夢叶って画家になれた転生主は、ともかくブルアカ本編に関わりたくない   作:木暮鬼一

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栢間エスミ 『プロローグ』

「……では、原画(げんが)が1点500万。1点40万の版画(はんが)が3点で120万ですので、合計4点で 620万円のお買い上げになります。作品の運び出しと展示における費用は後ほど別途ご連絡致しますので、まずはこちらの書類にサインをお願い致します」

「ありがとうございます」

 

 礼儀正しい言葉遣いで渡されたA4用紙の紙。

 いわゆる〝契約〟を受け取ったトリニティ総合学園の3年、桐藤ナギサはその紙に素早くペンを走らせると傍に控えているティーパーティーの生徒にそれを手渡しました。

 彼女の部下であり同時に付き人でもある生徒は、ナギサの名が書かれた書類を一瞥(いちべつ)すると素早く元の持ち主もとい商人へと返します。

 

「……毎度ながらナギサ様との商談は手早く終わるので、商人である我々としてはありがたい限りです」

「ご謙遜を。いつも私に合った作品をご紹介してくださるおかげで悩むこともなく判断を下せるので私としても感謝を申し上げます」

「そうは言われますが、ナギサ様がいつもお買い上げになるのは決まって【栢間(かやま)エスミ】先生の作品です。他の先生の作品ではなく、常に決まって栢間先生の作品だけを買われるのですから、我々としてはナギサ様にお見せする品が厳選しやすく大変助かっています」

「そうでしたか。そちらの商売に一役買うことが出来て光栄です。今後も栢間先生の作品を楽しみにしていますので、今後ともよろしくお願いいたします」

 

 ナギサはそこで一区切りすると、両手を組んでにこやかな笑みを浮かべました。

 

「ついでに栢間先生にお伝えください。私はいつでも〝パトロン〟になる準備は出来ていますよ、と……こうして作品を買って養うのではなく直接先生ご本人を養いたいと思っていますので」

 

 その発言を聞いて、この部屋にいる者の反応は様々でした。

 ナギサの付き人である生徒は冷や汗をかいて己の主を凝視し、ナギサと相対する商人は困ったように苦笑いを浮かべています。

 商人は一呼吸を置く形で息を吐くと、口を開きました。

 

「……承知いたしました。ですが私の方からもナギサ様に栢間先生からの伝言を預かっています。お伝えしても?」

「ええ。内容は察しますが、せっかくなのでお聞かせください」

「先生からの伝言はこうです……『お世話になるつもりはない』と」

 

 まるで先ほどのナギサの発言に対する返答のようであり、付き人の生徒は大変困惑した様子を見せましたが、逆にナギサ本人は笑みをますます深めて満足そうにしていました。

 

「いつの日か、その伝言の内容が変わることを楽しみにお待ちしています」

 

 商人とナギサはそこで話は終わりと言わんばかりに黙ると、互いに丁寧に頭を下げて商談は終わりを告げました。

 たった1人、状況を呑み込めていない付き人の生徒を残して……。

 

 

 

≪1-2≫

 

 

 

「失礼ながらナギサ様。質問をお許しいただけますか?」

 

 時間にして大体1時間ぐらいは掛かった商談を無事に終えた頃。トリニティ本校舎へと帰路の歩みを進めるナギサの背中に、ふと付き人の生徒は声をかけました。普段からナギサの身の回りの世話をしている専属の付き人が体調不良により休んだため、急遽代役として今回の商談に同行していた彼女。

 初めての体験となった1時間前の商談の内容に何かしら気になる事でもあったのでしょう。

 ナギサは落ち着いた声で『構いません』と声をかけると、顔こそ向けないものの聞く耳を立てました。

 

「ナギサ様は先ほどの画商の方と、どういったお知り合いなのでしょうか?」

「見ての通り、あちらで取り扱っている絵画を売る店員とそれを買い取る顧客の関係です」

 

 さも当然という形で答えを返したナギサでしたが、彼女がこのような答えで満足することが無いと分かっているため続けて言葉を続けます。

 

