鋭い痛みが走る。
唇が切れて血が垂れていた。
が、痛みによって己が掛かっているものの正体がおぼろげながら掴めた。
精神的な攻撃により幻覚症状が見られる時。
もっとも有効的な解決策は――“痛み”だ。
どれだけ心をかき乱されて、どれだけ感覚が狂っていても。
不意に来る痛みだけは誤魔化し切れない。
ナイフでもあれば手を切りつけたりも出来るが。
師匠が言うにはそこまでする時はもうほとんど“手遅れ”の状態らしい。
唇を噛み切る時の痛み。
これだけでも一瞬だけ感覚が戻った気がした。
が、それもほんの一瞬だ……だが、十分だ。
一瞬だけでも正常な状態に戻れたのであれば。
後は現在の状態と何が違うのかを判断するだけだ。
魔力の分析に関しては変化はない。
変化があったのは“視覚”と“聴覚”だ。
後は先ほどのような肌の感覚にも違和感があった。
恐らくは、奴の攻撃が当たった時にだけ異常を来すのだろう。
此処から考えられるのは、敵のそれは魔術などでは無いという事だ。
もしも、魔術であるのなら誰がしたかになるが。
十中八九があの魔物ではない事は確かになる。
長い歴史の中でも、魔術を使うような魔物は稀だろう。
人間が元になったようなアンデット系の魔物であれば可能性はあるが。
敵は危険種とはいえ人間に飼いならされただけの魔物だ。
知能があったとしても精神を操作するような高度な魔術が使える筈が無い。
つまり、これは――“毒”だ。
恐らくは、敵の口内に侵入した時だ。
あの時の敵の唾液を全身に浴びた事によって毒が回った。
奴の唾液そのものが毒であり、俺の視覚や聴覚を狂わせている。
単純な毒であれば時間を掛ければ解決はする……が、それまでには勝負は決まる。
解毒薬はあるにはあるが。
この解毒薬は全ての毒に効果がある訳じゃない。
感覚を狂わせるような器用な毒には効き目は薄いだろう。
……だからこそ、謎の声は“失感戦闘”をしろと言ったんだ。
「……」
敵の足音は聞こえない。
観客の声は僅かに聞こえるが。
奴の足音は微かながらにも聞こえない。
いや、精確に言うのであれば音が混じり合って歓声として纏まってしまっている。
敵の足音そのものは判断が出来なくなっていた。
揺れを感じようにも、観客たちの声や足踏みによってそれもあてにはならない。
俺は静かに目を閉じた。
そうして、全神経を魔力の探知に当てた。
失感戦闘とは、文字通り感覚を失った状態での戦闘を意味する。
全ての感覚をフルに使って戦う戦闘法とは対極の戦い方だ。
これを使う時は基本的に何かしらの感覚だけが機能している時にだけ行う。
現在、俺が失っている感覚は視覚と聴覚だ。
血の臭いが充満し、奴の唾液によって嗅覚も使い物にならない。
肌の感覚も信用しづらいだろう。
そう考えるのであれば“四つ”もの感覚を失っている状態となる。
味覚が残っていても、これではどうやっても戦いには繋げられない。
……つまり、残された感覚は……“六つ目”だけだ。
第六感、シックスセンスとも言う。
勘であったり、魔力の探知であったり、殺気などもそれだ。
それだけが生きている状態であり、魔力の探知によって敵の像を掴む他ない。
敵は動いている。
おぼろげながらに動いている事だけは分かる。
が、精確な位置や姿形は掴めていない。
何故なのか……まさか。
戦闘中に聞こえていた音がある。
あの時は深くは考えなかったが。
アレは観客が発した音でもなければ魔物の出す鳴き声でもない。
空気が噴き出るような音であり……そうか。
“魔力が掴めなくなっている”のではない。
“魔力が多すぎている”のかもしれない。
大気中に漂う魔素が異様に濃いのだ。
だからこそ、奴の姿を捉える事が出来なくなっている。
誰も気づいていない。いや、気づける筈が無い。
熟練の冒険者以外は、魔素の濃さなど分かる筈が無かった。
正々堂々と戦うなんて……とんど大噓つきだ。
感覚を潰し、最後の綱である魔力探知も断った。
それにより、俺は完全に追い込まれていた。
勝てない、奴の姿を捉える事は出来ない……と、以前の俺なら思っていた。
「……ふぅ」
静かに吐息を吐く。
瞼を閉じて僅かに残った聴覚も消す。
無音の状態へと己を追い込み。
俺は剣を鞘へと戻して、姿勢を低くする。
以前の俺であれば、諦めていたかもしれない。
だが、今の俺であれば――“届く”。
限界まで集中力を高める。
そうして、自らが探知できる魔力の範囲を“狭めた”。
多くの情報を得ようとするから、半端になってしまう。
