夢叶って画家になれた転生主は、ともかくブルアカ本編に関わりたくない 作:木暮鬼一
ある日、自身の片手ほどの小さな封筒を見つめながら、栢間エスミは疲労の息を吐くと同時に〝それ〟を人差し指で優しく叩きました。
「……招待状、か」
今となっては別に珍しくもないエスミの下に届く招待状。
中等部の頃からプロの画家として活動し、トリニティ自治区では言うに及ばず既にキヴォトス全土でもそこそこ名の知れた有名人となっている彼女。
優れた芸術家としての才能だけに留まらず、生まれ持った美貌や大人びた性格と言動も相まってか数多の富豪や有識者からの人気は非常に高く、こうして招待状という形で誘われることは彼女にとってもはや日常茶飯事でした。
しかしながら、ほとんどの場合は彼女を政治的道具として引き込もうとしたり、もしくは栢間エスミという少女を手に入れたいと願う欲望が丸見えであったりと散々であり、現在ではもう招待状が届いたところでエスミの胸が躍ることは無くなりました。
今回もその例に漏れず、さてどう処分して相手に言い訳しようかと考えながら招待状を受け取った彼女でしたが……封筒に記されていた差出元の名前が目に入ると、すぐにその考えを放棄して熟考を始めるのでした。
「…………」
長いこと愛用している椅子にお尻を沈ませ、背もたれに背中を預けながら天を見上げるエスミ。
いくら誰もが見愡れそうになる美貌の持ち主とはいえ、身動きもせず真顔で天井を見上げているその姿は少しばかり不気味です。一体何を考えているのか、皆目見当もつきません。
するとそこに1人の美術部員がやってきました。
「栢間様。つい先ほど部室にサンクトゥス分派のセイア様が来られて…………あっ、すみません。お取込み中でしたか……」
背丈は160センチあるエスミより少し高いかどうか。
加えて言葉遣いだけでなく、容姿も整っているため一般的な見方をすれば十分に美少女と呼べるその生徒の名は『金剛フラン』と言いました。
彼女もまたエスミが長を務めている美術部の部員の1人であり、チェリ達と同じく学年は2年です。
これでも美術に関してはチェリやキオに勝るとも劣らない才能の持ち主であり、既に何度かエスミから指導を受けている教え子の一人でした。
当然、そんな生徒がわざわざやって来たのですからエスミは天井から視線を下げると、笑みを浮かべて彼女を歓迎します。
「いらっしゃい金剛。今のはただ考え事をしていただけだから、気にしなくて大丈夫だよ。それより百合園がわざわざ部室に来たの?」
「ええ。てっきり同じ派閥に所属しているキオを探しに来たのかと思っていましたが、どうやら最初から栢間様が目当てだったようです。今はキオと共に部室の隅っこで待っている所ですが、ひとまずどうされますか?」
「どうするも何も会いに行くよ、勿論。別に居留守を使うような相手じゃないからね」
「しかし相手はサンクトゥス分派の次期首長と噂されている方です。何か思惑でもあるのでは?」
「仮にそうだとして、私がそれに乗ると思う?」
エスミが小さく肩をすくめてみせると、フランは心底納得がいかない様子で溜息を返しました。
「はぁ……言っておきますが、副部長を務めているキオもチェリも2人ともティーパーティーを形成する分派に所属している生徒達です。どちらも栢間様が直々にスカウトされたことは私もよく存じていますが、今や美術部は50人近くもの部員を抱える大きな組織となりました。人が増えるということは、それだけ不穏分子が紛れ込んでいるという事です。あの2人の共犯者が内部にいる恐れだって……」
「まあまあ落ち着いて、随分と心配性だね。確かに君はどこの分派にも所属していない庶民派の生徒だから政治や陰謀に嫌悪感を抱くのは仕方ないけど、せっかく美術部に在籍しているのに、そうして疑心暗鬼に満ちた生活を続けていると最悪身体が持たないよ? そういう政治的な駆け引きや面倒ごとは部長の私に全て任せて構わないから」
「……私はただ、栢間様の身が心配なだけです。トリニティの政治や陰謀に翻弄され、貴女様の芸術家としての才能が汚れてしまわないか酷く不安で……これは私だけではなく、リノも同意見です」
「小豆も君と同じことを?」
「はい。普段から口数は少ないですが、リノも表には出さないだけ内心かなり不安がっていました。『最近の栢間様は以前に比べてティーパーティーの面々と会う機会が増えた』と珍しく零すぐらいには。特に今回来訪されたセイア様だけに限らず、次期フィリウス分派の次期首長候補のナギサ様とも親しいのですから、何か面倒ごとが起きるのではと不安がるのも当然です」
「そう……小豆がそんな事を。なるほどね」
小豆リノ。
