翌日、一誠は全身筋肉痛で学校を休んだ。
早朝からなにやら家が騒がしかったが、そんな事が気にならない位に全身が痛かった。
おかしい、昨日はそんなに『体を動かすようなことはしていないはずなのに……』、首を傾げながら一誠は母親に学校を休むと痛みに悶えながら訴え、説得の末に学校を休ませて貰う事が出来た。
動かない体、全身の筋肉が軋むように痛んでいる。このレベルの筋肉痛はそうそうない、筋肉痛と疑うほどに痛すぎる、ぶっちゃけ泣きそうになった。
日が暮れてきた窓の外の光景を目に映しながら、一誠は思案にふける。
「記憶喪失……とか?」
身に覚えのない痛み程、可笑しいものはない。
『頬を搔きながら』一誠は昨日の事を思い出す、昨日は休日を松田と元浜と一緒に遊び潰したはず。ボウリング行ったり、ファミレスで時間潰してエロ本を漁ったりもした。
その帰りは―――帰りは――――。
「思い出せないなぁ……」
日が暗くなった時点から記憶がないのだ。遊んでから家に帰った直後に浸かれて眠ってしまったのか?それとも三日目の夕飯が思い出せないように、特別思い出すような記憶でもなかったのか?それとも記憶喪失か……。
「どうでもいいか、特に変わった事なんてないからなぁ」
自分の体に筋肉痛以外おかしなこともない事だし、両親も相変わらず元気だったし、弟が家が学校へ行く声も聞こえた事もあるから、別に日常に変わった事もない。
そう思うと、安心感を感じベッドに背を預け薄白い天井を見上げる一誠。
そのまま十分ほどボーッとしていると、視界が一瞬歪み、今までとは比べ物にならないほどの頭痛が一誠を襲う。
「――――ぐっあああああああああああああああ!!」
――――俺、変身できた……できた。
――――子供が大人のやることに口を出すんじゃない。
――――黙れクズ。
――――男子三日合わざれば括目して見よってね!
――――そんなバナナァ!?
――――そんな世界ぶっ壊しちまえ。
知らない、知らない誰かたちが一誠の頭の中に入って来る。あまりの痛みでベッドから転げ落ち、部屋のタンスや本棚に体を強くぶつけるが、そんな痛みを痛みと感じないほど一誠は苦しんでいた。
永遠と見間違うほどの地獄の中、一誠はある声を耳にする。
――――その時お前は、全ての世界を制するんだ
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
声にならない絶叫。
それを聞きつけ、血相を変えた母親の姿を視界に収めた瞬間、一誠の意識は、深く深く底に落ちていった。
次に起きた時、一誠はまたベッドに戻っていた。
しかし、今度は自分のベッドではなく、病院のベッドと言う割と大事になっているという事が分かるベッドにいた。近くには心配そうに顔を覗きこむ母の姿、恐らく母が救急車で病院に運んでくれたのだろう
体を動かすと何時の間にか筋肉痛は治っていた。全身が軽く、まるで元の状態より調子がいいくらいだった。のそりとベッドから起き上がった一誠に気付いた母親は、安心した様に息を吐き、一誠の頭を軽く小突く。
「全く、心配かけさせるんじゃない」
「……ごめん。俺、入院するの?」
「少しだけね。一応検査とかしてもらったけど、特に異常もなかったし、精神的な検査とか受けるかもしれないけど、アンタの事だから、二、三日したら退院できるでしょ」
「そっか」
一誠は両親に頭痛の話はしていない。
心配かけたくもなかったこともあるけど、この頭の痛みが医者に見せて治せるような物だとは思えなかったからだ。
一誠が大丈夫だと確認すると、母さんは後で父さんが来ると一言言って家に戻っていってしまった。あまりにもぞんざいと言われてしまうかもしれないが、一誠は素直に感謝した。
母さんは、明日学校がある一樹の方の面倒を見なくてはいけないからだ。
遅れて見舞いに来た父親と、久しぶりにゆっくりと軽く話して、父が帰った後、一誠はまた、身体に馴染まないベッドに身を預ける。
消灯時間も近づき、徐々に人気のなくなっていく病院。一誠は病室の中、一人考えに耽る。
「――――全ての世界を制する……か」
頭痛の最中、中年男性の声で、聞こえた言葉が一誠の頭から一向に離れない。これまで頭痛と共に呼び起された記憶の中で、もっとも存在感があり、もっとも力強く。―――――もっとも魅了される言葉だった。
何気なしに一誠は、手の平を蛍光灯の光にかざす。
光は掴めない事は分かっているだろうが、なんだか今の一誠には『もっと別なものを掴めそうな気がしていた』――――掲げた手を握りしめるとともに、先ほどの言葉を反芻するように呟く。
