夢叶って画家になれた転生主は、ともかくブルアカ本編に関わりたくない 作:木暮鬼一
かつてエスミの前世では【美術を楽しむ日】と呼ばれる記念日がありました。
元は日本の四美大こと女子美術大学、多摩美術大学、東京造形大学、武蔵野美術大学を合わせた四美大校友会同窓会連合が制定したのが始まりとされ、西暦2017年に一般社団法人・日本記念日協会によって正式に認定・登録がされました。
ちなみに気になる日付は10月2日。この日になると各地で美術をメインとした講演やイベントが多く開催されるとの事です。
まあしかしながら元はゲームであるこのブルアカ世界において【美術を楽しむ日】なる記念日が存在しているはずが無く、近頃のエスミは不服そうにカレンダーを眺めては寂しがるという毎日を過ごすのでした。
(……いっそのこと、私の方で記念日でも作ろうかな?……でも作った所であまり意味は無いか……だけど連邦生徒会あたりには後で直訴ぐらいしておこう……)
さてエスミの個人的な不満はさておいて、過日から続いていた『トリニティ大聖堂に作品を飾るか否か』に関するシスターフッドとの協議がようやく終わりを迎え、現在のエスミは一仕事を終えた自分を労うためにカフェを訪れていました。
「お待たせしました。こちらご注文頂いた抹茶味のケーキとクッキー、それとブラックコーヒーになります。飲み物はお熱いのでご注意くださいませ」
「ええ、ありがとうございます」
礼儀正しい店員によって運ばれた苦味の強い抹茶味のケーキにクッキー、そしてブラックコーヒー。
他人に比べて甘いのが大の苦手なエスミはこういう若者に人気なカフェにおいても極力甘味を避け苦味のある料理を頼むことが多く、それはレストランなどの外食に出掛けても同じです。
故に本来であれば甘味のあるメニューだけを取り揃えるカフェに自ら足を運ぶことは滅多にないのですが、期間限定で苦味の強いメニューが登場したとなれば話は別。
丁度小腹を空かせていた事もあり、エスミは用意されたメニューの品々を嬉しそうに自分の下へ引き寄せ、そして…………先程からずっとこちらに視線を向けている〝2人組〟に呆れながら声をかけるのでした。
「2人共、そんなに私を見つめてどうかしたの?」
「いえ、その…………本当にエスミ先輩は苦いのがお好きなのですね」
「私も同じく……てっきり甘いものを頼まれるものとばかり……」
4人が座れるテーブルでエスミと相対する形で正面に座っている2人組の生徒。
双方とも髪は腰まで伸びていてエスミよりも十分身長が高く、加えて表情もキリッとしていて大変凛々しい美人顔です。まあ年齢はエスミよりも下のため若干ながら幼さが残っている顔つきではありますが 1年か2年も経てばその幼さもすっかり消える事でしょう。
そんな今後の成長が楽しみな彼女たちの名前は羽川ハスミと蒼森ミネと言います。
ご存知ブルアカ原作で度々登場しているトリニティ総合学園の生徒たちであり、未来の正義実現委員会の副委員長様と救護騎士団の団長様になります。しかしまだ1年生である現在は双方とも名のある役職に就いてはいません。いわゆる新人という訳です。
そのおかげで2人とも原作に比べて担当している仕事は非常に少なく、むしろ休日を取りやすいという事もあってか今日は2人揃ってスイーツを食べにカフェに来ていたのでした。
(そういえばゲームのイベントか何かで2人とも1年の頃から交流があったみたいだけど、一緒にスイーツ食べに行くほど仲が良かったのかな?…………記憶だとバチバチに言い合いしてる姿しか見たこと無いけど……まあ、それも青春だね)
ちなみにエスミは彼女たちが所属している組織の活動上の関係で幾度も交流があり、何も今回の出会いがファーストコンタクトという訳ではありません。
それこそ正義実現委員会に所属しているハスミは学園や自治区の治安パトロールをしている最中で何度かエスミと交流があり、一方で救護騎士団に所属しているミネはと言うとエスミが抱えている右手の問題に関してかなり……いえ、大変鬱陶しいレベルでお世話になっていました。
勿論、正義実現委員会に所属しているハスミと交流があるという事はつまり、例の【歩く戦略兵器】こと剣先ツルギとも当然エスミは面識があります。他人と出来るだけ距離を置きたがるエスミと言えども、日々真面目に組織活動に従事している彼女たちとの接触を回避する事は叶わなかったのでした。
おかげでエスミは現時点で原作のトリニティに在籍している〝未来の3年生組〟のほぼ9割と出会っている事になり、来年には〝未来の2年生組〟が入学してくることを踏まえるとブルアカ本編に何かしらの形で巻き込まれる可能性が次第に高くなりそうです。
しかし幸か不幸か、エスミはこのまま順調に年を過ごしていけば本編が始まる一年前にブルアカの舞台上から卒業という形で立ち去ることが出来るため、今の所そう重く受け止める必要はありません。
ひとまず現在のエスミが気を付けるべきことは『ネームドキャラである生徒達との仲をなるべく深めない』この一言に尽きます。
とはいえ、ならどうしてハスミとミネと共に仲良くデザートを食しつつ談笑をしているのかと気になる事でしょう。
答えは至って簡単。時間や日を問わず多くの生徒が利用するこのカフェはどこも絶賛満席であり、エスミは偶然にも彼女たちの下に案内され相席する事となったのです。決してエスミが自ら望んでこの状況を生んだわけではありません。
いわば不可抗力。数えきれないほどの生徒を擁するこの学園で、よりにもよって彼女たちと相席する事になるとは一体誰が思うでしょうか?
