夢叶って画家になれた転生主は、ともかくブルアカ本編に関わりたくない   作:木暮鬼一

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栢間エスミ 『少女は付き人となり弟子となる』

 

 

「初めまして、私はナギサ……桐藤ナギサと言います。お会いできて光栄です。小樽チェリさん」

「こちらこそ、私のような身分の者をお招き頂き誠にありがとうございます」

 

 気品ある立ち振る舞いと共にゆったりとした口調で名を呼ばれたチェリは、少々ぎこちない動きをしながらも礼儀作法に従い首を垂れます。

 それを見てナギサは余裕のある笑みを浮かべると、静かに片手をある方向へと向けました。差し出された手の方向には小さなテーブルと椅子が置かれており、また卓上には2人分の紅茶が用意されています。言わずとも『椅子に座って共に茶を楽しもう』というナギサからの無言のメッセージを汲み取ったチェリは素直にそれに従いました。

 

「改めまして、この度は私の誘いに乗って頂きありがとうございます」

 

 ひとまず両者ともに席に着くと、まず始めに紅茶のカップに手をつけたナギサがそう口を開きました。

 

「突然面識もない私に呼ばれ、さぞ心の中では困惑されている事かと思います。ですがご安心ください。これから話す内容はチェリさんにとって非常に有意義なものになるはずです」

「……有意義、ですか」

「信じられませんか?」

「い、いえ。少し、これが現実なのかうまく状況を飲み込めていないもので……申し訳ありません」

「なるほど、そうでしたか。では回りくどい言い方は避け、単刀直入にお伝えしましょう……小樽チェリさん、貴女には我が桐藤家お抱えの画家になって頂きたいと思っています」

「……え?」

 

 呆気にとられた様子でチェリが目を見開くと、ナギサはカップに口をつけ落ち着いた様子で紅茶を飲みました。しかし当のチェリは用意されている紅茶に手も付けずただ視線をうろうろと彷徨わせており、今の言葉に心底理解出来ていないといった様子を見せていました。

 桐藤家お抱えの画家。

 すなわちそれは、ナギサの家がチェリの芸術活動を支援する〝パトロン〟になるという意味を指しています。ですが絵を描き始めてまだ1年程度しか経っていないチェリは『どうして自分を?』と困惑に満ちていました。

 

「あ、あの、ナギサ様?」

「はい?」

「し、失礼ですが、どうして私を?…………確かに過去に何度かコンクールに作品を応募した経験はありますが、まだまだ腕が未熟で活動年数も浅い私が唯一手にした賞は【佳作】の1つだけ……ナギサ様のような家柄の方にパトロンになって頂けるほどの結果は残せていません……それなのに何故?」

 

 そう尋ねてみると、ナギサはカップを丁寧に卓上に戻して小さく息を吐きました。

 

「コンクールで上位の賞を手にすることが叶わなかったとはいえ、それだけで作家の価値を見極めることを私は致しません。確かにチェリさんが疑問を抱かれるように佳作よりも更に大きな賞を手にすれば、周囲の方々により注目され名が世間に知れ渡ることでしょう……ですが私達のようなパトロンが美術作品を通して見るのは〝今〟ではなく〝未来〟になります。大衆の皆さんを常に魅了し、1枚の絵画だけで世間を揺るがすことの出来る素質を持っているのか……チェリさんは、見事その素質を見込まれたのです」

「私に……素質が?」

「ええ、そうです。チェリさんがコンクールに応募された作品に関しては、私も現地で見させて頂きました。神秘に満ち、透明感のある力強い作品でしたね。私だけでなく、家の方々も非常に高い評価をされていました。荒削りの部分があるとはいえチェリさんの限界があれで終わりとは思えません。より上を目指すことが出来るでしょう」

「そ、そんな……過大な評価を頂き、ありがとうございます……」

「謙遜をなさらないでください。審査員の方々が【佳作】という評価を与えたのは、恐らくチェリさんの今後に期待を寄せているのでしょう。あの作品の完成度を思えば私ならより上の評価をしました」

