仮面ライダー焔羅   作:マフ30

3 / 5
第1話 仮面ノ殺劇浪漫譚(マスカレイド・ウォーゲーム) 前編

 

 20XX年 1月1日

 

「おはよう諸君。これから君たちにはあるゲームに参加してもらう」

 

 九つの部屋にそれぞれ設けられたモニターから声が響く。

 画面には亜麻色の髪をした若い男。

 Mrサニーデイズと名乗る男だ。

 

「自己紹介がまだだったね。私はMrサニーデイズ。君たちにしてもらう素晴らしき祭典、マスカレイド・ウォーゲームのゲームマスターでもある。これはゲームを開始する前のちょっとしたオリエンテーションだ。気になることがあれば自由に質問をしてくれたまえ」

 

 Mrサニーデイズは自身がいる部屋にある専用モニターから九枠の画面に映る揃えられた今回の参加者九名の様子を窺う。

 

「その前に諸君らの中でゲームへの参加に拒否感を持っているものはいるだろうか?」

 

 画面越しに映る窓も無い無機質で狭い待機部屋に押し込まれている九人の表情に戸惑いや困惑の色はない。サニーデイズは満足げに何度か頷く。杞憂ではあったが「ここはどこ?」「外に出してくれ!」といった滑稽な戯言を漏らす者もいない。記憶操作や認識阻害の処置に不備はないようだ。

 

「まどろっこしいな。どうせ強制参加なんでしょ? 雰囲気でみんな解ってるって。無駄なことやるよか、早く詳細を教えなよ。時は金なりって学校で習ってないわけ、オジサン?」

 

 とりわけ若い少年の声がモニター越しにサニーデイズへ届く。

 声の主は自分の置かれている状況や環境を完璧に理解しているようでモニターに視線を向けるのもナンセンスとばかりに予め各部屋に用意された支給品に目を通している。

 

「気を遣ってくれてありがとう。ではお言葉に甘えて簡潔にマスカレイド・ウォーゲーム。悍ましいまでに煌めく夢と浪漫を懸けた生き残りゲームのルールを説明しようじゃないか!」

 

 サニーデイズが指を鳴らすとモニターの映像が一斉に切り替わった。

 そこにはマスカレイド・ウォーゲームの主なルールと仕様が文章と図で分かりやすく羅列してあった。

 

「ルールは至極簡単! 最後の一人になるまで戦い合う問答無用のサバイバルゲームだ! 共闘、裏切り、騙し討ち、何でもありだ! 期間は今日から丸1年間、すなわち365日を全知全能を尽くして戦い抜くこと! そして勝者には我々食禍総會がどんな願いもかなえることを約束しよう!!」

 

 未だ謎多きこの黒衣の青年から発せられたその言葉には集められた九人も興味を惹かれざるを得なかった。

 

本当()!?」

「突拍子もない話だな。まるで安っぽい映画かなにかだぜ」

「あらあら……夢みたいなことをよくそんな真剣な顔で言えるのね、お兄さん」

「言うとも。君たちに行ってもらう殺戮に対しての正当な報酬なのだからね。誓って再度言おう……勝ち残った最後の一人はどんな願いも叶えられる」

 

 引き締まった面持ちと、サニーデイズが微かに纏っていたおどけた空気が消え去っている様子に半信半疑だった九人はしばし押し黙り各々は独自の考えを巡らせる。

 

「証拠はあるのかしら? 貴方が口先だけの男ではないという証明を見てみたいわ。可能かしら? いますぐに?」

 

 凛とした女性の声がサニーデイズを質す。

 気品と強かさが同居したその声に対して、サニーデイズは無言でポンと手を叩く。

 すると彼がいる部屋の背後の壁が自動で開き、モニター越しに見守る九人からも食禍総會なる組織の巨大な力の一端が確かに見えた。

 

「おかねがいっぱいね。でもこれではまだぼくのねがいがかなうかわからない」

「やっぱり正気の沙汰とは思えない光景だな、これは」

「参ったな、嘘でも信じたくなるぞ……札束のピラミッドなんて初めて見たぜ」

 

 サニーデイズが用意していたのは広大な倉庫のような部屋いっぱいに集積された現金や高額な貴金属など文字通りの宝の山だった。

 

「これでもまだ私の言を疑うかね?」

「十分よ。お手を煩わせて失礼したわ」

「構わないともレディ。私とて思考を放棄した退屈な羊たちよりも、用心深い野犬をこそ好む。ではウォーゲームの大まかな決まり事について話を続けよう」

 

 椅子に座り直したサニーデイズによって新たに明かされたマスカレイド・ウォーゲームの進行方法とルールは以下のようなものだった。

 

 

 ・帝都東京全域がゲームフィールド。私的な事情でエリア外に出る際は事前の申請が必要。怠る者はペナルティ。

 ・故意による一般市民へ危害が及ぶ行為の禁止。破った場合はペナルティ。

 ・ウォーゲーム開催中に様々なイベントミッションが発生。例として帝都出現する怪物(アウトエンド)を撃破するなどを達成した場合はスコアが加点され、戦いを有利に進めることが出来るアイテムや情報を入手することが出来る。

・1クール(三カ月)毎に強制参加の特別な戦闘が有り。未参加のものは失格。

・ゲームが残り二名になった時点で両者には途中棄権が認められる。ただし準優勝者になったものは次回ウォーゲームへの参加か放逐のいずれか一つを選択が必須事項。

・ペナルティが一定数を超過した場合はゲームからの強制退場。

 

 

「他にもまあ細かな決まり事があるにはあるが残りは支給品として君たちに配る携帯端末などを用いて適時教えることにしよう。ゲームなんてものは分かりやすいルールであった方が面白いし盛り上がる。双方ともにね……」