目の前にいるフランと同時期に美術部に入部して来た庶民出身の生徒であり、彼女同様に優れた芸術家としての才能を持つ2年生です。
ちなみにこの2人、エスミが画家として活動を始めた初期の頃からエスミの大ファンであり、彼女の後を追いかけて自らもトリニティ総合学園に入学したという意外な過去があります。とはいえ栢間エスミと言う生徒は昔から一匹狼でいることを好み、加えて小樽チェリという唯一無二の弟子がいるためか、直接彼女から『教えを乞う』ことを諦めていたようですが、そんな中エスミが突然美術部の部長となったことでこれ幸いと部の門戸を叩きに来たのでした。
そのため、庶民同士でかつエスミのファンと言う事もあってかフランとリノの両名は非常に仲が良く、代わりにお嬢様生徒であるキオやチェリに対しては露骨に嫌悪感を示すなど、ある意味でエスミが擁する美術部は勢力が二分されているのが現状です。
特に以前まで美術部を支配下に収めていたサンクトゥス分派の横暴によって『美術部の活動停止処分』という被害を受けていた元美術部員たちは、エスミの手で再興された今となっては完全に『庶民派』グループに所属しており、フラン達と共に富裕層出身はおろか政治的立場にいる生徒に対し反抗的な姿勢を見せていました。
一応、美術部の長であるエスミの立ち回りのおかげで直接的な衝突は起きていないものの、副部長という立場にあるキオとチェリが揃ってティーパーティーの分派に所属しているという事実のおかげで、火の粉は完全に消せていない状態です。
(元々、このトリニティで満足に組織運営が出来るとは思っていなかったけど、流石は派閥争いが活発な自治区。どう頑張っても次から次へと問題が出てくるね……)
流石に火薬庫同然のティーパーティーに比べれば遥かにマシな組織となっている美術部ですが、彼女たちを何とか団結させているのは美術に対する愛と熱意、そして栢間エスミという圧倒的な〝イコン〟の存在です。
そのエスミも残すところあと少しで卒業の身。
彼女が去った後、果たして美術部はどう変化してしまうのか。
最悪なケースとしてはこのまま美術部が内部崩壊してしまうことです。それはエスミとしては心底受け入れがたい未来と言えるでしょう。
(少し気が早いけど……せっかくフランが来てくれたわけだし、今のうちに〝例の話〟ぐらいはしておこうか)
エスミは椅子に深く座り直すと、机の引き出しからある書類を取り出しました。それをフランの目の前に突き出します。
「……あの、栢間様。この紙は?」
「これはね、部の引継ぎに関する書類だよ」
「引継ぎ……ということは、来年の美術部を率いる面々を記載するための書類ですか!?」
「その通り。副部長は変わらず小樽や本目に任せる予定だけど、私の後任には……金剛、君を指名したい」
その言葉を聞き、フランは驚きのあまり目を見開くどころか小さく身体が震えだしました。
それは恐怖か、興奮か。エスミには前者に思えました。
「そ、そんな恐れ多いことです……わ、私はまだ栢間様から学ぶべきことは多く、部長を引き受ける訳には……!!」
むしろエスミからの期待が高いキオやチェリを抜擢すれば良いのに、とフランは強く感じました。
唯一エスミとの間に師弟関係を築き、フィリウス分派の生徒としてティーパーティーに所属しているチェリは芸術家としての才能だけではなく、各能力にも秀でています。
加えて既に彫刻家として名を馳せているキオもまた同じです。サンクトゥス派お抱えの彫刻家であり、他者を指導し育成していくその手腕はフランの目から見ても別格でした。
まだ芸術家としては駆け出しで、エスミの背中を追っかけて美術部に入部したフランとは、何もかもが比べ物にならない2人。
富裕層出身のお嬢様生徒で政治に関わる立場ということもあり、彼女達のことは正直大嫌いなフランですが、そんな2人を差し置いてエスミは自分を後任に指名したのです。
驚くどころか、彼女の正気を疑うレベルでした。
「君の懸念は分かるよ。まだ実績も十分じゃない部員を後任に指名するのは美術部の歴史を振り返れば前代未聞だろうし、当然反発だって生まれるだろうね」
「では何故、私なんかを……」
「気を悪くしないで欲しいけど、これは消去法なんだ」
「消去法?」
申し訳なさそうな顔をしながら、エスミは小さく頷きます。
「まず小樽。彼女はフィリウス分派に所属し、主人として仕えている桐藤ナギサと共にティーパーティーでの活動に注力している。当然、そんな生徒を美術部の部長に就任させたところで、気付けば補佐している副部長が大部分を補ってしまう事になりかねない。現に今も、彼女が部に顔を出せるのは週に2、3回あるかどうかだからね。次期フィリウス分派の首長とも言われている桐藤の従者をしているんだから、今まで以上に忙しくなるのは確実だと思う」
