夢叶って画家になれた転生主は、ともかくブルアカ本編に関わりたくない 作:木暮鬼一
主人公を含めたオリキャラ5人の紹介と、各自のモデルとなった芸術家について説明した紹介となっています。
ひとまず1話から39話にかけて判明している事や、ちょっとした設定などを紹介しているため、原作本編開始前までの話を割愛したい方などは、この紹介文にはもろもろネタバレが書かれていることも承知の上でお読みください。
またモデルとさせて頂いた芸術家に関しては、記録がしっかりと残されている人物、または諸説ありで各文献で言っている事が異なっている人物、そもそも記録が少ない人物などがいるため、必ずしもこのページで紹介している内容が正しいと言い切れません。
その点も留意したうえで呼んで頂けると幸いです。
宜しくお願い致します。
ちなみに、この表を作って紹介文を作るのに丸2日かかりました……。
全部で2万文字超えらしいです。
またこちらの紹介は今後も随時更新または修正等を行っていきます
オリキャラ紹介・用語説明
年齢 | 18歳 | |
身長 | 160cm | |
髪色 | 薄い青 | |
髪型 | シニヨン(長髪) | |
瞳 | 翡翠色 | |
所属 | トリニティ総合学園 | |
組織 | 元美術部(部長) | |
学年 | 3年生(留年組) | |
武器 | ルフォーショー・リボルバー*1 | |
職業 | 画家 | |
技法 | 油彩画、素描、水彩画 | |
主題 | 人物画、風景画、静物画 | |
芸術家として | ||
| 幼い頃より絵を描き続け、中等部の頃にプロの画家としてデビューを果たした。 当時、史上最年少で全ての芸術コンクールで最優秀賞を手にすると、生まれ持った美貌も相まって一躍有名人となった。現在はトリニティ自治区を代表する巨匠となっており、ワイルドハント芸術学院からは何度か転校の誘いを受けるほど高い評価を受けている。 基本、誰かに依頼される形で絵を描くことは決して無い。またパトロンという専属の支援家も必要とせず、専属契約を結んでいる画商と共に画材の準備や絵の売買を行いながら生計を立てている。自由に絵を描き、感じたものを表現する。それが芸術家としてエスミが大切にしている信条である。 また年に数回の頻度で自ら個展を開催しており、滅多なことが無い限りは常に現地に足を運び、顧客やファンとの交流を楽しんでいる。本人は政治に不参加のスタンスを貫いているが、美術界だけに留まらず多くのパイプを持っていることから周囲のアプローチが常に熱い。
ちなみに彼女自身かなりの速筆で、1カ月に数枚もの絵画を仕上げることは基本当たり前。油彩や素描に限らず水彩やアクリル、テンペラ画*2といった技法も人並みに出来る。主に風景画や神話画などを好んで描き、加えて絵の人物モデルを探しに学園内を徘徊しては作品の題材に適した人を真っ向から口説いてスカウトしている(報酬もしっかり払うため、評判も良い)。 そんな彼女がこの世に生み出した作品は幼少期から描き続けていたものまで含めると既に数百点以上に及んでいる。 加えて彼女は自他共に認めるほどの熱烈な〝美術オタク〟であり、美術関連の知識はかなり豊富。暇さえあれば美術館によく足を運ぶほど愛している。
しかし幼少期の頃から絵を描き続け、1日の半分以上を修行に費やした代償として、彼女の右手は長年の酷使により既に悲鳴を上げており、今では病院から処方された薬を服用しない限り長時間利き手を使用すると激痛を招いてしまうという複雑な問題を抱えている。 それだけに留まらず、3年生になるとアリウス分校生徒の錠前サオリの襲撃を受け重体となってしまい、その影響で今度は触覚過敏という症状まで持つようになってしまった。一応、黒色の革手袋を身に着けることで症状を緩和している。 とはいえ、以前に比べて画家としての活動頻度は彼女なりに極力抑えているのが現状である。
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主な経歴 | ||
| 高等部1年時に、当時のサンクトゥス分派絡みの問題に自ら介入し間接的にこれを解決。 同時に愛する美術を守るため、ブルアカ原作に至るまでの情報収集を目的に〝情報屋〟としての活動も始める。
高等部2年時には、存続の危機に立たされていた美術部の部長に就任。ただし部員として絵を描くことは無く、普段は作業監督か部員の教育担当として美術部を牽引することに専念。また同年にゲマトリアの1人、マエストロと接触。彼から〝ウリエル〟*3という名を貰う。
高等部3年時、ゲへナ学園生徒の鬼方カヨコからの招待を受け、ティーパーティーには無断でゲへナ自治区を訪れ現地の問題をカヨコと共に解決。しかし翌日トリニティに戻る際に立ち寄った廃墟の街でアリウス分校生徒の錠前サオリの襲撃を受けてしまう。結果的に4か月の意識不明、かつリハビリに数か月を要するほどの大きなダメージを負ってしまい、触覚過敏という症状を利き手である右手に持つようになってしまった。同年、ティーパーティーの判断により出席日数の不足とトリニティとゲへナの双方を騒がせた責任を取る形で留年及び美術部を強制退部する事となる。
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詳細 | ||
| 転生者。 前世では男であったが現在は身も心も完全に女の子であり、同性に対して性的興奮を覚えることはまず無い。ブルアカ世界に適応しつつあり、それに伴い前世に関する記憶も年月が経つに連れて徐々に忘れている。そのためブルアカ原作本編に関する重要な情報は幼少期の頃にノートに出来るだけ書き留めており、エスミ自身『物語には干渉したくない』主義を貫いているため、どうにかこうにか原作に影響を与えないようにと、時々ノートを睨んでは毎日四苦八苦している。 前世では成人した元社会人。 故に精神年齢はかなり高めで、よほどの事が無い限りは常に落ち着き払っている。これでもスタイルは抜群(胸はミカと同サイズだが、彼女曰くエスミの方が柔らかいらしい)で、同時に見惚れてしまいそうなレベルの美少女なため、同性や後輩からの人気は随分と高く、大人達からは求婚やアプローチが止まらない。 ちなみに美術に限らず映画やゲームオタクではあったが、キャラクターに関しては敵味方関係なく箱推し派。そのためブルアカキャラも等しく全員を推しているため、誰かを特別贔屓することは全く無い。いわば誰彼構わず真摯に接するので、それが返って転生した現在では相手の好感度を稼ぐ要因となってしまっている。
