夢叶って画家になれた転生主は、ともかくブルアカ本編に関わりたくない   作:木暮鬼一

33 / 54




栢間エスミ 『夜景』

 

 

 

「良い景色だね……画材、持ってくれば良かった……せっかくだしペン画にでも挑戦してみようかな?」

 

 カランッ、と大きな氷が入ったコップを鳴らしながらそう独り言を零すと、それに答えるかのようにして大きな溜息を吐かれました。

 少女の視線が後ろへと向けられます。

 

「何か言いたい事でもあるの、鬼方」

 

 不服そうに眼を細め、自分に向けて溜息を吐いた張本人……鬼方カヨコの名を呼びます。

 するとカヨコと呼ばれた少女は面倒そうな表情をしたまま、少女と同じく氷の入ったコップを片手に静かに駆け寄ってきました。

 

「数時間前までパーティー会場にいたのに、よくこれから絵を描こうだなんて思えるね。その気力と体力は何処から湧いてくるの?」

 

 そうして少女の隣に並び立ったカヨコは、その視線を窓から見えるゲヘナ自治区の夜景へと向けました。

 光り輝く建物の明かりと道筋を描くようにして続く街灯。

 何て事はありません。ゲヘナで生まれ育ったカヨコからすれば何百回、何千回と目にしてきた、ただの夜景です。それこそ他の自治区の夜景に比べても大して差は無いはずですが、それを隣に立っている少女は『良い景色』と称したばかりか、あろうことか絵を描いてみたいと欲望を抱いたのです。

 

 しかも先ほどまで自分と彼女はある企業の祝賀パーティーに参席し、その悪事を暴くことに貢献してきたばかり……つまり、お互いパーティーのごたごたや人の対応で心底疲れ切っていました。

 その為カヨコはわざわざトリニティから飛んできてゲヘナのために協力してくれた疲労困憊の少女を休ませるため、ゲヘナ自治区の中では相当上位に食い込むほどの高級ホテルの部屋をわざわざ自ら予約し、こうして彼女を労っていたのですが……どうやらそれは杞憂だったようです。

 

 カヨコがふと隣に視線を向けてみれば、少女は窓から見えるゲヘナの夜景を眺めながらうっとりと笑みを零していました。その恍惚に近い笑みを見るに、どうやら今更引き返すことは出来ないようです。カヨコはもう諦めたとばかりに再度深い溜息をつきました。

 

「…………はぁ。何か必要なものはある?」

 

 氷の入ったコップを渡し、面倒そうな表情をしたまま要望を尋ねます。

 すると少女は快く渡されたコップを受け取ると、笑みを浮かべたまま感謝の言葉と共に要望を口にしました。

 

「出来たら少し固めの紙とボールペンがあれば嬉しいかな。ボールペンは0.5ミリと0.7ミリの2種類あると余計にありがたいけど……流石にいくら高級ホテルでも無理があるよね」

「どうかな……まあ受付には一応頼んでみるから。流石にこの部屋には無いだろうし」

 

 周囲を見渡してみれば、一応テーブルにはメモ帳や一本のボールペンが用意されていますが、少女が必要としているのはああいうモノでは無いのでしょう。

 付近のコンビニで調達するという手もありますが、流石にゲヘナ自治区の夜中を堂々と出歩くわけにはいきません。ホテルの受付であれば少しは彼女の望むモノが手に入るかもしれないと、カヨコはそのまま部屋の出入り口へと移動します。

 

 そして……。

 

「じゃあ、少しの間だけ出掛けて来るね。エスミ」

 

 エスミ。

 そう名を呼ばれた少女は小さく手を振りながら、部屋から出ていくカヨコを見送りました。

 

 

 

≪1-2≫

 

 

 

 多忙の身でありながら、わざわざ時間を作ってトリニティから飛んできてくれた栢間エスミ。

 

 カヨコはそんな彼女と共にとある企業の祝賀パーティーに参加すると、そこで秘密裏に行われていた悪事を暴き、風紀委員会との共闘で犯行を阻止する事に成功しました。時間にしておよそ数時間ほど前の出来事です。