「このペナルティというのは具体的にはどういうものが?」

「対象者の情報や居場所が他の参加者へ開示されたりだね。禁忌は極力犯さないことだ」

「一般人を極力巻き込まない措置があるのは良いことだ。ありがたい」

「なんで最後の二人まで残った頃に棄権が許されるようになるんだ?」

「特に深い意味はないが……まあ、食禍総會からの温情とでも思っていてくれ給え」

「ねえ、ウチらずっとボッチで説明聞かされてますけど参加するメンバーの自己紹介とかはやんないんですか?」

「良い質問だね、焔羅。残念だがこの場では君たちの顔合わせは予定されていない。広い帝都で誰が競争相手なのかその探り合いもゲームの醍醐味というわけさ」

「そゆこと! ありがとーサニさん!」

 

 陽気な少女の疑問に答えた後に、他に質問の声も出てこないことを確認するとサニーデイズは仰々しく右手を掲げてマスカレイド・ウォーゲーム開始の宣言を行う。

 

「では諸君、語らいの時間は終わりだ! これからは正真正銘の殺し合いの時間だ!! これより専属スタッフが君たちを帝都の各地点にランダムで開放する。携帯のアラームが鳴ったらそれこそが開始の合図となる! 九人のミュータントライダーたちよ、力の限り走り抜いて魅せろ!!」

 

 

 

 

 帝都東京。

 4月某日。

 

 通勤通学ラッシュの時間帯の喧騒が嘘のように閑散とした歩道橋を渡っていると満開を過ぎた桜を薙ぐような突風が吹き抜けた。

 

「ゎぁ……っ」

 

 前で階段を上がっている女子高生のスカートが風で盛大にめくりあがった。

 突然、僕の視界を支配する綺麗で柔らかそうなお尻を肌触りの良さそうな淡い緑のショーツが包んでいる。

 恋人とそういう行為はおろか恋人そのものだってこの人生の中で出来たことのない僕の口からは予期していなかった小さな幸福と小心者めいた動揺とで変な声が小さく漏れてしまう。

 いまの今まで物思いに耽っていたのに我ながらなんとも格好悪い。幸いにも強風で僕の声などは掻き消されたのかスカートの中が見えてしまった女子は後ろの僕に気付くこともなく軽やかな歩調を止めなかった。

 

「ほっ……」

 

 ――あの夜から早半月が経った。

 帝都に潜む怪奇に遭遇して以降、早瀬光我()は滞りなく高校生となり、どこにでもいる一般市民としてありふれた日常を送っている。

 概ねは――。

 正直な話をしよう。

 あの夜以降、確かに僕の周囲の時間は平穏そのものだった。

 しかし、僕本人はというと目撃してしまったあの現実離れした光景が忘れられずに、夢物語のような非日常に誘われたようなつもりになって、両親が仕事の長期出張で海外に旅立ったのをこれ幸いとばかりに高校には行ったり行かなかったりと不良学生への第一歩をもう半分ほど踏み出してしまっている。

 高校入学のお祝いにもらった腕時計に目をやると時刻は午前九時半を少し過ぎていた。とっくに学校では一時限目の授業が始まっている頃だろう。なのに、僕はというとあてもなくこの広い帝都の鄙びたどこかにあの夜に目にした有り得ざる者たちの手掛かりがありはしないかとサスペンスかSF小説の探偵気取りでうろついている。

 

「ねえ――少年」

「え……っ?」

 

 歩道橋を渡り終えたところで後ろからいきなり呼び止められてドキリとする。振り返ればそこには今しがたパンチラを目撃してしまった女の子が音もなく立っていた。どうやら階段の陰に隠れていたようだ。

 

「キミさぁ、さっきウチのパンツ見たでしょ?」

 

 青天の霹靂とはまさにこういう場面を言うのだろう。

 名前も知らない少女にストレートにぶつけられた追及に今度は情けない声も出せずに固まった。

 

「ごめんなさい! あんまりにも突然視界に飛び込んできたのでそのままガン見してしまいましたぁ」

 土下座とまではいかないが直角90度のお辞儀を添えての平謝りをなんとか繰り出す。周囲に他の通行人がいないのが本当に不幸中の幸いだ。

「僕に出来ることならなんでもするのでどうか学校や警察案件にするのは許してください!」

「あはは。しないよそんなん。ってか、ポリス沙汰はウチも困るし……で、どうだったん?」

「は?」

「だーから、ウチのパンツ見たんでしょ? JKのパンツだよぉ?」

「……めっちゃドキッとして、めっちゃヤッタ!って気持ちでした」

 

  気が付けばすぐ隣に近寄っていた女子高生はニカリと笑って僕の顔を覗き込んでくる。不可抗力とはいえ見た事実は正しく否定できない僕は彼女の問いに恥も外聞も捨てて胸の奥を焦がすように熱くさせた情動を洗いざらい答えるしかなかった。

 僕はいったい何をやっているのだろう?

 

「わはは♪ 素直で良し! 正直者はおねーさん大好きだぞー!」

 

 太陽のような眩しい笑顔でパンチラのお姉さんはバシバシと僕の背中を叩いてくる。二種類のドキドキが同時に襲ってくるという数奇な体験に僕の心は穏やかじゃない。

 

「あ、あの……ということは通報も脅迫もナシってことでいいんですかね? SNSに晒すのとかも?」

「ちょっ! そんなんやったらウチがド外道みたいじゃん! ただー久々に同世代の男子にスカートの中見られたっぽかったからさぁ、ウチまだ需要あるのかなって? 純然たる疑問っての?」

「需要も何も世の中の男子高校生ならお金払って崇め奉るイベントだったかと……」

本当()! アガること言ってくれるねー少年! えーっと、名前なんて言うの? あ、ウチはホムラね」

「早瀬って言います」

 

 先に名乗られてしまったので恐る恐る苗字だけを答えた。

 押しが強いというかマイペースな距離感に困惑するけど、たぶんそんなに悪い人ではなさそうだとは感じて改めて彼女を――ホムラさんを見た。

 琥珀色の大きな瞳と背中ほどにかかる茶髪のポニーテールが映える賑やかそうな雰囲気のきれいな人だ。女子高生の化粧事情には詳しくないけど、ナチュラルメイクというのだろうか素の顔立ちが良いこともあって袖を通している明るいオレンジのパーカーと爽やかなスカイブルーのブレザーと相まってさっぱりとした美しさがあると思う。

 