「それほどまでに私の腕に期待を……?」

「ご理解頂けたでしょうか? こうしてチェリさんを家にご招待したのも、慧眼に優れた他の方々に先を越されたくない一心からになります。もし宜しければ、この場でチェリさんの口から先ほどのパトロンの件についてご返答を頂きたいと思っています。如何でしょうか、チェリさん」

「…………」

「…………チェリさん?」

「…………も、申し訳ございません、ナギサ様。パトロンの件ですが……その話、断らせてください!!」

 

 突如として膝に手を置き、テーブルに頭をぶつけるような勢いで頭を下げ謝罪の言葉を口にしたチェリ。対してナギサは驚く事も眉をひそめることもなく、ただ冷静に『理由をお聞きしても?』とその先を促します。

 

「私は……画家になるために絵を描いてきた訳ではありません……憧れの……私に夢を持たせてくれた方の隣に並びたいという一心で美術に向き合ってきました……パトロンを持つとか、大きな賞を手にするとかは考えたこともなく、ただあの人の背中を夢中で追いかけていたに過ぎません……そんな私に画家になる資格なんて……ありません……!!」

 

 あの日、栢間エスミの作品に触れた事で美術に対する価値観が大きく変わったのは事実です。

 しかし他の芸術家とは違い、チェリは独立心というものを持っていませんでした。

 彼女にとって美術とは栢間エスミと自分を唯一繋げてくれる〝橋〟のようなものであり、美術を極めていくことで一歩一歩彼女に近付ける、いわば近道になります。

 それは生まれながらにして独自の創造性を持ち、かつ様々な自己表現を目指す他の芸術家に比べれば【異端】とも言えました。

 

 本来、芸術家と言うのは無から個を生み出す存在です。

 多くの知識を学び、組み合わせ、数多の試行錯誤の末に1つの作品を完成させる。憧れの対象がいたとしてもそれはあくまでも出発点の一部に過ぎず、気付けば己の道を歩んでいくものです。

 それこそチェリがエスミと同じ橋を渡っているのなら、他の芸術家たちは全員孤独のまま各々が掛けた橋を渡っていると言えるでしょう。

 道半ばで足を止め挫いてしまえば、挫折と言う名の奈落の底へ落ちるだけ……故に芸術家は傍の手すりを必死に掴み、震える足を無理に動かしながら向こう岸に到達する事を目指すのです。

 

 それに比べれば、ただ憧れの人物をひたすら追いかけているだけのチェリは奈落に落ちる恐怖も覚悟も持たない半端者として映ることでしょう。

 故にチェリは理解していました。自分は芸術家になるべきでは無い、のだと。

 美術に対する熱い愛がある訳でも、権威を持ち自己表現をしたいという強い欲がある訳でもない。エスミという人物に追いつきたい為だけに、美術を夢中で学んでいるだけの自分に【芸術家】は全く相応しくない。

 

 ですが、彼女がナギサからの〝パトロン〟の話を断ったのにはもう1つ理由がありました。

 

「ナギサ様はご存知でしょうか?……私の家は現在、没落状態にあります……」

 

 チェリは震える手でカップに触れると、飲むことはせずに手の震えで波が立つカップの水面をただ黙って眺めます。まるで心の中にある荒れ狂う感情の波を、そのままカップに移して傍観するかのように。

 その様子を見てナギサは一息入れて返事を返します。

 

「ええ、存じています。ある事業に失敗したことで多額の負債を抱えていると……チェリさんのご実家は今、トリニティ自治区の中でやや不安定な立場にあります。たった1つの失敗……しかしライバルを蹴落とそうとする方々に隙を与えてしまう致命的な失敗です。他勢力に飲み込まれるか、もしくは力だけを奪われ表舞台から消されてしまうのか。まさに、いばらの道を歩むことになるでしょう」

「……はい。だからこそ、私には小樽家の次期当主として家を建て直す責務があります。とはいえ他家に吸収されるのは実質免れないとも思っています…………ですが、少しでも足掻かない限り未来は闇のまま……こんな事を口にするのは正直悔しいですが、私の家の存亡に学んできた美術は全く何の役にも立ちません……それこそ、桐藤家の下で画家になったとしても……」

「……いえ、そうとは限りません」

 