 悪事を行っていたのは犯罪組織に買収されて言いなりになっていた企業の重役であり、前々から商売の手を広げるためにゲヘナ自治区で情報収集を担当していた事から情勢には人一倍詳しかった為、この機にゲヘナ自治区で勢力を伸ばそうとした犯罪組織の指示で祝賀パーティーと称した秘密裏の会合を開く事となったのでした。

 祝賀パーティーに風紀委員会だけを参席させなかったのも、悪事を邪魔されたくない犯罪組織とその重役の裏工作によるものだったのです。

 

 とはいえパーティー慣れしつつ、かつ大人が相手でも駆け引きが上手く情報を抜き出す術を知るエスミ。加えて非常に優れた観察眼を持ち経験豊富なカヨコが現れた事で、犯罪組織とその言いなりになっていた重役が必死に練ってきた悪事の計画はものの見事にご破算となり、その身柄は風紀委員会からヴァルキューレ警察学校の生徒へと引き渡されたのでした。

 

 さて、こうしてゲヘナの脅威となる存在を1つ潰せたカヨコ達でしたが、結果として祝賀パーティーは中止となり、かつ詳細も知らずに急いでゲヘナにやって来たエスミは宿すら取っていなかった事から、疲労困憊で疲れている彼女のためにと急遽カヨコがホテルを予約する事となりました。

 

 本当は自分の部屋に泊めようかと考えていたカヨコでしたが、そもそもトリニティの生徒をゲヘナに呼んでいる時点で大問題なのです。事情を説明してあるアコはああ見えて信頼出来る人物ですが、他もそうとは限りません。

 特に風紀委員会の情報部はトリニティ自治区で一番の人気者であるエスミを【重要人物】として長いことマークしており、そんな人物がゲヘナの生徒の部屋に泊まる……正直、あらぬ誤解を抱かれてもおかしくはありません。

 

 その為、安全とサービス面が確約できる高級ホテルを予約したカヨコでしたが、実を言うと彼女も日々の疲れで頭が回っていなかったのでしょう。

 本来ならエスミの分だけ予約すれば良いものを、ついその場の流れで泊まる部屋を2人分で予約してしまったのです。流石に部屋はダブルルームではなくツインルームにしてありますが、それでもエスミと共に夜を明かす事になるのは間違いありません。

 もちろん後から自身の失態に気付いたカヨコは大慌てでキャンセルを取ろうとしていたのですが、エスミが『過ぎたことはもう仕方ないよ』と苦笑いしながら答えたことで諦める事となりました。

 

 どちらにしろ、ホテルの当日のキャンセル料は高くつきますし、安全とサービス面を優先したとはいえカヨコが予約したのは高級ホテルです。この際だからゲヘナの高級ホテルを堪能してみようというエスミの意見もあり、カヨコは何度か謝罪の言葉を口にしながら共にホテルへと足を運ぶ事となったのでした。

 これなら部屋にエスミを泊めた方がまだマシです。風紀委員会の情報部に目を付けられたらどうなることやら……。

 

(まあ、本人は周りの視線やホテルの内装やサービスより、窓から見える景色に夢中みたいだけど……)

 

 受付でエスミが望む品を手に入れるためにエレベーターで下の階に移動している最中、ふとカヨコはそんなことを胸の中で呟きます。

 階層を表示しているモニターには2桁の数字が浮かんでいますが、先ほどまでカヨコが居た部屋はこのホテルのほぼ最上階に当たります。故にそこから見える外の景色は絶景であり、エスミがその光景を絵に収めようと興奮してしまうのも納得がいきます。

 

 しかしながら、こんな時でも美術を優先してしまうのは何とも彼女らしい一面だと思うと同時に、出来ればもう少しだけ自分に意識を向けて欲しいとカヨコは思っていました。

 

(確かに、忙しいところを無理に呼びつけたのは私だけど……それでも一緒にホテルで寝泊まりするんだから、少しぐらい緊張して欲しいんだけど……)

