ゆっくりと石の階段を登っていく。
少しだけ冷えた風が頬を撫でて。
空を見ればまだ陽が昇ったばかりであると教えてくれていた。
下で待っていた近衛隊と少しだけ揉めはしたが。
火急的速やかに報告するべき事があると伝えれば折れてくれた。
初めから責任は私が持つ事になっていたのも頷いてくれた要因か……いや、別にいい。
責任を持つのは当たり前だが。
別にこの件で誰かが責められるような事は絶対にありえない。
何故ならば、あの方であればこの事すらも“分かっている”だろうからだ。
コツ、コツ、コツと靴の音が響く。
そうして、最後の一段を登り終える。
少しだけ吐息を零しながら、目の前に聳え立つ巨大な扉を見つめる。
その両脇には同じように大きな石で出来たゴーレムの兵士が立っている。
「……開門」
私が扉の前に立ちながらそう呟けば。
ゴーレムたち瞳に光が浮かび上がった。
そうして、ゴーレムたちが片手で大きく重厚な扉を押し開けていく。
すると、中から温かな光が溢れて来た。
「……」
白い大理石で作られた
ラムティニアを悪しき者たちから守りし聖なる力が眠る場所。
この国の全ての人間たちが欠かす事の無い感謝の気持ちを祈りと共に捧げる場所でもある。
普段であれば一般の人間にも此処へ入る事は許されているが。
早朝のこの時間だけは誰であろうとも立ち入る事は許されていない。
この時間だけはあの方のみが許された時間であるからだ。
私はゆっくりと足を進める。
恐れる事は何も無い。
此処は神聖な場所であっても、我ら信徒にとっては偉大なる父に会う場所なのだ。
コツコツと私の靴の音が小さく響く。
窓から差す光が私の前を照らすように続いていた。
その中をゆっくりと進みながら、私は顔を上げて神々しいそれを見つめる。
目の前には巨大で透明な結晶が聳え立っている。
そこから黄金の光の粒子のようなものが放出されていて。
私の体に触れたそれが、私の中にあった疲労を和らげてくれていた。
これこそが我らが守りし力そのもの……いや、それが眠る棺だろうか。
その中心には一本の“聖剣”が眠っていた。
鞘に収まり、誰にも触れる事が出来ないその中心でだ。
かつて世界を無に帰そうとした巨悪。
かの邪神龍と戦った勇者様が振るったとされる“聖剣アイビス”。
勇者様が神の元へとお戻りになったその時から。
主を失ったアイビスは自らを結晶の中に封じてしまった。
何人たりともあの結晶を砕く事は叶わない。
アレは魔力のそのものであり、魔法のような奇跡に等しい力を秘めている。
どんなに強大な力を使おうとも、アレには罅一つつけられない。
この世で最も硬いものを聞かれれば、私は間違いなくアレだと答える。
それほどまでに強固な結界を破る方法はただ一つ……私はゆっくりとその場に跪く。
「教皇猊下、フリード・ヴァーミリオンただいま帰還致しました」
「……よくぞ戻られました。ヴァーミリオン大司教」
大結晶に対して祈りを捧げる教皇猊下。
分厚く真っ白な聖衣を纏うこのお方こそが我らを導いてくれる存在だ。
あの方の日課であり、この祈りの時間を邪魔する事は本来許されない。
が、今は一分一秒も早く報告する必要がある。
だからこそ、近衛には無理を言って通して貰った。
……とても落ち着いておられる。やはり、神託によって私が来る事も……。
教皇猊下は祈りを終えた。
そうして、手にした黄金の
清らかな音が鳴り、その音色を聞いただけで心の高ぶりが鎮まる。
この世に現存する神具の中でも癒しと守りに特化したものだ。
アレを振るう教皇猊下の守りを崩せるものは金級の冒険者であろうともいない。
あの方の癒しの力も協力であり、死んでいなければあらゆる傷を一瞬で癒す力を持っておられる。
本人の聖浄の力と防護の魔術の技量がかなりのものである事も関係している。
それらの力を倍増させているのがあの聖杖であり、悪しき者には決して屈する事は無い。
教皇猊下は立ち上がり、ゆっくりと私に笑みを向けてくださった。
くしゃりと笑えば皺が浮かび、年相応の顔をしているが。
この方の視線からは何一つとして相手を傷つけるものは含まれていない。
何処までも平等に相手を一つの命として見てくださっている。
例えどんなに忌み嫌えらた存在であろうとも、悪でない限りはこの方は慈悲深い。
彼はゆっくりと私を見つめる。
「それでは、報告をお願いします」
「ハッ……結論から言います……可能性のある者を見つけました」
「……そうですか。やはり、あの場所にいたのですか……その方はどのような人でしょうか」
「……とても純粋で、疑う事を知らない青年です……ですが、他者を思いやる心がとても強い。自らを犠牲にしてでも、友や家族を守ると言う意思をすぐに感じました」
「なるほど……それは勇者様に似ていますね」
教皇猊下はゆっくりと頷く。
そうして、目を細めながら彼は笑う。
まるで、その答えの通りだと言わんばかりで……この方は何処まで知っておられたのか。
私は少しだけ教皇猊下の力を恐れる。
が、彼の聖杖から齎される力が私の恐怖を消してくれた。
私はそれに感謝しながら、言葉を続ける。