またこう見えて……というより、分かりやすいほどに強烈な美術至上主義者。 美術だけに愛を注ぎ、その美術がいかなる理由であれ蔑ろにされたり悪事に利用されたりという事があれば、徹底的に相手を潰すことだけを考えるほどの過激派オタク。しかし逆を言えばその美術さえ関わらない限り、誰を相手にしても常に優しく温厚でいてくれるため、彼女の地雷を踏まないようエスミの人柄をよく知る周囲は常に気を付けている。 ちなみに当初こそブルアカキャラとはなるべく親密にならないよう心掛けていた彼女だったが、桐藤ナギサ、聖園ミカ、百合園セイアの3名に関してはかなり付き合いが長く加えて交流も多い。気付けば本人も無自覚のまま彼女達にほだされてしまい、今となっては彼女達に対してだけ対応が甘々となっている。 こう見えて前世の死因であり、かつ恩師との大事な約束が守れなかった事から〝雨〟に対するトラウマが極めて強い。小雨であっても次第に気分が悪くなり、それが大豪雨となれば自分が自分ではいられなくなるほど頭が真っ白になってしまう。事前に雨が降ると分かっている時は極力外出などを控え、他人との交流も禁止している。
また彼女にとって前世の自分こと〝彼〟が歩んだその人生は、恩師との約束も守れず勝手に死んだ事から今のエスミにとっては贖罪と後悔の象徴となっている。出来る事なら思い出したくもないレベルで前世の自分を嫌悪しているのだが、トラウマである雨によって半ば強制的にかつての記憶を断片的に思い出してしまうため、毎度のように苦しんでいる。 余談だが、ブルアカ世界に転生した現在は憧れだった恩師の口調や好みを真似て自分のモノとしており、美術に捧げるその強烈な愛さえ除けば前世の自分とはまるで別人の人格を形成している。 こう見えて、自分が自分でいられる
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元ネタ・モデルの人物 | ||
フィリッポ・リッピ Filippo Lippi | ||
生没年 | 1406年頃 ~ 1469年 (享年63) | |
出生地 | フィレンツェ (イタリア共和国/トスカーナ州/フィレンツェ県) | |
没地 | スポレート (イタリア共和国/ウンブリア州/ペルージャ県) | |
職業 | 画家 | |
| 幼い頃に両親を亡くして孤児となり、一時は叔母の下に引き取られたものの最終的に兄と共にカルメル会修道士として修道院に入る。 その後、直接的なきっかけは不明ながらも宗教画家としてデビューを果たしてフィレンツェを中心に活躍。彼が芸術家を目指すことになったきっかけに関しては、後に 27歳でその生涯を閉じることになる天才画家マザッチオ*4のフレスコ画*5が修道院の礼拝堂にあったため、それを目にした事でリッピが芸術に目覚めたと言われている。 結果的にリッピは63年に及ぶ人生の中で非常に多くの名作絵画を生み出し、著名な弟子にサンドロ・ボッティチェリがいるなど、ルネサンス初期を代表する巨匠として後世に自身の技術と作風を受け継がせた。
また彼は当時の宗教教画では珍しく、人物描写における表情の柔らかさ、親しみやすさ、美しさといった〝人の感情〟を宗教絵画に持ち込み、それを上手く表現してみせた画家でもあった。特に聖母や天使の描写に関しては極めて高い評価を受けており、宗教美術の新しい地平を開いたことでも有名である。
しかしながらフィリッポ・リッピという芸術家は良くも悪くも『美術に夢中』な人物であった。というのも彼はどんな時でも絵を描き続け、挙句にはその技術を更に高めるため、学問の勉強すらサボッて修道院から逃げ出した事があるなど、絵を描くことに対し常に強い情熱を捧げていたことで知られていた(本にも落書きをする程だったので、むしろそれを目にした修道院の院長がリッピに絵の才能があることを見抜き、彼を絵画の道に歩ませたという説も存在する)。
記録上では1425年頃(当時19歳)に修道士として〝司祭〟の階級を手にし、修道院には1432年( 26歳)まで住んでいたリッピ。そんな彼は独立後、アドリア海で海賊に誘拐され奴隷になったものの、その絵の腕前を買われて奴隷主の肖像画を描いただけに留まらず、やがてその腕前を奴隷主から褒められ後に解放されたという驚きの逸話が残っているが、これを裏付ける確たる証拠がないため誇張された噂としてみるのが正しい。
ちなみに当時のルネサンスは芸術家の個性や才能がとりわけ重視されていた時代でもあったため、リッピが過去に起こした脱走事件に関しては強大なパトロン(当時のフィレンツェの事実上の支配者でもあったメディチ家)の庇護の下、社会的制裁を受けることはまず無く、結果的に絵画制作においては比較的自由活動が認められていたとも言われている。 またこれは余談だが、自由奔放かつ作品の納期が極めて遅いリッピに悩まされた依頼主(顧客)が、絵を完成させるための策として彼を数日間監禁した(何なら最終的にリッピはシーツで縄を作り窓から脱出している)という逸話すら存在するなど、ともかくエピソードには事欠かさない人物。
そんな説明の文字だけで見れば微笑ましく、むしろ自由奔放な問題児としての印象が強いリッピだが、ある日、彼の60年に及ぶ長き人生において、教会はおろか世間を騒がす重大事件を起こしてしまう。 それは1456年頃、大聖堂の祭壇画を制作するためフィレンツェ郊外のプラートに滞在していたリッピは、宗教画に欠かせない聖母マリアや聖女のモデルをその地で探していた。 結果的にプラートにあるサンタ・マルゲリータ修道院の修道女、ルクレツィア・プーティ( 1435年頃生~没年不明)を聖母マリアのモデルとして抜擢する事となる。 しかし画家とモデルとして接するうちに、リッピとルクレツィアはお互いに惹かれ合うようになり、最終的にお互い修道院に籍を置く立場でありながら規則を破り、そのまま恋愛関係を築いてしまう(リッピは当時50歳。ルクレツィアに至っては当時21歳である)。 その後2人はある祭りの夜に修道院から抜け出し、俗に言う〝駆け落ち〟まですると、翌年の1457年には息子、フィリッピーノ・リッピが誕生。しかも1465年には娘アレッサンドラも誕生し、最終的にリッピは当時60代にして2児のパパとなる。
