夢叶って画家になれた転生主は、ともかくブルアカ本編に関わりたくない   作:木暮鬼一

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栢間エスミ 『堕ちる天使』

 

 

 あれから数時間。

 

 例の祝賀パーティー云々の件以前に、ここの所ゲへナのあちこちを駆け回っていた鬼方カヨコの身体は既に限界を迎えており、シャワーを浴びおえてベッドに横たわった瞬間、あっと言う間に眠りの世界へと旅立っていました。

 また2年ぶりにエスミに再会するという事もあって、どうやら不安と緊張で身体に随分と無理をさせていたようです。気力だけで今日一日動き回っていたのでしょう。

 全く夢も見ることがないほどカヨコは熟睡していました。

 

 そうしてまだ太陽が昇る少し前の明け方。

 ホテルのベッドが身体に合わなかったのか、それともショートスリーパーな体質なのか。どちらにしろ、起きるにはまだ早すぎる時間帯にも関わらずカヨコは自然と目が覚めてしまい、続けてのろのろと身体を起こしました。

 

「…………何時?」

 

 睡魔に負ける前の自分がしてくれたのか、充電器に挿したままのスマホを手に取り時間を確認すると、まだ二度寝しても全く問題が無い時間であることを確認でき、カヨコは嫌そうに溜息を吐きます。

 出来れば早朝で起きたかったと、カヨコは困った表情と共に周囲を見渡しました。

 

「……流石にエスミも寝てるよね」

 

 カヨコが寝落ちする前、スケッチブックと夜景を交互に見ながら必死に絵を描いていたエスミも、今ではカヨコの隣にあるベッドで可愛い寝息をたてながら熟睡中です。

 彼女が昨夜、夜景を見ていた窓は既に分厚いカーテンで閉められており、外の景色を完璧に遮断していました。テーブルにはスケッチブックと箱にしまわれた鉛筆の姿があるので、しっかり後片付けをしてから寝るタイプだったようです。

 

「…………静か…………」

 

 だいぶ暗闇の中でも目が冴えて来たカヨコは、このまま二度寝でもしようかと考えましたが、まだ明け方と言うこともあり非常に静かなこの時間にふと意識を集中させました。

 毎日毎日、ドンパチや騒きが絶えないゲへナの数少ない平穏な時間です。

 エスミは窓から見えるゲへナの夜景に心底夢中でしたが、カヨコからすればこの時間こそ心奪われるゲヘナの〝景色〟と言えます。

 

 するとここで何を思ったか、彼女は自身の瞳を隣のべッドで眠るエスミに向け、ゆっくりと拳を握りました。

 

「……エスミ……エスミ、起きてる?」

 

 起こす為では無く、起きているのかどうかを確認する小さな声。

 そのまま何度かエスミの名を呼んでみますが、特に反応を返すことはありませんでした。

 文字通り、熟睡中です。今なら彼女に〝何〟をしてもすぐに起きる事はないでしよう。

 

「…………」

 

 遂に何かを決心し、カヨコは静かに自身のベッドから降りると、ゆっくりとエスミのそばまで近づき、そのままベッドの端に腰掛けました。その瞬間、僅かながらにベッドが『ギッ』と音を立てて軋みましたが、寝ている主は全く起きる気配がありません。

 

 依然として外では太陽の姿もなく、部屋は真っ暗なまま。

 しかし既に目が冴えて夜目もきいてきたカヨコの真下には、栢間エスミの寝顔があります。

 

「…………エスミ」

 

 もう一度、彼女の名を呼びます。

 ですが先ほどと同様、熟睡している彼女はそれに反応を返すことが出来ません。

 それでもカヨコは何度も『エスミ』と優しく、むしろ愛しく名を呼び続け、今度は彼女の布団をめくり始めました。

 

 とはいえめくると言っても全てではありません。彼女の胸元まで、です。

 

 すると布団をめくられ、ほぼ上半身を露出する形となったエスミは異変を感じ、僅かながらに眉をひそめつつもモゾモゾと身体を動かしましたが……それだけです。熟睡というより爆睡に近い今の彼女は、この程度では起きないのでしょう。

 その様子をカヨコは黙って見つめると、視線を彼女の顔から胸元までゆっくりと動かしました。

 

「……綺麗……」

 

 寝間着ではなく、ホテルで用意された館内着を身に着けている今の彼女はその豊満なスタイルが嫌でも目立っており、彼女の寝息に合わせて胸がゆっくりと上下に動いています。

 ちなみに彼女、着る服は何であれきっちりと着こなすタイプなのでしょう。無暗に動けば脱げやすい館内着を身にまといながら、熟睡中の彼女の館内着は全く乱れていません。

 それが却って彼女のスタイルの良さを強調させているのですが、むしろ余計に……彼女の美貌も相まって、美しい人形がそのままベッドで横たわっているような、ある意味で不思議な錯覚を起こし始めていました。

 

 だからこそ、これは不可抗力なのです。

 

 本当に目の前にいる少女が自分と同じで生きている人間なのか、それを確かめるようにしてカヨコの手がそっとエスミの胸に置かれました。

 初めて彼女と電車の中で出会い、成り行きで抱き着いてしまったあの日以降、久しぶりに感じたエスミの胸の感触。自分より遥かに大きくて柔らかいそれに手を沈めていき、そのまま彼女の胸の鼓動を感じ取りました。

 

 トクンッ、トクンッ。

 

 一定の間隔で鼓動する彼女の心臓。ああ間違いありません。彼女は確かに生きています。

 決して人形なんかではありません。

 するとカヨコは片手を彼女の胸に置いたまま、もう片方の手で自身の胸の鼓動を確かめました。今のエスミは寝ているおかげか非常に落ち着いた鼓動をしていますが、対して自分の心臓はこの状況に緊張か興奮でもしているのか、酷く荒れた鼓動をしています。

 この静かすぎる空間の中では、あまりにも大きく耳障りな自身の鼓動。実質、人の寝込みを襲っているのですから当然の反応と言えます。

 

 これでも表面上は冷静を装っているのですが、身体は正直とよく言ったものです。

 

「……こんな事をされても、あんたは起きないんだね……」

 

 彼女の胸から手を離し、続けてカヨコは自身の身体を倒して彼女に覆いかぶさりました。

 その拍子でカヨコの綺麗で長い白髪が垂れ、エスミと自身以外を阻むカーテンのような役割を担い、増々2人だけの空間を形成しました。

 