 何かスポーツでもやっているのだろうか大きめのパーカーを着ていても、ミニスカートからスラリと伸びた健康的な血色の良い生足と総合してほど良く引き締まったスタイルの良さが隠しきれていない。身に着けているアクセサリーが産毛も生えていないような耳のところで控えめにきらめいているピアス程度なのも部活か何かの制約からだろうか。

 

「おーい、ちょっとウチのこと見すぎ」

「うぇ!? いや、そんな……なんかすみません、つい」

「いーよ、いーよ! みなまで言わんでも眼福だったってことっしょ? くぁ~ウチってばまた徳積んじゃったなぁ」

 

 そんなに食い入るように見ていたつもりはなかったけど、耳元で囁かれた悪戯っけのあるホムラさんの声にビクっと飛び上がって何度目かの平謝り。俯瞰して思えばセクハラの一種で警察に突き出されても文句は言えない領域に自分から踏み出しているのではないかとも思えてきてしまう。

 

「ところで学ラン着てるけど、早瀬ガッコーいいの? もうすぐ10時ぞ?」

「え、それは……その、なんていうか……というかそれを言ったらホムラさんもじゃ?」

 

 僕の事情をうやむやにして質問を質問で返してやりすごそうとする。中途半端なやつだなと自虐的になりつつ、今更になってこの時間帯に見るからに女子高生なホムラさんもこんなところにいるのはおかしな話だとようやく思考が冷静さを取り戻す。

 

「あ~そうなるか。じゃあ、この話はナシ! ウチ行くわ! じゃあね!」

 

 あからさまに目を泳がせるとホムラさんは踝を返して駆け出した。

 

「バイバイ早瀬! ウチのパンツ見たんだから、ハッピーな一日送りなよー!」

「ちょっ!?」

 

 眩しい太陽のような笑顔でとんでもないことを大きな声で言いながらホムラさんはあっという間に走り去っていった。まるで嵐のような人。

 取り留めもなく、その後に続きそうなフラグ()もない。無意味でただ時間の浪費と気疲れだけが残るような無駄な時間。客観的に判断すればそうとしか言えないはずなのに、僕はその僅かな時間で交わされたバカバカしい会話と常に爛漫と笑っていたホムラさんの笑い顔に心地の良い陽光のようなありがたさと名残惜しさを覚えた。

 

「……どこへ行こうか」

 

 そして、何の変哲もない自分とそんな僕はどうしようもなく無駄で馬鹿らしいことに時間を費やしているのを痛烈に自覚する。自覚してなお、そんな現実から目を背けて逃げるように日陰を求めて歩き出した。

 

 

 

 

「あー面白かった! 高校生っぽかったけど、あの素直な感じは一年かぁ?」

 

 早瀬の指摘を参考に人通りの少ない路地裏に入って日課の散策を続ける。確かにこの格好でこの時間帯を歩き回っては無関係な人たちからも目立ってしまう。特に警察に目を付けられるのは不味い。

 彼らはこちらの事情など考慮してくれないのだから。ふと袖を一瞥して鮮やかな空色を確かめる。色合いが好みなので気に入って愛用しているけど、違う服装も用意しないといけないとホムラは漠然と考える。

 

「ま、どうにかなるっしょ」

 

 根拠はないが自信には溢れた呟きがビルの隙間から覗く窮屈な空に昇って消える。そのタイミングでちょうど良くポケットの中の携帯から電子音が鳴った。

 

「なになに~……ほお!」

 

 送られてきたのは食禍総會からの一斉送信メール。

 肝心の内容に目を通したホムラの口元が楽し気に緩んだ。

 文面にはこう綴られている。

 

【本日夜間より、帝都各地にてアウトエンドの出現率アップと予測】

 

「今夜は寝かせないってか? やってやろうじゃん」

 

 運命とは残酷なものだ。

 早瀬少年が探し求めていた非日常の象徴はついさっきまで彼の目の前にいたのだから。

 

 

 

 

 ホムラさんと別れてから、またあてもなく路地裏や人気のない日陰の場所、廃れた空き家が軒を連ねる細い小道なんかをぶらついた。

 けれど、足取りはいつものような覇気がないのを自覚する。彼女に出会って、他愛のない僅かなやり取りを経験して、僕の心に変わり映えのない普通の日々への親しみが再燃しているんだなというのを実感する。

 そもそも、こんな風に怪奇を求めてさまよい歩いて本当に出くわすことが出来たとしてもただの高校生な自分にはどうすることもできない。恐ろしく非力だ。

 

「でも……見ちゃったんだよな。本当のことだって、知っちゃったんだよな」

 

 それでもこの学校での成績や内申、一度しかない高校生活の日々を代価に行っている探索をやめられないのはきっと、あの夜見た非日常への恐怖を孕んだ歪な憧れと、褪せていくばかりの街でそこに愛着を持ちながら芽生えてしまった渇きと探求心だ。

 

 もしかしたらちょっとしたことが切欠で自分の人生に劇的な変化が訪れるのではないかという根拠のない期待もあるんだろうと思う。絵空事のような光景に出くわしてしまってからずっと感謝しなければいけないはずの余裕のある普通の日々が恐ろしく空虚に思えてしまう。

 

「うん……?」

「あ? なんだガキ?」

「ここは子供の来るところじゃねえぞ! 失せろや!」

 

 この時間帯はどこもまだシャッターが閉まっている窮屈な飲み屋街の裏手を進んでいると運悪くガラの悪そうな男たちと出くわしてしまう。僕はただ通り過ぎたいだけだけど、なにやら彼らは何かバツが悪そうな顔をして、語気を強めて食って掛かってくる。

 

「おい。俺らの話……こいつに聞かれてたんじゃないっすか?」

「面倒くせえな。どの道、顔見られちまったし巻き込ませとくか」

「は? ちょっと待ってください!? なにが……!?」

 

 男たちは良からぬことの企てを話し合っていたのだろう。

 それを光我に盗み聞かれたと勘違いしてあっという間に彼を取り囲んだ。

 

「お前堅気だな。顔で解る……大方色気出して悪ぶりたかったってとこだろ。身の程を弁えられない自分を恨むんだぞ」

「うわっ!? まっ! や、やめてって!」

 