「正確には私が特別に肩入れをしている画家の作品を唯一取り扱っているお店になります」

「先ほど何度か会話に出ていた【栢間エスミ】様のことですか?」

「はい。このキヴォトスにおける著名な画家の1人として知られ、かつ芸術分野における超新星と謳われる方になります。トリニティ自治区に至っては、最も有名な画家と言えるかもしれません」

「私もお名前であれば何度か聞いたことがあります。学園にも何点か作品が飾られているので見たことがあったかと……」

「そうでしたか。ちなみに、学園にある絵はほとんど私が購入し展示して頂いたものになります。お時間があればまた今度ゆっくりご覧になってください」

「あれはナギサ様が取り寄せていらっしゃったんですね……そ、その不躾ながら重ねて質問が……栢間エスミ様とのご関係についてもお聞きしても宜しいでしょうか? ナギサ様が個人にあそこまで肩入れされているとは知りませんでしたので……」

「あら、もしかしてご存じありませんでしたか?」

 

 そこでふと足を止めたナギサは驚きの顔に満ちている付き人に身体を向けると、

 

「栢間先生……栢間エスミさんは、トリニティ総合学園の3年生にして私の〝幼馴染〟 になります。とても素敵なお方ですよ」

 

 誰もが一度は見惚れてしまいそうな微笑みを浮かべていました。

 

 

 

≪1-3≫

 

 

 

「ナギちゃーん、お帰りー‼」

 

 ナギサ、付き人の両名が学園に到着して早々、彼女たちの帰りを待っていたかのようにして、ピンク色の髪を揺らしながら1人の少女が真っ先にナギサに飛びつき……いえ体当たりするが如く抱き着いてきました。

 その勢いはさながら最高速で走る装甲車。まあまあ危ないです。

 これでもナギサはれっきとしたキヴォトス人。身体の頑丈さで言えば他に引けを取らないのですが、ほぼ不用意に近い形で衝突されてしまっては意味がありません。

「ちょ、ミカさんあぶな……グッ、カハッ⁉」

 

 令嬢にあるまじき呻き声を出しつつ、ナギサは自身の胸に向かって抱き着いてきた人物をなんとか受け止め、苦しそうな顔を無理やり笑みに変えます。たぶん相当痛かったのでしょう。

 

「み、ミカさん……勢いを乗せて抱き着くのはお止め下さいと前にも言ったはずですよ……」

「あれ、そうだっけ? ナギちゃんの言う通りスピードは緩めたはずなんだけど」

「速度を落とすのではなく、そもそも走らないでください……危うく受け止めきれずに倒れるところでした……」

「流石にナギちゃんに怪我を負わせるようなことはしないよー」

 

 ナギサよりも若干ながら背丈の低い少女、幼馴染である聖園ミカは楽しそうにキャッキャッと笑うとそれを眺めてナギサは溜息を吐きました。

 

「それで。ミカさんがこうして大袈裟にも私を出迎えてくれたということは、何かお伝えしたい事でもありましたか?」

「うわっ、ナギちゃんって実はエスパー? どうして私の考えが分かるの?」

「何年の付き合いだと思っているんですか……プライベートならともかく、こうして学園の中でわざとらしく目立つ出迎えをして……他の方々に邪魔をされたくないお話でもありましたか?」

 

 確信めいた言葉を口にすると、ニコニコと笑顔を浮かべていたミカは依然として表情は崩さずに『当たり☆』と返してきたのでナギサは再び溜息を吐いて付き人に顔を向けます。

 

「申し訳ありません。これからはミカさんと行動を共にするので、付き添いはここまでで十分です。今日はお疲れ様でした」

「承知致しました。もし御用があればお声がけください」

 

 目の前で起きたミカの熱い歓迎に終始驚きと困惑の表情を浮かべていた付き人の生徒でしたが、流石にナギサからの言葉にはすぐさま反応し、慌てることなくその場を立ち去りました。

 ミカはその後ろ姿に向けて『お疲れ様~』と手を振って見送るのですが、姿が見えなくなるとすぐにナギサからパッと身体を離しました。

 

「今の子、初めて見るね。新しい付き人?」

 

