アイドル。
それは女の子の憧れ。
少なくともステージの輝きに目を奪われた一人の少女にとってはそうだった。
きらびやかな衣装に身を包み、華やかな演出とともに歌を披露する姿。
アイドル達により描かれていたその世界は原初体験となり少女の心に確固たる基盤を作ったのだ。
「自分もこんな風になりたい」
思わず口ずさんだ言葉は夢への片道切符。
気付けばもう走り出していた。
親の了承……周囲との折衝……見るからに才能があるライバルたち……。
どんな障害も、少女は耐え忍びそして結果をもぎ取っていた。
胸にある輝きが少女を不屈のソルジャーへと変えていた。
同期がトラブルや飽きで辞めていく中、彼女だけはその輝きを失わなかった。
否、自分という原石を磨き続けたのだ。
いつかまぶしいあの舞台に立てると信じて。
そして、穏やかな春のある日。
小さいけれど確かな一歩を進み進み続けた少女は、今日もまた一歩進もうとしていた。
●
デパートの一階、中央。
吹き抜けとなっているその空間は二階や三階の様子も見える。
それはつまり、遠くからでも自分を見ることができるということだ。
「すう……はあ……」
「緊張してる?」私が舞台の横で息を整えているとそんな声が聞こえた。
目をやればいつもの優しい笑顔。
「少しだけ」ばっくんばっくんなっている心臓にウソをつき、できる限りの笑顔で返す。
何の才能もなくても見栄を張るのは得意だ。
特に、この人の前では。
事務所のプロデュンヌ。
別にプロデューサーと呼んでもいいのだが響きがいいので、「プロデュンヌ」とか「デュンヌさん」と呼んでいる。
早くから自分に目を掛けて、面倒をみてくれた人。
今日のデビューシングルの発表にも力を尽くし、こんな素晴らしい場所を用意してくれた。
「イヤミかー?」そんな軽口を叩くプロデュンヌに、私は一礼をするのだった。
「ここが素晴らしい場所だと思ってるの、本当です。だってあなたが用意してくれたんですから」
心からの言葉だった。
夢を諦めようと思ったことなんてただの一度もないけれど、それでもこの人がいてくれて良かったと思う。
最初はファンを楽しませる存在になりたいと思っていたわけだけど、今は少し違う感情もある。
「プロデュンヌさん、見ててください。まずはあなたを納得させるような、そんな舞台を目指します」
「ええ、楽しんできてね!!」いつもの優しい笑みが返ってくる。
時間が来た。
小さな舞台の小さな階段を上る。
……無名の新人のデビューイベント。
正直、人はあまり集まっていないだろう。
それでも、いい。
数人であっても、たとえ一人だけだったとしても。
誰かの心に残ってくれればそれで――。
「え……!?」
私は
舞台の上からは並べてある観客用の椅子が良く見える。
全てが空席となっているその様子が。
上の階も人がいる様子はない。
まるでこの空間にいる全ての人間が消えてしまったかのような静寂に包まれていた。
記念すべき初イベントに観客はただの一人もいなかったのだ。
「……」
明るい第一声を飛ばそうとしていたが、さすがに身をこわばらせる。
一人でも心に残ってくれればと思っていたが、一人もいないのでは――。
(いや、まだだ……)
気付く。
この場には自分に尽くしてくれたプロデュンヌもいると。
才能に恵まれたとはいいづらい自分に目をかけたその人は、いわば最初のファン。
加えて周りには音響スタッフやデパート関係の人間もいるはずだ。
彼、彼女らを観客としてカウントすればいい。
そう思って舞台袖を見る。
少し困ったような、優しい笑顔が返ってくることを期待して。
(いない……? どこへ行ったの……!? 担当アイドルが心細くなってるこんな時に……!!)
プロデュンヌの姿はない。
それどころか、他のスタッフやデパートの受付すら見当たらない。
まるで神様が自分に悪戯をしているみたいに、この場には私以外に誰もいなかった。
(みんな私のイベントがイヤで避けた? ううん、自意識過剰すぎる。無名のアイドルのイベントを避けるなんて、わざわざそんな手間をかける人間はいない。じゃあドッキリ企画? こんな新人のためにそんな手の込んだことする? それなら話を通してくれないと困る)
広がる違和。
ゴトン!!