 リーダー格と思わしきタトゥーを彫った男が乱暴に光我の手首を掴んで勝手口が開いている店の中へと引き込もうとする。慌てて抵抗して声を出すがこんな場所の、こんな時間帯だ。善良な他の通行人などいるはずもなく、万事休すと思われた時だった。

 

「何をしているんだ君たち!」

 

 光我が行きたかった路地の奥の方から青い制服に身を包んだ若い男が駆けてくるのが見えた。見間違うはずもない。それは確かに警邏中の警察官だ。

 

「兄貴、不味いっすよ!」

「チッ……いくぞ」

「は、はい」

 

 国家権力の登場に男たちは蜘蛛の子を散らすように路地裏の闇の中へと逃げていった。

 九死に一生を得た気分の光我が冷汗を拭い、息を整えているとその場に駆け付けた警官がゆっくりと落ち着きのある声色で彼に話しかけた。

 

「大丈夫かい?」

「は、はい。ありがとうございました」

「ところで……見たところ学生のようだけど、平日のこんな時間に何故こんな場所にいたのかお巡りさんに説明は出来るかい?」

「それは……」

 

 一難去ってまた一難。

 自業自得と言われれば反論できないが光我はこの若そうに見える警官の質問になんて答えるべきか自分でも正確に言語化できないことだっただけに言い淀んでしまう。

 

「信じてもらえるか分からない、ですし……自分でもうまく説明もできない……です。ただ誰かに迷惑をかけるとかそういうことはしてないです」

 

 こんな回答では絶対に納得はしてもらえないと分かってはいたが気付けは光我は絞り出すような小さな声で目の前の警官に答えた。叱られると思っていた光我だったがその警官の対応は意外なものだった。

 

「……そう、か。君、もしも言い辛い何かを抱えているようなら話すだけでも本官に話してみないかい? 学校やご両親にすぐに連絡はしないと誓うよ」

 

 見たところ二十代後半から三十代あたりの短髪で精悍な空気を帯びた男性警官は制帽を取って、ぎこちない笑顔を作りそう言った。

 

 

 

 

「ほら」

「あ、ありがとうございます」

「本当はこういうのダメなんだけど、まあ……おあいこってやつだ」

 

 苦笑するお巡りさんから缶コーヒーを受け取る。

 無糖だ。

 いまは他に誰もいない川沿いのガード下に等間隔で設けられたベンチの一つに腰を下ろして、何から話せばいいかもらったコーヒーを一口飲んで考える。苦い。

 

「お、すまん。甘いジュースとかのが良かったな」

「いえ、大丈夫です。ところで……えと」

「ああ、いつまでもお巡りさんじゃ呼びにくいよな。コウマとでも呼んでくれ」

「コウマ?」

「本名は鋼屋舞太郎(はがねや まいたろう)って言うんだけど、立派すぎるからって世話を焼いてくれた先輩がコウマって呼んで可愛がってくれたんだ」

 

 自己紹介をしてくれた警察官のコウマさんは制帽と脱いだベストを小さく畳むと脇にしまう。きっと警察官と二人きりで話している高校生として周囲に見られてしまう僕に少しでも妙な噂が立たないように配慮してくれているんだろう。

 

「でだ。見たところ悪さに慣れた不良少年っぽくない君があんなところでなにをしていたんだい? ゆっくりでいい。本官に話してみてくれないかな? まずは君の話を聞かせておくれ」

「……嘘みたいな話なんですけど、半月ぐらい前の夜にこの世のものとは思えない怪物を見たんです。追いかけられもしました。それから――」

 

 僕は自分の身に起きた出来事を全て洗いざらいコウマさんに話した。

 三つ目の怪物のこと。

 それが何匹もいたこと。

 更にはそれを退治するために現れた仮面の人達のことを。

 

 そして、そんな非日常を目の当たりにして依存症のようにそんな非日常の続きを、この帝都のどこかで息を潜めている怪奇を探し始めてしまった自分のことを話した。

 何度も口の中が乾いて、そのたびに苦いコーヒーで喉潤し、いくつも言葉に詰まり、説明に苦労して無言になったり、時間を掛けにかけてコウマさんに話していた。

 話している間に自然とこの怪奇を追い求めて彷徨い回っていた自分の中に巣食っていた不快な気持ちの正体にも見当がついてき始めていることを実感する。

 

「無力だったんです……僕は」

「うん?」

「都市伝説みたいな噂話の怪物が本当にいるって分かって、なんとかしなきゃいけないって思って。でもあんなの通報したって信じてもらえるか分からなくて、だけど見ちゃった僕は自分や友達も暮らしてる帝都にあんなのがいるだなんて本当に怖くて、なにかしなきゃ絶対にダメなんだ。だって、あの怪物が本当にいるって知っているのは帝都で僕しかいないのかもしれない……僕が行動しないとまた誰かが襲われちゃうんだって! でも、でも‥‥…! 僕なんかが立ち向かったって勝てっこないのは分かってて、どうすればいいのか……誰かに相談したくても変な奴って思われたりしたら、そもそも誰も本気で聞いちゃくれないかもって思いもして……どうすればいいのか、ちっとも分かりませんでした」

 

 壊れた蛇口から水が流れ続けるように僕の口からどんどん言葉が出る。

 無力。そう、僕をずっと焦らして苛んでいたのは非日常に対する無力感だった。

 どうすれば正解なのか知る術も力も無くて、でも何かはしないといけないっていう使命感みたいなものだけはずっと胸の奥で燃え続けていて、だから色んな気持ちが拗れてあんなことをしていたんだと思う。

 気が付けば自分の頬を熱い液体が伝い落ちる感覚があった。

 

「冷静に考えたら馬鹿げてるってすぐに分かるのに、もしももう一度あの怪異に巡り会えたら漫画の主人公みたいに自分にも何かすごい力みたいなのが転がってくるんじゃないかってのも……思ってました」