「……どうして、そんな寝顔をするの?……どうしてエスミは、私の前でこんな無防備な姿を晒すの?」

 

 カヨコはそっと彼女の頬に手を添え、優しく、小さく、それでいて熱のこもった言葉を投げます。

 

「私は今にも心臓が破裂しそうなぐらい緊張して……この状況に酷く興奮しているのに……なのにあんたは、そんな可愛い寝顔を私に見せつけて……ここが何処か、分かってる?」

 

 それは問いかけているようでしたが、違います。

 彼女は確認しているのです。自身が今取っている行動を正当化するかのようにして、未だ異変に気付いて目を覚まさないエスミが全て悪いとでも言うように。

 カヨコは彼女の耳元に口を近づけ、言葉の続きを囁きました。

 

「ここはね、ゲへナ……ゲヘナだよ、エスミ……法も秩序も崩壊寸前の混沌とした場所……気軽に足を踏み入れたらいけない、キヴォトスで最も危険な自治区…………それなのに、そんなゲヘナの生徒の前でずっと眠り続けるなんて、ほんとエスミは危機感が無いね……もしかして……エスミって、〝堕天使〟にでもなりたいの?」

 

 そういえばエスミは、画家としての職業を手にしておきながら美術の為いつでも対策が練れるようにと、裏では密かに情報屋として活動していると本人の口から聞いたことがありました。

 その際の活動名は『ウリエル』。

 聖書云々にあまり興味を示さないカヨコですが、エスミからその名を聞いて好奇心から調べたことがありました。何でも、ウリエルとは美術をこよなく愛し、かつ未来を予見してみせたという大天使でありながら、 後に堕天使としての烙印を押され抹消された存在。

 

 ああ、なるほど。

 

 一部では天使の学園とも称されているトリニティ総合学園の生徒が、悪魔の学園と言われているゲへナ学園にやって来て堕落する。今のエスミとカヨコの状況は、正にそれに適していると言えます。

 とまあ生憎とエスミの背中には天使のような立派な羽はありませんが、その慈愛に満ちた人柄は間違いなく天使と呼べるものです。

 

 その天使を……今も尚、日々の疲れで爆睡し無防備な姿を晒し続けているこの魅力的な天使を、自身の手で堕落させることが出来る。

 白状しましょう。カヨコは今まさに、胸が躍っていました。

 

「……エスミが悪いんだからね」

 

 ゲへナに生まれた生徒としての暴走か。

 それとも、前々からエスミに対しそういう気持ちを抱いていたのか。

 

 もしくは、ただの気の迷いか。

 

 残念なことにそれを証明してくれる者はいません。

 カヨコは最後に一言だけエスミの耳元で『———』と何か囁くと、一旦顔を離しました。

 

「……すぅ……すぅ……」

 

 笑える事に、エスミは今も夢の旅を続けています。

 多忙の身でありながらトリニティから飛んできて、カヨコと共に祝賀パーティーに出席し、そのまま休む間もなくホテルで絵まで描いていたのです。利き手の障害のこともありますが、彼女はどうも身体を限界まで酷使してしまう悪い癖があるのでしょう。

 こうして眠っている姿は非常に愛らしいものですが、カヨコにあれだけの事をされておいて滅多に起きる気配がないとなると、むしろ逆に心配になります。

 

「今だけ……今だけは……このまま起きないで」

 

 ですが今のカヨコは心配よりも安堵が勝っていました。

 こんな醜く、欲望に突っ走ろうとしている自分を見て欲しくない。それに気付いてほしくないといったカヨコの身勝手な願望でしたが、それに応えるかのようにエスミの瞳が開く事はありませんでした。

 

「……嫌なら……ちゃんと抵抗して……」

 

 眠っているエスミにそれは出来ないと分かっていながら、わざとそう口にするカヨコ。

 

 直後、エスミの頬を優しく撫で始めた彼女は首元に顔を寄せると……自身の唇をその首元に押し付け、キスをしました。

 それは最初、肌に触れる程度の浅いキスでした。ですが徐々にカヨコが唇を押し付けていき、気付けば歯を出して優しく噛み付くようになったのです。

 

「…………んっ……ぅ……ぁ……」

 

 耳に聞こえてくるのはエスミの吐息の乱れと、微かな喘ぎの声。

 眠っているとはいえ、強欲にも首元を噛まれているのです。眠っていても多少の痛みを感じていることでしょう。しかしカヨコからすれば初めて聞くエスミの声です。

 

 もっと聞きたい。

 

 もっと感じて欲しい。

 

 もっと触れたい。

 

 普段は冷静で落ち着きのある鬼方カヨコも、この時ばかりは自身の衝動を抑える事が出来ないでいました。理性を無くせば、その分本能が動き出します。

 気付けば彼女の上半身はエスミの身体にぴったりとくっ付き、彼女の大きな胸を自身の胸で圧し潰していました。

 それでも、出来る限り体重を乗せないよう気を付けてはいますが、だからと言って潰されている側からすれば息苦しい事に変わりはありません。事実として首元への刺激も相まってエスミの呼吸は段々と乱れていき、口から漏れ出てくる『あっ……んっ、あ……』という喘ぎ声がよりカヨコを魅了させていきました。

 

「…………こんなものかな」

 

 そして満足したようにカヨコが首から離れると、そこにはエスミの白く綺麗な肌にくっきりと残る大きな歯形が…………カヨコは心の奥に何かが灯されるのを感じ取ります。

 

 支配。そして、独占欲。

 

 キヴォトス全土でも名が知られている有名人の栢間エスミ。尊敬を集め、期待され、誰もがその隣に並びたいと熱望する魅力に溢れた少女。

 そんな少女の綺麗で美しい首元に付けた、カヨコの歯形。彼女だけの特別な証。

 血を流さないようと優しめに噛んだとはいえ、エスミの肌が白すぎるあまり異様にも目立つその歯型をカヨコは自身の指でなぞりながら満足そうに笑みを零します。

 

 そのまま首元から首へ、そして彼女の顔へと指を動かし……トンッ、とある部分でその指を止めました。

 

 彼女の指が止まった場所は、エスミの唇でした。

 

「……こんな事をされてよく起きないけど。もし、そこに私がキスをしたら……エスミは覚ましてくれる?」

 

 もしそれで運良く、いえ運悪くエスミが起きたとしましょう。

 正に、王子のキスで目覚める眠り姫です。あれだけエスミが嫌っていた姫様扱いとやらも、そうなってしまえば意地でも認めざるを得ません。

 

 さて仮に目を覚ましたエスミが、自身の寝込みを襲っているカヨコの姿を見て、まず最初に抱く感情は何でしょうか。

 

 恐怖でしょうか、それとも困惑?