 するとナギサは残り僅かな紅茶を綺麗に飲み干すと、新たな紅茶を入れる代わりにテーブルの下から書類を取り出しました。ご丁寧にファイルに収められているため、チェリからは光の反射で紙に書かれている文字がよく見えません。

 

「ナギサ様、そちらは一体?」

「これは契約書類になります」

「契約?……一体何の契約でしょうか」

「チェリさんが桐藤家お抱えの画家になるという契約書と、小樽家の負債を桐藤家が全て負担し、合わせて小樽家を全面的に支援することを約束する合意書を揃えた書類になります」

「なっ!?」

 

 ガタンッと、驚きのあまりチェリの足が浮いてテーブルに激突してしまい、運悪く彼女の一切口の付けていないカップが振動で倒れてしまいました。おかげで中に入っていた紅茶が零れてテーブルを汚してしまいましたが、ナギサは至って気にもせず面白そうに笑みを零します。

 

「ナ、ナギサ様!! そ、それはつまり、あの、えっと……!! いや、それよりもテーブルが!? も、申し訳ありません!!」

「フフッ、落ち着いて下さいチェリさん。そう焦っては言葉も上手く出せませんよ? それにテーブルを汚した事は気になさらないでください。後で家の者に片づけて頂きます。まずは呼吸を整え、私にお伝えしたい言葉を整理しましょう」

 

 こうなる事を予想でもしていたのか、慌てる事も困惑する事もないままナギサは常に冷静で落ち着いています。なるほど、これが桐藤家のご令嬢としての器なのかとやけに感心した様子でチェリは自身の呼吸を整えます。

 

 やがて先の事故から数分程度が経過した頃、ようやく呼吸が落ち着いたチェリは背筋を伸ばして礼儀正しい態度で口を開きました。

 

「ナギサ様。先の件ですが、あれはつまり私の家を救って頂けるという事ですか?」

 

 真実か、それとも質の悪い冗談か。

 疑うような目つきでナギサを見つめるチェリ。対してナギサは慈愛に満ちた笑みを浮かべて小さく頷きました。

 

「その通りです。とはいえ支援する前にはまず我々がパトロンとなる事を受け入れて頂き、またチェリさんには今後も絵を描き続けてもらい画家を目指して頂きます。勿論、チェリさんにとってご迷惑であれば先の話は無かった事としてお忘れください」

「い、いえ!! むしろ願っても無いお話です!! 美術を諦めることなく、むしろ画家になることを約束するだけで私の家を救って頂けるなら喜んで契約をさせてください!!」

 

 しかし、ふとそこで言葉を止めたチェリは喜びに満ちた表情を一転させ今度は首を傾げました。

 

「ですがナギサ様にとっては不利となる契約ではありませんか? 私の家が現在抱えている負債は決して小さくはありません。仮に私が画家となり活動をしたとしても、それに見合う功績を上げる事が出来るとはとても……」

「チェリさんがご心配されるのも当然です。むしろ今の状況を見れば、利益となり得をするのはチェリさんのみです。この契約が成立した場合、チェリさんはご実家の危機が綺麗に除かれる事となり、また憧れの芸術家の背中を再び追い続けることが出来る…………対して負債を全額負担する立場の我が家が得るものは、成功するか分からない経験の浅い画家見習いの保有権のみ…………確かに損得勘定で考えてみれば、私達は間違いなく損をしているのでしょう」

 

 ナギサは卓上で両手の指を絡め『しかし……』と言葉を続けます。

 

「チェリさんのご実家が携わられていた事業は非常に目を見張るものがありました。今まで誰も手を付けようとしなかった事業だけに前例が少なく、かつ功を焦るあまり失敗をされたと私は考えています。となれば、その失敗を生かすことが出来れば多大な利益を生むことが出来るはずです」

「その、私の両親が携わっていたという事業ですが、ナギサ様は失敗した原因をご存知なのですか?」

 

 元々、親が携わっている事業に関しては大まかな内容しか知らされていなかったチェリ。危うく美術の道を断念させるところだった元凶について目の前にいるナギサは何やら知っている様子だった為、つい好奇心から彼女はナギサに尋ねました。

 