「…………はぁ」
何だか自分はこの先どう転んでもブルアカ本編に巻き込まれる気がすると、エスミは今までの行いを振り返りつつ絶望の溜息を吐きました。
「おや、突然溜息を付かれてどうかされましたかエスミ先輩?…………まさか……ここに来て体調が悪化したのですか!? い、今すぐ見せてくださいエスミ先輩、その原因を早急に駆除しなくては!!」
「落ち着いてくださいミネ。あれはどう見ても体調の悪化からくる溜息ではありません。ですからまずはそのデカい盾を床に置いて下さい、危険です。それで一体何をする気ですか?」
突然シールドを手にするや、勝手な誤解からエスミに飛び掛かりそうになったミネを強引に押さえ付けるハスミ。身長や体格の大きさで言えばハスミが圧倒的に優位ですが、日頃からその謎に大きいシールドを片手に活動しているミネは強引にもその拘束を逃れようとしています。
「離してくださいハスミ!! 例えあの溜息が精神的なものであったとしても病は気からという言葉があります!! 全てが手遅れになっては意味がありません!! 只でさえエスミさんは近頃体重が平均よりも減少しつつあるのですから!!」
「なっ、そ、それは本当ですかエスミさん!? どうしたら貴女みたいにすんなりと痩せることが……い、いえ、決してエスミさんの体調を心配していないという事では無くて…………と、と言うよりそもそもどうしてミネは彼女のここ最近の体重を知っているのですか!?」
「それは当然、私が常にエスミ先輩の下に赴いて定期健診を行っているからです!! 救護騎士団の団員としての職務を全うしているに過ぎません!!」
「ただの押しかけじゃないですか!? 第一、ミネではなく他の団員に行かせれば済む話ですそれは!! エスミさんに迷惑をかけないでください‼」
「失礼ですね、迷惑はかけていませんよ!! 現にエスミ先輩とはしっかりと話し合った上で往診をしています!!」
「…………2人とも静かに。ここはお店だよ」
カチャンッ、とブラックコーヒー入りのカップをわざとらしく音を立ててテーブルに置き、眉をひそめたエスミは人差し指を自身の口元に当てそう注意しました。
すると先ほどまでネコのじゃれ合いよろしく暴れていた2人は途端に姿勢を正すと、その後周囲にいる他の客達から好奇な目を向けられて恥ずかしそうに縮こまるのでした。
(…………やれやれ。原作と同じで言い合いはする仲なんだね……)
エスミはそんな2人の姿に対し肩をすくめると、直後に騒ぎに対処しようと店の奥から出てきた店長の姿を見かけ、すぐに椅子から立ち上がって店長に向かって深く頭を下げました。
「お騒がせして申し訳ありません。少し会話に熱が入ってしまって……喧嘩などでは無いため、どうかご安心ください」
「そ、そうでしたか。いやてっきりお客様の間で何かトラブルが起きたものかと……当店の対応に何かご不満があったのではと心配しましたが、どうやら無用だったようですね」
「いえいえ全く。むしろ誤解を与えてしまったようで申し訳ありません。全て私の責任です」
エスミはそこから少し店長と会話を続けると、ようやく先ほどの騒ぎに関する誤解が解けて店長が店の奥に去ったため、エスミは気疲れによる溜息を吐いて再び椅子に座りました。
すると瞬時にハスミとミネが揃って口を開いてきました。
「エスミ先輩。先ほどは申し訳ございません……」
「口論になった私たちが悪いのに、エスミさんに代わりに謝罪をさせてしまうなんて……」
彼女達の言葉を静かに聞きながらカップに手を伸ばして残りのコーヒーを全て飲み干したエスミは、空になったカップを手に持ったまま苦笑して首を小さく横に振ります。