 あるいは質の悪い夢とでも思うかもしれません。なら刻みましょう。

 その身体に、その脳に、長年カヨコが抱いていた想いを深く深く植え付けてあげましょう。これは夢なんかではありません。

 現実です、現実なのです。

 

「エスミ」

 

 カヨコは再び彼女の名前を呼び、そっと肩に手を置くと、ゆっくりと顔を下ろしていきます。

 何度、隙を見て見つめていたか分からないエスミの唇。

 他人と深く関わるのを避けたがるくせに、ちゃんと向き合ってカヨコの心に響く言葉を出してくれるその唇。

 いつの日か、彼女の心を射止め、その唇に最初に触れる権利を手にする者が現れることをこの数年間ずっと恐れていました。

 でも違う。今は違う。

 彼女の近くにいるのは他でもないカヨコです。カヨコだけなのです。

 ここにはエスミの知り合いの姿はありません。熱狂的なファンの姿だってありません。

 

 恐れることは無い。心配する必要もない。

 彼女の……栢間エスミの前に居るのは……鬼方カヨコだけです。

 

「…………」

 

 さあ、彼女の唇に触れるまでもうあと少しです。

 徐々にエスミの肩を掴む手に力が入ってしまいますが、それすら気付かないほどカヨコは暴走しています。むしろその勢いを利用しているのでしょう。

 

 そして遂に唇に触れようとした、その瞬間。

 

「……き、り……ふじ……」

「……っ!?」

 

 ボソッと呟かれた言葉が、カヨコの動きをピタリと止めました。

 いいえ、むしろ驚きのあまりエスミから顔を離したカヨコは、そのまま驚愕した表情で彼女の顔を見つめていました。

 

 そして意味が分からないといった様子で口を開きます。

 

「……だれ……だれなの、その〝きりふじ〟って?」

 

 今まで、カヨコの前でエスミの口から他人の名前が出たことはまずありません。

 

 強いて言えば2年前に『ツクス』という名の生徒会長の存在を教えてもらったぐらいですが、元々トリニティの住人である彼女にとって、いくら彼女本人の危機管理が酷いとはいえゲへナの地でそう簡単に知人の名を出すことは決してありませんでした。

 

 だからこそ衝撃だったのです。よりにもよって寝言で他人の名が出て来たことに。

 もちろん、その『きりふじ』という言葉が絶対に人の名前を指していると判明した訳ではありません。

 

 それでもカヨコには分かりました。全く根拠のない自信ではありますが、分かるのです。

 彼女がこの状況下で『きりふじ』と呟いた事を……その意味を。

 

「……最悪っ……!!」

 

 気付いた時にはもう、カヨコは彼女のベッドから降りて部屋の洗面所へと駆け込んでいました。

 洗面所の蛇口をひねり、冷水をこれでもかと勢いよく出し続けます。カヨコはその溢れ出てくる水に手を伸ばすと……そのまま自身の顔に水を浴びせました。

 それはもう何度も何度も何度も……顔にこびりついた汚れを落とすような、むしろ纏わりつく邪念を冷たい水で洗い落そうとしているかのような、ともかく必死な動きでした。

 

「……はあっ……はあっ……はあ……くっ……!!」

 

 やがてカヨコはもう十分だと再び蛇口をひねり、水を止めます。

 すると常に勢いよく水を顔に浴びせたため、顔だけでなく前髪も濡れてしまい、髪先からポタポタと水が滴り落ちていきました。それらの水滴が合わさり、一筋の道となって排水溝へ流れていくのを彼女は黙って見届けます。

 

「…………ほんと、意中の人がいるなら余計に自分の身をちゃんと守ってよ……あの美術バカ……」

 

 悔しそうに、そして悲しそうに言葉を吐き、カヨコは無理やり苦笑いを浮かべます。

 

 危うく好きな人がいるにも関わらず、強引にもエスミを自分のモノにする所でした。

 先ほどまで寝込みを襲うとかいう最低最悪な事をしていたカヨコが言えた義理ではありませんが、片想い中のヒロインを横から奪い取るようなNTR趣味はありません。

 あんな行動を取ったのは、てっきりエスミが誰にも恋心を抱いていないと勘違いしていたからなのです。

 

 ですが、しかし……。

 

「でもやっぱり……意味わかんない……あんなに私に親しくして……2年も会ってないのに、無理にトリニティからやって来て…………私のためにドレスなんかも選んでくれて、一緒にホテルで泊まるとか……普通に勘違いするでしょ…………あんな……あんな……思わせぶりな態度……こんな気持ちになるぐらいなら、むしろ来ないで欲しかったよ……エスミ」

 

 気付けば顔から滴り落ちる水滴の勢いが増しました。ポタポタと再び水滴が落ち、一向にやみません。

 しかしこれは…………これはただの水滴ではありません。涙でした。

 

 カヨコは今、悲しさのあまり泣いているのです。

 

「……はぁ……何してるんだろ、私…………欲望に負けて寝込みを襲うとか、バカみたい……」

 

 コツンッ、と洗面所の鏡に頭を押し付け、カヨコは瞳を閉じながらそう呟きました。

 

「やっぱり……私には……天使を〝堕とす〟なんて荒業、無理だよ……」

 

 それからしばらくの間、カヨコは洗面所に籠りました。

 当然、傷ついた自身の心を癒すため。何より、彼女の信頼を裏切った事に対する罪悪感。その気持ちの整理をするために。

 常に孤独で誤解されがちな人生歩んでいた彼女にとって、栢間エスミという少女はそれほど特別な意味を持つ、大きな存在だったのです。

 

 

 

《1-2》

 

 

 

「それじゃあ、ここでお別れ……になるのかな?」

「うん。ここで良いよ」

 

 翌朝。

 ホテルから出て、少し歩いたところで1台のタクシーを待たせたまま、エスミはそう少し寂しげに尋ねると、カヨコは微笑し大きく頷きました。

 