「私も細部まで知っている訳ではありませんが、簡単に話せば〝物流〟です」

「物流、ですか?」

「はい。より詳しく説明すると芸術の創作活動に欠かせない〝画材〟関係を取り扱う物流です。このトリニティ自治区内で出回っている画材は勿論のこと、各自治区で使われている画材は全てその自治区に拠点を置くメーカーが独占販売権を所有しています。もし他の自治区で販売されている画材を手にしたい場合、当然現地で買うよりも輸送費を含め値段は高くなり納入される時期は遅くなります。1つ1つの画材に拘りをもつ繊細な芸術家からすれば、中々厳しい現状と言えるでしょう」

 

 チェリは少し熟考する素振りを見せます。

 

「では……私の家はそれに目を付けたという事ですか?」

「ええ、恐らく。具体的にどのような解決案が生まれたのかは私も知る所ではありません。ですが画材を通常価格よりも安く売ることが出来る方法を見つけたのは事実でしょう。ただ運が悪いことに、世間ではキヴォトス全土で偽造された商品が出回るという事件が起きていた為、チェリさんのご実家を含めトリニティの物流業界はそのあおりを受けてしまったのです」

「事件、というのは例の犯罪グループに関する話でしょうか? キヴォトス各地でメーカーが所有する輸送用トラックを襲撃し、積み荷を強奪して他社製品そっくりに偽造して売買するという悪質な活動をしていたとニュースでは報道がされていたのは覚えがあります……あおりと言うのは、まさかトリニティもその件に関わっていたという事ですか?」

 

 その疑問はナギサが首を横に何度か振ることで否定されました。

 

「詳細に関しては摘発を行ったヴァルキューレ警察学校……を擁する連邦生徒会からの指示で固く伏せられているので不明です。ですがトリニティ総合学園の一部の生徒がその件に関与していたという噂が飛び交っているだけでなく、学園の美術部が1年間活動停止になるという話をお聞きました。恐らく生徒たちの間で、画材に関する違法な取引を行っていたのかもしれません」

「となれば……私の家はかなり最悪なタイミングで新事業に手を出してしまったという訳ですね……よりにもよって、トリニティ内でも問題が起きている物流に……」

「商売においては顧客からまず信用を勝ち取る必要があります。そんな中、未開拓の新事業に着手している最中で例の事件が起きたとなれば、物事が上手く進まず失敗に終わるのも無理はありません」

 

 膝上に置いている契約書類の入ったファイルを指でなぞり、ナギサは一呼吸置きます。そして手に持つファイルを卓上に置いた彼女は『だからこそ……』と言葉を続けました。

 

「一度失敗をしたのなら、再び挑めば良いのです。事業が失敗したとはいえチェリさんの家はこの失敗を元に大きな〝経験〟を得た事になります。しかし同時にこれまで未開拓だった新たな商売が、今回の事業失敗を機に周囲に広く知れ渡ったとも言えるでしょう…………そうなればこの事業で誰が早く成功をつかみ取るのか、一種の争奪戦が生まれる事になります」

 

 彼女は卓上に置いた契約書類を静かにチェリの方に差し出し、その綺麗な細い人差し指でトンットンッと軽く叩きます。

 

「では他の方々より優位に立つには何が必要でしょうか? それこそ正に、先の事業に関する先駆者であるチェリさんのご実家をこちら側に引き込むことにあります。これによって私達は未来有望な芸術家と、新たな事業を我が物にする大きな知恵を手にしたことになるのですから」

 

 策士だ、とチェリは実感しました。

 

 自分と同い年であり、トリニティ自治区内では指折りのご令嬢でもある桐藤ナギサ。

 世間一般で言えばナギサはまだ中等部に在籍するか弱い少女であり、本来ならこうした議論を交わす立場にはありません。であるにも関わらず、その手の業界に長く居座るベテランにすら負けない知識量と観察眼を持っているなど心底驚きです。

 むしろ、桐藤家の次期当主に相応しい人物だとチェリは感服しました。

 

 彼女はテーブルに置かれている契約書類に両手を置くと、意思を固めたと言わんばかりに自身の下へ書類を引き寄せました。

 