しかしながら、まさかの修道士と修道女による2人の貞潔の誓いを破ったこの恋愛は、当然一大スキャンダルとして世間を騒がせ、教会側はルクレツィアを連れ戻し、リッピを拘束しようと動き出す(一説ではリッピはその後監禁され、裁判を受けて拷問までされたとも言われている)。
しかしリッピのパトロンであるメディチ家が彼の芸術的才能を惜しみ、当時の教皇にかけあうと、全く異例の事ながらリッピは修道院から追放されることは無くなり(それまで修道院関連への出入りは事実上禁止されていた) 、加えて引き続き画家として活動が出来るだけに留まらず、何とルクレツィアとの結婚まで正式に教皇から認められるという結果を手にしたのだった。 ただし文献ではリッピとルクレツィが正式に結婚したという記録は見当たらず、 結婚したのか、それとも事実婚なのかは未だ不明で諸説ある。
とはいえ、結果的にメディチ家の庇護のおかげとはいえ、無事に自由の身となれたリッピはその後もルクレツィアを聖母マリアのモデルとして引き続き画家活動を続け、彼の幼い息子も天使や赤子のモデルとして母子揃って活躍。 やがて息子のフィリッピーノが成長すると、リッピは父としてだけでは無く師匠として息子にも技術を継承させると、最期は家族と充実した日々を送りながら63歳でその生涯を終える事となった。
ちなみに息子のフィリッピーノは彼の死後、父の愛弟子だったサンドロ・ボッティチェリの下で弟子として従事。父とボッティチェリから技術と作風を継承した彼もまた後世に名を遺す大画家となり、1504年に47歳の若さで亡くなると、葬儀の日に市内全ての工房が彼を称えて休業したという記録が残っている。 | ||
年齢 | 17歳 | |
身長 | 170cm | |
髪色 | 緑色 | |
髪型 | ポニーテール(長髪) | |
瞳 | 赤色 | |
所属 | トリニティ総合学園 | |
組織 | ティーパーティー・フィリウス分派、美術部 | |
学年 | 3年生 | |
武器 | スペクトラM4 | |
職業 | 画家、桐藤ナギサ専属の付き人 | |
技法 | 油彩画 | |
主題 | 風景画、静物画 | |
芸術家として | ||
| 元は教養として美術を嗜んでいた準富裕層出身のお嬢様。 芸術コンクールの展示会でエスミの作品を直に目にした事で彼女の大ファンとなり、その影響で美術に傾倒。 その後紆余曲折あった末に、エスミにとって唯一無二の愛弟子となる。 秀才なため呑み込みが異様に早く、流石にエスミには劣るものの彼女自身もかなりの速筆。人物より風景を好んで描くことが多い。また光と影の強弱を使い分けるのが上手く、ナギサの家が専属のパトロンとなっているため既に将来有望な画家としてデビューしている。 この通り既に作品をいくつか生み出しているプロの画家ではあるが、ナギサの付き人としての活動に全力を注いでいる状況であり、自分自身の個展を開いたことは未だに無い。
またエスミの推薦により1年生の頃から美術部の副部長を務めていたが、彼女が意識不明の重体になった事と、主人のナギサが次期フィリウス分派の首長になったことで、これ以上は部員として部活動に全力を注げないと自ら副部長の座を降りた。 現在は一応籍だけを美術部に置いており、時間があれば以前のようにエスミの傍で引き続き制作活動を行いつつ、部員に会うため時々部室を訪れている。
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詳細 | ||
| 優れた才能をもつ美少女であり、芸術だけに限らず他の分野も人並みにこなす事が出来る。その気になれば優秀な政治家になれる逸材でもあったが、大きな権力をもつ家柄の子では無かった為、誰かの下で付き人になることを目標に幼少期の頃から全ての分野に力を入れていた。 ある時、家の存続が危ぶまれる事態に陥ってしまう。その頃のチェリはエスミの作品に出会った事で美術の道に足を踏み入れており、本人も画家を目指すつもりでいた。しかし家の存続のため、泣く泣く芸術への道を諦めかけたのだが、チェリの芸術的才能に目を付けていた桐藤ナギサが突如として支援を申し出ると、チェリの家は救われ、加えてナギサの紹介でエスミの弟子として芸術を極める機会も得ることが出来た。以降、ナギサに家の命を救われたのみならず、大ファンであり尊敬するエスミの弟子になる機会すら与えられたことで、チェリは彼女の忠実な付き人となった。 当初はエスミ相手にフランクな態度で接していたが、フィリウス分派の生徒としてナギサの下で活動している内に自身の立場をわきまえるようになり、エスミ自身は特に気にもしていなかったが彼女相手でも常に敬語で接するようになった。
身長170の長身にして常に礼儀正しく付き人としても非常に優秀。 またどんな分野にも精通している事から、友人を含めた周囲からは一応クール美人として一定の評価はされているチェリ。だが、師匠であるエスミと主人のナギサのナマモノCPに夢中な残念美人でもある。 どちらもチェリの人生に多大な影響を与えた人物であるため、少々致し方ない部分もあるにはあるのだが、エスミからは『nmmnは特に気を付けるようにね』と一応忠告は受けており、奇跡的にも主人であるナギサには未だにバレていない。 時々、2人の距離が近い時や微笑ましいエピソードを聞くたびに鼻血を出しかけては興奮している。またこれは割とどうでも良い話だが、エスミやナギサよりも身長は高いのに彼女達のような立派なモノは持っていない(つまり、まな板)。
そんな残念美人のチェリだが、実はかなりの病弱体質な身体の持ち主であり、風邪を引いただけでも数日間は寝込んでしまうなどウイルスや病気に対する免疫が全くない。本人もそれは自覚しているため、体調管理には人一倍気を付けている(こう見えて徹夜したことが無い)。 余談だが同じお嬢様で、かつ一時期は共に美術部の副部長を務めていた本目キオとは犬猿の仲。お互いに性格や忠義を尽くす相手が根本的に違うため、まずウマが合わない。チェリのナマモノCPの件も把握している人物であり、キオからはよく『キモい』と言われては喧嘩している。
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元ネタ・モデルの人物 | ||
サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli | ||