「で、ではキオを後任から省いたのは何故ですか? 彼女はむしろ栢間様と同じように創作に己の全てを懸けているような生徒です。私から見ても、他者への指導や面倒見の良さは部のリーダーとしては最適すぎるかと」
「私もその意見には同意だったけど……生憎とサンクトゥス分派の生徒が美術部の部長になるのはね……」
「……ああ、そう言えばそうでしたね」
別にキオ自身は何も悪くないのですが、元々エスミが部長として活動停止処分を受けて衰退しつつあった美術部を再興する事になった一番の理由は、今から2年前に起きたサンクトゥス分派の悪事が原因です。
もちろん、例の件は知る人ぞ知る秘密として処理されているため、フランは詳しい中身まで知っている訳ではありません。
しかし以前のサンクトゥス分派に関する悪評はそれなりに耳に入っているようで、嫌そうに顔が歪んでいます。
「私が部長になった事で再び戻ってきてくれた以前の美術部員は、今でもサンクトゥス分派に対しては依然として反抗的。副部長として真面目に働いてくれている本目には一応敬意は示してくれているけど、それも彼女が部長になった場合どうなることか……」
とはいえキオの性格や芸術家としてのプライドを思えば、そのような反感も彼女なら真っ向からねじ伏せてくれる事でしょう。
サンクトゥス分派お抱えという肩書さえ除けば、美術部の中ではキオはかなり人気者なのですから。
しかし以前のサンクトゥス分派に関する悪評がほぼ完全に消え去るまでは、もうしばらくの間はサンクトゥス分派の生徒に部長を任せる訳にはいきません。
となると……。
「そこで私に白羽の矢が立った、という事でしょうか」
未だ納得のいかない様子でフランがそう零すと、エスミは苦笑を返してきました。
「元々私の後任には政治や権力争いには無縁の子を指名するつもりだったし、金剛はわざわざ私を追って美術部に入部してくれたと聞いたからね。まだ正式に芸術家デビューはしていないけど、君の実力なら既にプロを名乗っても問題は無いぐらいに才能はあるよ。それに消去法で君を選んだとは言ったけど、私のように政治を嫌う君なら美術部を『自由に絵を描いて、楽しく美術を学ぶ』部活として、正しく導いてくれると信じてるんだ」
「栢間様が、私を……信じる?」
「もちろん。まあ後任への引継ぎが行われるのはまだ先の事だから、ひとまず私の傍で仕事の内容を把握して覚えて貰おうかな。この書類には一足先に金剛の名前を書いておくけど、いざと言う時はこの書類を証拠として周囲に見せつけても大丈夫。小樽達には後で私の方から言っておくから」
言葉を言い終えると同時に、エスミは素早く書類にフランの名前を記入しました。
当然、美術部部長と記された場所に。
対してフランはそれを心底信じられないといった様子で眺めていましたが、徐々にエスミが自身に対して『後継者』として信頼してくれているという事実に喜びを感じ、静かに……しかし力強く頭を下げるのでした。
「ありがとうございます……絶対に、栢間様の期待を裏切ることがないよう誠心誠意、務めさせて頂きます」
「そう畏まる必要はないよ。私だって美術部の部長を務めるつもりは無かったし、あくまでも成り行きでそうなっただけだから。色々と運営や政治との関わりで大変だったけど、これでも良い経験が出来たと思ってるし、結果的に金剛もそうなると良いね」
金剛フランという名前をしっかりと書き切った後、ペンを置いて椅子から立ち上がった彼女はその場で大きく背伸びをしました。
「さて……それじゃあ百合園を待たせている事だし、彼女に会いに行こうか」
「はい。途中までご案内します」
「よろしく。ああ、それと……引継ぎに関する詳しい説明は、ちょっと〝この件〟が片付いてからにしようか」
「もちろん私は何時でも構いませんが……それは招待状ですか? 一体どなたから?」
先ほどからずっと手にしている招待状に目を向け、フランが不思議そうに尋ねると、エスミは静かに差出人の名前を見せました。
するとフランはその差出人の名前を見て微かに目を細め、心底嫌そうな反応を見せましたが、それは差出人の名前に対してではなく、差出人が在籍している自治区に対する嫌悪感でした。
「栢間様は随分と他の自治区からも大人気のようですね。よりにもよってあの学園から招待状が届くなんて。ですが、あまりにも危険では?」
「まあ、私も差出人が彼女じゃなかったから断っていたけどね。でも過去に何度か助けてもらったし、それなりに交流があるから今回は特別に招待に乗ろうかなって」