奴の姿そのものを捉えようとするから、何も見えていない。
だったら、範囲を狭めてその姿の一部だけに集中すればいい。
奴の魔力の反応がもっとも強い場所。
それは奴の“核”だ。
集中。更に集中――見えて来た。
蝋燭の火のように揺らめく魔力。
魔素の濃い中で俺が捉える事が出来た奴の魔力だ。
それが飛んだり跳ねたりして動いていた。
周囲を飛び回りながら、俺の恐怖心を呷ろうとしている。
遊んでいるのだろうか……きっとそれも教え込まれたんだろう。
考えれば分かる事だ。
四級危険種ほどの魔物が何故に俺たちと戦っていたのか。
本来であれば一瞬で勝負を決められるだけの力がある筈だ。
が、そうしなかったのは奴の飼い主が手加減するように教え込んでいたからだ。
すぐに終わってしまってはショーにならない。
より残酷に、より絶望的な演出を……胸糞が悪い。
今も俺の周囲を飛び回っているのは、観客たちに俺が小便でも漏らして泣き叫ぶ姿を見せる為だ。
底意地の悪さを飼い主から学んだようで……もう、一欠けらの迷いもない。
この魔物は殺すべきだ。
これ以上こいつを生かしていれば、より多くの人間が悲しむ。
奴は飛んで地面につき――迫る。
火の玉が迫って来る。
それに反応するように、俺は足を動かした。
横へと飛べば、敵の体はそのまま突き進む。
そうして、闘技場の壁に当たったのか。
弾けるように此方に迫って来た。
俺は足を動かして、また奴の攻撃を回避した。
何をしているのかは分からない。
体当たりか、足による攻撃かも判断がつかない。
が、大きく動けば敵の攻撃を回避する事は出来る。
敵が飛び――回避。
敵が高く飛び、落下し――横へと飛ぶ。
回避、回避、回避回避回避回避回避回避回避回避回避――また、回避だ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
呼吸がまた乱れ始めた。
回避に専念するだけならそこまでの労力は無いが。
足を休める事は出来ないので体力は消耗していく。
避けるだけで勝てるのなら良い……が、それではダメだ。
攻撃をしなければならない。
が、敵の姿も攻撃も見えていないのにどうやって攻撃を当てるんだ。
敵の外殻は硬く、弱点は下になって隠されている。
せめて、その弱点を露出させなければ攻撃を加える事は出来ない。
敵の攻撃を避けながら、俺は頭を働かせた。
思い出せ、ワイバーンイーターの特性を。
師匠から教わった知識を思い出すんだ。
奴は何故、視界が悪い中でも俺の位置を正確に特定できたのか。
魔素が濃い状況で魔力による探知がままならないのは奴も同じだ。
ならば、どうやって俺の位置を探知している。
簡単だ。奴は“振動”によって俺の大まかな位置を特定している。
奴は複数の目を備えながらも、振動を感知する機能に関しても高い力を有している。
本来、糸を吐くような蜘蛛であれば蜘蛛の巣に掛かった獲物の動きを察知するが。
奴は糸を吐くと言う性質を失った分、振動によって獲物の位置を知る術を身に着けたと師匠は言っていた。
つまり、奴は俺の足音や呼吸によって揺れる空気などを察知している。
大気は揺れて振動となり、奴はそれを頭の中で分析している。
恐らくは奴の頭の中ではこの闘技場全てが精確な形で捉えられている筈だ。
“脳内マップ”とも呼べる技だ。
どんなに砂煙が濃くても奴には関係がない。
視力を潰したとしても、奴には振動を探知する術がある。
が、逆に言うのであれば――それを“過信”している。
俺は僅かな時間で勝機を見出す。
剣を握っていない手を動かし、鞄からあるものを出す。
筒状の容器に入れられたそれ。
中でも、丸みを帯びたような形状をしたそれだ。
アードルングから貰ったものであり。
俺はそれから出る紐の先端を指で摘まむ。
そうして、抜き取るように指を動かせば先端に取り付けていた薬が摩擦熱によって発火する。
今、砂煙が出ている状態かは分からない。
が、先に潰しておくべきは奴の“視界”だ。
俺はそれを上へと投げる。
すると、タイミングよく背後から奴が迫る。
俺はギリギリで横へと飛んで回避した。
瞬間――眩いばかりの閃光が迸る。
「…………!」
微かに奴の声が聞こえた気がした。
俺はそれを感じたと同時に、鞄の中から全ての筒を取り出す。
紐で括られたそれらの先端に触れて順番に着火していく。
すると、奴はその振動を聞きつけて此方へと迫って来た。
それを感じながら、俺は奴との距離を測る。
まだ、まだ、まだ、まだ、まだだ、まだまだ――此処だ!