生没年 | 1445年頃 ~ 1510年 (享年65) | |
出生地 | フィレンツェ (イタリア共和国/トスカーナ州/フィレンツェ県) | |
没地 | フィレンツェ (イタリア共和国/トスカーナ州/フィレンツェ県) | |
職業 | 画家 | |
| 皮なめし職人の父とその母に間に末っ子として生まれ、幼少期の頃は兄のジョヴァンニに似て太っていた事から『 また幼い頃は身体が弱く、ともかく病弱であったという記録がある。 やがて芸術家達との交流を生むため、1460年 (ボッティチェリ15歳) に父が革なめし職人から金箔職人に転職すると、ボッティチェリも当初は金細工職人としての修行を受けていたとされる。
その後、1461年または1462年頃からフィリッポ・リッピの工房で画家としての修業を開始。例のルクレツィアとの駆け落ち事件から実に5、6年が経過した後の事だった(この時彼はまだおよそ17歳)。 既に教皇から許しを貰い、大画家として名を馳せていたリッピの下で約数年間に渡り弟子として従事したボッティチェリは、師匠から綿密な構図と人物描写、及び明確な輪郭線に絶妙な明暗表現まで学ぶと、その後間もなくして独立し自ら工房を持つようになる。 師であるリッピが1469年に死去すると、その3年後の1472年に師の息子であるフィリッピーノ・リッピを弟子として迎える。この時、ボッティチェリは27歳。リッピの息子フィリッピーノは15歳と共に非常に若かった。 記録によれば1472時点ではボッティチェリの弟子はフィリッピーノだけであり、しばらくの間はボッティチェリの家で一緒に過ごしながら師弟揃って制作活動を行っていたとされる。 とはいえ1480年までにはフィリッピーノを除いて3名の弟子がいたのだが、著名な画家となった者は誰一人としていなかった。他にも名前が記録されている弟子はいたが、結果的に画家として彼の下で大成したのはフィリッピーノただ一人だった。 ちなみにボッティチェリの代表作で有名な『ヴィーナスの誕生』は1483年頃に制作された作品であり、この頃のボッティチェリは既に神話画と宗教画の傑作を数多く生み出し、巨匠の仲間入りを果たしている。その他にも彼はパトロンや依頼主の期待に応えるように次々と名作を生み出し、『モーセの試練』や『受胎告知』といった名作が誕生する事となる。
そんな順風満帆な日々を送るボッティチェリだったが、ある年に大転機を迎えてしまう。
それは1492年のこと。 それまでボッティチェリを含めた名立たる芸術家たちの偉大なパトロンとして、また当時のフィレンツェで事実上の支配者として君臨し全盛期を築いた当主、ロレンツオ・デ・メディチ*6が43歳の若さで死去。 丁度その頃、修道士としてフィレンツェに滞在していたジローラモ・サヴォナローラ*7が上流階級の堕落さや贅沢を猛烈に批判し、質素の生活を心掛けるよう民衆に向けて情熱的に説教。 徐々にフィレンツェに住む民衆の心を掴んでいた時期でもあった。
やがて後に勃発したイタリア戦争の最中、死去したロレンツォの後を継いで息子のピエロがフィレンツェの支配者に君臨するものの、失策に失策を重ねて民衆の怒りを買い、結果的に一族もろともフィレンツェから追放されてしまう。すると共和制となったフィレンツェの代表かつ指導者として、サヴォナローラが君臨する事となる。 贅沢と堕落を何よりも嫌うサヴォナローラは、そのままフィレンツェで神権政治を開始。 トランプや香水、本、素描、絵画に衣服や彫像といった世俗的で虚栄心をくすぐる品々を次々と燃やした歴史上有名な【虚栄の焼却*8】を行ったのも、このサヴォナローラである。
しかしながら、あまりにも行き過ぎた彼の禁欲的な姿勢は次第にフィレンツェの民衆の不満を貯める事となり、結果的に当時【史上最悪の教皇】とまで評されたアレクサンデル6世 (またの名をロドリゴ・ボルジア*9) の怒りを買い教会から破門にされたことで、1498年にサヴォナローラは民衆に捕らわれると、裁判で有罪判決を受ける。 そして修道士でありながら芸術の都フィレンツェの支配者に上り詰めたサヴォナローラは、その後間もなく絞首刑に処され遺体は焼却された。享年45歳だった。 しかし彼がフィレンツェの実権を握っていた僅か数年余りの期間。 メディチ家の支援の下、大画家として名を馳せていたはずのボッティチェリは贅沢と堕落を批判するサヴォナローラの説教とその思想に感銘を受け傾倒し、そのまま信奉者となってしまう。 以降、ボッティチェリは今までに生み出した宗教画や神話画とは遠くかけ離れた、暗くそして厳格にして悲哀に満ちた絵を好んで描くようになってしまい、それはサヴォナローラが失墜して処刑されても変わらないままであった。 当然、一気に作風が変わってしまったことで彼の画家としての人気は徐々に低迷していき、加えて追放されたメディチ家が再びフィレンツェに帰還する1512年までの間、強力なパトロンを失ったフィレンツェで彼を支援してくれる者はほぼいなかった。 おかげで絵画制作の量が次第に減少していく最中、彼は1480年代から取り組んでいたイタリア文学の巨匠ダンテ・アリギエーリ*10の『神曲』の挿絵制作に晩年は没頭するようになる。
やがてボッティチェリは1510年に失意の中65歳で死去する事になるが、師であるリッピ(享年63歳) やその息子であるフィリッピーノ(享年47歳)より長生きはしたものの、彼が生み出した数々の傑作は富豪や教会の倉庫で眠り続けたことで人々の前に現れることは無く、また芸術家として再評価され、かつその名が再び世界に広まる事になるのは彼の死後400年となる19世紀での事であった。 | ||
年齢 | 17歳 | |
身長 | 159cm | |
髪色 | 青色 | |
髪型 | アップスタイル | |
瞳 | 赤色と緑色のオッドアイ | |
所属 | トリニティ総合学園 | |
組織 | ティーパーティー・サンクトゥス分派、美術部(副部長) | |
学年 | 3年生 | |
武器 | カルカノM1938 | |
職業 | 彫刻家 | |
技法 | 掘り出し/カービング | |
芸術家として | ||