 

 友人と呼べるほどの関係では無く、しかし知人と言うには親しすぎる。

 そんな複雑で謎な関係を築いているのは何もカヨコとエスミだけでは無いのでしょう。しかしそれでも、お互いゲヘナとトリニティに通う生徒としての立場の違いもあります。古くから続いている両者の因縁を知る他者からすれば、まず目を疑うような関係性。実際に祝賀パーティーの会場ではエスミ目当てに声を掛けに来た客のほとんどが彼女の隣にゲヘナの生徒であるカヨコが居たことに驚いていました。

 

 それだけ周りからすればエスミとカヨコの関係は異常なのです。

 

 カヨコ自身、自分の立ち回りが原因でエスミの評判に傷が付くことを密かに恐れていました。それは事実です。顔つきのせいで他人を怖がらせ、勝手に喧嘩に巻き込まれては問題を招いてしまう不憫な人生。

 対してエスミは多くの人に好かれ、夢である芸術家として立派に活動し、明るい太陽の下でその人生を過ごしています。

 まさに光と闇。

 自分が少しでも道を踏み外せば、光であるエスミを闇で包み込んでしまいかねない。

 

 それなのに、エスミはカヨコに対し心を許していました。

 2人で部屋に泊まる事になっても苦笑するだけで嫌がる素振りは見せず、部屋でシャワーを浴び終えると寝間着を持って来てないからとホテルの館内着を身にまといながら、その豊満なスタイルを見せつけるかのようにして無防備な姿をカヨコの前で晒し続ける。正に警戒心の欠片もない姿を取り続けているのです。

 こちらは道を踏み外す以前に、トリニティとゲヘナの生徒が共に高級ホテルの部屋に泊まるという衝撃の事実に対し酷く不安を抱えているというのに……全く不公平です。

 

(まあ……それだけ、今の状況を気にするだけ無駄なのかも)

 

 光あるところに闇がある。

 しかし闇が必死に取り込もうとしたところで、光がその輝きを失うことはありません。

 栢間エスミという少女もその光と同じで、カヨコの心の悩みや不安を消し去ってくれる存在なのかもしれません。少なくとも常に孤独を抱えている身としては、彼女が傍にいるだけで幸せなのは否定しません。

 

 エスミとしては、あくまでも仲の良い知人と共に夜を明かすだけ。そう考えているだけなのでしょう。

 

「……はぁ」

 

 果たして今日だけでも何度溜息をついたのか。

 カヨコが疲れたように息を吐いたと同時に、1階に到着したエレベーターが『新鮮な空気でも吸って切り替えろ』と言わんばかりにその扉を開くのでした。

 

 

 

≪1-3≫

 

 

 

「ボールペンですか……それもサイズ違いを2種類? それと固い紙ですか」

「ある? 部屋で待ってる知人が絵を描くために必要だって言ってるの」

「そうですね……少し取り寄せるのにお時間を取らせてしまいますが、それでも宜しければ……」

 

 エスミが所望している画材(?)を受付に話すと、どうやら取り寄せるのに時間がかかると言われました。

 それを聞いてカヨコは少しだけ眉をひそめると手に持つスマホで時間を確認します。

 

「……どれくらい?」

「5分、いえ10分ほど頂ければ」

「分かった。ならそれまで待つから、出来るだけ急ぎでお願い」

「お客様のご要望とあればもちろんでございます」

 

 受付のスタッフはこの手の無茶な頼みは慣れたものだといわんばかりに笑みを零し、そのまま立ち去ろうとします。すると、その瞬間『いえ、その必要はありません』と空気を裂くようにして重い言葉が周囲に響き渡りました。

 

「……?」

 

 もしやこの言葉、自分たちに向けて言っているのかとカヨコが訝しげに声が聞こえた方へ顔を向けると、そのまま首を傾げます。

 

「誰?」

 

