黒の中の黒(旧版)   作:エンゲルス

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強制被動

 羽川ハスミはゲヘナが好きではない。いや、嫌っているといっても差支えないだろう。

 

 自らが副委員長として率いる正義実現委員会は、愛と平和に満ちた組織であると胸を張って断言できるが、その可愛い姉妹達もゲヘナに対しては程度の差はあれ、あまり良い印象は抱いていない。

 

 これはトリニティとゲヘナの長きにわたる戦いの歴史の中で、トリニティの武の象徴である正義実現委員会が最もゲヘナの生徒達と血生臭いやり取りを繰り広げてきたことに起因する。

 

 故にこうしてゲヘナへと向かうジャガーの車内でもついつい銃を握る手に力がこもってしまう。

 

 

 戦いに行くのではない、話し合いに行くのだ。

 

 

 分かってはいても、トリニティとは異なった混沌と言って差し使えない無秩序といい、それを制御しようともしなければそうするシステムも持ち合わせていない非常識さといい、気に食わない要素が多すぎる。

 それでもハスミがゲヘナに向かうことを決断したのは、隣で書類を読み込み最後の最後まで粗を探している可愛い後輩の為に他ならない。

 

 今朝方リサが訪ねてきて、力を貸してほしいと懇願してきたときは、普段こちらに遠慮して頼ってこない娘が頭を下げてまで頼ってくれたことに驚くとともに、素直に喜びを感じた。

 

 そしてその『お願い』の内容を聞いて納得した。あぁ、これはツルギには頼めないなと。

 

 リサは正義実現委員会という組織への帰属意識が強い、そして人一倍ツルギへの忠誠心が高い。それは最早、愛や思慕という域を超え信仰だとか崇拝の領域に届かん限りだ。

 

 以前一度だけなぜそこまでツルギのことを好いているのか聞いたことがある。

 目をかけている後輩が自分以外に視線を向けていることを少し妬いていたのかもしれない。

 

 それに対してリサはこちらの眼を覗き込むように直視しながら、正義とはなにかと問うてきた。

 

「ハスミ先輩、有形無形を問わず実力が伴わないならそれは正義ではないんです。我々は群れることでそれを手にしていますがツルギ先輩は違う。ツルギ先輩は世界を自分色に塗り替えられる。だというのに本人はどこまでも清らかな乙女、皆の幸福を願うという志……その隣に侍る以上の誉はそうそうないことです」

 

 リサは歴戦の兵であることを自負するハスミでも思わず気圧されるほどの、底なしの「飢え」を覗かせた後、「それにツルギ先輩はとっても可愛いですし」と、視線を逸らして年相応にはにかんで笑う。

 

 渇望するリサ、乙女のリサ。表裏一体でどちらも彼女の本性なのだろう。イチカが幼馴染として彼女を危ぶむ気持ちが理解できた。

 

 だからこそ、単身でゲヘナに向かうと申し出たリサに無理を言って、こうして余所行きの車を奮発し自らも乗り込んだのだ。

 

 

「それにしてもイチカは連れてこなくてもよかったのですか? リサ、貴女の能力を疑うわけではないのですが……」

「今回、ツルギ先輩とイチの仕事は美味しいところをかっさらうことです。お茶汲みは私だけで十分です」

 

 早計だっただろうか。

 

 3年生を差し置いて、まだ2年生のイチカとリサを中核に据えたのはツルギやハスミを始めとする3年生だ。能力は申し分なかったが、その職責と期待が後輩を押しつぶそうとしているのではないだろうか。

 

「ついてきたからには、荷物持ちぐらいはしますよリサ。遠慮なく頼ってください」

 

 

 

 ゲヘナに到着すると此見が良しに風紀委員の生徒たちが列を成して出迎えてくれる。

 

「行政官の天雨アコと申します。正義実現委員会の皆様、ようこそゲヘナ学園へ」

「副委員長の羽川ハスミです。と言っても、私はあくまでお目付け役でして今回の主体はこっちの」

「監督課長の片岡リサと申します。職責としては主に裏方で番頭の真似事をさせていただいております」

 

 わざとらしくキョロキョロと辺りを見回すアコに、リサがどうかしたかと尋ねると、アコがこれまたわざとらしく答える。

 

「いえ、運転手を含めても3人だけ、しかもゲヘナでも名が轟いている剣先ツルギ委員長や仲正イチカ課長はいらっしゃらない。トリニティは随分とお忙しいのですね」

 

 思わず激昂し、飛び出しかけたハスミを制してリサも平然と返答する。

「いえいえ、トリニティは治安が良く楽をさせてもらっております。そして、使者には適切な人材を送るのが道理。雅な相手には雅な者を。ゲヘナには私が」

 