「てっきり君の事だから最後まで送り届けるのかと思っていたけど……珍しいね」

「まあ……もう私が傍にいなくても大丈夫でしょ、あんたは」

 

 肩をすくめ、やれやれといった様子でそう呟いたカヨコ。

 エスミはそんな彼女の表情をじっと見つめ、小さく首を傾げます。

 

「そう。ようやく私をお姫様扱いするのを諦めてくれたんだね。むしろ良かった」

「だけど帰りの列車で寝ないでよ。ゲヘナを出るまで絶対に気を抜かないで」

「前言撤回。やっぱりお姫様扱いしてる……」

「あんたは危機管理が無さすぎる。今日はアコも仕事があって呼び出せないから、帰りは護衛無しなんだからね」

「はいはい。鬼方は心配性だね」

 

 エスミは腰と脇のホルスターに収めている愛銃を指しながら『ちゃんと自衛は出来るから』と答えます。

 

「それでも列車の中で寝てたら意味ないから」

「大丈夫。君が予約してくれたホテルのベッドのおかげでよく眠れたから流石に昼寝なんてしないよ。むしろ君の方が心配だけど」

「どういう意味?」

「今朝、私より起きるのが遅かったでしょ。私が言えた事じゃないけど、無理はしないでね」

「…………」

 

 確かに今朝、カヨコはかなり遅い時間まで寝ていましたが理由は明白です。

 しかしそれを口にする訳にはいきません。あれは自身が道を踏み外しかけた、一番の黒歴史として闇に葬るべき出来事であり、エスミに話していい内容でもありません。

 

 あの後、結果的に気持ちの整理がついたと強がってベッドに再び潜り込んだカヨコでしたが、思いのほか『失恋』という精神的ダメージは大きく、それを癒そうとするあまり眠り込んでしまい、気付けばエスミに起こされる形で朝を迎えたのです。

 

『おはよう。もう朝だよ、鬼方。ふふっ、ぐっすり眠ってたね』

 

 心地良い声。そして寝起きであっても綺麗で美しいその顔でカヨコを見つめながら、エスミはそう笑みを零しました。

 正直、すぐにでも彼女の手を握り、自身の布団に引きずり込んで抱きしめたいと、カヨコは強く感じました。彼女と結ばれれば、こんな素敵な朝を何度も迎えることが出来るかもしれない。常に一人でいることが多い人生の中で、必ず一緒になれる時間を手にすることが出来るかもしれない。

 その笑みをもっと自分に向けて欲しい。

 その言葉を、瞳を、もっと自分だけに注いでほしい。

 

『…………おはよう……エスミ……あっ』

 

 しかしエスミの首元にある歯型を見て、カヨコは今すぐにも吐きたい気持ちになりました。

 彼女を求めて暴走し、自分が付けた歯型。白い肌にくっきりと残るそれは、自身の過ちを思い出すのに十分な存在感を示していました。

 故にそれを見続けていたのが悪かったのでしょう。カヨコの視線に気づいたエスミは、ふと自身の首元に視線を向けると、次の瞬間には困ったように眉をひそめました。

 

『ああ、これ? 洗面所で顔を洗おうとしたら私も気付いたよ』

『エスミ、それ……』

『ふふっ、一体何だろうね。この痕が出来た理由は〝分からない〟けど、なんとか私服で隠せるから大丈夫。そう心配しないで』

『…………分かった』

 

 本当に気付いてないのでしょうか?

 首元に出来た歯型。自分とカヨコ以外誰も入ることのできないホテル部屋で、翌朝には付いている目立つ首元の痕。

 いいえまさか、そんなはずがありません。相手は美術を愛する芸術家でありながら、普段は数多の権力者や政治家を相手に立ち回ってみせる優れた観察眼と知識を持つ人物です。

 ですからエスミは気付いているはずなのです。これを付けたのが誰か。そして付けた意味すらも。

 しかし彼女はこの場で問い詰めることも、嫌がる様子もなく、ただ優しくそう言葉を投げて来るだけでした。

 

 ええ、そうです。

 カヨコは気を遣われたのです。よりにもよって、恋した彼女に。

 あんな行動さえしなければ。彼女に恋さえ抱かなければ。

 今頃きっと、後悔や罪悪感を抱くことなく〝ただの知人〟として素敵な朝を迎えることが出来たはずでした。

 

「鬼方。本当に大丈夫?」

「心配しないで。私は平気」

「本当に? たまには好きなバンドのライブに行って気分転換とかしてみるのはどう?」

「……良い考えだね。検討してみる」

「是非そうしてね」

 

 こうしてホテルを出た後でも何事もなく、ただ普段通りの姿を見せているのもエスミなりの優しさなのでしょう。きっと。

 しかしカヨコは限界でした。

 彼女に失恋した挙句、今まで隠していた想いすらも気付かれ、こうして心配されている。

 情けない。情けなさすぎる。これ以上、こんな姿をエスミに見せたくありません。

 

 だからこそ、ここでお別れです。

 

 無事にエスミがゲヘナから出ていけるのか心配ではありますが、正直これ以上彼女の傍にいるのは無理です。

 心が、持ちそうにありませんでした。

 

「……ほら。もうタクシーも長いこと待たせてるから、早く帰りなよ」

「……そう。えっと鬼方、もし君が良ければ今度トリニティに——」

「行かない……そういう気遣いはいらないから……」

「ごめん。軽率だったね」

「気にしないで。エスミが優しいのはよく知ってるし、いつも助けられてきたから」

「…………いつの日か、会えると良いね」

 

 また会おう。ではなく、会えると良いね。

 それを聞いてカヨコはくすっと笑みを零すと返事は返さず、頷きます。

 

「……そうだ。鬼方、これ渡すね」

 

 するとエスミはここで何やらカヨコに手渡してきました。

 一体何かと思った彼女でしたが……渡されたのは絵でした。しかも昨夜エスミが必死に描いていた、ホテルの窓から見えるあの夜景です。

 

「……これ、なんで私に……」

「君に、もっとゲヘナの良さを知ってほしくて。あんな綺麗な夜景、そう簡単に目に出来ないよ? 鬼方はこれからもゲヘナに居るだろうし、きっと素敵な友達や仲間も出来るはず……いや、絶対に出来る。だからそれまでの間、ゲヘナの良さをもっと沢山知って心を休ませて。この夜景はそのための第一歩」