「……承知いたしました。この契約が私だけではなくナギサ様にとっても大いに利益となると分かった今、断ることは致しません。桐藤家からのお誘い、有難く受け取らせて頂きます」

「こちらの方こそ、チェリさんのご決断にお礼を申し上げます」

「…………ですがナギサ様。私の方から1つ、提案をさせて頂けるでしょうか?」

「チェリさんからの提案ですか? ええ、全く問題はありません」

 

 ナギサからの許可を得たチェリは、おもむろに椅子から立ち上がると彼女の隣に立ちました。

 まだ身長150センチ台のナギサからすれば、170の長身であるチェリを自然と座った状態で見上げる形とはなりましたが、直後にチェリはその場でナギサに対し膝つき行為の姿勢を取りました。

 

「……チェリさん?」

「ナギサ様……どうかこの私を、小樽チェリを貴女様の付き人として雇って頂けないでしょうか」

 

 ナギサの目が微かに見開きます。

 

「私の付き人、ですか?」

「はい。ナギサ様は今後予定通りトリニティ総合学園に進学される事かと思います。となればナギサ様のような家柄のお方が在籍される場所といえばティーパーティーを置いて他にありません。私はこれでも幼い頃より付き人として、または使用人としてお仕えしても問題が無いようスキルを学んできました。やがて政治と権力争いが激しいティーパーティーに籍を置いたとしても、きっとナギサ様のお役に立てるはずです」

「……一応お聞きしますが、どうして私の下で?」

 

 首を垂れていたチェリはその言葉にバッと顔を上げます。

 

「私はこれまで『誰かを支えたい、役に立ちたい』と思った事は一度もありません。家柄も低く、隙を見せれば瞬く間に淘汰される側にいた者として、周りにいる方々は全員敵として見做していました」

 

 顔をしかめ、キュッと唇を結ぶチェリ。

 その表情から察するに、彼女がこれまでに送って来た人生は家族を除けばかなり孤独に満ちていたのでしょう。

 彼女の真面目で礼儀正しい性格を思えば友人こそ多く作れたのかもしれませんが、その友人達が全員清廉潔白だとは完全には言い切れないため、素直に助けを求めることが出来なかったのでしょう。

 そうなれば、周囲にいる人全員を敵として見なすのも当然と言えます。

 

「……ですがそんな中、ナギサ様は私の夢と家のために自ら手を差し伸べてくださいました……ナギサ様は私にとって命の恩人です。だからこそ恩義に報いるため、是非とも私が持つ力でナギサ様の未来に貢献させてほしいのです」

「…………」

 

 惚れられる、というのは恐らくこういう事なのでしょう。

 今回の事例、決して慈善活動の一環としてチェリに助け舟を出したわけではなく、あくまでも相互利益となる最善策をナギサは提示したに過ぎません。ですが人によってはその助け舟で人生を大きく変えられた者がいます。小樽チェリという少女がそれに当て嵌まったのかもしれません。

 素直に心情を明かせば『嬉しい』の一言で片付く話です。ですがナギサは少しだけ眉をひそめると、こう切り出してきました。

 

「チェリさん。先の契約の件ですが、あちらはお互いにとって利益となるからこそ交わした取引になります。しかし、チェリさんのその申し出は契約の範疇を超えた〝奉仕〟に他なりません。画家になるのとは訳が違いますし、付き人に従事されたとしても報酬は何もありません。それでも本当に宜しいのですか?」

「勿論です。美術を追求する機会を再び得ることができ、加えて家の存続すら守られたのです。これ以上の報酬は無用になります」

「……私と同じ歳なのに、随分と無欲なお方ですね。何だか、とある方を連想させてくれます」

「私以外にもそのような方が……?」

 

 ナギサは呆れに近い溜息を吐いて大きく頷きます。

 

「美術を愛し、美術だけに情熱を注ぎ、そして美術との出会いこそを報酬とする。実力と評価に見合わない日々を送る無欲な芸術家です……ふふっ。いわば常に私の心をかき乱す罪なお方、とでも言えば良いでしょうか?」

 

 彼女はそこで言葉を区切ると、再び息を吐いて椅子から立ち上がりました。

 