「全ての世界を……制する」
瞬間、一誠の右手の中に何かが握られていた。
それは手のひら大の、片方が丸みを帯びた長方形の色取り取りの物体だった。表面には、オレンジやメロンやバナナといったフルーツの絵が刻まれ、中心に『LS-∞』と書かれている錠前に似た物体。
「な、なんだこれ……」
手に握られてたそれを呆然と眺めていた一誠だが、その物体をベタベタと触っていると、側方にボタンのような物がある事に気付き、恐る恐る押してみる。
するとガチャンという機械音と共に、丸みを帯びた方とは反対の部分から凹みのある棒のようなものがせせり出てくる。
「なんだ、これ……鍵?どこの―――――!?」
瞬間、『鍵』に見えたそれが掌の中で突然暴れ出し、一誠の掌から飛び出す。
「は、はぁ!?」
飛び出した『鍵』は部屋の中心で浮遊し、一誠の方を向くと(?)勢いよく一誠の胸元目掛け突っ込んで来る。訳の分からない事態に加え、自分を貫かんばかりに突っ込んで来る『鍵』に一誠は動くことができなかった。
硬直してしまった一誠の心臓付近に、鍵を差し込むように『ソレ』は突き刺さり、強烈な光と共に一誠の体の中に消えてしまった。
「――――」
絶句、自分が見た妄想なのか、それとも現実なのか――――一誠はしばらくの間放心していた。
しかし、事態は一誠に考える時間を与える事はなかった。
放心する一誠のいる病室のドアが、突然開けられたからだ。
「ノックに反応しなかったから、勝手に失礼させてもらうわ」
「!」
入って来たのは、見覚えのある紅髪の少女。
リアス・グレモリーだった。ここで一誠の頭の中は余計に混乱することになった。何故、自分に学園の二代お姉さまの一人にお見舞いされているのか。
接点何てないはずだ。
「何で、グレモリー先輩がここにいるんですか?」
「………やっぱり、覚えてないわよね……」
「え?」
「――――貴方の弟のカズキが私の部に入ったから、お見舞いに来てみたの」
来る理由としては、あまりにも違和感の多すぎる理由。美少女が来てくれるのは素直に嬉しい、だがそれが一樹関係ともなれば、それは様々な意味合いを持つ。
ラブレターを代わりに渡してくれとか。
一樹の話を聞かせてとか。
時には、「何でアンタが兄なの?」とか罵倒されることもあった。
勿論、最後に挙げたのは一誠の悪い部分しか知らない女子の偏見に満ちた嫉妬というものなので、クラスメートや彼を良く知るもはそんな事は言わない。
「……えと、ありがとうございます」
「いいのよ?でもカズキは来なかったのかしら?」
「来ませんよ、俺は嫌われてますから」
苦笑いを浮かべながら、そう言った一誠の言葉にリアスは少なからず息を呑んだ。彼女自身、兄妹仲は良い方なので、一誠と一樹のような険悪な兄弟仲というのは、珍しかったのだ。
「貴方は……カズキが嫌いなの?」
「ははは、俺としては仲良くしようとしているんですけどね……昔っからなーんか、俺が兄貴なのが気に入らないみたいで……まぁ、普段の行いのせいでしょうけどね」
リアスが『8つの兵士』を用いて眷属にした兵藤一樹は、彼女にとってはおかしな部員だった。悪魔の話をしても、別段驚きもしなく、神器も易々と展開させ、魔力も常人並にあった。それだけ見れば、良い眷属を手に入れたと見れるだろう。
だが、彼はどこかズレていた。浮き足立っていると言ってもいいのか?眷属の小猫や朱乃に進んで話しかけて親睦を深めようとするのはいいが、その所作に作為めいたものを感じる。
なにより、今日の放課後、悪魔として活動しているカズキの母親らしき人物から掛かって来た電話に答えた時の彼は『面倒臭い』と一蹴し、一方的に電話を切ったのだ。
理由聞いてみると、カズキは――――
『え?ああ、兄さんですよ。兄さん、昨日筋肉痛で学校休んでたんですけど、突然騒ぎ出して病院に運ばれたんですよ……』
『大変じゃない、家族の事なんだから見舞いに行ってきなさい』
『いいですよ、あんなやつ。どうせ物事を下半身でしか考えられない、バカですよ。あんなの見舞いに行く価値すらありません』
リアスは何も言えなかった。
それと同時に、昨日の記憶が思い起こされた。
リアスがカズキの契約用に転移魔方陣で呼び出された時、彼女が最初に見た光景は、血の海に沈む一樹ではなく、煮えたぎるような怒りを感じさせる目で、堕天使が去って行っていったであろう空を見る一誠の姿だった。
頬から止め留めのないほどの血を流し、体は煤汚れ、腹部を抑えていた。