俺は軽く後ろへと飛ぶ。
それと同時に、眼前に向けてそれを勢いよく放つ。
奴は火がついたそれに気が付いている筈だ。
それを払うか、それとも喰らうか――前者だろう。
奴の魔力が揺らめく。
俺はその間にも剣に魔力を流し続けた。
奴がゆっくりと迫ってきているように感じる中で。
俺は奴を感じながら――薄く笑う。
「爆ぜろ」
俺がぼそりと呟く。
瞬間、目の前で勢いよく炎が巻き上がる。
爆炎が発生し周囲に広がる。
奴はそれを目の前で受けた。
奴の魔力が激しく揺らめいていた。
激しく動揺しており混乱状態になっている。
俺は今が好機であると地面に足をつけて――蹴りつけた。
一気に距離を縮める。
奴は動揺した事によって体を僅かに上げていた。
この状態であれば人一人くらいであれば奴の下に入り込める。
どんな獣も魔物も、外部から強い刺激を加えられれば自然と体が跳ね上がる。
俺はそれを利用し、強制的に奴の体を――悪寒が走る。
全身が凍えるような寒さだ。
それを感じながら、スローに感じる中で奴の魔力の動きを察知した。
動揺していた筈だ。
体を跳ね上がらせて、硬直していた。
が、一瞬であり、今は魔力が一気に膨張した様になっている。
その状態は奴が魔力を放出する合図であり――瞼の裏から激しい閃光が迸る。
「――あああああぁぁぁぁ!!!!!!?」
全身に駆け巡る奴の魔力。
バチバチと全身が弾けるように強い痛みが走った。
頭の中が激しく光が点滅しているようだ。
脳みそをかき混ぜられるような不快感が俺を襲う。
熱い、熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い――焼かれるような痛みだ。
全身の肉がぐちゃぐちゃになり。
体の中を流れる血が沸騰するような感覚。
何もかもが口から吐き出されて行くように声が出続けていた。
強い痛み、激しい苦しみ。
呼吸さえもままならず、意識が飛びそうになる。
俺は体を震わせながら永遠に感じるような痛みに耐えて――解放される。
「あ、が、ぁ……あ、ぁぁ……」
奴の下にいた。
ゆっくりと足から力が抜けて前のめりに倒れていく。
正常に戻った感覚の中で、奴が不気味な鳴き声を上げているのが分かった。
ゆっくりと奴の体が下がってきている。
このまま俺を全体重を乗せて押しつぶす気であり――笑みを浮かべる。
「――待って、いたぜ」
俺は足を踏ん張る。
そうして、柄を握りしめながら身を翻す。
最初から分かっていた。
奴がそう簡単に弱点へと俺を誘う筈が無いと。
何か打算があり、確実に俺を仕留める何かがあると。
それがさきほどの全力での魔力の放出であり、流石の俺も意識が飛びかけた。
常人であればアレで死んでいた。
死んでいなくとも、ぶつりと意識は消えていただろう。
だが、俺は生憎と普通ではない。
クライドからの挑戦によって死ぬほどの攻撃を耐えて。
ミノタウロスとの戦闘で何度死んでいたか分からないほどの怪我を負った。
今までの全ての戦いの“経験”が、“痛み”が――俺の意識を繋ぎとめた。
こいつの敗因は俺をそこいらの人間と一緒にした事だ。
俺を侮り遊んでいたせいで――こいつは敗れる。
鞘から強い熱を感じる。
鞘の中で駆け巡る魔力が暴れまわっていた。
それを必死で抑え込みながら、俺は目の前の核に狙いをつける。
全ての魔力をこの一撃に、これで決まらなければ俺は死ぬだろう――だけど、それでもいい。
俺の全て、俺の魂を――この一刀に載せるッ!!