 

 エスミが描いた絵は、実際の夜景と見比べても決して見劣りしない素晴らしい出来栄えでした。

 美術に疎いせいで感性も評価もまだまだなカヨコですが、それでも彼女が描いた絵である事から大きな価値を持つのは確かでしょう。噂を聞きつければ誰もがこれを欲しがるかもしれません。

 そんな絵をカヨコのために渡してくれた。カヨコの胸が微かに温まります。

 

「ありがとう。大事にするね」

「もしお金に困ったりしたら、それを売っても構わないから」

「売らないから。エスミから初めて貰ったプレゼントなんだし、宝物にする」

 

 ここにきて、ようやく自然で明るい笑みを浮かべたカヨコは最後にこう尋ねました。

 

「ねえ、エスミ……最後に、本当のことを聞かせて。どうして今回、2年ぶりにゲヘナに来たの? トリニティのあんたからすれば、正直無関係な話だったのに」

 

 その言葉を聞き、エスミは一瞬だけキョトンとした表情を浮かばせましたが、次の瞬間『ふふっ』と笑い声を漏らしました。

 そして右手をそっと差し出し応えます。

 

「決まってるでしょ。君に…………鬼方カヨコに、私が会いたかったから」

 

 その言葉を聞きカヨコは口をつぐむと、そのまま呆れたように笑い、顔を逸らしました。

 

「ほんと、最悪……何でそう勘違いさせる言葉を平気で言うのかな……」

「それはもう噓偽りのない本心だからね。現に2年も会ってなかったし。君とこうして話すのが楽しみだったよ」

「……またそうやって恥ずかしいこと言う……」

 

 カヨコはそこで溜息を吐くと、自身も手を差し出しエスミの〝右手〟をぎゅっと強く握りました。

 

「でも来てくれて嬉しかった……ありがとう」

「私も久しぶりに会えて良かった」

 

 2人はそのまま『またね』とは言葉を続けませんでした。

 

 握手を終え、エスミは黙ってタクシーへと歩みを進めます。その後ろ姿を眺めながら、カヨコはもう一度溜息を吐きました。今度は悲壮感漂う溜息です。

 

「……これで良い……この決断で間違ってない……私はもう、彼女の傍にいたら駄目……」

 

 車の扉がしまり、窓越しにエスミと視線が交差します。

 カヨコは片手をそっと挙げて、優しくゆっくり手を振りました。するとエスミも手を振って返してくれました。それを合図のように、タクシーが出発します。

 行先はゲヘナの駅で間違いないでしょう。

 

 もし彼女がこれ幸いと別の行先なんか選んでいたら、もし自分がそこに同乗していたら、ほぼ十中八九それを止めるか最後まで付き添っていたはずです。

 しかしそれはもう無理な話です。

 自分はもう彼女の傍にいれないのですから。

 

「……雨、降りそう」

 

 ふと頭上を見上げ、空を覆いつくそうとしている雨雲を眺めながら、カヨコはそう呟きました。

 思えばエスミと共に行動している時はいつも、明るく慈愛に満ちた彼女の存在を表すように天気は常に晴れでした。彼女が去った今、こうして姿を現した雨雲は今のカヨコの心境を物語っているのかもしれません。

 

「……せめて……『愛してる』って伝えたかったな……」

 

 もう伝えることのない言葉。

 カヨコは自嘲気味に笑うのでした。

 

 

 

≪1-3≫

 

 

 

 揺れるタクシーの中、ぼんやりと外を眺めながらエスミはこの数分間ずっと無口でいました。

 

「…………」

 

 時々、視線を自分の首元に向け、歯型のある個所を手で撫でたりしますが、それだけです。

 彼女は小さく息を吐き、コツンッと車の窓に頭を置きます。

 

(……私、カヨコとの接し方を間違えてたのかな……)

 

 既に遠く離れた高級ホテル。そのすぐ外で別れたカヨコを思いながら、彼女は心の中で反省しました。

 彼女にとって鬼方カヨコという生徒は、ブルアカ原作に出てくる人気キャラというだけでなく、同い年の気が許せる貴重な知人であり、頼もしい味方でした。

 正直、政治がらみの問題や空気が重いトリニティで長く過ごしている分、カヨコのああいう遠慮のなさと政治に無関係な立場はエスミにとって非常に心の助けとなっており、つい今まで以上に無防備な姿を晒していた自覚はあります。もしその様子をナギサやセイアが見ていたら、さぞかし嫉妬で怒り狂っていた事でしょう。

 

 しかし相手はあの鬼方カヨコです。

 

 冷静で落ち着き払った人格。優れた戦闘技術を持ちながら、一人で居る事が多い少女。後に便利屋という組織に籍を置き、彼女にとって大事な場所を手にする事になるのですが、今はまだ孤独な一匹狼的な側面が目立っていました。

 今はもう美術部の部長という役職に身を置いているエスミですが、それでも以前まではカヨコのように群れる事を好まず、常に孤独でいた過去があります。そんな彼女にとってカヨコはある意味で同類であり、仲間だったのです。

 

 だからこそ、彼女に対し気を許し過ぎたのでしょう。

 

 カヨコなら自分に対し変な感情を持つことはないと信じていたが故に、翌朝起きて自身の首元にくっきりと付けられた歯型を見た時は流石のエスミも酷く動揺してしまいました。

 独占欲の表れ。

 過去に成り行きでミカに冗談でキス痕を付けられたことはありましたが、それに比べれば歯型というのは中々にインパクトが大きく、嫌でもエスミに対するカヨコの本心を察してしまいます。

 まあとはいえ、カヨコ自身かなり罪悪感を抱いていたのでしょう。エスミの首元に歯型を見た瞬間、彼女の顔は見る見るうちに青ざめていったので、カヨコにとって首元に痕を付けるという行為はだいぶ行き過ぎだったのかもしれません。

 

 生憎とエスミは寝ている時の記憶が一切なく、むしろ一度寝てしまえば滅多に起きないという厄介な体質をしているため、どうしてカヨコがエスミの首元に歯型を付け、そしてそれを後悔しているのかは今のところ不明です。