「そうでしたか。栢間様がそうお決めになったのなら、むしろ行かれるべきかと……ただ、この件はなるべく内密にした方が良いかと思います。あの自治区に関して、周囲はあまり良い印象を持たないでしょうから」
「……同感だね」
招待状に目を向け、小さな息を吐いた後、エスミはそれを机の引き出しにしまいます。
その瞬間、封筒に記されていた差出人の名前が見えました。
ゲへナ学園 3年 鬼方カヨコ。
封筒には、達筆な字でそう記されていました。
《1-2》
「お待たせ。ごめん、随分と待たせちゃったね?」
丁度、分派に関する話し合いでもしていたのか。本目キオと共に真剣な表情で言葉を交わしている最中だった百合園セイアは、ようやく姿を現した栢間エスミに対しニッコリと笑みを浮かべました。
「やあ、エスミ姐。忙しい時期に突然訪ねて来て申し訳ない。少し、エスミ姐に聞きたいことがあってね」
「私に?」
さて一体何だろうかと、不思議そうに首を傾げる彼女に対し、セイアの傍にいたキオが口を開きました。
「以前、大聖堂近くで発見されたカタコンべについて、セイアさんが何やら気になっているようでして……その第一発見者であるエスミさんに、是非とも尋ねたい事があると」
「……そう。なら、少し席を外そうか」
去年、大聖堂近くで発見された例のカタコンべに関しては未だにシスターフッドの主導で調査が続いている状態であり、正直エスミの口から語れるものは無に等しいと言えるでしょう。
とはいえ、それでもセイアが彼女を頼って来たということは、セイアだからこそ気になる何かがあるに違いありません。
エスミは備品を保管している個室への移動をセイアに促すと、彼女は黙ってそれに同意しました。
「では、私はこれで失礼致しますわ。エスミさん達が入室次第、保管室への立ち入りは当面の間は禁止とし、邪魔が入らないように手配しておきます」
「別に悪巧みをする訳じゃないんだから、その必要は無いよ」
「いえ、私はともかく……エスミさんとセイアさんの仲を邪推している者がいるのは事実ですわ。会話に聞く耳を立て、ある事無いことを吹聴されては困りますもの」
その瞬間、キオは『お前に言っているんだぞ?』という厳しい視線をエスミの背後にいる金剛フランへと向けました。
「…………」
一方でフラン自身は何も動じず、何の反応も返すことなくその場に立ち続けています。
その代わりキオに向けている視線には嫌悪感が混じっており、それは彼女の隣にいるセイアにも向けられていました。
「……金剛、案内ありがとう。あとは作業に戻って貰って大丈夫だから」
まだ正式な引継ぎが先とはいえ、もう彼女は次期美術部部長に就任する予定の生徒なのです。
出来れば不要な争いや差別は控えて欲しいと願いながら、エスミは彼女に席を外すよう願いました。結果、途端に表情を崩した彼女はエスミに対してだけ頭を下げるのでした。
「……承知しました。あとは引き続き制作活動に励みます。栢間様、本日はありがとうございました」
踵を返し、他の部員たちがいる作業場へと静かに立ち去っていく彼女。
結局、最後の最後までキオやセイアに対して頭を下げる事はありませんでしたが、その辺りに対する指導は後々エスミの手で行うとして、酷く不機嫌な表情をしているキオに対し視線を向けました。
「本目。彼女のことは今回だけは許してあげて。私が政治と関わるのが嫌いみたいだから」
「そうは仰いますけれど、彼女の態度はあまりにも……失礼ですわ。私はともかく、客人であるセイアさんに対して挨拶もされないなんて。この〝片目〟で見る必要もないほど、先ほどの彼女は負の感情で一杯でしたわね」
「私は別に構わないが……ところで彼女もまた、エスミ姐が心から期待を寄せている将来有望な生徒なのかい?」
「そうか、百合園は知らないんだったね。彼女は金剛フラン。去年の末あたりに入部してきた新人だよ」
「ええ。何でもエスミさんの作品に惹かれて、わざわざ背中を追いかけてこの学園に入学されたとか。正直なところ芸術に関する彼女の才能は私も一目置いています。ですが……私のような富裕層出身の生徒と、チェリさんのような分派に籍を置いている生徒を目の敵にしている、非常に困った人物ですの」
「目の敵に? 一体どうしてだい?」
「それは……私も詳しい事は分からないかな。過去に何かあったのかもしれないけど、そう深く追求する内容でも無かったし」
「はぁ。エスミさんは良くも悪くも他人に対して興味が無さすぎます……美術部の長なのですから、出来ればもう少し相手の核に踏み込むべきですわ」
彼女なりに不安を胸にした台詞でしたが、当の本人は『あまり踏み込み過ぎるのもね……』と返し、あまり問題視はしていないようです。