「2人とも別に気にしなくて大丈夫だから。私も相席してくれた君たちの前で失礼にも溜息を付くべきじゃ無かったし、先の喧嘩も先輩として真っ先に止めるべき所をただ傍観していたせいで2人に恥をかかせてしまったからね。私にも非はあるよ」
「ですがエスミ先輩、あれは間違いなく私たちが悪い――んぐっ!?」
尚も言葉を続けようとするミネに向かって唐突にエスミは手元のクッキーをその彼女の口にねじ込みました。ミネは勢いよく口に放り込まれたクッキーをひとまずサクサクと食べ始めると、直後にクッキーが抹茶味という事もあってか慣れない苦味に顔を大きくしかめるのでした。
「……こ、これは……苦くて舌が……!!」
「ミ、ミネ!! どうぞ水です、早くこれを飲んでください!!」
「す、すみません!!」
ハスミは急いで無料の飲料水をコップに用意して彼女に手渡すと、それをミネは勢いよく手にして飲み干します。しかし水で強引に洗い流そうとしても未だ苦味が口内に残っている様で『あぁ……』だの『……うぅ』だのと口にしながら懸命に調子を整えようと奮闘を始めます。
「羽川も食べる?」
「……え、遠慮しておきます……!!」
もう1つのクッキーを手にしてエスミが尋ねてくると、ハスミはそれを必死に断りました。
恐らくミネのように自分たち2人が悪いと再び言うようなものなら、容赦なく手に持つクッキーを彼女の口にねじ込んでくるに違いありません。
大の甘い物好きとしては、ああした苦いのは出来れば口にはしたくありませんのでハスミは小刻みに首を横に振り続けました。
「……そう……美味しいのに……」
しかし少し残念そうな顔でエスミが呟きクッキーを食べ始めると、その綺麗で美しい顔立ちから放たれるギャップの強さと申し訳なさに負け、気付けばハスミは自ら抹茶味のクッキーを手にして食べており…………直後に全く慣れない苦味の強い味にひたすら悶絶しました。
ちなみに今度はミネが急いで水を用意してくれたので、エスミは心の中で『喧嘩しても仲良しだね』と呑気に思ったのだとか。
《1-2》
「ナギサ様。こちら師匠からの贈り物になります」
ティーパーティーに関する雑務をこなしている最中、ふとナギサの目の前に小さな紙袋を手にした付き人のチェリが姿を現しました。
ナギサは雑務の手を一旦止めると彼女の手に抱えられている紙袋に眉をひそめます。
「エスミさんからの…………贈り物ですか」
「はい。どうやら先ほど気分転換を兼ねた外出をされていたみたいで、この贈り物はその外出中に購入したとの事です。気になる中身ですが、こちらはナギサ様の目で実際に確認して欲しいと言っていたので不明です」
「そうですか……しかし珍しいですね。エスミさんは親しい知人が相手でも自ら贈り物を渡されるような方では無かったはずですが…………分かりました。そちらのテーブルに置いて頂けますか? 後で確認させて頂きます」
「承知いたしました。ではこちらに」
チェリは大事に抱えていた紙袋をそっとナギサに指示されたテーブルの上に置くと、用件は済んだとばかりに彼女は速やかに部屋から退出しました。
そうして再び1人だけの空間に戻ったナギサは置かれた紙袋に何度か視線を送り、その後すぐ先ほどまで自分が手を付けていた雑務を一通り整理して片づけを始めます。
「…………」
やがて書類等で酷く散らかっていた机上を綺麗に片付け終えた彼女は、ようやくお待ちかねの紙袋と対面する事となりました。
「…………おや、軽いですね?」
いざ紙袋を手にして分かったのは、思いのほか中に入っている品が重くないという事でした。
さては菓子類か何かだろうか?