| サンクトゥス分派所属の彫刻家。エスミと同じく、中等部の頃から活躍しているプロの彫刻家。 芸術において彫刻分野に対する愛が人一倍強く、常に最上のモノを表現しようと日々研鑽を積んでいる。芸術において〝上限〟などは存在しないを信条にしており、金や名声などは全く興味がない。 また好き勝手に作品を生み出すのでは無く、誰かに依頼される形でしか作品を作らない。自身の創作性を限界まで引き出すため、制作の依頼も事細かい注文ではなくむしろ比較的シンプルである方を好む(ようするに無理難題に燃えてしまう変人)。当初は所属しているサンクトゥス分派からしか制作依頼を受けなかったが、後に美術部の副部長に就任すると、部員の教育と現場監督も担当するようになり、それに合わせて他からの制作依頼も多少は受けるようになった。 一応美術部では教育を担当しているが、エスミやチェリとは違って美術に対しては新人玄人問わずかなり厳しい。しかし、それ故に面倒見が良いため部員からの評価は高く、またかなり慕われている。
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詳細 | ||
| 共感覚と呼ばれる能力を持って生まれた上流階級のお嬢様。 両目がオッドアイであり、左目と右目の両方を使うことで対象物の色が見え、その色から感情を把握することが可能(左目がトリガーとなっているため、右目だけなら能力は使用されない)。故に幼い頃からその能力によって人との交流に悩まされ、一時期は人間不信に陥ったことがある。 現在はよほどの事が無いかぎり、アイパッチを施している片眼鏡を装着することで左目を封印している。 ちなみに彼女が芸術に目覚めた理由は、その共感覚によって芸術作品を見ると作品が表現している感情とはまるで違う感情の色が出てくるため、そうした違いに面白さを見出したのと、自分の手で作品を生み出してみたいと思ったため。 しかし能力の使用者であり、かつ癖のある芸術家という事もあって始めは政治や思惑絡みで色々と大変だったものの、彼女の芸術的才能と能力に価値を見出したサンクトゥス分派が彼女専属のパトロンとなり、全面的に支援をしてくれた事でキオは分派に対し恩義を感じると共に、組織に対し忠義を誓う事となった。 そのため桐藤ナギサ個人に忠義を捧げるチェリとは全くウマが合わず、よく対立しては喧嘩をしている。とはいえ自身を美術部に勧誘してくれた彼女の師匠であるエスミには敬意を払っており、彼女の迷惑にならない程度にはチェリと喧嘩をしないよう出来るだけ抑えてはいたりする。
また同じサンクトゥス分派に所属している百合園セイアに対しては、同じ目に関わる能力者という事もあってか強い親近感を覚えており、出会って早々仲良くなり親友となった。 お互いの部屋に遊びにいくほど親交を深めており、セイアがエスミに対して抱いている家族愛に似た感情も既に察している。故に彼女の幸せを願って自ら相談に乗ることも多く、時にはエスミとセイアが一緒に居られる時間をあえて作ったりしながら、ここ最近は親友のサポートに徹することが多くなった。 加えて同じプロの芸術家という事もあってかエスミからの信頼も厚く、彼女が美術部を強制退部になってからは美術部の近況を伝えるため、『芸術家同士の交流』という名目で定期的に会っては情報交換をし、時々芸術について熱く議論を交わすなどしている。
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元ネタ・モデルの人物 | ||
アンドレア・デル・ヴェロッキオ Andrea del Verrocchio | ||
生没年 | 1435年頃 ~ 1488年 (享年53) | |
出生地 | フィレンツェ (イタリア共和国/トスカーナ州/フィレンツェ県) | |
没地 | ヴェネツィア (イタリア共和国/ヴェネト州/ヴェネツィア県) | |
職業 | 画家、彫刻家、建築家、鋳造家、金細工師 | |
| 元はレンガ職人でありながら後に税務官に転職した父親の下で長男として生まれる。大家族だった為、経済的な安定は常に家族の問題となっており、ヴェロッキオは兄弟姉妹の何人かを養う必要があった。またヴェロッキオは生涯独身を貫いた芸術家の1人であり、記録によれば弟の娘たちの面倒や教育費を代わりに負担していたとも言われている。 ちなみに同業者であるボッティチェリもまた彼と同様に生涯独身だったが、ボッティチェリの場合はそもそも結婚願望など無く、加えて結婚に対しかなり強い嫌悪感を抱いていた。
ヴェロッキオと言えば、美術史はおろか世界史においても常に名が語られるほどの天才芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチを10年にも渡って育て上げた師匠として知られているが、実を言うとヴェロッキオ自身に関して詳しく記録された資料は数少なく、彼が従事したと思われる師匠やその修業時代については年代含め、未だに不明のままである。 少なくとも現時点で有力となっている説は、彫刻に関してはドナテッロ*11またはアントニオ・ロッセリーノ*12。絵画に関してはアレッシオ・バルドヴィネッティ*13か、フィリッポ・リッピのいずれかに従事していたと考えられている。 またダ・ヴィンチの師匠という事もあり、絵画に関してはボッティチェリ含め他の芸術家に対し多大な影響を与えたヴェロッキオだったが、本来ヴェロッキオの専門は彫刻または鋳造であり、絵画よりも彫刻の方が遥かに作品数は多く、かつ高い評価を受けていた。そもそもヴェロッキオの工房は当時のルネサンス時代で最大規模を誇っており、絵画に関しては弟子との共同作業がかなり多かった為、彼自身の作品として認められたものは遥かに少ないという理由がある。
ちなみにフィレンツェで彼のパトロンをしていたのは、当時のメディチ家当主ピエロ・ディ・コジモ・ディ・メディチ。 後のフィレンツェにてメディチ家の全盛期を築くあの『偉大なるロレンツオ』とも呼ばれたロレンツォ・デ・メディチの父であり、また『祖国の父』という称号をもつ先代当主コジモ・デ・メディチ*14の息子である(当時は同姓同名の区別を付けるため、父親の名前を自分に含める習慣があった事からピエロの名前にも父コジモの名が含まれている*15)など、ルネサンス初期を代表するフィレンツェの支配者である。 しかしピエロは幼少期の頃から病弱であり、加えてメディチ家の遺伝病でもあった痛風を患っていたためコジモが存命中は満足に仕事をこなすことが出来ず、『痛風持ちのピエロ』というあだ名まで付けられていた(親と息子のあだ名に比べると、かなり酷い名ではある*16)。 後にコジモの後を継いで執政官となった彼だが、元々はピエロの兄が継ぐ予定だったはずだった。しかしその肝心の兄が父親のコジモより先に亡くなってしまったため、ピエロがその後を継ぐこととなった。 病弱なピエロに重い責任を負わせてしまったと晩年のコジモは寝床で嘆いたと言われているが、その言葉通り病弱な上に痛風の影響もあってか万全の状態で業務がこなせないピエロは、やがて体調不良で寝室に閉じこもることも多く、結果的に政治的な会合や執務関連の全ての仕事場が彼の寝室に置き変わる事となった。