「…………ふぅ」
そんな自身にとっては大事な親友と〝家族〟でもある先輩2人のやり取りを眺めながら、セイアは気疲れから小さな溜息を吐くのでした。
《1-3》
「……よし、ちゃんと片付けはされているみたいだね。百合園、疲れただろうからこの椅子に座って。運良く来賓用の椅子が残っていたから、座り心地は大丈夫なはず」
あれから少し経ち、キオと別れて2人だけで備品保管室に入ってすぐ、エスミはセイアの為に部屋の隅に置かれていた椅子を用意し彼女をそこに座らせました。
というのも長時間立ちっぱなしで会話を続けるのは、流石に病弱なセイアには辛過ぎたのです。特に近頃はあまり体調が宜しくないようで、今日はかろうじて無理して動き回れる日だったものの、表情は次第に酷くなる一方でした。
しかしもう心配はありません。
運良く保管室に残されていた椅子に腰かけたセイアは、溜まった疲れを取り除くようにして深く息を吐き、乱れつつある自身の心を落ち着かせます。
「……ありがとう、エスミ姐。おかげで楽になった」
未だ表情はぎこちないですが、だいぶ楽になったのは事実のようです。
彼女の傍で立ち尽くすエスミは、そんな彼女に向かってクスリと微笑みかけます。
「どういたしまして。でも、いくら身体を動かせる日だからと言ってあまり無理はいけないからね」
「ああ、善処するよ。今日は特に問題は無いと思っていたんだが、もしかすると寝不足気味だったのがいけなかったのかもしれない」
「そういえば、体調に関してはモモトークで何度か教えてくれていたけど、最近はあまり満足に眠れていないの?」
「まあ……夢のおかげでね」
「そう。君の表情を見る限り、どうやらあまり良い夢では無いみたいだね」
「……」
セイアは困った笑みを浮かべながらエスミに視線を向け、その後すぐ下に落としました。
そうして俯いたまま、少女はまるで罪を告白するかのようにして説明を始めました。
「最近……全く同じ夢を見るんだ。私にとって……いや、ある親しい人が病室で寝たきりになっている夢でね……必死に声をかけても起きない。見守っていてもその人の身体は動かない……ただ生きているのかさえ怪しい心電図の音だけが響く、生きた心地のしない空間…………目にする光景はずっと同じだ。ただ病室のべッドで横たわるその人を、私は見ていることしか出来ない……」
「それは……いつも無意識に発動する、百合園の予知夢?」
すると彼女は首を横に大きく振ります。
「分からないんだ……私には初めての経験でね。今までは……その人が予知夢に出ることも、夢に出てくることも無かった……だからストレスから来る質の悪い悪夢なのか、本当にいつか訪れるその人の未来なのか、私には全く分からない……本当に、分からないんだ……それでも、目覚めたときには真っ先にその人の無事を確認しては、どうか悪夢であって欲しいと願う。でも……日々積もっていく不安から満足に寝る事さえ出来なくて……」
「そう……その夢に出てくる人は、もしかして百合園にとって一番大事な人?」
俯いているせいで分かりづらいですが、セイアは『……当然さ』と零しました。
しかしその微かな吐息ともに零れた言葉を、エスミの耳は拾う事が出来ませんでした。ただしその沈黙こそがセイアにとっての肯定と捉えた彼女はただ小さく息を吐きます。
「この事は、誰かに相談はしたの?」
「まさか。自分でも悪夢なのか予知夢なのかさえ判断が出来ていないのに、他人に相談なんか出来ないさ……それに、今はサンクトゥス分派の次期首長を賭けて候補者達がしのぎを削っている状況だ。私を支持してくれている皆のためにも、私を蹴落とそうとするライバル達に弱みを見せない為にも……今は、ただ耐えるしかない……それが正解なんだ」
「……そう」
エスミのもう一つの顔である〝情報屋〟として常日頃かき集めている話によれば、サンクトゥス分派はどうやら次期首長候補がすんなりと決まっていないようです。
何しろ思慮深く聡明なだけでなく、未来予知というかなり優れた能力を有しているセイアは、その能力の代償として非常に病弱であるため、一部からは『次期首長としては、あまりにも体調面が不安だ』と懸念されているのです。
エスミの前世においても民衆からの信頼が深く、非常に優れた手腕を発揮する名君が、生まれ持った持病や病弱体質が原因で早々に世を去ることは珍しくもなく、その後釜として後継者となった者が後始末に追われて余計に迷走してしまう、なんて事例もあります。