「そう? そちらの副委員長、ハスミさんは相変わらず肢体を見せつけるような恰好ですし」

 飄々と嫌味を返すリサに苛立ちを感じたアコであったが、即座に対象を変更し、再び攻勢に出る。

 

 しかし、それを逃すほどリサも人が出来てはいない。

「なんと既に面識がおありでしたか! ハスミ先輩の長いスカートは貞節の象徴。とはいえ動きづらいのは常在戦場を心掛ける者にとって不適切、その妥協なのでございますが……そちらはホルスターか何かで?」

「なっ! なんなんですか貴女は!!」

「いえいえお気になさらず! 郷に入れば郷に従うのも礼節。そちらの風土に合わせた狗のような礼節を守るのは未だに慣れないものですが、努力させていただいております」

 

「このッ!!」

「アコ」

 リサを敵とみなし銃を抜かんとしたアコを制止したのは、今しがた到着した彼女の長であった。

 

「ヒナ委員長! 申し訳ございません。こちらの無礼な輩は直ちに──」

「これはこれは! 空崎ヒナ風紀委員長殿。お噂はかねがね」

 

「そう、良い噂だといいのだけど。それからアコ、貴女の負けよ。これ以上はゲヘナの品位を下げるわ」

 敬愛するヒナにとどめを刺されしおしおと下がって控えるアコを後目に、ヒナとハスミ、次いでリサが握手を交わす。

 

「とはいえ、トリニティの生徒は口が達者なのも考え物ね」

「失礼しました。よく吠える者こそ良い番犬であるとお見逃し頂ければ幸いです」

 

 

 

 

「ナギちゃん見て見て!」

「ミカさん。それではあまりにも華美すぎます」

「えー? でも下級生の娘にティーパーティーの威厳ってやつを見せたいじゃん?」

 

 楽しそうにカップや茶菓子を選ぶミカは相変わらずやかましいが、今この瞬間だけは癒しと言っていい。

 

 この後行われる腹の探り合いを考えると少し憂鬱な気分になる。

 

 お互い多忙な中、急な誘い──ティーパーティーの名前を出して呼びつけたと言った方が正確だが──にも関わらず先方は二つ返事で了承し、こちらの指定した時間で問題ないと返事をしたためてきた。

 

 

 『ティーパーティーのホスト』が『正義実現委員会の監督課長』を呼びつけた手紙に対し、『片岡リサ』が『桐藤ナギサ』へと返事をしたためた。

 

 

 この意味は明白だ。だがそこに含まれる意思は? つい細かなことまで気になってしまう。

 ティーパーティーのホストを引き受け、エデン条約という一大プロジェクトの為に奔走するようになってから全てが疑わしく思えるのだ。

 

 本来のホストになるはずだったセイアを襲ったのは誰? 正義実現委員会がトリニティの警備に意図的に穴を作った? サンクトゥス分派の内部抗争? まさかフィリウス分派の誰かが暴走した? それともパテル分派の工作?

 

 ナギサが見つめていることに気づくと、ミカが不思議そうに首をかしげる。

 

「ミカさんは、相容れない者同士が互いに手を取り合い、信じ合うことが現実的だとは思いますか?」

「それってトリニティの歴史の話? それともエデン条約の話?」

「どちらでもないとも言えますし、どちらでもあるとも言えますね」

 

 ナギちゃんまでセイアちゃんみたいな回りくどい話し方になっちゃったー。とおどけた後、ミカはどこか遠い場所を見るような顔をして語りだす。

「そうだね、とっても難しいことだと思うし、最後はどちらかが滅ぶまで争い続けるかもしれない」

 

 

「でもね、仲良くできるかもしれない娘と話してみて、お互いのことを知ろうとするのは無駄であってほしくないかな……あ、ゲヘナの娘とはまだ無理そうだけど☆」

「ミカさん、最後のは余計ですよ」

 

 大丈夫。私がしっかりしていればエデン条約の努力は無駄にはならないはず。

 

「正義実現委員会の片岡リサさんが到着されました」

「時間どおりですね。ミカさんは席を外していただけますか」

「えー」

 

 だからこそ内側の火種をまずは潰さなくては。

 

 

 

 

「本日はお招きいただき光栄でございます。ナギサ様」

「お久しぶりですね。リサさん。私の就任演説以来でしょうか」

 

 微笑む2人の乙女の語らいは傍から見れば絵の1つでも描きたくなる光景だろう。しかしこの麗人達こそが、トリニティの負の面を知る者達からそれを象徴する陰謀家と評される者達なのだ。ここに秘密の多いシスターフッドの長でも並んだ日には、すわ内戦の始まりかと思われるだろう。