 分かるとしたら少なくとも自分に対し恋心を抱いていた、という事ぐらいです。

 自分が寝ている間に何かがあったのでしょうか。何が、彼女にそんな苦い思い出を与えてしまったのか。

 どちらにしろ、カヨコが自ら望んでエスミと距離を取ろうとしているのは薄々感じ取ったので、恐らく今回が最後の出会いとなる事でしょう。もう彼女の方から誘いが来ることは皆無であり、こちらから接触を図る訳にもいきません。

 ある意味、これでようやくブルアカキャラの1人との接点は無くなったとも言えます。以前のエスミであれば朗報として受け取った事でしょう。

 

「…………どうして、私を好きになったの……カヨコ」

 

 ですがこの結果に心から喜ぶ事はなく、むしろ悲しそうに溜息と共に呟かれたエスミの言葉はそのまま誰の耳にも届かず、空中で分散しました。

 

「……駄目だ。ちょっと気分転換しないと」

 

 ブルアカキャラとなるべく親密にならない。

 当初はそういう考えを持って今日まで生きて来たエスミですが、ストーリーへの影響云々以前に人の人生を左右するような体験をさせてしまったのは非常に後味が悪いです。

 きっとあのカヨコなら乗り越えてくれるとは思いますが、大事な青春を送る日々の中で彼女を振り回したのは他でもない自分なのです。

 

 これでよくブルアカキャラ全員を愛する箱推しオタクと言えたものです。彼女の心に1つの傷を負わせたのですから。

 

(……はぁ……あぁ、今ならあの指示に従ってみようかな)

 

 するとエスミはここで、おもむろに1枚のメッセージカードを取り出しました。

 少し前、カヨコの代わりに受付でチェックアウトを取っている最中、受付のスタッフから『栢間様宛にお届け物です』と言われ渡されたものです。

 さて何だろうか、とその場で一旦目を通したエスミでしたが、そのメッセージカードに記されていたのは意外なものでした。

 

【栢間エスミさんへ。ゲヘナ自治区の外れに、かつてトリニティ出身の人々が住んでいたとされる街があります。芸術的価値のあるモノが多く残されているため、きっとエスミさんも気に入って頂けることでしょう。是非とも足を運んでください】

 

 随分と丁寧な言葉で記されていたそれは、エスミにとある街を訪れて欲しいと願う謎の人物からのメッセージでした。

 流石にこんな訳の分からないものを突然渡されたエスミは怪しく思い一旦は無視したのですが、今は正直何でもいいから気分転換できるのなら喜んで向かおうと考えが変わっています。

 

 それに芸術的価値のあるものと聞かされて、彼女の美術愛が震えない訳がありません。

 

「すみません。このタクシーの行先ですが、駅では無く違う場所でお願いします」

「えっ、ま、まあお客さんがそう言うのなら……それで、どこに行きたいんです?」

 

 メッセージカードに記されていた街の名前に目を向け、エスミは肩をすくめながらこう答えました。

 

「ソドム……名前はソドムです」

 

 

 

≪1-4≫

 

 

 

 ソドム。

 

 エスミの前世では『ソドムとゴモラ』という名で有名な、旧約聖書の創世記に登場する神の怒りによって滅ぼされた2つの街、その片方の名前です。

 非常に堕落した人々が住む街であり、ロトという男とその家族の下にやって来た天使に性的暴行までしようとした事や、天使の引き渡しを拒絶したロトにまで危害を加えようとしたため、最終的に天使によってソドムとゴモラ共に滅ぼされるという、簡潔に話せばそういう物語になります。

 元より悪徳の街として有名であり、神の意志で滅ぼされることは決定事項だったのですが、街における唯一の良心であるロトのために、その叔父アブラハムが神に必死に頼んで『街に善人が10人いるなら滅ぼさない』という約束を取り付けるのですが、上記の通りその10人すら満たさなかったため、ロトと娘2人を除き街の人々は全員滅ぼされたのです。

 

 ちなみにノアの箱舟と同じく神による天罰の象徴として非常に名高いエピソードであるため、よく数多の芸術家の手によって様々な絵画が存在しています。

 ほとんどは街に降り注いだとされる炎の雨を描写したものや、街から逃げようとしているロトとその家族一行の姿などですが、エスミが一番記憶に残り、かつ一番好きなのはギュスターヴ・モローによって生み出された名画『ソドムの天使』になります。

 

 これは街の上に浮かぶ2人の天使を描いた絵画であり、街を滅ぼす前を描いたのか、それとも滅ぼした後の描写なのか、詳しいことは不明ですが非常に恐ろしさを感じさせてくれます。

 そのため聖書から抜粋されたシーンを描いた絵画の中では、かなり上位に入るほど好きなのですが、まさかその前世の記憶を受け継ぎ、こうしてその名を擁する街に足を運ぶことになるとはエスミ自身思ってもみませんでした。

 

「……ここが、ソドム」

 

 しかし、いざその街に降り立ったエスミは非常に残念な声を漏らします。

 

「何もここまで聖書通りにしなくても……」

 

 彼女の目の前にあるのはソドムと呼ばれた街……の面影を残した廃墟でした。

 既に廃墟になって数十年は経過しているでしょうか。街そのものは原形を留めているものの、ほとんどは錆びつき、壁が崩落している箇所もあります。

 車や自転車といった乗り物も道端で朽ち果て、かろうじて存在を残している状況です。手入れもされていないため、だいぶ草木が生い茂っていました。

 

 タクシーの運転手によれば元々トリニティから来た住民と、ゲヘナで暮らす住民との間でいざこざが絶えず、それが原因でよく問題が起きていたようです。一応、管轄としてはゲヘナ自治区になるためこの街出身の生徒は全員ゲヘナ学園に通っていたようですが、それも次第に先祖の故郷であるトリニティに行こうとする若者が増え、結果的に過疎化が進行してしまい見ての通り人のいない廃墟となってしまったのでした。

 

「聖書に出てくるソドムは火の雨で滅んだけど、ここは人が外に流れ出て行って滅ぶことになるなんてね」

 

 むしろメッセージカードの送り主はエスミに何を見せたかったのでしょうか。

 まさか聖書にある街と同じ名前であることや、実際に滅んだ街としての光景を見せて、彼女に創作のインスピレーションを与えたかった訳では無いのでしょう。

 これなら他の廃墟を見た方がまだマシです。

 

「と言っても、来たからには何かあると良いけど……このまま手ぶらで帰るのもね……」

 