ナギサは紙袋をまじまじと見つめ、早速中に入っている物を取り出します。
「……これは」
紙袋から取り出したもの、それはナギサの大好きな大好きな菓子、ロールケーキを収納した小箱でした。
しかも只のロールケーキではありません。トリニティ自治区でかなり評価の高いスイーツ店が生み出した数量限定品の高価なロールケーキであり、その抜群の美味しさから非常に人気が高く最近は予約制でしか購入出来ないというある意味で貴重な菓子となります。
「まさか甘いのが苦手なエスミさんが贈り物で菓子を選ばれるなんて…………ふふっ」
大のロールケーキ好きであるナギサとしては当然この店のロールケーキも何度か食べた事はあります。ふわふわのスポンジケーキとクリームが合わさった時の感触がかなり癖になるため、予約制で無ければ毎日購入していたに違いありません。
いわば桐藤ナギサのお気に入りのロールケーキと言っても過言ではない為、他人の趣味嗜好に基本興味を示さないエスミにしては100点満点のプレゼントと言えるでしょう。
むしろナギサの好みをエスミがそれなりに把握しているという事実でもあるので、自然とナギサの頬が赤くなります。
(偶然なのか、それともご存知だったのかは分かりませんが……それでもエスミさんから頂いた贈り物であることに違いはありません……有難く頂きましょうか)
本当ならここでお茶会でも開いてゆっくり気長に食したい所ですが、常温では日持ちしないロールケーキですので今からお茶会の準備をするのは流石に無理があります。
それにせっかくエスミから頂いた品です。ナギサは机の上で箱を開封すると、同梱されていたフォークを手にして小さく頭を下げてエスミからの贈り物であるロールケーキを頂きます。
(…………やはり何度味わってもこのお店のロールケーキは美味しいですね…………そうです。せっかくですし、後でケーキの一切れをチェリさんにお渡ししましょう。師でもあるエスミさんが選ばれた品ですから彼女もきっと喜んでくださるはずです……)
物静かな部屋の中でロールケーキを食する音だけが響く中、口の中に広がる甘味に頬をほころばせ少女はそう考えるのでした。
《1-3》
「ごちそうさまでした」
あれからほんの少しだけ時間が経ち、エスミから贈られたロールケーキをしっかりと食した彼女は満足そうに笑みを浮かべていました。
そして付き人であるチェリのために残した一切れのロールケーキを丁寧に小皿に扱うと、自身のスマホを使って彼女を呼び出します。すると連絡してものの十数秒後に部屋の扉が開かれ、再びチェリが姿を現しました。
「ナギサ様、お呼びでしょうか…………ん? ああ、師匠からの贈り物はそちらのロールケーキでしたか。流石は師匠です、ナギサ様の好みを贈られるとは…………最高です。ではナギサ様、後の片付けは全て私にお任せください……ところで、そちらの一切れだけ残してあるロールケーキは保存用でしょうか?」
「ふふっ。いえ、こちらはチェリさんの為に残した一切れになります。良ければ召し上がってください」
「なるほど私の為に残してくださったロールケーキと……えっ……わ、私が食べて良いんですか!?」
吃驚仰天という言葉は、まさに彼女のような反応のことを言うのでしょう。
常に礼儀正しい言葉遣いを心掛けているはずのチェリは驚きのあまりつい素の砕けた口調が飛び出し、加えて自身の(無い)胸を片手で押さえながら後ずさりまでします。これでも学園には隠れファンがいるクール系の長身美少女の彼女ですが、今の姿はあまりにも滑稽であり愉快です。
「ナ、ナナ、ナギサ様!! そちらは師匠が、あ、貴女様のために用意した贈り物ですよ!? その一部を私に寄越すと本当に、そ、そうおっしゃるのですか!?」
「え、ええ……あのチェリさん、どうかされましたか? それほど驚くような事をしたでしょうか? エスミさんも愛弟子であるチェリさんがこのロールケーキを口にされた所で悲しむような方では無いはずですが」
「た、確かにそれはそうですが!!…………しかし私は、お二方の仲睦まじいやり取りに介入してはならない身。只でさえ直弟子と付き人という贅沢な立場に身を置き、師匠とナギサ様の特別な交流を目にするという素敵な景色を見させて頂いているというのに、よりにもよってナギサ様に贈られた師匠の品に私が手を付けるなんて全く恐れ多いことです!!」
「……えっと、チェリさん?」
「はい!!」
「す、すみません。台詞の後半があまりにも早口だったので、チェリさんが何を言われていたのかよく聞き取ることが出来ませんでした。出来ればもう一度言って頂けませんか?」
「申し訳ございません、ただの厄介オタクの独り言ゆえ気になさらないでください‼」
「や、厄介……オタク?」
一体どういう事なのかと頭上に疑問符を浮かべるナギサを無視し、チェリは素早い動きで机上にある一切れのロールケーキ (と用済みの開封された箱と紙袋) を手にしました。
「で、ではナギサ様が私なんかのために残してくださったこの一切れのロールケーキ、有難く頂きます!! お二方の固い絆を今一度感じるためじっくりと一口一口丁寧に味わいましょう!!」
「ちょっとお待ちください、チェリさんはロールケーキを高貴な食べ物か何かと勘違いをされていらっしゃるのですか!? そんな貧しい方々のような食事をなさらずに普通に食べてください!!」