 

「セイア様がお倒れになられた時は我々も肝を冷やしましたが、今こうして茶を楽しむことができるのも偏にナギサ様、ミカ様のご尽力のたまものかと」

 まずは社交辞令、そしてここからナギサの土俵へこの女を引きずり込まなくてはならない。

 

「ありがとうございます。ところで、リサさんはチェスは嗜まれますか? ミカさんは相手になってくれないので持て余しているのですが……」

「駒の動かし方は存じております。技量に関して目を瞑っていただけるのであれば」

「是非。それから、もう少し楽にしていただいて構いませんよ。非公式な場ですから」

「では遠慮なく。私が黒でもよろしいでしょうか」

 

 チェスは白、即ち先手側が有利な競技である。先手を相手に譲るという行為は場合によっては非礼に当たるが、接待という意味では判断が分かれる部分でもある。

 

「よろしいのですか?」

「組織の色に染まったのか、パーソナルカラーが黒なものでして」

 

 半分本当で半分は冗談であろうとナギサは判断する。しかしなんと口の回る女だ。これで人付き合いが悪いというのだから、余程他者に胸襟を開きたがらないのだろう。

 

 しかしどうだろうか、数手指して気付いたことだが、リサはチェスのオープニングを理解しているようだ。

 ロンドンシステムを仕掛けたこちらの意図を察したのか、それに対応する形で陣形を組んでいく。

 

 本能か知識に依るものかの判断はつかないが中々楽しめそうだ。ナギサの意外そうな顔を見てか、リサは薄く笑って答える。

「内にも外にもコミュニケーションツールは多いに越したことはないですから。まぁ、所詮は付け焼刃とお笑い下さい」

「正直なところ意外ですね。貴女が内向きにも気を使っているとは」

「ナギサ様。戦傷の原因の半分は味方の弾ですよ。そしてこの割合は身分に正比例します」

 ビショップとナイトを用い、いずれ来るこちらの圧力に対してピンできるよう堅牢な陣形を組むリサであったが、舌戦の口火を切ったのは彼女の方からであった。

 

「トリニティが誇る精鋭であっても?」

「我々は流石にもう少しマシであると信じたいですが。かく言う私も以前新入りに撃たれまして」

「まぁ!」

 驚いて見せるナギサであったが、実際は既に聞き及んでいる。

 

「私はどうも人相が悪い分損をしているみたいなので、せめて来年の重荷は同期に背負ってもらわねば不公平だと思っているところでして」

「仲正イチカさんですね。優秀な指揮官だという噂はかねがね。渉外も担当されているとか」

「愛想がいいですし私と違って変な威圧感がないですから。その癖、スタイルまで……不公平が過ぎると思いません?」

 

 キャスリングを行い守備を完成させたリサに対し、ナギサはナイトを突きつける。

「では、リサさんが対外交渉の一翼を担っているのは職責の格差是正でしょうか?」

「対外とは何処から見ての外でしょうか?」

 黒のポーンが白のポーンの首を狩り、ビショップへと道を譲る。

 

 

「リサ先輩、ナギサ様に呼び出されたらしいよ」

「怖いけど、ちょっと覗いてみたいかも……」

 

 正義実現委員会の中核を担うリサは、イチカには劣るものの注目の的であり、特に1年生達からは尊敬と畏怖の眼差しを向けられている。

 

 

 あんまり話したことないし、怖くて話しかけづらいけど、美人だし仕事ができてすごい人。でも陰湿そうで怖い。

 

 

 その冷たい眼光が好きだ。という奇特な趣味の者を除いて概ねこのような評価が共有されている。

 

 そんな才媛が、トリニティの頂点に君臨する雲上人に呼び出されたことは、彼女たちの話題をかっさらうに足る衝撃だ。

 

 公的なものであれば、あり得る会談かもしれない。しかし、今回は非公式なものだというのが、うら若き乙女達の好奇心を掻き立てる。

 その結果、正義実現委員会のついこの間まで雛鳥であった者達の内、血気盛んな者は陰謀渦巻く舌戦を、夢見がちな者は百合の花園を思い思いに描いていた。

 

「嘘!? てっきりナギサ様はミカ様。リサ先輩はイチカ先輩がお相手だとばかり思ってたのに!」

「こうも考えられるわ。権力闘争の中で圧力を強めるナギサ様。組織を守るためリサ先輩がその身をと……」

「幼馴染……スワップ……うーん脳が」

「死刑!!」

 

セクシー正実で申し訳ない。

 

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