 そこに居たのは真っ黒スーツを着こなす謎の人物でした。見たことが無い人物です。

 とはいえ声を発した人物は視線をカヨコへと向けると、その黒いスーツ姿を動かしながら静かに頭を垂れました。もっとも、非常に浅い会釈程度のものでしたが。

 

「申し訳ありませんが、今この場で私の名を明かすことは出来ません。しかし貴女の敵ではないとだけ言わせてください。今は、その情報だけで十分だと思うのですが、違いますか……ゲヘナ学園の3年、鬼方カヨコさん」

「…………」

 

 名前を呼ばれた事に対し、ほんの一瞬ですがカヨコは護身用として持ってきた愛銃に手を伸ばしかけました。しかし直前で名を呼んだ人物は片手でそれを制止すると『ご安心を。その必要はありませんよ』と言葉を返すと、そのまま静かに受付のスタッフにまで歩み寄ります。

 

「えっと……お客様、何か御用でしょうか?」

 

 随分と異質な客が来たと、カヨコでも分かるぐらい受付のスタッフは困惑した様子を見せています。

 

「先ほど彼女がアナタに頼んだ件ですが、それは既にこちらで用意してあるので大丈夫です。代わりと言っては何ですが、これを預かってもらえませんか」

 

 スーツ姿の大人がスタッフに渡したのは、何やらメッセージカードのようです。

 生憎とカヨコからの視点では詳細がよく分かりませんが、このホテルに泊まっている客に向けた伝言でも書いてあるのでしょう。

 まあ今はそんなこと別にどうでも良いのです。

 カヨコは警戒心を解かないまま謎の人物に声をかけました。

 

「ちょっと待って。私が欲しがっているモノを既にあんたが用意してるって?」

「ええ、その通りです。カヨコさん……いえ、正確には貴女と同じ部屋に泊まっている栢間エスミさんが望むモノですが、私はそれを今すぐにでもご用意出来ますよ」

「……どうして彼女の名前まで」

「何てことはありません。他の方と同じで私も彼女の〝ファン〟ですので……数年前に彼女の偉大な美術愛を目の当たりにしたことで、勝手ながら色々とエスミさんの後ろ姿を追いかけていました。ああですがご安心を。決してストーカーという訳ではありませんよ?」

 

 スーツ姿の大人はそこで小包を取り出すと、それを丁寧に両手でカヨコに手渡しました。

 つい自然な流れで受け取ってしまったカヨコでしたが、視線を一度手元にある小包に向けると、続けて目の前に立つスーツ姿の大人へ移動させます。

 

「これは?」

「エスミさんの熱狂的なファンである私の知り合いに相談して取り寄せた画材になります。きっとエスミさんなら心から喜んで下さることでしょう」

「……あんた、あの祝賀パーティーに参席していた人?」

 

 カヨコとエスミがこの高級ホテルに泊まると決めたのはつい数時間ほど前の事です。

 決して数日前から予約していた訳ではありません。言ってしまえばその場の成り行きでホテル泊まりが決まったのであって、第一エスミは自身の行動予定を周囲に知らせるような人でもありません。

 という事は、考えられる話としては例の祝賀パーティーにこのスーツ姿の大人も参席しており、カヨコがエスミを連れてこの高級ホテルに足を運んだのを目撃していたという事になります。まあこうして文字にしてみると只のストーカーと大差はないのですが……スーツ姿の大人はしばし黙った後、静かに頷きました。

 

「当たらずといえども遠からず、ですね。何であれ私の動向を気にされた所で意味はありませんよ。もう間もなく私はゲヘナを発つところでして……最後にエスミさんにプレゼントを贈りたかっただけなのです」

「つまり、ただ単純にこの小包をエスミに渡したかっただけってこと?」

「はい。本来であれば受付のスタッフに頼むところでしたが……運良くカヨコさんがこの場に来られたので、これ幸いと直接お渡ししようと思った次第です」

「…………」

「おや、信じて貰えませんか?」

 