「ですが、あくまでも可能性に留まるかと……白い光が見えました。が、それはとても小さく弱弱しかったです。まるで、生まれたての赤子のように」
「……まだ時が満ちていないのでしょう。彼は大きな戦いを経験した。それがきっかけとなり、彼は勇者の力に覚醒しかけている」
「……ですが、よろしかったのですか? 可能性とはいえ、やっとの事でたどり着いた光……みすみす放置するのは……」
私自身の意志とすれば、彼は無理矢理にでも連れて帰るべきだと考えていた。
今までの調査では可能性すらも見えなかったのだ。
これは大きな成果であり、すぐにでも教皇猊下の元へ連れて帰るべきだった。
だが、教皇猊下は私がこの地を発つ前におっしゃられていた。
『此処へと無理矢理に連れて来る事はなりません』
……どうしてなのか。
可能性であろうとも連れて来るべきだった。
そうすれば、教皇猊下の力で完全なる覚醒を促す事も出来た筈だ。
それなのに、連れて来る事は許さないなどと……まるで、この方の考えが分からない。
私が戸惑っていれば、彼の聖杖から音が鳴るのが分かった。
その美しい音を聞きながら待つ。
ちらりと視線を向ければ、彼は窓の一つから差す朝の陽光を見つめていた。
「……全ては運命として決まっています……六大神が一柱、“選定神オルニティア”は“運命”と“物語”を司る女神……全ては女神様の手が紡ぐ物語であり、その長い旅路で出会う運命ですらもあの方がお決めになります……その手は例え戦神ランデインの力をもってしても止める事は出来ない」
「……彼は必ずこの地へたどり着くと?」
「えぇ必ず……例えそうでなかたっとしても、何れは……全ては神々の想いのままに。我々はただその時を待ち、運命を受け入れるまでです」
教皇猊下が聖杖を光の中に入れる。
すると、光を浴びた黄金の杖から光が発せられた。
そうして、教皇猊下はゆっくりと私に向けて杖を出す。
放たれた光が私の体を包み込み、不安や心配を和らげてくれた。
温かい、とても心地が良く。
長い階段を登って感じていた疲労感が全て消えていった。
今にも眠りについてしまいそうなほどで――
「……ご苦労でした。今日はゆっくりとお休みになってください」
「……! いえ、それでは」
「ふふ、大丈夫ですよ……私も、昔のように若者と話がしたいと思っていましたから」
教皇猊下はそう言いながらゆっくりと歩き出す。
私は顔を伏せる。
彼は私の隣に立ち、ぽんぽんと肩を叩いてからそのまま歩いていってしまう。
私は教皇猊下の気配が無くなったのを確認し。
ゆっくりとその場から立ち上がる。
扉は開かれたままで、教皇猊下は近衛を引き連れて行ってしまった。
私は小さく笑う。
「やはり、あの方には敵わないな……その時を待つ。全ては神が決めた物語、か」
ゆっくりと大結晶に視線を向ける。
聖剣は依然変わりなくその中にあり。
何時もと変わらず人々へと癒しの光を送っていた。
疫病に苦しむ事も、飢餓によって争いが起こる事もない。
それは間違いなく教皇猊下の力とこの聖剣の加護があるからだ。
教皇猊下は勇者の末裔を探して何をなさるつもりなのか。
彼は探せとは言っても、その真意を明かす事は決してしない。
勇者をこの地へと導き育ててはいるが。
一体、何の目的があってそのような事をしているのか。
新たな象徴とするつもりなのか。
それとも、勇者の力を欲しているのか……いや、違う。
あの方は力を求めてなどいない。
何処まで行ってもあの方は聖職者であり。
人々を癒し導くことを本懐としている。
そのような方で無かったのであれば、誰もあの方を教皇に推したりはしない。
あの方が誠実で慈悲深かったからこそ、我々はあの方こそが教皇に相応しいと考えた。
力に溺れる方では決してない。
ましてや、力を使って利益を求める事も無い。
あの方は教皇であり、ラムティニアの指導者でもある。
「……」
今は考えても分からない。
神の言葉を我々が聞く事は出来ないのだ。
神の御言葉を聞く事が出来るのはこのラムティニアであの方ただ一人だ。
未来を見ているかのような物言いに、どんな事にも動揺しない心。
あの方との知恵比べでは私如きが敵うはずもない。
私が出来る事はあの方の思考を読み取る事ではなく。
あの方が示す道をただ歩く事だけだ。
あの方の指し示す方向には何かがある。
そして、それは決して間違いではない。
我々の考えもつかないような何かがあり。
それによって我々には幸福が与えられるのだ。
我らは僕だ。
神に仕える僕であり。
あの方はそんな神の代理人とも言うべき存在だ。
父に逆らう事は許されない。
全てはそのお心のままに我々は行動するだけだ。
例えそれで何かしらの傷を負う事になったとしても。
きっとその先には得難い幸福が待っているのだから。
「……休みか……久しぶりに、あの喫茶店に行ってみましょうか」
私は大結晶から視線を外す。
そうして、手に入れた休日の使い方を考える。
私は聖職者であり、本来であれば今も仕事があるのだが。
我らが父が休めというのであれば休むほかない。
これも神の導きであると自らに言い聞かせながら。
私は行きつけの喫茶店がこの時間に空いていたかどうかの心配をした。