 そして何かを探るような声でナギサに尋ねてきます。先ほどのキャッキャッとした姿とは一転、相変わらず笑みは浮かべているものの雰囲気が変わった幼馴染を見つめながらナギサは大袈裟に肩をすくめました。

 

「流石です。よく気付きましたね」

「ナギちゃんの側近はそこそこ把握してるつもりだよ。私たちってお互いに所属してる分派は違う訳だし、少しでも失言や弱みを握られたら後々面倒だもん。いつもナギちゃんにくっついてる付き人の子の前なら話せたんだけどね。あの子は今回用事でいないの?」

「申し訳ありません。今回は病気で休まれていて……」

「珍しいね。あの子って身体は頑丈な方だけど病気には弱い方だったんだ? ちなみにあの新人ちゃんの方はどうなの。ナギちゃんから見て付き人として期待できそう?」

「まだ判断するには時期尚早といった所でしょうか。手続きや立ち振る舞いは完璧ですが、 どうも感情や考えていることが表情に出やすいのが難点で……いっそのこと、ミカさんのように百面相でもしてくれたら諦めがつくのですが……」

「あれちょっと待ってナギちゃん。いまサラッと私のことを罵倒したよね?」

「事実ですので」

「酷いよナギちゃん‼」

 

 うわーんと叫びながら再び抱き着いてきたので、流石のナギサも『人前では控えてください』と語気を強めに注意するとミカは不服そうにすんなり離れました。

 

「ところで、私に何か大事なお話があったのでは?」

 

 そもそも付き人をあえて離席させたのは周囲に聞かれたくない〝何か〟をミカが話したがっていたからです。つい話がそれてしまった訳ですが、軌道修正という事で改めて幼馴染に向き直ります。

 ですが目の前にいるミカは一瞬だけ呆けた顔をすると、まるで今思い出したかのように頷きました。

「そうだった忘れてたよ‼」

「ミカさん……貴女は一応、ティーパーティーの代表者の1人なんですよ? その様子では幼馴染である私ですら心配になるのですが……知らないところで身内から蹴落とされないか不安です」

「大丈夫、大丈夫。これでも最近不穏すぎるパテル派を何とか抑えている方だから安心して☆」

「……ならひとまず、場所を移しましょう。歩きながらでも構いませんか?」

「オッケーだよ~。なら話をするのに良い場所があるから私に付いてきてね」

 

 呆れの表情を浮かべている幼馴染を見ても何のその、ミカは相も変わらずにニコニコした笑みを浮かべ先に動き出しました。何だかルンルン気分で歩いているようにすら見えます。

「……はあ」

 

 そんな無邪気な幼子に思える背中に向けて溜息を一つ。ナギサも歩き出しその隣に並び立ちます。

 

「それで。お話の内容は?」

「あー……えっとね、ナギちゃん。本当は私から話すことは何も無いんだ」

「……はい?」

 

 あっけらかんとそう口にした幼馴染を訝しげに睨むナギサ。

 ミカは片手をひらひらと振って『本当だよ?』と返します。

 

「ちょっと前に、ナギちゃんが学園に帰ってきたら呼んできて欲しいって頼まれちゃって。つい二つ返事で受けちゃって肝心の内容は私も知らないんだ」

「それは何ともミカさんらしいですが……そもそも貴女に用事を押し付けたのは一体どなたですか? ミカさんは普段の立ち振る舞いで誤解されがちですが、ティーパーティーの代表の1人でパテル分派のリーダーなんですよ。おいそれとミカさんを使い走りとして利用される物好きな方なんて他に…………あぁ、そういえば彼女がいましたか……」

 

 脳裏にパッと浮いてきた人物の姿に眉をひそめ、続けて面白そうに笑みを浮かべたナギサ。これでも交友関係はかなり広い彼女ですが、幼馴染であるミカをパシリとして利用しても問題ないと考える人物など、ナギサが知る限りただ1人しかいません。

 それこそ、その相手が少し前に話題に挙げていた人物となれば自然と笑みが浮かんでしまうものです。

 

「もしかして、栢間エスミさんから頼まれましたか?」

 

 答え合わせするかのように名を口に出せば、ミカは小さく拍手を返してきました。

 