一応、在任期間は卒業するまでの約1年間と期限が設けられているとはいえ、分派が暴走しないよう手綱をしっかりと握り、対立している他の分派と対等に付き合いながらトリニティ総合学園並びに自治区を運営していく……正直な話、責任重大であり尋常では無い疲労感が襲うことでしょう。
その日々に果たして既に精神が擦り減りつつあるセイアが耐えられるのかどうか。
彼女を支持する生徒もまた、その点に関しては不安を抱えているに違いありません。
「……うーん……」
ひとまずエスミは自身の顎に手を当てながら、セイアの為に何か出来ないかと考えます。
彼女の記憶にある前世のブルアカ原作では、既にご存知の通りフィリウス分派をナギサが、パテル分派をミカが、サンクトゥス分派をセイアが率いています。
となれば当然、この世界もその未来に向かって進んでいる事は確実であり、よほどの事が無い限りは原作の未来が変わることはあり得ないでしょう。
しかし現時点ではセイアの心の消耗は酷いものであり、流石に例の次期首長を賭けた争いに勝てるとは思えません。
エスミは考えます。
余計な手を加えることなく、原作通りに未来を迎えることが出来るようセイアを応援する方法を……考えるに考えて結局、この方法が最適だと思う行動に出るのでした。
それは、抱擁でした。
椅子に座っているセイアを正面から、優しく抱きしめたのです。
「…………エスミ姐?」
「大丈夫だよ、百合園……私は、君の夢に出て来た人に心当たりは無いけど、何度も夢に出てくるほど大事に想われているのは分かる。その人の力になれず、ただ無力な自分を見せられて百合園は酷く心が痛んだのかもしれないね……だから、今はこうして私が癒してあげる……フフッ、もうこの手の対応には慣れたものだからね、私。百合園も意外と好きでしょ、こうされるの」
外見では制服のおかげで分かりづらいものの実際は大きな胸に顔を埋め、ほのかに香る彼女の匂いと胸の柔らかさに包まれながらセイアは静かに瞼を閉じます。
確かにエスミの言う通り、認めるのは何だか恥ずかしい気もしますが、冷え切っていく感情と心を温めるような彼女の力強い抱擁は好きです。 いえ、大好きだと断言します。
(……あぁ……もしその夢に出て来た人物が、他でもないエスミ姐本人だと伝えたら……彼女はこの抱擁を止めるのだろうか?……それとも、私を落ち着かせるために変わらず抱きしめてくれるのだろうか?……出来る事なら、あの光景はただの悪夢であってほしいと願いたい……けど今は、今だけは……この温もりに沈んでいたい……)
ゆっくりとエスミの背中に腕を回し、このぬくもりが、癒しが、自身の手から離れないようセイアは腕に力を込めて抱き締め返します。
「……大丈夫、大丈夫…………私はちゃんとここにいるよ」
するとエスミは慈愛に満ちた笑みを浮かべ、ポンッポンッと優しく少女の頭を叩きながら低く小さな声で囁きました。
まるで妹を宥める姉のような、優しく……それでいて安心感が勝る魔法の言葉。
それが却って例の悪夢が現実となった時、自身の心が壊れそうになる予感がし、セイアは泣き出したくなるのを必死に我慢するのでした。
≪??????≫
「この面々で集まるのは随分と久しぶりですね」
薄暗く、ズシンッと心に重く圧し掛かるような空気がさも平然と周囲に流れている中、綺麗にスーツを着こなしている人物は『クックックッ……』と独特の笑い声を出すと共に、腕を広げて来訪者たちを歓迎しました。
「ようこそ、皆さん。久しぶりの会議にも関わらず時間通りに出席して頂き、私は非常に嬉しく思います。生憎と〝彼〟だけは別件のため本日は欠席となりますが、それでもこうして3人で集まることが出来たのは非常に喜ばしい限りです」
その言葉にいち早く反応したのは、赤い肌と白いドレスが目立つ女性でした。
「あら、ゴルコンダは今回の会議に不参加ですか。彼にしては珍しいですね」
「ええ。会議よりも優先しておきたい何かがあったのでしょう。それに比べて私の方は依然として停滞気味で……そちらは如何ですか、べアトリーチェ」
べアトリーチェ、と呼ばれた赤い肌の女性はその質問に対して特に表情を変えることはなく、ただ静かに頷きました。
「例の儀式に必要な下準備は概ね完了しました。既にアリウス地区は完全に掌握し、生徒達に対する刷り込みも完璧。まだ実現に不可欠な要素が未だに欠けているものの、ほぼ完遂間近と言えるでしょう」
「なるほど、そうでしたか。そういえばある儀式に必要な生徒は今、貴女の監視下にあるとお聞きしましたが?」
「アリウス生徒会長の血筋を受け継ぐ者のことですね。彼女は現在、ある少数精鋭のグループに所属しています。貴重な手駒なので引き離しておくことも考えましたが、むしろ私の指示一つで動くグループにあえて拘束しておくのが賢明と考えました」