「そうか」

「ご迷惑、お掛けしました。両親にも悪いですし、明日からはちゃんと学校行きます。こんな変な話を聞いてくれてありがとうございました」

「確かに、君のしてきた行動は滅茶苦茶で学生の本分も無視していた。それに今日のように君自身の身を危険にさらす本官としては注意せずにはいられない行為だった」

「……はい」

「しかしだ。今日君はそんな荒唐無稽な話を真剣に俺に話してくれた。よく、話してくれた……君の勇気を俺は尊ぶよ」

「へ?」

「頑張ったな。偉いぞ」

 

 無骨で大きな手が僕の肩をポンポンと労ってくれる。

 一瞬、何が何だか分からなかった。

 コウマさんは僕の話を信じてくれるということなんだろうか。

 

「加えて付け足すなら、君は無力を嘆かなくてもいい。だって、信じてもらえないかもしれないっていう不安を振り払って本官に話してくれたんだろう。君は強い男だよ」

「あ、ああ……はい」

 

 きっと日夜警察官としての職務を全うするために外を駆け回っているんだろうこんな季節でも日に焼けた肌をしたこのお巡りさんは頼り甲斐のある顔で僕に何度も頷いていた。  

 報われた気分だった。

 救われた気分だった。

 恥ずかしいけど、また泣きそうになってしまう。

 

「それから、君だけじゃないみんなだって本官だって生きている中で絶えず無力感を味わっているんだと気休めにならないかもしれないけど覚えておいて欲しい」

 

 悲しそうな顔をしてコウマさんは視線を足元に落としながらご自身の話を僕にしてくれる。

 

「本官も昔はもっと理想に燃えていたよ。いまでも仕事はちゃんとしているけど……なんていうのだろうね、警察官になって誰もヒーローなんてものを望まなくていいぐらいに悪いことをする連中を逮捕してやろうって息巻いていたよ」

 

 だけど、現実はそう甘くなかったとコウマさんは続けた。

 大小問わず、犯罪は日夜増加の一方。

 警察官の数は帝都に限らずどこも人手不足で嫌でも仕事は作業のように熱意など求められない効率と簡略化を望まれていく現実。

 

 逮捕できたとしても法律だ人権だと過剰とも思える横槍が入ってきて、犯罪者に正当な裁きが下されることなんて数えるぐらいという空しさ。

 おまけに警察組織内にも蔓延る縁故による贔屓や金銭や権力による汚職や堕落――嫌というほど見せつけられて。夢を語り合った同僚や尊敬する上司や慕う後輩――正義に力が不足していなければ優秀な警察官として栄達していただろう同僚たちが色んな形で志半ばで去っていくのを経験したという。

 

「情けない話だけど、本官なんかは妥協したくちだ」

「妥協ですか?」

「ああ。政財界に潜む巨悪を逮捕することは出来なくとも、手を出さないで無念を噛み締めてでも市井の人たちの力に長くなることを目標に踏みとどまり続けようってね」

 

 そう語るコウマさんの顔はやりきれない憤りに曇りながらも、不屈の信念のようなものが宿る強い面持ちに僕には見えた。こんな人だから、たぶん僕も独りで抱え続けていた秘密や想いを全部吐き出して、どうしようもない安心感を覚えたのだと信じたい。

 

「君の言葉を信じて本官の方で夜間の警邏を強化できないか働きかけてみよう。例え上が頷かなくても俺や動ける者たちで今よりも念入りに見回るよ。だから、君は普通の高校生に戻れ。いいね」

「名前」

「うん?」

「早瀬光我って言います。コウマさんにお話しできて良かったです。本当にありがとうございました」

「ああ、光我君……よく頑張った。君の勇気に本官たちが必ず応えよう」

 

 また目じりに溢れ出した涙を慌てて拭って僕はコウマさんに深く一礼して、ただの高校生に戻る決意を固めた。この人に出会えて良かった。

 不謹慎なことだけど、きっとあの夜に見た仮面の人も絶対にコウマさんのような勇気と正義感を持った人なんだろう。もしかしたら、誰でもないコウマさんが――。

 いや、もう考えるのは止めないと。

 コウマさんと約束したんだから。

 

 

 

 

「全くついてないぜ。ポリに顔見られちまった以上今夜はやめますか?」

「ああ? 馬鹿か、だからこそ今夜やるんだよ。前から目星つけてたタバコ屋のババアの家、あそこいくぞ」

「マジっすか!?」

 

 昼下がりの午後の時刻。

 光我に詰め寄ったガラの悪い男たちは再び溜まり場である捨てに空き家となった飲み屋の裏に集まって押し入り強盗の計画を企てていた。

 

「確かあの家は土地持ちでそれなりにテナント料で儲けてるって噂だからな。どうせ棺桶に片足突っ込んだ老いぼれだ。うっかり死んじまったほうが家族も感謝するだろう」

「あはは。鬼畜っすねえ!」

「番犬のつもりかコーギーか何か飼ってたと思うがそいつもパクって売り飛ばすか吠えるようならその場で殺せばいい。あー……俺犬嫌いだし殺した方がいいな。なんならババアを黙らすときに利用すっか」

 

 他者の命を奪うことにまるで罪の意識など持ち合わせていない様子のタトゥーの男に同調するように子分たちは下卑た笑いを浮かべる。彼らが準備に取り掛かろうかなどと話していると硬質の足音が一つ、ひどくその場に響く。

 

「先刻、警察(本官)の姿を見て肝を冷やして悔い改めてくれると願っていたが残念だ」

 

 現れたのは職務に戻った鋼屋であった。

 表情は正午前に悩み苦しんでいた光我を頼もしく受け止めて励ましていたあたたかなお巡りさんとはまるで別人の険しいものに変わっている。さしずめ、無機質な金属のよう。

 

「ちゃんと機会を与えたのに……」

「なんすかお巡りさん? 僕らぁただ雑談していただけっすよ」

「それとも俺らみたいなのは仲良く集まってお喋りしてるだけで逮捕されちゃうんですかー?」

「俺たちに何か文句入れたいのなら礼状を出してくれませんかねえ。じゃなきゃ、逆に名誉棄損でお兄さんの上司さんに言いつけますぜ? いいんですかい?」

 