「とんでもありません!! 私にとって頂いたこの一切れはその辺のロールケーキと一緒にして良い物では無いんです!! すぐに食べきるのはあまりにも勿体ない!! いえ、本来なら口にするのも憚られます!!」
「むしろ日持ちしない菓子なので早めに食べて頂きたいのですが!?」
「ではいっそのこと冷凍保存して保管しておかないと!!」
「あ、貴女って人は……そこまで頑なに食べないのであれば、そのお口に私自らロールケーキをぶち込みますよっ!?」
「ちょっ、ナギサ様!? そのような物騒な言葉遣いはお止め下さい!! 桐藤家の令嬢としての品性を疑われます!!」
流石に名家のお嬢様ともあろう少女がキレ気味に『ぶち込む』と口にした事で途端に冷静になったのか、チェリは若干青ざめた様子でナギサを宥め始めました。確かにお嬢様学校とも言えるトリニティ総合学園の生徒があのような言動をするのは些かどうなのでしょうか。
まあ事の原因は全て意味の分からない事を言い出したチェリな訳ですが、ナギサもつい頭に血が上って口調が荒くなった事は本人なりにマズイと反省しているようで『そうですね。申し訳ありません……』と深く彼女に謝罪をしました。
丁度いい機会です。両者共にこのタイミングで一旦気持ちを落ち着かせると、ようやく普段通りに戻ったチェリは相変わらずロールケーキを手にした状態で名案を思い付いたとばかりにこんな事を言い出すのでした。
「ところでナギサ様。せっかく贈り物を頂いた訳ですから、この後師匠にお電話を掛けてみるのは如何でしょうか」
「えっ、で、電話ですか?」
目をパチパチと動かしながら思いもよらない提案に茫然としてしまうナギサ。
「はい。本来ならばモモトークあたりで済む話かもしれませんが、師匠の事です……ナギサ様からのメッセージに返事を返すのは最悪翌日かもしれません。ならば贈り物を頂いた気持ちをすぐに伝えるためにも、ここはやはり師匠にお電話をするのが最適です」
「……で、ですが。エスミさんとは『不必要に関わらない』という約束をしていて……このような形で関わるのはむしろ迷惑かと……」
「贈り物を頂いたことに対して直に感謝をするのは別に不必要では無いと思いますが?」
ド正論。ぐうの音も出ない正論です。
いくら他人と極力関わりを控えようとしているエスミとて、挨拶や感謝すらも無下にするほど心冷たい人物ではありません。それはナギサ自身よく知っているはずなのです。
故にチェリは真顔で自身の主を見つめると、ナギサは困ったような顔をしながらも静かに俯きました。
「そ、そうですね……これは感謝。彼女にただ感謝を伝えるだけですから、迷惑にはならないはずです……」
チラッと机の端に置いてある自身のスマホに視線を向け、続けてチェリにその視線を移動させます。
すると付き人である彼女は敬愛する主の背中を押すかのようにして大きく頷きました。それを見てナギサは力のない小さな笑みを浮かべると、勇気を出してスマホに手を伸ばします。
同時に自分の出番はこれで終わりとばかりにチェリは口を開きました。
「では私はこれにて失礼致します。こちらの空箱は私の方で処分しておきますので、ナギサ様はどうかごゆっくり…………それと師匠とのお時間が終わるまでの間、この部屋には誰も通さないでおきます」
「……あ、ありがとうございます…………ですがチェリさん、お願いですからそのロールケーキはちゃんと召し上がってくださいね?」
「勿論……善処します」
「チェリさん?」
呆れたように溜息を吐いたナギサでしたが、今のやりとりで多少は緊張が解れました。
果たして最初からそれを狙っていたのかは定かではありませんが、チェリは満足そうに彼女に対して深く頭を下げると静かに部屋から立ち去るのでした。
(よし………ま、参りましょう)
さて、またもや一人だけの空間に逆戻りした中、ナギサは両手で大事そうにスマホを持つとその画面に向かって指を走らせます。
聖園ミカ、小樽チェリといった幼馴染や付き人、また親しい生徒たちの名前がずらりと並ぶリストを眺めると、唯一〝お気に入り〟リストに登録してある『栢間エスミ』という名前の所で自身の指を止めました。
「……すぅ……はぁ……」
チェリとのやり取りで解したはずの緊張が再び走り始めたのを感じ、ナギサはここで一度深呼吸を行います。
息を吸い……ゆっくりと吐く。この一連の動作を何回か繰り返し、ナギサはトンッと画面を叩きます。
すると今日まで何度か送り合ったエスミとのメッセージ履歴が姿を現しますが、今回は彼女宛にメッセージを送るつもりはありません。他愛もないやり取りだけが映し出されているメッセージ履歴を一瞥したナギサは、そのまま通話アイコンが表示されている所まで指を持ってくるとその場でしばし固まりました。
「エスミさんは…………出てくれるでしょうか」
通話とはトークでメッセージを送るのとは訳が違い、すぐに相手と繋がり会話が出来るという利点がありますが、逆に相手が電話に出るまでの間はただ待つことしか出来ません。最悪の場合、着信を切られるという可能性すらあります。
それこそ知っての通り栢間エスミという生徒は実に多忙です。
画家としての活動のみならず、時々開かれる個展の準備や画商との打ち合わせ、さらには学生としての本分である学業も合わさると彼女が手にしている時間はどれもこれもが貴重と言えるでしょう。
(やはりここはメッセージで留めておくべきでは……い、いえ!! チェリさんがああして背中を押してくださったのですから、ここで引き下がるべきではありません!!)