そこで言葉を区切ったべアトリーチェは、今度は彼に対し首を傾げつつ尋ねます。
「そちらはどうなのですか? アビドスでの活動に進展は?」
「クックックッ……いやはや、非常に素晴らしい才能と質を持つ神秘の生徒を見つけたのですが、これが中々手厳しい状態でして。幾度か言葉を交わさせて頂きましたが、返って来る言葉は全て否定と拒絶ばかり。どうやら私は彼女に嫌われているようですね」
「そうでしたか。そういえば、貴方はその生徒から『黒服』と呼ばれていると聞きましたが?」
「ええ。私はこれを非常に気に入りまして。今後からは私のことを黒服と呼んでください。他でもない彼女が付けてくれた名ですから」
「子供を搾取する側のはずの大人が、よりにもよってその子供から名前を授受されるとは……正直片腹痛い話ですが、良いでしょう。では、今度からは黒服と呼ばせて頂きます」
「よろしくお願いします。ああそういえば、生徒から名を授かったのは何も私が初めてではありませんよ。そうですよね……マエストロ」
黒服が心底楽しそうに視線を向けると、そこには会議に参加しておきながら開始からずっと黙っていた2つの頭を持つ人物、マエストロが立っていました。
ギギッ、と身体を不気味に軋ませながら彼の視線が黒服と交差します。
「……いかにも。私の名はマエストロだ。今後はその名で呼んで貰いたい」
「これは驚きですね。黒服ならともかく、まさか貴方までもが生徒から名を授受されたと言う事ですか? 以前『芸術家と言うのは鑑賞者に意味を与えるべき存在であり、受け取る者では無い』と偉そうに私に仰っていたのは一体何だったのでしょうか」
ギッと密かに軋む音が響き、マエストロからの強い視線を感じ取ります。
いわずともべアトリーチェの小馬鹿にしているような台詞に対し、マエストロは不快感を抱いたのでしょう。
「……言葉を慎んでもらおう。芸術家が他人に意味を与え、鑑賞者がその意味を受け取る。この関係は絶対であり不変である……私が〝彼女〟からマエストロという素晴らしい名を喜んで受け取ったのは、彼女もまた一人の芸術家であるからだ」
「芸術家? か弱く、大人に反抗する力すら持てない子供が偉そうに芸術家ですか。マエストロという名前を与えたその生徒は、随分と不思議な存在なのですね」
面白おかしく笑みを浮かべ、続けて肩を震わせるべアトリーチェ。
その様子を見てマエストロが更なる反論を口にしようとした時、黒服が小さく拍手をしながら会話に割って入ります。
「べアトリーチェ。アリウス自治区の整備と計画の下準備に掛かりっきりだった貴女はご存知無いかもしれませんが、マエストロに名前を与えた生徒は只者ではありません。かく言う私も、他でもないその生徒によって過去に研究を台無しにされてしまったのですから」
その言葉を聞いたべアトリーチェは表情を一変させると、視線をマエストロに向けこう尋ねました。
「その生徒の名を聞かせて頂けますか?」
「……エスミ。彼女の名は、栢間エスミだ」
マエストロは、まるでその生徒を尊敬しているかのように ゆっくりと力強く名前を口にします。
「なるほど、栢間エスミと言うのですか。黒服の研究を台無しにし、マエストロという名前まで与えた存在……ふむ、他に有益となる情報は?」
「強いて言えば、芸術家という立場を手にしているだけあって誰よりも〝美術〟そのものに対する愛が強いという事でしょうか。それこそ美術を蔑ろにし、計画の一部として悪用されることに対する彼女の行動は目を見張るものがあります」
「……逆を言えば、美術そのものが関わらないかぎり、彼女が我々の障害になる事はあり得ない……彼女は政治を忌避するだけでなく、親密な人間関係すら築こうとしない稀有な存在だ」
「つまり孤独という事ですか?」
「クックックッ。そうであれば良かったのですが、彼女の厄介なところは他人を惹き付けて止まないその立ち振る舞いと行動力です。エスミさん本人は美術に生き、美術で死ぬ事を本望としている所がありますが、それでも彼女の魅力に取り付かれた生徒は数多くいます。現に私が担当しているアビドス自治区の『暁のホルス』は、彼女に対しかなり愛憎が入り混じった感情を抱いている様で、出来ることなら彼女を独占しようと…………おっと失礼。これは口に出すべき話題ではありませんでしたね」
あまり今回の話に関係がない情報だったのか、黒服は途中で言葉を止めるとわざとらしく肩をすくめました。
べアトリーチェとしては黒服が先ほど口にした『暁のホルス』に関する話題には全く興味が無いため、すぐに好奇心が失せたとばかりに息を吐きましたが、一方でマエストロは突然言葉を止めた黒服に訝しげな視線を送ります。