 チンピラたちは寄ってたかって鋼屋を挑発した。

 チンピラたちからしたら鋼屋のような警察官たちとは法律と国家権力に躾けられた犬だ。何をするにも上役に報告して許可をもらってと行動が愚鈍で煙に巻くのは容易い。こちらから直接手を出さなければいくら凄んでこようともそれ以上は自分たちに手は出せないのだし、そういう職務に就いているのだから例え自分たちのような犯罪を犯すことに微塵も躊躇いのない相手であろうと警察官が先制攻撃をしてくることはあり得ない。

 

 もしもそんな暴挙を犯す警官がいれば他でもない法律が自分たちを守ってくれるのだとチンピラたちは高を括っていた。

 だから、考えもしなかっただろう。

 そんな馬鹿なことをする警察官がいるかもしれないという危険性を。

 

「きっとその目が悪に染まっているから、見るもの全てに犯罪をけしかけようと企ててしまうんだろうね。お仕置きをしてあげよう」

 

 つかつかとチンピラたちに近づいた鋼屋は無表情のまま未成年と思わしき派手な髪色の男の目を装備していた警棒で叩き潰した。

 

「ぎゃああああああああああ!?」

 

 目元を覆って絶叫する男の指の隙間から眼球だったと思わしきものが床に落として割れた生卵のように体液と混じったグチャグチャの何かのように成り果てて漏れていた。この男はこれからの長い年月をずっと盲人として生きていかなければならなくなった。

 

「な、なにしやがる! ざけんなよポリ公!!」

 

 仲間を傷つけられたホスト崩れのような格好の男がすぐさま報復に打って出る。いくつも指輪を嵌めた拳で無遠慮に鋼屋の顔面を殴りつけと骨が折れる音と血の滴る調べが順番に響いた。

 

「ぐっあああああ!? その顔……お前なんなんだよ!? ば、バケモンか!?」

「はあ……いきなり他人を殴るとは悪い子だ。悪い手だ。それに――」

 

 男たちはいつも弱者や一般市民に悪ぶって高圧的に接する強気な態度は何処へやら、鋼屋の姿に起きた変化に恐怖で震え上がっていた。

 骨が砕けて曲がってはいけない方向へと折れ曲がり、肉が裂けて血塗れの指をした手を庇っている男の視線の先には顔面の一部分が鈍く輝く金属に変化した鋼屋がいた。

 

「その足が悪いんだな。無神経に陰湿にあちこち悪事をバラまいて善良な市民の皆さまに迷惑をかける、その足も悪だな」

「ひい……ッ!?」

 

 恐ろしさで腰が抜けてその場にへたり込んだホスト崩れの男の膝を、脛を、足という足へと鋼屋は警棒を振り下ろす。

 

「ああああああああああああああああああああああ!!」

「静かにしなさい。近所迷惑だろう」

 

 嚙み砕かれていくお菓子のポッキーみたく破壊されていく男の足。気が狂いそうになる痛みで叫ぶ男の喉にも警棒のひと突きが刺さり、潰される。彼は恐らく一生を車いすの世話になって生きていくのだろう。声も亡くし、自分の意思を誰かに訴えるにも道具なり手話のような技術が不可欠な体になった。あまりにも呆気なく。

 

「お、お前こんなことしてどうなるか分かってんだろうな!」

「というと?」

「てめえの人生終わらせてやるって言ってんだよ! 警察に突き出すだけじゃ済まさねえぞ! SNSで晒してお前もお前の家族も人生滅茶苦茶にしてやるからな!! このクソポリ公が! どこの所属か言ってみろ!!」

「残念だがその質問には答えられない。何せもうどこにも所属などしていないのだから」

「はあ!?」

「それにしても頭の悪い子だ。いや、頭が悪いからそんな風に罪もない人たちをたくさん困らせるようなことをいくつも思いついてしまうのか……」

「来るな……! くるっ、こ、来ないでくれ……ああ! あああっ!?」

 

 足元で蹲り悶え苦しむ子分たちを心配する余裕もなくして、虚勢を張るタトゥーの男に鋼屋は淡々と告げながらゆっくりと近づいてくる。その表情に、その手先に今しがた人間二人をあっさりと障害者にしてしまった罪悪感がある様子は微塵もない。

 

 チンピラたちは大きな思い違いをしていた。

 警察官の制服を着ているからといって、それが本物の警察官である保証は絶対ではないのだ。稀有な例ではあるが、男たちはその例外と巡り会ってしまったわけだ。目の前の男は何かがおかしいと気付いた頃には何もかもが遅すぎた。

 目の前の制帽を被り、青い制服に袖を通したこの男は執行者には違いない。

 ただし、法ではなく私刑執行人なのだ。

 

 タトゥーの男は抵抗することも出来ずに死なない程度の加減をされて頭部を割られて崩れ落ちた。

 これからを寝たきり状態で生きていくことになること男はいったい何を思い、考えていくのだろう。考える自由は残っているのだろうか?

 

 鋼屋舞太郎はその後、チンピラの一人から携帯を拝借すると警察と救急に匿名希望の通報をして何処かへと立ち去った。殺しはしない。生きて苦しみ、悪事を犯しか自らの業を悔い改め続けろと叫んでいるように男たちが横たわる裏路地に硬質の足音がいつまでも鳴っているようだった。

 

 

 

 

「こんな時間になっちゃったか……」

 

 すっかり暗くなった高校と最寄り駅を繋ぐ通学路の道中を光我は早歩きで帰路についていた。コウマと別れてから、彼は昼過ぎになってしまったが高校へ向かった。そこで教職員たちに彼なりのけじめとして謝罪をして、午後からの授業を受けた。

 

 流石に全てをありのまま話すことはしなかったが進学と両親の海外出張が重なり、大きく変わった環境に馴染めずに毎日学校に通うことが出来なくなってしまっていたと説明した。それなりに注意も受けたがそれ以上に気遣われるような言葉をもらえたと思う。

 

 それから中学からの友人たちにも心配をかけさせたことを謝った。照れくさいところはあったがおかげで今後も友情や交流が途切れることはないような反応を見せてもらえた。あの頼もしいお巡りさんには感謝の気持ちが止まらない。

 

