我が球団では、いったいいつぶりだろうか。
先発投手がノーヒットノーランを達成するなど、俺がこの球団にいるようになってから初めてではなかろうか。
いつもはノーノーをされる側だったから感慨深い。
超貧打、リリーフ崩壊の真っ只中にある球団で、よくノーノーをしてくれたものだ。
そのおかげで、球界内では神奈川――正確には斉藤個人なのだが――が注目を浴びている。
斉藤が先発登板すれば、観客も興行収入も増える。まさに今輝いている野球人だ。
高卒ルーキーで、しかもプロ初登板でノーノー達成はまさに偉業のひとつといっていい。
そんな偉業を成し遂げた投手がこの神奈川にいるのだから、心強いことだ。
斉藤本人はまだ慣れていないからか、この注目っぷりに少々戸惑っていたが、いずれ慣れるはず。
サイン入りユニフォームやサイン入りボールが発売され、売れていく光景を彼は赤面しながら、
「なんか、小っ恥ずかしいですね……」
と苦笑い。
しかし斉藤は練習も欠かさず真剣に取り組んでくれているから、今のところは安心しても大丈夫だろう。
さて、3月、4月、5月、6月と過ぎていく中、チームはというと、
「長月さん、まーた今月も負け越しですよ……」
7月。オールスター戦も過ぎて。
シーズンも後半戦に差しかかるが、球団スタッフから開口一番これである。
ぶっちゃけ、今シーズンの先発陣は斉藤以外ほとんど勝てていないし、打線も小坂と山田以外まったく打てていない。
そのうえ守備も穴だらけなのだから、もうどうしようもない。
つい最近獲得した外野が守れる外国人野手も乱闘を起こして負傷して二軍落ちするわ、斉藤や宮西、藤原以外の投手は練習中にサッカーをしてるわで散々である。
しかもチーム内でも乱闘騒ぎがあったばかりだ。それで以て一軍復帰直後の先の外国人野手がまた負傷して二軍落ち。
おかげでチームのムードも険悪になりつつある。
それを尻目に斉藤を始めとしたルーキーは淡々と野球しているのだから、先輩方も見習ってほしい。
と、もうすでに今オフのことに頭を切り替えようとデスクに着いて、そういえばと思い出す。
「スカウトの方、どうかな? 松坂さん、和田さんとの交渉は」
「ああ、あのふたりですか……」
「うん、正直あのふたり、けっこういける気がするんだけど」
「一応スカウトも交渉はしているみたいですが、その……あまり芳しくないと……」
「うん、だよね! 大学ナンバーワン投手の
「その球団のGMが言って虚しくないんですか?」
「虚しいよ!」
もはや慟哭である。
部下からこんな発言されれば、ちょっと腸が煮えてきた。
「ごめん、ちょっとスカウトに連絡して。もう俺行くって」
「え……あの……」
「とりあえず松坂さんから回る。んじゃ、そういうことで」
善は急げ。というわけで球団事務所から抜け出し挨拶回りだ。
本当は一刻も早く事務所を出たかっただけだが。
7月終盤に入り、高校球児たちが夏の甲子園に向けグラウンドで勤しむ時期。
そんな時期であるはずなのだが、ここの高校のグラウンドはなんだか空気が重苦しかった。
神奈川県横浜市にある某高校。近年野球部が設立されたというこの高校に、俺が探し求めていた人物がいた。
目は赤く、泣き腫らしたような跡があるのが気がかりだ。
そんな人物――
「……長月さん、あれで本当にいいんですか?」
松坂と俺の面会をセッティングしたスカウトが、そう耳打ちしてくる。
「なに言ってんの。あれがいいんだよ」
「でも球筋が荒すぎますよ、あれ。プロではわかりませんよ……」
「わからないからいいんだって」
そんな会話をしているうちに、松坂がこちらに駆け寄ってくる。
「……神奈川の重役の、長月さんでしたっけ。俺になにか?」
「もちろん」
頷いて、口を開く。
「こっちとしては、キミという選手が気になってるんだ」
「へえ、こんな選手にですか?」
「こんな選手だからこそ、だよ」
「……
「あー……うん、そうだね」
なるほど、そういうことか。
この松坂浩輔はどうやら、俺の知っている松坂のようにはいかなかったようだ。
しかし俺が見る限り、球速はあるしノビもいい。
能力は間違いなく即戦力だとしてもいい。
「……すんません、やっぱ悔しくって」
「うん、わかってる。だってキミ、
「……っ!」
「自分は野球が上手いのに、甲子園に行けなかったことが悔しいんでしょ?」
「長月さん、今日はそのへんに……」
止めようとするスカウトを手で制し、言葉を続ける。
「わかるわかる。能力はあると自負してるのに行けなかったら、そりゃ誰だって悔しいよ」
だから、と一拍置いて。
「能力があるキミを、プロ野球に招き入れて、一緒に勝とうって話をしに来たんだ。こうは言いたくないけど、他球団ノーマークでしょ」
「…………はい」
「正直誰もドラ1で獲らなかったら、俺が無理やりでも獲りたい。俺の中では、そんな価値がある選手なんだよ」
だからさ、と。
「その能力、うちで示さない?」
契約金も出すよ、とつけ加える。
松坂は唇を結んだまま動かない。
振り返って、強硬策すぎたかと内心で猛省する。
まあ失敗したらもうその時だろう――が。
「……します」
「ん?」
「お……します……」
「うん」
「俺を指名してくださいッ! お願いしますッ!」
頭を下げる松坂に、俺は手を差し出す。
「わかった。今オフ、ドラフトがすでに楽しみだよ」
松坂は俺の手をがっしりと握り返してきた。
「――ん、了解。だいたいオッケー」
電話を切って、ポケットにしまう。
自然と、口元が緩んでしまう。
「――さて、ドラ1、ドラ2決まったし」
行くか、ドラフト会議。
2021年度 神奈川ブルーホエール セ・リーグ6位
【個人成績】
斉藤克巳 防御率2.16 13勝6敗
宮西尚史 防御率1.61 4勝3敗 41HP
藤原球児 防御率1.12 2勝1敗 38S
山田卓人 打率.303 82打点23本塁打 29盗塁
小坂優 打率.289 51打点 46盗塁