「……黒服。彼女は己の人生全てを〝美術〟に捧げている真の芸術家だ……そんな彼女の高潔な生き様を邪魔しないでもらいたい…………それに猛獣の手綱はそなたがしっかりと握るべきであろう」
黒服はその言葉に対して大袈裟に肩をすくめて見せます。
「暁のホルスが栢間エスミさんに固執する理由は、長年エスミさんを追いかけている貴方が一番よく知っているのではありませんか?」
「……なるほど……例のアビドス生徒会長の件か」
「いかにも。彼女と最後に言葉を交わし、その姿を見た最後の目撃者、それが栢間エスミさんです…………暁のホルスが固執する理由としては、あまりにも十分でしょう。ところでマエストロ、私は猛獣の手綱を握らないのではありません。危険すぎるがあまり、むしろ握ることが出来ないのですよ」
「…………」
強く言い切った黒服を前にして、マエストロは頷くことはせずギッギッと身体を軋ませながら後ろへと引き下がりました。べアトリーチェはそんな彼の姿を一瞥すると、黒服に向かって『他に何か情報は?』と尋ねます。
「生憎と私は別にエスミさんの担当では無いので、提供できる情報はもうありません。強いてあげるなら右手に障害を抱えている、という事ぐらいでしょうか」
「障害?」
「ええ。長年酷使していた影響でエスミさんは今、右手を満足に扱えない状態となっています。トリニティに入学したばかりの頃はそれほど酷くはありませんでしたが、最近は処方されている薬も効きづらくなっているようですね」
もっとも今話した情報は少し古めであり、現在はより酷くなっている可能性がありますが、そのような障害を抱えても尚、栢間エスミという生徒は歩みを止めることをしません。
美術だけに人生を捧げている、そう言っても過言ではありませんでした。
しかし芸術だろうと美術だろうと、全ては無意味であり不必要と考えているべアトリーチェとしては栢間エスミという生徒を理解することは出来ず、ただただ疑問だけが残ります。
(まあ構いません。どのみち私の計画の邪魔になる可能性も低い事ですし、わざわざ手を下す危険性も無いことでしょう)
計画実行まであと一押しという所に来ているため、可能であれば不穏分子や障害となる者は出来る限り排除しておきたい所でしたが、エスミという生徒が美術だけに生き、その美術の為だけにべアトリーチェにとって邪魔者となるのなら、むしろその逆鱗に触れないよう立ち回れば良いだけと彼女は考えました。
何故ならアリウス自治区にはもう、芸術と言う芸術は破壊し尽くされ、既に死に絶えているのです。
彼女がアリウス自治区に牙を剥く理由は存在せず、それを知る方法もありません。
べアトリーチェは、他2人に見えないよう薄く笑みを浮かべるのでした。
(栢間エスミ……存在だけは気に掛けておくとしますか)
もしも仮にブルアカ世界に転生して生徒になれるなら、どんな武器を所持して愛用したいですか?(※作者は愛用するならリボルバーしかあり得ません.)
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拳銃(M1911,グロック等)
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リボルバー(SAA、コルト・パイソン等)
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自動小銃(HK416、AK-47等)
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短機関銃(M1921、MP5等)
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小銃(M1ガーランド、Kar98k等)
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散弾銃(ベネリM4、AA-12等)
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機関銃(MG42、M249等)
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対物ライフル(AW50、ヘカートⅡ等)
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擲弾発射器(M79、ダネルMGL等)
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素手