「正解‼ ナギちゃんの言う通り、私に頼んできたのはエスミちゃんだよ。何か話したいことがある様子だったけど、ナギちゃんは心当たりある? 私は全然分からなくて」

「さあ私にも全然心当たりがありません。用がある時以外は滅多に話しかけてくださらない方ですから」

「私に対してもそうなんだよね。もう、中等部の頃からの幼馴染なのに酷いよね。もしかしたら今着てる洋服が合わなくて意見が欲しいとかかな?」

「半年前にミカさんが無理やり買い物に付き合わせていたので違うと思いますが……」

「あれは私が着る服についてエスミちゃんの感想が聞きたくて誘っただけ‼ 肝心のエスミちゃんは一着も服を選ばなかったんだもん。勿体ないよね、あんなにスタイル良いのに。絵を描くから〝つなぎ〟を新調するぐらいで良いって断るし……」

 

 つなぎ、とは別名でオーバーオールとも言います。上衣と下衣が一体になっている服で分かりやすく言えば【作業着】の事です。

 汚れやすい油絵等の作業で着ることが多く、元は作業現場で着ることがメインとなっているため耐久性は申し分ありません。ただし私服として着るものではありません。ミカが不服なのも当然でしょう。

 

「エスミさんは画家として個展やパーティーに出る事が多いですが、それに合わせた服装を4、5着あれば十分と前に話していたのを覚えています。私やミカさんのようにプライベートでの外出は控えている方なので服を買われないのは仕方ないかと。とはいえ、ミカさんの言うようにエスミさんはもう少しお洒落や見た目に磨きをかけても良いとは思いますが」

「じゃあ今度はエスミちゃんを誘って皆でお出かけに行こうね☆」

「ええ、賛成です」

 

 と、幼馴染と何やかんや楽しい談笑をしてるうちに気付けば目的の場所に着きました。思ったよりも早い到着にミカは『意外にも早く着いたね☆』と口にしたので、ナギサも同意として深く頷きました。

 

「今日は庭園ですか」

 

 2人が到着した場所はトリニティ総合学園で数多く開放されているエリアの中では特に上級生たちから好まれている場所の1つ、庭園でした。

 毎日トリニティ生徒の手によって綺麗な外観が保たれており、人目を気にした食事や軽い密談などに利用されることが多く庶民階級の生徒や下級生はまずおいそれと立ち入ろうとはしない正真正銘【上層階級】の生徒だけが利用している特別な場です。

 

 そのエリアの一角で、キャンバスを木製のイーゼルに立てかけて遠くの景色を眺めている1人の生徒がナギサの目に入りました。

 間違いありません、彼女でしょう。

 

「ミカさん」

「うん。あっちにいるのがエスミちゃんで間違いないよ。絵を描くのに夢中で誰も話しかけていないからチャンスだね」

「そうですね。エスミさんは学園ではともかく人気者ですから……裏表共に」

 

 意味深にそう呟くナギサでしたが、ミカは聞き逃したか聞かないフリでもしたのか、特に反応することはなく真っ先に歩き出します。その背を追うようにしてナギサもついていくと、既にこの庭園にいる生徒から視線をいくつか向けられました。

 ただしこの場にいる者はほぼ全てが3年生。

 家柄や所属している派閥の関係もあってか、幼馴染であるナギサとミカが共にいても不思議に思う者はおらず、むしろ2人で何か大事な話をしにやって来たと察したのか、各々が勝手に場を離れてくれました。2人が共に各派閥のリーダーでありティーパーティーの代表であるという肩書が良い方向に働いたおかげです。

 

 その光景を眺めながら肩書も使いようによっては役に立つとナギサは感じつつ、ようやくエスミの下にたどり着きました。

 

「エスミちゃん。言われた通りナギちゃんを連れてきたよ‼」

「……エスミさん、お待たせしました」

 

 絵描き中のエスミの背中に向けてミカが元気に声をかけ、ナギサが遠慮がちに声をかけるという真逆の行動をする中、声を掛けられた本人は手に持っていた鉛筆を丁寧に置いて身体ごと振り返りました。