「ちょっと緊張するけど、落ち着いたらお礼に行きたいな……事情を伝えればどの部署にいるのかとか教えてくれるのかな警察って?」

 

 晴れやかな心地で駅を目指して歩いていると不意に不自然に大きな水音が宵闇に響いた。バシャバシャ、バシャバシャと生き物が水の中で藻掻いているような奇妙な音だ。

 

「なんだこの音? 野良犬かなにかいる?」

 

 耳を澄ますとその水音は対面側にある公園から聞こえてくるようだ。

 周囲に他に人はいない。

 しばし思い巡らせて、光我は走り出していた。

 

 もうあの夜の出来事とは決別しようとコウマとも約束したが仮に小動物が溺れかけているようだとしたら自分が確かめれば救えるかもしれない。結果として見殺しにするぐらいなら足を運んでみようと思い至った。

 

「この辺だよね……」

 

 入り込んだ公園は思いのほか広い敷地を有するしっかりした公園だった。

 一部使用禁止になっているが遊具が一通り揃っていて、立派な東屋が建てられていた。そして件の水音は夏場には小さな子供たちが遊べる人工のじゃぶじゃぶ池から聞こえてきていた。

 

「うん……んん!?」

「はぁ~生き返るぅ。惜しいなぁ、もうちょい深かったら半身浴できそうなんだけどなぁ」

 

 抜き足差し足でいまも水音が聞こえ続けている池へと近づくとそこには見覚えのある空色の制服の後ろ姿が暗がりの中にあった。

 

「ホムラさん?」

「およ?」

 

 光我が声をかけるとちょうどいい大きさの岩に腰かけて素足を池の水に浸している少女は振り返り、朝と同じ笑い顔を見せた。

 

「やぁ、早瀬じゃん! なにやってんの?」

「こっちの台詞なんですが!」

「わはは! 一日歩き回って疲れちゃってさ! 足湯して癒されてたわけよ♪」

「風邪ひきますよ! ちゃんと家帰って風呂入りなよ!?」

 

 朝の出会いも驚いたが一日経たずして再開したホムラの突拍子もない行動に堪らず光我は叫んでしまう。冬は過ぎたとはいえまだ夜は肌寒い。そんな状況でただの池に足なんて入れていたら体調を崩すのが目に見えている。

 

「あれ……?」

「そういう早瀬はこんなところでなにやってんの? ちゃんと良い一日送れたかぁ?」

 

 しかし、ホムラのそばまで近づいて違和感に気付く。

 池の水から温かみを感じるのだ。夜の暗さで視認するのが難しいだけでどうやら湯気も出ている。どうなっているのかと首を傾げているとその思案を遮断するようにホムラの方が話しかけてくる。

 

「えと、まあ……うん。忘れられない一日になりましたよ。昼からはちゃんと学校も行きましたし」

「おお、すごいじゃん! やるねえ♪」

「それより、帝都の夜は危ないんですから早く帰った方が良いですよ」

 

 ぶっきらぼうな姐さんっぽい声色を作ってからかうように祝福するホムラにこそばゆい気持ちを感じながら光我はムキになりつつ返す。そんな少年の分かりやすい反応をニヤニヤと面白がりながらもホムラは素直に池の水から足を上げるとソックスと靴を履きだす。

 彼女の存在感が鮮烈すぎたからだろうか、この時の彼はあれほど熱狂して求めていた怪奇の接近に気付いていなかった。

 

『イイイイイイイイィィィ――!!』

「へ?」

「夜は危ないか、同感だね! 早瀬ェ舌ぁ噛んじゃダメだかんね!」

 

 茂みから暴走車のように飛び込んできた黒い塊。

 反応することも出来ずにその場に突っ立ていれば正面衝突は免れないであろう光我はホムラに蹴り飛ばされて後方へと強制移動させられ難を逃れる。しかし――。

 

「痛っ……わ、あっ、ホムラさん!!?」

 

 自分を庇った彼女が黒くて気味の悪い大きな異形に押し倒され襲われているのを見て、血相を変えて悲鳴を上げる。アイツだ――光我にはすぐに現れた生き物がなにか理解した。だからこそ絶望する。

 彼女は死んでしまう。

 彼女自身も逃れることは出来やしないだろう。

 唯一そばにいる自分にも救う術はないだろう。

 例え命を懸けたとしても光我()はホムラを助けることはできないだろう。

 それどころか、彼女を見殺しにして急いで逃げなければ自分も死ぬ。

 

『イ゛イイイイィイイイイッ!!』

 

 不快感を煽る気味の悪い咆哮が光我の心を蝕む。

 目の前でホムラが蹂躙され、あのきれいな顔や手足を壊されて死んでいく最悪のヴィジョンが鮮明に思い浮かんでしまい震えが止まらない。

 

「や、やめ……ろ」

 

 改めて突きつけられる人知の領域外にある怪異が醸し出す恐怖に彼は叫び声さえも出すことも出来ずに知り合ったばかりの少女が犠牲にある有り様を見せられるしかないと思われた。

 

「あーもー制服汚れちゃったじゃん! あと、相変わらず口くっさい!」

「は、へ? え、え、え……!?」

「JK舐めんなしマジで!」

『ンギィンンンンン!?』

 

 ハイエナに襲われた草食動物のように貪り食い殺されていると思っていたホムラのピンピンした声。そして、彼女は異形の怪異――アウトエンドの口元を片手で掴む。

 そこからだ。

 他でもないアウトエンドに異変が起き出したのは。

 状況と風向きが変わり始めた。

 肉が焼けるような焦げ臭いにおいが周囲に漂い、怪物の方が苦しみ始める。

 

「こんのッ!」

『グエァ!?』

 

 怪物に覆い被されている状態でホムラは器用に両足を畳んで身を丸めるように縮めると両足に力を込めて思い切り腹を蹴っ飛ばして、拘束から脱出する。

 

「ホムラさん!?」

「んー……見られちゃうけどしゃーないか。やんないと早瀬死ぬかもだし、ありよりのあり!」

 

 驚く光我を置いてけぼりにして、ホムラは百面相をして自分を納得させるとアウトエンドに仕切り直しとばかりに対峙する。

 