「申し訳ありません。客人であるチェリさんの前で他の方の話をするなんて失礼でした。先ほどの付き人になられるというお話ですが、お引き受けいたしましょう。今後は桐藤家お抱えの画家として、更にはこの私ナギサの専属の付き人として、どうか宜しくお願いします」

 

 綺麗で色白の手をナギサが差し出すと、チェリは嬉しさを滲ませながら何度も頭を下げてその手を握りました。

 これで小樽チェリは桐藤家お抱えの画家見習いとなり、同時に桐藤ナギサの専属付き人として新たな人生をスタートさせたのでした。正に人生における絶望の淵から奇跡の生還を果たして見せたのです。

 ただ話はこれで終わりとはなりません。

 

「……ところでチェリさん。せっかくパトロン持ちの画家見習いになった訳ですし、その腕をより磨くためにも師匠を得る事にしましょう」

「な、なるほど。ナギサ様がそうおっしゃるのなら異論はありませんが、桐藤家をバックに持つ画家見習いとなれば誰もが野望を胸に立候補してきそうですが……?」

 

 絶大な力を持つパトロンを手にした画家見習いとなれば、その師事を受けるだけでパトロンとの交流が生まれ、必然と己の顔を売ることが出来ます。

 となれば権力や名声を得たい者などが素性を隠して立候補してくる可能性も捨てきれず、少しでも人選を間違えてしまえばナギサの立ち位置も危うくなります。特に素行や評判というのは平気で誤魔化すことが可能なため注意が必要です。

 

 チェリとしては画家として、かつ美術を更に極めることが出来るのなら師匠を得るのは願ってもない話。とはいえ彼女の付き人として主人に危険を及ぼすような行動は極力控えたいと考えました。

 

「ご安心ください。私もその手の危険性は十分承知しています。しかし運が良いことに権力を得ることに一切興味がなく、むしろ新たな芸術家の誕生に嬉々として力を貸して頂ける人物に心当たりがあります」

「……もしかして、先程ナギサ様が口にされていた?」

 

 ナギサは『ご名答』と言わんばかりに笑みを浮かべて頷いた瞬間、2人しかいない部屋の扉がコンコンと控えめに叩かれました。

 てっきり先刻テーブルに紅茶を零したことで家の者が掃除をしに来たのかとチェリは推察しましたが、ナギサが『遂にご到着されたようです』と言葉を零したため、どうやら家の者ではなさそうです。

 

「実はこの演出を狙っていた訳ではありませんが、良いタイミングで来て頂けたのでご紹介しましょう。あの扉の向こうにいらっしゃる方が今後チェリさんの師となられる方であり…………私が心の底から信頼を寄せる特別なお人になります」

「……ナギサ様の、特別?」

 

 それはつまり想い人なのでは?

 と、何やら喜びを隠しきれない様子でいるナギサを眺めながらチェリは疑問に感じます。

 とはいえ既に彼女の付き人として人生を再スタートさせている以上、主人が恋焦がれる方が自身の師匠となろうと一切文句は言いません。例え相手がナギサに全く釣り合わない人柄の〝男〟だろうと何だろうと、主人の幸せを願って有難く弟子になりましょう。

 

「……承知しました。是非とも、ご挨拶をさせてください」

 

 覚悟を胸にチェリがそう伝えると、ナギサは扉に向かって入室を促す言葉をかけました。

 そして豪華な木製の扉がゆっくりと開かれると、姿を現したのはチェリの予想とは違い思わず見惚れてしまいそうな程に綺麗な美少女でした。

 

 身長はナギサよりやや上。しかし自分よりは低い。しかし見るからに高級そうな服装を身にまとい、薄い青色の髪を揺らすその姿は動きの1つ1つが非常に様になっています。ようは目に入るだけで常に注目してしまうような強い存在感を感じさせるのです。

 ちなみにナギサの話を鵜呑みにするなら、この人物こそ権力に欲がなく美術を一筋に愛する芸術家となる訳ですが…………むしろ自ら積極的に動かなくても、相手方から権力を褒美に交流を迫ってきそうです。

 

「桐藤…………そちらが?」

 