「――ッ!!」
閉じていた目を限界まで見開く。
そうして、すぐ目の前で胎動する核を見つめる。
斬れる。俺ならばこいつを――斬れる。
己が力を限界まで高めて柄を握りしめた。
そうして、腰を捻り上げて――解き放つ。
剣から爆発音のようなものが聞こえた。
それと同時に青と赤が混ざる事無く目の前で弾けていた。
無数の星々のように目の前で輝き、それが奴の核へと吸い込まれて行く。
一瞬の抵抗。が、すぐにそれも無くなり――
「――
「――――ッ!!!!?」
全力で振るう。
すると、俺の刃は奴の体内に吸い込まれる。
一瞬、ほんの一瞬、奴の体が浮き上がり――落ちて来た。
奴の体が伸し掛かり、全身に奴の体液を浴びる。
呼吸が出来ない――息が、苦しいッ!?
俺は必死に藻掻く。
剣を出鱈目に振りながら、何とか這い出す。
ゆっくり、ゆっくりと体を地面にこすり合わせて這い出た。
よろよろと立ち上がるが、魔力切れに近い症状で立ち眩みがした。
寸での所で剣を地面に刺し、何とか倒れるのを防ぐ。
「「「…………」」」
「はぁはぁはぁはぁ……う、はぁぁ……!」
地面が軽く揺れる。
思わず背後を振り返った。
すると、ワイバーンイーターが僅かに動く。
奴は低く不気味な声で鳴きながら、口から唾液と血が混ざったものを吐き出していた。
今の攻撃でも死んでいない。
だが、これ以上の攻撃は俺には出来ない。
今ので魔力を使い果たし、これ以上は、もう、何も……っ!
俺は剣を地面から抜き構える。
手は震えていて、今にも剣を落としそうだった。
が、何とか根性で立ちながら奴を睨み――奴の体が揺れる。
「――――…………」
「……え?」
奴が天を仰ぎ見た。
そうして、今まで聞いたこともないような声で鳴いていた。
次の瞬間にはゆっくりと足を広げて力なく地面に倒れ伏す。
俺はその光景を茫然と見つめていた。
「……す、すげぇ」
「まさか、あれを……大番狂わせだ」
「は、はは……はははは!!」
「「「――オオオオォォォォォ!!!!!」」」
「……っ!」
観客席から歓声が上がる。
耳が痛いほどの声で、俺は嫌な顔をしてしまった。
俺が勝った。
俺一人の力で四級危険種の魔物を討伐した……いや、それは違う。
「……」
戦士たちの亡骸を見つめる。
彼らだ。彼らが奴の魔力を削いでくれたお陰で勝てた。
もしも、魔力が十分に残っていた状態で奴の最後の攻撃を喰らっていたら……死んでいたのは俺だった。
俺は死んでいった仲間たちに敬意を表する。
別れの言葉は言えなかった。
いや、名前すら聞けていない。
もしも、名前を聞けていたのなら……いや、それは違う。
全員が全員、此処で死ぬつもりなんて無かったんだ。
生きて此処を出る筈だったんだ。
俺はそれを認識して、彼らへと送る言葉を決めた。
「ありがとう……安らかに、眠ってくれ」
俺はゆっくりと剣を鞘に戻す。
そうして、持って来ていたポーションから鞄から出し飲む。
少しだけ体力と魔力が回復したのを感じながら。
俺は開かれて行く冊を見つめた。
司会者が場を盛り上げる為の言葉を吐いているが無視……行こう。
俺は勝った。
次は奴が約束を守る番で――待っていろ、マレファル。