不安材料ばかりバカ正直に並べるとまともな思考が出来なくなる恐れがあります。
ここはもう勇気を出すしかないと、ナギサは勢いよく通話アイコンを指でタップし慌てて耳元にスマホを近づけました。
そして、モモトーク特有の通話音がスマホのスピーカーから鳴り響きます。
「…………」
1コール、出ません。
2コール、出ません。
3コール、これも出ません。
4コール……これもまた出ません。
5コール…………これも出ようとしません。
(……やはり……駄目、ですか……)
余談ではありますが、ビジネスやプライベートの通話において6コールしても相手が出ない場合は諦めて通話を切るのが最適だと言われています。もちろん諸説ある話ではありますが仮にエスミが現在何かに没頭している最中だった場合、この呼び出し音のせいで彼女が不快になっていないかナギサは酷く心配になりました。
(……ここでもう切るべきかもしれませんね……)
何もこの時間帯に彼女に電話をしないといけない、と決まっている訳ではありません。エスミが事情により電話に出ないのならそれはそれで結構。
また時間を置いて後でかけ直せば良いと半ば逃げ腰になり始め、ナギサは無意識に耳元からスマホを離してそっと通話を切ろうとしました。
『…………もしもし』
「……!?」
その瞬間、6コール目かはたまた7コール目か。
意識が完全に逃げの一択に切り替わっていたナギサを思い留めるが如く、鳴り響いていたコール音が止まり、続けて少女の声が返ってきました。
間違いありません。久しぶりに聞く、栢間エスミの声です。
「……あっ……そ、その……エ、エスミさん……」
『……桐藤? いきなり電話なんか掛けて来てちょっと驚いたけど、どうかしたの?』
「い、いえ……と、特にこれといった理由は……あ、あの……」
『……?』
駄目です。
日数で言えば数十日ぶり。月であれば数か月ぶりに聞くエスミの声は、せっかく落ち着いてきたナギサの心臓を酷く高鳴らせるのに十分な破壊力を持っていました。エスミに対し上手く言葉が言えないどころか緊張のせいで呼吸すら怪しくなってきます。
(そ、そうでした……エスミさんとこうして会話をするのは数か月ぶり……今まで軽く会釈するかモモトークでメッセージしか送って来なかったのに、電話で会話するなんて出来るはずがありません!!)