 

「聖園、連れて来てくれてありがとう。桐藤も、外出から帰って来たばかりなのに急に呼びつけてごめん」

 

 薄い青色の長い髪を後ろでシニヨンにしてまとめ、僅かばかりに前髪を垂らしながら視線を2人に向けてくる少女こと栢間エスミ。美少女と呼ぶにふさわしい顔立ちをしつつ、翡翠色をした瞳を持つその垂れ目がナギサとミカ両名に向けられると、まず最初にミカが口を開きました。

 

「お礼なんていらないよ。エスミちゃんからの頼み事なら喜んで引き受けるからね。それで、ナギちゃんに何の用事があって呼んだの? そもそも私もこの場に居ていいの?」

「そうですね、ミカさんの言う通りです。こうして人払いを済ませないといけない話という事でしょうか?」

「別に聖園が同席していても問題はないよ。むしろ人払いも何も2人を見てほかの皆が勝手に立ち去っただけだから。ちょっと桐藤に頼みたいこと……というより、伝えておこうと思って」

 

 エスミはイーゼル脇に置いてあった鞄から束になった書類を取り出し、それをナギサに渡しました。

 

「エスミさん、これは一体?」

「今度お店に並べる予定の私の作品リスト。近いうちに会場を貸し切ってお披露目展示するつもりだから、このリストを参考に欲しい作品は前もって目星を付けると良いよ」

「……もしかして、お店からもう報告が?」

 

 ナギサは苦々しい顔でそう尋ねると、エスミは知らぬ顔で首を斜めに傾けました。

 

「何のことだか。桐藤はよく私の作品を買ってくれるからサービスとして渡しただけ。一応言っておくけど、これは他の顧客にも同じように渡しているリストであって、決して君だけを特別扱いしている訳じゃないから。勘違いはしないようにね」

「ええ……そういう事にしておきましょう。ありがとうございます、こちらは有難く参考にさせて頂きます」

「どうも。用事はそれだけだから、後は立ち去っても構わないよ」

「えっ、こんな事のために呼んだの⁉」

 

 思わずミカがつい驚き声を出すと、ナギサは苦笑しながら『仕方ありません』と応えました。

 

「これは本来、外部にそう簡単に持ち出していい代物ではありません。お店の経営に関わる大事な情報ですので場合によっては情報漏洩として罰される可能性があります。これを直接渡して下さるという事は、エスミさんが私のことを信用してくださっているという証拠です」

「じゃあつまり、ナギちゃんとエスミちゃんは今ここで共犯者になったっていうこと?」

「その成り行きを見守っていた君もだよ聖園。ただし、この書類に関しては正式な手続きはしているし、仮にバレてもお咎めは受けないから安心して」

「そうなんだ。じゃあ安心だね☆」

「……分かってはいたけど、聖園はもう少し警戒心とか危機感を持つべきだと思う」

 

 相も変わらずに無邪気にも明るいミカを一瞥して、エスミはナギサに対して静かに右手の人差し指を立てます。

 トリニティの制服とダークグリーンのブレザーを着こなすエスミ。その姿は中々に似合っているものの、唯一違和感があるとすれば右手だけにはめている黒の革手袋でしょう。色々と深い事情があって付けている革手袋ですが、その手袋をはめている右手が視界に入るたびにナギサは心が少しだけ苦しくなります。

 とはいえエスミはそんなナギサの心情を察することなく口を開きました。

 

「最後に桐藤に一つだけ。次の搬入日は10月3日……忘れないように」

「……分かりました。他に何か私に伝えておきたい事はありますか」

「いい加減、パトロンの話は諦めて」

「それは無理ですね」

「……頑固者め」

 

 溜息と共にそう呟き、苦笑してイーゼルの方に顔と身体を向けるエスミ。もう話は終わりのようです。

 これ以上長話をしては制作に影響を与えると考え、ナギサはミカに『行きましょう』と声をかけ、その場から立ち去ることにしました。

 

「ナギちゃん。もう少しエスミちゃんとお話しなくていいの?」

「ええ、もう大丈夫です。あれ以上長話をしてしまっては、エスミさんの制作活動の邪魔になってしまいますから」

「いや、私には全然長話には思えなかったけど……」

 