物音がしたのは背後からだ。
本能は身の危険を告げている。
どうする?
何も考えずに逃げ出すか?
逃げる。
嫌いな言葉だ。
振り向いた先にはプロデュンヌがいた。
真っ黒な狼みたいなやつにくわえられて。
「デュンヌさん!!」
プロデュンヌは獣の口先でぐったりと動く気配がない。
直感的にわかった。
デパートに突然、
恐らく敵は複数いるはずだ。
長居するだけで生存率はぐんぐん落ちていく。
どうする?
一目散に逃げ出して、今回の件が片付いた後にまた一からやり直すのか?
今までともに頑張ってきたプロデュンヌを助けた方が夢に近いか?
猶予は一瞬しかなかった。
黒い獣は既に自分に気づき、こちらを向いてたのだ。
「きゃああああぁぁぁぁ!!」
思わず手にしていたマイクを放れば獣の頭にクリーンヒット。
獣の口からプロデュンヌがどさりと落ちる。
それ自体は良い事だった。
獣が自分の方に向かってきたことをのぞけば。
「あああああぁぁぁぁ!!」
獣が覆いかぶさってくる。
態勢を崩しかけるも体幹の強さでカバー。
だが、絶望的な状況に変わりはない。
(どうして……? どうしてこんなことに……?)
今日の主役は自分だったはずだ。
小さな舞台であっても夢への一歩を踏みしめるはずだった。
それが、どうしてこんな怪物に――。
考えている間にも怪物はこちらにもたれるように暴れる。
この日のために用意された衣装はもうボロボロ。
もう泣きたくなってくる。
足だって限界だ。
膝を付きそうになる。
本当にこんなところで、夢が終わるなんて――。
終わる?
何が?
私の夢が?
「そんなの絶対に……認めない……!!」
私は獣を掴み、引き
どうしてそんなことができるのか、それはわからない。
でも、あの日に見た夢は、自分を磨き続けた時間は自分で思った以上に強い基盤となっていたのだ。
それは、砕けることのない岩盤。
改めて漆黒の獣を見る。
何も恐怖は感じなかった。
「何が怪物よ……!! ファンタジーのつもり? あんたなんか私のアイドル物語のトラブルのひとつに過ぎないんだから……!!」
獣を押し返す。
手は橙の光を放っていた。
またしても直感的にわかった。
この光であれば、この化け物を倒せる。
「うおおおおぉぉぉぉおおおおぉぉぉぉ!!」
漆黒の獣を素手で引き裂く。
あたりに黒いモノが飛び散っていく。
「デュンヌさん!!」
息を切らしながら駆ける。
脈と瞳孔の反射を確認。
いまだ意識はないが、とりあえず無事ではあるようだった。
「……」
虚脱感とともに投げ捨てたマイクが目に入った。
耳鳴りのように頭に声が鳴り響く。
自らが身に付けた力の意味はその声が伝えていた。
辺りを一周し全ての怪物を倒した後、またプロデュンヌの前に戻ってくる。
今度は別れを告げるために。
何となくわかってきた。
この怪物は自分と同じような力を持った人間に呼応するように現れたのだと。
つまりは自分のせいで巻き込まれたのだ。
そして一つの事実に気づく。
プロデュンヌが獣にくわえられた時、自分は夢のために見捨てるか、夢のために助けるかを考えたのだ。
普通ならば自分の命か、この人の命かで悩むはずだった。
こんな壊れた人間は近くにいるべきでないと思った。
「さようなら、デュンヌさん。それでも私は……夢を諦めませんから」
放り投げたマイクにそっと目をやり、ボロボロになった衣装のままデパートを後にする。
夢への一歩となるはずの場所は戦いの舞台に。
未練がましく振り返って改めて思うのだった。
自分が夢を諦めることは決してない。
だが夢が叶うことも、またないのだろうと。