とはいえ、偉大な業績を残した父や息子のように活躍はできず、当主としての在任期間も僅か数年のみと決して誇れる人生ではなかったピエロだが、それでも家業である銀行を円滑に運営して見せ、特に問題も無く息子のロレンツォに後を継がせるなどスムーズな立ち回りをしてみせた事から、後の歴史家からは一定の高評価を受けている(しかし彼の在任中にクーデター未遂が1回だけ起きてはいる)。
そんなピエロだが、実は彼もまた父や息子と同様に芸術文化に対して惜しみない支援をする人物でもあった。何なら父親のコジモよりも積極的にむしろ幅広く支援をし、中でもヴェロッキオはその恩恵を大いに受けていた人物だった。 ちなみにこれは余談だが、ヴェロッキオは彼の依頼で『ダビデ像』を制作したのだが、そのダビデのモテルには当時弟子入りしたばかりのダ・ヴィンチが選ばれたという説があったりする。また時にピエロはヴェロッキオに支払われる報酬の代理人も務めてくれた事がある(そもそもピエロの本業は銀行家である)。 最終的に痛風と肺疾患により53歳でこの世を去るピエロだったが、埋葬されたサン・ロレンツォ教会で彼の墓碑を制作したのは他でもない、ヴェロッキオである。 その後はピエロの息子、ロレンツォが引き続きヴェロッキオのパトロンとなり、彼の依頼で多数の彫刻や銅像、絵画を制作。ボッティチェリもピエロに続いてロレンツォからの支援を受けるようになる。 そして晩年、ヴェロッキオは長く住んでいた故郷のフィレンツェからヴェネツィアに引っ越し、やがて作品の制作中に死去。享年53歳であった。奇しくもピエロと同い年でヴェロッキオは亡くなった事になる(記録が正しければそうなる)。 とはいえヴェロッキオは数ある作品を未完成のまま残して突如として亡くなったため、それらの未完成品は後に彼の弟子がほとんど完成させる事となる。 | ||
年齢 | 17歳 | |
身長 | 175cm | |
髪色 | 赤色 | |
髪型 | ウルフヘア | |
瞳 | 黄色 | |
所属 | トリニティ総合学園 | |
組織 | 美術部(副部長) | |
学年 | 3年生 | |
武器 | ベレッタM17 | |
職業 | 画家、栢間エスミ専属の密偵及び情報収集人 | |
技法 | 水彩画、素描 | |
主題 | 人物画 | |
芸術家として | ||
| 中等部の頃にプロの画家として活躍しているエスミを見たことで彼女のファンとなり、そのまま追っかける形でトリニティ総合学園に入学。 元々美術に対する興味はあったが、エスミとの出会いをきっかけにその熱が加速。基礎的な技術は全て習得し、中でも水彩画と素描が人一倍上手い。特に観察眼に長けており、人物描写に関してはエスミも関心するほどに群を抜いている。 美術部に入る前は帰宅部であったが、エスミが美術部に部長に就任すると自身も部員として入部。色々あった末にエスミが強制退部という形で去って以降は、新たに部長に就任した金剛フランの指名により、チェリの後を継ぐ形で副部長になった。 芸術は人を変え、人の心を照らし、または曇らすことが出来る存在、という独自の考えを持っている。故に現実で起きているありのまま景色を映し出す、もう一つのカメラとしての役割を美術は担っていると判断し、彼女の芸術活動は一種の風刺画としてクロノスジャーナリズムスクールからは高く評価されている。
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詳細 | ||
| 家族はクロノスジャーナリズムスクールの出身。 そのためトリニティに引っ越してからも家族はメディアやジャーナリストの道を選び、日々トリニティ自治区で起きている政治や事件を追っている。その様子を幼少期の頃から見て来たリノは必然と情報収集に関するあらゆる技術やノウハウを引き継ぐようになり、気付いた頃には本人も無自覚のまま情報集のスペシャリストとなっていた。 ただし弊害として政治に関する闇や不祥事を目の当たりにしてきたため、政治そのものに対し強い嫌悪感を抱いてしまっている。特に政治絡みでエスミに付き纏うような人物を鬱陶しく思っているが、エスミが気にしていない限りは極力苛立ちを抑えているのが現状。 実は入学当初の時点で尊敬するエスミに出会い、自身の生まれ持った情報収集スキルを気に入った彼女から直々に情報収集活動を目的とした密偵にスカウトされる。情報屋として活動している彼女のために、トリニティに関するあらゆる情報を直に届けるというこの役割は、リノに対しこれ以上ないほどの幸福を与える事となった。以後、周囲には気付かれないよう美術に関する暗号などを用いてエスミに対して情報を提供し、普段は知らぬ顔で接するなど常に徹底した日々を送る事となる。 ある意味でエスミ直属の部下とも呼べる立場にあるため、リノは彼女のことを『ボス』と呼んでいる。ちなみにリノ自身はこう見えてボクっ娘であり、かつ無表情でいることが多いので周囲からはダウナー女子として見られている。
エスミが襲撃によって数か月間の意識不明。及び、責任を取る形で美術部を強制退部されたことに関しては、仕方が無いと思いつつも微かに怒りを抱いていた。 丁度その頃、自身と同じくエスミの密偵として活動し、現在は美術部の部長となった金剛フランからの提案により、エスミを守るという目的のため彼女に執着しているナギサ、ミカ、セイアなどが集うティーパーティー瓦解作戦を考案。表向きは美術部の副部長として、そしてエスミの密偵として動きながらも裏ではフランと共に暗躍するという行動を取っている。当然この件はエスミには伝えておらず、リノとフランの完全なる独断行動であるため、エスミを騙し続けている現状に対し正直なところリノは複雑な気持ちを抱いている。 こう見えて情報収集のためとあらば、平気で盗聴器関連を設置することも厭わないなど少々モラルに欠けている所がある。その分、退き際はしっかりしているため、今日に至るまで彼女のこれまでの行為がバレたことは一切無い。