 せいぜい体感にしては5分程度といった所でしょうか。ミカとしては立ち話とも言えない時間でしたが、ナギサ本人はあまり不満を感じていないようだったので黙ることにします。

 そこで視線を彼女の手元にある書類へと向けます。

 

「でもこの書類を渡すためだけにナギちゃんを呼ぶのはどうかと思うよ?」

「ああ、心配なさらなくても大丈夫ですよミカさん。エスミさんが渡したこの書類はあくまでも私を呼ぶ口実ですから」

「口実?」

 

 はて、一体どういう事?

 ミカが怪訝そうに眉をひそめると、そんな幼馴染の姿にナギサは微笑を返します。

 

「申し訳ありません。これは私とエスミさんだけの秘密のやり取りなので、ミカさんが相手でもこればかりは言えません」

「ええー⁉ ナギちゃんだけズルいよ、私もエスミちゃんと秘密のやり取りがしたい‼」

「今度掛け合ってみては如何ですか?」

「分かった。今度会ったら相談してみるね‼」

 

 たぶん本人は相談されたところで理由をつけて追い返すとは思いますが、あえて口にする事はなくナギサは手元の書類に目を通すことにしました。

 

『最後に桐藤に一つだけ。次の搬入日は10月3日……忘れないように』

 

 最後の会話でエスミが右手の人差し指を立てながらそう口にした言葉。

あれは文字通り、その日に作品の搬入が行われるという訳ではなく、ナギサに渡した書類の『10枚目の3項目を見ろ』という2人の間で決めた暗示になります。あの言葉を直接ナギサに伝えない限り、渡されたこの書類は〝作品〟に関する情報のままだったことでしょう。

 ですがエスミの指示通りに『10枚目の3項目』に目を通した場合、ナギサだけが知る〝特別〟な情報がそこにはあるのです。

 

「……」

 

 全体で20枚ぐらいはある書類。

 そこから10枚目を取り出して中を読んでみると、作品ごとに説明文付きで項目分けがされています。エスミの言葉通り、3項目にあたる作品に目を通したナギサは静かにその顔を歪ませました。

 

「ナギちゃん、どうかしたの?」

「ミカさん……いえ、書類の文字が小さくて読みにくいと思っただけです」

「へぇー。ナギちゃんってば、もう老眼になったの?」

「口にロールケーキをぶち込みますよ?」

 

 クワっと言い返すと、ミカは『うひゃあ‼』と声をあげて距離を離しました。別に本気でやるつもりは無いのですが、ナギサは溜息を吐いて書類に再び目を通します。

 気になる3項目に書かれている内容は以下の通りです。

 

 作品名【全ての組織を束ねる長】。

 作者【栢間エスミ】。

 サイズ:F30号(910mm×727mm)。

 搬入日:不明(作品の所在不明により搬入撤回の可能性有)

 作者コメント:作品の保存中、何者かに盗まれた模様。犯人を捜索中ではあるものの取り戻せなかった場合、または作品の損耗が激しい場合は作品の展示は撤回するものとする。

 

 一見、とある作品を展示するつもりが何者かに盗まれたという一大事件ともいえる内容でしたが、恐らくこれは噓でしょう。

 確かに栢間エスミはキヴォトスの中でも有名な画家であり、絵一枚だけで高額な取引がされるほど作品の価値は極めて高いです。その絵を狙って盗みを働こうとした不届き者は数多く存在し、実際に盗みに成功した者もいます。

 ただし、それなら作品リストに記載しなければいいだけの話。

 故に、この作品は存在しないのでしょう。ナギサにだけ知らせる重要な情報を、エスミはあえて作品の紹介に置き換えたのです。

 

(作品名は恐らく組織か、集団のことを指しているのでしょう。キャンバスのサイズはF30号 ……Fは確か人物画を描くのに適している幅を意味しているはず……搬入しようにも作品が不明ということは……つまり、行方不明という事でしょうか?)