一樹を眷属にし、彼の一命を取り留めた時の彼の反応は、あまりにも一樹の言う『物事を下半身でしか考えられない』という印象とはかなりかけ離れていた。
一樹の身を案じ、助けようとするその心意気は、眷属愛を重んじるリアスと通ずるものがあった。頬から尋常じゃない血を流していたことに気を止めず、加えて腹部を抑え、よろよろとこちらに歩いてくるその姿は痛々しさすら感じられた。このままじゃいけない、そう判断したリアスは、一誠のこの場での記憶を魔力で操作し傷の手当てをし、カズキと共に家に帰した。
『部長、ボクの兄はどうしようもない男です。だから部長も皆もできるだけ、近づかないでください。あまり見て貰いたいものではないので』
家族を貶める、一樹の言葉にリアスと部員全員はあまりいい顔はしなかった。
兵藤一誠と友人たちの悪評は駒王学園では有名な話だ。だが、その程度の悪評で印象を決めるような眷属達ではない事はリアスが一番分かっている。
そもそも、まだ碌に人柄も知らないのにそこまで人格否定されていると、昨日の事を知っているリアスとしてはどうにも実際に会ってみないと気が済まなかった。
だから一樹には秘密にし、面会時間外に一誠に会いに来たのだ。
実際に、面と向かって会ってみると、やはり一樹の言っている事は違うと確信した。病室の中で放心したように中空を見つめていた一誠に、どこか胸の締め付けられるような思いを感じたが、リアスに気付いた彼と話して見た所、やはり昨日の記憶は覚えていなかった。
リアス自身、心配していたのだ。
記憶操作に使った魔力が彼自身の体に悪影響を及ぼしているかどうかか……。さりげに彼の体を見ても何の異常も見られない事から、特に大事ないと分かった。
「グレモリー先輩?」
不思議そうな顔で、リアスの顔を覗う彼に気付き、愛想笑いを浮かべるリアス。
「なんでもないわ。兵藤君……いえ、イッセーと呼んでもいいかしら?」
「あ、えええ!?先輩が俺の事を!?」
あわあわと慌てふためくその姿に、くすりとリアスが微笑む。しかし、唐突に昨日の記憶の中での違和感に彼女は気付いた。
おかしい。
一樹は堕天使に殺された。
なら、何故一誠はそこに居た?普通ならば、一樹諸共堕天使に殺されているはずだ。
契約用の魔方陣が発動され、其の場に到着した時、彼は頬に深い傷、それに腹部の打撲を負っていた。
状況から考えると、彼はリアスが来るまで堕天使に少なからず戦闘行為を行っていた事になる。
「――――っ」
其の場で勢いよく立ち上がり、一誠を凝視する。
もし、そうならばリアスは記憶を操作するべくではなかった、彼から話を聞くべきだった。にわかには信じられないが、こうまでも可能性があると気になってしまう。
今更ながら後悔するように再度椅子に座り、頭を抑える。
そんな彼女に一誠は―――
「あの、弟は……グレモリー先輩のいる部活に入っているんすよね?」
「ええ……」
「なら、頼みます。弟の事」
「え?」
「俺、バカですから。何で俺の事、嫌ってるのか分からないんすけど……弟なんです」
嫌われているのを理解しているのに、散々な目に有っているはずなのに、顔を上げたリアスを見る一誠の目はどこまでも、どこまでも真っ直ぐだった。
だが、それと同時に自分はもう弟とは仲良くできないという『諦め』があるという念がある事にリアスは気付く。
どれだけ、仲良くしようとも肝心の相手が一方的にそうしようとはしない。それが家族ならばなおさらツライ、それは優しい兄を持つリアスには痛いほど理解できた。
「安心しなさい」
「はい?」
リアスは、一誠を抱きしめていた。
特にこれと言った理由はない、強いて挙げるならば、今の兵藤一誠はどこか儚げな雰囲気だったからである。
対照的に一誠は、内心、美少女にいきなり抱きしめられ狂喜乱舞だった。
実際問題、彼女の『か』の字も見当たらない青少年には、いきなりの抱擁と言うものは刺激が強すぎた。一誠はあまりの高揚感に鼻血を吹き出し、ベッドに寝転ぶように倒れてしまった。
「あら……」
リアスは困ったように苦笑しながら、騒ぎにならないよう一誠の顔の鼻血を拭った後、一応ナースコールを押してから、人が来る前に病院から抜け出した。
一誠に会って分かったのは、彼が一樹の言うような人物ではなかったことと、一樹は一誠の性格や普段の態度とは関係なしに、リアスと眷属達を一誠に会わせたくないと思っている事が分かった。
「イッセー……ね」
また別な形で会いそうな気がする。
そう自分らしからぬことを思うリアスであった。
次話もすぐさま更新致します。