 そんなの当たり前だ。

 という言葉をぐっと飲み込み、カヨコはもう一度視線を小包に落としました。

 別に危険物が入っている様子はありません。爆弾とか危険物を入れるにしては軽すぎますし、何度か小包を揺らしてみても異音などは聞こえてきません。本当に画材をエスミに贈ろうとしているだけなのかもしれません。

 

(にしてはこの人……不気味だし、全然信じられないけど……)

 

 これは彼女の直感ですが、こいつは危険だと脳が警告音を鳴らしていました。

 しかし今のところ襲ってくるような気配はありませんし、見たところ完全に向こうは丸腰です。

 こちらはいつでも拳銃を取り出せる状況でありながら、向こうは腕を背中で組み『クックックッ』と独特な笑い声を漏らすだけなので、カヨコは目をほんの少しだけ緩めて肩をすくめました。

 

「…………分かった。私の方から彼女にこのプレゼントを渡しておく」

「ありがとうございます。それでは既に時間も時間なので私はこれで失礼します。カヨコさん、良い夜をお過ごしください」

 

 再び浅く頭を下げるだけの会釈をすると、スーツ姿の大人はそのままホテルの玄関口へと歩みを進めます。

 

「…………ねえ。あんたがゲヘナに来たのは初めからエスミに会うため? それとも別の理由なの?」

 

 最後に、カヨコは立ち去るその背中に向けて質問を投げると、向こうは歩みを止めないまま両手を大きく広げました。

 

「それは秘密です」

「……だと思った」

 

 常に最初から最後まで怪しさ全開だった人物です。尋ねたところで馬鹿正直に答えてくれるとは思いもしませんでしたが、カヨコは心の中で『エスミも随分と変なファンに好かれたね』と彼女の凄まじい人気ぶりに辟易するのでした。

 まあ芸術家として活動している以上、というより人気者には何であれ多種多様なファンが付くものですから、ああいう謎過ぎる人物もよく探せばあと数十人ぐらいは実在するのかもしれません。

 

 カヨコは手元にある小包を持ったまま、ふと視線を受付に向けると、そこには一連の流れを見てずっと困惑の表情を浮かべていたスタッフの姿がありました。

 

「……えっと……私は部屋に戻るから……お勤め、ご苦労様……」

「は、はい……おやすみなさい、ませ……?」

 

 お互い、例のスーツ姿の大人の介入でおかしくなったこの場の空気を変える言葉が思い浮かばず、何とも締まらない受け答えをするのでした。

 

 

 

≪1-4≫

 

 

 

「お帰り。思っていたよりも帰ってくるのが遅かったね」

 

 あれからしばらく後。

 小包を手にして部屋に戻ったカヨコを出迎えたのは、他でもない共にこの部屋で夜を明かす人物、エスミでした。相変わらず窓の近くでコップを片手に立ち尽くしており、ずっと窓から見えるゲヘナの夜景を目に焼き付けていたのかもしれません。

 

 そんなエスミですが、視線をカヨコからその手元にある小包に向けると、何やら不思議そうに首を傾げました。

 

「鬼方……それは、何?」

「……あんたのファンからの贈り物」

「贈り物? まあパーティー会場には私の絵を買ってくれた顧客もいたし、ゲヘナにもファンが居るのは知ってるからプレゼントぐらい贈られてくるだろうけど…………それより、私が頼んだボールペンと紙はどうしたの?」

「だから、これ……エスミが必要としてる画材らしいよ」

「……はい?」

 

 意味が分からないと言った様子で眉をひそめるエスミですが、それはカヨコも同じです。

 正直この小包を押し付けてきたあの謎の人物に直接理由を尋ねて欲しいと思いましたが、今頃どうせゲヘナ自治区から離れていることでしょう。とはいえ今はあの人物のことは気にしても仕方ないと、カヨコは小包をエスミに優しく渡しました。

 

「詳しいことは知らないけど随分と変なファンに好かれているみたいだね、エスミって」

「いや、私も事情が把握できなくて意味が分からないんだけど……ひとまず、この小包の中に画材があるんだね?」

「私にこれを押し付けてきた人はそう言ってたよ。エスミならきっと喜ぶってさ」

「……今まで知人以外から貰ったプレゼントで、私が心から喜べたモノなんて無いんだけどね……」

 