 有難いことに、廃墟になっているとはいえ立ち入りを禁止されている訳ではありません。

 もちろん雷帝が居なくなった事で今のゲヘナはだいぶ無法地帯化しているため、単純に管理が行き届いていないという事情もあるのでしょう。何せここはゲヘナ自治区の外れです。

 ひとまずエスミは街の中を軽く散策し始めました。

 元々トリニティの住民がやって来て築いた街というだけあり、ほとんどはトリニティの街並みが再現されています。しかし建物の年季が古いため、住民が引っ越して来たのは相当昔なのかもしれません。

 

「商店街……ホテル……本屋……街としてはちゃんと栄えていたのかな」

 

 そんな街がこうして滅ぶとは、人生とは何が起きるか分かりません。

 苦労してやってきたこの街の先祖も、よもやこういう形で滅ぶとは思いもしなかった事でしょう。

 そうしてエスミが想いを抱きながら歩くこと数分、とある建物が目に入りました。

 

「……そっか。トリニティから来たなら当然あるよね……教会」

 

 流石にトリニティ総合学園にある大聖堂とまではいきませんが、そこそこ大きく立派な教会が目の前に現れました。

 他の建物に比べて老朽化はあまり目立っていません。しかし何が起きるかは不明なので、エスミは落ち着いて教会の中へと足を踏み入れます。出来れば生き残りの絵画や芸術作品があれば良いと望んで。

 

「……綺麗な教会」

 

 ですが彼女が教会に入って最初に抱いた感想は〝綺麗〟というものでした。

 事実、廃墟となっている外の街はだいぶ荒れ放題ですが、この教会の中は意外にも綺麗に椅子が並び、あまり草木が目立っていません。誰かが度々出入りして掃除したという訳ではなく、むしろ踏み入ることが出来なかったかのように一切手が付けられていないのです。

 

 エスミはその光景に少し疑問を抱きましたが、まあこういう事もあるのだろう、と構わず歩みを進めました。

 

「絵画は……ない。流石にそれは撤去されたのかな。彫刻も見当たらないし」

 

 これでも歩きながら周囲に視線を送る彼女ですが、流石に芸術的価値のあるものが置かれていません。というより残っていませんでした。

 無理もない。昔の芸術作品となれば盗み出して売りさばく事ぐらい誰でも考えそうですし、それが廃墟となった街に残る教会となれば尚更です。

 

 やはりあのメッセージカードの送り主は、単純にこの街の惨状をエスミに見せたかっただけなのでしょうか。

 

 正直、あまり気分転換に最適な場所とは思えない、とエスミは溜息を吐きました。

 

「……ん?」

 

 すると、ふと彼女の視界に何かが映りました。

 誰かの私物か。少し年季の入った冊子です。エスミはそれを手にし、積もった埃を手で払って中身に目を通してみました。

 

「…………これ、この教会で働いていた人の……?」

 

 冊子の正体は、どうやら昔この教会で働いていたシスターの日記のようです。

 もちろん放置されてだいぶ年月が経っているため、判別不可能な文字が多くあるのですが、それでもこの日記が書かれた当時はまだ街が栄えていたようで、人々のために必死にお祈りを捧げては献身活動に身を捧げている様子が読み取れました。

 

「……随分と平和そうだけど……っと、あれ?」

 

 判別不可能な個所を飛ばして読み進めていたエスミでしたが、ある文字を見つけて手を止めました。

 

「……ユスティナ……聖徒会……なんで、この文字が日記に?」

 

 その瞬間、エスミは日記から顔を離し、教会内部の造りに目を向けました。

 廊下に並び立つ柱、天井の造り、そしてこの空間。間違いありません、これはロマネスク様式で作られた教会になります。

 トリニティ総合学園にある大聖堂は老朽化対策として、ロマネスク様式とゴシックの様式を組み合わせた建造物として健在ですが、ここは違います。ロマネスク様式はゴシック様式が確立されるより前に主流だった建築様式です。

 ということは、建物全体がロマネスク様式として作られているこの教会はその当時に建てられたもの。それだけ昔となれば、当時のトリニティ総合学園を統治していたのはティーパーティーではなく、ユスティナ聖徒会となるでしょう。

 シスターフッドの前身であるユスティナ聖徒会。何があったのかは不明ですが、そこに在籍していた一部の生徒が当時ここに流れ着いて教会を建てたのかもしれません。

 

「……ということは…………もしかして」

 

 嫌な予感がします。

 すると突如して、エスミは日記を手に教会の中を動き回りました。ともかく駆け足で。

 そうして辿り着いたのはとある部屋でした。この教会に関わる全ての資料が残されている、一種の資料室と呼べるもの。

 こうして日記が放置されていたのですから絶対何かがあると思い、エスミは年季の入った資料を片っ端から手に取りました。当然、それに伴い埃が舞うのですが構っていられません。

 彼女はペラペラと資料をめくっては目を通していきます。献金。礼拝者の数。食料の備蓄などなど。細かく記された資料はもちろん、だいぶざっくりとした記載にも目を通していく中で、エスミは遂に見つけました。

 

 いえ、見つけてしまったとでも言いましょうか。

 

「…………アリウス分校……それに、カタコンベに関する地図……ああ、やっぱり……」

 

 後のブルアカ本編で重要なカギを握ることとなる『ユスティナ聖徒会』。

 遥か昔、まだティーパーティーという組織が生まれるずっと前、迫害されトリニティから追放されてしまったアリウス。それをユスティナ聖徒会が積極的に弾圧していながら、裏では密かに匿い支援していたという話は物語の終盤で明かされる真実ですが、前世の記憶をかろうじて受け継いでいるエスミとしては既に分かっている事です。

 問題はそれらの文献が現在のトリニティ総合学園には残されていないはずなのに、こうして遠く離れたゲヘナ自治区の外れ、それもとうの昔に滅んだ街の教会で資料として残っていることに驚愕していました。末代まで遺すよう決められていたのか。それとも何かに備えて常に大事に保存していたのか。

 

「……何でこんなものを……」

 

 これがもし発見され公表されれば、間違いなく後のブルアカ本編の物語に大きな影響を及ぼすことでしょう。

 