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元ネタ・モデルの人物 | ||
フランチェスコ・ペセリーノ Francesco Pesellino | ||
生没年 | 1422年頃 ~ 1457年 (享年35) | |
出生地 | フィレンツェ (イタリア共和国/トスカーナ州/フィレンツェ県) | |
没地 | フィレンツェ (イタリア共和国/トスカーナ州/フィレンツェ県) | |
職業 | 画家 | |
| 父と母方の祖父の2人が揃って画家であるなど正に画家の一族の生まれ。ちなみに彼のペセリーノという名は祖父の名前に由来しており、『 そのため彼の本名はフランチェスコ・ディ・ステファノ。もっとも芸術家としての名声を高めるため、または人々に認知してもらうために自らあだ名を付けることは特に珍しくもなく、現代で例えるなら『役者名』や『ペンネーム』に近い。 事実、ヴェロッキオとボッティチェリの2人の名もあだ名または通称であり、双方共にちゃんと本名がある*17(ヴェロッキオの名は金細工の師匠から取ったと言われ、ボッティチェリに関しては本人の紹介で既に説明した通り幼少期のあだ名である)。
5歳の頃に父が死去。以後、ペセリーノは祖父と共に暮らし始めそのまま彼の弟子となった。その後1446年(当時24歳頃)に祖父が亡くなると、翌年1447年にはフィレンツェの画家組合に加入。やがて正確な時期は不明ながらもフィリッポ・リッピの弟子となり、彼から多大な影響を受けた。 そうした祖父やリッピといった大画家の下で修業を積んだことによる成果なのか、それとも彼自身に優れた才能が眠っていたのか、多数の美術史家によればペセリーノが生み出した数々の作品の画風は後のヴェロッキオを含めたフィレンツェ画家らの発展を先取りしていたと言われている。 しかし芸術家としてのキャリア絶頂期を迎えていた1457年。彼は疫病(恐らくペスト)により35歳の若さでこの世を去ってしまう。 奇しくもその時期は師匠であるリッピがルクレツィアと駆け落ち恋愛をしていた時期であり、かつ息子のフィリッピーノ・リッピが生まれた年でもあった。 また彼の遺作であり、同時に当時未完成のままであった『 | ||
年齢 | 17歳 | |
身長 | 167cm | |
髪色 | 黄色 | |
髪型 | ショートボブ | |
瞳 | 紫色 | |
所属 | トリニティ総合学園 | |
組織 | 美術部(部長) | |
学年 | 3年生 | |
武器 | ベネリ・スーパーノヴァ | |
職業 | 画家 | |
技法 | 素描 | |
主題 | 静物画 | |
芸術家として | ||
| 栢間エスミの後任として美術部の部長に就任した人物。 美術の知識は豊富であるが、これといった作品を世に出していないため、未だにプロの画家としてデビューをしていない。普段は美術部の運営に全力を注いでいるため、彼女が制作している姿を見た者はまずいない。美術作品の修繕、運搬、展示などの業務に積極的に関わり、時にはシスターフッドや正義実現委員会、ティーパーティーなどに自ら赴き交渉などを担当している。エスミが去って以降の美術部を衰退させることなく上手く運営しているため、周囲からの評価は極めて高いが肝心の本人は大の政治嫌いを公言しているため、大人たちからの評判はあまり良くない。 また近頃、展示に出されていたエスミの絵画が〝謎の怪盗〟に強奪されるという事件が起きてしまい、以降は美術作品を守るという名目で美術部の中に警備や保護を目的とした特別部隊を創設。これはティーパーティーの一員である聖園ミカから許可を得た正式な行動であり、同時に正義実現委員会に頼み込んで治安維持権を掴み取るなど、美術部の存続と確固たる地位確保のためますます奔走している。
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詳細 | ||
| 幼少期の頃に、政治絡みの失敗を押し付けられた形で家族が一時路頭に迷うという苦しい経験をしている。 また上流階級と庶民の圧倒的な身分の違いにも苦労し、政治ほどでは無いが富裕層に対してもそれなりに嫌悪感を抱きつつフランは成長した。そんな彼女にとって心の拠り所だったのが〝芸術〟であり、芸術作品を目にすることで彼女は常に勇気を貰い多大な影響を受けていた。もはや彼女にとって芸術という分野は聖域であり、汚れることすら許されない絶対的な存在となっていた。 しかしそんなフランにとって大切な芸術もトリニティ自治区では常に政治の道具として利用され、時には富裕層の間で装飾品や家柄の誇示のためのアクセサリー扱いをされていることに気付き憤慨。だが所詮は庶民でしかない自分に一体何が出来るのかと、この世に絶望してしまう。 そんな中、突如として現れた栢間エスミという芸術家に出会ったことでフランの運命は大きく変わってしまう。 まだ中等部でありながら常に卓越された動きで数々の名作を生み出し、水彩画や油彩画、素描など技法を問わず絵を描き続けてみせるエスミ。しかも誰にも媚びることはなく、それが大人を含めた富裕層や政治が相手でも同じ。正に芸術のためだけに命を捧げ、芸術だけに愛を注いで日々を生きる人物。 フランから見てみれば、自分が今まですがり続けていた聖域の具現化であり、同時に地上に降り立った神のような存在だった。 気付けば、フランは彼女に固執するようになった。エスミが生み出す作品。エスミが表現したい世界。エスミが求める素材。その全てにおいて彼女の力になりたいと強く願うようになった。 もはやそれは一種の信仰であり、狂信者と呼ぶべきものだった。やがて彼女はエスミの後を追うようにトリニティ総合学園に入学すると、偶然出会ったリノと意気投合し、彼女の力を借りることで自身もまたエスミに情報を提供する密偵となる。 後に美術部の部長としてエスミが就任すると、彼女がこれ以上政治に邪魔されないようにと手助けをするために自身も入部。部員として活動しつつ、エスミの貴重な時間が奪われないようにと常に動き回っていた。