 そう苦笑したエスミでしたが、一応この小包を開封する気にはなったようで『ありがとう、鬼方』と礼を告げると、そのままテーブルの上に小包を置いて素早く開封しました。

 

「うわっ……凄い……これってもしかして……」

「……エスミ?」

 

 どうやら小包の中にあったものはエスミが声に出して驚くほどのものだったようです。

 最初訝しげに見ていたはずが、徐々にその目を輝かせると最後は口元に手を当てて喜びを何とか封じ込めようとしていました。彼女のそんな姿を見るのはむしろレアに近いため、カヨコは自然と彼女の傍に近寄ると小包の中に視線を向けました。

 

「……これって、鉛筆?」

 

 小包の中に入っていた物。それは鉛筆でした。

 芯が硬く薄いH9から、逆に芯が柔く濃いB6まで全種類揃っています。一応、全て箱にまとめて梱包されていますが、箱に年季が入っているため製造年が古い鉛筆のようです。

 とはいえ鉛筆に関してそこまで詳しくないカヨコからすれば、そもそもこの鉛筆に対しエスミが目を輝かせる理由が全く分かりませんでした。

 

 すると彼女の疑問に答えるべく、エスミが鉛筆を小包から取り出し口を開きます。

 

「これは鉛筆に使われている芯の中で、一番硬く折れにくい特殊な芯を使用している鉛筆だよ。床に落としても滅多に折れないし、絵を描いてる途中も力の強弱で勝手に折れる事もない。まさにデッサン向けの鉛筆なんだよね。実はかなり昔に一度生産を終了していて、これはその数少ない生き残り」

「……となると、かなりプレミアな鉛筆ってこと?」

「まあ最近になって再びメーカーが同モデルの生産を復活させたみたいだけど、この鉛筆が収納されている箱のデサインと製造年を見る限り、間違いなく昔の鉛筆だね。たぶん出品すれば値段にして5か6桁は行くと思う」

「6桁……エスミ、もしかしてそれを今から使う気?」

 

 まさか文房具で希少価値のあるモノを生で目にするとは思いませんでしたが、これを用意してみせた例のスーツ姿の人物はもちろん、これからこの鉛筆を使って絵を描く気満々でいるエスミに対し、カヨコは苦々しい表情をするのでした。

 自分だったら勿体ないのでまず使うことは無いでしょう。

 

 しかし、エスミは嬉しそうに頷きました。

 

「もちろん。元々この鉛筆は私みたいな芸術家向けに生み出された特注品で、当時でも値段は4桁を軽く超えていたらしいからね。桁が1つ2つ増えたぐらいで意味は無いし、そもそも私はお金を稼ぐ趣味もない。第一、鉛筆は立派な文房具なんだから、永遠に保管されるより人に使われてこそ本望だと思わない?」

「……鉛筆を相手にそういう思考を持てるのは、たぶんエスミみたいな芸術家だけだと思うよ」

 

 小遣い稼ぎが趣味で無くとも、貴重な代物故に保存したいと思うのは別に不思議ではありません。年代物というのは時にして貴重な時代の証言者であり、ある意味で当時を表す証拠品でもあるのですから。

 ですがエスミはそんな事は関係ないと言わんばかりに鉛筆をテーブルに置くと、続けて小包からやや小さめなスケッチブックを取り出しました。

 

「……流石。あえてクロッキー帳じゃなくて、スケッチブックを用意するなんて。鬼方にこの小包を渡したファンって随分と私のことを見ているんだね」

「あー……そうなんじゃない?……というか、えっと……今エスミが言った『スケッチブック』と『クロッキー帳』って何か明確な違いでもあるの? どっちも絵を描くための紙としか分からないけど」

「クロッキー帳は短時間で絵を描くための用紙で、持ち運びしやすいように1枚1枚紙の質が薄く作られているのが特徴だよ。言ってしまえばデッサンの練習用だと思って」

 