『イ゛イイイイィイイイイッ!!』

 

 自動販売機の近くに転がったアウトエンドが光に照らされてその全貌を曝す。

 ラバースーツのような漆黒の表皮は異様に発達した筋肉でボコボコと歪に隆起している。脚部は二足歩行ではあるがイグアナのような爬虫類のそれに近く、鋭い爪が生えている。頭部は人に近いが口元は獣のように前に伸びて牙を有し、額にも目玉があり、両目と合わせて三つの不気味がギョロギョロを蠢いている。

 そしてこの個体は先日、光我が目撃したアウトエンドとは異なり全身に骨のような外骨格が剝き出しになっていた。ホムラや光我が知る由もないが正式名称はアウトエンド・タイプスカル。

 

「ホムラさん逃げよう! 早くこっちへ!!」

「サンキュ早瀬。けど、ごめんねーウチむしろこいつに用ある感じだからさ」

「はあっ!?」

 

 一緒に逃げるように声を張り上げる光我にヒラヒラと手を振って若干の申し訳なさからか苦笑いを浮かべると大きく息を吸い込んだ。彼女が大きな隙を見せたのを逃さずタイプスカルが太い両足を躍動させて猛然と飛び掛かる。

 

「ウェーーーイ☆」

『ア゛アアアアアア!?』

 

 陽気で場違いな気合の叫びと一緒にホムラの口から吐き出された大火炎が容赦なくタイプスカルを呑み込んだ。

 それを第三者視点で目撃していた光我もあまりにも理解が及ばない光景に恐怖も何もかも消し飛んで頭が真っ白になった。なにせありふれた陽キャ風の女子高生がいきなり映画の中の怪獣王顔負けに口から火を吐いたのだから驚かずにはいられない。

 

「な、なん……? へ、え? ホムラさんなんなのあんた? 人じゃない!?」

『グウ、ウ……ウウ』

「いまのは足湯でまったり癒されてたの邪魔されたお礼ね」

 

 タイプスカルは炎で焼かれながらもまだ生きていた。

 強烈な炎熱で悶えてはいるがこれぐらいで絶命するほど軟弱な性能はしていない。

 青ざめた様子でホムラに問い質す光我だったが彼女からの答えはない。彼女の意識は既に目の前の怪物一点に絞られていた。蚊帳の外に置いて行かれている光我ではあったが彼の指摘は概ね間違ってはいない。

 

 少女ホムラは人間ではない。

 かつて、人間ではあった者だ。

 禁忌の領域に踏み込んだ技術体系によって恐るべき能力を授けられた存在。それも突然変異種というカテゴリーに分類される。イレギュラーあるいはミュータントと呼ばれるものだった。

 

「本気でボコるのはこっからだから」

 

 そして、ホムラもまた気の引き締まった表情で臨戦態勢のままだ。彼女的にはむしろいまの火炎放射も喧嘩開始のビンタのようなものだった。

 ホムラの心の昂りが境界線を超える。

 少女の額に縦一文字の傷が生じる。

 それが彼女の中に秘められたスイッチが押された合図。

 

「ハハ。アガってきたぁ!!」

 

 傷はやがて瞼に。

 瞼は瞳に。

 異なる瞳は輝いて。

 第三の瞳(サードアイ)、開眼。

 

「フゥー……よし!」

 

 第三の眼ーー超瞳(パワーアイ)から人知を超えた力が溢れ出す。

 計り知れないエネルギーがホムラの五体を駆け巡る。

 やがて、彼女の腰部には真紅の宝珠を備えたベルト型の制御装置アナザーハートが出現する。その身に宿した凄まじい力そのものに彼女という器が壊れてしまわないように。

 

「変身!」

 

 ピースサインを作った両手を胸元で交差して構える。

 無敵の笑顔でその二文字を叫び、ホムラは眩いばかりの火焔に包まれて、姿を変える。

 

 

 やがて燃ゆる太陽のような熱き輝きが鎮まり、夜の冷たい暗闇が戻って来る。

 公園の街灯から降り注ぐちっぽけな光をスポットライトのように浴びて、仮面の戦士がそこにはいた。

 

 煌々と燃える炎を纏ったような紅緋の四肢に纏うは黒鉄色の生体装甲。双肩の付け根、手首足首を覆う銀の鎧はオイルライターのチムニーのような意匠である。

 

 フルフェイスの真っ赤な仮面にはつり目気味の紺碧の複眼と額には蒼い結晶体となった超瞳の合わせて三つの眼が爛々と倒すべき敵を睨んでいる。

 そしてエネルギーラジエーターとして機能している仮面の頭部から伸びる長い灯芯がまるで白銀のポニーテールにように夜風に靡いていた。

 

 これが帝都の裏側で殺戮の遊戯を演ずるミュータントライダーの一騎。

 これが焔羅だ。

 

「嘘だ……ホムラさんがあの夜の」

 

 決別したはずの怪異と謎多き希望がそちら側から自分の傍に接近してきた現実に光我は愕然としてたまらず膝をついた。放心状態の彼の目の前であの夜の再演をするように二つの異形はぶつかり合う。

 

『せぇっ! はあっ! 燃・え・ろぉおおおお!!』

 

 一足飛びで浮遊するように高く跳んだ焔羅はハンマーを振り下ろすような重いパンチを叩き込むとそのまま鋭いハイキックを繰り出す。おまけとばかりに右手をタイプスカルの胸に押し当てると強烈な炎を放って相手を火だるまにしながら後方へと吹き飛ばす。

 

『イイイ―――!!』

『うわぁ、ウザ。けど、そうこなくっちゃねえ!』

 

 しかし、タイプスカルはまだ生きており。こんなものでは自分は殺せないとアピールするように両腕を振り回して身を焼く炎を掻き消した。

 迎え撃つ焔羅も薪をくべられた炎のように闘志を盛んにさせて相手取る。背部にマウントしている二本の60㎝ほどの白いロッドの片方を引き抜くとチアリーディングのバトンのようにくるくると回して構えた。

 

 今宵もバケモノたちが命を賭して殺劇を繰り広げる。

 狂った夜祭は始まったばかりだ。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。