 さて人間観察をするが如く目を向けていたのが気に障ったのか、美少女はチェリに視線を向けるとそのままナギサに声をかけました。

 美少女に意識を向けられたことによる緊張か照れなのか、自然とチェリの胸の鼓動が早くなります。

 

「はい。桐藤家がパトロンとして契約させて頂いた画家見習いの小樽チェリさんです。加えて私の専属の付き人となります」

「付き人? まだトリニティに進学していないのに早いね…………でも、なるほどこの子が……」

「……は、はい!! 小樽チェリと……い、言います!!」

 

 値踏みをされている訳では無いのでしょう。

 ですが桐藤家がパトロンとなった画家見習いと言われて好奇心が勝ったのかもしれません。美少女はチェリの表情を見つめ、続けて手や指にも視線を向けました。そして何かに納得した様子で小さく何度も頷いた彼女は、その場で小さく頭を下げて挨拶をしました。

 

「改めましてごきげんよう。私はトリニティ総合学園に在籍している高等部1年の栢間エスミです。この度は桐藤ナギサ様の付き人ならびに、桐藤家お抱えの画家となられたとのこと誠におめでとうございます。今後は師弟として、共に芸術活動に励みましょう」

 

 ふわっと顔を綻ばせ、続けて凛とした声で言葉を並べたエスミ。

 

「栢間……エスミ……さん……?」

「はい。近ごろトリニティ自治区内でそこそこ名が売れている、駆け出しの画家ではありますが……」

「あ、あの……もしかして、数年前にコンクールで天使の絵を描かれた方……ですか?」

「驚いた……あの作品を観ていらしたんですね。私の処女作にはなりますが、確かにあの作品は私が描いた絵になります」

「……!!」

 

 直後、チェリは目の前にいるのが心底憧れた芸術家であること、同時にそんな人の下で弟子となれたことに気付くと、あまりの幸せにキャパオーバーを起こしてしまい人生で初めて嬉し涙を流しました。

 しかしそれだけではありません。

 

(……私の憧れの人と命の恩人が実は交流してて、しかもナギサ様はエスミさんに片想いしてる…………はっ!? 私知ってる、こういう関係性って禁断の恋って言うんだよね!? 女の子同士の画家とパトロンの一方的な片想い!! 良いのかな私、幸せな空間に居ちゃって!?)

 

 ちなみにこの瞬間、小樽チェリは新たな扉を開いてしまったのでした。オタク知識に疎すぎる彼女は、この感情の名がカプ厨と知るのはまだまだ後の話です。

 

「チェ、チェリさん!? どうかされたのですか!?」

「……私の言葉、威圧感強過ぎたのかな? どう思う、桐藤?」

「えっ、わ、私にそれを聞きますか!? いえ、いつものエスミさんらしい丁寧で優しさに包まれたお言葉だったと思いますが……?」

「でも本人はこの通り泣いてるし…………」

 

 一方で、彼女が突然泣き出したことにナギサは非常に驚き、対してエスミは自身の言動が原因かと誤解するのでした。

 もちろん、仲の良い2人のやり取りを間近で見たチェリは心の中で深く合掌しました。

 

 





・裏話

 ナギサは元からチェリを桐藤家の画家として引き込む気満々だった為、エスミを同席させて師弟関係を切り札に契約するつもりだった。
ただ肝心のエスミが別件で遅れる事となり、結果的に良いタイミングで登場するようになったので気にしてなかったりする。


ちなみにチェリの憧れの人物がエスミとは知らなかった模様。

もしも仮にブルアカ世界に転生して生徒になれるなら、どんな武器を所持して愛用したいですか?(※作者は愛用するならリボルバーしかあり得ません.)

  • 拳銃(M1911,グロック等)
  • リボルバー(SAA、コルト・パイソン等)
  • 自動小銃(HK416、AK-47等)
  • 短機関銃(M1921、MP5等)
  • 小銃(M1ガーランド、Kar98k等)
  • 散弾銃(ベネリM4、AA-12等)
  • 機関銃(MG42、M249等)
  • 対物ライフル(AW50、ヘカートⅡ等)
  • 擲弾発射器(M79、ダネルMGL等)
  • 素手
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