例え中等部の頃よりも関わりが極端に減ったとはいえ、ナギサにとってエスミは特別です。距離が離れ、言葉を交わす機会も減り、その姿を直に見る事さえ叶わなくなったとしても、ふと気付けば彼女のことばかり考える事がこの頃は多くありました。
彼女は今何をしているのだろうか。絵を描いているのか。それとも筆を洗っているのか。または鉛筆の芯でも削っているのか。何を想い描き、何を目指しキャンバスに向かって没頭して筆を走らせているのか。
またどんな生徒と関わり、相手の心を奪い、そして魅了し虜にしてしまっているのか。
考えれば考えるほど栢間エスミという少女にナギサは引き込まれてしまいます……だからこそ、彼女が約束させた『不必要に関わらない』という言葉通り、なるべく意識しないようその存在を無理に遠ざけてきました。
しかし、それが今やどうでしょうか。
あれほど多くの言葉を交わしてきた仲であるはずなのに、今のナギサはまるで〝恋する〟少女のように酷く緊張していました。尤もナギサ本人はこのざわつく感情を〝恋〟などと断定する事はありませんが、普段に比べて今の自分は冷静では無いと自覚はしています。
(いけませんね……久しぶりにエスミさんと言葉を交わせて、思いのほか心が舞い上がっているようです……)
ナギサは落ち着きのない自身に対して呆れの溜息を吐くため、少しだけ耳元からスマホを離しました。続けて荒ぶる身体を鎮めるために2度3度と丁寧に深呼吸を行うと、今度こそスマホを耳元に戻して口を開くのでした。
「……エスミさん、お久しぶりです。この度はいきなりお電話を掛けてしまい申し訳ありません。実はエスミさんから頂いた贈り物について直接感謝をお伝えしたくて……」
深呼吸をしたおかげか、先程に比べて緊張から言葉が詰まることは全く無くなり、ナギサは彼女が贈ってくれたロールケーキについてやや簡潔に感謝を述べました。するとエスミは『わざわざそんな事のために電話を掛けて来たの?』と呆れ気味に返して来るや、直後に小さく声を出して笑い始めました。
「わ、笑うほど可笑しかったでしょうか!?」
せっかく調子を整えて礼を伝えたのに、いきなりエスミに笑われた事でナギサは恥ずかしさから耳を赤くして声を荒げます。
『ごめんごめん。だって、いつもの桐藤なら真っ先にモモトークで送ってくるはずでしょ? それがまさか電話を掛けて来るなんて』
「…………これはチェリさんからの提案です。モモトークだと、エスミさんが返事を返してくださるのは最悪後日になると言っていたので……」
『あぁ…………なるほど。それはそうかもね』
「……否定はされないのですね」
スマホよりも筆や本を手にしている時間の方が圧倒的に多いエスミの事ですから、別に否定されなかった所でショックは受けません。
しかしやはり自分からのメッセージには出来るだけ早く返事を返して欲しいと願ってしまうもの……チェリの言う通り、こうして強引に電話を掛けたのは正解だったのかもしれません。
「……ところでエスミさん。いきなり私にプレゼントを贈った理由ですが、この場を借りてお聞きしてもよろしいでしょうか」
『君にプレゼントを贈った理由を?』
「ええ。以前、私の誕生日に画材一式を贈ってくださった事はありましたが、今回の場合は理由が不明です。エスミさんはあまり、その…………人に物を贈るという行為をされない方ですから」
『…………まあ。普通はそう思うだろうね』
電話の向こうで息を吐く声が聞こえると、同時に何かをいじる音が混ざります。一体何をしているのかとナギサが疑問を抱いた瞬間、再びエスミの声が返ってきました。
『今日が何の日か分かる?』
「今日、ですか……?」
視線を机上に置かれている卓上カレンダーに向けて確認してみると、特に今日は祝日でも無ければ記念日でもありません。その事実に首を傾げ、ナギサは意識を再び通話に戻します。
「カレンダーを見るにごく普通の平日とはなりますが…………エスミさんが求めている答えはそれではありませんね?」
『その通り。確かに今日は世間一般で見れば何もない普通の平日だね。だけど私と桐藤にとってはある意味で記念日とも言える日、かな』
「私とエスミさんにとっての記念日……?」
何でしょうか。
記念とは、その当事者にとって思い出となることを指す言葉です。加えてエスミとナギサの2人が関わっているとなれば自然とその候補は限られます…………限られるのですが、あの美術狂いで有名なエスミがわざわざナギサにプレゼントを贈るほどの記念日と言われるとそう簡単には思い付きません。
ナギサは唸るようにして頭を働かせながら意味もなく部屋の周囲をぐるぐると歩き回ります。
しかし残念ながら動き回ったところで答えが突然降ってくることは無く、申し訳なさそうにしてナギサは『……分かりません』と口にしました。
するとエスミは『まあ仕方ないか』と元からナギサが気付かないと分かっていたかのような反応を見せ、答えを返すのでした。
『…………桐藤、今日は4年前に君が私に初めて出会って突然スカウトをした日だよ』
「……あっ」
そうです、思い出しました。
4年前の今日、ナギサは自治区で開かれた芸術コンクールの展示会でエスミに初めて出会い、その実力と魅力に引き込まれて彼女に対しいきなりパトロン契約を持ちかけたのです。
思えばあの日の出会いが無ければ今頃こうしてエスミと通話をする事も、彼女の一挙手一投足に心を揺さぶられる日々を送ることも無かったでしょう。
勿論それはエスミも同じであり、あの出会い以降ナギサとの交流が無ければ画家として大成するのにまだしばらく時間が掛かっていたはずです。