やがてエスミが何者かに襲われ意識不明の重体となった時、彼女から託された美術部を守るため、また今後のエスミの自由を守るために、リノを巻き込んでティーパーティーの瓦解作戦を考案する。 その第一段階としてエスミとは交流が深いミカに接触すると、当初はエスミの仇討に乗り気ではなかった彼女を説得し、あえて怒りの矛先をゲヘナに向けて彼女をパテル分派の首長にさせる。その後、アリウス分校との仲直りを考えているミカを再び利用する形で計画を進めており、現状はエスミに無断で暴走を始めている。 ちなみに彼女自身は意外にも言葉遣いが丁寧であり、心底嫌っている政治やお嬢様生徒が相手でも言葉遣いを崩すことはない。しかし露骨に態度に出すこともあり、当初はエスミに会いたくて頻繁に美術部に足を運んでいた百合園セイアのことを邪険に扱い、彼女の親友であるキオをにすら一切挨拶すらしなかった。だがエスミから美術部を託された現在はしっかりと言葉を交わしており、キオに対しても美術部の存続のため嫌々ながらも協力している。一応、芸術家であるチェリやキオに対してはそれなりに敬意を抱いているものの、2人とも分派に所属しかつお嬢様生徒であるためそう簡単には距離を縮めようとはしない。
エスミについては既に説明した通り、フラン自身の歪んだ信仰心が混ざった状態で彼女を見ているため、エスミの意思など関係なく良かれと思って勝手に行動し、その真意を理解しようともしない。
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元ネタ・モデルの人物 | ||
ディアマンテ Diamante | ||
生没年 | 1430年頃 ~ 1498年 (享年68) | |
出生地 | プラート (イタリア共和国/トスカーナ州/プラート県) | |
没地 | 不明 | |
職業 | 画家 | |
| カルメル会の修道士にて宗教画家。まさにリッピと同じ修道士兼画家である彼だが、そもそもディアマンテはリッピの愛弟子の1人であり、しかも彼が最も信頼する親友にして制作現場における主任助手でもあった。 一説ではリッピの工房で運営や現場監督も担当していたとも言われており、リッピが製作に専念できるよう常に彼のサポートをしていた。 ちなみに単なる偶然か、彼の生まれ故郷はプラート。後に世間を騒がす駆け落ち事件の発端、リッピとルクレツィアが初めて出会い、そして恋に落ちた例の土地である。 とはいえ、そんな師であるリッピとルクレツィアとの駆け落ち事件後もディアマンテはリッピの工房に残り続け(修道士として見ればリッピは神に対し裏切りに等しい所業をしたにも関わらず)、彼が教皇から許しを得て以降も引き続き弟子として共同制作に励むなど、例の駆け落ち事件に対し内心どういう気持ちを抱いていたのかは定かでは無いが、ディアマンテの方からリッピの下を去ることは決して無かった。
ただしディアマンテの芸術家としての面に焦点を置くと、リッピと共同してフレスコ画を制作するか、または修復するかの活動に専念していたため、生憎と現存している作品でディアマンテ自身の作品と確実に断定出来るものは無く、今もなお複雑な課題となっている。故にリッピの弟子でありながら、芸術家というよりは彼の助手としての活動が注目されがちであり、あまり芸術家としては名が知られていない。
そんなディアマンテだが、実はリッピからは多大な信頼を寄せられていた事から、彼の息子であるフィリッピーノ・リッピの後見人に指名されている(それほどまでにリッピは彼に対して深い信頼を寄せていた)。 とはいえ師であるリッピが亡くなり、彼が残した未完成作品をディアマンテが引き継いで無事に完成させると、報酬として受け取った金のほとんどは土地を買うために自分の物とし、フィリッピーノには僅かな分しか与えなかったという話がある。 しかしこの不正行為に関しては当時のディアマンテが受け持っていた仕事量、かつリッピとの間に交わしたフィリッピーノに関する契約内容がことの重さを左右するため、ディアマンテが完全に悪いとは言い切れない。
しかしその件を差し置いても、後見人として指名されておきながら師であるリッピが亡くなって僅か3年後に息子のフィリッピーノがディアマンテの下から去り、同じリッピを師に持つ大画家ボッティチェリの下に行ってしまっている事から、双方の関係に何らかの問題が生じていた可能性は捨てきれない(ただし確証となる資料が無いため、これも単なる憶測でしかない)。 とはいえ何だかんだあったものの、結果的に68歳まで生きるなどリッピの弟子たちの中では一番長生きしたのがディアマンテであった。 | ||
もしも仮にブルアカ世界に転生して生徒になれるなら、どんな武器を所持して愛用したいですか?(※作者は愛用するならリボルバーしかあり得ません.)
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拳銃(M1911,グロック等)
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リボルバー(SAA、コルト・パイソン等)
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自動小銃(HK416、AK-47等)
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短機関銃(M1921、MP5等)
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小銃(M1ガーランド、Kar98k等)
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散弾銃(ベネリM4、AA-12等)
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機関銃(MG42、M249等)
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対物ライフル(AW50、ヘカートⅡ等)
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擲弾発射器(M79、ダネルMGL等)
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素手