害となり得る正義実現委員会を快く思っていない。
本来ホストとなるはずであった百合園セイアは体調を理由に政務を退いており、最後の1人である聖園ミカはゲヘナ嫌いである。
聖園ミカに与すれば、ゲヘナ嫌いが徒党を組んだと見做され、最悪の場合、内戦のトリガーを引きかねない。
正義実現委員会としては百合園セイアの復帰を願ってやまない訳だが、現実はそう甘くはなかった。
「兎も角、『実弾』がさらに必要になることは確実です。財務班にはより一層励んでいただきたい。各学園の債権についても一層買占めを進めてください」
「シャーレという超法規的組織が出来た以上、自治区の破産に伴う混乱が起こるリスクは減少していると考えます。折角連邦生徒会長の置き土産が暴れてくれるというのですから、我々は最大限それによってもたらされる安定を享受しましょう」
「ビッグシスターは泣いて喜ぶことでしょうね」
「彼女の誇大妄想と砂場遊びが精々長く続くことを祈らずにはいられませんわ。ミレニアムはリスクが低い上に、質が多くて抵当権の設定に困りませんもの」
三大校の一角であるミレニアムの首領、調月リオはなにやら大きな計画を独断で秘密裏に進めているらしく、その資金調達のために自らの権限をこれでもかと行使していた。
儲かる上に、弱みとなるのであれば徹底的に付け入らせてもらう。三大校のゴタゴタとなればなおのことだ。
「くれぐれも『ランドリー』は念入りに使って頂きたいです。イリーガルな案件は今のところ無いにしても、尻尾をつかまれるのは避けたいことですので」
資料を読み込んでいた生徒の1人が発言の許可を求める。
「監督課長、厚生班長」
「厚生班長」
「資料によりますと矯正局から逃げた者達がいるそうですが。『彼女』が古巣に戻った場合、山海経向けの輸出を増やすチャンスと捉えても?」
「勿論。土地や港湾、河川の利権での支払いも受け付けます。そして『彼女』に限りません。折角の機会です。皆さん、営業に励んで頂きたく思います。」
今回の騒動で矯正局から複数の凶悪犯が逃げ出したことはクロノスによって盛んに宣伝されていた。曰く逃げ出した7人を総称して「七囚人」と良くも悪くも持て囃されているらしい。
彼女達がトリニティに牙を剥くのであれば問答無用で確保に動くが、内何名かは行動が予測しうるので、良い商売相手となることだろう。
トリニティの勢力圏と流通網は、様々な物資の調達や、その秘密裏の運搬において有効に働く。
「あぁ、そうでした。アビドスにある資産に関しては早い内にネフティスなり、カイザーなりに売却してください」
衰退著しいアビドスの利権を正実が保有しているのは、かつてゲヘナの雷帝がアビドスに出入りしていたことに起因する。
何も無いに越したことはないが、嘗ての強敵で、今もなお恐るべき敵であるゲヘナの爪先は常に踏んづけておきたいという、ある種まっとうな理由がそこにはあった。
「アビドス情勢がどうもきな臭くなってきました。小鳥遊ホシノは純然たる脅威ですし、最悪ゲヘナがおまけについてくる可能性があるなら、先輩達の曰くつきの遺産は処理してしまいましょう」
「しかし、ゲヘナの雷帝に関して新規の情報を得られていない状況ですが……」
懸念を述べたのは腕章こそ付けてはいないものの、その能力を買われて列席を許されている2年生であった。
「橋頭保は残しておk──」
会議室に甲高い音が響き全員が沈黙する。
発生源である上座を窺えば、この場で最も地位の高い生徒が明確に不快感を顕にし、その右手からはフォークだった残骸が捩じ切れ、零れ落ちる。
「私達だけで、小鳥遊ホシノや空崎ヒナをどうにかできると言いたいわけですか?」
「い、いえ、そのような意図では決して……ただ、やりようによっては、そう、やりようによっては」
「よしなさい!」
隣に座っていた生徒が発言を遮ろうとするも、すべては遅きに失していた。
不快感が敵意に切り替わっていくのを、リサと付き合いの長い生徒達が察し、双方を制止しようと立ち上がる。
「やりようによっては、正義実現委員会の正規の行動としてあらゆる手段が取れると? 貴女まさか、その『やりよう』とかいうのに……」
敵意が全ての者が感じ取れるほどの殺意に切り替わる。
「ツルギ委員長含めてるんじゃねぇだろうな!?」
怒号の後、まるで何事もなかったかのように、リサは語る。
「正義と善を取り違えず、正義実現委員会の為に成すべきことを成す。それが我々の血の掟です。手を汚すことを厭わず、そしてそれに携わる人間が最小で収まるよう奮励する、その同志以外に敷居を跨がせた覚えはありません」
「折角のハスミ先輩のご厚意が……だれかバターナイフを用意してください」
衝撃で粉々となった三角形のケーキでは、砕け散った果実が血肉のように白いクリームを汚していた。