 続けて彼女は手に持っているスケッチブックを揺らします。

 

「そしてこれがスケッチブック。クロッキー帳とは違って、長い時間をかけて絵を描くために紙の質が厚く出来ているから水彩画にも使えるのが特徴。ちなみに私はこう見えて速筆だからスケッチブックを好んで使用しているよ。私がこのプレゼントの送り主に感心したのは、正にそこ。私のスタイルをちゃんと把握しているみたいだね」

 

 そうして鉛筆やスケッチブックを取り出したことで、もう何も残っていない小包を無造作にゴミ箱に捨て、改めて画材を手にした彼女はカヨコに向き直ると感謝の言葉を口にしました。

 

「本当にありがとう。あまりにも急な頼みだったから最悪ペン画で我慢しようと思っていたけど、こうして私の得意分野でこのゲへナの夜景が描けるなんて、とっても嬉しいよ」

「いや、それを用意したのはあんたのファンで別に私じゃないんだけど?」

「でも鬼方がこれを受け取って私に渡してくれたのは事実でしょ? そもそも君が受付の所に行かなかったら、こうして私の手元にこの画材が届くことは無かったんだから」

 

 エスミは喜びに満ち溢れた笑みを浮かべ、もう一度彼女に向けて感謝の言葉を伝えます。

 対してカヨコは『もういいから』と恥ずかしそうに顔を背けると、眩しすぎる少女の笑みを直視しないよう心掛けるのでした。エスミはそれを眺めて楽しそうに肩を震わせると、ふと手にしている画材について何か思う所でもあったのか、こんな事を尋ねてきました。

 

「ところで、この画材をプレゼントしてくれた私のファンって……もしかしてタキシードを着た双頭のマネキンみたいな人物?」

「タキシード……双頭……マネキン? いや、普通にスーツを着た大人だったけど?」

「……そう。彼じゃなかったんだ。残念」

 

 少し残念そうに、むしろ寂しそうに呟いたエスミの姿を見てカヨコは密かに『……彼?』と疑問を抱きました。普段のエスミにしては極めて珍しい反応だったため、無意識にカヨコの胸が強く反応します。

 とはいえそれを追求する気にもなれず、カヨコはそっと自身の胸に手を置いて小さく溜息を吐きました。

 

「まあそんな事より、夜が更けて街が暗くなる前に急いで絵を描かないと」

 

 さてさて、手元にやってきた画材を前にして創作意欲が遂にエンジンを回し始めたか、エスミは意気揚々と絵を描くために場のセッティングを始めます。

 しかしながら高級ホテルと言っても流石にイーゼルが用意されている訳でもないので、窓から見える夜景のベストポジションに椅子を動かし、そこに座って膝元にスケッチブックを置きました。

 

 そして足元近くに先ほど小包を捨てたゴミ箱を持ってくると、その上でおもむろにポケットナイフを取り出します。

 

「ちょっと、ホテルで流血沙汰は勘弁して」

 

 突然ポンッと現れたポケットナイフを見てカヨコが驚きの声を上げましたが、エスミは新鮮過ぎる反応を前にして、くすくすと笑みを零しました。

 

「大丈夫。こういう作業は手慣れているから安心して。それに、デッサンにおいてまず初めに鉛筆を削らないと意味が無いからね」

「だからってナイフはさすがに……そういうのって、鉛筆削り機は駄目なの?」

「んー、一応使っても良いけど……文字を書くのとは違って、なるべく芯を剥き出しにして描くのが主流だからね。なるべく自分の手で使いやすい様に削るかな」

 

 会話を続けながらも手元では慣れた動きで鉛筆を削っていくエスミ。

 鋭く研ぎ澄まされたナイフによって、カッターナイフとは違いあっと言う間に鉛筆が削れていくその光景はまるで職人技です。利き手にナイフを持ち、それを固定したまま鉛筆を持つ左手だけを動かして鉛筆を削るという単純な作業。