まさにナギサ日く〝運命の出会い〟であり、エスミの言う〝記念日〟に相応しい日と言えます。
『君がまだ中等部の頃はあれこれ理由を付けられては直接会っていたけど、今は桐藤も高等部に進級して以前よりも会う頻度は減ったからね。だから…………たまにはこういう記念日に感謝の印としてプレゼントでも贈ろうと思ったんだけど…………正直、喜んでもらえたみたいで良かった』
「当たり前です。エスミさんがわざわざ選んでくださった贈り物ですよ? 喜ばない理由がありません」
『……ふーん……』
「な、何ですかその含みのある反応は……ほ、本当ですからね!? エスミさんからの贈り物は何であろうと私は嬉しいです!!」
『なら今度、私の好きな苦い抹茶味のクッキーを食べてくれる?』
「……ヘっ!? ま、抹茶味ですか!? あっ、い、いえ…………で、出来れば苦いのは無しにして頂けると……その……助かります」
『ふふっ、分かった。それじゃあ次回の贈り物もちゃんと考えておくよ』
また次回があることに喜びを感じながらも、ナギサは興奮から熱くなってきた自身の頬に手を添え、微かに息を吐きました。
相も変わらず、エスミと言葉を交わしていくと楽しさや幸せが積もりに積もって会話の止め時が分かりません。しかし長いこと通話を続けては流石に迷惑になるでしょう。ナギサ自身、まだティーパーティーの仕事が残っているのですから。
名残惜しい事ですが、そろそろお開きにしなくては……と、その前にナギサは伝えておくべき事を口にしました。
「エスミさん……私も、次回からはエスミさんに何か素敵なモノを贈らせてください」
『へぇ……桐藤からのプレゼント、か…………気が早いけど来年が楽しみだね』
「ええ、楽しみにしてお待ちください。貴女に似合う贈り物を選んで見せましょう」
『……そう。言っておくけど、次回のプレゼントは凄いのを送るから』
「それは私も同じです…………それではエスミさん。時間も時間なので、ここで一旦お別れをし――」
『あー……ちょっと待って、桐藤』
「……エスミさん? どうかされましたか」
『……そ、その……えーと……こういう事をいざ言葉として伝えるのは凄く恥ずかしいけど、出来たら聞いて欲しい……桐藤。君から電話が掛かって来た時、正直言って私は素直に嬉しかったんだ…………それに、君は今回私に何もお返しを贈ってないと思っているだろうけど…………久々に君の声が聞けたことが…………私にとっては、物よりも素敵な贈り物だったから気にしないで欲しい……かな』
「…………エスミさん」
『……それじゃあ、さようなら…………また今度。会えたら会おうか』
「……え、ええ。本日は本当にありがとうございました……では、また今度」
『……うん』
プツンッ、と通話を切る効果音が耳に届き、少しして静寂が再び部屋を支配し始めました。
「…………はぁ」
一方でナギサは稼働を続けた事でかなり熱くなってしまったスマホを依然として耳に当てたまま、弱々しく傍の椅子に座り込みます。
そしてようやく加熱状態のスマホを耳から離すと、自身の膝元にそれを置いて彼女は力なく息を吐くのでした。
「…………本当、私の心をかき乱すエスミさんは罪な方ですね……」
そう困ったように零すナギサでしたが、表情は満足そうに笑みを浮かべていました。
エスミと自分だけの記念日。
今日はそれを心の中で祝しながら、過ごすことにしましょう。
栢間エスミの秘密・14
・不平不満は態度に出すことが多いものの、基本は誰に対しても寛大で怒ることは滅多に無い彼女。
そんな彼女でも過去に一度だけ、蒼森ミネ相手にガチギレした上に公衆の面前で決闘をした事がある(騒ぎを聞きつけた正義実現委員会の介入より結果は引き分け)。
もしも仮にブルアカ世界に転生して生徒になれるなら、どんな武器を所持して愛用したいですか?(※作者は愛用するならリボルバーしかあり得ません.)
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拳銃(M1911,グロック等)
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リボルバー(SAA、コルト・パイソン等)
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自動小銃(HK416、AK-47等)
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短機関銃(M1921、MP5等)
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小銃(M1ガーランド、Kar98k等)
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散弾銃(ベネリM4、AA-12等)
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機関銃(MG42、M249等)
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対物ライフル(AW50、ヘカートⅡ等)
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擲弾発射器(M79、ダネルMGL等)
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素手