 

 美術に関してはかなり詳しいナギサ。

 こうしてエスミが伝えたいであろう情報に内容を置き換えた結果『全ての組織を束ねるトップが行方不明になった』という事になりました。正直、この内容であれば別にこう回りくどい方法で伝えなくても良いのでは、と思えます。

 周囲の耳に入ってもあまり問題は無さそうなのですから。

 

 ですが派閥争いから遠ざかりたいエスミがわざわざナギサに接触し、こうした回りくどい方法で情報を伝えてくれたという事は、この情報がナギサにとって極めて重大であることを指しているも同然です。

 

 そしてナギサは気付いてしまいました。

 

「もしや……連邦生徒会長?」

 

 このキヴォトスにおける全ての学園を束ね、全行政を担う組織【連邦生徒会】。

 その頂点に君臨し、一部では超人とも言われるほど強大な抑止力として存在する人物、連邦生徒会長。

 はっきりとした人物像、性格、立ち振る舞いは未だ不明であるものの、対立の激しいトリニティ総合学園とゲヘナ学園の仲を取り持つ形で浮上した【エデン条約】の発案者でもあります。

 もしエスミのこの情報が疑いようのない事実であった場合、その連邦生徒会長が行方不明という事になるため、結果としてキヴォトス全土に広がる混乱や動揺の影響は計り知れません。混乱の最中に犯罪率が大幅に上昇する恐れすらあるのですから。

 

 また最悪なのは、栢間エスミが提供する情報は全てにおいて〝外れ〟が存在しないという事です。つまりは今回の情報も十中八九、真実と言えます。

 

(エスミさんがこうして回りくどい方法で伝えるのも当然ですね……運悪く他の方の耳に入ってしまえば混乱が起きてしまいます……)

 

 ティーパーティーの代表者の1人であるナギサにこの情報を提供したという事は少なくともエスミから見て、ナギサならこの重大すぎる情報をしっかり管理して行動してくれるという信頼があるのでしょう。

 そう思うと何だか彼女からの好意を独占している気がして、少しだけナギサは内心ウキウキになりました。

 

 まあ連邦生徒会長が行方不明という情報があるせいで、そう手放しに喜ぶことは出来ないのですが……。

 

「ミカさん。急いでティーパーティーの幹部を招集しましょう。あと情報収集のため人員の手配をお願いします」

「えっ? と、突然だね……まあ今日は全員集まることが出来ると思うけど、情報収集すると言っても場所はどこなのナギちゃん?」

「連邦生徒会です」

 

 ナギサは書類を握りしめてそう発言すると、何かを察してくれたのかミカは一瞬だけ真剣な顔になると『うん、任せて☆』と大急ぎでその場を離れました。

 ひとまずトリニティ総合学園の運営をしている以上は、この情報はティーパーティーの代表含め幹部全員には共有しておく必要があります。最悪な場合、自治区の混乱の対処として正義実現委員会のトップも同席する必要がありそうです。

 連邦生徒会から未だ報告も情報も来ていないため、恐らく皆は半信半疑といった形で受け止めるかもしれませんが、最悪な事態に備える前準備ぐらいは可能です。

 

「……相変わらず、エスミさんの情報収集とその正確さには恐れ入ります」

 

 書類を胸に抱き、歩いてきた方角へと顔を向けるナギサ。

 その先にいるだろうトリニティが誇る才能ある画家もとい、知る人ぞ知る【ウリエル】という名を持つ裏の情報屋へ彼女は親愛と尊敬の目を向けるのでした。

 





栢間エスミの秘密


・身長170を目指しているものの、現在は美術モデルの理想的体型ともいえる160センチ(所説あり)なため複雑な気持ちで過ごしている。
ただし自分をモデルにするのは最終手段のもよう。

この作品の番外編・IF等を題材としたR18版の有無について(※没になったネタや本筋から逸脱するなどの理由で保留にしたネタを元にした話となるため、ほぼ間違いなく不定期更新となります。あくまでも作者の最優先はこちらの本編となりますので、例えアンケート結果で有りと決まってもR18版作品の優先事項は限りなく低くなりますので、その点はご留意ください)アンケートの期限はひとまず、今年の9月末でお願いします。

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