 世間ではこれが一般的な鉛筆を削る方法になるのですが、中にはナイフを持つ手を動かしたりするなど人によって違いはあります。しかしエスミの場合は利き手に余計な負担をかける訳にはいかないため、一般的な手法で鉛筆を削るのでした。

 

 カヨコはそれを黙って眺めます。

 

「……楽しい?」

 

 気付けばそんな質問が口から飛び出ていました。

 でも現に、ただ鉛筆を削るだけの作業にも関わらずエスミは何処か嬉しそうにしているのです。気になるのは当然でした。

 

「普通、作業に感想を求める?…………でも、君の言う通り楽しいよ。こういう事前準備も私は好き」

「……エスミとは2年ぶりに会ったけど、全然中身は変わらないね」

「そう? これでもトリニティで結構色んな生徒に関わって来たから、自分でも昔に比べてだいぶ変わったとは思うけど……」

「人間性の部分じゃなくて、そういう美術に一途なところ…………疲れた身体で寝る前に絵を描くなんて、キヴォトス全土を探してもエスミぐらいでしょ」

「いやいや、他にもいるから……トリニティとかワイルドハントとか、他の自治区ならきっと。美術に一途な人なんて絶対に私だけじゃないし、きっと鬼方もそういう芸術家たちに沢山会えるかもしれないよ?」

「…………私はあんたしか知らないし、知りたくもない……」

 

 彼女にしては珍しく寂しげな笑みを零して口にした一言でしたが、鉛筆を削るのに意識を向けていたエスミはその表情を見ることも、その言葉を聞き取ることも出来ませんでした。

 

 鉛筆を削る手を止め、顔をカヨコへと向けます。

 

「鬼方、今何か言った?」

「……ううん。ただの独り言」

 

 しかし生憎といつもの仏頂面に戻ったカヨコは首を横に振るだけでそう誤魔化すのでした。

 

「そう……あっ、時間も遅いし鬼方は先に寝てて良いからね。たぶん1時間か2時間後には絵も完成して私も寝るから」

 

 芸術には全く詳しくないカヨコですが、それでも窓から見えるこのゲへナの夜景をたったの2時間。しかもその手に持つ鉛筆だけで描くというのは、普通に比べて早すぎる作業ではないかと素直に感じました。

 とはいえ、じゃあ彼女が絵を描き終わるまでの2時間、こうして茫然と待つかと問われれば答えは否です。既に身体は限界を迎えようとしていました。

 故に彼女の気遣いに対し、カヨコは小さく頷き『シャワー浴びて横になる』と答えました。

 対してエスミは片手をひらひらと振りながら『分かった』と短く言葉を返します。

 

 その言葉を合図に、カヨコは静かに風呂場へと歩みを進めるのでした。

 

 しかし途中でふと足を止め、一度だけ視線をエスミへと向けます。

 正確には彼女の利き手に握られている、やけに高価で高品質な素材が使われている〝ナイフ〟に。

 

「…………」

 

 一体何を思うことがあるのか。

 カヨコの視線はじっとナイフに注がれ、やがて興味を失ったかのようにして風呂場への歩みを再開させるのでした。

 

 

 





栢間エスミの秘密・19

実は旅先で泊まるなら旅館よりホテル派。
ついでに補足すると風呂より断然シャワー派である。

※1人で湯舟に浸かれないだけ。

もしも仮にブルアカ世界に転生して生徒になれるなら、どんな武器を所持して愛用したいですか?(※作者は愛用するならリボルバーしかあり得ません.)

  • 拳銃(M1911,グロック等)
  • リボルバー(SAA、コルト・パイソン等)
  • 自動小銃(HK416、AK-47等)
  • 短機関銃(M1921、MP5等)
  • 小銃(M1ガーランド、Kar98k等)
  • 散弾銃(ベネリM4、AA-12等)
  • 機関銃(MG42、M249等)
  • 対物ライフル(AW50、ヘカートⅡ等)
  • 擲弾発射器(M79、ダネルMGL等)
  • 素手
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。