 まさか、これこそがメッセージカードの送り主がエスミに見せたかった『芸術的価値のあるモノ』なのでしょうか。

 とすると、エスミが在籍しているトリニティのかつての統治者であるユスティナ聖徒会。そして追放されたアリウス分校とユスティナ聖徒会の裏の繋がりを知っている事になります。そのような遥か昔の情報を手に出来る者などこのキヴォトスには……。

 

「…………ゲマトリア?」

 

 口から出た言葉は、ストンと納得のいくものでした。

 間違いありません。彼らです。彼ら以外に誰がこの情報を知っているのでしょうか。

 

 しかし疑問が1つだけあります。

 

 何故そのような情報をエスミに渡したのでしょうか。

 いいえ、そもそもどうして彼女をこの地に足を運ばせたのか。マエストロなのか……いいえ、彼とは以前エスミが卒業するまでは接触しないよう約束を交わしました。それを反故にするような人物では無いでしょう。

 可能性としては、ゲマトリアの誰かがエスミをこの地に来させたかったのです。芸術、強いては美術に愛を注ぐ彼女ならこの教会に自然と足を踏み入れることを予想し、この隠された資料を自力で見付ける事を望んでいたのかもしれません。

 

 それとも……。

 

「…………ハハッ」

 

 ああ、出来れば当たって欲しくない。

 そう思い、つい乾いた笑いが漏れたエスミでしたが、直後に部屋の外から何かが放り込まれました。

 

 ゴロゴロッと床を転がり、彼女の足に阻まれて止まったその謎の物体。

 

 それはグレネードでした。

 

「っ!?」

 

 咄嗟に受け身を取ろうとした瞬間、彼女の咄嗟の反応よりも少し早くグレネードが爆発しました。

 

 その爆風はエスミを部屋の壁へと吹き飛ばし、手にしていた日記はもちろん、先ほどまで目にしていた資料全てを瞬く間に炎で燃やし尽くしてしまいました。

 焼夷手榴弾……というよりこれは、サーモバリック爆弾に匹敵する威力です。

 故に、エスミがいる部屋は突如投げ込まれたグレネードによってあっという間に悲惨な姿へと生まれ変わり、老朽化で脆くなっている天井がギシギシと軋みだします。

 

「……うっ……げほっ……ごっ、ほ……!!」

 

 激しい爆風と、非常に強い熱。

 背中に加え頭すらも見事に壁に叩きつけられたエスミは顔をしかめながら、なんとか呼吸を整えようとします。しかし息が苦しいです。強い熱気が周囲を支配し、呼吸を困難にさせていました。

 そこに爆風で滅茶苦茶になった部屋に、誰かがやって来ます。

 

「まさか……マダムの言う通り、本当に来るとは」

「…………君、は……」

 

 辺り一面に散らばっている破片や燃えている資料などには目もくれず、真っすぐエスミの下へ近寄ってくるのは、彼女よりやや身長が高い青い髪が特徴の少女でした。

 とはいえ顔は見えません。面頬タイプのマスクを装着し、頭には黒いキャップを被っています。そのため鋭い眼光の目しか露出していないのですが、生憎とエスミは彼女が一体誰なのかよく知っていました。

 

「……そう……なるほど……口封じってことだね」

「……話が早いターゲットだな。そうだ。お前はここで〝死ぬ〟」

 

 爆風の影響か、それとも壁に叩きつけられたのが原因か。

 頑丈な身体を持ってしても額から血を流し始めたエスミに対し、少女は手にしているアサルトライフルの銃口を突き付けてきました。

 

「全ては虚しい……どこまで行っても、全てはただ虚しいものだ……」

 

 アリウス分校でモットーとされている言葉を呟き、少女は片手で持つアサルトライフルの引き金に指をかけます。

 

「トリニティ総合学園……栢間エスミ……お前は終わりだ。既にもう、トリニティの天使は堕ちたも同然だ」

「……フフッ、ソドムの街でついに天使が暴行を受けるってことかな?」

 

 別に自分はナギサやミカとは違って羽など生えていない、ただの画家です。

 もちろんトリニティ総合学園そのものを天使が通う学園として一部でネタにされているのは知っています。しかしまさか、自分がその天使の1人にカウントされるとは。それも天使に暴行を働こうとして滅ぼされた街と同じ名前を持つこの地で……。

 エスミは面白そうに笑みを浮かべ、こう呟きました。

 

「ごきげんよう。初めてお会いするね……アリウス分校所属の見知らぬ生徒さん?」

 

 少女の目が軽く見開かれます。

 

「お前……どうして私の所属を……」

「さあ……どうしてだろうね」

 

 本当は少女の名前も知っているのですが、それは口にするべきでは無いでしょう。

 どちらにしろ、少女はエスミを殺す気なのですから。

 でも不思議と恐怖はありません。ただ1つだけ、エスミは自分が一体何をすべきなのかよく理解していました。

 

「……マダムの忠告通りだ。やはりお前は、今後の計画において非常に危険な存在だ。この場で必ず仕留める」

 

 そうして謎の少女。いえ、後にブルアカ本編で『錠前サオリ』という名前が明かされる彼女は、エスミに向かって躊躇いも無く引き金を引くのでした。

 

 

 





栢間エスミはこれでも人格者として周囲からは人気ですが、恋愛面においては『物語を変えてしまう恐れがあるからブルアカキャラとは親密にならない』と『ブルアカキャラを可愛がりたい。出来れば甘やかしたい』と矛盾した2つの想いを抱えているせいで、度々他人を振り回してはカヨコみたいな被害者を生むなど、割と迷惑野郎です。
(本人も薄々自覚してる。けど治らない)


ちなみに、栢間エスミにも〝モデル〟にさせて頂いた芸術家がいるのですが、それは後ほどご紹介します。

この章も残すところあと数話で終わる予定です。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。

もしも仮にブルアカ世界に転生して生徒になれるなら、どんな武器を所持して愛用したいですか?(※作者は愛用するならリボルバーしかあり得ません.)

  • 拳銃(M1911,グロック等)
  • リボルバー(SAA、コルト・パイソン等)
  • 自動小銃(HK416、AK-47等)
  • 短機関銃(M1921、MP5等)
  • 小銃(M1ガーランド、Kar98k等)
  • 散弾銃(ベネリM4、AA-12等)
  • 機関銃(MG42、M249等)
  • 対物ライフル(AW50、ヘカートⅡ等)
  • 擲弾発射器(M79、ダネルMGL等)
  • 素手
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